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2010年1月

2010年1月31日 (日)

アメリカ・マスコミは、なぜNW253便でのイスラエルの役割について沈黙しているのか?

Patrick Martin

2010年1月16日

およそ一週間前の1月10日、イスラエル新聞ハーレツが、ノースウエスト航空253便の機内で爆弾を爆発させようとした未遂事件における、イスラエルの警備会社インターナショナル・コンサルタンツ・オン・ターゲテッド・セキュリティ(ICTS)の役割を指摘する特派員ヨッシ・メルマンによる、ニュース記事を掲載した。

ICTS下請けのI-SECとPI社が、自爆犯として告訴されているウマール・ファルーク・アブドゥルムタラブが、デトロイト行きジェット機に搭乗した、アムステルダムのスキポール(=スヒップホル)空港における乗客の安全検査を担当している。この会社は、イスラエル諜報機関の経験に基づく、乗客を確認し、安全上のリスクを判定する検査技術を使っている。元エル・アル航空と、シン・ベート(イスラエル総保安局)の警備担当者が、自分達の専門技術を販売するため、1982年にICTS社を設立し、多数のアメリカ航空会社が、同社のサービスや技術を利用している。

ハーレツによると、アブドゥルムタラブは、ICTSによって検査されたが、警備担当者は、有り余るほどの証拠があったにも関わらず、彼を脅威として判別しそこねたという。

「たとえ、アメリカの諜報機関が失敗し、ナイジェリア人乗客の氏名が、航空会社にとって要注意人物として特定されずとも、彼は警備担当者達の疑念をかき立てたはずだ」新聞は書いている。「彼の年齢、氏名、不合理な旅行経路、ぎりぎりの時刻に購入された高価な航空券、預け入れ荷物無しでの搭乗(機内持ち込み手荷物のみ)、その他多くの兆候は、警備担当者達の警戒心を喚起し、容疑者を更に精査する正当な根拠として十分だったはずだ。ところが、I-SECとPIを代表する警備責任者は、彼が搭乗するのを認めたのだ。」

このイスラエルとのつながりは、イスラエルやヨーロッパのマスコミでは広範に報道されてきた。ハーレツに加えて、エルサレム・ポスト紙も、12月27日の記事で、アムステルダム空港におけるICTSの役割に触れ、イスラエル・テレビは、同社社長にインタビューし、彼はアブドゥルムタラブが安全検査を受けたことを確認した。

この報道は後に、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、スペインやイタリアでは、新聞やWebのニュースに掲載された。ところが、主要なアメリカのマスコミでは報道は皆無だ。ニューヨーク・タイムズワシントン・ポストウオール・ストリート・ジャーナルや、他の主要日刊紙では何も報道されず、どのテレビや、ケーブル・テレビのニュース放送局でも何も報道されていない。

ヨーロッパと、アメリカにおける報道の扱いの対照は、ICTSの役割が単なる些細なことではないことを示している。明らかに、アメリカ諜報機関からの直接の命令なり、あるいは、“自発的”であるがゆえに、同様の効果がある、間接的なマスコミの自己検閲制度という形で、この話題には触れるなという話になっているのだ。

ICTSの役割を隠すのに、どのような理由があるのだろうか?

まず第一に、関連している事実があるということだ。2001年12月22日に“靴爆弾犯”リチャード・レイドが、アメリカ行きの飛行機に搭乗した際、ICTS社は、パリ郊外のシャルル・ドゴール空港で、警備を担当していた。同社は、2005年7月7日の自爆攻撃の際も、ロンドンのバス・システムの警備を担当していた。また、2001日9月11日、四人の自爆ハイジャッカーのうちの二人が出発したボストンのローガン空港においても、ICTSは、警備業務を担当していた。

少なくとも、特にテロ攻撃を、それと特定し、未然に防ぐ、イスラエル治安機関の専門技術を考えれば、これらは、奇妙な偶然の一致だ。過去十年間の中でも、最も悪名高いテロ攻撃四件それぞれの現場に、ICTS社の社員が居合わせ、テロリストを止める行動をとりそこねたのだ。

28年にわたる操業で、ICTSは22ヶ国で業務を展開し、フランス、イギリス、スペイン、ハンガリー、ルーマニアやロシアの空港で業務を行っており、11,000人以上の警備担当者を雇用している。9/11事件後、乗客審査業務が民間企業からとりあげられ、新設された運輸保安局(TSA)に任される迄、同社はアメリカの空港の幾つかで業務契約があった。

ICTSの役割に関する沈黙は、ノースウエスト253便爆破未遂事件の背景にまつわる、いかなる報道も避けるという、マスコミのより全般的変化の中で、唯一、非常に奇妙な側面だ。ハイチ地震が、正式に?注目の的となる前から、マスコミはクリスマスの出来事の検証からは顕著に目を背けていた。

オバマ ホワイト・ハウスと諜報機関による、ノースウエスト253便に関する公式説明は余りに信じがたく、この話題を扱うのをやめ、衆目を違う方向にそらせようという、組織的努力があったかのように見える。そうした文脈の中、イスラエルの警備会社の役割に対する完全な黙殺状態は、すんでのところで約300人の命が失われるところだったクリスマスの事件に至るまでの時期に、アメリカや他国の諜報機関が果たした役割について、一層の疑問を投げかけるものだ。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/jan2010/f253-j16.shtml

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宗主国のマスコミにならって、この国のマスコミでも、こうした情報、ほとんどみかけることがない。

2010年1月30日 (土)

キングの夢を悪夢に変える-Chris Hedgesのコラム

Chris Hedges

2010年1月17日、"Truthdig"

マーティン・ルーサー・キング記念日は、ラディカルな黒人を、愛国的な偶像へと変える例年の儀式となってしまった。この日は、人種差別を"克服し" キングの夢を "実現" した我々を祝う日となった。幼い黒人の子供達と、幼い白人の子供達の、古いビデオ映像が延々と流される日となっているが、アメリカの状態を考えれば、キングなら激怒するだろう。アメリカの偉大な社会改革者の多くは、没後、パワー・エリートに拉致され、アメリカの栄光を讃える無害な小道具に変えられてしまう。キングは、結局、単なる社会主義者ではなく、アメリカ軍国主義に、激しく反対し、特に彼の晩年には、経済的公正なき、人種的公正など茶番であることを、強く意識していた。

「キングの言葉は、1960年代に彼を否定していた人々に、横領されてしまいました」ニューヨークのユニオン神学校で教鞭をとり、『マーティン & マルコム& アメリカ』という本の著者であるジェームズ・コーン教授は語っている。「そこで、彼の誕生日を国の祝日にすることで、彼が生きていた時代には、彼に反対だった人々であっても、誰もが、彼を誇りに思っていると言えるのです。彼らは、キングの「私には夢がある」演説とともに、キングを、1963年の時点で凍結してしまったのです。改竄と誤解の極みです。キングは、セルマの行進とワッツ暴動の後まもなく「彼らは、私の夢を悪夢に変えてしまった。」とも語っています。」

「アメリカの主流文化は、キングによる愛の強調を、正義から、あたかも切り離すことができるかのごとくに喧伝しています。」コーン教授は言う。「キングにとっては、正義が、愛を定義するのです。切り離すことはできません。二つは、おたがい複雑にからみあっています。それだからこそ彼は、感傷的な愛ではなく、アガペ、隣人愛について語っているのです。キングにとって、愛は戦闘的なものでした。不正と対決する、直接行動と、市民的非服従は、社会を癒やすものであるのだから、愛の政治的表現であると、彼は見なしていた。それは、傷も痛みもさらけだす。世の中の主流派は、彼が、貧しい人々に対する正義に、重きをおいていることを、キングによる愛の解釈から切り離したがっていた。しかし、キングにとって、正義と愛は一組のものなのです。」

マルコムXは、支持して欲しいと、白人支配者階級に懇願するのを拒否したがゆえに、彼を体制派の偶像に変えることは不可能だ。それで、彼の人生最後の日々を、キングに収束させた。しかし、この収束で、マルコムXが飼い馴らされたと見るのは、過ちだろう。マルコムは、キングが、マルコムに深く影響を与えたのと同じぐらい、キングに影響を与えていた。この二人はいずれも、その生涯の末期に、人種差別は様々な形をとって現れるものであり、問題は、単に、白人と同じランチのカウンターに座れるかどうかという単純なものではないことを把握していた。北部の黒人は、理論上は、そうすることもできたが、問題は、昼食を食べるお金があるかどうかなのだ。キングもマルコムも、その信仰によって、深く導かれていた。二人は信念体系を忠実に守っていた。一人はキリスト教徒、もう一人は、より厳格な道徳的規範と公正さが要求される、イスラム教徒でした。そして、二人のいずれも、パワーエリートに、身売りしたり、妥協したりしなかったがゆえに、暗殺されたのだ。もしも、キングとマルコムが生存していれば、二人は社会の、のけ者になっていだだろう。

キングは、統合の呼びかけを始めた頃は、勤勉と忍耐によって、豊かな人々も、貧しい人々も、白人でも、黒人でも、アメリカン・ドリームを実現できると主張していた。キングは中流階級の黒人家庭で育ち、良い教育を受け、文化的に洗練されていた。二十代の初めまで、人生は"クリスマスの贈り物"のように包まれていたことを彼は、認めている。彼は素朴に、統合が解答であると考えていた。究極的に、白人の権力構造が、全ての国民に対する公正への必要性を認識してくれると、彼は信じていたのだ。大学教育を受けた黒人階級の大半の人々同様、彼が、共に統合されることを求めた白人の成功に関して、彼は同じ価値体系と先入観を共有していた。

だが、これはマルコムのアメリカではなかった。都市の貧困家庭で育ち、8学年目で退学したマルコムは、里親の家々を行き来し、虐待され、町の通りで、いかがわしい事をして稼ぐようになり、投獄される羽目となった。彼の困難な政治活動の生涯において、彼の人間性や品位が認められたという形跡は皆無だ。彼が知っていた白人は、良心や同情を示さなかった。また生存することが日々の戦いであるゲットーでは、非暴力は当てにできる選択肢ではなかったのだ。

「いや、私はアメリカ人ではない」とマルコムは言った。「私はアメリカ精神の犠牲者たる2200万人の黒人の一人だ。偽装した偽善にしか過ぎない民主主義の犠牲者の一人だ ...。だから、私がここに立って、皆さんにお話しているのは、アメリカ人、あるいは愛国者、あるいは、国旗に敬意を払ったり、国旗を振り回したりする人間としてではない。いや、私はそうではない! 私は、このアメリカの制度の一犠牲者として話している。そして私は、犠牲者の目を通してアメリカを見ている。私には、どのようなアメリカの夢も見えない。私にはアメリカの悪夢が見える!」

キングは、特に、シカゴで陰険な人種差別に直面した後、マルコムの洞察の真価を認めるようになった。彼は間もなく、キリスト教徒に「人の魂に関心を持っているのだと自称しながら、人々を破滅させるスラム街や、人々を不自由にする経済的条件に、関心を持ってはいない、あらゆる宗教は、新たな血を必要としている、精神的に瀕死の宗教です。」と語り始めた。

「キングは、マルコムが、白人について言っていることは正しいと考えはじめたのです」コーン教授はこう語った。「アフリカ系アメリカ人に公正をもたらそうという呼びかけに応えられるような良心を、白人は持ち合わせていないことを、マルコムは、分かっていたのです。彼の人生の末期近くになって、キングは悟ったのです。彼は大半の白人を‘無意識の人種差別主義者'と呼び始めました。」

過去の粗野な人種差別的言葉遣いは、今では無礼だと見なされている。アメリカのスラム地区を駄目にし、20歳から34歳までの黒人男性のうち、9人に1人という驚異的な数が投獄されているアメリカの監獄を満たしている、制度的、経済的人種差別を無視しながら、我々は、平等、機会均等が存在しているようなふりをしているのだ。大学よりも、獄中にいるアフリカ系アメリカ人男性の人数の方が多いのだ。「独房棟が、黒人奴隷の競り売り台と入れ替わった」と、詩人のユセフ・コムニャカは書いている。刑務所や都会のゲットーには、有色人種の人数の方が多いという事実は偶然ではない。経済的、政治的支配をしている連中による、計算ずくの判断なのだ。その多くが、こうした窮乏と権利剥奪の居住地に隔離されて暮らしている、下位の三分の一のアフリカ系アメリカ人にとって、過去数十年間にわたり、ほとんど何も変わらなかったのだ。事実、生活は悪化することが多かった。彼の人生最後の月日、キングは、マルコムの言語を流用し始め、聞き手に、ゲットーは、「国内の植民地主義制度」であることを思い起こさせるようになった。シカゴ自由フェスティバルでの演説で、キングは語っている。「スラム街の目的は、何の力も持たない人々を閉じ込め、彼等の無力さを永続化させることなのです。...スラム街は、その住民達が、政治的に支配され、経済的に搾取され、隔離され、あらゆる機会に屈辱を与えられるままにしておく国内植民地も同然なのです。」主要な問題は経済だとキングは結論づけ、解決策は社会全体の作り直しだった。キングとマルコムが理解していたように、きちんとした教育、安全な近隣地域、仕事、あるいは、最低生活ができるだけの賃金の可能性が皆無なのであれば、生活、自由、幸福の追求は、無意味なスローガンなのだ。キングもマルコムも、永久戦争経済が、人種差別や、アメリカ国内における、そして往々にして外国の貧困の永続化に直接結びついていることを、十分に承知していた。

暗殺される一年前、リバーサイド教会で行った"ベトナムを越えて"と題する演説で、キングは、アメリカのことを"現代世界で、最大の暴力の提供者"と表現したが、これは多くのマーティン・ルーサー キング記念日の祝賀では、決して引用されない言葉だ。晩年における、ベトナム戦争や、経済的不公平に対する、キングの執拗な非難のおかげで、多数の白人リベラルや、彼自身のスタッフ・メンバー達、政治権力構造内部の支持者達が、彼を裏切った。キングもマルコムも、晩年は孤独な人々だった。

「色々な意味で、マルコムのメッセージは、今日一層当てはまるのです」と、解放の黒人神学の本も書いている、コーン教授は語っている。「キングのメッセージは、非暴力、愛と統合という彼の呼びかけに、白人たちが応えてくれることにほとんど全面的に依存していました。彼は前向きな反応を当てにしていました。マルコムは、黒人に自分たちの力を強化するように言ったのです。黒人に、彼はこう言ったのです。「あなた方が、今おられる状況にあることについて、あなた方に責任はないかもしれませんが、もしも脱け出したければ、自分で脱出するしかありません。あなた達をそこに押し込んだ連中は、あなた達をそこから出そうなどとしませんから。' キングは、黒人を助け出してくれるよう、白人に懇願していました。しかし、キングは次第に、アフリカ系アメリカ人は、彼が期待していた程には白人を当てにすることができないということを理解し始めたのです。」

「キングは、黒人の自己嫌悪については語りませんでしたが、マルコムは語りました」コーン教授は言う。「キングは政治的な革命家でした。彼は、アメリカの社会的・政治的生活を変えたのです。もしもキングがいなかったなら、わが国に現在のバラク・オバマは存在しなかったろう。マルコムは、文化の革命家だった。 彼は、社会的、あるいは政治的構造を変えることはしなかったが、彼は、黒人の自分自身に対する考え方を変えました。彼は、黒人の考え方を変えたのです。彼は、黒人が自らを嫌悪している時代に、自らを愛するようにさせたのです。ニグロで有色である、ということから、黒人であることへと変えたのは、マルコムです。大学における黒人研究や、黒人市民権運動家組織などは、マルコムが考えだしたものです。キングは決して、黒人研究をしようとはしませんでした。彼は、モーアハウス大学で、社会・政治哲学者に関する講義をしていましたが、講義で黒人を扱うことはありませんでした。彼は、市民権運動指導者のW. E. B. デュボイスや、奴隷廃止運動指導者のフレデリック・ダグラスには触れませんでした。彼らの一人たりとも。彼はプラトンやアリストテレスのような白人のことだけを講義したのです。マルコムは黒人が自らを愛することを促進したのです。」

キングもマルコムも、中東で帝国主義戦争を遂行するのに3兆ドルを費やし、自らの国内の貧しい人々を見捨てながら、ウオール・ストリートの銀行の口座を穴埋めするのに、更に何兆ドルも使う国家を、激しく非難したに違いない。二人なら、金持ちのエリートの権益に、卑屈に奉仕する政党を支持しながら、貧しい人々のための正義について、陳腐な言葉を口にするリベラル派を、激しく非難したに違いない。この二人のアメリカ人預言者は、妥協することが必要になるような何物も持たない人々に成り代わって語っていた。それゆえにこそ、二人は妥協しなかったのだ。

「人の背中を23センチ刺してから、15センチ分引き抜いて、それを進歩だということなどできない」とマルコムは言った。

エベネゼル・バプティスト教会における最後の説法の一つで、「私は、これから私がしようとすることを決めました」とキングは説教した。「...ミシシッピー[でも]、ベトナムでも、私は決して誰も殺しはしません。もうこれ以上、戦争についての研究はしません。いいですか?私の発言を誰が嫌おうが、私はかまいません。社説で誰が私を批判しようが、私はかまいません。どんな白人や黒人が、私を批判しようが、私はかまいません。私は最善に固執するつもりです。ある種の態度について、臆病な連中は質問します。‘それは安全だろうか?' ご都合主義者連中は質問します。‘それは適切だろうか?' うぬぼれた連中は質問します。‘それは受けるだろうか?' しかし、良心的な人々は質問するのです。「それは正しいだろうか?」そして、イエス・キリストの真の信奉者であれば、安全だとか、適切だとか、受けるといった立場ではなく、それが「正しい」がゆえに、ある立場をとらなければならない時がやってきます。 時折、私たちは、それについて歌っているではありませんか。‘もしもあなたが正しければ、神はあなたと共に戦いたもう。' この邪悪な時代、私は最善に固執しつづけます。」

Truthdigに毎週月曜にコラムを掲載している、Chris Hedgesは、20年間、特派員として中米、アフリカ、ヨーロッパ、中東における戦争を報道。ニューヨーク・タイムズの中東支局長として、8年勤務し、テロ報道に対し、2002年ピューリッツァー解説報道賞を共同受賞した。2002年アムネスティー・インターナショナルの人権ジャーナリズム・グローバル賞も受賞。

c 2010 TruthDig.com

記事原文のurl:www.truthdig.com/report/item/turning_kings_dream_into_a_nightmare_20100117/

マーティン・ルーサー・キング記念日は、彼の誕生日1月15日に近い、1月第3月曜日。

27日にハワード・ジンが亡くなった。夕刊に記事が幅3センチ程度掲載された。

同日に亡くなっていたサリンジャーの死亡記事、その10倍以上の長さはあった。

余りの対照に、アプトン・シンクレアの『真鍮の貞操切符』にあるクリスマスの手紙 「百万長者対貧乏作家」を思い出した。

そういうものだ。

マルコムXの「私はアメリカ人ではない」の演説(翻訳)は、アメリカの黒人演説集 荒このみ編訳 岩波文庫白26-1で読める。
投票権か弾丸か 1964.4.3
オハイオ州クリーブランドのコリー・メソディスト教会
引用部分は、同書291ページ。上記の翻訳は、いい加減な拙訳。

ハワード・ジン記事翻訳リストは下記の通り。

戦争と平和賞
帝国か博愛か? 学校では教えてくれなかったアメリカ帝国のこと
ハワード・ジン: 帝国の終焉?(「民衆のアメリカ史」コミック版によせて)
ハワード・ジン、「まがいものの」戦争を終わらせようと再度の呼びかけ
ハワード・ジン「歴史の効用とテロリズムに対する戦争」を語る

2010年1月22日 (金)

人々が目にしてはいけないことになっている戦争写真-Chris Hedgesのコラム

AP Photo / Adem Hadei
亡くなった息子を抱くイラク女性。この六歳の子は、小学校の入学手続き
を終え、帰宅する途上で殺害された。

Chris Hedges

2010年1月4日 "Truthdig"

戦争は残虐で、人間味の無いものだ。個人の勇気ある行動といった夢想や、民主主義といった夢想的な目標のばからしさをあざわらうものなのだ。産業技術を駆使する戦闘は、攻撃してくる相手など見たこともない何十人、いや何百人もの人々を、一瞬で殺害できる。こうした高度な工業生産による兵器の威力は無差別で、信じがたいほどだ。瞬く間に、団地にいる全員を生き埋めにし、粉砕することが可能だ。そういう兵器は、村々を破壊し、戦車や、飛行機、船舶を灼熱の爆発で吹き飛ばすことが可能だ。生き残った人々にとって、傷は、酷い火傷や、失明や、四肢切断や、一生続く痛みやトラウマとなって残る。こうした戦闘から戻ると、人は変わってしまうものだ。しかもこうした兵器が使われてしまえば、人権にまつわるあらゆるあらゆる論議も茶番劇と化する。

ピーター・ファン・アットマールの『二度目の服務:死なずにすみますように』と、ローリ・グリンカーの『戦後: 紛争中の世界からの退役軍人』という、一度見れば忘れることのできない二冊の戦争写真集によって、戦争の写真というものは、ほとんど常に、大衆の目に入らぬよう隠されていることがわかる。こうした写真は暗部であり、実際に戦地に赴き、戦争の苦難を味わった人々しか、その本能的恐怖とは直面することはできないが、それでもこうした作品は、少なくとも、戦争の残虐さを暴こうとする努力である。

「道端にしかけられた爆弾が、乗っていた車両に命中し、ガソリン・タンクを発火させ、他の二人の兵士も焼死させた際、この兵士は体の90パーセント以上に火傷を負った」アットマールの写真集にある、手術室にいる血塗れの兵士の写真には、横にそう説明がある。「彼の迷彩服は、ヘリコプター上で彼を処置した衛生兵によって引き裂かれ、ベッド中に垂れ下がっていた。皮膚の塊ははげおち、わずかに残った皮膚は半透明になっていた。彼は意識を失ったり、回復したりしており、数秒間、彼はかっと目を見開いた。担架から、ERのベッドに移される際に彼は叫んだ。「父さん、父さん、父さん、父さん」そして「眠らせてくれ、頼むから眠らせてくれ。」ERには、もう一人のカメラマンがおり、上からの場面を撮影しようとして、医療スタッフの頭上からカメラを突き出した。兵士は叫んだ。「クソ・カメラを目の前からどけやがれ」彼の最期の言葉はそういうものだった。六ヶ月後、ある冬の午後、私は彼の墓にお参りした。」アットマールは書いている。「彼の最期の光景は脳裏から離れない。」

「車内には三人いて、ジープに火がつきました」イスラエル兵士ヨッシ・アルディティは、グリンカーの本にある引用で、火炎瓶が車中で破裂した瞬間について語っている。「燃料タンクは満タンで、今にも爆発しそうで、私の腕や顔からは皮膚が垂れ下がっていましたが、動転はしませんでした。誰も入ってきて、助けてくれることなどできず、火をくぐり抜けて、ドアに向かう他に脱出方法がないことは分かっていました。銃をもって出たかったのですが、両手が火傷していて、触れませんでした。」 [『戦後』の抜粋と、Chris Hedgesによる前書きを読むには、ここをクリック]

アルディティは六ヶ月入院していた。退院後の三年間、二、三ヶ月毎に、合計20回の手術を受けた。

「私を見る人は、戦争が本当は何をするのかを見るのです」と彼は言う。

映画のような、非常に写実的な戦争の画像は、心臓がドキドキするような恐怖、すさまじい悪臭、耳を聾するような轟音、戦場における極度の消耗が、はぎ取られている。そうした画像は、戦闘の主要要素である混乱や混沌を、巧みな戦争物語へと転換する。そうした画像は戦争をポルノに変えてしまう。兵士や海兵隊員達、とりわけ戦争を体験したことがない連中は、ビールをケース買いし、“プラトーン”のような、戦争を糾弾することを意図して制作された映画を見るのだが、そうしながら、そこで見せられる兵器の卑劣な威力を大いに楽しむのだ。暴力の現実は違う。暴力によって形作られたあらゆるものは、意味は無く、使い道も皆無だ。何の展望も無い存在だ。それが後に残すものと言えば、死と、深い悲しみと、破壊ばかり。

戦闘の画像や光景を控えた、この二冊の写真集のような戦争の記録が、戦争の現実を活写しはじめている。国家や、戦争を商売にする連中の侍女たるマスコミは、戦争の結果として本当に起きることを、懸命に、隠されたままにしておこうとする。戦争が、若者の心と体に、一体どのような影響を与えるのかを、もしも私たちが本当に見てしまえば、戦争の神話を奉じることは、より困難になるだろう。一週間前に、アフガニスタンで殺された八人の学童の、ずたずたになった亡骸の前にたたされるようなことになれば、そしてその子達の両親の泣き声を耳にすれば、アフガニスタン女性の解放やら、アフガニスタン国民に自由をもたらすなどという決まり文句など繰り返せなくなるだろう。それが、戦争の好ましからぬ部分が、入念に削除されてしまう理由なのだ。それが、戦争の歪んだ暗いスリルは、我々に与えられても、戦争の本当の結果が、我々には見せられずにいる理由なのだ。戦争の神秘的な幻想が、戦争を、英雄的で、わくわくするものにする。だから、報道機関は、ハリウッド同様に罪深い。イラク戦争の開始時に、テレビ報道は、暴力の本能的なスリルを与えてはくれたが、銃弾、戦車の一斉射撃、破砕性爆弾や、迫撃砲の一斉射撃の結果は、我々には隠して、見せなかった。私たちは戦争の刺激の一端こそ味わったものの、戦争が本当に引き起こすことは見ないようにされていたのだ。

この偉大な茶番において、負傷者、身体障害者、死者は、舞台の外に速やかに運び去られてしまう。彼等は戦争の廃物なのだ。私たちは彼らを目にすることはない。私たちは彼らの声を聞くことはない。彼等は、我々の意識の周辺に漂う、彷徨える魂のように、無視され、罵倒さえされるべく、運命づけられている。彼等が語る言葉は、我々が耳にするには余りに悲痛だ。人は、戦闘においては空虚で無意味となる言葉である、栄光、名誉、愛国心という神話を受け入れて、自らと、国家とを讃えることの方を好むものなのだ。そして、戦争の本当の結果と直面するべく運命づけられた人々は、向きを変えて、逃げてしまうことが多い。

グリンカーの本の中で、エルサルバドルでの戦争で両足を失ったサウル・アルファロは、陸軍病院の病床に横たわっていた時の、恋人による最初で最後のお見舞いについて語っている。

「軍隊では、彼女が恋人でして、結婚する計画でした」と彼は言う。「ところが、彼女は病院で私を見ると、何が起きたのか私には良くわかりませんが、皆が言うには、私を見て泣きだしたそうです。その後、彼女は私から去り、決して戻っては来ませんでした。」

公的な感謝の宣言は、国家から手渡された原稿を忠実に読む退役軍人向けとして、予約済だ。そうした公式の席に出席させられる退役軍人は、従順で、我々が、ぞっとせずに、その姿を見守ることができるような、心地良い人々であり、戦争は、愛国心であり、最高の善であるという嘘を、進んで支持する人々なのだ。「軍務に服して下さって有り難うございます」と言うことを、我々は期待されているのだ。彼等は神話を持続させることに慣れている。我々は、それを讃えることに慣れている。

湾岸戦争症候群を患って、テキサス州ワコにある両親の家の特別に閉鎖された環境で暮らしているゲーリー・ザスパンは、グリンカーの本の中で、戦争が終わった後でさえ“戦争捕虜”のように感じていると語っている。

「本質的に、連中は、私を縁石において、さあ自力でやっていきなさい、と言っているのです」と、彼は本の中で語っている。「我が国の政府は、我々兵士のことを気づかってくれるし、政府自身も、自らのことを処するはずだという、空想の世界に、私は暮らしていたのです。万一、戦争で軍務に服している間に、不具になったり、負傷をしたりした場合には、面倒をみてもらえると、契約書に書かれているのだと信じこんでいました。今、私は怒っています。」

ニューヨーク・タイムズで、戦争報道をした後、1990年代に、サラエボを再訪し、何百人もの身障者が、エレベーターも車椅子も無い団地の室内に閉じ込められているのを私は発見した。大半は若者で、多くはいずれかの四肢を失っており、年老いた両親による世話を受け、輝ける戦争の英雄は朽ちるままに放置されていた。

生き残った人々を、絶望と自殺が、とらえて離さない。戦争中に亡くなった人数より多くのベトナム戦争退役軍人が、終戦後に自殺した。戦時に、兵士や海兵隊員に叩き込まれた非人間的な資質が、平和時に、彼等を打ち破るのだ。これこそが、戦争にまつわる偉大な書物『イーリアス』と、職業的殺人者の回復に至る長い旅を描いた偉大な書物『オデュッセイア』の中で、ホメロスが我々に教えてくれていることだ。多くの人々は、決して再適応することができない。彼等は、妻や、子や、両親や友人達と、再び意思を通じ合うことができずに、自己破壊的な苦悶と憤激という、孤独の地獄に引きこもる。

「連中は、兵士がいかなる感情も持たないよう、条件づけるのです。隣に座っている誰かが殺されても、黙って自分の仕事をやり続けるという具合に」フォークランド戦争に従軍したイギリスの退役軍人スティーブ・アナベルは、グリンカーに、こう語っている。「退役した時に、そういう状況から戻った時に、退役した人間の感情を、押すだけで、よみがえらせることができるボタンなどありません。そこで、退役兵士は、ゾンビーのように歩き回ることになるのです。連中は、感情を殺すように条件づけした退役兵士を、条件づけから解除できないのです。退役兵士がやっかい者になると、連中はそうした人物を隠してしまうのです。」

「軍隊に入隊させるため、連中はあらゆる宣伝をします。連中は、山をスキーで滑走して降りる人々やら、素晴らしいことをしている人々の姿を見せます。連中は、射撃されることや、両足を吹き飛ばされたり、焼死したりする人々は見せません」と彼は言う。「連中は、本当に起こることは見せません。ただのインチキです。しかも連中は、そうしたことに、心の準備をさせるようなことは決してしません。連中は、世界中のありとあらゆる訓練をしてはくれますが、訓練は本当の戦争とは決して同じではないのです。」

戦争が終わった時、退役軍人達と一番多く共通点を持つ人々は、彼らが戦った相手だ、というのはよくあることだ。

「誰も、人格が変わらずに戦争から戻れることはありません」と、フォークランドで、イギリスと戦ったホラシオ・ハビエル・ベニテスが語っているのが、グリンカーの本に引用されている。「戦争に派兵された、ホラシオという人物は、もはや存在していないのです。普通の生活に熱心になるのは大変なことです。余りに多くのことが瑣末に見えてしまって。狂気と、うつ状態との戦いです。」

「マルビナス諸島で軍務についた連中の多くが」彼は諸島のアルゼンチン名を使って言った。「自殺しました。友人の多くが。」

アットマールによる写真の一枚に写っている壁の落書きには「家族が懐かしい」と書かれている。「神様、どうぞ私が奪った命を許したまえ。万一私が家に帰れなくとも、家族が幸せでありますよう。」

願いの横に、誰かが単語に向けた矢印をつけて、太い黒のマーカーで「ホモ!!!」と書いていた。

戦争を正当化するために使われる、国粋主義の決まり文句の先を思い描こう。武器の誘惑と、暴力のポルノの先を思い描こう。仕事を完遂するだの、テロとの戦いだのというバラク・オバマの奇妙な論理の先を思い描こう。戦争の悪に焦点をあてよう。戦争は、相手側を絶滅させようという呼びかけで始まるが、究極的には自己破壊で終わる。戦争は、魂を堕落させ、体躯を切断する。戦争は家や村を破壊し、通学途上の学童達を殺害する。戦争は、優しく、美しく、神聖なものすべてを粉砕し、泥と化してしまう。戦争は、卑しむべき暴力という言語しか話すことができない奇形人間、つまり、軍閥、シーア派暗殺部隊、スンナ派武装反抗勢力、タリバン、アル・カイダや、わが国の人殺し連中に権限を与える。戦争は災いだ。戦争は大規模な疫病だ。工業殺人だ。だから、戦争を、とりわけイラクとアフガニスタンの戦争を支持する前に、それを知っている男達、女達、子供達のうつろな目を覗き込む必要がある。

ピューリッツァー賞受賞者で、20年間、海外特派員として、中南米、アフリカ、中東とバルカンの紛争を報道してきたChris Hedgesのコラム記事は、Truthdigに毎月曜日に掲載される。彼は以下の本を含む9冊の本を書いている。彼の新刊は“Empire of Illusion: The End of Literacy and the Triumph of Spectacle”(2009年刊)

Copyright Truthdig.com

記事原文のurl:www.truthdig.com/report/item/the_pictures_of_war_you_arent_supposed_to_see_20100104/

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記事の中で、肝心の書籍の題名、著者名を適当な日本語で置き換えてある。

原題名、著者名はそれぞれ以下の通り。

ピーター・ファン・アットマール『二度目の服務:死なずにすみますように』

Peter van Agtmael’s “2nd Tour Hope I don’t Die”

ローリ・グリンカーの『戦後: 紛争中の世界からの退役軍人』

Lori Grinker’s “Afterwar: Veterans From a World in Conflict”

「小沢対検察」劇場で、安保条約問題、軍事同盟問題、見事吹き飛んだ。

安保条約改訂50周年こともなく過ぎた。仕事先で瞥見した朝刊には、(軍事)同盟の深化やら、より平等(な戦闘作戦遂行)というような文字が並んでいた。

見開き特集の左側には、ソマリア派兵を率先するという功績をあげた、あの防衛政務官の、右側には、元防衛相の談話が並んでいた。

戦争を正当化するために使われる、国粋主義の決まり文句の先を思い描く必要は、この国にも、そのままあてはまるだろう。世界最大のテロ国家と、世界最大の暗証番号不要ATM国家の同盟の深化。やがて、金だけでなく、血も...。

2010/3/6追記:

昨年の今頃?、那覇で、たまたま訪れた県立美術館で、石川文洋氏の写真展が開催されていた。作品のうち一枚が、不適切というような理由で、展示から外されていた。(想像するに、ぼろぼろになったベトコンの死体の写真だったろう。)

体制派(=戦争で金儲けする一派)の館長による独断だったらしいが、「写真を見た人が、嫌悪感を感じさせるような写真だから、展示として不適切」だったはずは、決してない。

「これから、憲法を破壊し、アメリカの傭兵として、日本軍が、帝国主義戦争の下請けをした時に起こる凄惨な事態を連想させるため、改憲(壊憲)に、戦争に、反対する心理を醸成するから、不適切だった」はずだ。

最近、「アフガニスタンに丸腰の日本軍を派遣せよ」という、とんでもない本が、かもがわ出版から刊行された。あの伊勢崎氏による主張だ。民主党の意向を受けて動いたとある。ISAFに(日本軍を)派兵せよ、という主張をしている大幹事長、主席の意向を受けての行動、発言だろう。

同じかもがわ出版から、多数の書籍を刊行した加藤周一氏も、お墓の中、(いや、最期に、キリスト教洗礼を受けたというからには天国で?)歯ぎしりしておられるに違いない。

アフガニスタンは、ペシャワール会にまかせるべきだろう。侵略戦争を推進している宗主国の属国、ATMにとどまらず、丸腰の日本軍を派遣。泥沼になるのは見えている。ブログをお読みの皆様には、かつて、この伊勢崎氏に期待した不明を恥じ、お詫びしておく。(過去記事で、伊勢崎氏に期待した小生の言動は残してある。)宗主国が自分でまいた種、宗主国の自己責任でと、お願いすべきだ。どうして日本が、わざわざ泥沼に入る必要があるだろう?

いや、そうした泥沼に入る雰囲気を醸成するために、国営放送は、アヘン商人の走狗やら、隣国に対する侵略戦争を、さも美しく描きだす、洗脳大河ドラマを流し始めたのだろう。政府・広報の国民動員共同作戦。

media debuggerというブログの下記記事で、この本(民主党支持という皆様が、絶賛しておられるようだ)のいかがわしさ、完膚無きまで論破されている。それで、おかしな本とはわかっていたが、貧しい生活費から捻出して購入、ざっと読んでみた。小沢幹事長の「ISAF派遣」論を、オブラートでくるんだ奇策のようなものに過ぎまい。青酸カリは、オブラートでくるんでも青酸カリだ。死に至る毒薬、犬死にしたいという国民以外、絶対服用してはならない。

「在特会」化する「平和国家」日本 (前半)――伊勢崎賢治著『アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる』所感

 

2010年1月18日 (月)

アメリカとハイチを“結ぶ”歴史

2010年1月15日

水曜日、ハイチ地震にかかわる声明の中で、バラク・オバマ大統領は、「我々を結びつけている長い歴史」について言及した。とはいえ、彼もアメリカのマスコミも、米-ハイチ関係史や、ハイチ国民が直面している現在の大災害に対する、その影響を探ろうという姿勢は全く見せていない。

それどころか、ハイチ人自身の責任ではないとは言え、数十万人ではないにせよ、数万人もの死亡者を生み出す上で重大な役割を演じた、後進性と貧困が、自然の結果生じた状態であるがごとく描かれている。アメリカ合州国は、寄付金、救助隊、戦艦や海兵隊によって、ハイチを進んで支援しようとしている、私心のない慈善事業家であるかのごとく描かれている。

木曜日、皮肉で不誠実な社説を、ニューヨーク・タイムズはこう始めている。「どこの国においても、災害とされるような、貧困、絶望と機能不全も、ハイチにおいては、日常茶飯事だ。」というような描写で表現され続けている国「ハイチと、世界はまたもや共に泣いている。」

社説は更に続けて言う。「ハイチをみれば、何世代にもわたる悪政と貧困と政治闘争によって、国がどうなってしまうかが、よく分かるだろう。」

ハイチの災害に関する補足説明の記事で、タイムズ紙は、こう書き足している。この国は「数多くの人災で知られている。つまり、極度の貧困、政治的内紛と反乱嗜好。」

簡潔で一層横柄な社説で、ウオール・ストリート・ジャーナルは、「アメリカの勢力圏が、アメリカの善意が及ぶ範囲と重なるのだということを、あらためて思い起こさせてくれるもの」だとして、ワシントンの対地震対策の中でアメリカ軍が果たすであろう主導的な役割を称賛している。

同紙は更に、ハイチ地震と、1994年に南部カリフォルニアを襲い、72人が亡くなった地震との、不愉快な比較を行っている。「違いとは」ジャーナル紙は断言している。「とりわけ、適切な建築基準法の為の経費を負担する余裕がある、富を生み出し、法が支配する社会の機能である。」

言いたいことは明らかだ。ハイチ人だけに、何十万人もの死者、負傷者を生み出した責任があるのだが、それはハイチ人が十分な富を生み出し損ね、法と秩序の尊重に欠けているからだ。

この比較において、意図的に曖昧にされているのは、アメリカ合州国における“富の創出”と、ハイチにおける貧困との間で、一世紀以上にわたって展開した、本当の関係だ。これは、歴史的に虐げられた国家において、アメリカ帝国主義の略奪的権益を追求するための武力行使によって築かれた関係なのだ。

ハイチに海兵隊遠征軍を展開すると報道されている計画を、もしもオバマ政権とペンタゴンがやり遂げれば、貧窮化したこのカリブ海国家のアメリカ軍による占領は、過去95年間で四度目のこととなる。今回は、過去と同様、そのような軍事行動の本質的な狙いは、ハイチ国民を助けるというよりは、アメリカ権益を守り、タイムズ紙が“反乱嗜好”と呼んでいるものから擁護することだろう。

この関係の根源は、トゥーサン・ルーヴェルチュールによって率いられて、成功した奴隷革命と、その後、ナポレオンが派兵したフランス軍の打破のたまものとして、1804年、初めて独立した黒人の共和国、というハイチの誕生にまで遡る。

世界の支配階級は、決してハイチ革命の勝利を許しはしなかった。ハイチの手本が、南部の奴隷制度の州において、同様な反乱を引き起こしかねないことを恐れたアメリカ合州国が率いる世界的な禁輸にハイチはさらされた。南部諸州が離脱し、内戦が勃発してようやくのこと、北部がハイチを承認したのは、独立からほぼ60年もたってからだった。

二十世紀の幕開け以来、ハイチは、ハイチ人レジスタンスに対する血まみれの弾圧を継続することによって、およそ20年間続いた占領を継続するため、海兵隊を派兵し、その権益を守った、ワシントンとアメリカの銀行による支配下に入ることなった。

ニューヨーク・タイムズは、当時、そう呼んだのだが、国内弾圧を専門とする軍隊の設立による、ハイチ国民に対する戦争、つまり“ハイチ化”を実行して、海兵隊は、やっと去った。

その後ワシントンは、1957年に、このパパ・ドクが、権力を掌握して始まった30年間のデュヴァリエ独裁政治を支援した。軍や、恐れられていた秘密警察トントン・マクートの手にかかり、何万人ものハイチ人が亡くなったが、アメリカ帝国主義は、この残忍な独裁国家を、共産主義とカリブ海地域における革命に対する防壁と見なしていた。

デュヴァリエを失脚させた1986年の大衆蜂起以来、歴代アメリカ政府は、民主党も共和党も、市場と、食料も買えないほどの低賃金に惹かれたアメリカ企業による投資と、ハイチ人の支配層エリートの資産と富とを守ることが出来る、信頼のおける属国を再建しようとしてきた。これには、国民の80パーセントを極度の貧困のままに放置する社会経済的秩序へのいかなる挑戦をも阻止することが必要だ。

この努力は、現在も、ビルとヒラリー・クリントンの庇護の下で続けられており、国連のハイチ特別代表も、アメリカ国務長官も、その手はハイチ人の血にまみれている。

ワシントンは二度のクーデターを支援し、過去20年間に二度、アメリカ軍をハイチに派兵した。いずれのクーデターも、一般投票によって選出され、ワシントンの承認無しに、初代のハイチ大統領となった、ジャン・ベルトラン・アリスティドを打倒するために仕組まれたものだ。1991年と2004年のクーデターは、合計で、少なくとも13,000人以上のハイチ国民の命を奪った。2004年のクーデターでは、アリスティドは、アメリカの工作員達によって、無理やり国外退去させられた。

アメリカは、イラクで軍隊が必要だったので、2004年に軍を撤退し、国民弾圧の仕事を、ブラジル軍指揮下にある9,000人の国連平和維持軍に下請けに出した。

国際通貨基金の要求に、アリスティドが降伏し、積極的にワシントンにも妥協しようとしたにもかかわらず、彼が反帝国主義弁舌で彼が集めた大衆の支持のおかげで、彼はワシントンと、ポルトープランス双方の支配層エリートに、忌み嫌われる人物となった。オバマ政権の命令で、彼はハイチへの帰国を禁じられ、彼の政党「ラヴァラの家族」は、事実上、非合法化されたままだ。

これこそが、オバマが言うように、ハイチをアメリカ帝国主義と結びつけている、本当かつ現在も続いている歴史であり、それこそが、地震によってもたらされた修羅場を生み出した、絶望的諸条件の、圧倒的な原因だ。

とはいえ、ハイチにおける悲劇の巨大さが姿を現すにつれ、両者を結びつけ、痛感されつつある他の絆も存在している。公式には50万人以上のハイチ系アメリカ人がアメリカに在住しており、非公式で在住する人々は更に何十万人にものぼるのは確実だ。彼らの存在が、ハイチ人とアメリカ人労働者を団結させる階級的利益と連帯を具体化させる。両方の国家における、貧困と荒廃の諸条件を、そうしたものを生み出した資本主義の自由企業制度と共に一掃することが、彼ら共通の課題なのだ。

Bill Van Auken

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2010/jan2010/pers-j15.shtml

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上記文中「アメリカ帝国主義の略奪的権益」と訳した部分、原文predatory interests。

皆様ご既に存じと思うが、イラク、アフガニスタン、イエメンで、遥か遠く本国でのリモコンで、無辜の民間人を一方的に殺戮している無人飛行機の名、いみじくも「predator」。

predator、和英辞典では、捕食者、肉食動物、略奪者とある。

話題の幹事長を、ブロガーの多くの方々、「ルーヴェルチュール」扱いしておられるように見える。政治に素人の訳者、彼は、むしろ、デュヴァリエにあたる人物と思っていた。ジャン・ベルトラン・アリスティドとも、ほど遠かろう。

「いや、ルーヴェルチュールやアリスティドのような人物だから、排除されようとしているのだ」と言われる方が多そうだ。「しかも、ルーヴェルチュールや、アリスティドとは違って、攻撃を難なく切り抜けてしまうはずだ」とも。

「大会での幹事長発言に対する万雷の拍手」という光景を見ると、頑張って!と思えず、お隣北の国の「議会?」を連想してしまう。民主主義というより、チュチェ体制。あの国だって、実態である「世襲・縁故主義」などとは言わない。まったくわけのわからない、カルト念仏、チュチェ主義やら、先軍主義。アメリカですら「イラクや、アフガニスタン国民の自由のために」戦っている、ことになっている?

「ともあれ、検察の役割は、ハイチに再三介入しつづけるワシントン政権を思わせる」という見立ては、被害妄想と言われようか?

あるいは、「英雄の受難劇」を仕組んで、上演しているのだろうか?これを切り抜け、参議院選挙では、圧倒的な国民の支持を受ける結果を狙って。オレンジならぬオザワ革命?

小沢幹事長はさておき、今になると、田中角栄を、アリスティドやルーヴェルチュールに、検察を、ワシントン政権の手先に擬する見立て、必ずしも全くの見当外れではないように思えてくる。

ハイチ、タイムズ紙によって“反乱嗜好”の国とされているが、この日本、19日は安保条約改定50年。作家目取間俊氏のブログ『海鳴りの底から』のエントリー、「名護市長選挙公示」の末尾には、ハイチのネガのごとき、この国の不思議な“隷属嗜好”が描かれている。国歌というものを唄えなくし、国旗なる旗をかかげられなく、している見るに耐えない“隷属嗜好”が。以下に末尾部分を、引用させて頂く。

今日はまた、午後から名護市内で右翼グループが集会を開き、デモ行進を行っていた。ネット上では全国動員の呼びかけが昨年末から行われていたが、沖縄でヤマトゥンチューが日の丸を掲げて行進すれば、住民がどのような感情を抱くか想像する能力もないのだろう。現職の島袋陣営はさぞかし有り難迷惑だったはずだ。
 デモの参加者は日の丸と星条旗の小旗を振って安保改定50年を祝っていた。沖縄の犠牲を省みず、アメリカの「属国」と化していることを恥じない日本の右翼・保守派の姿は見るに耐えない。

2010年1月17日 (日)

済州島で高まる反基地闘争

Organizing notes

2010年1月11日

私は、どこかを訪問した後には、現地の人々と、彼らが携わっている戦いのことを忘れないようつとめている。10月に、自然のままの珊瑚礁、漁業と柑橘類畑が人々の生活の不可欠な部分となっている、済州島と江汀村を訪問して以来、韓国政府による海軍基地建設計画の動向を、私はしっかりと見守ってきた。

基地建設は、間もなく江汀村で開始されることになっている。現在村人達は、海軍がイージス駆逐艦の母港となるはずの埠頭を作るため、岩や小さな海洋生物を埋めるコンクリートを注ごうとしている、岩だらけの海岸線に沿って、テント村を設営している。韓国とアメリカ艦隊の艦船は、"ミサイル防衛"システムを装備しており、中国の沿岸地域を包囲するのに使われ続けるのは確実だ。現在、平和の島と呼ばれている済州島は、従って主要軍事標的となるだろう。

珊瑚礁は、国連によ、保存すべき重要な環境上の財産であると指定されている。こうした自然の驚異の上に、海軍基地を建設することは、そうした自然が保護されることを保証するわけではあるまい。この小さな漁業と果樹農業をなりわいにする共同社会の伝統的な暮らし方は、深刻な影響を受けるだろう。

昨夜、江汀村村長、姜東均は、基地建設推進の決定に反対するため、済州道庁舎の外で一晩中座り込みをした。私が江汀村を訪ねた際には、姜洞長は、我々代表団を、基地予定地に、詳しく案内し、現地の食堂で我々に夕食をもてなしてくれた。彼が我々と共に行動してくれたのは、それによって、より多くの人々に海軍基地反対運動を知って貰えるであろうこと、そして、韓国内でも国外でも、こうしたひどい計画を止める行動への支援がもりあがることを願っていたためだ。

破壊をしようとしているブルドーザーとの対決で、彼らの抗議活動に熱が入っているのを聞くにつれ、心は彼らのもとへと飛んでいる。この反基地抗議座り込みに参加できたらよいのにと思っている。海軍基地は、地域におけるアメリカ軍の増強を阻止しようという我々の努力に対し、直接的な後ろ向きの影響を与え、究極的には、中国との更なる抗争をひき起こすだろう。

こうしたことを念頭に、アメリカと韓国の政府に、この海軍基地に反対して抗議の声をあげようとしている世界中の組織や個人のリストを作成するつもりだ。この活動の連絡リストに掲載を希望される方々は、小生あてに、皆様の個人名、団体名、国名/都市名をお知らせ願いたい。宛先は、globalnet@mindspring.com

少なくともそれなら我々にもできる。

Bruce Gagnon

記事原文のurl:space4peace.blogspot.com/2010/01/fight-intensifies-on-jeju-island.html

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基地問題、いずこも同じ秋の夕暮れ?

今読み終えた本『北朝鮮で兄は死んだ』の著者、梁英姫という映画監督の両親も、故郷は済州島とあった。彼女が制作した映画『ディア・ピョンヤン』『ソナ、もうひとりの私』というドキュメンタリー、是非みたいものだ。

一番近い隣国とはいえ、言語がわからないので、村長名の漢字もわからない。想像で勝手に置き換えた。正しい漢字をご存じの方がおられたら、ご教示いただきたい。お名前、カタカナやローマ字ではどうもピンとこない。

yamamoto様から、「下記に既に翻訳記事があり、署名活動もされている」旨、コメントにて、ご教示頂いた。(2013・5・22現在ではリンク切れ)

http://www.anatakara.com/petition/call-for-signatures-for-jeju-by-globalnetwork.html

肝心の地名が、Jejuのままであるのが、もったいない気がする。Jejuで、ピンと来る日本人は稀だろう。

ところで、マスコミ報道「検察対幹事長」一辺倒。素人には全く想像外の展開。

2010年1月13日 (水)

大量殺りくの慶賀:戦争と集団的健忘症-Chris Hedgesのコラム

Chris Hedges

2009年10月5日

"Truthdig"

戦争の記念物や博物館は戦争の神様の寺院だ。ひそひそ声、手入れの行き届いた芝生、ひるがえる旗が、どのようにして、なぜアメリカの若者達が死んだのかを、我々が無視することを可能にしてくれる。こうした物は戦争の無益さや浪費を覆い隠してしまう。こうした物が、人殺し道具の残酷さを和らげ、若い兵士や海兵隊員を殺し屋に、ベトナムや、アフガニスタンや、イラクの小さな村々を、地獄のかがり火に変えてしまう。内臓が腹からはみ出し、哀れに母親を求めて叫ぶ人々の姿は、こうした記念物には皆無だ。我々には、ずたずたの死体が遺体袋に押し込まれる様子は見えない。子供たちが見分けがつかないほど焼け焦げたり、恐ろしい痛みで呻いたりする姿は見えない。盲人も、終生足を引きずって歩く、身体に障害を負った人々の姿も決してない。戦争は賛美され、厳重に検閲されてから、集合的に記憶されるようになる。

ジョージ・W・ブッシュと同様、イラクやアフガニスタンでの戦争に関するアメリカの戦争記念物や博物館、大衆向け戦争映画や書物を、私は非難する。新たな戦争を正当化する、心的イメージや歴史的記述を、そうしたものが提供するのだから。我々は、サダム・フセインを、アドルフ・ヒトラーと同一視してしまう。アル・カイダをナチスの悪の表現と見なしてしまう。我々は自分たちを永遠の解放者だと考えてしまう。こうしたいかさま戦争表現は、過去を、現在の視点で再構築してしまうのだ。戦争記念物や、ロマンチックな戦争描写は、新たな戦争を遂行するための心理的条件を生み出すのに使われる、社会、道徳上の小道具なのだ。

戦争記念物は、静寂で、平穏で、うやうやしく、上品だ。そして、教会のように、そうした神聖な場所は重要ではあるが、亡くなった人々が、国家を戦争へと導いた人々によって、利用され、往々にして裏切られたことを、我々が忘れてしまうのを可能にしている。記念物は、一部の連中が、人間のとてつもない苦難をネタに、富を成していることを、我々に教えてはくれない。政治家達が世界大国間のゲームをしていて、自分達の出世のために、恐怖をかきたてていることを、戦争記念物は説明してくれない。パット・ティルマンの家族が不幸にも発見したあの事実、軍服を着た青年男女達は、冷笑家の手中にある将棋の駒であることを、記念物は忘れ去っている。戦争の原動力である、無知や下品な野望や、強欲を、記念物は暴き出しはしない。

第二次世界大戦とホロコーストを巡って見られるように、はぐくまれる集合的記憶には、大量虐殺の恐怖を、人間精神の勝利への賛歌に変えようという、焦がれるような欲求がある。現実が余りに受け入れがたいためだ。人は、大量殺りくというものを理解しようとして、ありもしない壮大さを付与し、犯罪人が自由の身になるのを許してしまう。戦争を起こしながら、決して戦争に対する代償を払おうとはしない連中が、戦争挑発者が、我々の中に混じって生きているのだ。連中は賢明な助言を与える分厚い回顧録を執筆する。彼等は我々の長老政治家であり、戦犯なのだ。ヘンリー・キッシンジャー。ロバート・マクナマラ。ディック・チェイニー。ジョージ・W・ブッシュ。正直な戦争記念物であれば、こうした政治家の人形を絞首刑にして、まつるはずだ。正直なデモクラシーであれば、連中を鉄格子の中に入れておくはずだ。

アウシュビッツを生き抜いたプリーモ・レーヴィは、自ら命を絶つまで、集合的記憶の虚偽と戦っていた。偽りの教訓的な物語をこしらえて、ホロコーストや戦争の真実を隠そうとする人間の欲求に、彼は抗議していた。第三帝国の現代史は「記憶に対する戦争、オーウェル風の記憶改ざん、事実の改ざん、現実の否定としての再読でありうる。」と彼は書いている。「生還した我々」は「自分たちの経験を理解することが、そして他の人々に、私たちの経験を理解させることが」できただろうかと彼はいぶかる。ナチスに代わり、ウッチ・ゲットーを運営していたユダヤ人協力者ハイム・ルムコフスキーについて彼はこう書いている。「私たちは全て、ルムコフスキーの中に映し出されている。彼のあいまいさは、我々のものだ。それは、土と魂からこねあげられた我々ハイブリッドの、第二の天性だ。彼の熱中は、我々の熱中だ。‘鼓笛をもって、地獄へと零落する’西欧文明への熱中は。」我々は、ルムコフスキー同様、「権力と折り合いを付けて、我々が皆ゲットーにいることを、ゲットーが壁に囲まれていることを、ゲットーの外は死に神が支配していることを、そしてすぐそばで列車がまっていることを忘れている」我々は、自壊という狂気の中に、永遠に閉じ込められているのだと、レーヴィは考えていた。息子のケーシーをイラクで失った、シンディー・シーハンの憤激は、レーヴィが感じた憤激だ。だがそれは、我々の大半には理解されえない憤激だ。

戦争の現実を描写するように意図された戦争記念物は、余りに破壊的だろう。そうした記念物は、我々や、悪をなせる我々の能力を糾弾するだろう。犠牲者と加害者の違いは、紙一重の差であることを、自制が外れてしまえば、人類は大量殺人に夢中になり、戦争は、高貴で、英雄的で、壮麗なのではなく、優しく、上品で、寛容なものすべてを抹殺するものであることを示すだろう。国家の偉大さの慶賀は、殺人の為の技術的能力の祝賀であることを、それは物語るだろう。戦争というものは、常に道徳的に堕落しており、第二次世界大戦のように、“良い”戦争においてすら、誰もが戦犯となりうることを、それは警告するだろう。我々は広島と長崎に、原子爆弾を投下した。ナチスは死の収容所を運営した。しかし、こうした戦争の物語は、私たちを不安にさせる。それは、戦争を遂行する連中の権益に役立ち、我々がうぬぼれにうつつを抜かすのを許すような集合的記憶を生み出すことはない。

第二次世界大戦や、セルビアの対ボスニア攻撃が一例だが、時として、ある集団が、戦争に駆り立てられることがある。ある国民が、生存するため、暴力という毒を服用しなければならない時もある。しかし、そうした暴力は、必ず、それを用いた人々を醜くし、損なう。メイン州のトレーラーの中で、飲みすぎて亡くなった私の叔父は、第二次世界大戦中に、南太平洋で四年間戦った。叔父も同じ部隊の兵士たちも、日本人をわざわざ捕虜にしようとは決してしなかった。

記念物の側に引きだされて置かれている、戦争の名残、古い大砲やら、何かの砲類は、子供時代には、物珍しく、心をそそられる対象だった。だが、長老派教会の牧師で、第二次世界大戦中、北アフリカで陸軍軍曹だった父親は、こうした陳列品をみると激怒した。武器や制服を着た人形の、精彩のない、清潔でこぎれいな展示は、戦争の現実を抹殺するために使われているのだと父親は言っていた。こうした記憶は暴力を神聖化する。そうした展示は、戦車、機関銃、ライフル銃や戦闘機といった暴力の道具を、死の美学へと変えるのだ。

こうした記念物は、“究極的な犠牲”となった人々に敬意を表しながら、大量殺りくをおごそかなものにしてしまう。そうしたものは、名誉と栄光という古いウソを永続させてしまう。こうした記念物が、次の地獄絵図の基礎を築くのだ。戦争の神話は、次の戦争を気高いものにする集合的記憶を生み出すのだ。蛮行に関する詳細で個人的な経験は、戦争から帰還した人々を、国内追放してしまう。こうした経験は、神話の力には抗えない。こうした集合的記憶、文化の中に飽和してはいるものの、それは「愚者が、騒音と怒りまみれで語る物語であって、何事をも意味してなどいない。」

注:*NFLのスター選手だったが、あえて陸軍に志願し、アフガニスタンで、味方の誤射で亡くなった。

記事原文のurl:www.truthdig.com/report/item/20091005_celebrating_slaughter_war_and_collective_amnesia/

原文には、「硫黄島で、国旗をかかげようとする米兵」の写真をモチーフにした記念碑の画像がある。

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この記事翻訳、オリジナルに比べ、かなり時間差。

北沢防衛大臣が、武器輸出解禁の話題を持ち出した。

戦争神社だけではなく、戦争用兵器、基地、兵隊製造の為の思想教育といった産業、宗主国に習って、属国でも、不況の中、我が世の春を歌っているのだろうか?

日米で共同開発しているMDや、基地移転問題、思いやり予算、空母建造などといった話題の扱い、極めて小さいか皆無。

「ダムは無駄」、驚くほど定着・刷り込みが完成し、気味が悪いほど。

一方、「基地は無駄」「ミサイル防衛は無駄」といった言葉、全く聞こえてこない。

ダムは無駄でも、人を殺すのが目的ではない。人間にとって、どちらが困りものだろう?

2010年1月10日 (日)

好都合な爆弾策謀

Finian Cunningham

"Gulf Daily News"

2010年1月06日

ナイジェリア人の若者が、デトロイトへの着陸準備中の飛行機で、すんでのところで爆弾に点火する事態を許してしまった治安対策の失敗に関する、ワシントンでの責任のなすり合いは、一体どのようにして、またなぜこの出来事が起きたのかを巡る疑惑をひき起こしている。

オバマ大統領と副官達は、治安対策における"壊滅的"失敗だとして、ペンタゴンとCIAを激しく非難している。しかも、これが実に多くを語っているのだが、 その後、腹を立てたCIA担当者が、爆破犯とされる人物に関する情報を、早くも11月の時点で、ホワイト・ハウスと密接に協力している国土安全保障省に伝えていたことを明らかにした。

ワシントンでの大騒ぎは、アメリカ支配層内部の勢力が、到底信じがたい爆弾策謀に、信ぴょう性のうわべをもたらすためのスケープゴートを探していたことを示唆している。この策謀は、イエメンのアルカイダとつながった、過激派ナイジェリア人が、クリスマスの日に、およそ300人の乗客を殺害する狙いで、アメリカのグローバルな治安・監視をくぐり抜けることに成功した、と我々に信じさせようとするものだ。

今や、イラク、アフガニスタンやパキスタンへの、無駄で破壊的なワシントンによる介入や、ワシントン政府によるプライバシーや公民権侵害に一層批判的になっている、大多数のアメリカ国民の意志に反し、"対テロ戦争"を強化せよという声が上がっている。

特にイエメンへの軍事介入によって、アメリカ政府による新戦線拡大を可能にすべく、アメリカ国民の恐怖と怒りを徐々に強めることが意図されている。

アメリカ政府、あるいは政府内部の闇の勢力は、地政学的戦略を推進するために、自国民の命を犠牲にする、そのように悪質な作戦を実行することがあり得るだろうか?

歴史的な証拠はそれを認めている。「治安上の失敗」とされるものが"正しい戦争"の口実として、アメリカ(あるいは他の政府)によって利用されるのは試験済みの常とう手段だ。

アメリカによる、戦争開始の典型的口実の中には 1898年、キューバ沖での戦艦メイン号の"不可解な"沈没もあるが、これはアメリカ国民を激高させ、米西戦争をひき起こした。戦勝により、アメリカは帝国という地位に出世し、スペインに代わり、南米における覇権を得た。

1941年の日本による真珠湾攻撃もこのパターンだ。2,000人以上のアメリカ兵士の死が、またもやアメリカ世論を激高させ、アメリカの第二次世界大戦参戦を促した。

ところが、日本による"秘密"攻撃が差し迫っていることを、ワシントンは十分承知していたのに、それまで参戦に冷淡だったアメリカ国民の間に参戦気分を盛り上げるべく、起こるにまかせたことを、機密扱いを解除された文書が示している。アメリカは、この戦争の後、西欧の経済・軍事大国として登場する。

1964年のトンキン湾事件も、もう一つの典型的な戦争の口実だ。北ベトナム海軍との戦闘とされるものが、現在はワシントンの機密扱いを解除された文書によって、実際には起こらなかったことが明らかにされているのだが、リンドン・ジョンソン大統領が、ベトナム戦争をエスカレートすることを可能にした。

このごまかしのリストには、9/11テロ攻撃も追加可能かも知れない。この場合には、アルカイダ容疑者だと分かっていた人物達が、アメリカへの入国を許され、パイロットとして訓練を受け、ジャンボ・ジェット機を、ニューヨークのツイン・タワーとペンタゴンに突入させる計画を実行した。どうして、このように大胆な策謀が起こり得たのかに関するアメリカの公式調査は、広く "ごまかし"として批判されており、無数の疑問が、当局や治安機関からの回答がないままになっている。

だが、結果として生じた、アメリカにとっての戦略的利点については議論の余地はない。世界の中でも、将来のエネルギー供給にとってきわめて重要な地域で、アメリカや、世界の世論では、決して受け入れられなかったであろう、国際法のもとでは決して認められないはずであったであろう介入を、戦争をしかけることだ。

つまり、終わりも、信頼に足る目的も、見えぬまま、アメリカ人の若者や無辜の村人たちを殺害し続けている、何兆ドルも費用がかかる戦争に、アメリカ国民がいよいよ、うんざりしているのに、地域戦争をイエメンにまで拡げたいとワシントンが望んでいるまさにその時、実に好都合に、イエメンとつながりがある"クリスマス爆弾策謀"が起きたのだ。これはアメリカの戦争目的に対する贈り物だ。

記事原文のurl:www.gulf-daily-news.com/NewsDetails.aspx?storyid=267937

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真珠湾攻撃のくだりは、計画について報告した1941年1月27日東京発グルー駐日大使電文等について言っているのだろうか?

ロバート・スティネットの本(邦題)『真珠湾の真実』文藝春秋2001年刊は、以前読んだ記憶がある。原作Day of Deceit, The Truth about FDR and Pearl Harbor, Robert B. Stinnett, Chandler Crawford Agency Inc. 2000。

米西戦争、トンキン湾という固有名詞で、下記講演(翻訳記事)を思い出す。

ハワード・ジン「歴史の効用とテロリズムに対する戦争」を語る

2010年1月 8日 (金)

もう一つの愚劣な戦争の遂行に関するグラベル元議員の悲嘆 - Chris Hedgesのコラム

Chris Hedges

2009年12月14日 "Truthdig"

私はアメリカ軍内部で長いこと過ごしたので、一般に知られていない残虐さ、よくある不適格や、人命と納税者のドルを無駄にする浪費能力を十分味わっている。将軍たちの腹黒さや愚かさ、大半の戦争計画の馬鹿らしさ、アメリカ国軍を指揮する大半の連中が理解できる唯一の言語である、暴力への病理的な依存が、アメリカが経済的崩壊に向かう中、アメリカ軍はアメリカの沈滞したデモクラシーにとって最大の脅威となっている。

マスコミ、二大政党と、アメリカのエンタテインメント産業が、アメリカ帝国の絶望的な諸事業を止めようともせず、アメリカという国を内側から空洞化させている1兆ドルの国防関係支出を否定しようともしない中、バラク・オバマは、アメリカの巨大な殺人装置の周囲に巡らされた赤、白と青の旗布に魅了されたままでいる。第二次世界大戦の終結以来、歯止めの利かない軍国主義という疫病が、ペンタゴンの外に滲み出し、今やアメリカを骨の髄までしゃぶりつくしている。これは絶大な帝国にはおなじみの病だ。我々は末期状態にある。アメリカは、明白な脅威などに直面してはいないのに、地球上の他国全てをあわせたより多額の金を、自由に使えるあらゆる支出の半分を、軍に費やしている。

土曜日、元アラスカ選出上院議員を二期つとめ、2008年の大統領候補だった、マイク・グラベルは、ホワイト・ハウスに面するラファイエット公園のベンチに座っていた。グラベルと私は、デニス・クシニッチ下院議員、ラルフ・ネーダー、シンシア・マッキニーや他の反戦活動家達と一緒に、イラクとアフガニスタンでの戦争を糾弾するために、参加者もまばらな集会に参加していた。(http://www.enduswars.org/) アメリカ政治において、彼の意見ほど、首尾一貫し、筋が通り、高潔なものはまれだが、それこそがグラベルが、寒い12月の朝、ホワイト・ハウスの中でなく、正面に、いる理由だ。

「最初から、彼は軍隊に関して、劣等感を持っていたのではないかと思います」陸軍中尉だったグラベルは、大統領についてそう言った。「兵役につかなかった[ビル]クリントンが抱えていたのと同じ問題で、実体験がないためのものです。戦闘に加わる必要はなく、ただ軍に入隊し、兵卒レベルで、軍隊がどれほど機能不全になれるかを、肌で感じるだけで良いのです。だから、そういう経験がなく、当然、魅力的である術を心得ている将軍たちとだけ付き合っていると、苦悩を負わされるのは、軍曹達なのですが、この軍隊に対するオーラを彼は持っているのです。アメリカは、国民を軍国主義文化に適応させてしまったのです。それが軍産複合体を維持しているのですから不幸なことです。」

「そこにオバマが登場したのです」彼は言い足した。「選挙活動の過程で、彼は19人程の将軍や総督に支持されました。こうした連中は[ジョージ・W・]ブッシュを信頼していなかったのです。彼らは、ブッシュの単独覇権主義や、拷問に関する横柄なやり方は、アメリカ軍にとって不利だと認識しています。彼らは自然オバマに引きつけられました。それが彼の考えを変えたのです。彼は自分なら全軍最高司令官になれると思ったのですが、彼には知性がありますから、なれました。しかし彼には不屈の精神はありません。彼には勇気が欠けています。」

残り時間は急速に減りつつある。膨大な緊急救済、緊急経済対策、出血サービスやら短期債務、更に、もはや我々には負担しきれない帝国戦争のおかげで、アメリカは、約5兆ドルの債務を、2010年までに工面すべく、苦闘することになるだろう。するとアメリカ合州国は、週に約960億ドルの借金を競売にかけざるをえなくなるだろう。それは不可避なことなのだが、中国や産油諸国がわが国の債務から逃げ去ってしまえば、連邦準備金制度理事会が、最後の買手になるだろう。おそらく連邦準備金制度理事会は、2兆もの新ドル札を、過去二年間に印刷しており、これだけの新債務を購入するには、更に何兆ドルも印刷することになろう。この時には、インフレーションが、最もありそうなのは、ハイパーインフレーションなのだが、ドルを屑にしてしまうだろう。知的にも、心理的にも経済破たんに無防備の一般大衆が、裏切られ、激怒し、反発し、社会構造をバラバラにし、混沌と暴力が解き放たれ、アメリカの治安機関や軍隊による、より厳しい対策を求める声が強まるだろう。

ブッシュの汚れた政策を推進するのに、オバマはうわべだけの知性偏重を利用している。イラクとアフガニスタンの戦争が、トマス・アキナスや、伝統的なカトリックの「正義の戦争原則」が築いた基準に合致しないにもかかわらず、オスロで、ノーベル賞を受賞した際、大統領は“正しい戦争”理論を語った。彼は、先制攻撃戦争や、継続している軍事占領や、帝国主義の悪を検証することなしに、人間社会の現実を、ブッシュがしたように、黒と白の二極に分類し、悪との戦いについて語った。彼は、変幻自在なテロリスト集団と、隣国を通常兵力で制圧する能力をもった国民国家との違いを無視して、アル・カイダを、ヒトラーになぞらえた。「戦争の手段というのは、平和を保つうえで役割を持っている」とオバマはオスロで主張した。彼は言った。アメリカは「もし必要があれば、一方的に行動し」、その目的が「自衛や、侵略を受けた国の防衛の範囲を超える」戦争をしかける権利があるのだ。オバマの政策は、意気盛んな美辞麗句にもかかわらず、彼の前任者の政策同様、道徳的に破綻している。

「彼と初めて会った時、多少冷笑的な感のある傲岸さを感じました」グラベルは大統領のことをそういった。「今では、冷笑と傲慢が、彼の知性を呑み込んでしまいました。クリントン同様、彼は権力にとりこまれたのです。」

1971年に、軍事アナリストのダニエル・エルズバーグが、秘密のペンタゴン・ペーパーを、ニューヨーク・タイムズに手渡した際に、グラベルが政治家として最も輝いた瞬間がやってきた。同紙は文書の一部を報道したが、それは公式発表とは異なり、困難に陥っている戦争の実態を描き出していた。司法省は素早く、それ以降の報道を禁止し、その内容を暴露した新聞発行者を罰しようとした。グラベルは、ペンタゴン・ペーパーのかなりの部分を読み上げ、連邦議会議事録に残すことで反撃した。彼が勇敢にも、ペーパーをこうして公開したことで、ペーパーの報道再開が可能になったのだった。グラベルはまた、1971年、平時の徴兵を終わらせるため、5カ月間もの議事進行妨害を孤軍奮闘してやってのけ、1973年に徴兵を終了させるよう、ニクソン政権に取引を強いたのだ。彼は、民主党と、その主要候補者達を、大企業、特に兵器産業に仕えているといって厳しく非難した、攻撃的で遠慮ない、2008年大統領選候補者だった。余りずけずけと物言いをするため、民主党指導部によって、予備選挙討論への参加を禁じられてしまった。

「オバマは偉大な大統領になれる好機を逸しました」グラベルは残念がった。「アメリカ人の50パーセント以上が、この戦争には反対なのです。彼は立ち上がって「我々は撤退する」と言えたはずなのです。議会など無視するのです。共和党など無視するのです。タカ派など無視するのです。ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストのような、タカ派の大手マスコミなど無視するのです。アメリカ国民が彼の側についたでしょうから、彼はそうした嵐も乗り切ることができたはずなのです。ところが彼は何をしたでしょう? 彼は[デビッド・]ペトレイアスと、[スタンリー・A・]マクリスタルのリーダーシップに屈して、完全な敗北者のシナリオを採用してしまいました。」

「夜、自分の子供たちを抱きしめる時、ベッドに寝かしつける時、同じような幼い少女が、アフガニスタンにもいて、殺害されたり、手足を失ったりしているのだ、ということを彼は考えなければいけません」グラベルは私に言った。「もしも、彼がそういう考え方が出来ないのであれば、彼の傲慢さには限りがないでしょう。ベトナム戦争の時、私はそれを上院で見ました。人は犯罪の直接性から自分を切り離してしまうのです。彼らは金のために投票します。彼らは政策に投票します。死につつある人々の写真は現実的ではないのです。もしも、あなたが私のとなりに座っていて、爆弾が破裂して、あなたの腕がもぎ取られたなら、現実的でないわけがありません。身の回りの出来事なのです。ロバート・グリーンウォルドの映画“アフガニスタン再考”を見ました。胸が引き裂かれます。ところが、オバマのリーダーシップ下のアメリカは、この犯罪の当事者です。目を閉じてみてください。マスコミの声を聞いみててください。評論家の発言を聞いてみてください。美辞麗句を聞いみててください。またもやベトナムの繰り返しです。アメリカの死活的利益と、ドミノ理論との違いは、一体何でしょう? 我々がアフガニスタンから撤退したとて、我々がベトナムから撤退した時と同じ程度の重みしかないでしょうに。」

「オバマがドーバー[空軍基地]にでかけて柩を見守ったり、アーリントンにでかけて、きびきびした敬礼で、墓にお参りしたりするのにだまされてはいけません。」グラベルは言う。「アドルフ・ヒトラーは、亡くなった兵士たちを名士扱いしました。死ぬことは立派なことだというのは昔からの考え方です。犬死にするのは、立派なことではありません。人々はベトナムで犬死にしたのです。彼らはイラクとアフガニスタンで犬死にしています。そして、バラク・オバマのリーダーシップのおかげで、更に多くの人々が犬死にするでしょう。」

「彼らが我々を憎むのは、我々が自由だからではありません。」イラクとアフガニスタンの武装反抗勢力に触れてグラベルは言った。「彼らが我々を憎むのは、我々が彼らを殺害しているからなのです。」

Chris Hedgesのコラム記事は、Truthdigに毎月曜日に掲載されるが、彼は20年間、海外特派員として、中南米、アフリカ、ヨーロッパと中東での戦争を報道してきた。彼は以下の本を含む9冊の本を書いている。新刊“Empire of Illusion: The End of Literacy and the Triumph of Spectacle”(2009年刊)および“戦争の甘い誘惑”(2003年刊、日本語訳は河出書房新社だが、絶版?)

記事原文のurl:www.truthdig.com/report/print/gravels_lament_fighting_another_dumb_war_20091213/

読みやすさの為『アフガニスタン再考』と勝手に訳した映画、原題Rethink Afganistan。

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翻訳の公開が遅くなったが、時間差に他意はなく、単に、能力の問題。

『アフガニスタン再考』とした映画、原題Rethink Afganistanの公式ウェブはこちら

25ドルでDVDが二枚購入できるという。早速申し込もうと思っている。

著者、神学を学んでから、ジャーナリストとなった人物。

日本でも、神学を学んだ評論家が不思議なほどもてはやされているが、この記事の筆者と違って、イスラエル絶賛派なので、読む気になれない。右から一見左翼風雑誌まで、ひっぱりだこ。彼の記事が掲載された雑誌、購入することもあるが、彼の記事ほとんど読めずにいる。

寄席で良くある芸で、右半身・左半身、別の衣装・メーキャップをした芸人がする、一人二役を見る様な感じで頭が混乱する。もちろん寄席芸なら笑って済ませるだろう。

ハワイで、犯罪の当事者、テロ枢軸国家(正しくは宗主国・属国)外相会談が行われる。結果は...。

武装反抗勢力が我々を憎むのは、我々が彼らを殺害しているからなのだ。

2010年1月 6日 (水)

ウクライナ“オレンジ革命”から五年

Niall Green

2009年12月28日

論争の的となったウクライナ大統領選挙の前代未聞の三回目投票で、2004年12月26日、ヴィクトル・ユシチェンコが勝利した。11月に行われ、彼の敵ヴィクトル・ヤヌコーヴィチが勝者だと宣言した二回目投票の後、何千人もの抗議デモ参加者がキエフの街路に繰り出し、不正選挙の申し立てが広まった後、ウクライナ最高裁が三回目の投票を命じていた。

5年後、ヤヌコーヴィチとユシチェンコは、またもや、来月の大統領選挙に、対抗して立候補することとなった。非常に不人気のユシチェンコは、1回目の投票で、大敗するものと予想されている。2004年の“オレンジ革命”では、ユシチェンコの盟友だったユリア・ティモシェンコは、以来、現大統領の手ごわい敵となっているが、彼女も1月17日の選挙に立候補している。

2004年、ウクライナ国民は、ウクライナ支配層の権益を代表する候補者達からの選択に直面した。彼らの間には、いかなる政綱の差異を見いだせなかったが、これは過去五年間にわたって確認済みの事実で、ユシチェンコ、ティモシェンコとヤヌコーヴィチは、お互いに、政治的なご都合主義のみに従って、連合を形成しては破棄してきた。その間、ウクライナ労働者の社会的位置は急激に悪化した。

2004年、ユシチェンコの大統領への立候補と、その後の、より親ロシア派の候補者ヴィクトル・ヤヌコーヴィチの選挙勝利宣言を、ひっくり返そうとする彼の宣伝活動は、アメリカ合州国に支援されていた。ワシントンは、ユシチェンコを、モスクワの戦略的な立場を弱体化させるという、アメリカの企みの上で、使いやすい手先と見ていたのだ。ウクライナは、欧州連合と、ロシア黒海艦隊を擁している、ウクライナの港クリミアのセヴァストポーリへと向かう、ロシアの主要な天然ガス輸出用経路を提供している。

1990年代、ユシチェンコは、ウクライナ中央銀行の頭取の地位で、結果的に旧国有資産の略奪と、とてつもなく裕福で腐敗した新興財閥エリートの発展をもたらした、旧ソ連経済再構築における主要な事業計画立案者として、ワシントンから注目された。

元大統領レオニード・クチマは、1999年、依然としてロシアと密接につながったウクライナ経済を、親アメリカ・西欧という新方向に向ける“改革者”として、ユシチェンコに首相に任命した。クチマは、テクノクラートのユシチェンコなら、ウクライナと、大規模な金融危機で苦しんでいるロシアとの密接な経済的なつながりによってもたらされた、深刻な景気後退の後、西欧資本との関係を改善できるのではと期待した。

首相時代、ユシチェンコと、石炭、天然ガスや冶金産業に関与していた主要な新興財閥連中との間に大きな亀裂が広がった。ユシチェンコは、ウクライナの産業基盤に外国投資を惹きつけるため、より“自由市場”風の経済施策を好んでいた。主としてウクライナ東部を基盤とする彼の政敵は、見切り価格での民営化から、政治的につながった実業家達に至るまでの再検討を含む政府の計画が、自分たちの産業にたいする支配を危うくするのではないかと恐れたのだ。

ここで、ユシチェンコは、西欧の資本だけに支援されていたのではなく、ライバル達を出し抜く好機を見いだしていた、ウクライナ大企業権益派の一部にも支援されていた。ユシチェンコの副首相で、夫とともに、天然ガス輸出産業で富を築いたユリア・ティモシェンコは、非常に儲かる元国営企業の売り出しを巡り、事業上のライバル達との政治闘争を行っていた。

ウクライナ議会、ヴェルホヴナ・ラーダにおける自分たちの権力を利用して、2001年、東部ウクライナ新興財閥連中は、ユシチェンコとティモシェンコに対する不信任投票を実現した。盟友の実業家達とのあからさまな不和を恐れたクチマに素っ気なくされ、ユシチェンコは、自分がこの大統領の政権からは嫌われており、クチマと彼の取り巻き連中によるウクライナ支配を不快に思っている、西欧とウクライナのブルジョアジーの一部には、寵児であることに気がついた。

これを基盤にして、ユシチェンコとティモシェンコは各々自分の政党「わがウクライナ」と「ユリア・ティモシェンコ連合」をたちあげ、2002議会選挙で相対多数を確保した。

2004年、クチマ大統領の二期目の任期が満了した。憲法上の二期任期という制限があるため、彼は再度立候補ができず、次期大統領として、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチを支持した。ヤヌコーヴィチは、クチマや、1997年から、ユシチェンコに代わり、首相に任命される2001年まで地方政府を率いていた、ウクライナのドネツク工業地帯の新興財閥家族と緊密につながっている。

クチマを引き継ぐ、ヤヌコーヴィチ立候補は、ロシアのウラジーミル・プーチン政権によって支援されていた。クレムリンは、クチマが西欧に言い寄り、アメリカが率いるNATO軍事同盟寄りに動いていたという事実を警戒してはいたものの、ユシチェンコよりは、ヤヌコーヴィチの方を好んでおり、ウクライナのNATO加盟を強く指示する。

ウクライナ大統領へのユシチェンコ立候補は、主に、腐敗したクチマ政権への反対を基盤にして、特に若者と、ウクライナ語を話す同国西部の支持を得た。とはいえ、ユシチェンコは、大半がロシア語話者であるウクライナ東部地域での支持は極めて弱く、ヤヌコーヴィチが優勢だった。この地域の何百万人もの労働者は、ロシアと密接な関係がある産業に依存しており、ユシチェンコの“自由市場”処方箋も、ウクライナ愛国主義という選挙アピールも支持しなかった。

ユシチェンコもヤヌコーヴィチも、2004年10月大統領選挙の一回目投票では、40パーセント以下しか得票できなかった。11月21日に行われた二回目の投票でも、西欧マスコミで広範に繰り返された、反対派による、選挙違反という非難の中で、ヤヌコーヴィチが過半数を得た。

11月の投票後、選挙違反があったとする、ユシチェンコの主張を支持する大衆抗議デモがキエフで行われた。主として若者達からなる抗議デモは、クチマ-ヤヌコーヴィチ政府への敵意と、民主的改革者としてのユシチェンコという思い込みを現していた。

ユシチェンコとティモシェンコは、こうした大衆デモを率いたが、2003年に旧ソ連共和国グルジアでミヘイル・サーカシビリを権力の座に押し上げた、アメリカが支援した“バラ革命”にならって“オレンジ革命”と呼ばれた。

キエフにおけるオレンジ・キャンペーンに対するアメリカ帝国主義の支援は明らかだった。親ユシチェンコ派の学生運動ポーラは、グルジアから来た元サアカシュヴィリ派の様々な活動家達によって訓練され、活動家達が配属されていた。『わがウクライナ』の連中も、アメリカ国務省や、様々なアメリカのNGOから支援を受けていた。

アメリカ政府は、忠実なアメリカ・マスコミと共に、11月投票でのヤヌコーヴィチの勝利を認めず、いんちきをされたとするユシチェンコの主張を無批判に支持し、『わがウクライナ』支持者によって行われたとされている、不正投票に対する主張は無視した。

2005年1月の就任後、ユシチェンコは、2004年に彼を支持した多くの若者たちの幻想を打ち砕いた。彼の政権の反動的政治という性格が明らかになるにつれ、彼の人気も急落し、最近の世論調査では、ユシチェンコ支持率はおよそ3パーセント.

ユシチェンコは、クチマ政権と同様に腐敗した政権を大統領として統轄した。汚職、仲間びいきや、僅かな人数の新興財閥連中の富裕化は、衰えずに続いた。ウクライナの政治は、自分たちの権益を増やし、ライバル達に昔の恨みを晴らすのに、国家権力というてこを利用した、スーパーリッチに支配されたままだ。

ユシチェンコが権力を獲得して以来、ウクライナ労働者の経済的・社会的条件は悪化しており、しかもウクライナ経済は、2008年の金融危機と、それに続く世界不況によってひどく打撃を受けている。ウクライナの工業輸出は急激に落ち込み、金融制度も危機状態のままだ。

世界中の他の国々大半と同様、キエフ政府は、救済措置で、金融業者や実業家には、何十億ドルも渡す一方で、大半のウクライナ人の生活水準は、増加する失業、収入の下落、高いインフレによる貯蓄の目減りで打撃を受けている。

ウクライナが辛うじて破産から免れているのは、ひたすら今年早々の国際通貨基金からの160億ドルを越える緊急融資のおかげだ。国際通貨基金とウクライナ支配層は、この金も、危機から生じた他の損失も、公共支出削減と、ウクライナ労働者の賃金と生活水準を更に引き下げることで、取り戻すことになるだろう。

公式な失業率は、およそ9パーセントだが、失業者の本当の数値はずっと高い可能性がある。政府統計は、新聞ジェーロの調査によると、ウクライナ国内総生産の45パーセントにものぼるという、違法な事業、いわゆる“闇経済”で働く、膨大な数の人々を考慮に入れていない。

ソ連崩壊以来、経済を略奪することによって莫大な富や特権を得たウクライナ・ブルジョワジーには、民主的、社会的改良を支持する政治基盤は皆無であり、彼らは労働者階級からは巨大な深淵でへだてられている。キエフ支配層の顔ぶれこそ変われど、労働者の生活水準に対する攻撃を阻んだり、安定した議会による統治を確立しようとしたりするようなことは一切していない。むしろ、五年前の出来事は、アメリカ帝国主義に支援された、新興財閥達の一派による、ロシア支配層から支援されていたライバル達を犠牲にして、権力を握るためのクーデターだった。ウクライナと西欧のマスコミによる、“選挙違反”に関する訴えや、民主的権利に関する呼びかけは、略奪的な狙いを隠す、単なる大義名分であったに過ぎない。

ロシアやヨーロッパの同胞達と同様の、ウクライナ労働者や若者の社会的、民主的な願望の実現は、社会主義と国際主義的な観点に立った、労働者階級による政治的に独立した運動を通してしか、達成することはできないのだ。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2009/dec2009/ukra-d28.shtml

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上記文中の「来月の大統領選挙」は、翻訳による時差で「今月の大統領選挙」。

「グアム全面移転は不可能」「海兵隊は必要だ」という予想通りの発言が続いている。

そこで上記文章の末尾を以下のように改竄してみた。

東京では支配層の顔ぶれこそ変われど、労働者の生活水準に対する攻撃を阻んだり、安定した議会による統治を確立しようとしたりするようなことは一切していない。むしろ、一年前の選挙は、アメリカ帝国主義に支援された、財閥・政治家達の一派による、かつてアメリカ支配層から支援されていた、ライバル達を犠牲にして、自分たちが権力を握るための茶番だったのだ。マスコミによる、“基地問題”に関する訴えや、地方分権に関する呼びかけは、略奪的な狙いを隠す、単なる大義名分であったに過ぎない。

森田実氏、ブログ記事で「2010年夏に行われる第22回参議院議員選挙で民主党が過半数を得る可能性は低いと予測している。」とかかれている。(森田実の言わねばならぬ【6】2010.1.4(その3))。この予測が的中することを祈るしかなさそうだ。元日、行列が長すぎて、あきらめた氏神様に、早速お参りしなければなるまい。

しかし、皆様がお参りし、お願いした場合、神様・仏様、最終的に一体誰の肩を持つのだろう?

やはり、ここはグローバル経済、新自由主義・市場経済原理にのっとって、お賽銭・寄付が多いほうを支持するのだろうか?

神様・仏様が、大々的に、派遣村活動や、焚き出しや、仮住まい提供をしておられるという話、素人には、あまり聞こえてこない。焚き出しや仮住まい提供をしておられる教会はあるようだが。

立派な神社の立派な賽銭箱をみるにつけ、初詣の膨大なお賽銭、日本の神様・仏様関係者だけでなく、困窮する人間様にも流用できないものだろうか?と思えてくる。

事業見直し、貧乏人からだけでなく「神様・仏様からも税金をいただく」という革命的な策もあって良いのではなかろうか?そうでなければ、貧乏人の小生、「神も仏もあるものか」と、罰当たりな無信心で生きるしかなくなる。

記事をアップする前に、たまたま東京新聞webで、下記記事を読んだ。

12日に日米パネル討論 「同盟深化」の道筋探る

世界最大のテロ国家との付き合い、「深化」だけが選択肢なのだろうか?

不信感を募らせているのは、アメリカ支配層だけでなかろう。どこの国の庶民もそうだろう。

安保条約50年。宗主国と喧嘩をしたいというのではない。戦後64年、属国でありつづけるのではなく、いい加減に「独立したい」という、当たり前の発想。与党・最大野党や公明党の政治家の皆様は、なぜそうした発想をしないのだろう?属国の買弁、それほど居心地がいいのだろうか?

たとえば、松下政経塾卒業生の皆様におかれては、「最大市場をむげにできない」のはわかる。とはいえ、これだけ貧乏人をいじめる政治家を多数輩出排出している企業には貢献したくないものだ。何度も書くが、他に選択肢がある製品、あの会社の製品は買わないことにしている。電球が切れたので、別の会社のLED電球を購入した。

もう一度、われに帰って考えてみた。

「2010年夏に民主党が敗北した時、自民党の出番がくる。」と、森田氏は書いておられる。小泉売国政治を、しっかり清算していない自民党が、そのまま復権するのであれば、宗主国アメリカにおける魔の「二大政党」が、属国日本で、見事に完成しただけのこと、ではないか、と素人は思うものだ。

そうなると、神様・仏様に祈るのは、「今度生まれる機会があれば、是非とも、宗主国なり、属国なりのスーパーリッチ支配階級に生まれ変わりたい。」とした方がよさそうだ。

その場合、わずか5円で、願いがかなうか否かは、死んでみないとわからない。残念ながら皆様へのご報告はできないが、あしからず。

2010年1月 4日 (月)

オーウェルの『2010年』の世界にようこそ

John Pilger

2009年12月30日 "Information Clearing House"

小説『1984年』の中で、ジョージ・オーウェルは、その戦争言語では、嘘が反転して、「過去の歴史、真実とされてしまい、‘過去を支配するものは、未来を支配する。現在を支配するものは、過去を支配する’が党のスローガン」だという、オセアニアと呼ばれる全体主義国家を描いた。

バラク・オバマは現代オセアニアの指導者だ。二十一世紀の十年最後の二つの演説で、ノーベル平和賞受賞者は、平和は、もはや平和ではなく、“アフガニスタンとパキスタンを越え、不安定な地域や、拡散した敵へと遥かに広がる”永久戦争だ、と述べた。彼は、これを“世界の安全”と呼び、我々がアメリカに感謝をするように求めた。アメリカが侵略、占領した、アフガニスタン国民に対しては、機知豊かにも、「我々はあなた方の国を占領することに関心はない。」と言ってのけた。

オセアニアでは、真実と嘘は不可分だ。オバマによると、2001年のアメリカによるアフガニスタン攻撃は、国連安全保障理事会によって承認されている。国連の権限など皆無だったのに。彼は、9/11後“世界”は侵略を支持したのだと述べた、しかし実際には、ギャラップが調査した37ヶ国のうち、わずか三カ国を除く、他の国々は大反対を表明していた。アメリカは、“タリバンが[オサマ]ビン・ラデンの引き渡しを拒否した後、ようやく”アフガニスタンを侵略したのだと彼は語っている。2001年、タリバンは三度にわたり、ビン・ラディンを裁判のために引き渡そうとしたが、それは無視されたのだと、パキスタン軍事政権は報じている。戦争を正当化するための、9/11のオバマによる神秘化すら偽りだ。ツイン・タワーが攻撃される二ヶ月以上も前に、パキスタン外務大臣ニアズ・ナイクは、ブッシュ政権から、アメリカの軍事攻撃が十月中頃までには行われると聞かされていた。クリントン政権が秘かに支援していたカーブルのタリバン政権は、カスピ海への石油とガス・パイプラインを巡るアメリカの支配を保証するのに、もはや十分“安定”しているとは見なされなくなっていた。タリバン政権は打倒されなければならなかったのだ。

オバマの最もずうずうしい嘘は、今日のアフガニスタンが、アルカイダによる対西欧攻撃のための“安全な避難場所”だというものだ。彼の国家安全保障顧問ジェームズ・ジョーンズ将軍自身が、10月、アフガニスタンに、アルカイダは“100人以下”しかいないと語っている。アメリカの諜報機関によると、タリバンの90パーセントは、到底タリバンとは呼べないしろもので、“アメリカが占領軍であるがゆえに、自らを反米と考えている現地部族の武装反抗勢力”なのだ。戦争は、詐欺行為だ。末期的に愚かな連中だけが、オバマ・ブランドの“世界平和”に忠実であり続けている。

ところが表面下に、本格的狙いがある。イラクで、暗殺部隊で功を成した物騒な人物、スタンリー・マクリスタル大将の指揮下、最も貧しい国の一つの占領は、オセアニアの権力が及ぶ範囲を超えた、世界中のこうした“不安定な地域”に対するお手本だ。これは、軍隊、援助団体、心理学者、人類学者、マスコミや広報関係の、金のために働く連中を集めた対ゲリラ・ネットワークで、略語COINとして知られているものだ。人々の心を惹きつけることにまつわる専門用語で覆われてはいるが、狙いは、ある民族集団を他の民族集団と戦わせ、内戦を煽り立てることにある。タジク族とウズベク族、対パシュトゥーン族だ。

アメリカは、これをイラクで実行し、多民族社会を破壊した。アメリカは、かつては交婚していた様々な共同体に賄賂を渡し、共同体間に壁を築き、スンナ派を民族浄化し、イラクから何百万人も追い出した。軍隊に埋め込まれたマスコミは、これを“平和”だと報道し、アメリカ人学者達はワシントンに買収され、ペンタゴンにブリーフィングされた“治安対策専門家連中”がBBCに登場し、良いニュースを広めている。小説『1984年』の中と同様、逆こそ真実なのだ。

これとよく似たものが、アフガニスタンでも計画されている。人々は、アメリカとアヘン取引から資金を得ている部族軍長が支配している“目標地域”の中へ追い込まれている。こうした部族軍長達が蛮行で悪名高いことなどどうでもよい。クリントン時代のある外交官は、“安定した” タリバンが支配するアフガニスタンでの女性虐待について、“我々は彼らと共生できる”と言った。お気に入りの西欧救援組織、技術者や、農業専門家達が、“人道的危機”の世話をし、従属させられた部族の土地を“確保する”のだ。

これは理論だ。この理論は、かつては平和だった社会を、民族的-教派的分断が、一掃したユーゴスラビアでは、一応機能したが、南部の住民を囲い込み、分断し、『タリバン』と同様に、レジスタンスを指すアメリカの包括的な用語である『ベトコン』を打ち破るよう計画された、CIAの“戦略村落計画”は、ベトナムで失敗した。

こうしたことの多くの背後には、イスラエルがいて、イラク・アフガニスタン両方の投機的事業で、アメリカに対し助言をしている。民族浄化、壁の建設、検問所、集団的懲罰や絶えざる監視等々が、パレスチナの大半を先住民から奪うのに成功した、イスラエルによる革新だとして喧伝されている。しかし、こうしたあらゆる苦難にもかかわらず、パレスチナ人は決定的に分断されてはおらず、大きな困難をものともせず、一つの国民として持ちこたえている。

このノーベル平和賞受賞者や、彼の奇妙な将軍達や広報担当者達が、我々に忘れて欲しいと願っているオバマ計画の最も顕著な前触れは、アフガニスタンにおける過去の失敗事例だ。19世紀にはイギリスが、二十世紀にはソ連が、あの不毛な国を、民族浄化によって征服しようと試みたが、ひどい流血の後に撃退された。帝国の墓場が彼らの記念碑だ。民衆の力は、時に不可解ながら、英雄的なことが多いが、雪の下に種を残すのだ。侵略者達はそれを恐れている。

オーウェルは『1984年』で書いている。「この空は、ここで眺めているのと同じように、ユーラシアからでもイースタシアからでも、誰にとっても同じものなのだと思うとひどくおかしかった。しかも空の下に生きる人々は、お互いどれだけ似ていることか、世界じゅう何処でも、自分たちと同じような人間が、…お互いの存在さえ知らず、憎悪と嘘の壁に隔てられていながら、お互いとても似ていて…その心と胃と筋肉は、いつの日か、世界を転覆させる力を蓄えつつある。」

www.johnpilger.com

本記事のリンクはInformation Clearing Houseによるもの。

記事原文のurl:www.informationclearinghouse.info/article24286.htm

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間もなく「BOOK3」が刊行される『1Q84』という本、「BOOK1」「BOOK2」2冊あわせて200万部以上売れているという。読んだことが(読む予定も)ないので、本そのものについて論評する資格は皆無。それでも『1984年』がさほど売れていない状況で『1Q84』が売れているというのは、この国の文化、歪んでいるのではと思わざるを得ない。オーウェル原作の『1984年』が、『1Q84』10分の1ぐらい売れた上で『1Q84』も売れているなら問題は小さかろう。

『1Q84』売り上げ200万部以上という記事を読むと「日本はガラパゴスのような国」と思えてくる。ガラパゴスを非難しているのではない。観光立国は素晴らしいことだ。世界の他の国々と生態系が大きく違っていることが、商売になって、主要産業として、生きてゆけるのであれば、それで全く問題はないだろう。読んでいない本の著者を非難するのではない。買うのは読者の皆様の自己責任。本を論評する雑誌まで出ている。単純に、日本はガラパゴスのような、外界とは隔絶した特殊文化のようだ、と述べているに過ぎない。ただ、日本は、生態系が大きく違っていること、だけを商売にしては、生きてはいけないだろうと思う。

英語を母語とする国々、あるいは英米旧植民地の国々では『1984年』が広く読まれている。いやオーウェル自身が、それほど読者を獲得できると想像していなかったであろうロシア・東欧ですら、現地語に翻訳され、膨大な読者を得ている。おそらく、日本は、数少ない例外だろう。属国国民が、属国であると自覚していない不思議な国。戦争に負けたのだから属国になっても、やむをえまい。悲しいことであっても、恥ずかしいことではないだろう。独立国のふりをするのが恥ずかしいだけのこと。ともあれ英語圏では、オーウェルの『1984年』のような状況、と言っただけで、わかる人はわかる。「だからどうだ」とおっしゃるむきもあるだろう。

英語を母国とする国、具体的には、宗主国では、授業で『1984年』を教えるというのを、どこかで読んだ記憶がある。英語アンチョコ本が売れている様子を見ても本当のようだ。

『1Q84』という本、単なる想像でしかないが、『1984年』ほどの「毒」は、つまり気味が悪いほど未来を予言している部分は、さほどないのではあるまいか?題名をちゃっかり流用しただけで、全く無関係なのかも知れない。

もしも、いわゆる「本歌取り」であれば、読者は、元の歌を知っていてこそ、面白さ・理解は増すだろう。そうでなくとも、『1984年』、外国人との英会話とは言わないが、中身ある会話をするのに『1Q84』より役にたつだろう。『1Q84』をくさしているのではない。『1Q84』には、まだ英訳がないので日本語が堪能な外国人としか話題にはできまい、というだけのこと。「本歌取り」でないのであれば、まぎらわしい迷惑な題名。オーウェルが生きていたら、訴訟ものだろう。

要するに、こうした、無料、無責任、無内容な後記を読まれるより、翻訳版『1984年』をお読みいただくことを切に願っている。『1984年』、決して「楽しい」、「面白い」本というのでない。現在の状況を、60年ほど前に書いてしまっている「気味悪さ」についてお読みいただきたいと申しあげているだけ。誤解の無いようお願いしたい。

日本、特に選挙では「ガラパゴスのような」属国だと、投票権を得る頃から思いつづけている。少数派原住民にはたまらないが、宗主国から見れば、さぞや面白い温室だろう。次回選挙で、民主党が圧勝すれば、政治的ガラパゴスが永久化する。宗主国から見れば面白い実験かも知れないが、属国国民にすれば、過去はナチス・ドイツ、現在はナチス・アメリカで、実験済みのこと。喜んで民主党に投票される皆様、こちらからは閻魔様にしか見えない。何が楽しくて、自らファシズムにのめり込まれるのか、さっぱりわからない。

上記文章の末尾の引用部分、新庄哲夫訳を参考にさせていただいたが、訳書では下記。

旧版(新庄哲夫訳)では、283ページ中央。

新版(高橋和久訳)では、338ページの終わり近く。

そして、「自民党は我々の力で倒した。民主党で世の中、巧く行く」と我が世の春を謳う皆様には、同じジョージ・オーウェルの名作『動物農場』も大いにお勧めしたい。幸い川端康雄氏による新訳も岩波文庫から刊行されている。もちろん、『動物農場』をお読みになって、行動を変えるような読者がおられるはずもないのは承知の上。

2010年1月 1日 (金)

デトロイト航空機テロ事件:陰謀論ならぬ好都合論

Grant Lawrence

2009年12月27日

小生、至る所に陰謀があると考えるほうではないが、良くできた好都合論は大好きだ。デトロイトで、着陸の際に、航空機を爆破しようとした、ウマル・ファルーク・アブドルムタラブによるテロの失敗と同時に生じていることがまさにそれだ。

ここ数ヶ月間、サウジアラビアはイエメンを戦闘機で爆撃している。つい最近アメリカもアルカイダ基地を叩く狙いとされる企てで、イエメン巡航ミサイルを撃ち込んだ。アメリカの戦闘機イエメン攻撃に参加していた。これに応え、アルカイダが、アメリカの攻撃に報復すると、警告を発していたといわれている

デトロイト行き航空機のナイジェリア人テロ容疑者が、イエメンとつながっているらしいことがわかったようだ。あるいは、少なくとも、この容疑者は、彼の爆弾がイエメンで製造されたと自供しているといわれている

アメリカが、イエメンを攻撃する良い理由を必要としているまさにその時に、好都合なことに、理由が一つできたわけだ。この最近のテロの企てよりも前に、アメリカとサウジが攻撃を始めていたことなどどうでも良いのだ。ナイジェリア人がイエメン人テロリストだということだけ、覚えておけば良いのだ。

キャット・スティーブンスや、CIAに批判的な本を書いている人物を許さない搭乗拒否リストが、どうしてこの'ナイジェリア人/イエメン人'テロリストを見逃したのかと疑問に思い始めているむきもある。報道では、このテロ容疑者は監視対象者であり、彼の父親が在ナイジェリア・アメリカ大使館に、自分の息子(未来のテロリスト)が危険人物である可能性を通報していたという。

この監視対象のデトロイト・テロリスト爆弾犯人が、爆弾を身にまとって、飛行機に搭乗することを許されたのを、怪訝に感じている人々もいる。

イエメン攻撃と、そこで、必要だった、アメリカの対テロ戦争拡大を推進するのに役立つ好都合な出来事、何かうさん臭い。

たまたま、好都合なことに、連邦議会の議員達が、テロ戦争を拡張して、イエメンも対象に入れる必要があると要求しているのだ。テロ戦争を大幅に拡張するべきだという最もはっきりした主張をしている人物の一人は、有名な大企業の手先(連中全員そうではあるまいか?) コネチカット州選出のジョー・リーバーマン上院議員だ。

リーバーマンはフォックス・ニューズでこう警告した。「アメリカ政府のある人物が、イエメンの首都サナアで、私にこう言った。イラクは昨日の戦争だった。アフガニスタンは今日の戦争だ。我々が、先制して行動しなければ、イエメンは明日の戦争になるだろう。それが我々が直面している危機だ。」

リーバーマンによれば、政府は既に、対テロ戦争を拡大して、イエメンも対象にする用意ができていたもののようだ。アメリカ合州国による最近のイエメン爆撃が、これを実証している。

私のナイジェリア/イエメン航空機爆撃事件好都合論に関して、是非お話しておきたいことがもう一つある。

愛国者法の一部は、この大みそかに、失効することになっていたのだ。

さて、本当の好都合についての話だ。

愛国者法の、論争の多い部分が、まさに失効するところで、それを延長しようという政治的意志も十分あると言えない時に、イエメンとつながったテロの企てが実際に起きた。

何と好都合なことだろう!

現時点で、我々が言えるのは、デトロイトの未遂テロ攻撃は、余りに好都合過ぎるように見えるということだ。海外においては、対テロ戦争を、アメリカ国内においては、技術的な警察国家を、拡張したがっている政府内の連中にとって、実に好都合なタイミングで、起きている。

だから、私は陰謀論には同意するものではないが、好都合論には同意するものだ。

小生のことを好都合論者とお呼びになって結構だが、好都合な事実に気づいた以上、小生、それに注意を促さざるを得ない。

記事原文のurl:grantlawrence.blogspot.com/2009/12/detroit-airliner-terror-incident.html

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東京新聞TOKYO Webには下記記事がある。実に「好都合」。話がうますぎる。
米機爆破未遂 『米が報復攻撃準備』

911後の、アフガニスタン攻撃や、イラク攻撃を思い出す。
911、テレビで見た瞬間は、恥ずかしながら、ヤラセと気づかなかった。
アフガニスタン攻撃や、イラク攻撃のあわただしさを見て、どう考えても、ヤラセ以外はありえないと推定したのだった。アメリカ侵略史を振り返れば、それ以外の結論はありえない。

この出来事に関するテレビ・新聞の垂れ流し報道を、真に受ける人々、一体どのくらいの比率なのだろう?ニュースを見聞きした瞬間、うさんくさいと思わないだろうか?「チェックを受けるぐらいなら、アメリカ観光などやめよう?」などとは思われないのだろう。仕事で飛行機に搭乗する際、チェックは厳しくなるのだろうか、と出来事の余波が気にはなる。

新聞は事前入稿した宣伝広告ページの山、テレビは取りためた白痴番組と、出身地や出身大学別に夢中になって応援できる運動番組一辺倒。運動番組は、ヴォネガット『猫のゆりかご』のグランファルーンそのまま、お目出度いお約束の世界。

おかげで節電・二酸化炭素排出減少を大いに実践している。

追記:10/01/04

日本大使館が閉鎖したという記事を、新聞で読んだような気がする。どこかであったような、アメリカ・ミサイルによる大使館「誤爆」をさけるには、やむをえないのかもしれない。しかし、サヌアで、サッカー試合は、しっかり行うという。

「わが抱く思想、全て運動神経なきに因するがごとし、木枯らし吹く」

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