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2010年1月 6日 (水)

ウクライナ“オレンジ革命”から五年

Niall Green

2009年12月28日

論争の的となったウクライナ大統領選挙の前代未聞の三回目投票で、2004年12月26日、ビクトル・ユシチェンコが勝利した。11月に行われ、彼の敵ビクトル・ヤヌコーヴィチが勝者だと宣言した二回目投票の後、何千人もの抗議デモ参加者がキエフの街路に繰り出し、不正選挙の申し立てが広まった後、ウクライナ最高裁が三回目の投票を命じていた。

5年後、ヤヌコーヴィチとユシチェンコは、またもや、来月の大統領選挙に、対抗して立候補することとなった。非常に不人気のユシチェンコは、1回目の投票で、大敗するものと予想されている。2004年の“オレンジ革命”では、ユシチェンコの盟友だったユリア・ティモシェンコは、以来、現大統領の手ごわい敵となっているが、彼女も1月17日の選挙に立候補している。

2004年、ウクライナ国民は、ウクライナ支配層の権益を代表する候補者達からの選択に直面した。彼らの間には、いかなる政綱の差異を見いだせなかったが、これは過去五年間にわたって確認済みの事実で、ユシチェンコ、ティモシェンコとヤヌコーヴィチは、お互いに、政治的なご都合主義のみに従って、連合を形成しては破棄してきた。その間、ウクライナ労働者の社会的位置は急激に悪化した。

2004年、ユシチェンコの大統領への立候補と、その後の、より親ロシア派の候補者ビクトル・ヤヌコーヴィチの選挙勝利宣言を、ひっくり返そうとする彼の宣伝活動は、アメリカ合州国に支援されていた。ワシントンは、ユシチェンコを、モスクワの戦略的な立場を弱体化させるという、アメリカの企みの上で、使いやすい手先と見ていたのだ。ウクライナは、欧州連合と、ロシア黒海艦隊を擁している、ウクライナの港クリミアのセヴァストポーリへと向かう、ロシアの主要な天然ガス輸出用経路を提供している。

1990年代、ユシチェンコは、ウクライナ中央銀行の頭取の地位で、結果的に旧国有資産の略奪と、とてつもなく裕福で腐敗した新興財閥エリートの発展をもたらした、旧ソ連経済再構築における主要な事業計画立案者として、ワシントンから注目された。

元大統領レオニード・クチマは、1999年、依然としてロシアと密接につながったウクライナ経済を、親アメリカ・西欧という新方向に向ける“改革者”として、ユシチェンコに首相に任命した。クチマは、テクノクラートのユシチェンコなら、ウクライナと、大規模な金融危機で苦しんでいるロシアとの密接な経済的なつながりによってもたらされた、深刻な景気後退の後、西欧資本との関係を改善できるのではと期待した。

首相時代、ユシチェンコと、石炭、天然ガスや冶金産業に関与していた主要な新興財閥連中との間に大きな亀裂が広がった。ユシチェンコは、ウクライナの産業基盤に外国投資を惹きつけるため、より“自由市場”風の経済施策を好んでいた。主としてウクライナ東部を基盤とする彼の政敵は、見切り価格での民営化から、政治的につながった実業家達に至るまでの再検討を含む政府の計画が、自分たちの産業にたいする支配を危うくするのではないかと恐れたのだ。

ここで、ユシチェンコは、西欧の資本だけに支援されていたのではなく、ライバル達を出し抜く好機を見いだしていた、ウクライナ大企業権益派の一部にも支援されていた。ユシチェンコの副首相で、夫とともに、天然ガス輸出産業で富を築いたユリア・ティモシェンコは、非常に儲かる元国営企業の売り出しを巡り、事業上のライバル達との政治闘争を行っていた。

ウクライナ議会、ヴェルホヴナ・ラーダにおける自分たちの権力を利用して、2001年、東部ウクライナ新興財閥連中は、ユシチェンコとティモシェンコに対する不信任投票を実現した。盟友の実業家達とのあからさまな不和を恐れたクチマに素っ気なくされ、ユシチェンコは、自分がこの大統領の政権からは嫌われており、クチマと彼の取り巻き連中によるウクライナ支配を不快に思っている、西欧とウクライナのブルジョアジーの一部には、寵児であることに気がついた。

これを基盤にして、ユシチェンコとティモシェンコは各々自分の政党「わがウクライナ」と「ユリア・ティモシェンコ連合」をたちあげ、2002議会選挙で相対多数を確保した。

2004年、クチマ大統領の二期目の任期が満了した。憲法上の二期任期という制限があるため、彼は再度立候補ができず、次期大統領として、ビクトル・ヤヌコーヴィチを支持した。ヤヌコーヴィチは、クチマや、1997年から、ユシチェンコに代わり、首相に任命される2001年まで地方政府を率いていた、ウクライナのドネツク工業地帯の新興財閥家族と緊密につながっている。

クチマを引き継ぐ、ヤヌコーヴィチ立候補は、ロシアのウラジーミル・プーチン政権によって支援されていた。クレムリンは、クチマが西欧に言い寄り、アメリカが率いるNATO軍事同盟寄りに動いていたという事実を警戒してはいたものの、ユシチェンコよりは、ヤヌコーヴィチの方を好んでおり、ウクライナのNATO加盟を強く指示する。

ウクライナ大統領へのユシチェンコ立候補は、主に、腐敗したクチマ政権への反対を基盤にして、特に若者と、ウクライナ語を話す同国西部の支持を得た。とはいえ、ユシチェンコは、大半がロシア語話者であるウクライナ東部地域での支持は極めて弱く、ヤヌコーヴィチが優勢だった。この地域の何百万人もの労働者は、ロシアと密接な関係がある産業に依存しており、ユシチェンコの“自由市場”処方箋も、ウクライナ愛国主義という選挙アピールも支持しなかった。

ユシチェンコもヤヌコーヴィチも、2004年10月大統領選挙の一回目投票では、40パーセント以下しか得票できなかった。11月21日に行われた二回目の投票でも、西欧マスコミで広範に繰り返された、反対派による、選挙違反という非難の中で、ヤヌコーヴィチが過半数を得た。

11月の投票後、選挙違反があったとする、ユシチェンコの主張を支持する大衆抗議デモがキエフで行われた。主として若者達からなる抗議デモは、クチマ-ヤヌコーヴィチ政府への敵意と、民主的改革者としてのユシチェンコという思い込みを現していた。

ユシチェンコとティモシェンコは、こうした大衆デモを率いたが、2003年に旧ソ連共和国グルジアでミヘイル・サーカシビリを権力の座に押し上げた、アメリカが支援した“バラ革命”にならって“オレンジ革命”と呼ばれた。

キエフにおけるオレンジ・キャンペーンに対するアメリカ帝国主義の支援は明らかだった。親ユシチェンコ派の学生運動ポーラは、グルジアから来た元サアカシュヴィリ派の様々な活動家達によって訓練され、活動家達が配属されていた。『わがウクライナ』の連中も、アメリカ国務省や、様々なアメリカのNGOから支援を受けていた。

アメリカ政府は、忠実なアメリカ・マスコミと共に、11月投票でのヤヌコーヴィチの勝利を認めず、いんちきをされたとするユシチェンコの主張を無批判に支持し、『わがウクライナ』支持者によって行われたとされている、不正投票に対する主張は無視した。

2005年1月の就任後、ユシチェンコは、2004年に彼を支持した多くの若者たちの幻想を打ち砕いた。彼の政権の反動的政治という性格が明らかになるにつれ、彼の人気も急落し、最近の世論調査では、ユシチェンコ支持率はおよそ3パーセント.

ユシチェンコは、クチマ政権と同様に腐敗した政権を大統領として統轄した。汚職、仲間びいきや、僅かな人数の新興財閥連中の富裕化は、衰えずに続いた。ウクライナの政治は、自分たちの権益を増やし、ライバル達に昔の恨みを晴らすのに、国家権力というてこを利用した、スーパーリッチに支配されたままだ。

ユシチェンコが権力を獲得して以来、ウクライナ労働者の経済的・社会的条件は悪化しており、しかもウクライナ経済は、2008年の金融危機と、それに続く世界不況によってひどく打撃を受けている。ウクライナの工業輸出は急激に落ち込み、金融制度も危機状態のままだ。

世界中の他の国々大半と同様、キエフ政府は、救済措置で、金融業者や実業家には、何十億ドルも渡す一方で、大半のウクライナ人の生活水準は、増加する失業、収入の下落、高いインフレによる貯蓄の目減りで打撃を受けている。

ウクライナが辛うじて破産から免れているのは、ひたすら今年早々の国際通貨基金からの160億ドルを越える緊急融資のおかげだ。国際通貨基金とウクライナ支配層は、この金も、危機から生じた他の損失も、公共支出削減と、ウクライナ労働者の賃金と生活水準を更に引き下げることで、取り戻すことになるだろう。

公式な失業率は、およそ9パーセントだが、失業者の本当の数値はずっと高い可能性がある。政府統計は、新聞ジェーロの調査によると、ウクライナ国内総生産の45パーセントにものぼるという、違法な事業、いわゆる“闇経済”で働く、膨大な数の人々を考慮に入れていない。

ソ連崩壊以来、経済を略奪することによって莫大な富や特権を得たウクライナ・ブルジョワジーには、民主的、社会的改良を支持する政治基盤は皆無であり、彼らは労働者階級からは巨大な深淵でへだてられている。キエフ支配層の顔ぶれこそ変われど、労働者の生活水準に対する攻撃を阻んだり、安定した議会による統治を確立しようとしたりするようなことは一切していない。むしろ、五年前の出来事は、アメリカ帝国主義に支援された、新興財閥達の一派による、ロシア支配層から支援されていたライバル達を犠牲にして、権力を握るためのクーデターだった。ウクライナと西欧のマスコミによる、“選挙違反”に関する訴えや、民主的権利に関する呼びかけは、略奪的な狙いを隠す、単なる大義名分であったに過ぎない。

ロシアやヨーロッパの同胞達と同様の、ウクライナ労働者や若者の社会的、民主的な願望の実現は、社会主義と国際主義的な観点に立った、労働者階級による政治的に独立した運動を通してしか、達成することはできないのだ。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2009/dec2009/ukra-d28.shtml

---------

上記文中の「来月の大統領選挙」は、翻訳による時差で「今月の大統領選挙」。

「グアム全面移転は不可能」「海兵隊は必要だ」という予想通りの発言が続いている。

そこで上記文章の末尾を以下のように改竄してみた。

東京では支配層の顔ぶれこそ変われど、労働者の生活水準に対する攻撃を阻んだり、安定した議会による統治を確立しようとしたりするようなことは一切していない。むしろ、一年前の選挙は、アメリカ帝国主義に支援された、財閥・政治家達の一派による、かつてアメリカ支配層から支援されていた、ライバル達を犠牲にして、自分たちが権力を握るための茶番だったのだ。マスコミによる、“基地問題”に関する訴えや、地方分権に関する呼びかけは、略奪的な狙いを隠す、単なる大義名分であったに過ぎない。

森田実氏、ブログ記事で「2010年夏に行われる第22回参議院議員選挙で民主党が過半数を得る可能性は低いと予測している。」とかかれている。(森田実の言わねばならぬ【6】2010.1.4(その3))。この予測が的中することを祈るしかなさそうだ。元日、行列が長すぎて、あきらめた氏神様に、早速お参りしなければなるまい。

しかし、皆様がお参りし、お願いした場合、神様・仏様、最終的に一体誰の肩を持つのだろう?

やはり、ここはグローバル経済、新自由主義・市場経済原理にのっとって、お賽銭・寄付が多いほうを支持するのだろうか?

神様・仏様が、大々的に、派遣村活動や、焚き出しや、仮住まい提供をしておられるという話、素人には、あまり聞こえてこない。焚き出しや仮住まい提供をしておられる教会はあるようだが。

立派な神社の立派な賽銭箱をみるにつけ、初詣の膨大なお賽銭、日本の神様・仏様関係者だけでなく、困窮する人間様にも流用できないものだろうか?と思えてくる。

事業見直し、貧乏人からだけでなく「神様・仏様からも税金をいただく」という革命的な策もあって良いのではなかろうか?そうでなければ、貧乏人の小生、「神も仏もあるものか」と、罰当たりな無信心で生きるしかなくなる。

記事をアップする前に、たまたま東京新聞webで、下記記事を読んだ。

12日に日米パネル討論 「同盟深化」の道筋探る

世界最大のテロ国家との付き合い、「深化」だけが選択肢なのだろうか?

不信感を募らせているのは、アメリカ支配層だけでなかろう。どこの国の庶民もそうだろう。

安保条約50年。宗主国と喧嘩をしたいというのではない。戦後64年、属国でありつづけるのではなく、いい加減に「独立したい」という、当たり前の発想。与党・最大野党や公明党の政治家の皆様は、なぜそうした発想をしないのだろう?属国の買弁、それほど居心地がいいのだろうか?

たとえば、松下政経塾卒業生の皆様におかれては、「最大市場をむげにできない」のはわかる。とはいえ、これだけ貧乏人をいじめる政治家を多数輩出排出している企業には貢献したくないものだ。何度も書くが、他に選択肢がある製品、あの会社の製品は買わないことにしている。電球が切れたので、別の会社のLED電球を購入した。

もう一度、われに帰って考えてみた。

「2010年夏に民主党が敗北した時、自民党の出番がくる。」と、森田氏は書いておられる。小泉売国政治を、しっかり清算していない自民党が、そのまま復権するのであれば、宗主国アメリカにおける魔の「二大政党」が、属国日本で、見事に完成しただけのこと、ではないか、と素人は思うものだ。

そうなると、神様・仏様に祈るのは、「今度生まれる機会があれば、是非とも、宗主国なり、属国なりのスーパーリッチ支配階級に生まれ変わりたい。」とした方がよさそうだ。

その場合、わずか5円で、願いがかなうか否かは、死んでみないとわからない。残念ながら皆様へのご報告はできないが、あしからず。

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