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2010年1月30日 (土)

キングの夢を悪夢に変える-Chris Hedgesのコラム

Chris Hedges

2010年1月17日、"Truthdig"

マーティン・ルーサー・キング記念日は、ラディカルな黒人を、愛国的な偶像へと変える例年の儀式となってしまった。この日は、人種差別を"克服し" キングの夢を "実現" した我々を祝う日となった。幼い黒人の子供達と、幼い白人の子供達の、古いビデオ映像が延々と流される日となっているが、アメリカの状態を考えれば、キングなら激怒するだろう。アメリカの偉大な社会改革者の多くは、没後、パワー・エリートに拉致され、アメリカの栄光を讃える無害な小道具に変えられてしまう。キングは、結局、単なる社会主義者ではなく、アメリカ軍国主義に、激しく反対し、特に彼の晩年には、経済的公正なき、人種的公正など茶番であることを、強く意識していた。

「キングの言葉は、1960年代に彼を否定していた人々に、横領されてしまいました」ニューヨークのユニオン神学校で教鞭をとり、『マーティン & マルコム& アメリカ』という本の著者であるジェームズ・コーン教授は語っている。「そこで、彼の誕生日を国の祝日にすることで、彼が生きていた時代には、彼に反対だった人々であっても、誰もが、彼を誇りに思っていると言えるのです。彼らは、キングの「私には夢がある」演説とともに、キングを、1963年の時点で凍結してしまったのです。改竄と誤解の極みです。キングは、セルマの行進とワッツ暴動の後まもなく「彼らは、私の夢を悪夢に変えてしまった。」とも語っています。」

「アメリカの主流文化は、キングによる愛の強調を、正義から、あたかも切り離すことができるかのごとくに喧伝しています。」コーン教授は言う。「キングにとっては、正義が、愛を定義するのです。切り離すことはできません。二つは、おたがい複雑にからみあっています。それだからこそ彼は、感傷的な愛ではなく、アガペ、隣人愛について語っているのです。キングにとって、愛は戦闘的なものでした。不正と対決する、直接行動と、市民的非服従は、社会を癒やすものであるのだから、愛の政治的表現であると、彼は見なしていた。それは、傷も痛みもさらけだす。世の中の主流派は、彼が、貧しい人々に対する正義に、重きをおいていることを、キングによる愛の解釈から切り離したがっていた。しかし、キングにとって、正義と愛は一組のものなのです。」

マルコムXは、支持して欲しいと、白人支配者階級に懇願するのを拒否したがゆえに、彼を体制派の偶像に変えることは不可能だ。それで、彼の人生最後の日々を、キングに収束させた。しかし、この収束で、マルコムXが飼い馴らされたと見るのは、過ちだろう。マルコムは、キングが、マルコムに深く影響を与えたのと同じぐらい、キングに影響を与えていた。この二人はいずれも、その生涯の末期に、人種差別は様々な形をとって現れるものであり、問題は、単に、白人と同じランチのカウンターに座れるかどうかという単純なものではないことを把握していた。北部の黒人は、理論上は、そうすることもできたが、問題は、昼食を食べるお金があるかどうかなのだ。キングもマルコムも、その信仰によって、深く導かれていた。二人は信念体系を忠実に守っていた。一人はキリスト教徒、もう一人は、より厳格な道徳的規範と公正さが要求される、イスラム教徒でした。そして、二人のいずれも、パワーエリートに、身売りしたり、妥協したりしなかったがゆえに、暗殺されたのだ。もしも、キングとマルコムが生存していれば、二人は社会の、のけ者になっていだだろう。

キングは、統合の呼びかけを始めた頃は、勤勉と忍耐によって、豊かな人々も、貧しい人々も、白人でも、黒人でも、アメリカン・ドリームを実現できると主張していた。キングは中流階級の黒人家庭で育ち、良い教育を受け、文化的に洗練されていた。二十代の初めまで、人生は"クリスマスの贈り物"のように包まれていたことを彼は、認めている。彼は素朴に、統合が解答であると考えていた。究極的に、白人の権力構造が、全ての国民に対する公正への必要性を認識してくれると、彼は信じていたのだ。大学教育を受けた黒人階級の大半の人々同様、彼が、共に統合されることを求めた白人の成功に関して、彼は同じ価値体系と先入観を共有していた。

だが、これはマルコムのアメリカではなかった。都市の貧困家庭で育ち、8学年目で退学したマルコムは、里親の家々を行き来し、虐待され、町の通りで、いかがわしい事をして稼ぐようになり、投獄される羽目となった。彼の困難な政治活動の生涯において、彼の人間性や品位が認められたという形跡は皆無だ。彼が知っていた白人は、良心や同情を示さなかった。また生存することが日々の戦いであるゲットーでは、非暴力は当てにできる選択肢ではなかったのだ。

「いや、私はアメリカ人ではない」とマルコムは言った。「私はアメリカ精神の犠牲者たる2200万人の黒人の一人だ。偽装した偽善にしか過ぎない民主主義の犠牲者の一人だ ...。だから、私がここに立って、皆さんにお話しているのは、アメリカ人、あるいは愛国者、あるいは、国旗に敬意を払ったり、国旗を振り回したりする人間としてではない。いや、私はそうではない! 私は、このアメリカの制度の一犠牲者として話している。そして私は、犠牲者の目を通してアメリカを見ている。私には、どのようなアメリカの夢も見えない。私にはアメリカの悪夢が見える!」

キングは、特に、シカゴで陰険な人種差別に直面した後、マルコムの洞察の真価を認めるようになった。彼は間もなく、キリスト教徒に「人の魂に関心を持っているのだと自称しながら、人々を破滅させるスラム街や、人々を不自由にする経済的条件に、関心を持ってはいない、あらゆる宗教は、新たな血を必要としている、精神的に瀕死の宗教です。」と語り始めた。

「キングは、マルコムが、白人について言っていることは正しいと考えはじめたのです」コーン教授はこう語った。「アフリカ系アメリカ人に公正をもたらそうという呼びかけに応えられるような良心を、白人は持ち合わせていないことを、マルコムは、分かっていたのです。彼の人生の末期近くになって、キングは悟ったのです。彼は大半の白人を‘無意識の人種差別主義者'と呼び始めました。」

過去の粗野な人種差別的言葉遣いは、今では無礼だと見なされている。アメリカのスラム地区を駄目にし、20歳から34歳までの黒人男性のうち、9人に1人という驚異的な数が投獄されているアメリカの監獄を満たしている、制度的、経済的人種差別を無視しながら、我々は、平等、機会均等が存在しているようなふりをしているのだ。大学よりも、獄中にいるアフリカ系アメリカ人男性の人数の方が多いのだ。「独房棟が、黒人奴隷の競り売り台と入れ替わった」と、詩人のユセフ・コムニャカは書いている。刑務所や都会のゲットーには、有色人種の人数の方が多いという事実は偶然ではない。経済的、政治的支配をしている連中による、計算ずくの判断なのだ。その多くが、こうした窮乏と権利剥奪の居住地に隔離されて暮らしている、下位の三分の一のアフリカ系アメリカ人にとって、過去数十年間にわたり、ほとんど何も変わらなかったのだ。事実、生活は悪化することが多かった。彼の人生最後の月日、キングは、マルコムの言語を流用し始め、聞き手に、ゲットーは、「国内の植民地主義制度」であることを思い起こさせるようになった。シカゴ自由フェスティバルでの演説で、キングは語っている。「スラム街の目的は、何の力も持たない人々を閉じ込め、彼等の無力さを永続化させることなのです。...スラム街は、その住民達が、政治的に支配され、経済的に搾取され、隔離され、あらゆる機会に屈辱を与えられるままにしておく国内植民地も同然なのです。」主要な問題は経済だとキングは結論づけ、解決策は社会全体の作り直しだった。キングとマルコムが理解していたように、きちんとした教育、安全な近隣地域、仕事、あるいは、最低生活ができるだけの賃金の可能性が皆無なのであれば、生活、自由、幸福の追求は、無意味なスローガンなのだ。キングもマルコムも、永久戦争経済が、人種差別や、アメリカ国内における、そして往々にして外国の貧困の永続化に直接結びついていることを、十分に承知していた。

暗殺される一年前、リバーサイド教会で行った"ベトナムを越えて"と題する演説で、キングは、アメリカのことを"現代世界で、最大の暴力の提供者"と表現したが、これは多くのマーティン・ルーサー キング記念日の祝賀では、決して引用されない言葉だ。晩年における、ベトナム戦争や、経済的不公平に対する、キングの執拗な非難のおかげで、多数の白人リベラルや、彼自身のスタッフ・メンバー達、政治権力構造内部の支持者達が、彼を裏切った。キングもマルコムも、晩年は孤独な人々だった。

「色々な意味で、マルコムのメッセージは、今日一層当てはまるのです」と、解放の黒人神学の本も書いている、コーン教授は語っている。「キングのメッセージは、非暴力、愛と統合という彼の呼びかけに、白人たちが応えてくれることにほとんど全面的に依存していました。彼は前向きな反応を当てにしていました。マルコムは、黒人に自分たちの力を強化するように言ったのです。黒人に、彼はこう言ったのです。「あなた方が、今おられる状況にあることについて、あなた方に責任はないかもしれませんが、もしも脱け出したければ、自分で脱出するしかありません。あなた達をそこに押し込んだ連中は、あなた達をそこから出そうなどとしませんから。' キングは、黒人を助け出してくれるよう、白人に懇願していました。しかし、キングは次第に、アフリカ系アメリカ人は、彼が期待していた程には白人を当てにすることができないということを理解し始めたのです。」

「キングは、黒人の自己嫌悪については語りませんでしたが、マルコムは語りました」コーン教授は言う。「キングは政治的な革命家でした。彼は、アメリカの社会的・政治的生活を変えたのです。もしもキングがいなかったなら、わが国に現在のバラク・オバマは存在しなかったろう。マルコムは、文化の革命家だった。 彼は、社会的、あるいは政治的構造を変えることはしなかったが、彼は、黒人の自分自身に対する考え方を変えました。彼は、黒人の考え方を変えたのです。彼は、黒人が自らを嫌悪している時代に、自らを愛するようにさせたのです。ニグロで有色である、ということから、黒人であることへと変えたのは、マルコムです。大学における黒人研究や、黒人市民権運動家組織などは、マルコムが考えだしたものです。キングは決して、黒人研究をしようとはしませんでした。彼は、モーアハウス大学で、社会・政治哲学者に関する講義をしていましたが、講義で黒人を扱うことはありませんでした。彼は、市民権運動指導者のW. E. B. デュボイスや、奴隷廃止運動指導者のフレデリック・ダグラスには触れませんでした。彼らの一人たりとも。彼はプラトンやアリストテレスのような白人のことだけを講義したのです。マルコムは黒人が自らを愛することを促進したのです。」

キングもマルコムも、中東で帝国主義戦争を遂行するのに3兆ドルを費やし、自らの国内の貧しい人々を見捨てながら、ウオール・ストリートの銀行の口座を穴埋めするのに、更に何兆ドルも使う国家を、激しく非難したに違いない。二人なら、金持ちのエリートの権益に、卑屈に奉仕する政党を支持しながら、貧しい人々のための正義について、陳腐な言葉を口にするリベラル派を、激しく非難したに違いない。この二人のアメリカ人預言者は、妥協することが必要になるような何物も持たない人々に成り代わって語っていた。それゆえにこそ、二人は妥協しなかったのだ。

「人の背中を23センチ刺してから、15センチ分引き抜いて、それを進歩だということなどできない」とマルコムは言った。

エベネゼル・バプティスト教会における最後の説法の一つで、「私は、これから私がしようとすることを決めました」とキングは説教した。「...ミシシッピー[でも]、ベトナムでも、私は決して誰も殺しはしません。もうこれ以上、戦争についての研究はしません。いいですか?私の発言を誰が嫌おうが、私はかまいません。社説で誰が私を批判しようが、私はかまいません。どんな白人や黒人が、私を批判しようが、私はかまいません。私は最善に固執するつもりです。ある種の態度について、臆病な連中は質問します。‘それは安全だろうか?' ご都合主義者連中は質問します。‘それは適切だろうか?' うぬぼれた連中は質問します。‘それは受けるだろうか?' しかし、良心的な人々は質問するのです。「それは正しいだろうか?」そして、イエス・キリストの真の信奉者であれば、安全だとか、適切だとか、受けるといった立場ではなく、それが「正しい」がゆえに、ある立場をとらなければならない時がやってきます。 時折、私たちは、それについて歌っているではありませんか。‘もしもあなたが正しければ、神はあなたと共に戦いたもう。' この邪悪な時代、私は最善に固執しつづけます。」

Truthdigに毎週月曜にコラムを掲載している、Chris Hedgesは、20年間、特派員として中米、アフリカ、ヨーロッパ、中東における戦争を報道。ニューヨーク・タイムズの中東支局長として、8年勤務し、テロ報道に対し、2002年ピューリッツァー解説報道賞を共同受賞した。2002年アムネスティー・インターナショナルの人権ジャーナリズム・グローバル賞も受賞。

c 2010 TruthDig.com

記事原文のurl:www.truthdig.com/report/item/turning_kings_dream_into_a_nightmare_20100117/

マーティン・ルーサー・キング記念日は、彼の誕生日1月15日に近い、1月第3月曜日。

27日にハワード・ジンが亡くなった。夕刊に記事が幅3センチ程度掲載された。

同日に亡くなっていたサリンジャーの死亡記事、その10倍以上の長さはあった。

余りの対照に、アプトン・シンクレアの『真鍮の貞操切符』にあるクリスマスの手紙 「百万長者対貧乏作家」を思い出した。

そういうものだ。

マルコムXの「私はアメリカ人ではない」の演説(翻訳)は、アメリカの黒人演説集 荒このみ編訳 岩波文庫白26-1で読める。
投票権か弾丸か 1964.4.3
オハイオ州クリーブランドのコリー・メソディスト教会
引用部分は、同書291ページ。上記の翻訳は、いい加減な拙訳。

ハワード・ジン記事翻訳リストは下記の通り。

戦争と平和賞
帝国か博愛か? 学校では教えてくれなかったアメリカ帝国のこと
ハワード・ジン: 帝国の終焉?(「民衆のアメリカ史」コミック版によせて)
ハワード・ジン、「まがいものの」戦争を終わらせようと再度の呼びかけ
ハワード・ジン「歴史の効用とテロリズムに対する戦争」を語る

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