Stop NATO
2010年2月15日
Rick Rozoff
2月13日、アメリカ合州国とNATOは、15,000人の西欧、及びアフガニスタン政府軍兵士によって、ヘルマンド州にある人口75,000人の都市マルジャへの攻撃を開始した。民間人5人あたり、兵士一人だ。攻撃に参加したNATO分遣隊には、イギリス、カナダ、デンマーク、エストニアとアメリカの兵士がいた。
大規模攻撃、“多国籍軍によって行われるアフガニスタンで最大規模の空爆襲”開始早々 [1] NATO高機動ロケット砲システムが発射した二機のロケットが、マルジャ外にある家に命中し、12人の民間人を殺害した。アフガニスタン駐留アメリカおよびNATO全軍の指揮者スタンリー・マクリスタル大将は、事件は“残念なことだ”と語った。
あるイギリス新聞の記事は攻勢開始後の町の状況をこう書いている。“人口の多いタリバンの牙城マルジャはゴーストタウンと化した。店舗は閉じられ、通りは人っ子一人なく、大半の住民は、一体自分たちの‘運命の日’はいつやってくるのかといぶかりながら泥れんが造りの家に引きこもっていた。” [2]
2001年10月始めに、アフガニスタン戦争が開始されて以来、アメリカとNATO同盟諸国が行うものの中で最大の作戦だ。アメリカのバラク・オバマ大統領が昨年12月3日に、ウエストポイント陸軍士官学校で発表した、アフガニスタンでの対内乱戦争、エスカレーション計画の中で、火蓋を切る攻撃ご。[3]
オバマの戦略は、2009年8月30日に刊行されたマクリスタル大将のCOMISAF(国際治安支援部隊司令官)初期評価に基づいている。文書で、元アメリカ統合特殊作戦軍司令官の地位から、アフガニスタン駐留アメリカ軍とNATO軍の責任者となったマクリスタルが、対テロ戦略として指定されていたものを、対内乱戦略へと移行させる為の青写真を提示していた。
敵がいない戦争というものは存在せず、マクリスタルは、150,000人以上のアメリカとNATOの兵士が間もなく遂行するはずの作戦の標的を明らかにした。“任務に対する脅威の大きさの順位で、主要な武装反抗勢力集団をあげると以下の通り。クエッタ・シューラ・タリバン (05T)、ハッカニ・ネットワーク(HQN)、そしてヘズブ-エ・イスラミ・グルブッディーン(HiG).” [4]
最後の二つの集団は、それぞれその創始者・指導者であるジャラルディン・ハッカニ、グルブッディーン・ヘクマティヤールにちなんで名付けられている。
ハッカニとヘクマティヤールは、旧友・仲間を、2月10日、に失った。12期つとめた元アメリカ下院議員チャーリー・ウィルソンだ。2007-2008年で最も当たったアメリカ映画の一つ『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』のヒーローである彼は、マスコミや、ハッカニやヘクマティヤール等、更にはオサマ・ビン・ラディンを武装させ、訓練する上での元のパートナー、1986年から1989年まで、中央情報局副長官をつとめ、現アメリカ国防長官ロバート・ゲーツによって、絶賛されている。彼は、1999年のある演説で、“CIAには秘密行動で、重要な成功をしている。全ての中でも、おそらく最も重大なものはアフガニスタンで、CIAがトップの指揮下、ムジャヒディン用の備品と兵器に何十億ドルもそそぎ込んだ件だ…”と語っている。[5]
ゲーツはCIAによって遂行され、実際、あらゆる機関や国家の作戦として最大の秘密作戦であるオペレーション・サイクロンのことを言っていたのだ。ジョージ・クライルの映画『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』が基にした本の完全な原題は『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』: 歴史上最大の秘密作戦の並ならぬ物語。
パキスタンを本拠とするムジャヒディンを武装させるために提供したとゲーツが自慢する何十億ドルの大部分が、グルブッディーン・ヘクマティヤールとジャラルディン・ハッカニに向けられていたのだ。この二人は現在、同じペンタゴンによって、ゲーツが率いる世界最大かつ最長の戦争の、三人いる標的の二人として特定されている。
チャーリー・ウィルソンが亡くなった日、ゲーツは彼を“ソ連占領からアフガニスタンを解放した”“類まれな愛国者”だと讃えた。 [6] 2月23日、ウィルソンはアーリントン国立墓地で軍葬の礼を受ける。
ゲーツが元の同僚を、ヘクマティヤールとハッカニの軍勢を武装させ、訓練する上で、決定的な役割を果たしたと称賛している通り、ウィルソンはこの二人を感情むき出しにして讃えていた。
1979-1992年の第一次アフガニスタン戦争の間、ウィルソンは1987年に東部アフガニスタンで、ジャラルディン・ハッカニの客人となり、もてなし役のことを“親切の権化”だと表現した。2001年9月11日の後、アメリカの最重要指名手配者リスト中で、ハッカニが、オサマ・ビン・ラディンとムラー・ムハンマド・オマールに次ぐ三番目に載せられた際、ウィルソンは言った。“少しは考える機会になった。しかしハッカニは私の世話をしてくれたし、私は決してそれを忘れない。是非また会いたいものだ。私は彼にタリバンは破壊勢力だと説得したいものだが、彼は決してそうではなかったのだ。” [7]
旧交こそ最も堅固。
ウィルソン逝去から二日後の、ロンドンのタイムズ紙論説は、アメリカのマスコミの、異口同音に称賛する死亡記事や賛辞よりもずっと慎重だった。1950年代の朝鮮とマレー以来、どの紛争よりもアフガニスタンで、より多くの兵士を亡くしているイギリスは、“ソ連の脅威を打ち破るのを助けるため、チャーリー・ウィルソンは怪物を解き放った。アフガニスタンで彼が提供した資金を使って戦った聖戦の司令官達は、この下院議員のことを懐かしく思い出している。彼の同胞アメリカ兵は、ウィルソンが武装するのを支援したゲリラと現在戦っており、彼らによって苦しまされている民間人は、彼の業績をより控えめに評価するだろう。”と読者に指摘している。[8]
記事には更にこうある。
“ウィルソンは、かつて軍閥のジャラルディン・ハッカニを‘親切の権化’だと表現した。現在この古参司令官は、アメリカの最重要指名手配テロリストの一人だ。
“1980年代には、オサマ・ビン・ラディンと密接なつながりをもった自称聖戦士たちが、アラブ人とアフガニスタン人の志願兵を対ソ連軍の戦闘に送り込むために、何百万ドルものアメリカの税金を得ていた。CIAは彼の盟友だった。グルブッディーン・ヘクマティヤールも、ウィルソンの資金を供給されていたイスラム教徒の司令官だ。現在、二人とも、アメリカ、アフガニスタンと多国籍軍に対する無数の攻撃を行っている過激派ネットワークの責任者だ”
タイムズ紙はヘクマティヤールの元同僚がチャーリー・ウィルソンのことを、“彼は本当にムジャヒディーンを助けてくれた。”と語っているのを引用している [9]
別のイギリス日刊紙、テレグラフも、ウィルソンの死去について、2月12日にこう書いている。“『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』は、オサマ・ビン・ラディンをまずパキスタンのペシャワールに、更にアラブ人聖戦戦士とともに、アフガニスタンへと呼び入れた。主要な受益者の一人は、グルブッディーン・ヘクマティヤールで、彼のヘズブ-イ-イスラミ戦士が、現在タリバンが率いる武装反抗集団の中でも最も破壊的な派閥の一つを形成している….” [10]
2003年、アメリカ国務省は、アメリカの過去最大の軍・諜報秘密作戦の主要受益者ヘクマティヤールを“特別指定グローバ国際テロリスト”に指定した。 [11]
チャーリー・ウィルソンとロバート・ゲーツが何十億ドルを費やし、“解放する”ため、兵器備蓄を提供したハッカニはいまでもアフガニスタンで活動している。
インドのある通信社は年頭にこう書いた“今週、東部アフガニスタンで、7人のCIA職員が死亡した自爆攻撃は、驚くべきことに、軍閥でかつての主要なCIAの同盟者だったジャラルディン・ハッカニが陰で糸を引いていたことがわかった。”
“1980年代、ハッカニは、アフガニスタンで、西欧の支援を得て、ソ連に対して戦う尊敬すべき司令官だった。ソ連撤退後、彼は占領後の政府を構成した、アメリカに承認された連立政権のメンバーになった。” [12]
彼らの子分であるムジャヒディン連中が、1992年にアフガニスタンを支配するのをアメリカが支援したすぐ後の、1993-1994年、グルブッディーン・ヘクマティヤールは、かろうじて残っていたアフガニスタンの首相となった。
過去30年間で、アメリカが、アフガニスタンで犯した唯一の過ちは、ごく大雑把に表現すれば“仕事をやり遂げるまで、居続けなかったことだ”という、チャーリー・ウィルソンや、最近ではヒラリー・クリントン国務長官が繰り返している発言に関連して、アフガニスタン民主共和国崩壊の後におきた内輪同士の虐殺や、暴力的な無政府状態の首謀者としての、ヘクマティヤールとハッカニの役割は想起する価値がある。ワシントンが現在“是正しつつある”行為は、まさにこの過失に他ならない。ウィルソンが思い描いていた事後の補足作業は、1992年以後アフガニスタン政権の指導者となったヘクマティヤールやハッカニの類への武装、資金提供の継続だった。
アメリカとNATO軍が、それに対し8年以上の戦争を遂行している現代の主要武装反抗勢力三集団中、二つの軍事力を築きあげる上で、ウィルソンの主要パートナーだったガスト・アブラコトスも、2007年の映画『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』中で現代アメリカの“欠点はあるが愛すべき”型破りなヒーロー/アンチヒーローとして称賛されている。
2005年に亡くなった“CIA史上最大の秘密作戦を行ったアブラコトスは、倫理的に曖昧な任務を進んで扱うことから‘ダーティ博士とあだ名をつけられていた…。テキサス州選出の元民主党下院議員チャールズ・ウィルソンと共に、アブラコトスは結局CIAの秘密作戦用年間支出の70パーセント以上を支配し、代理人を経由して、その資金をムジャヒディーンに注ぎ込んだ。” [13]
彼とウィルソンがパキスタンを本拠とする彼らの同盟者たちに渡した兵器は、“後に、タリバンが支配を確立する前に、アフガニスタンでの同胞相争う戦争で使用された。
“アメリカ合州国が、2001年に、アフガニスタン戦争を始めた際、アメリカ軍支援用でも、反米闘争用でも、これらの兵器は恐らく、いまだに使用されていると評論家は語っている。” [14]
ジョージ・クリルの本は、グルブッディーン・ヘクマティヤールとジャラルディン・ハッカニは、ウィルソンと、ロバート・ゲーツを含むCIA内での彼の相手役が確保した、アメリカ軍からの援助の主な受益者であることを書いているのだが、映画版では、いずれも触れられていない。
映画評論の一つは指摘している“制作者たちは…ならず者の勢力がアフガニスタンを支配したことからソ連・アフガニスタン戦争後に生じたアフガニスタンでの混乱をほのめかしてはいるが、CIAが彼らに(高性能爆弾の専門技術を含む)テロ手法訓練を施したことによる影響を無視している。” [15]
2008年のU.S.ニューズ&ワールド・リポートのある号は、ウィルソンと、ヘクマティヤール、ハッカニの二人との関係と、この二人の現在の活動について詳細を報じていた。
“ここ数週間、ヘクマティヤールは、パキスタン人過激派にアメリカの標的を攻撃するよう呼びかけており、ハッカニ・ネットワークは、三件の大規模車輛爆破や、4月の[アフガニスタン大統領ハミド・]カルザイ暗殺未遂事件を実行したとして非難されている…。現在、アフガニスタンにおけるアメリカの最重要指名手配者リストのトップにあるこの二人の軍閥は、アメリカが最も高く評価した同盟者たちだった。”
“1980年代、CIAは、彼らがソ連軍と戦うのを支援するため、兵器と弾薬に何億ドルも注ぎ込んだ…。ヘクマティヤールは、当時ワシントンによって、信頼に足る対ソ連反逆者として広く認められており、1985年、CIAによってアメリカ合州国まで飛行機で連れてこられさえした。
“‘彼は過激派中の過激派だった”と元下院議員チャーリー・ウィルソンは回想している…”
“アメリカの当局者達は、ハッカニを更に高く評価しており、彼は最も有能な反逆者軍閥だと見なされていた。‘私はハッカニが大好きだった。私がアフガニスタンにいた間、ハッカニが私が確実に脱出できるようにしてくれていた。’とウィルソンは語っている。‘彼は素晴らしい指導者であり、彼の領土では、大いに愛されていた。’
“ハッカニは、いわゆるアラブ系アフガニスタン人の主要な提唱者の一人でもあり、ソ連に対する聖戦を遂行するためにやってくるアラブ人義勇戦士を手際よく組織し、将来のアルカイダ指導者オサマ・ビン・ラディンを守るのを助けた。” [16]
これまでに見た通り、“並外れた愛国者”ウィルソンは、終生ジャラルディン・ハッカニが大好きだった。先に引用したタイム紙の死亡記事が書いている通り、“ウィルソンの友人の一部が、間もなくまたもやアメリカの友人となる可能性もある。” [17]
ウィルソンのもう一人のパートナー、グルブッディーン・ヘクマティヤール“は…有名なアヘン密輸業者・軍閥で、ベールを被らない女性たちの顔に酸を噴きつけたとも言われている。カザフスタン、アゼルバイジャンとウズベキスタンで、共産主義を撃退するために、対ソ連戦争を、中央アジアにまで拡げたいと望んで、CIA(彼の性格の一部をさらけ出して)を感心させたと言われてはいるが、[ヘクマティヤールの]仲間の一人は、彼のことを‘本物の怪物と呼んでいる。
“あるCIA幹部は語っている。‘できるだけ多くのロシア人を殺したかったのだが、ヘクマティヤールはそれをしてくれそうな男に見えた。’” [18]
最後から二つ目の段落は、ソ連軍をアフガニスタンから追い出し、アフガニスタン政府を打倒し、CIAの子分であるムジャヒディンを権力につけるというだけでなく、戦争をソ連国内にまで拡張するという、第一次米・アフガニスタン戦争のもう一つの側面を明らかにしている。
映画『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』が、2007年末に公開された後、アフガニスタンにおける、アメリカに対する現在の敵対者を武装させるのに尽力した、別のアメリカ人当局者による説明があらわれた。ポール・ケンゴールとパトリシア・クラーク・デルナーが書いた本『ザ・ジャッジ: ウイリアム・P・クラーク、ロナルド・レーガンの右腕』は、1982年-1983年、ロナルド・レーガン大統領の国家安全保障顧問だった人物の役割と“アフガニスタン人の反逆者たちから、ポーランド人の反逆者、更にはニカラグア人の反逆者、その他諸々の連中に成り代わっておこなった彼の仕事”の詳細を描きだしている。
この本についてのある書評は、“クラークとレーガンが、 [ムジャヒディーンの]反体制派に、アフガニスタンとソ連邦のウズベキスタン共和国との国境であるアムダリヤ河を渡ることを秘かに承認し、この反体制派はソ連領土内でソ連と戦った…。特別に訓練され、CIAから入手したハイテク爆弾を装備した反体制派部隊は、ソビエト連邦内で活動し、ソ連の標的を破壊した。連中は列車を脱線させ、国境駐屯地を攻撃し、地雷を敷設した。”ことを明らかにしている。[19]
本から一部を引用するとこうだ“こうした活動は際立って大胆で危険な動きで、40年間の冷戦史上で、最も危険な行動の一つ…。”[20]
ウィルソンの活動に関する別の説明にはこうある。“パキスタン野営地のムジャヒディンは、自動車爆弾、自転車爆弾、ラクダ爆弾や暗殺に関する教育を受け、都市型テロ戦争を遂行するよう訓練されていた。チャーリー・ウィルソンによれば、これは倫理的には曖昧な現代の聖戦だった。” [21] (ウィルソンの名前と、倫理に関するさりげない言及が、同一文章中で結びつけられているのは驚くべきことだ。テキサス州の貧しい下院の選挙区から選出されていたにもかかわらず、ウィルソンが、世界中を物見遊山し、愛人をとっかえひっかえし、アルコール、コカインと、ありとあらゆる種類の放蕩に何百万ドルも費やしたことを思い出せば十分だろう。)
強烈なアメリカ愛国者で映画のヒーロー、ウィルソンは、1980年代の自分の取り組みについてこう語っている。“これは、やつらが我々の若者を遺体袋で送り帰したように、ソ連の若者を遺体袋で送り帰してやる好機だ。これをソ連のベトナムにしてやろう。” [22]
ハリウッドがウィルソンを名士扱いした数週間後、1981年に始めてアフガニスタンの首都に入ることを認められたアメリカ人ジャーナリストで、後に『見えざる歴史:アフガニスタンの語られざる歴史』の著者となった、ポール・フィッツジェラルドとエリザベス・グールドは、広まるウィルソン神話の偽りを暴く手紙をボストン・グローブに書き送った。
二人の著者は言う。“ソ連のアフガニスタン侵略を巡って練り上げられたアメリカの偽情報宣伝工作が、いまだに生き続けていることに私たちは驚かされどおしでした。
“事実: ムジャヒディンへの秘密資金供給は、ソ連侵略後ではなく、そのずっと以前から始まっていたのだ。
“事実: この秘密援助は、ウィルソンが主張しているように、ソ連を追い出すのではなく、連中をアフガニスタンという罠に引きずり込み、そこに貼り付けておくことを意図していたのだ。
“何十億ドルもする、イスラム・テロ用の頑丈な技術訓練基地を提供し、歴史的な規模での、ヘロイン産業の民営化のための舞台を用意して、ウィルソンの戦争が、アフガニスタンの苦悶を更に6年間引き延ばしたことがしっかり実証されている。
“問題は、そもそもアフガニスタンを今日に至るまで、壮絶な流血の場所にしてしまった、アメリカの冷戦政策立案者達が策定した概念的枠組みにあった。” [23]
この二人の2009年の著書『アフガニスタンの語られざる物語』に対するある批評には下記のような詳細が描かれている。
“そもそもアフガニスタンに引きずり込むためには骨身を惜しまない(1973年という早い時期に始まっている)アメリカは、連中の代理人であるムジャヒディンが‘悪の帝国’に対し致命的な一撃を食らわせることができるよう、ソ連に居ついて欲しかったのだ。
“冷戦が深化し、アフガニスタンがソ連に近寄ると、同国へのアメリカの関心は、それに比例して深まった。間もなくアフガニスタンは、そこでワシントンの冷戦政策立案者達の白日夢が展開される戦場となる。
“見えざる歴史は、アメリカによる秘密の介入が、1973年という早い時期に、どのように、ニクソン大統領の下で始まり、モハンマド・ダウドによるザヒル・シャー王追放が続いたかを示している。ソ連に連中のベトナム戦争をくれてやるためのそのような計画が、‘中国-イラン-パキスタン-アラビア半島枢軸’の一部として進行している中、アメリカはベトナム戦争から抜けだせてさえいなかった。” [24]
1999年のル・ヌーベル・オブゼルヴァトゥールの、アメリカのアフガニスタン介入を構想した本人、元カーター政権の国家安全保障顧問、ズビグニュー・ブレジンスキーとのインタビュー記事の、ウイリアム・ブルムによる翻訳はフィッツジェラルドとグールドの主張を裏付けている。
彼は以下のことを認めている。
“公式説明によれば、ムジャヒディンに対する、CIAの支援は1980年、つまり、1979年12月24日に、ソ連軍がアフガニスタンを侵略した後に、始まったことになっている。しかし、本当はこれまで秘密に保たれてきたが、全く逆なのだ。実際、1979年7月3日に、カーター大統領は、カーブルの親ソ連政権に反対する連中への秘密援助の、最初の命令に署名した。そしてまさにその日、この援助はソ連の軍事介入をひき起こすだろうと私は考えていると説明するメモを大統領に書いた。
“あの秘密作戦は、素晴らしい発想だった。ロシアを、アフガニスタンという罠に引きずり込む効果があったのに、後悔しろというのか? ソ連が公式に国境を越えた日、私は、カーター大統領にメモを書いた。ソビエト社会主義共和国連邦に、自前のベトナム戦争をくれてやる好機です。”
“世界史にとって、何が一番重要だろう? タリバンと、ソ連帝国の崩壊? 熱狂したイスラム教徒連中、中欧の解放と、冷戦の終焉?” [25]
公開から数ヶ月後、数千万人のアメリカ人が鑑賞し、鑑賞した人々のほぼ全員が大なり小なりその作品を認めた、チャーリー・ウィルソンを有名人にした映画の中で、ウィルソンは、“他のやり方をしたであろうようなことは何一つ思いつけない。”と語っていた。
彼にインタビューし、発言を引きだした新聞は、こう書いた。“テキサス州選出の元アメリカ国会議員が、武装を支援したムジャヒディーン・ゲリラの多くが…まさにタリバン指導者となり、暴力的で過激なイスラム原理主義を形成し、アフガニスタンを支配した…などどうでもよい。タリバンやアル-カイダの勃興などどうでもよい。” [26]
2006年始め、ユニバーサル・ピクチャーズが、『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』の映画化権を獲得したという発表に関するニュース記事は、“CIAによって武器を与えられた連中の多くが、やがてタリバンの用心棒やオサマ・ビン・ラディンの保護者になった”と、ついでのように言及していた [27]
ウィルソンはブレジンスキー同様、後悔はしていない。彼が1980年代にパキスタンで、その訓練と武装を手配した残虐なゲリラが、アフガニスタンとその国民に対して行ったことに何の後悔もしていない。彼等の中にいた外国人戦士達が、中央アジア、カフカス、バルカン半島、北アフリカ、中東や東南アジアに散会したことに何の後悔もしていない。
帝国の建設者たちには、後悔などする暇も趣味もない。大量破壊兵器、麻薬、そして今度は海賊行為等と、曖昧かつ都合良く関連したテロ/対テロ戦略によって、過去十年間だけでも、アメリカとNATO同盟諸国は、軍事基地と野営地を、アフガニスタン、パキスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、フィリピン、イラク、クウェート、アラブ首長国連邦、イエメン、ジブチ、セーシェル、ウガンダ、マリ、ブルガリア、ルーマニアやコロンビアに獲得した。
アフガニスタン駐留のアメリカおよびNATO軍兵士の人数は、間もなく1980年代のソ連軍兵士の数を越えることになる。50ヶ国からの150,000人だ。西欧の軍隊は、いかなる政府や、政治派閥によって、アフガニスタンに招かれたわけではないのだ。連邦議会には、外国占領軍の強制的排除を要求するチャーリー・ウィルソンなどおらず、外国軍の平和的撤退さえも要求する議員すらいない。
しかし、二つ目のベトナム型戦争を生み出すという、ウィルソンの計画は実現されたといえるのかも知れない。アメリカにとって二つ目のベトナムが。
1) AFP/ロイター、2010年2月14日
2) インデペンデント、2010年2月15日
3) ノーベル賞委員会、戦争を平和だとして祝賀 Stop NATO、2009年12月8日
http://rickrozoff.wordpress.com/2009/12/08/nobel-committee-celebrates-war-as-peace
5) ワシントン・ポスト、2009年9月21日
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/09/21/AR2009092100110.html
5) BBCニュース、2010年12月1日
6) アメリカ国防省、2010年2月11日
7) The Times (ロンドン)、2008年1月12日
8) The Times、2010年2月12日
9) 同上
10) テレグラフ、2010年2月12日
11) アメリカ合州国 国務省、2003年2月19日
12) Asian News International、2010年1月2日
13) ワシントン・ポスト、2005年12月26日
14) 同上
15) ジェレミー・クズマロフ、『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』、帝国主義文化と歴史の歪曲 History News Network、2007年12月31、
16) U.S. News & World Report、2008年7月11日
17) タイムズ、2010年2月12日
18) History News Network、2007年12月31日
19) ヴィレッジ・ニューズ(カリフォルニア)、2008年1月10日
20) 同上
21) Myra MacDonald、アメリカのアフガニスタン戦争再訪
ロイター、2008年9月26日
22) 同上
23) ボストン・グローブ、2008年1月11日
24) Anthony Fenton、アフガニスタン・プロパガンダの陰に Asia Times、2009年5月2日
25) http://www.globalresearch.ca/articles/BRZ110A.html
26) ソルト・レーク・トリビューン、2008年4月23日
27) ロイター、2006年1月11日
記事原文のurl:rickrozoff.wordpress.com/2010/02/15/afghanistan-charlie-wilson-and-americas-30-year-war/
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アフガニスタンで開催されていた、和平ジルガが終わった。タリバンは参加していなかったという。
興味深いこの記事、長文の為、チャーリー・ウィルソン没後すぐには翻訳できずにいた
偶然、テレビでこの映画を見て、余りにお気楽な映画であるのに驚いた。
国会法改悪、こういう背景がある場所(これから益々増えるだろう)に、日本軍を派兵するためになされるのだろう。
従米政党である、民主・自民・かれらの党・公明党や他のたけのこ党も、確実に賛成するだろう。
最近、伊勢崎賢治氏「憲法9条の精神で、丸腰でアフガニスタン派兵せよ」と言い出している。正気だろうか?宗主国アメリカ軍がいるところに、属国軍を派兵してはいけない。丸腰でも同一視されるに違いない。戦闘に巻き込まれるための、そして、本格的派兵のための憲法破壊工作だろう。(髭のナントカ氏が、イラクでそれを期待していたと発言していた記事を読んだ記憶もある。)
米軍基地をおいているだけで、日本は既に侵略戦争のコラテラル(共犯)だが、侵略戦争への派兵、直接の戦争犯罪に他ならないだろう。
週刊誌ではあるまいに、表紙の顔写真が変わったら、民主党の支持率がアップしたと報じられている。本当だろうか?大手マスコミの中には、表紙だけではない、目次まで変わったなどと暴論を書くものまで現れている。正気だろうか?
いつもの悪質プロパガンダとしか思えない。生活に欠かせないスーパの安売りビラを講読すると、オマケに新聞がついてくるのだからやむを得ない。
沖縄基地はそのままに、さらに消費税の増税を、自民党やその他たけのこ政党と一緒になって押しつけてくる。顔がチェンジすると、政策までチェンジするのだろうか?小鳩の表紙が変わっただけで、同じ従米政権のままではないか。閣僚もほとんど同じ。大脇道場では「居抜きの民主党食堂」と表現しておられる。
食堂であれば、店名は同じ、従業員もほぼ同じで、名目上の経営者だけ変わっても、メニューも味も変わらないだろう。「まずい」と客が文句をいったら、店主が客は「聞く耳をもたない」と文句を言った欠陥レストラン、まずいままだろう。そこにお客が殺到するのであれば、そうした客はことごとく味覚音痴だろう。まあ、たで食う虫も好き好き。
こうした意見、(沖縄を除く)マスコミでは見られない。森田実氏の時代を斬るや、天木直人氏のブログは、至極当然の意見を書いておられる。
閑話休題。映画の話。
『グリーン・ゾーン』: こわごわと提示された余りに遅すぎる疑問 で、映画『ユナイテッド93』を、政府広報プロパガンダと書いたところ、批判のコメントをいただいた。一部だけ引用させていただく。
『ユナイテッド93』を“エセ広報ドキュメンタリー”と決めつけてる点はいただけないと思います、映画を観てないか観たとしてもあまりにもピントが外れているとしか言えません。
コメントをお書きになった方と同じような御意見の皆様、中田安彦氏の下記記事をお読みだろうか?コメント欄に、遅ればせながら、お答えしておいたが、繰り返させていただく。
ユナイテッド93は最新型の心脳コントロール映画である (1)
ユナイテッド93は最新型の心脳コントロール映画である (2)
中田安彦氏記事の末尾を一部引用させていただく。
だから、このユナイテッド93は非常に危険な映画である。そのように意識して見た私自身が、非常に気分を悪くし、吐き気を催し、自分の頭の中がぐるぐると回り始めた。何も意識しないで感情移入してみた観客に与えられる刺激は相当なものだろうと思う。
映画もプロパガンダの一種である。日本映画はノー天気でいい。ハリウッド映画自体が巧妙な権力者の道具になっているのだ。
沖縄基地問題で積極的な発言をされているアメリカ人の学者、チャルマーズ・ジョンソン氏の文章に、以下のものがある。(英文をそのまま引用。)
"From Tom Cruise in Top Gun (1986) down to United 93 (2006), about the 9/11 terrorist attacks, Hollywood has played a crucial role in implementing militalism, hypermasculinity, and racism deep in the American pshyche."
この文章"The Hollywood War Machine" U.S. Militarism and popular culture
Carl Boggs and Tom Pollard, Paradigm Publishers 2007"という本の裏表紙にある賛辞。
この『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』については、そのチャルマーズ・ジョンソン氏が長い記事を書いておられる。Tom Hanks' Charlie Wilson Movie: An Imperialist Comedy
そして、アフガニスタンもソマリアも、アメリカとNATOの軍が主力だ。そして、日本をNATOに引き込めというのは、この文章中でも引用されているブレジンスキー氏の戦略だ。
お時間があれば、下記記事もどうぞと、何度も、しつこく繰り返させていただく。
大西洋共同体(NATO)に日本を組み込む ブレジンスキー
Robert D. Kaplanによる下記記事も、是非どうぞ。
ラスベガスでタリバン狩り -無人機による空爆
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