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2010年8月13日 (金)

アフガニスタンにおける女性の権利

タリバン復活を恐れる人々は、すべからく共産主義者の復活を願うべきだろう

what's left

Stephen Gowans

2010-08-09

“アフガニスタン女性の不安定な権利が消え去りつつある”ことを巡る懸念が表明されている [1]アフガニスタン女性の権利がずっと強い時代もあったし、かつてアフガニスタンと同様の文化を持っていた、旧ソ連邦の中央アジア諸国に暮らしている女性の間では、権利はいまでも遥かにしっかりしている。アメリカのジャーナリスト連中が、起こりうるタリバンの政権復帰は、女性たちが手に入れたささやかな権利を危うくするものだといって、アメリカ軍撤退への懸念に注意を促している。しかし、因襲的なイスラム慣習の支配からアフガニスタン女性を解放しようとしたカーブルの進歩的な政府に対して戦う女性蔑視のムジャヒディンをワシントンが支援した際、女性の権利の喪失に関して、アメリカの体制派ジャーナリズムは、何の懸念も表明しなかったのだ。

以下は、ニューヨーク・タイムズの記者アリッサ・J・ルービンの文章だ。

   アフガニスタン女性の不安定な権利は消え去りつつある。女子の学校は閉鎖されつつある。働く女性は脅迫されている。女性の権利を唱導する人々は攻撃される。怯えた家族は、益々、娘たちを家に閉じ込めるようになっている。アフガニスタンと西欧の政府タリバンとの和解を探る中、待望していた平和は、タリバン政府が2001年に打倒されて以来、ようやく改善された女性の権利を犠牲にして実現するのではないかと女性たちは恐れている。[2]

ルービンの記事は、アメリカ合州国とNATO加盟国によるアフガニスタン占領継続への支持を獲得しようとして、アメリカの新聞や雑誌が繰り広げているプロパガンダ攻勢の一環だ。キャンペーンは、恐らく、7月29日号のタイム誌によって、最も露骨に大胆に描かれている。ニュース雑誌編集者の発言を引用すれば、

表紙は迫力に満ち、衝撃的で、心をかき乱すものだ。彼女を虐待していた義理の両親から逃げたかどで、鼻と両耳を切り取るべしという判決をタリバン司令官によって下された、内気な18歳のアフガニスタン人女性アリシャのポートレートだ。アイシャは写真のためにポーズをとり、世界中にここ数年間に、活躍できるようになったアフガニスタン女性に対して、タリバン復活がもたらす影響をみて欲しいのだと彼女は語っている。彼女の写真には、タリバンの敗北によって実現した自由を、アフガニスタン女性がいかに喜んで受け入れたか、彼女たちがどれほどタリバン復活を恐れているか、にまつわる、わが国のアリン・ベーカーによる迫力ある記事がつけられている。

もしもアメリカがアフガニスタンを去ったら何がおきるだろう?とタイム誌は問うている。アメリカが1980年代にムジャヒディンを支援していなければ、こういうことがおきていただろうか?と問うていたなら、このニュース雑誌編集者は、もっと優れた歴史感覚を示せていただろうに。因襲的なイスラム教の女性蔑視からの女性解放を目指した政府を転覆するために、何万人もの聖戦士を採用し、資金援助をして、ワシントンは、アフガニスタンにおけるイスラム復古主義を支援したのだ。

タリバン復活の見通しに関しては良い話は皆無だ。もしもイスラム教の過激派が権力に復帰すれば、女性の状況は実際に野蛮な水準に落ち込むだろう。だが、アメリカ外交政策立案者は、アフガニスタンの女性の状況に関して、わずかでも気にかけている、あるいは、アフガニスタン女性の権利を保障する一番確実な方法は、アメリカの軍隊をしっかり現地に駐留させておくことだというという発想は、この地域におけるアメリカ外交政策の歴史を無視しており、ービン自身が指摘している核心である、ワシントンがタリバンとの和解を探っていることも無するものだ。

ルービンが“和解”という言葉を使ったのは実に適切だ。ワシントンとタリバンとの協力関係は、パキスタンの諜報機関ISIや、サウジアラビアと協力して、CIA経由で、発生期の運動に、資金援助をし、助言をしていた1995年にまでさかのぼる。[3] ワシントンは当時、タリバンの、女性に対する野蛮な処遇に関し、何ら良心の呵責を感じてはおらず、下記に説明する理由から、恐らくは、現在も何ら良心の呵責を感じてはいるまい。ありとあらゆるタリバン職員がアメリカ政府に雇われていた1999年に至るまでずっと、国務省はスンナ派過激派と友好的関係を維持していたのだ。[4]

石油豊富なサウジアラビアが、アメリカ政府から受けている膨大な支援は、ワシントンの政策決定者にとって、原理主義イスラム教社会における女性の状況などより、はるかに重要な関心事があるという良い証拠だ。サウジ王国はワシントンにとって主要な戦略的同盟国で、アメリカの石油企業やアメリカの投資銀行にとってとてつもない収益源であり、それによって、サウジアラビアは、彼等のオイルダラーを再循環させていられるのだ。サウジアラビアの女性の待遇について、アメリカ合州国国内で語られることはほとんどないが、サウジアラビアの女性は、アフガニスタン女性に対して、タリバンが科しているのと同様に野蛮で未開の慣習に支配されている。しかし、イスラム原理主義者がパイプラインの交渉でユノカルに協力するのを拒否した際に初めて、当然受けるべき精査を受けたにすぎない慣習が、西欧世界が憤慨して、唾を吐きながら早口で言い合っている、タリバンが行っている女性に対する後進的な慣習が、毎年途轍もない石油収益を稼ぎだすアメリカ大企業幹部連中と協力しているおかげで、サウジアラビアでは堂々とまかり通っている。

中東におけるワシントンのパートナーの一国、サウジアラビアでの女性の扱いは以下の通りだ。女性は、投票も、車の運転も、男性の付き添い無しで家から外出することも認められておらず、外出する際には、男性を避け、身体の大半を覆わなくてはならない。結婚、離婚、旅行、進学、就職や、銀行口座を作りたい場合には、女性は男性親族の承認が必要なのだ。女性の居場所は、家庭内であり、女性の役割は、子供たちを育て、家庭の世話をすることなのだ。裁判所では、女性二人の証言は、男性一人の証言の重みに等しい。両性は厳しく隔離されており、大半の家や公共の建物には、男性と女性それぞれの入り口があり、公共の場には、それぞれ専用のエリアがある。マクドナルド、ピザハットや、スターバックスを含めたアメリカのレストランチェーンは、経営するレストランに、それぞれの性別に専用エリアを設けて、女性の抑圧に加担している。女子は、教師の質が劣っており、教科書も男子学校ほど頻繁には改訂されない女子だけの学校に通っている。父親は、自分の娘なら、何歳でも、嫁にやることが可能で、9歳という若さの少女が結婚している。10歳の少女が80歳の老人との結婚を強いられた例もある。個別で不平等な法律上の権利、学校、女性の移動制限といったサウジアラビアの慣習は、かつて南アフリカで行われていた一種のアパルトヘイトと何ら変わりはない。唯一の違いは、皮膚の色でなく、子宮を持っていることによって犠牲者と規定される点だけだ。[5]

サウジアラビアの女性は、投票も、車の運転も、男性の付き添い役なしに家から外出することも許されておらず、また外出する際には、男性を避け、体の大半を覆わなければならない。彼女たちが、結婚、離婚、旅行、進学、就職,あるいは、銀行口座を作りたいと思った場合、男性の親族による承認が必要なのだ。アメリカ軍のアラビア半島駐留も、こうした野蛮な慣習に終止符を打ったわけではないのだ。

因襲的なイスラムの反女性慣習の束縛から、女性を解放しようとしていたアフガニスタンの進歩的政権を弱体化する上で、アメリカが果たした役割こそが、海外の女性の権利に対する、ワシントンのこの上ない冷淡さに関する更なる証拠だ。1980年代、カーブルは“国際的な都市だった。芸術家やヒッピー達が首都に押し寄せていた。都市の大学では、女性が、農学、工学、経営学を学んでいた。アフガニスタン女性が政府の仕事に就いていた。” [5] 女性国会議員がおり、女性が自動車を運転し、男性の保護者に許可をえる必要なしに旅行し、デートをしていた。アフガニスタンがもはやこうした状況にないのは、アフガニスタン人民民主党が率いるカーブルの新政府と戦わせるため、イスラム教テロリストに資金を提供し、組織化することによって、“ロシア人をアフガニスタンの罠に引き入れ”、“ソビエト連邦に、ソ連版ベトナム戦争”をくれてやる、という、1979年夏、当時のアメリカ大統領ジミー・カーターと、彼の国家安全保障問題担当補佐官ズビグニュー・ブレジンスキーによってくだされた秘密の決定によるところが大きいのだ。[6]

PDPAの目標は、アフガニスタンを後進性から解放することだった。1970年代、成人のわずか12パーセントしか文字が読み書きできなかった。平均寿命は42歳で、幼児死亡率は世界最高だった。国民の半数が結核を患い、四分の一はマラリアを病んでいた。

国民の大半は、地主や裕福なムラーと呼ばれるイスラム法学者が支配する、地方で暮らしている。女性は強制結婚、婚資、児童婚、女性の隔離、男性への服従や、ベールといった因襲的なイスラム教の慣習の支配を受け、とりわけ野蛮な生活を強いられていた。[7]

アメリカ大統領ロナルド・レーガンは、ホワイト・ハウスで祝宴を開き、ムジャヒディン“自由の戦士”に敬意を表した。あらゆるタリバン職員がアメリカ政府に雇われていた時代である1999年に至るまでずっと、国務省はタリバンと友好的な関係を維持し続けていた。過去に女性に対する野蛮な家父長的支配を押しつけ、サウジアラビアでは現在も押しつけ続けている、熱狂的な信者連中と、ワシントンは同盟しているにもかかわらず、アメリカのマスコミは、アフガニスタン女性の解放はアメリカ合州国に任せることができるという矛盾した発想を宣伝している。

これとは著しい対照として、ボリシェビキは、ソ連邦の中央アジア共和国に暮らす、アフガニスタン人、タジク人、トルクメニスタン人やウズベク人同胞の生活水準を高め、因襲的イスラムの女性蔑視から、女性を解放した。女性の隔離、一夫多妻制、婚資、児童婚や強制結婚、 ベールをかぶること(ボルシェビキによって児童虐待と見なされた男児割礼と共に)は非合法化された。女性が管理職や専門職に採用され、家庭の外で働くことが奨励されていた。実際は義務づけられていた。これは、独立した収入がある場合に限って、女性は、男性の支配から解放されうるのだというフリードリッヒ・エンゲルスの考え方に沿ったものだった。[8]

1978年、PDPAが支持はしていたものの、次第に幻滅しつつあったモハメッド・ダウド政権が、人気ある一人のPDPA党員を殺害した。これが大規模デモをひき起こし、ダウドは、PDPA指導者を逮捕するという命令で対応しようとした。ところが命令が実行される前に、PDPAは、軍隊内部の支持者たちに、政府を打倒するよう命じたのだ。革命は成功し、PDPA党の強硬派指導者ヌール・ムハマッド・タラキが権力の座についた。サウル(四月)革命は、PDPA指導者を逮捕し、左翼を弾圧するというダウド政権の計画に対する自然発生的な対応であり、モスクワの黙認の下で、権力を掌握しようとしてまとめた計画の実現というわけではなかった。新政府は親ソ連派であり、アメリカが支援する地方のイスラム教超保守派を鎮圧しようという取り組みへの新政権の要求で、ソ連も間もなく、軍事的に介入はしたが、モスクワがこの権力奪取の背後にいたわけではなかった。[9]

新政府は即座に一連の改革を発表した。貧しい農民の借金は帳消しにされ、金貸しや地主による不当に高金利な融資慣習を根絶する取り組みとして、農民に対し低金利の融資を行うために、農業開発銀行が設立されることになっていた。土地所有は6ヘクタールまでに限定され、大規模な私有地は分割され、土地無しの農民に再配分された。[10]

アメリカ企業さえ儲かるのであれば、女性の抑圧に進んで結託するワシントンとは違い、ボリシェビキは、イスラム教の野蛮な因襲的慣習と彼等が考えるものの支配からソ連邦中央アジアの女性を解放した。女性の隔離、一夫多妻制、婚資、児童婚や強制結婚、ベールかぶることは違法とされ、男性からの独立を実現すべく、収入を稼ぐために、女性は家の外に出て働くことが期待されていた。

同時に、女性は因襲的なイスラム教の束縛から解放されるはずだった。婚資や、結婚適齢期の女性を、商取引で交換可能な家財同様に扱うことは、厳しく制限された。女性が結婚に同意できる年齢は、16歳に引き上げられた。また都市の学生が、男性と女性の両方に読み書きを教えるため地方に派遣された。[11]

特にPDPAへの支持が強力だったカーブルで、多少の進歩こそ実現されたものの、改革は、政府が余りにことを急ぎすぎた地方では、新政府が彼等を鎮圧する軍事力に欠けていた裕福な地主やムラーと呼ばれるイスラム法学者たちによる、断固とした反対をひき起こし、決して根付くことはなかった。[12] ワシントンは、イスラム諸国から、サウジアラビア生まれの大富豪オサマ・ビン・ラディンも含め何万人ものムジャヒディンを聖戦のために採用し、これが究極的には軍隊撤退というソ連の決断と、ソ連が立ち去った後も数年間踏みとどまったPDPA政府の最終的な崩壊に貢献した。PDPAの指導の下、アフガニスタンが現代へ向かう断固とした歩みを何歩か踏み出した後、アメリカ合州国、パキスタンとサウジアラビアに支援されたタリバンが、間もなく、アフガニスタンを再度しっかり中世に引き戻した。重要なのは、女性たちの状況を改良しようと活動したのは、ソ連邦中央アジアのボリシェビキと、マルクス-レーニン主義に鼓舞されたアフガニスタンのPDPAであり、女性に対する野蛮な家父長的支配を押しつけ、サウジアラビアで、現在も押しつけ続けている熱狂的な信者と、アメリカ合州国は同盟しているのだ。

サウジアラビアでの女性の隔離に共謀しているスターバックス、ピザハットやマクドナルドに劣らず、ワシントンにとっても収益は女性の権利より大切なのだ。共産主義者たちは、対照的に、農民を封建的な後進性から解放し、多くの女性に対する因襲的なイスラム教による支配を打ち破るという目標に鼓舞されていた。共産主義者たちは、人類の進歩と女性の権利の擁護者として活動していた。ワシントンは、帝国主義論理の虜として活動した。タリバンやサウジアラビアの女性蔑視からの女性解放は、ワシントンの仲介を通して実現することはありえまい。タリバンの復活と、その結果として、アフガニスタン女性が、ペンタゴンに支援された傀儡政権下で、かろうじてひねりだした僅かな進歩の喪失を心配する人々は、すべからく共産党員の復活を願うべきだろう。彼等には、女性の解放に仕えるという点で立派な実績があるが、ワシントンの実績、対照的に、決して確信をかき立ててくれるような代物ではない。

注:

1. アリッサ・J・ルービン“アフガニスタン女性は、ささやかな進歩を失うことを恐れている”、ニューヨーク・タイムズ 2010年7月30日記事。

2. ルービン

3. マイケル・パレンティ“アフガニスタン、もうひとつの秘話”(英語)、Michael Parenti Political Archives、2008年12月、2009年更新. http://www.michaelparenti.org/afghanistan%20story%20untold.html

4. パレンティ

5. “サウジアラビア女性の権利”(英語) Wikipedia、http://en.wikipedia.org/wiki/Women%27s_rights_in_Saudi_Arabia

サンフランシスコ・クロニクル、2001年11月17日。パレンティによる引用。

6. 1998年1月15-21日、パリ、ル・ヌーベル・オブゼルバトゥールのインタビュー、英訳、William Blum、http://www.globalresearch.ca/articles/BRZ110A.htmlで読める。

質問: 元CIA長官ロバート・ゲーツは、彼の回顧録["From the Shadows"]の中で、アメリカの諜報機関は、ソ連介入の6ヶ月前にアフガニスタンのムジャヒディン支援を開始したと語っています。この時期、あなたはカーター大統領の国家安全保障問題担当補佐官でした。したがって、あなたはこの件に関与しておられるわけですね。そう考えて宜しいですか?

ブレジンスキー: ええ。公式説明によれば、ムジャヒディンに対する、CIAの支援は1980年、つまり、1979年12月24日に、ソ連軍がアフガニスタンを侵略した後に始まったことになっている。しかし、今日まで秘かに守られてきたが、現実は全く逆なのだ。実際には、1979年7月3日に、カーター大統領は、カーブルの親ソ連政権に反対する連中に対する秘密援助の最初の命令に署名した。そしてまさにその日、この援助はソ連の軍事介入をひき起こすだろうと私は考えていると説明するメモを大統領に書いた。

質問: こうしたリスクにもかかわらず、あなたはこの秘密作戦の提唱者でした。しかし、恐らくはあなた自身ソ連がこの戦争を始めるのを期待しておられ、それを挑発すると期待しておられたのでしょう?

ブ: 全くその通りだというわけではない。我々がロシアに介入するように強要したわけではないが、連中がそうする可能性を意図的に高めたのだ。

質問: アフガニスタンにおけるアメリカ合州国による秘密の関与に対して戦うつもりだと主張して、ソ連が介入を正当化した際、人々はソ連を信じませんでした。ところが、これが真実だという根拠があったわけです。現在、あなたは何も後悔しておられませんか?

ブ: 何を後悔するのかね? あの秘密作戦は素晴らしい発想だった。ロシアをアフガニスタンという罠に引きずり込む効果があったのに後悔しろというのか? ソ連が公式に国境を越えた日、私はカーター大統領にメモを書いた。ソビエト社会主義共和国連邦に自前のベトナム戦争をくれてやる好機です、と。実際、およそ10年間、モスクワは、ソ連政府では支えきれない戦争を遂行する羽目になり、この戦争が、士気阻喪と、最終的にはソ連帝国の崩壊をひき起こした。

質問: イスラム原理主義を支持し、未来のテロリストに武器と助言を与えたことも後悔はされていませんか?

ブ: 世界史にとって何が一番重要だろう? タリバンか、ソ連帝国の崩壊か? いくばくかの熱狂したイスラム教徒連中か、中欧の解放と、冷戦の終焉か。

質問: いくばくかの熱狂したイスラム教徒連中ですって? イスラム原理主義義は、今日、世界にとっての脅威であると言われ、再三繰り返されているではありませんか。

ブ: ばかばかしい! 西欧は、イスラムに対してグローバルな政策を持っていると言われている。ばかげたことだ。グローバル・イスラム教などというものは存在しない。冷静に、デマゴギーや感情抜きに、イスラムをご覧なさい。イスラム教は、15億人の信者がいる世界における主要宗教だ。しかし、アラビア原理主義のサウジアラビア、穏健なモロッコ、軍国主義のパキスタン、親西欧派のエジプト、あるいは世俗主義の中央アジアの間に、一体どのような共通点があるだろう? キリスト教諸国を結びつけているものと何ら違いはない。

7. Albert Szymanski、Class Struggle in Socialist Poland: With Comparisons to Yugoslavia(社会主義ポーランドにおける階級闘争: ユーゴスラビアとの比較)、Praeger、1984a.

8. Albert Szymanski、ソ連の人権、Zed Books、London、1984b.

9. Szymanski、1984a.

10. Szymanksi、1984a.

11. Szymanksi、1984a.

12. アーウィン・シルバー、アフガニスタン ? The Battle Line is Drawn、Line of March Publications、1980.

記事原文のurl:gowans.wordpress.com/2010/08/09/women%E2%80%99s-rights-in-afghanistan/

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上記、ヌーベル・オブゼルバトゥール中のインタビューを英訳しているウイリアム・ブルムの『アメリカの国家犯罪全書』(The Rogue State)益岡賢訳、作品社刊、418ページ、2000円。

暑さを我慢して読めば、恐ろしさで背筋が寒くなること請け合い。

同書47-48ページに、上記インタビューの一部(回答)が載っている。

78ページにある、注によれば、『非戦』(2001年、幻冬舎)に該当部分の全訳が収録されているという。また、このヌーベル・オブゼルバトゥールには、少なくとも二つの版があり、米国向けの版には、このインタビューは収録されていないという。

以下、毎回の余計な一言。

洪水被害救済を口実に、日本軍、アメリカの命令要請で、パキスタンにヘリコプターを派遣するという。「飛んで火にいる夏の虫」アフ・パク戦争の真っ只中に突入。

マスコミ、それにはほとんど触れず、もっぱらお気楽ハマコーやら、ホストクラブ入り浸り幼児放棄事件の報道。森のセガレも。

有名政治番組の司会をしておられた方が社内で「自殺」されたという。
普通の神経であれば、属国における政治討論の司会役、なかなかつとまるまい。何に、どこで、いつ文句をつけられるかわからない。(最近、番組への政治介入にあった、当事者の方が本を刊行された。『NHK、鉄の沈黙はだれのために  番組改変事件10年目の告白』 早速購入したが、悲しいかな、本の山に消えている。)
茶番討論の深夜番組の司会や、報道番組を装ったプロパガンダのキャスターなら、良心皆無で、ゴマスリに走ればいいのだから、誰にでもできよう。もっとも、そうした番組は、ここ数年、全く見たことがない。

民放テレビのバラエティーやら報道と称する番組、テレビをスリッパで殴りたくなる。
それをいうなら、毎夏の球児放映も、スポーツが苦手な視聴者には迷惑でしかない。

つらつら考えるに、どちらも省エネ推進番組なのだ。地デジのようにくどくど字幕がでたりしないが、言外に「馬鹿馬鹿しいのでテレビを消して節電しなさい」と語ってくれているのだ。

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コメント

おっしゃるとおりのようで、なんとも残念・無念。言葉巧みなあの「教え子」が日本の「マスコミ界」で大活躍している限り、「マスコミ界」には期待できないでしょう。

左翼とは何だろう。日本民族は究極のところ、益論しかできず、労働運動はただの利益団体、左派ジャーナリズムは精々のところ独立国益論、モサドの教え子の佐藤優に纏められて落ち行く先は、・・・国家主義。権力に組織化された、軍、米作労働集団を出自とする組織・集団の歯車にしかなれない、ひたすらカネに煩い、相対関係しか知らない民族の易い、安い話。ここの筆者もカネに拘り、その情念に乗じて自堕落な反米独立論をやっていると同じ輩になるから心すべきだろう。この民族の劣性を正面に捉えない自己拘泥は結局のところ、来た道に戻ることになる。

だが、世界の左翼は違うようだ。思えば、オバマの選挙キャンペーン中、既にその本質を最も正確に分析していたのは、第4インターだった。WSWS.org も Gowans も面目躍如の感がある。日本の左翼を見聞していると、自分は左翼ではないのではないかという思いを持つが、世界の社会主義者を見ると、やはり本来的に左翼的知性と精神を共有しているのだと認められる。これは、体制ではなく、本源的文化に連なっているのだろう。

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