リチャード・ホルブルックの本当の遺産
Stephen Lendman
二度の大動脈破裂手術も彼を救えず、12月13日に69歳で亡くなった彼を、西欧マスコミ、ロンドン・ガーディアン記者エド・ピルキントンとアダム・ガバットは、“アメリカ外交政策の巨人”という見出しで称賛し、彼の逝去により“埋め合わせるべき大きな空白”が残されたと書いている。
12月13日、ニューヨーク・タイムズ記者ロバート・マクファデンは“外交と危機における強力なアメリカの声”という見出しで、こう書いている。
“ホルブルック氏は、発病後(12月10日)入院していた。(二度の大手術後、彼は)亡くなるまで危篤状態のままだった…。聡明で、時には癪にさわるようなインファイターして、事実、はったり、耳打ち、言外の脅迫、そして必要とあらば花火のような怒りの発作と、自分の主張を押し通すべく、彼は恐ろしいほどの手持ち材料を活用した。”“ブルドーザー”とあだ名をつけられていたのも、むべなるかな。
元CIA職員で、活動家・政治評論家のレイ・マクガバンは、彼のことを民主党ごひいきの“しっかりした倫理基準が、一種、失格理由と見なされるような、とりわけ厄介な紛争に対して頼りになる外交官”と呼んでいる。1990年代のバルカン戦争や現在のアフガニスタン/パキスタン(アフ-パク)の類で、(彼は)、ワシントンが望んでいることを実現するため、あらゆる道徳的な良心の呵責を乗り越えて、強引に押し通すことを期待されていた。”と好意を見せている。
オバマは彼のことを、オバマが言及しなかった好戦的な帝国主義的計画を押し進めた“アメリカ外交政策の真の巨人”と呼んだ。目下の問題、歴史や、ホルブルックのような著名な人物に関して、おきまりの、好ましからぬ部分を削除した記事を載せる大手マスコミ記事も、英雄だとして歪曲報道している。
彼の外交官としての経歴はほぼ50年に亘り、最初はベトナムで、米国国際開発庁(USAID)代表を、更にマクスウェル・テイラーと、ヘンリー・キャボット・ロッジ大使の補佐官を務めた。再度、ホワイト・ハウスに派遣され、リンドン・ジョンソンに、同じ職務で仕えた。1960年代末、ペンタゴン・ペーパーズの一巻を書き、国務次官ニコラス・カッツェンバックと、エリオット・リチャードソンの特別顧問を務めた。彼はベトナム・パリ和平会談へのアメリカ使節団メンバーの一員でもあった。
1970年代、彼は、プリンストン大学ウッドロー・ウィルソン・スクールの特別研究員、モロッコの「平和部隊」所長、フォーリン・ポリシー誌編集主幹、カーター/モンデール大統領選挙キャンペーンでの国家安全保障担当コーディネーターを務めた。
彼は更にカーターの東アジア・太平洋担当国務次官補となり、他の様々な公職や、リーマン・ブラザーズ常務取締役を含めた企業の職を務めた。
クリントン大統領の下、彼はドイツ大使、国連大使、ヨーロッパ担当国務次官補、さらには、1990年代初期バルカン戦争を終わらせた、1995年デイトン合意の立て役者を務めた。これについては以下で触れる。彼は更に、クリントンのボスニア、コソボ、キプロス特使を務めた。ごく最近は、彼はオバマのアフガニスタン・パキスタン特別代表だった。これについても後述する。
マスコミ記事は説明してくれないホルブルックの遺産
1990年代早々バルカン戦争を終わらせた、1995年のデイトン合意の立案者として称賛しながら、大手マスコミの記事は、この合意が、旧ユーゴスラビア共和国を、いかに二つに人為的に分割したかは説明しない。ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦(イスラム教徒/クロアチア連合)と、ボスニア/ヘルツェゴビナ・セルビア共和国(スルプスカ共和国)だ。
スロボダン・ミロシェビッチ支配下のユーゴスラビアに対する西欧の経済的、社会的攻撃も省かれている。この攻撃は、内戦をひき起こし、分割、征服、占領、支配するという帝国的構想に役立った。結果的に、数百万人の人々が貧困化されたままでいる。ボスニアは、NATO軍事占領下にある、西欧、主としてアメリカの植民地なのだ。1999年の侵略戦争が続いた。これについては以下でも触れる。
ダイアナ・ジョンストンがバルカン戦争についての決定的な説明をものしている。彼女の著書“愚者の十字軍: ユーゴスラビア、NATOと西欧の欺瞞”は戦争の原因と長く続く影響を理解するための必読書だ。西欧にとっては、ミロシェビッチの“大セルビア”追求を妨害し、西欧の諸大国、特にワシントンとドイツが望み、開始した戦争に関する真実を大規模に歪曲することだった。彼等は分離を奨励し、紛争を誘発し、最後に紛争終結を自分の手柄にしたのだ。1995年、ホルブルックは、第一ラウンドで、交渉代表者を務め、次に再び、NATOの1999年侵略戦争につながる役割を務め、未完の仕事をやり終えた。
日和見主義の政治家ミロシェビッチは、実際には、ユーゴスラビアの分裂を止めたいと願っていたのだ。分裂が起きてしまった際、彼は少数派のセルビア人が、ユーゴスラビアに残ることが認められるか、新たに作り出された残滓国家で、自治を得るかして、保護されることを望んでいた。占領と植民地化に加え、ワシントンの狙いには以下のものがあったとジョンストンは考えている。
- ヨーロッパが支援する和解を防ぐこと
- “ヨーロッパにおける紛争調停で、ヨーロッパの同盟諸国に対する優位を確保すること。” ホルブルックは、回顧録でそれを認めており、中心的な役割を果たした。
- 新たな人道的任務“外の部分”を通したNATOの拡大、別名、アメリカが支配する植民地化と軍事占領。更に、
- “ボスニアのイスラム教徒を擁護することで、イスラム世界への影響力を得ること”
ホルブルックが交渉したデイトン合意以来の“国際的官僚機構による支配、新世界秩序における新たな流れ”とも彼女は呼んでいる。
“ボスニア-ヘルツェゴビナは、似たような組み合わせで、支配されてきた。アメリカの帝国主義的狙いに従わない、現地の民主的な組織が採用した法律を破棄したり、民主的に選出された当局者を免職したりでき、そうする”‘上級代表’(現代版の地方総督、または太守)による厳格な監督の元での、入り組んだ現地当局だ。
言い換えれば、これは、ワシントンが軽蔑し、海外でも、国内でも、植民地の一つにおいてさえ、決して容認しない類の民主主義として描きだされた専制である。
デイトン合意の立て役者という役割で、ホルブルックは、実際には、植民地支配を確立し、ユーゴスラビアの市場社会主義という実験を終わらせ、ヨーロッパとアメリカで大衆窮乏化を拡げたのと同じ、IMF方策、西欧式“自由市場”の厳しさの押しつけを手助けしたのだった。当時、ニューズウィークはこの合意を、アメリカとNATOに完全な植民地支配を可能にする“和平というよりは降伏宣言”と呼んだ。にもかかわらず、銃口を突きつけてユーゴスラビアの主権を終焉させたホルブルックが、和平合意の立て役者として称賛された。
NATOの1999年のセルビア/コソボ侵略におけるホルブルックの役割
1998年10月、対コソボのNATO航空検証ミッションが合意された。11月、ホルブルックはミロシェビッチとの政治的解決の枠組みを仲介した。国連安全保障理事会決議1160、および1199の順守を確認するための第二次検証ミッションが立ち上げられた。
ホルブルックは特使として、1999年の戦争の近因となったランブイエ合意の交渉責任者、クリストファー・ヒルと密接に働いた。その年の1月、“コンタクト・グループ”六ヶ国(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、ドイツ、そしてイタリア)の高官達はロンドン和平会議を行い、ユーゴスラビアが定められた条件に従わない限り、戦争になると脅したのだ。いかなる正当な指導者にも受け入れられないたぐいのものの到来だ。
2月、ミロシェビッチはそれを受け取った。ランブィエ合意だ。NATO占領軍に、ユーゴスラビア領土、領空と領海、領域内のあらゆる地域や施設の無制限な利用を認め、ユーゴスラビア連邦共和国の主権を引き渡すという、彼には受け入れることができない最後通告、交渉の余地のない要求だった。しかも、ユーゴスラビア連邦共和国に、NATOが連邦法規を超え、自由に活動するのを認めるよう要求していた。
これは、アメリカが率いるNATO軍が攻撃する理由が得られるよう、拒否されるべく仕組まれた申し出だった。その後、1999年3月24日から6月10日、ユーゴスラビア連邦共和国への情け容赦ない猛攻撃が続いた。約600機が3,000回の出撃を行い、数百発の地上発射巡航ミサイルも含め数千トンもの爆弾を投下した。それまで、その残忍さは未曾有のものだった。
既知の、あるいとそれと疑われる軍事基地や標的を含め、道路、橋や鉄道、燃料貯蔵庫、学校、TV局、在ベオグラード中国大使館、病院、政府省庁、教会、歴史的建造物を含む、発電所、工場、輸送機関、通信設備、重要なインフラ、更に、国中の都市や村落において、より多くのほぼ全てのものが攻撃され、大量破壊と途絶をもたらした。
それは、人道的任務として描き出された無法の侵略戦争だった。ホルブルックは、この戦争を立ち上げる上で大いに活躍した。これは1000億ドルの損害をひき起こしたと推計されている。人災が招来された。環境汚染は大規模なものだった。多数の人々が殺害されたり、負傷したり、強制退去させられた。200万人が生計手段を失い、多くは、家も地域社会も失い、しかも大半の人々にとって、彼等の将来は継続する軍事占領下にある。
ユーラシアへの道筋を開き、アメリカ軍の永久駐留が確立し、アメリカの広範な帝国主義的狙いに奉仕した。またもや偽って、人道的な理由で行われた、イラクとアフガニスタン戦争が続いた。
ベトナムから、バルカン、アフガニスタンやパキスタンに至るまで、更には2009年1月26日から亡くなるまで、特別代表という役割で、ホルブルックはワシントンの帝国主義的狙いの促進を助長した。
公的には、彼の発言は楽観的だった。私的には、腐敗した、無能なカルザイ政権や、多くのアメリカ高官、戦略や資源のいかなる組み合わせによっても、反転させ、勝利することができない紛争に彼は苛立っていた。手術のために鎮静剤を注射される前に、“アフガニスタンでの戦争を止めてくれ”と外科医に遺言をしたと、家族は言ったと伝えられている。恐らくは、ほぼ50年間という公職中、彼として唯一賢明な意見だったろう。誰も聴いていなかったのは、なんとも残念なことだ。
記事原文のurl:alexandravaliente.wordpress.com/2010/12/16/thr-true-richard-holbrooke-legacy/
EPHEMERIS 360.ORG
---------
おりしも、コソボ首相に臓器密売容疑。いかにも、ありそうな話。
書店を覗いたところ、文春新書で、とんでもな新刊が出ていた。
ベトナム・中東・東欧・アフガニスタンで辣腕を振るったホルブルックの日本版、アメリカ日本総督とも言うべきお二人の演説集? 日本の大本営広報記者氏が司会?
どなたがお読みになるのだろう。
属国の奴隷として覚えをめでたくするには読まなければいけないことは分かる。
それは買わずに、彼等がいやがるであろう、吉田健正著『戦争依存国家アメリカと日本』(高文研、2010年12月)を購入してきた。
私の闇の奥、西日本新聞を讃えるで推奨されている本だ。
それと、
ロックフェラーの完全支配―ジオポリティックス(石油・戦争)編
F.ウィリアム・イングド-ル著/為清勝彦訳 / 徳間書店刊
この本にもユーゴスラビアのことは十分に書かれている。
悪の宗主国の実態を隠す新刊新書と違い、悪の宗主国の実態を知るための必読書では?
« Wikileaksの背後にいるのは誰か?(超抜粋) | トップページ | "誰がバルカン諸国を破壊したのか": ホルブルックか、ミロシェビッチか? »
「アフガニスタン・パキスタン」カテゴリの記事
- 9/11:未だ治療法のないアメリカの病(2024.09.18)
- ガザの地獄:新新世界秩序戦略(2023.11.13)
- パキスタンはなぜ、どのようにウクライナを支援しているのか?(2023.03.02)
- ベトナム戦争にもかかわらず依然教訓を学ばないアメリカ(2023.02.08)
- 中国がタリバーンと5億4000万ドルのエネルギー取り引きをした理由(2023.01.09)
「アメリカ」カテゴリの記事
- 欧米帝国主義は常に嘘の溜まり場だったが、今やメディア・トイレは詰まっている(2024.11.30)
- 熟練専門家を前線に派兵して、戦争遂行努力の失敗を示しているウクライナ(2024.11.26)
- ネタニヤフに対するICC逮捕令状はアメリカの政策と共謀に対する告発でもある(2024.11.27)
「マスコミ」カテゴリの記事
- 欧米帝国主義は常に嘘の溜まり場だったが、今やメディア・トイレは詰まっている(2024.11.30)
- なぜワシントン・ポストは存在しないトランプ・プーチン電話会話を報道するのか?(2024.11.18)
- NYタイムズ、ウクライナに関する報道の変更を発表(2024.11.07)
- ジャーナリズムに対する戦争を続けるイスラエル(2024.10.27)
- イスラエル国防軍兵士が殺害された時とガザで病院患者が生きたまま焼かれた時のメディア報道(2024.10.18)
「旧ユーゴスラビア」カテゴリの記事
- マドレーン・オルブライトの遺産は偽旗攻撃として生き続け、フェイク・ニュースはユーゴスラビアの戦争教本に直接由来する(2022.04.23)
- バイデン家の連中がウクライナで「しでかす」前に、イラクとセルビアがあった(2020.10.22)
- 「非暴力革命のすすめ ~ジーン・シャープの提言~」: またはジーン・シャープの妄想(2016.03.23)
- ヨーロッパ不安定化を計画するソロス / CIA(2015.09.25)
- 避難民はチェス盤上の歩兵(2015.09.16)
「Stephen Lendman」カテゴリの記事
- ナワリヌイの水ボトル中のノビチョク?(2020.09.21)
- 警察国家アメリカ/イギリス対ジュリアン・アサンジ(2020.03.05)
- ダボスでトランプと会ったのを非難されたイラク大統領(2020.01.30)
- ウクライナ大統領茶番選挙(2019.04.03)
« Wikileaksの背後にいるのは誰か?(超抜粋) | トップページ | "誰がバルカン諸国を破壊したのか": ホルブルックか、ミロシェビッチか? »
コメント