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2010年7月20日 (火)

ポーランド大統領選: コモロフスキ勝利はポーランドにおける大規模社会的攻撃の前兆

Marius Heuser

2010年7月6日

保守派与党の市民プラットフォーム (PO)党の大統領候補ブロニスワフ・コモロフスキは、日曜日に行われたポーランド大統領選挙の第二回投票で、票の52.6 パーセントを獲得することができた。

コモロフスキのライバル、ヤロスワフ・カチンスキは票の47.4 パーセントを獲得した。2010年4月、飛行機事故による双子の兄、前ポーランド大統領レフの死を受けて、ヤロスワフ・カチンスキは、大統領候補として出馬していた。

社会的な影響と、彼の党、法と正義(PiS)党の短期的な政治的影響を恐れ、PO政府によって導入された、最も過酷な反社会的法規のいくつかを、前大統領カチンスキは拒否していた。2005年から2007年、政府を率いた弟ヤロスワフも、あからさまに挑発的なやり方での削減実施には、できる限りしり込みをしていた。特に今回の大統領選挙キャンペーンでは、以前の緊縮政策でひどい目にあわされた人々に訴えようと、ヤロスワフは、きまったように民衆扇動を活用していた。

一方、コモロフスキは、最初から“大企業・金融市場にとって好ましい候補者”だった(フィナンシャル・タイムズ・ドイッチェランド)。彼は右派のポーランド首相ドナルド・トゥスクの親友でもあり、トゥスクのおかげで、PO内部で昇進できていた。

コモロフスキが選出されたことは、ポーランドにおける、あらゆる重要な政治的地位が、市民プラットフォーム党の議員によって占拠されたことを意味する。選挙キャンペーンで、この党は、大統領の地位を、長らく計画されていた、ポーランドの社会・医療制度に対する攻撃を実施し、民営化計画を推進することを明らかにしていた。ポーランド株式市場はコモロフスキの大統領就任を前向きに評価し、ポーランド通貨ズロティは、月曜日、ユーロに対し、約1パーセントあがった。

過去三年間、トゥスク政府は労働者に対する一連の攻撃を実施してきたが、特に、国営企業民営化を推し進めてきた。2009年2月、政府は、国防支出削減における20億ズロティを含み、残りは教育や社会支出から削減する、197億ズロティ(約42億ユーロ)削減計画を開始した。更に、雇用主が一層容易に労働者を馘首したり、労働時間を削減したりできるよう、ポーランドの労働法が改訂された。削減計画の結果として、今後数ヶ月の間に、公務員だけでも12,000人の解雇が実施されるものと予想されている。

ポーランドの雇用状況は、現在民間企業で実施されている多くの解雇によって更に悪化しつつある。株式市場で同社の株が売りに出されたばかりの、巨大保険会社PZUは、2,000の仕事を無くす予定だ。

2009年、ポーランド国家は国営企業の民営化によって、143億ズロティの収入を得た。2010年、この金額は250億にも増大するものと予想されている。

ポーランド財務相ヤツェク・ロストフスキは、通信社PAPに、政府の狙いは、ポーランドの債務負担を、現在のGDPの6.9パーセントから、2012年、あるいは遅くとも2013年までには、3パーセントに削減することだと語った。これはポーランドが欧州通貨統合に加盟するために要求されている条件の一つだ。金融政策審議会委員で、経済学教授のズィタ・ギロフスカは、政府は、債務負担を削減し、目標を達成するため、今後二年間で、600億ズロティ削減しなければならないと推計している。

このような削減計画は、国民に対するすさまじい社会的攻撃を、意味していることは間違いない。これがトゥスクとコモロフスキ両者によって実施されようとしているのだ。大統領選挙の晩、コモロフスキは説明した。“月曜日から、我々は一層身を粉にして働かなければならない。お金は合理的に使いたいと思うが、それには政治家と国民双方の支持が必要だ。政治パートナーと国会には、国家予算上、多少しっかりした規律を確立すべく、私に協力して下さるようお願いする。”

予算の“規律”という話題となると、ブロニスラフ・コモロフスキは、実態を十分承知している。1989年から1990年まで、彼は閣僚委員会の委員長、1990年から1993年国防副長官であり、急激かつ強制的に資本主義市場経済を導入し、ポーランドにおける“ショック療法”を実施した内閣の一員だったのだ。大量失業、貧困とインフレがその結果だった。

古い経歴としては、1970年代末、コモロフスキは、スターリン主義に反対するキリスト教徒反体制活動家の一員だった。1980-81年、大衆現象として「連帯」労組が登場した際、コモロフスキや仲間は、運動の方向を、親カトリック教会、親西欧に向けようと努力した。戒厳令時代に短期間抑留された後、コモロフスキはニェポカラヌフのカトリック神学校の教師となった。

資本主義復興で重要な役割を果たした後、彼は右派政治勢力として積極的に活動していた。彼は自由連合(UW)に入り、1993年から1995年まで、書記長をつとめた。1997年に、自由連合が、連帯選挙行動(AWS)と連立して政権を掌握し、ポーランドのEU加盟の条件を満たすため、広範囲に及ぶ福利厚生の削減を実施した際、コモロフスキは国防委員会委員長だった。この時期の1999年、ポーランドはNATO加盟国となった。昨年、連立がすっかり信用を失った頃の連立与党で、国防長官になった。

トゥスクや、ヤン・ロキタ等、連立の他の多くのメンバーとともに、コモロフスキは最終的には、沈み行く政権を見放し、旧連立崩壊の中から生まれた、新組織の一つ市民プラットフォーム(PO)に加わった。彼はポーランド国会下院セイムの副議長としてとどまっていた。2007年選挙後にPOが政権を獲得すると、彼は国会議長となった。

外交政策については、コモロフスキは、トゥスク同様、そして彼の前任者とは異なり、ポーランドを、より親ヨーロッパの方向に向けたいと考えている。ワルシャワ指導部は、既にドイツ政府が要求する全ヨーロッパ中での緊縮政策に承認を与え、ベルリンはコモロフスキの勝利を歓迎している。ベルリンで、ドイツ外務大臣ギド・ヴェスターヴェレは、コモロフスキの勝利は、強力な親ヨーロッパの合図を送ってきたと宣言した。“コモロフスキ大統領は、トゥスク首相や[ラドスワフ・]シコルスキ外務大臣と共に、我々にとって、この進路への確信と協力が得られる強力なパートナーだ。”

支配層エリートの視点からすれば、個人的には退屈で、むしろ無味乾燥なコモロフスキの最も重要な資質は、 政治上の戦友、トゥスクとの長い付き合いだ。チームとして、彼らは過酷な緊縮政策を実施することができると見なされているのだ。

こうしたことを考慮すれば、選挙の限定的な結果も決して驚くべきことではない。約55パーセントという投票率からすれば、有権者の四分の一を僅かに超える人数しか、ポーランドにおける反動主義者の一人、政治的に取るにたらない人物であるコモロフスキに投票していない。彼の勝利は、基本的に始めから決まっていたようなものだ。本当の政治的選択肢が欠如していたのだ。

第2回目の投票は、超保守主義者カチンスキとコモロフスキの決選投票だった。カチンスキは、狡賢くも、ライバルの冷酷さを標的にした民衆扇動を行ったが、彼自身コモロフスキの代替とはほど遠かった。彼自身が首相で、兄が大統領だった時代、前政権が決定した緊縮政策に、いくらか上辺だけの変更をして署名し、成立させていた。若干ためらったあと、民営化方針は継続されていたのだ。

首相として、カチンスキは政権を、二つの極右で、あからさまに反ユダヤ主義の政党、ポーランド家族同盟(LPR)と、ポーランド共和国自衛(サモオローナ)に合流させ、国家機構を圧倒的に強化する計画を開始した。同時に、ヤロスワフ・カチンスキは、大統領の権力を拡大し、国家の主要な地位に仲間を押し込んで、兄の国家に対する影響力を強化した。極めて粗野な姿の愛国主義、民族主義、同性愛嫌悪を利用することで、この変化を正当化していた。

二回目の投票が、不快な右派人物二人からの選択になってしまったという事実は、何よりもまず、かつてポーランドにおけるスターリン主義与党に起源がさかのぼる、民主左翼連合(SLD)の政策によるものだ。一回目投票で、同党候補者のグジェゴシ・ナピエラルスキは、票の14パーセントを勝ち取った。SLDは、2001年から2005年までの間、政権を維持した後は、支持の落ち込みから回復できないままだ。SLDの政策に対する国民の不満には根強いものがある。ヨーロッパの他の社会民主主義政権同様、腐敗と身びいきを特徴とする政権で、SLDは労働者階級への猛攻撃を実行したのだ。

大統領選挙において、ポーランド労働者階級には選択肢は与えられていなかった。ポーランド労働者階級は、支配層のため、トゥスクと共に緊縮政策を実施すると固く決意した大統領と今向き合っている。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/jul2010/pola-j06.shtml

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ポーランド選挙は他山の石。もとより、ポーランド政治・国家機構など一切無知の素人、訳語は間違いだらけであることを前提にお読みいただきたい。正しい訳をご指摘いただければ何とも有り難い。

不思議なことにいまだ邦訳が刊行されないNaomi Kleinの名著Shock Doctrineには、ポーランドについての興味深い記述がいくつもある。特に第9章。
Slamming the door on history
A crisis in Poland,
A massacre in China

ソ連時代の地下出版ではないが、Shock Doctrine日本語版が欲しくなる。そうした本が出ていれば、選挙で「やつらの党」が躍進することはなかった、かもしれない。

韓国では翻訳が刊行されている。キム・ソヒ翻訳、2008年11月20日刊 

Shockdoctrinekorean_2

日本の民度(マスコミも出版社も)韓国より少なくとも二年は遅れているようだ。

そうした文化的背景、韓国海軍哨戒艦「天安」沈没を受けた選挙でも、韓国与党がしっかり大敗した一因かも知れない。

「旧ソ連・東欧政権崩壊後、資本主義に変わった国々のどこかで、労働者は幸せに暮らすようになりました。」というお話、あらまほしきものだが、寡聞にして知らない。

安保条約で想定されていたであろう敵国ソ連が消滅したので、日本も独立するだろうと夢想したが、不思議なことに、国会審議も無しに、範囲も相手も無制限の傭兵体制、日米ならずもの同盟に切り換えられてしまった。サーカス大魔術。宗主国の狡猾さ恐るべし。

そして、外相、アフガニスタン支援表明

違法侵略・征服や、無人機による民間人空爆を継続しながら、日本の金をタリバン兵買収に使うのだという。不思議な報道だ。理不尽な戦争を始めたアメリカが、「自己責任」で、無条件撤退し、戦後賠償を支払うというのならわかる。

日本の基地から出撃するアメリカ軍の理不尽なアフガニスタン民間人攻撃に協力し、同時にタリバン兵買収費を払うのは、アメリカに対するぶったくり・ならずもの同盟二重支払い。

仮に、人間同士であれば、右手で人にナイフを突きたてながら、左手で賠償金を払う隣人がいても、まともに相手をする人間などいるまい。右手でナイフを突きたてながら、左手で賠償金を払う隣人、ならず者として、病院に収容されるだろう。

大人気の蓮舫女史や枝野幹事長による事業仕分け、もしもセレモニーでないのであれば、最重要項目として、タリバン兵買収費用の支出再検討をお願いしたい。

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