「インビクタス」ネルソン・マンデラへのクリント・イーストウッドの無批判な賛歌
Hiram Lee
2010年3月18日
インビクタス
反アパルトヘイト闘争におけるその役割ゆえに、30年間近く獄中ですごした、ロベン島にある監獄からの、ネルソン・マンデラ釈放20周年記念より、わずかに早く公開された、クリント・イーストウッド監督による「インビクタス」は、アパルトヘイトの後、人種的緊張を克服しようとした南アフリカ人指導者と彼の努力への賛歌だ。映画の主役、モルガン・フリーマンとマット・デイモンは、いずれもその演技でアカデミー賞候補にノミネートされた。
インビクタスが始まると、新たに選出されたマンデラ大統領は、人種的緊張で分裂した国家と向き合うことになる。統合された社会への移行は始まったばかりで、しかもその課程は困難なものだった。
白人の南アフリカ人に対し、長年のアパルトヘイト支配への報復としての偏見を、彼の政権が抱いてはいないことをなんとか示めそうと、マンデラは、元大統領デ・クラークのスタッフに、自分の政権にとどまってくれるよう依頼する。全員黒人のマンデラ警備陣にも、デ・クラーク警護隊の白人職員が参加する。“ちょっと前までこの連中は俺たちを殺そうとしていたんだぞ”黒人ボディガードの一人は文句を言う。“寛容が魂を解放する”とマンデラは答える。
マンデラの党、アフリカ国民議会(ANC)が、他のあらゆる南アフリカ・スポーツ・チームでそうしたように、南アフリカ・ラグビー・チーム“スプリングボックス”の名を“プロテア”に変更しようと動き出すと、そうはさせまいとマンデラが踏み出す。チームと そのエンブレムは、黒人の南アフリカ人たちから、アパルトヘイトの象徴として嫌悪されていたが、白人南アフリカ人の間には多くの熱狂的ファンがいるのだ。マンデラは、このチームからその名前と色を剥奪すれば、国内の緊張が激化するだけだと考えた。
“民衆”はスプリングボックスが嫌いなのですと言われて、マンデラは答える。“この場合は民衆が間違っている。”彼はスプリングボックスの主将フランソワ・ピナール (マット・デイモン)と会うと決心する。二人の会話の中で、マンデラは、むしろ謎のように、ピナールに任務を与える。南アフリカは、1995年のラグビー・ワールドカップを主催することになっている。もしも黒人と白人の南アフリカ人両方が一緒に応援するようにして、スプリングボックスがカップで優勝できれば、アパルトヘイトの傷を癒すための大きな一歩になるだろう。
その後、チームの勝ち進む力が疑わしくなると、19世紀のイギリス詩人ウイリアム・アーネスト・ヘンリーの詩“インビクタス”の写しを、マンデラがピナールに激励として渡す。映画は、追い詰められたチーム・メンバーが、マンデラに与えられた任務を実現しようと苦闘する姿を追う。
アパルトヘイトから変化してゆく南アフリカ、そして、その課程におけるマンデラとANCの役割を批判的に検討する映画なら大歓迎だ。そのような映画、作家や映画監督にとって、劇的可能性として絶好の機会となるだろうに。不幸にして、これはそういう映画ではない。
インビクタスが、観客に対して与える衝撃は驚くほど僅かだが、これは、イーストウッドが、アパルトヘイト後の南アフリカと深く関係している最も重要な疑問に取り組むことができず、より深く掘り下げ、こうした条件下の生活や、マンデラとANCの政策について、何か最も重要なことを明らかにしそこねたことがその大きな原因だろうと言わざるをえない。貧しい南アフリカ人が直面する社会条件、彼らの怒り、彼らの希望、彼らのフラストレーションについての描写が余りに僅かで、マンデラとピーナールの“運命”描写が余りに過多なのだ。
束の間かいま見る郊外の黒人居住区、最も衝撃的なレベルの貧困がはびこっている場所は、映画の主人公達がわずかな時間だけとおり過ぎる舞台セットのレベルを決して越えることがない。言い換えれば、インビクタスの中には、世界の重さが見いだせないのだ。
この映画は、マンデラを巡る神話を作り上げようとする、もう一つの試みだ。とはいえ、この作品を特にそうした狙いを追求しようとしたものと見なすのは、おそらく誤りだろう。イーストウッドは、単にマンデラについての公式説明を受け入れ、そこから話しを進めただけなのだと言う方が、より正確だろう。イーストウッド映画のマンデラは、悪いことをするはずのない偉大な政治家で、人の手を借りずに、何十年も分裂していた国を一体化させた、先見の明をもった南アフリカの救済者だ。彼は聖人なのだ。
南アフリカの人種差別主義者による弾圧に対する戦いで果たした彼の役割ゆえに、マンデラが、多くの人々によって、今後長い時間、高く評価され続けることは間違いない。1948年以来、反アパルトヘイト運動で活動してきたマンデラは、1960年代初期には、ANC軍事組織の指導者として、人種差別主義の国民党政府に対し武器を取って戦うことも辞さなかった。
CIAの支援を得て、国民党政府は、1962年にマンデラを逮捕し、1964年に終身刑を言い渡した。1990年に釈放されるまで、マンデラは27年間牢獄で過ごした。彼が無事に生き延びたのは素晴らしい事だ。彼を牢獄から釈放させるキャンペーンは、虐げられた南アフリカ人との団結と、国民党政権の残虐な政策への反対のほとばしりとなって、世界中で何百万人もの人々によって支持された。
アパルトヘイトに対するマンデラの一貫した、往々にして勇気ある戦いゆえに、多くの人々が、マンデラを英雄と見なしてはいるが、マンデラとANCの綱領は、決して南アフリカ人や国際的な労働者階級の綱領ではなく、国民の大多数の権利を擁護することはできなかったという事実は変わらない。ANCの綱領はブルジョア民族主義者的性格のものであり、“非ヨーロッパ人”資本家を権力につけることを要求していた。
現在の南アフリカの状態が、ANCと彼らの綱領の本当の性格を明らかにしている。ANCの支配層エリートが成功する中、貧者と労働者階級の国民は苦しみ続けている。World Socialist Web Siteが、マンデラ釈放記念にまつわる最近の記事で触れたように、“最新の数値によれば、国民の約70パーセントが法定貧困レベル以下で暮らしている。現実的な推計によれば、失業は労働人口の約40パーセントに達している。同時に、社会の裕福なメンバーは、年間収入が50パーセントも増加した。
“異なる民族集団の間で、また同一民族集団の中で、社会的不公平が深まった。黒人南アフリカ人の大多数は依然貧しい生活を送っているが、与党アフリカ民族会議(ANC)のトップにたつ僅かな少数派は億万長者となり、アパルトヘイト体制下で南アフリカを運営してきた裕福なエリートたちに加わった。” (http://www.wsws.org/articles/2010/feb2010/pers-f15.shtml)
これらの事実からだけでも、インビクタスで描かれる時期や出来事に対し、より批判的な取り上げ方が要求されているように思われる。イーストウッドが人種差別反対に関し、誠実であることは間違いないが、芸術家には、より深く掘り進め、物事の表面下にある真実を浮き彫りにする責任がある。映画はマンデラを傷つける必要などないし、実物以上に持ち上げる必要もあるまい。欲しかったのは、正直で批判的な描写だ。
映画中で、国家主義的な連帯に基づく結束として、愛国的なプライドの象徴を中心に、黒人と白人の南アフリカ人を団結させる、というマンデラが提案した計画は、映画制作者による批評の対象とはならない。スプリングボックスの最終的な優勝が、あらゆる人種の貧しい南アフリカ人の苦難を和らげる為には何の役にも立たなかったという事実は、見過ごされたか、無視されている。優勝は、たとえ短時間であるにせよ、国民を良い気分にさせたのだが、明らかに、それが重要だったのだ。
インビクタスのハッピーエンドは、むしろ空ろに響く。映画は、スプリングボックスがカップで優勝した後、黒人と白人の南アフリカ人が街路で一緒に祝うところで終わる。マンデラは、リムジンの外の雑踏する街路を眺め、目にしているものに微笑みながら、車でスタジアムを去る。画面に写らずにフリーマン演じるマンデラが“インビクタス”の詩、末尾数行を朗読する。“門がいかに狭かろうと/いかなる罰に苦しめられようと/私が我が運命の支配者/私が我が魂の指揮官なのだ”困難をものともせず、マンデラは天命を実現させたのだ。
もっと真剣な映画制作者であれば、スプリングボックスの輝かしい優勝の直後から物語を始めて、ラグビー試合によって統合されたはずの国で、日々、月々、そして年々、何が起きたのかを問うただろう。マンデラとANCが、正確には、一体どれほど国民を“癒してくれた”のだろう? 残念ながら、その話は完全に欠落している。イーストウッド、現実の出来事を題材に、ほとんどおとぎ話へと変容させたのだ。
記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/mar2010/invi-m18.shtml
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サッカーFIFAワールド・カップ日本代表選手23人が発表された。
はるばる応援に出かける皆様のご無事をお祈りする。
南アフリカ大会は、2010年6月11日から7月11日。
ネルソン・マンデラ釈放20周年は、2010年2月11日だった。
wsws.orgに掲載された順序と逆に、前回翻訳した『グリーン・ゾーン』で主役だったマット・デイモン、こちらにも登場。
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音楽が非常に苦手な人を称して「音痴」という言葉がある。
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運動が非常に苦手な人を称して「運痴」というだろうか?ちなみに、「うん、国債」というCMもある。コピー史上に残る、名作か迷作。
小生は後者で、運転教習所の先生方に、死にたくなければ車に乗るなといわれ挫折したほどであるゆえ、この映画全く知らなかった。スポーツ・ニュースが始まるとテレビを消している。スポーツ欄は基本的に読まない。意味がさっぱりわからないからだ。野球のルールも知らない!
blogに書かれている皆様によるインビクタスの感想、拝見すると絶賛また絶賛。悲しいかな、少数派には理解ができない。
選挙のたびに、有名スポーツ選手が続々自動的に与党(かつては自民、いまや民主党や、こけろみんな、満身創痍党等々)の議員になるのを見るにつけ、スポーツ嫌い(正確には体育会系嫌い?)こうじるばかり。
今日も大物選手が偉大な政治家に説得され出馬する大ニュースを聞かされた。
「英雄的なスポーツ選手など皆無だ」というつもりはない。世の中広い。
「プラハの春」時、ソ連の侵略・支配に反対し、ドゥプチェクらを支持する「二千語宣言」にエミール・ザトペックやベラ・チャスラフスカ等有名選手も署名した。署名撤回を拒否した人々、ソ連崩壊まで極めて苦しい生活を強いられた。そこまで覚悟して声明に署名したのだろう。
日本にも、沖縄基地、安保問題で、与党・エセ野党に反対する「英雄的」スポーツ選手、おられるのだろうか?
そこで一句。
わが抱く思想はすべて運痴に因するごとし初夏の風吹く
似たセリフ「デトロイト航空機テロ事件」記事末にも書いた。
悲しきトラウマ。
「初夏の風」といえば、川上澄生作品を思い出す。素晴らしい言葉と絵。
鹿沼市立川上澄生美術館にある作品、見られるのは時期限定らしいのでご注意を。2010/5/11時点では美術館web冒頭に、この作品がある。
大物選手出馬ニュースで、すっかり気分が落ち込んだが、五十嵐仁の転成仁語
5月10日(月)本家イギリスで明らかとなった小選挙区制の問題点
を拝読して、気分回復。
皆様が絶賛される大政治家氏が率先して小選挙区制や政党交付金制度を導入したのだ。ソマリア派兵を進める長島昭久議員を防衛大臣政務官にしたのも彼の采配だろう。アメリカ様にもの申せる政治家は彼一人だそうだが、基地問題については黙して語らない。
こぞって小選挙区導入の提灯持ちをした日本のマスコミ、もちろん、こうした視点には決してふれず、たけのこ政党宣伝ばかり。
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ちょっと物足りない。実際に起こった奇跡のような出来事に、マンデラその人の偉大さを重ね合わせるのは良い。アパルトヘイトという過去の記憶を鮮やかに覆す感動はあるが、それは映画で描かれていない部分の記憶から得られる感動であって、映画的高揚感とは言えない。... [続きを読む]
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