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2009年12月30日 (水)

ホンジュラス: 決しておきなかったクーデター

Tyler Shipley

Socialist Project

“マスコミが沈黙した時、壁が語る。”テグシガルパの落書き

現時点で、ホンジュラスの首都への訪問者が、一番強い印象を受けるのは、壁、塀、岩肌、橋、外れた羽目板、廃墟、そして歩道のコンクリートにまで描かれている、6月28日のゴルペ・デ・エスタド(クーデター)以来、噴出した社会的・政治的対立の激しさだ。国際マスコミの記事が不明瞭で誤報でも、ホンジュラスの状況は、ここにいる人々には一目瞭然だ。テグシガルパ中をタクシーでざっと走り回るだけでわかる。

 

2009年11月26日

テグシガルパ、いや国中が政治的な落書きに覆われている。'万事順調'という、国際マスコミの報道にもかかわらず、この国が激しい政治闘争と、弾圧のさなかにあることを認識するまで、そう長くはかからない。

ホンジュラスは、一握りの10から15の裕福な家族によって、長らく支配されている。この国の誰もが彼らの名前を知っている。ファクッセ、フェラッリ、ミチェレッティ、そして今や、連中は、ゴルピスタ(クーデター支持者)やアセシーノ(暗殺者)への非難と並んで、至る所の壁に殴り書きされている。こうした寡頭政治家連中は、かつては、経済を支配し、政治家を買収することで満足していたものだが、今では自分たちで、直接、政治を支配したがり始めており、連中の名前は、議会、最高裁、更には行政府にまで益々登場するようになっている。

この状況の中、クーデターという言葉の定義に完全に合致する出来事が、ホンジュラスのエリート層と、その外国の同盟者達によって、合憲的な権力の移行であるかのごとく、書き直されつつある。憲法改訂を再開することに関する、拘束力のない国民投票を行うはずの朝、民主的に選出された大統領が、パジャマ姿で、自宅から拉致され、飛行機で国外に追放されたことなどどうでもよいのだ。憲法を改訂する運動が、ごく少数による、多数に対する、何十年にもわたる、無競争の支配を打ち破り、国をより公平な方向へと、再建したいと望む社会運動によって、推し進められていたことなどどうでもよいのだ。マヌエル・セラヤ大統領の唯一の逸脱が、寡頭政治勢力にへつらい、彼らの権益に役立つように書かれた憲法の改変に、決して同意しない議会や最高裁を振り切り、彼が国民に直接訴えたことにあることなど、どうでもよいのだ。

こうした詳細は、重要ではないのだと、クーデター支持者は言う。そうではなく、連中は話を、セラヤは、ベネズエラ大統領ウゴ・チャベス(彼はこの論理によれば、生来、悪だ)の手先であるという方向にすりかえ、セラヤは、終身大統領になろうとして、憲法の改変を意図したのだと主張する。彼らのお話はこうだ。デモクラシーを維持すべく、議会と最高裁は、合法的手続きにより、選挙で選ばれた大統領の排除をすすめ、新たな選挙が行われるまで、彼を置き換えた。こうした話が 明白な嘘であるにもかかわらず、かとう政治権力が、この数十年で初めて、脅かされていると感じた再確立しようとする手順に正統性を与えようというねらいから、国際マスコミによって取り上げられ、うんざりするほど繰り返されている。

米戦艦ホンジュラス号

現在、ホンジュラスで危機にさらされており、寡頭政治家連中が、6月に、クーデターを実行するという危険な判断の火付け役となった、中心的課題は、憲法を書き換えるための特筆すべき会議、憲法制定会議を求める、ホンジュラス社会運動側の益々断固とした主張なのだ。実際、まさにこの問題こそがクーデターの朝、拘束力がない国民投票にかけられるはずであり、国民はこの考えを、圧倒的に支持するだろうことが予期されていた。他の多くの中南米諸国と同様、ホンジュラスの基本法は、アメリカの冷戦帝国主義や、現地の買弁・準ファシストに支配されていた時期に作られた。他の数多くの悲劇の中でも、オペレーション・コンドルやアメリカ陸軍米州学校の時代から受け継いだものは、少数派エリートによるホンジュラスの支配継続を保証する、法的、政治的構造であり、うってつけの事例研究になるだろう。

実際、現行のホンジュラス憲法は、ホンジュラスが、‘米軍艦ホンジュラス号’というあだ名をつけられていた時期である1982年に裁可されたものだ。1970年代に、ホンジュラスで、最も成功したレジスタンス集団は、ホンジュラス農民全国連合(FENACH)と呼ばれるものだが、ニカラグアのサンディニスタが作り上げた強さを作り上げることもできず、グアテマラやエルサルバドルでのゲリラによる限定された抵抗のようなものすら実現できなかった。その結果、ホンジュラスは、アメリカの諸作戦にとって、中米における申し分のない基地となり、事実、他の無数の介入や、テロ作戦とともに、ニカラグアに対するコントラ戦争は、テグシガルパのすぐ郊外にあるパルメロラの米軍基地から遂行された。

18の軍事基地に加え、10,000人の米軍兵士を駐留させており、1980年から84年までの間、アメリカは、ホンジュラス軍に、1億ドル以上も支援していた。この軍隊と財界エリートに注がれた、資金注入と技術援助は、テグシガルパの寡頭政治家の力を強化し、貧困、不平等や、政治的弾圧の劇的な増加をひき起こした。1982年憲法は、何十年間もの軍事独裁の後、ホンジュラスが、主に、貧しく、装備が貧弱なゲリラ軍や、その支持者達に対するテロ作戦に特化した、我々が今‘対テロ作戦’と呼ぶものの訓練を受けた、兵士15,000人以上の、アメリカに率いられた準軍事的コントラ勢力の基地だった時代に作られた。その当時、Joan Kruckewittによると、「譲歩と改革ではなく、弾圧を用いるのが、当たり前のことで」、「アメリカが率いた軍事化の時代から、自制させるための、行き過ぎを抑え、均衡をとる仕組みもほとんどないまま、軍はホンジュラスで最も強力な部門となった。」[1] 実際、新憲法が起草され、裁可され、政治法規として制定されるまで、1981年から84年までの間、軍は、214件の政治的暗殺、110件の‘行方不明’と、1,947件の違法な勾留をおこなった。

そうした文脈からすれば、1982年憲法が、ホンジュラス社会の最エリート層以外の、誰かを‘代表している’などと言うのは、明白にバカげている。ホンジュラスの圧倒的多数の国民は、悲惨な貧困の中、自国の兵士と警察に対する絶え間ない恐怖をもって暮らしていたのだ。しかし、中南米の政治情勢が変化するにつれ、政治的束縛から解放するような諸プロジェクトの為の新たな機会が出現し、ホンジュラス人は、自分達の思う通りに、国を再建する必要性をますます強く主張するようになった。労働組合、人権、農民団体を中心とする社会運動が、ホンジュラス市民社会の様々な層の人々を、次第に大規模な変革を求める広範な運動に引きつけるようになり、2005年から2008年までの間、マヌエル“メル”セラヤ大統領の下で最大の成功を収めていた。

6月28日と民主主義の終焉

おそらく、6月28日について、最も興味深いのは、メル・セラヤを、ホンジュラスの名物男にしたてあげたやり方だ。彼は2005年に、急進的行動などとは無縁な二大政党の一つ、自由党の議員として、大統領に選ばれた。セラヤ自身の背景は、寡頭政治勢力中の若手会員で、南部の裕福な農場主で、彼の長い政治経歴上、ホンジュラス政治の標準的保守主義から逸脱するような兆しは皆無だった。実際、セラヤと、クーデター後、暫定大統領として登場した、極端に不人気な人物、ロベルト・ミチェレッティのような連中との唯一の違いは、彼が社会改革運動の人気が高まりつつあることを認識していた点だ。彼の、最低賃金を引き上げるという決断、外国の鉱業権を一時停止する宣言、そして、経口避妊薬を禁じる法律を拒否したことは、彼の意図がどれほど高貴であったかとは無関係な、単なる彼自身の急進的な精神の表明ではなかった。

そうではなく、セラヤは、抜け目ないやり方で、まぎれもなく積極的に、彼がその支持を依拠している国民に、彼をお気に入りであり続けさせた政治的決定を、実行していたのだ。実際、彼が憲法制定会議を支持した後、自由党の支持者達から離れて以降、彼は次第にこの支持に依存するようになっていた。しかし、セラヤは、6月28日迄は、ホンジュラスにおける社会運動の為の目的を達成するための手段にしか過ぎない、大衆政治の示威運動に適応性があることが証明された政治家だった。憲法制定会議に対する彼の支持は、彼が行った最も重要な動きだったが、実際、彼は現行憲法に正当な配慮をしながら事を進めており、クーデター以来、あらゆるAPニュース放送で繰り返されているが、セラヤにもう一期の任期を認める可能性すら決してありはしなかった。

手順は以下のように行われるはずだった。6月28日、ホンジュラス人は、11月29日に予定されていた総選挙に、四つ目の投票を追加することを支持するかどうかについて、拘束力のない国民投票をすることになっていた。通常、ホンジュラス選挙は、政府の三段階それぞれに対応する、三種類の投票を特徴としている。もしも国民投票の結果、‘イエス’が圧倒的であれば、セラヤは“憲法を書き直すための、全国憲法制定会議設立を支持しますか?”という質問をする四番目の投票を追加していただろう。従って、11月29日選挙前に、憲法を変更することはほぼ不可能であり、おそらくセラヤは再選に立候補することも不可能だった。しかもその選挙のための予備選挙は既に行われており、やはりセラヤの名前は提案されておらず、たとえ彼がそれを望んでも、それは違法だった。

セラヤは、権力の地位に留まるために、手続きを操るつもりだった等という考えは、明白に、とんでもないことだ。しかし寡頭政治家連中だらけのホンジュラス議会は、憲法論議の再開は、自分たちが権力を掌握し続けることに対する、本当の脅威だと感じ、この考えの受け入れを拒否した。セラヤは、それに応えて、国民に直接呼びかけた。これはそもそも、彼を権力の座に据えたホンジュラス式議会制民主主義の正当性を言外のうちに拒否するものであったが、彼はもしも国民がそれを望むのであれば、憲法制定会議を進めると誓っていた。

もちろん、初めての、拘束力のない投票が行われるはずだった日の朝、セラヤが軍によって拉致され、コスタリカに飛行機で連れてゆかれたため、この手順は決して先には進まなかった。ロベルト・ミチェレッティが暫定大統領に就任し、国民投票は取り消された。 あの朝の劇的な映像では、人々が投票に行こうと、朝早い時間に外出して、街路で軍隊に出会った。憤激は失望へと変わり、それが更に、このあからさまに威圧的な大衆意志に対する攻撃に抵抗しようという、絶対的な決意へと向けられた。クーデター直後に、デモが勃発したのに、クーデター支持者政権は、それがわずか数日間しか続くまいと予想した。セラヤとは違い、彼らはホンジュラス人の改革運動の力と熱意を見くびっていたのだ。

レシステンシア!

“ホンジュラス人が、普段とても温和なことを大変誇りに思いますが、私たちが、とうとう立ち上がったことを、更に誇りに思います。”-フチアパの事務員、ロサ・マイダ・マルチネス。

続いて起きたのは、中米の歴史上で最大の、持続する抗議デモだ。156日間連続で、ホンジュラス人は、テグシガルパ街頭でデモを繰り広げた。参加者の人数は、何と数十万人という莫大なものから、少ないとはいえ、大したものの数千人というの間を上下したが、それが11月29日の‘選挙’当日まで抗議デモをしたのだ。予想通り、彼らは、広範囲で、暴力的な弾圧を受けた。6月から11月迄の間に、政治的暴力で33人が殺害され、更に何百人もが、勾留され、暴行され、拉致され、強姦され、あるいは他のやり方で、一層軍国化した国家機構によって迫害されている。9月、セラヤ大統領が帰国し、ブラジル大使館に避難し、いまだに彼はそこに留まっており、ブラジル領土から出た瞬間に彼を逮捕するよう命じられた警官に包囲されている。

 

2009年11月29日 - 南部の都市フティアパでは、地域の社会が、軍と警察によって恫喝されることを拒否した。彼らによる拉致や勾留、暴行や殺害の脅迫、絶え間ないテロ作戦にもかかわらず、町の大通りに、クーデターと選挙への反対を宣言する横断幕を掛けた。わずか数街区先には、警官隊が配備されているのを知りながら、自分たちの横断幕の下で、彼らは歓声を上げて写真のポーズを取っていた。

レジスタンスの特徴については、この場で書ける分量より、書かれるべきことは、はるかに多い。当面は、クーデターが、そうでなければ、諸組織のばらばらだった集団を、広範な連合、フレンテ・ポプラール・ナシオナル・デ・レシステンシア(全国人民抵抗戦線)へとまとまらせるという、意図せぬ結果を生み出したことを言っておけば十分だろう。この組織は、ホンジュラスで、最も重要な大衆組織となった。そのメンバーは、主に最も貧しい階級の労働者や農民達だが、教師、弁護士、医師、左翼-リベラル政治家や公務員等を含む、比較的少数の‘中流’階級からも集まっている。彼らは現地の人権団体や、外国NGOとも、密接に協力して活動をしているが、フレンテは、チャベスが送り出した、面倒を起こすプロの連中や社会主義者の一団だという、(マスコミや政府による)特徴付けにもかかわらず、彼らは、外国からの協力者(彼らの意図は何であれ)からは、完全な自立を維持している。

抗議デモは、テグシガルパだけに限られてはいない。ホンジュラスで二番目の大都市、サンペドロスーラは、工業の中心地であり、外国企業が所有するホンジュラス・マキラドーラ式生産の中心点だ。11月29日‘選挙’当日のものを含め、抗議参加者は、そこで定期的にデモに繰り出した。デモ抗議は、催涙ガスやゴム弾で弾圧され、ブラジルから来たロイターのカメラマンを含む何十人もの人々が負傷した。更に、地方のホンジュラス人はレジスタンスに積極的で、道路を封鎖し、情報を配り、政府省庁の外で、デモ抗議をした。クーデター反対の大きな運動が起きなかったのは、ホンジュラスでも極一部の地域だけで、主に、外国資本所有のリゾート・ホテル(その多くはカナダ)が点在し、そのホテルによって、政治的に支配されている、北部沖の熱帯諸島地域、ロアタンと、ベイ・アイランドだ。

島々と住民の大半を、個人的利益の道具と化した、外国と現地のエリートは、クーデターを最も強力に支持していた。できる限り至る所、特にインターネット・ニュース・サイトで、連中は、誤解をさせるような、あるいは、良くてもせいぜい、故意に馬鹿らしい反セラヤのほらを、送り出していた。私自身の報告も、終始、攻撃されており、ある場合には、私を殺すとまで脅された。こうした攻撃の最もありそうな動機は、教育、住宅、医療や他の社会計画等の支援を強化すること通した再配分をする目的のため、彼らの利益の取り分を、国家に戻すであろう税制改革を、社会運動が主張していることだ。外国所有の企業は、ほとんど全く無税の環境で現在操業しているが、これは憲法制定会議の支持者達が、正したいと願っている、多くの不満の一つだ。

国家テロ再登場

    “私の場合は、警察に知られていますから、連中は私になんでもできるでしょう。同志たちと、新しい家に引っ越すことを考えましたが、これは良い考えだと思われますか?” COFADEH代表との会議におけるレジスタンスのメンバー、ロスネル・ジョヴァニ・レィェス発言。2009年11月28日。

だが、クーデター支持者とその受益者達は団結し、この手続きを、無期限に妨害することを固く決心した。レジスタンスに対する弾圧は、凶暴で、徹底している。ホンジュラス行方不明者・抑留者家族委員会(COFADEH)等の人権団体は、6月28日以来、残虐行為の詳細な記録をすべく、休むことなく活動してきた。彼らの報告は、当然のことながら、無視されている。彼らが記録した国家テロ作戦は、ここに再現するには余りに広範囲なのだが、彼らは非常に役に立つ要約を11月28日の報告にまとめている。ホンジュラスにおける五つの主要人権団体が作成したこの報告は、‘選挙’前日、クーデターと国家テロという文脈の中では、選挙は公正で自由たりえないという理由から、選挙無効を要求する正式な訴状としてトリブナル・スプレモ・エレクトラル(TSE)=最高選挙裁判所に提出された。

「重大かつ計画的な人権侵害という状況の中で(こうした選挙が行われている)。クーデターの日以来、33件の、暴力的で政治的理由の死亡、拷問、残虐で非人道的な、名誉を傷つける扱い、性的暴力や、結社、集会、表現、意見の自由への制限等々を記録している。」[2]

この暴力行為を犯している連中が、公正な選挙を行う責任を負っていると考えられている連中と全く同じであることからして、こうした状況下で選挙を行うことなど馬鹿げていると彼らは主張している。彼らはまた最も世間の耳目を集めている弾圧事例のいくつかも記録している。社会運動のメンバーで、元々独立派の大統領候補者カルロス・H・レィェスは、平和的なデモの最中、警官に激しく殴られて、入院した。レジスタンスに共感している有名な自由党議員ウリセス・サルミエントは、オランチョ州の自宅を、自動小銃を持った兵士達に荒らされた。副知事候補のエリセオ・ヘルナンデス・フアレスは暗殺された。

はたして、暴力行為は、知名度の高い政治家だけに限られてはいなかった。レジスタンスのメンバーである、ヴィクトル・コラレス・メヒアと息子は、選挙前日の夜に自宅で逮捕され、暴行を受けた。警察が自宅にやってきて、警棒でヴィクトルの頭と背中をなぐり、殺すぞと脅した。「連中は家のドアを蹴破り、私をトウモロコシ袋のように放り出しました。連中は我々を恫喝したかったのです」彼は言った。「しかし、民主主義に対する我々の念願は、連中よりも、強いのです。」教師、農民や女性や、先住民権利運動家達が率いるレジスタンスが盛んなコマヤグアでは、選挙の邪魔をする連中は、誰であれ、氏名と住所を軍に通報すると、知事が脅した。実際、軍は国中の全ての知事に、そのようなリストを要求する手紙を、選挙の一ヶ月前に送付していた。その間、国家機構の手下どもが、勇敢にもクーデターに反対の声をあげた、数少ないマスコミの一つ、ラディオ・グロボのオーナー、アレハンドロ・ビジャトロを射撃し、同局が放送に使っていたコンピューターを奪った。

実際、ラディオ・グロボは、数ヶ月の弾圧の後、その時点では、もっぱら、秘密の場所からのオンライン放送に頼っていた。マスコミの中でも、クーデター以来、ラディオ・グロボは、ラディオ・プログレソや、ラディオ・ウノ、テレビ局カナル36や、新聞エル・リベルタドール等とともに、執拗な弾圧にさらされてきた。カナル36のように、機器を破壊され、電波を妨害され、事務所は略奪され、編集者達が暗殺されて、完全に閉鎖したものもある。直接にはレジスタンスに関係していない団体すら、加害者は刑事免責状態のまま、標的にされている。小農が作物を販売するのを助け、農民と社会運動の間のネットワークを築くことを目指した教育キャンペーンを行っている農民組織レド・コマルは、各地の事務所を襲撃され、コンピューターと金が盗まれ、従業員は打擲された。ミグエル・団体の理事長アロンゾ・マシアスは、私に説明してくれた。「私たちは、人々に、なぜ貧しいのかを教えています。そのために、我々は脅威なわけです。」

クーデターの粉飾

“クーデター政権の選挙にノーを! ホンジュラスの自由な男女の皆さん、連中はあなたの投票をクーデターの正当化に利用したいのです。あなたの一票が、あなたの自由への打撃なのです。” - レシステンシアのポスター

上述の状況からして、11月29日の‘出来事’を、自由あるいは公正な選挙だと、本気で主張できる人がいるだろうことなど想像するのも困難だ。投票日に、フレンテは、ホンジュラス国民に、自宅にこもって、ラ・ファルサ(茶番)をボイコットするよう呼びかけた。そして、それがまさに起きたのだ? いつもなら、二大政党を示す赤や青の旗だらけの、にぎやかな街頭パーティの日、ホンジュラスは、ひっそり静まり返っていた。ほとんどの投票所では、軍隊と警官の人数の方が、一般市民より多かった。TSE自身、人口約800万人、460万人の有権者の国で、わずかにおよそ170万人しか投票しなかったことを認めている。すると、およそ35%の投票率となり、80年代初期の軍事独裁の終焉以来、最低だ。不可解にも、11月29日夜、TSEは、60%という推定投票率を発表し、これがほとんど全ての国際ニュース・ソースで繰り返される数値となった。アメリカ合州国のフォックス・ニューズは例外の一つで、70%という馬鹿げた数値を報道した。一体どこからこの数字が出たのか、誰も説明できていない。

選挙から数日後、リアル・ニューズのビデオ・ジャーナリスト、ジェシー・フリーストーンが、TSE本部に入り込むことに成功し、ホンジュラス国民が選挙をボイコットしなかったという幻想を生み出すために仕組まれた、投票総計の詐欺的報告を記録した、ビデオを制作した。このドキュメントは、こうした選挙を、いかなる意味でも、合法的なものとして認めてはならないということを、国際社会に対し、実証する上で重要だ。だが、選挙が行われるずっと以前から、それがいんちきだろうことを知っており、11月29日にその知見を確認したホンジュラス人自身には全く不必要だ。人権団体は、その11月28日の文書で以下のように説明している。

「信頼できる選挙の実行は、高度な技術の導入、国際監視団、あるいは、正式な手続き厳密な順守だけに、かかっているわけではない。候補者も有権者も、暗殺、拷問、勾留や、監禁の恐れ無しに、絶対的に平等な状況の中で、自分たちの意見を公然と表現できるという、完全な自由の雰囲気から生み出される、選挙前の公平な手続きがあったということを確認できる必要がある。」[3]

実際に、元USAID職員で、共和党選挙資金活動家で、ワシントンから、選挙手順を正当化するために派遣された選挙監視人である、エドワード・フォックスと行ったインタビューが、11月29日のために、ホンジュラスまででかけたほとんどの団体が、投票所から離れたところで、何が起きているのかを調べるのに関心がなかったことをはっきりし現していた。12月1日、マイアミ国際空港で、カメラの前で話した際、人権侵害“とされるもの”など全く知らない、とフォックスは主張し、そうした団体の一つとして指摘することもできないくせに、暴力行為を記録している団体への疑念を投げかけた。“そこにずっといた人物”だと、フォックスがくどく説明した、アメリカ大使と、自分は話をしたのだ、といって、彼は自らの選挙是認を正当化した。彼の組織、ワシントン・シニア監視員グループは、こう報告している。

 “我々は何千人ものホンジュラス国民の投票をしたいという熱意を目の当たりにした。彼らの多くは、我々が今日立ち会っていることに、わざわざ感謝してくれた。例外なく、彼らは、選挙制度に対する確信、投票権を行使することへの誇り、選挙は、ホンジュラスにおける、憲法秩序、民主的秩序の回復に向かうのに、決定的に重要なステップだ、という心からの希望を、明らかにした”[4]

彼らは更に“いかなる集団、個人、または政党による、投票者への脅迫は一切”見ておらず、彼らの観察は“ホンジュラス中の、他の監視団や、マスコミが報告しているものと一致している”と主張している。ところが、エドワード・フォックスに、そうした他の監視団、暴力やテロを記録していた団体について尋ねた所、彼はそうした団体のどれとも話をしていないことを認めた。こうした団体が、その報告書を、TSEに11月28日に、提出した際、アメリカの監視団はそこに居合わせたのだから、彼らを避けるにはかなりの努力を必要としたに違いない。実際、人権代表団は、会議を午後2:00に行うことを予定していたのだが、TSE幹部がアメリカ監視団と会談していたため、午後4:00よりかなり後まで延期せざるを得なかった。我々全員がそこに一緒にいて、アメリカの監視団が仲間同士で、人権団体やホンジュラス一般について、嘲るような雑談をしているのを、小耳に挟んだことさえある。

今後の行方

“人々はどこにいる? 人々は街路で、自由のために戦っている!”- レシステンシアのスローガン

驚くべきことではないが、残念なことに、フォックス報告のたぐいが、北半球諸国政府や、中南米における彼らの右翼同盟諸国が取っている姿勢を鼓舞している。いずれも、選挙過程の正当化、そうすることによる、クーデターそのものの正当化に必死だ。カナダの外務大臣ピーター・ケントは選挙に応え、カナダでこう声明した。

“御国の選挙が、比較的穏やかに、かつ秩序だって実施されたことに対し、ホンジュラス国民の皆様にお祝い申しあげます。日曜日の選挙は、米州機構等のような国際組織によって、監視されてはおりませんでしたが、選挙の投票率が高かった、選挙が自由で公正に行われたように思われた、大規模な暴力行為がなかった、という市民社会団体からの報告に、我々は励まされる思いです。”[5]

カナダと、ホンジュラスやクーデター支持者との関係については、詳しく語られるべきだ。選挙の不承認を呼びかける請願書が回覧されており、およそ400筆の署名を集めている。デモクラシーと人権に対するこの冒とくに、カナダが連座しているということについて、社会の認識を高めることに向けた小さな一歩だ。

その間にも、暗殺部隊は、12月6日、街頭で更に5人を殺害した。アムネスティ・インターナショナルと関係している一人の人権活動家が、12月14日に殺害された。ある批判的なジャーナリストの十代の娘が、12月16日、死体で発見された。弾圧は、茶番選挙以来、強化され、更に悪質で、計画的なものと化した。政権は明らかに、フィエスタ・デモクラティカ(民主政治のお祭り)の不当表示が成功していることと、ホンジュラス国民の大多数が直面している現実を、海外マスコミが進んで無視していることで、つけあがっているのだ。それにもかかわらず、ずっと前から、これが長期的な戦いになることを理解したレジスタンスは続いている。1月27日におこなわれる、壁の落書きがペペ・ロボ(Robo=強盗)と呼んでいる、クーデター支持者である次期大統領ペペ・ロボ(Lobo)への権限委譲が、レジスタンスにとって、もう一つの火種であることは明白だが、現時点で、この闘争が今後どのような形になって行くのか予想するのは困難だ。“警察は自宅にやってきて、連行すると言い続けているので、逃げ出したくなります”とコマヤグアの高校教師フランシスカは言う。“でも、住んでいる家を建てるのに、とても長い間、大変な苦労をしたのですから”

Tyler Shipleyは、博士論文提出資格者で、カナダ、トロントの活動家。彼はライツ・アクションが組織した代表団と共に、テグシガルパで調査と人権監視を行い、対クーデター・レジスタンスと11月29日の選挙について報告している。“ホンジュラス警察国家、一週間の写真記録”の写真エッセイ全文は、toronto.mediacoop.caで読める。

注:

1. Cecilia MejivarとNestor Rodriguez編、When States Kill: Latin America, the U.S., and Technologies of Terror(国家が殺す時: 中南米、アメリカと、テロ技術)中の、Joan Kruckewitt,“U.S. Militarization of Honduras in the 1980s and the Creation of CIA-backed Death Squads(アメリカによる1980年代ホンジュラスの軍国主義化と、CIAが支援する暗殺部隊の創設)”テキサス大学出版局、テキサス州、オースチン、2005年。

2. CODEH、COFADEH、FIAN、CDM、CPTRT、CIPRODEH代表のTSEに対する公式声明、2009年11月28日。スペイン語から英訳。

3. 同上。

4. ホンジュラス国政選挙にかんするワシントン・シニア監視団声明(英語原文)、2009年12月1日。

5. Peter Kent“ホンジュラス国民に対し、カナダは選挙をお祝いする(英語原文)”2009年12月1日.

記事原文のurl:www.socialistproject.ca/bullet/290.php

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つたない翻訳ゆえ、非常に読みにくいが、セラヤが、追放された本当の理由、ここでもあきらかだろう。大衆搾取を狙う、宗主国・属国支配層に都合が悪い「憲法の書き換え」を、セラヤが進めようとしたがゆえに大統領の座を追われたというのが事の核心であると、判読いただけるだろう。圧政の時代に作られた憲法を、本当の自国の国民向けの憲法に変えようとしたからだ。米戦艦ホンジュラス号、という言葉で、あの大宰相の迷言「不沈空母」を思い出した。バナナを生産する属国と、家電製品を生産し、ATMとしても機能する属国。あだ名は似るようだ。

一方、この国でも、またもや首相が、憲法「改正」を言い出した。どさくさのなか、憲法どころか、憲法より上位に位置する、安保条約を押しつけられたのはどこの国だろう。そうした過去の遺物を、与党、元与党の有力野党、いささかでも改めようとしているだろうか。

憲法を徹底的に骨抜きにし、完全属国化を進める為の憲法「改正」はするだろう。

元々、改憲壊憲派のマスコミ、そのことに対する提灯記事は書いても、ホンジュラス大統領追放クーデター・ルポは決して書かない。マスコミも、ブログの皆様さえも。

この属国の首相や、背後にいる豪腕主席が狙う憲法「改正」が、大本営報道機関マスコミによって支持されていること自体、既にそれだけで、憲法「改正」宗主国アメリカのためのものであることの、立派な状況証拠だろうとしか、素人には思えない。

  • 属国にあるアメリカ駐留軍基地は、その属国への介入の足場である
  • アメリカが育てた軍隊、決して属国の庶民は守らない。

というのは、どの属国においても同じだろう。

明治維新やら、日露戦争講談より、目の前の「基地問題」こそが、憲法「破壊」こそが、憲法破壊をしいる憲法の上にある「安保条約」こそが、普通の庶民にとって、大きな影響をもたらすだろう。「安保条約」というのは、つまり「帝国主義集団先制攻撃協力条約」。

それでも、民主党は参院選で圧勝し、壊憲に邁進するだろう。昔の「人民寺院集団自殺」事件、日本では国家規模で起きつつあるような気分になってくる。「レミングの集団入水自殺」というのは嘘だそうだ。

毎回の、誤訳だらけの文章。意味の通るものになるよう、皆様のご指摘をお願いしたい。

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コメント

歴史を振り返ると帝国の終焉期には帝国のオリガーキー支配層が唯貪欲で政治的に無能になり、彼等が帝国を維持する手段は残されていず、結果的に“悪あがき”の結果、分裂、他の支配勢力に武力支配されると言う場合が多かったのですが、現在の米合衆国世界帝国も終焉期を迎えているのでしょうかね?終焉期を迎えているにしても武力的に対抗する勢力が今の所存在しないので当分米合衆国政府の“悪あがき”は続くのでしょうね。

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普天間検討委、8日開催=政府案は複数の場合も−官房長官(時事通信) 沖縄知事「決まったと言われても反対する」 普天間移設(朝日新聞) 政府案が沖縄県内に複数になったのを受けて、テレビでもしきりに与党叩きが始まっている。 毎日放送の「ちちんぷいぷい」では、 「これでは(沖縄)県外と言っていたのに、約束違反になって沖縄の人が怒りますよ。」というようなコメントを、コメンテーターが口々に言っていた。 「これが鳩山総理の目的なのではないかな?」と私は希望的観測をしている。 こうやって、政府が沖縄の意思を... [続きを読む]

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