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2009年7月

2009年7月29日 (水)

ホンジュラス・クーデターの背景: 貧困、搾取と帝国主義的支配

wsws.org

Rafael Azul

2009年7月9日

6月28日、アメリカに訓練された軍、アメリカ南方軍と密接なつながりをもつ軍が、マヌエル・セラヤ大統領を打倒し、拉致し、ホンジュラスから追放した。ホンジュラス軍とペンタゴンの密接な関係を考えれば、ワシントンがそれを知っており、暗黙の承認をしたことなしで、クーデターが起きたとは信じがたい。

新大統領ロベルト・ミチェレッティを据えた、クーデターの背後にあるのは、世界でも、最も搾取的で、圧政的な政治、経済制度の一つであり、その基盤の上で、裕福な土地所有者と、実業家、軍と教会が、富を得ている。これらの勢力が、今、階級闘争のエスカレーションに脅かされている。

世界経済危機に加速された社会的緊張が、国内の支配層エリート間の深刻な溝となって、現れている。大衆に訴える弁舌や、政府による最低賃金の60パーセント引き上げと一緒になった、安価な石油と借款を求めるための、ウゴ・チャベスのベネズエラ政府の向きのセラヤの実利主義的な転換は、全て、ホンジュラスの爆発的な社会闘争を封じ込めることを狙ってたのだ。

セラヤは、右派の法と秩序という基盤の上で、一世紀以上にわたり、政権を交代してきたオリガーキー、ホンジュラス二大政党の一つ自由党の候補者として、2005年の大統領選挙で勝利した、裕福な土地所有者で、製材界の大立者だ。にもかかわらず、彼の行動は、彼自身の階級や、セラヤを後継する候補者として承認された仲間の自由党議員であるミチェレッティを含めた、元の最も親密な政治上の盟友達からの、彼に対する敵意をもたらした。

いずれの派閥も、ホンジュラスに蔓延するひどい不平等と貧困の原因となっている体制を擁護している。

ホンジュラスはアメリカ半球における最貧国の一つだ。生活水準を測定する大半の指標で、やはり極端に貧しい国々である中米の近隣諸国、グアテマラとニカラグアに、水をあけられている。南北アメリカでは、唯一ハイチが、ホンジュラスよりも、貧しい。

ホンジュラスは、封建的な社会構造によって支配される、地方の、主として農業経済、つまり巨大な農園が、農民が所有するミニ農園を支配する、かなりの工業分野を持った都市経済へと、移行する過程にある。若く、増大しつつある都会の労働者階級がいる。

主として、アメリカ合州国への輸出用バナナ生産に依存する、古いプランテーション経済は、変容中なのだ。大規模資本投資は、農業労働者の余剰を生み出し、貧困が増大し、都市における慢性的な高レベルの失業にもかかわらず、農業労働者を都市へと、押し出している。この都市における労働予備軍は、現在、“マキラドーラ”として一般に知られている輸出志向の製造業に、依存している。こうした工場での、労働搾取工場的な労働条件は、世界でも最悪の一つだと考えられている。

成人男女の平均労働時間は、クアトロ-ポル-クアトロ(四日-四日制)、あるいは、トレス-ポル-クアトロ(三日-四日制)として知られている制度のもとで、14時間だ。機械が常時、動きつづけられるようにするため、労働者は、一日に14時間、週に、三日から四日働き、休日には、他のチームが入れ代わる。生産割当は極めて高く、病気の労働者ですら、限られた休み時間と食事時間しか与えられない。シフトにつき一時間半だ。注文が、増減するのにつれ、工場の雇用も増減する。労働法は、日常的に、無視され、労働組合の結成は弾圧される。

3月24日、米州機構(OAS)の機関、米州人権委員会(CIDH)は、ワシントンで、ホンジュラスの、229箇所のマキラドーラの条件について、公聴会を行った。こうした企業は、全体で 130,000人の労働者を雇用しており、その69パーセントは若い女性だ。CIDH職員は、ホンジュラス政府に、彼らが“貧しい人々を搾取する典型例”と呼んだものを、調査するよう要求した。

ホンジュラス女性共同体(コレクティヴァ・デ・ムヘーレス・オンデュレーニャス)のフロレンシア・ケサダによると、「女性労働者は、18歳で、採用され、30歳で解雇される。なぜなら、経営者が若い女性を好むからだ。多くの場合、採用面接では、女性は服を脱ぐよう要求される。帝王切開の傷がある女性たちや、 ある体重制限を超えた人々は落とされる。」

ケサダは、マキラドーラにおける、密集した労働条件と、長時間労働について説明してくれた。時に、従業員は、24時間休みなしで働くことさえ要求されたと、彼女は報告している。狙いは、給料の40パーセント・カットという脅しのもとで、“法外な目標数値を実現すること”だとケサダは言う。

ホンジュラス女性共同体のもう一人のメンバー、ブレンダ・メヒアは、厳しい作業ペースの結果、生じる、筋肉と関節の病変について話してくれた。多くの場合、「労働者は、コップの水を飲むといった単純な動きさえ、うまくすることができない。」仕事のせいで、働けなくなった人々は、障害者給付金や、社会保障給付金をもらえる可能性がほとんどない。万一、そうした給付金を得られたにせよ、金額はごく僅かだ。

300,000人以上の子供がホンジュラスでは働いている。彼らの一日の就業時間は、成人のそれより、ほんのわずかばかり短いだけだ。国連児童基金(UNICEF)によると、マキラドーラでは、15歳という若さの子供が、一日、10から13時間も、一時間わずか40セントで働くよう強いられている。国際労働機関(ILO)は、以下のような産業での児童労働を報告している。売春(特に、北部海岸沿いの観光地)、花火製造(コパン)、海での潜水(モスキート海岸のロブスター採り船で)、石灰岩の石切場や廃棄物処理場(テグシガルパとサンペドロスーラの二大都市)、農業(コーヒーとメロン業界)。

ホンジュラスにおける貧困は、人口の53パーセントが現在暮らしている、地方に集中している。そうした人々の約75パーセントが、基本的ニーズに合わせるのが、不可能な条件にあり、非常に高い幼児死亡率、子供の栄養失調、児童労働や文盲を生み出している。人口の70パーセントは、貧困線以下で暮らしており、40パーセントは、一日2ドル以下で生計をたてている。国連統計は、平均的なホンジュラス人が、40歳以前に亡くなる可能性が、12パーセントであることを示している。ホンジュラス人の16パーセントは、医療サービスの機会をほとんど奪われていると見られており、5歳未満の子供の17パーセントは体重不足だ。

成人の五人に一人は、読み書きができない。およそ30パーセントという失業率は、中南米において、最も高いものの一つだ。

バナナ・プランテーションが、労働者を解雇するため、益々多くの人々が、都市に出ることを選んでおり、都市では彼等が大規模な労働者の予備軍を形成し、時給は、男性労働者で、75セントから、95セントの間で、増減し、女性労働者の場合、ずっと少ない。何万人もの、都市への移住は、メキシコへの移民、そして、最終的には、アメリカ合州国へと至る。

中米の標準からすれば、並外れているわけではないとは言え、収入と富の分配は、恐ろしく不平等だ。人口の最上位10パーセントが、商品やサービス生産の45パーセント以上を消費する。最大の分け前は、三大集団に分けられる、最上層に入る。大土地所有者、実業家、軍幹部だ。

最下層の10パーセントは、農民で、生産の4パーセント以下しか消費していない。小さいながらも、増大しかけていた都会の中流階級もあるが、1998年のハリケーン・ミッチによって、甚大な影響を受け、いまだ回復していない。ハリケーンは、ホンジュラスを壊滅させ、7,000人が亡くなり、この国の交通インフラの50パーセントと、多くのプランテーションを破壊された。暴風の影響は、広範囲に及ぶ洪水の条件を生み出した遅れた焼畑農業技術によって拡大されてしまった。

ハリケーンは、労働者の都市への移動を促進し、アメリカ合州国の需要変動に依存する、主として繊維製品の、マキラドーラの成長を助長した。

現在の世界的な金融危機と、アメリカにおける衣服需要の下落は、経済に対し、壊滅的な影響をもたらしている。2008年に経済危機が始まって以来、29のマキラドーラが閉鎖した。これまでに30,000人の労働者が、僅かな退職金、あるいは退職金なしで解雇された。ホンジュラスでは、失業手当給付金はなく、階級間の緊張を、限界点にまで上げている。

歴史的に、この過酷な搾取というパターンは、往々にして、アメリカ合州国の支援を得た、抑圧によって、維持されてきた。伝統的支配階級は、封建的な土地所有のパターンと、アメリカ帝国主義との関係に依拠してきた。前世紀中ずっと、ホンジュラスという国家は、国と、反抗的な農業プロレタリアートや小作農の間に立ちはだかってくれる、アメリカ海兵隊員と海軍とに、頼ってきたのだ。

ホンジュラスは、アメリカ軍によって、1907、1911、1912、1919、1924、1925、そして1931年と、繰り返し、侵略されてきた。こうした侵略において、目標は、アメリカ企業の権益を保護と、専制的傀儡政権の安定性だった。

ホンジュラスの支配層から、絞り出された代償は、906年に始まった、ユナイテッド・フルーツ社による、肥沃な東部の熱帯の渓谷の支配で、同社は、ホンジュラスに、バナナ・プランテーションを作り上げ、国家の中の国家となっている。1910年、ホンジュラスのミゲエル・ダビラ大統領の抵抗に直面して、同社は、ダビラを打倒するためのクーデターを組織した。以来ホンジュラスは、典型的な“バナナ輸出に依存する中米の共和国(バナナ共和国)”だ。

1933年に、フランクリン・ルーズベルト大統領は、中南米における、あからさまで、一方的な軍事介入を否定した。その代わりに、アメリカは、主として、代理軍を作り出したり、国軍や治安部隊を、アメリカ軍の命令系統に、統合、従属させることによって、帝国主義的権益を追求してきた。以来、ホンジュラスは、この地域へのアメリカ介入のための、作戦と、供給基地となってきた。1954年、CIAに訓練された、ファシスト軍が、ホンジュラスやエルサルバドルから、グアテマラ領へと入り込み、ハコボ・アルベンス大統領に対する軍事クーデターを成功させた。1961年、ホンジュラスは、キューバのフィデル・カストロに対する、ピッグズ湾侵略の訓練基地、兼、拠点として利用された。1980年代、CIAに支援されて、ニカラグアのサンディニスタ政府と戦ったコントラ軍は、ホンジュラスから、指令と補給を受けていた。

ホンジュラスは、いまだに、地域における最大の在外アメリカ軍事基地の一つを受け入れており、600人のアメリカ兵士が、テグシガルパ北西80キロにあるソトカノ空軍基地に駐留している。

プランテーションに依存する経済の典型として、ホンジュラスにおける、極端な不平等は、戦闘的な労働者と抵抗の歴史と結びついている。1954年4月、CIA軍がグアテマラを侵略している中、ホンジュラスのテラ港の港湾労働者達は、ユナイテッド・フルーツ社の船への荷積みを拒否した。彼等の抗議行動のニュースは、あっと言う間に、他の港広がり、鉄道と、プランテーション労働者の支持を獲得した。残業手当ての要求から始まったストライキは、一日8時間労働と、まともな生活水準と、労働条件を求める大規模な闘争となった。ストライキ委員会が、都市中を占拠した。

ストライキは、テグシガルパにまで広がり、同市の工場労働者による支持を得た。大規模な国家による抑圧にもかかわらず、ストライキは69日間続いたが、労働組合の承認を含め、労働者に対する僅かな譲歩だけで終わった。ホンジュラスの支配階級が、最も恐れているのは、この抵抗と、自己犠牲の精神なのだ。

6月28日クーデターに対応したのは、今や、二週目に入った、ホンジュラスの教師60,000人による全国的なストライキを含め、極めて確固たる抵抗、ストライキ、抗議を遂行しているホンジュラス労働者だ。

彼らの戦術的な差異が何にせよ、セラヤが率いる党派と、ミチェレッティの党派のいずれも、この動きを恐れている。疑いもなく、この闘争が、制御不能になりかねないという懸念が、アメリカが仲介する、彼自身と、彼を打倒した連中との間の“調停”に、自らをゆだねるというセラヤの決定に、重くのしかかっていたのだ。

ホンジュラスと、中米全体に存在している、階級関係と、社会的条件が、階級抑圧を終わらせ、社会主義の世の中をつくるための、労働階級のための独立した政治運動を構築することなしには、帝国主義者の支配から、デモクラシーと自由を確保することを不可能にしている。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2009/jul2009/hond-j09.shtml

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数日前、朝日新聞朝刊に森巣博の文章があった。さすがにまともなことを言っておられる。「投票用紙で武装し、蜂起せよ」。そう、庶民には、実際投票権しか武器はない。

「自民、公明やら、似非野党に、投票するな」「弱小野党に投票しろ」と言っているのだろうと、勝手に解釈させていただく。そうでなければ『蜂起』には、なるまい。

後世「しかし、実際は、投票用紙で武装し、蜂起せず、民主党に、圧倒的勝利を与えて、日本の完全属国化を実現する選挙になった」と書かれるのではあるまいか。

「今回の衆議院選挙が、最後の歯止めの可能性があった選挙だった。」と。

商業マスコミがあおる「二大政権交代」、実態は、永久属国化長期戦略の最終ステップ。

今回民主党が圧勝すれば、比例代表分を大幅削除し、弱小野党を徹底的に、殲滅する選挙制度に改悪し、やがて、最終的には、宗主国・属国支配層待望の憲法破壊が実現する。

そもそも、この小選挙区制を、導入した小沢氏、目障りな弱小野党を完全消滅させるなど、赤子の手をひねるように、やってのけるだろう。

それを、また大喝采する支持者たち。

自分の首に、縄を巻いて、ひっぱるようなものだろうに。

嬉々として小泉自民党に投票したあの光景の、そのまんま再演。

あの欺瞞選挙も、小泉首相本人は、小選挙区制度に反対していたのに、オザワ氏が導入しておいてくれた、小選挙区制度ののおかげで、まんまと、郵政破壊、日本破壊のフリーハンドを実現した。もちろん、それには、今回、民主風?をふかせている、商業マスコミが大々的に支援した。

あの時の投票による、悲惨な結果を、すっかり皆様、忘れておられる。

散々壊しておいて、逃げ去る。そこを、おっとりがたなで、今度は、民主が奪い去る。そして、また、おなじ苛斂誅求、属国政策を推進する。すくと、今度は、またもや、自民党が息をふき返し....

水戸黄門と悪役の現実政界版、シナリオ通りに見えてしまうのは被害妄想だろう。

母親を殺され、女性が拉致されたことは、繰り返し報道しても、ホンジュラス大統領の拉致はほとんど報道しない。マスコミ総白痴化。そう自覚しての白痴化。

拉致事件でふと思い出したことがある、アメリカ・マスコミ界の大物の娘、パトリシア・ハーストが、過激派に拉致され、更には、過激派に加担、一緒に犯罪を犯した事件だ。

ストックホルム症候群。

Wikipediaの一部を引用させていただこう。

犯人と人質が閉鎖空間で長時間非日常的体験を共有したことにより高いレベルで共感し、犯人達の心情や事件を起こさざるを得ない理由を聞くとそれに同情するなどし、人質が犯人に信頼や愛情を持つようになる。

アメリカと日本人の関係や、日本の権力者と庶民の関係は、この症候群そのまま?

ストックホルム症候群選挙:以下のように勝手に改竄してみた。

狭い国に閉じ込められ、宗主国の支配者や、属国傀儡政権や、エセ野党に、長い間、いじめられているうちに、被害者のはずの国民は、犯人である、宗主国の支配者や、属国傀儡政権やエセ野党を信頼し、さらには愛情を持つようになる。

ストックホルム症候群の例として、よくあげられるのがパトリシア・ハースト

超有名家族の娘パトリシア・ハーストは、1974年2月、過激派共生解放軍に誘拐された。ところが、1974年4月、サンフランシスコの銀行を彼らが襲った際、パトリシアも、銃を持って、一緒に強盗を働いていた。

1974年5月、一味のアジトが急襲され犯人6名は射殺。パトリシアは難を逃れ逃亡。

1975年9月、パトリシアが逮捕された。

弁護団は彼女は洗脳されたのであり、責任は共生解放軍にあるとした。

1977年1月19日カーター大統領による特別恩赦と保釈金150万ドル支払いで仮釈放された。

今回の選挙は「ガス抜き、ストックホルム症候群選挙」?

2009年7月25日 (土)

セラヤ、ネグロポンテとソトカノ論争- ホンジュラスのクーデターと米空軍基地

Nikolas Kozloff

2009年7月22日

"Counterpunch"

ホンジュラスで進行中の話題の重要な側面について、大手マスコミは、またしても、へまをした。パルメロラとしても知られている、ソトカノ・アメリカ空軍基地だ。最近の軍事クーデターの前に、マヌエル・セラヤ大統領は、基地を、民間空港に転換するつもりだと発表していたが、それには元アメリカ大使が反対していた。おまけに、セラヤは、彼の計画を、ベネズエラの資金援助で、実行するつもりでいたのだ。

クーデターの何年も前から、ホンジュラス当局は、パルメロラを民間施設に転換する可能性を議論していた。テグシガルパのトンコンチン国際空港は、手狭すぎて、大型の民間航空機を扱うことができないことを、役人たちは思い悩んでいた。1948年にさかのぼる設備は老朽化し、トンコンチンの滑走路は短く、航法装置と原始的だった。施設は丘に取り囲まれており、世界でも最も危険な国際空港となっている。

パルメロラには、これと対照的に、この国で最高の長さ2700m、幅50mの滑走路がある。この空港は、より最近、1980年代中頃に、3000万ドルといわれる経費で建設され、アメリカ合州国が、ニカラグアのサンディニスタに対するアメリカの代理戦争時代、コントラへの補給と、エルサルバドルでの対ゲリラ戦争遂行に使用していた。コントラ戦争の絶頂期には、アメリカは、5,000人以上の兵士を、パルメロラに駐留させていた。コントラの“不沈空母”として知られた基地には、ニカラグア反乱軍への助言役、グリーン・ベレーや、CIA工作員達が暮らしていた。

ここ最近、およそ500から600人のアメリカ兵が、ホンジュラス空軍基地と、飛行訓練センターとして使われている施設に配置されている。1999年、アメリカ基地が、パナマから退去すると、パルメロラは、アメリカが中南米で使える、数少ない飛行場の一つだ。基地は首都テグシガルパから約80キロのところにある。

2006年、あたかも、セラヤとブッシュ政権は、パルメロラの将来の立場に関する協定をすぐにも締結しそうに見えた。その年6月、セラヤはワシントンに飛び、ブッシュ大統領と会談し、ホンジュラスは、パルメロラを商業空港に転換したいと要求した。ブッシュは、その考えは「全く筋が通っている」と述べたとされ、セラヤは、テグシガルパから、パルメロラへ、四車線の道路を、アメリカの資金援助で、建設するつもりだと発表した。

パルメロラ施設に対するホワイト・ハウスの支援と引き換えに、セラヤは、アメリカに対し、ニカラグア国境に近い、ホンジュラス海岸沿い、モスキティア地域におかれるはずの新たな軍事施設の利用を申し出た。モスキティアは、南から北へ移動する麻薬にとっての回廊となっていると言われている。麻薬カルテルは、貨物をもって、コロンビア、ペルーとボリビアからの途上、モスキティアを通過するのだ。

空、海と川からしら接近できない辺鄙な地域、モスキティアは、沼地とジャングルだらけだ。大人数の兵士が、むしろ隠遁したような形で、モスキティアに駐留させられるので、この地域はアメリカにとって理想的だ。海岸という位置は、組織犯罪、麻薬密輸、および、テロと戦うという公式のアメリカ軍戦略と、矛盾のない、海軍、空軍による掩護に、理想的にぴったりだ。ホンジュラス軍統合参謀本部議長ロメオ・ヴァスケスは、この地域は“紛争や問題”だらけなので、軍が、モスキティアに大規模駐留する必要があると語っていた。

しかし、アメリカは、モスキティアをどのように使えるのだろう? ホンジュラス国防長官アリスティデス・メヒアは、モスキティアは、必ずしも「恒久的な設備を持った典型的な基地ではなく、必要な時にのみ使うものだ。もしも大統領セラヤが承認すれば、[アメリカ合州国との]共同作戦を拡張する予定だ。」と語った。ところが、この発言は、明らかに、既にワシントンを訪れ、モスキティアの将来計画を議論していた、最終的なクーデター指導者で、アメリカ陸軍米州学校卒業生ヴァスケスのお気に召さなかった。長官発言を否定して、ヴァスケスの考えは、航空機と、燃料供給施設を収容する「我々の恒久的な軍事基地を、この地域に設置することだ」だと言った。アメリカ合州国は、現場に滑走路を建設するのを助けてくれるだろうと、ヴァスケスは補足した。

一方、間もなく、地上での事件が、航空の安全にむけた、より積極的な方法を、ホンジュラスに強いることとなった。2008年5月、トンコンチン空港で、TACAのエアバスA320が、二度目の着陸の試みで滑走路を外れ、ひどい事故が起きたのだ。木々をなぎ倒し、金網の塀を突き抜け、飛行機の胴体は、滑走路近くで三つに割れた。事故で、3人が死亡し、65人が負傷した。

大事故後、ホンジュラス当局は、悪名高い、危険なトンコンチンへの着陸の長期的封鎖を強いられた。全ての大型ジェット機は、一時的にパルメロラに移動するつもりだと、当局は語っていた。自らアメリカ空軍基地を見学し、当局は、60日あれば、パルメロラに、新たな民間施設が作れるだろうと、セラヤは述べた。ブッシュは既に、ホンジュラスが、パルメロラに民間空港を建設することに合意していると、セラヤ語っていた。「複数の証人もいる」と大統領は補足した。

だが、新空港建設は政治的に一層複雑化した。セラヤとブッシュとの2006年の会談以来、ホンジュラス-アメリカ関係が、大幅に悪化し、セラヤは、アメリカが率いる対麻薬戦争を批判しながら、ベネズエラとの関係を深め始めていた。

ブッシュのアメリカ大使チャールズ・フォードは、パルメロラでの民間飛行は歓迎するが、過去の協定は守られるべきだと語った。基地は、主として、麻薬監視用航空機用に使用される。フォードは「大統領は、彼が望む時に、パルメロラの使用を命じることはできるが、ある種の協定や協約は、守られなければならない。」と述べた。「トンコンチンは、国際民間航空機関によって認められていることを指摘することが重要だ。」空港の安全に関する、長期的な懸念を和らげようとして、フォードはそうつけ加えた。更にこの外交官は、パルメロラを“魅力的な”着陸地とは見ない航空会社もあると発言したのだ。フォードは、この発言が一体ど何を意味しているのか、詳しくは語らず、説明もしなかった。

元駐ホンジュラス・アメリカ大使のジョン・ネグロポンテ国務副長官が火に油を注ぎ、ホンジュラスは、パルメロラを「一日で」民間空港に転換することはできまいと語り、テグシガルパで、ネグロポンテはセラヤと会談し、パルメロラについて話し合った。後刻、ホンジュラス・ラジオでの発言で、このアメリカ外交官は、セラヤがパルメロラ空港の計画を着手する以前に、新たな航空便受け入れに対し、国際的承認を得る必要があろうと語った。スペイン語の通信社EFEによると、ネグロポンテは、テグシガルパ訪問の機会を利用して、ホンジュラス国会議長で、後のクーデター指導者ロベルト・ミチェレッティと、腰を落ち着けて会談したという[ただし、ニュースは、二人が何を話したかについては、語っていない]。

言うまでもなく、ネグロポンテのホンジュラス訪問は、ネグロポンテに「暗殺者」というレッテルを貼り、この外交官が、大使として駐在していた間の(1981-1985)強制的な行方不明に、関与したと、非難した進歩的な人々や、人権活動家によって、幅広い反対を受けた。更に、フォードとネグロポンテの見下したような態度が、ホンジュラスは、パルメロラに対する国家主権を取り戻すべきだと要求する、組織労働者、先住民団体や農民をいらだたせた。「中米最高の滑走路が、アメリカ軍の手中にあるままであるのは受け入れがたく、パルメロラを取り戻す必要がある。」と、様々な進歩的政治団体からなる民衆連合のリーダー、カルロス・レエスは言う。「冷戦は終わっており、この地域に軍事駐留を続ける口実などない」と彼は言い足した。政府は、ホンジュラスの自尊心を辱めるような、モスキティアとパルメロラの交換も考えるべきではない、と活動家たちは述べた。

翌年ずっと、セラヤは、パルメロラを、民間空港に転換することを狙ったが、政府が国際的投資家を呼び込むことができなかったため、計画は棚上げされた。とうとう、2009年、セラヤはホンジュラス軍が建設を行うと発表した。新プロジェクトの費用を工面するのに、大統領は、ベネズエラ大統領ウゴ・チャベスが推進する、二つの互恵通商協定、ALBA [米州ボリバール代替構想]と、ペトロカリベからの資金に頼るつもりだった。予想通り、ホンジュラスの右翼は、ベネズエラ資金の利用を口実に、セラヤに襲いかかった。ホンジュラス商工組合理事長 [スペイン語の略語COHEPで知られている] アミルカール・ブルネスは、ペトロカリベ資金は、空港のために使用されるべきでなく、むしろ他の不特定用途に使うべきだと語った。

セラヤが、軍がパルメロラでの建設を進めると発表した数週間後、軍が反乱した。ロメオ・ヴァスケスが率いた軍が、セラヤを打倒し、彼を国外に強制追放した。クーデターの後、パルメロラを訪れたアメリカの平和運動活動家は、基地が活発で、ヘリコプターが飛び回っているのを見て驚いた。活動家たちが、アメリカ人の職員達に、米ホンジュラス関係という点で何か変わったのか、尋ねると、「いや、何も」という答えだった。

ホンジュラスのエリート層と、アメリカ外交政策の体制派極右には、私がこれまでの記事で論じてきたように、マヌエル・セラヤを嫌悪する理由が山のようにある。とはいえ、パルメロラ空軍基地を巡る論争が、攻撃材料を増やしたのは確実だ。

Nikolas Kozloffは、Revolution! South America and the Rise of the New Leftの著者(Palgrave-Macmillan、2008年)

記事原文のurl:www.counterpunch.org/kozloff07222009.html

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従順だった属国政権が多少でも言うことを聞かなくなれば、すぐさま実力を行使する、わが宗主国の体質がよーくわかる。ホンジュラスのソトカノ米軍基地は、日本の横田基地。

日本への見せしめと考えるのは被害妄想だろうが、人ごととは思えない逸話。

もちろん、日本の次期政権党、早くも従順さを見せ始めている。

日本では、もはや、軍事クーデターではなく、選挙自体が、クーデターのようなもの?

オザワ氏が率先導入した、現行の理不尽な小選挙区制度をこそ、見なおすべき時期だろうに。民主党の圧倒的勝利に終わった後、選挙制度は一層、歪曲される。経費削減を口実にした、少数野党殲滅策として。つまり、比例定数の削減、単純小選挙区制。全て、大昔から計画されていたこと。

嬉々として民主党への投票に向かう皆様、本当に、アメリカのような社会(属国はもっとひどい社会になるだろう)に組み換えたい(=破壊したい)のだろうか?属国民総愉快犯?

2009年7月22日 (水)

目的なき戦争-Chris Hedgesのコラム

Chris Hedges

2009年7月20日

"Truthdig"

アルカイダは、アメリカがアフガニスタンで何をしようと、全く関心がない。アメリカは、アフガニスタンの村を爆撃し、ヘルマンド州のタリバンを追跡し、総勢100,000人の属国アフガニスタン軍を編成し、アフガニスタン人部族軍司令官達が、何百人、あるいは、何千人ものタリバン捕虜を処刑するのを、積極的に手出しはせずに、傍観し巨大で、手の込んだ軍事基地を作り上げ、無人飛行機を発進させ、パキスタンに爆弾を投下することができる。それで何も変わりはしない。戦争は、過激派イスラム教徒による攻撃を止めることはできない。テロリストや武装反抗勢力集団は、通常の軍隊ではないのだ。彼等は、アメリカ軍の司令官達が、士官学校や兵学校で、アメリカの兵士に教え込んでいる、戦争の規則通りには戦わない。しかも、こうした地下組織は変幻自在で、一つの破たん国家から、別の国家へと、転々としながら、形や色を変えてゆき、テロ攻撃を計画しては、闇の中へと退却する。我々は、間違った道具で戦っている。我々は、間違った相手と戦っている。我々は、歴史の間違った側にいる。そして、我々はアフガニスタンでも、イラクでも敗北するだろう。

アフガニスタン戦争の費用は増大している。何万人ものアフガニスタン一般市民が殺害され、負傷してきた。26人のアメリカ兵を含む、少なくとも50人の兵士が死んだ7月は、NATOの戦闘員にとっては、この戦争の中で、最も危険な月だった。多国籍軍に対する、道端に仕掛けられた爆弾による攻撃が、負傷者と死者の人数を膨張させている。6月、簡易仕掛け爆弾(IED)とも呼ばれている、道端に仕掛けられた爆弾による攻撃の件数は、736件にのぼったが、四カ月連続で最高記録だ。数字は、3月の361件から、4月の407件、そして、5月の465件へと増えてきた。バラク・オバマ大統領による、21,000人の追加アメリカ兵を、アフガニスタンに派兵するという決定で、駐留兵士数は、アメリカ兵57,000人にまで増えた。合計の兵員数は、2009年末までには、少なくとも68,000人にまで増えると予想されている。増派は、更なる死者、戦闘の拡大と、より大きな無益さを意味するに過ぎない。

犯罪組織、麻薬密売業者、パシュトゥーン族やタジク族の戦士、誘拐団、暗殺部隊や傭兵を含む、ややこしい武装集団の組み合わせに、我々は出くわしてしまったのだ。我々は内戦に巻き込まれているのだ。タリバンの大半を構成していて、アフガニスタンの伝統的な支配者である、パシュトゥーン族は、外国勢の支援を得て、2001年に内戦に勝利した、北部同盟を構成するタジク族ウズベク族と戦っている。かつての北部同盟が、今や腐敗して、無能な政府を支配している。この政府は、ひどく憎まれている。そして、この政府は、我々と共に没落するだろう。

我々はアフガニスタンでの戦争に敗北しつつある。我々がこの国を8年前に侵略した時、タリバンはアフガニスタンの約75パーセントを支配していた。現在、その支配範囲は、じりじりと約半分にまで回復した。タリバンは、ケシ栽培を運営し、約3億ドルもの年間収入を得ている。タリバンは、厚かましくも、首都カーブルで攻撃を実行し、外国人は誘拐を恐れ、大半のアフガニスタン都市で街路を歩くことさえまれだ。全てのアフガニスタン人の80パーセントが暮らしている地方に入るのは、NATO兵士達の護衛なしでは、生命にかかわる。勇敢な記者なら、カーブルの繁華街にあるコーヒー店で、タリバン幹部にインタビューすることもできる。オサマ・ビン・ラディンは、当事者以外の大半の世界に対する気晴らしとして、中東版『ウォーリーをさがせ!』と化している。銃弾と爆弾さえなくしてしまえば、これはギルバート・アンド・サリヴァン・オペラの喜劇だ。

何故我々が、アフガニスタンにいるのかを明確に言える人は誰もいないようだ。ビン・ラディンやアルカイダを、追跡して捕まえるためだろうか? 進歩を強固にするためだろうか? 我々は、タリバンに宣戦布告したのだったろうか? 我々はデモクラシーを構築しているのだろうか? 連中と、アメリカ本土で戦わずにすませるため、現地で、テロリストと戦っているのだろうか? 我々はアフガニスタンの女性たちを“解放している”のだろうか? 思考を停止させるための決まり文句に使われる、こうした質問の馬鹿らしさは、戦争の馬鹿らしさをさらけだす。目的の混乱は、現場の混乱を正確に映し出しているのだ。我々は、自分たちがやっていることがわかっていないのだ。

アフガニスタンの、アメリカとNATOが率いる軍隊の新司令官、スタンリー・マクリスタル大将は、多国籍軍は、アフガニスタンにおいて“文化的転換”をしなければならないと発表した。兵士たちは、普通の戦闘指向から脱皮して、一般市民の保護へと向かわなければならないと、最近語った。何百人もの一般市民を殺害した空爆が、タリバンにとって、強力な人材募集の道具になることを、彼は理解している。目標は高尚だが、戦争の現実が、その実行を許すまい。NATO軍は、攻撃を受けると、常に、近接航空支援を呼ぶ。これが砲火を浴びている軍隊がすることだ。彼等には、まず現地の人々を詳しく点検している余裕などないのだ。質問は事後にするものだ。何十人もの一般市民を殺害した、5月4日のファラ州空襲は、空爆の服務規程に違反していた。一般市民4人が殺害され、13人が負傷した、先週のカンダハル州空爆もそうだ。NATO攻撃はシャワリコット地域の、ある村を標的としていた。州の首都にある病院に収容された負傷した村人達は、攻撃ヘリコプターは、彼らの家を、水曜日の午後10:30頃から爆撃し始めたとAPに語った。ある男性は、3歳の孫娘が殺されたと語っていた。戦闘は自らの法則を生み出すが、ほとんど常に、一般市民が損をするのだ。

ヘルマンド州における、NATO軍による攻勢は、武器体系や、従来型の軍隊については、十分承知しているが、非正規戦のあやをほとんど何も知らない軍司令官達が、設計したいつものシナリオに、従うことになる。タリバンは撤退するだろう。おそらくは、パキスタン内の避難所へ。我々は、作戦は成功したと宣言することになる。我々の駐留兵力は削減されることになる。すると、タリバンは、アメリカが“浄化した”はずの地帯に、こっそり戻ることになるだろう。道端に仕掛けられた爆弾は、執念深く死傷者を生み出し続けるだろう。とらえどころがなく、往々にして、目に見えない敵と戦おうとすることにイライラを募らせた兵士達や海兵隊員達は、更なる憤激をもって、幻影めがけて攻撃し、一般市民の死者の数を増やし続けている。これは、武装反抗そのものと同じぐらい、古くからあるゲームなのだ。にもかかわらず、それぞれの世代の戦士達は、自分たちは、とうとう勝利のための魔法の鍵を見つけ出したのだと思うのだ。

我々は、イラクとアフガニスタンを、破たん国家にしてしまった。我々のリストで、次に位置しているのは、パキスタンらしい。パキスタンも、イラクやアフガニスタン同様に、国境で分割されてしまっている部族や民族が無視している、恣意的で人為的な国境を設けた西欧の諸大国による、グロテスクな産物だ。パキスタンで明らかになったように、パキスタン軍は、過激派イスラム教徒に、正統性を見いだしてきたのだ。タリバンを生み出したのはパキスタン軍だった。戦争中、ソ連のアフガニスタン占領に反対するレジスタンスに対する、何十億ドルものアメリカの支援金を、どのように割り振るかは、パキスタンが決定していたのだ。しかも、そのほとんど全額が、アフガニスタンの抵抗運動でも、最も過激な派閥に渡っていた。タリバンは、パキスタン人の目から見れば、ロシア人であれ、アメリカ人であれ、外国の侵略者を打ち負かす効率的な武器であるだけでなく、インドに対する防壁でもある。カーブルの過激派イスラム教徒は、決して、パキスタンに対して、インドと同盟関係を築こうとはしない。そして、アフガニスタンではなく、インドこそが、パキスタンにとって一番の関心事なのだ。パキスタンは、アメリカが何十億ドル与えようとも、アフガニスタンを引き継ぐはずだと知っているタリバンを、必ずや、育て、保護するだろう。また、広く報道されている、パキスタンのスワット渓谷における政府とタリバンとの戦闘は、新たな始まりというよりは、不浄な同盟を破壊するするようなことは一切行わない、振り付けされたジェスチャーの一部だ。

テロリスト集団を打ち破る唯一の方法は、彼等が暮らす社会の中で、彼等を孤立させてしまうことだ。これには、国民を過激派から引き離す必要がある。これは政治的、経済的、文化的戦争だ。軍事占領や武力衝突に関する下手な算数は、こうした類の戦闘にとって、常に逆効果だ。常に、殺害する以上の、武装反抗勢力を生み出してしまう。常に、テロを正当化してしまうのだ。そして、資源や命を我々が浪費している間に、本当の敵、アルカイダは、他に移動して、インドネシア、パキスタン、ソマリア、スーダンやモロッコ、そして、フランスのリオンや、ロンドンのブリクストン地域にあるような窮乏したイスラム教徒のコミュニティで、ネットワークを作りあげる。アルカイダが隠れて活動するための、孤立した場所や、疲弊した地域は、世界にたっぷりある。彼等はアフガニスタンを必要としてはおらず、我々とて、必要としていない。

記事原文のurl:www.truthdig.com/report/item/20090720_war_without_purpose/

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同じ著者による別翻訳記事の一つ:

オバマ・ブランドに乗せられる

今をときめく小沢氏、この、アフガニスタンのISAFに、派兵すると主張している。主張は撤回したのだろうか?郵政民営化(それ自体でも、アメリカ資本に奉仕する企画ゆえ、良いわけはないが)を呼号して、圧倒的な議席を得た、小泉自民党が、どれだけ日本の庶民に損害を与えたか、多くの方々は、身をもって痛みを感じておられるのではなかろうか?そして、今回、「ガス抜き・エセ政権交代解散」で、今度は、民主党が圧倒的な議席を得る。その、行く先は、さらなるアメリカ追従。金と血を絞りとられる。

民主党代表が、「安保・アメリカ従属を見直す」というような、明確な発言さえしてくれれば、民主党疑問説など、いつでも撤回するのにやぶさかではないが、そんなことは永久に起こるまい。そんな発言をすれば、たちまち、セラヤの運命が待っているのだから。

2009年7月20日 (月)

ホンジュラス・クーデターを支援したワシントン: これが証拠

Eva Golinger

chavezcode.com

2009-07-13(英訳版は2009-7-15)

  • アメリカ国務省はクーデターを事前に知っていた。
  • 国務省とアメリカ議会は、クーデターに参加したホンジュラス国内の関係者達と組織に、資金援助と助言を与えた。
  • ペンタゴンに訓練され、教育され、指揮され、資金援助され、装備を与えられたホンジュラス軍が、クーデターをやらかし、ホンジュラス国民を、武力によって、抑圧し続けている。
  • ソトカノ(パルメローラ)軍事基地を占拠して、ホンジュラスに駐留するアメリカ軍は、暗黙の共謀と、クーデターに関与していたホンジュラス軍への支持撤回を拒否することによって、クーデターの正当性を認めた。
  • テグシガルパ駐在アメリカ大使、ヒューゴ・ローレンスは、トーマス・シャノン国務次官や、現在、ヒラリー・クリントン国務長官の顧問として働いているジョン・ネグロポンテらと一緒に、マヌエル・セラヤ大統領の追放を、とりまとめたのだ。
  • クーデター発生の初日から、ワシントンは、関与した人々を“両者”とよび、“対話”憲法秩序を回復させる必要を言い、彼等を、人権と民主的原理の犯罪的な違反者ではなく、対等な参加者と見なして、クーデター指導者達を正当化した。
  • 国務省は、ホンジュラスでの出来事を、法律的に“クーデター”として扱うことを拒否し、ホンジュラスに対する経済援助や通商を、停止または凍結することもしておらず、現在の政権に効果的に圧力をかける手段を全く講じていない。
  • 単純に、現在の政権を、合法化し、依然としてクーデターに抵抗しているホンジュラス国民を疲労させることを狙う、今でも実施されている戦略の一部として、ワシントンは、米州機構 (OAS)をあやつって、時間稼ぎをして、クーデター政権に勢力を固められにようにする一方で、セラヤ大統領が即時権力復帰する可能性を弱めている。
  • クリントン国務長官と、その広報担当官達は、コスタリカ大統領オスカル・アリアスを、クーデター政権と憲法上の政府との間の“調停者”として指名した後、セラヤ大統領の復帰について語るのをやめた。
  • そして、今や国務省は、クーデターの際に違法に権力を奪取した独裁者ロベルト・ミチェレッティを、“暫定管理大統領”と呼んでいる。
  • クーデター政権と“交渉”するという戦略は、クーデターをひき起こしたとして、非難することで、セラヤ大統領の信用を傷つけ、クーデター指導者を合法化する方策として、オバマ政権によって課されたのだ。
  • アメリカ議会の議員達が、民主党も共和党も、ホンジュラスのクーデター政権の代表によるワシントン訪問をとりまとめ、アメリカ首都の様々な舞台で、彼等を栄誉をもって受け入れている。
  • 元々、自分の事務所とコネがあるロビー会社、コーマック・グループ経由で、クーデター政権の代表のワシントン訪問をとりまとめたのは共和党上院議員ジョン・マケインであったという事実にもかかわらず、今や、非合法な政権は、一流のロビイストで、党派を超えて、ホンジュラスのクーデター政権の全般的承認を実現するために、ワシントンにおける自分のコネと影響力を、行使しているクリントンの弁護士ラニー・デイビスを代表にしている。
  • オットー・ライヒと、ベネズエラにおける2002年4月のクーデター時に、独裁者ペドロ・カルモナの弁護士をしたことで有名なロベルト・カルモナ-ボルハスという名のベネズエラ人が、ホンジュラスにおける、対セラヤ大統領クーデターの基礎作りを手伝った。
  • ホンジュラスのクーデターを計画し、手助けするよう、ワシントンから選定されたチームには、最近、中米に派遣されたアメリカ大使の集団で、キューバ革命に対する不安定化工作の専門家達や、USAIDのキューバ “デモクラシーへの移行”プログラムの元局長アドルフォ・フランコらが含まれていた。

6月28日に始まったマヌエル・セラヤ大統領に対するクーデターの至る所、ワシントンの指紋だらけであることを疑う人はいない。多くの評論家、作家、活動家や、大統領達さえもが、この役割を非難している。にもかかわらず、大多数は、オバマ政権が、ホンジュラス・クーデターに対して、いかなる責任もないと言い訳しながら、その代わりに、いつまでも消えずに残っているブッシュ-チェイニー時代の残骸や、ホワイト・ハウス中を歩き回っているタカ派連中のせいにする点で、一致している。中南米で、クーデターや不安定化工作をやらかした、いつも名前の挙がる札付きが関与しているのは確実であることを証拠が立証しており、ホンジュラス・クーデターにおける、ワシントン新政権の直接的な役割を裏付ける証拠はたっぷりあるのだ。

国務省

「スマート・パワー」として知られている、アメリカ合州国外交の新たな形が、ホンジュラスのクーデターの事前、最中、事後、主要な役割を果たした。7月1日の記者会見で、国務省の広報担当者は、ホンジュラスでのクーデターを事前に知っていたことを認め、アメリカ外交官が、クーデターを計画していた集団や関係者達と会って、セラヤ大統領に対する彼等の不満に対して、他の“解決策”をとるよう、働きかけていたことを明らかにした。[i] 国務省も、二人の国務省幹部職員、西半球担当トーマス・シャノン国務次官補と、クレイグ・ケリー次官補が、クーデター前の週にホンジュラスにおり、後に、民主的に選出された大統領の違法な打倒に参加した民間人と軍隊の集団と会合を続けていたことを確認した。彼等は、自分たちの任務は、クーデター“をしないようにさせる ”ことだったと語っているが、そのような言葉による圧力だけでは、特にこうした厳しい言葉と矛盾して、ワシントンが明らかにした行動を考えれば、クーデターに関与した関係者達を、思い止まらせるには、明らかに不十分だった。

クーデター当日、アメリカ国務長官ヒラリー・クリントンは、ホンジュラスの状況に関して声明を発表した。世界中の政府が迅速に、行為をクーデターだとして非難した事実にもかかわらず、クリントンの声明は、ホンジュラスの出来事を“クーデター”として認識しておらず、セラヤ大統領の地位復帰も要求してはいかった。奇妙なことに、クリントンの声明は、初日から、この状況の“全ての当事者”と呼び、クーデター指導者を合法化し、公的に、自らの追放をひき起こしたかどで、メル・セラヤ大統領を非難している風がある。「ホンジュラス大統領メル・セラヤに対してなされた行為は、米州民主憲章の指令に違反しており、全員から非難されるべきである。我々は、ホンジュラスの全関係者に、憲法秩序と、法の支配を尊重し、自分たちの民主的な職務を再確認し、政治的紛争を、平和的に、対話によって解決すべく、全力を傾けるよう要求する。ホンジュラスは、まだ一ヶ月もたたない過去に、米州機構が主催した会議において、我々が再確認したデモクラシーの原理を受け入れなければならない。」[ii]

そして、それ以来、ホンジュラスで起きた“クーデター”について様々な言及があるにもかかわらず、国務省は起きた出来事を、クーデターとして法律的に扱うことを拒否した。そうすれば、アメリカ政府は、ホンジュラスに対する、経済的、外交的および軍事的援助の一時停止を義務づけられるするのだが、彼等は明らかにそうしたくはないのだ。そのような施策が、中米諸国と地域におけるアメリカ権益に、かなりの影響を与えてしまう為だ。7月1日、国務省の広報担当者達は、クーデターに関する質問に対する彼等のためらいについて説明した。「クーデターそのものについては、私は、これは単に、これは、軍隊と一部の民間政治関係者達とによる協調的な取り組みと表現するのが最適だろうと考える。明らかに、軍は大統領の強制的追放を行った組織であり、この過程の間、社会的秩序を確保する組織として行動した。だが、クーデターを、謀叛、あるいは反乱以上のもにするには、権力を移行するための努力をしなければならない。そして、この点で、議長のミチェレッティを、ホンジュラス大統領として、宣誓就任させるという議会の決定は、議会と、議会の主要メンバー達が、このクーデターにおいて、重要な役割を演じていたことを示している。」[iii]

ホンジュラスにおける出来事を、憲法秩序違反と非難しながらも、事態をクーデターとして扱うまではせず、セラヤ大統領を、大統領の地位に復職させるよう要求しなかったこの曖昧な立場は、7月7日、クリントン国務長官と、セラヤ大統領の間で行われた会談後、再び追認した。クリントンは以下のような声明をおこなった。「私はセラヤ大統領との有意義な会議を終えたばかりだ。我々は、過去九日間の出来事と、今後の方向について話し合った。アメリカ合州国は、ホンジュラスにおける民主的な憲法秩序の回復を支持することを、私は彼にあらためて表明した。我々は、平和的な解決をもたらすための、米州機構による地域的努力が、米州民主憲章の条項と矛盾のないよう支持を続け…全ての当事者に、暴力行為を控え、対話を通して、ホンジュラスにおける深刻な分裂に対する、平和的で、憲法に合致した、永続的解決策を模索するよう我々は要求する。その目的のため、私たちは、西半球における多数のパートナーと、交渉を、この状況の平和的な解決をもたらせるような対話を実現すべく、取り組んでいる。”[iv]

この会談後、ワシントンは、もはやセラヤの大統領復帰を、必要な解決策とは見なしていないことは明らかで、結局、アメリカ権益にとってより有利な、クーデター政権との“交渉”に向けて、ロビー活動をしたがるだろう。クーデターの後に開催された米州機構(OAS)の会合に出席していた情報筋は、地位の高い人々によるアメリカ代表団が、他の国々に対し、必ずしもセラヤ大統領の権力復帰を意味しない、“交渉による”解決を強く要求する圧力を強化したことを、肯定した。

肝心な話題を回避し、結果を操作し、あたかも、一つの態度をとっているがごとき振りをしようとしているが、現実には、その行動が、逆のことを示している、このやり口は、ワシントン政府を悪者扱いすることなしに、帝国主義者の目的を実現できると主張する“スマート・パワー”なる、新たなオバマ・ドクトリンの一部だ。“スマート・パワー”というのは、勝利のための戦略を実現するため“‘ハード・パワー’を‘ソフト・パワー’とを組み合わせる能力だ。‘スマート・パワー’は、政治的・社会的正統性を持った、効果的な方法で、戦略的に、外交、説得、能力構築、軍事力と、経済的・政治的影響力を使うものだ。本質的に、スマート・パワーというのは、軍事力と、あらゆる種類の外交を混合したもので、軍事侵略の代わりに、社会の運命に、強く影響を与えるための、主要な戦術として、“デモクラシー推進”の利用に重点を置くものだ。[注:“スマート・パワー”は、USAID(米国国際開発庁)や全米民主主義基金(NED)のような機関を使って、アメリカの狙いを推進するために、こっそりと市民社会団体に入り込み、潜入するという‘汚れ仕事’をさせることに力点をおいている点に留意されたい。これこそが、中南米専用の2010年度予算で、“デモクラシー推進”基金として、更に3億2000万ドルも、オバマが要求する理由なのだ。これは、ブッシュ政権による8年間の政府予算を合算した、中南米“デモクラシー推進”のために、要求され、使われた金額よりも、大幅に多額だ。]

大使

ジャーナリストのジャン・ギー・アラールは、現在の在ホンジュラス・アメリカ大使ヒューゴ・ローレンスの来歴を暴露した[v]。アラールによると、ヒューゴ・ローレンスは、生まれはキューバ人で、アメリカ合州国には、ピーターパン作戦によってやってきた“テロ専門家だ… 2002年、ジョージ・W・ブッシュのホワイト・ハウスは、機敏なローレンスを、戦略的に、ワシントンD.C.国家安全保障会議の、アンデス問題主任の地位につけ、それにより、彼はベネズエラに関する大統領首席顧問となった。2002年のベネズエラのウゴ・チャベス大統領に対するクーデターは、ローレンスの任期中に起きているが、彼は西半球担当の国務次官補、オットー・ライヒや、極めて問題の多い、エリオット・エイブラムズと共に働いていた。2008年7月、ローレンスは、ホンジュラス大使に任命された。」

2009年6月4日、セラヤ大統領に対するクーデターのわずか数週間前、ローレンス大使は、ホンジュラスのマスコミに、「...人は、別の憲法をつくるために、憲法違反をすることはできない。もしも、憲法を尊重しなくなれば、我々全員が、弱肉強食の世界で暮らさねばならなくなるためだ。」と断言した。[vi] こうした宣言は、もしもセラヤ大統領に対するクーデターが起きていなければ、6月28日に行われていたはずだった、2010年中に憲法制定会議を招集する可能性についての、全国的世論調査に関して行われた。ローレンスが行った発言は、世論調査に対する彼の立場のみならず、ホンジュラス内政問題への介入の証拠でもあるのだ。

だが、ローレンス大使は、この地域で、ひとりぼっちだったわけではない。彼が駐ホンジュラス・アメリカ大使、この地域における左翼政府の存在感が増大するのを無力化し、ALBAの地域的な潜在力を妨げるという、差し迫った必要性ゆえに任命された職務、に任命された後に、数人の他のアメリカ大使が、近隣諸国にむけて任命されたが、全員が、キューバ革命の不安定化と心理戦遂行の専門家だった。

ロバート・ブラウ外交官は、2008年7月2日、在エルサルバドル・アメリカ大使館に、第二位の館員として任命されて、赴任した。2009年1月、ブラウは、大使館の代理大使となった。エルサルバドルへ赴任するまで、ブラウは、キューバ、ハバナのアメリカ権益部門で、二年間、政治アドバイザーとしてつとめた後、ワシントンの国務省で、キューバ問題の副主任をつとめた。キューバ反対派キューバ人との仕事が、非常に成功したため、ブラウは、国務省ジェームズ・クレメント・ダン優秀賞を授与された。ローレンスとブラウは、国務省でオットー・ライヒのチームの一員として一緒に仕事をして以来の、古くからの友人である、。

2008年8月5日、間もなくスティーブン・マクファーランドは、在グアテマラ・アメリカ大使に任命された。マクファーランドは、ヒューゴ・ローレンスや、ロバート・ブラウと同様、アメリカ国防大学卒業生で、イラク・アメリカ海兵隊第二連隊戦闘団の元メンバーでもあり、ウイリアム・ブラウンフィールドの任期中、在ベネズエラ・アメリカ大使館の次席だった。ブラウンフィールドは、ベネズエラの反対派に対する、国務省の資金提供と、戦略的支援の大幅増を実現したことで有名だ。ベネズエラの後、マクファーランドは、在パラグアイ・アメリカ大使館に派遣され、ボリビアと国境を接する国パラグアイにおける、巨大アメリカ軍事基地の建設を監督した。マクファーランドは、国務省キューバ部門部長であり、彼の履歴書は、彼は“民主的移行、人権、および、安全保障問題”の専門家であると主張している。

ロバート・キャラハン大使がニカラグアのマナグアに到着したのも、8月始めだった。キャラハンは、ボリビア、ラパスと、コスタリカのサン・ホセのアメリカ大使館で働いたことがあり、国防大学の著名な教授だった。2004年、彼はイラクに、在バグダッド・アメリカ大使館の公報官として派遣された。帰国後、彼は、ワシントンに新たに設立された国家情報庁?(DNI)で、報道・プロパガンダ室をたちあげたが、これは現在アメリカの諜報コミュニティーにおいて、最も強力な組織だ。

これら大使達、つまり、クーデター、不安定化とプロパガンダの専門家達が協力し、ホンジュラスでのセラヤ大統領に対するクーデターの土壌を準備した。

クーデター指導者たちへの資金援助

セラヤ大統領に対するクーデターが起きるわずか一ヶ月前、セラヤの政策に反対する、様々な組織、ビジネス団体、政党、カトリック教会幹部、商業マスコミの連合がたちあげられた。この連合は“ホンジュラス民主市民連合(union civica democratica de Honduras)”という名前だ。その唯一の目的は、ホンジュラスの政治過程において、大衆の発言や役割を認めることになるだろう、憲法改訂のための憲法制定会議が、将来実現する可能性を妨げるため、セラヤ大統領を権力の座から追放することだった。

“ホンジュラス民主市民連合”は、全国腐敗防止評議会(Consejo Nacional Anticorrupcion)、テグシガルパ大司教(Arzobispado de Tegucigalpa)、ホンジュラス私企業評議会(Consejo Hondureno de la Empresa Privada=COHEP)、大学学長評議会(Consejo de Rectores de Universidades)、ホンジュラス労働者連盟(Confederacion de Trabajadores de Honduras=CTH)、全国コンバージェンス・フォーラム(Foro Nacional de Convergencia)、ホンジュラス全国商工連盟(Federacion Nacional de Comercio e Industrias de Honduras=FEDECAMARA)、マスコミ協会(Asociacion de Medios de Comunicacion=AMC)、グループ・ピース & デモクラシー(Grupo Paz y Democracia)、および学生集団の「ジェネレーションX チェンジ」(Generacion X Cambio)等を含む組織によって構成されている。(訳注:勝手な日本語訳をあてているので、念のため、元のスペイン語を並記しておく。アクセント記号が飛んでしまっている点、ご注意を。)

こうした組織の大半は、ホンジュラスにおける“デモクラシー推進”のため、USAIDや全米民主主義基金 (NED)によって支払われる、年間5000万ドル以上の受給者だった。実際、COHEPへの資金援助と、作業にかかわるUSAID報告は、「本プロジェクトにおいて、USAIDが目立たないような態度をとっていることが、COHEPがホンジュラスの組織であり、USAIDの手先ではなという信ぴょう性を確保するのに、大いに役立っている。」と述べている。これはつまり基本的に、COHEPが、実際は、USAIDの手先だということだ。

“ホンジュラス民主市民連合”の代弁者たちは、彼ら自身によれば、“市民社会”を代表しているのだという。セラヤ大統領に対するクーデターが起きる五日前の6月23日、自分たちは「軍隊は、憲法、法、平和とデモクラシーを守るという自らの責任を果たすだろうと信じている」とホンジュラス・マスコミに彼等は語っていた。6月28日にクーデターが起きた際には、クーデターは起きてはおらず、むしろ、国民に、存在感と発言権とを与えようとたくらむという罪を犯した、セラヤ大統領の手から、“デモクラシーが救われた”のだ、と即座に、最初の声を上げた。偏った、中流と上流階級を代表する、“ホンジュラス民主市民連合”は、セラヤ支持者を、“烏合の衆”と、形容した。

全米民主主義基金 (NED)からの資金援助を受けている団体である国際共和研究所(IRI)は、ホンジュラスの政治集団と仕事をするため、2009年には、120万ドル以上を受け取っている。IRIの仕事は、政党に影響を与えるため、“シンク・タンク”と“圧力団体”を支援し、“2009年のキャンペーン中に、政治姿勢を実行するイニシアチブを支援する”ことに専念している。これは、ホンジュラス内政介入のあからさまな例であり、またNEDとIRIがクーデターに関与していた集団に資金援助をしていた証拠だ。

ワシントン・ロビー

元アメリカ大統領候補の共和党上院議員ジョン・ マケインは、先週のクーデター政権代表団によるワシントン訪問のとりまとめを援助した。マケインは、ベネズエラ、ボリビアや、この地域で“反帝国主義”と見なされている他の国々の政府に、反対していることで、有名だ。マケインは、マイアミの亡命キューバ人社会とも、極めて密接なつながりを持っている。マケインは、ホンジュラスにおけるクーデター参加者に資金援助をした国際共和研究所(IRI)の役員会会長でもある。マケインは、彼と密接なつながりのある、ワシントンのロビー会社、コーマック・グループによるサービスを提供したが、この会社は、7月7日、アメリカ記者クラブにおける、クーデター政権代表団の記者会見を開催した。マケインは、コニー・マック、イレーナ・ロス・レーチネンや、メル・マルチネス等、従来のキューバ系アメリカ人議員や、一般的な“チャベス嫌いの連中”を集め、議会で、幾つかの会談を設定するのも手伝った。

だが、共和党のコネから先には、ホンジュラス・クーデター政権と、現在のワシントン民主党政権との、一層まずいつながりがあらわれる。弁護士ラニー・デイビスは、クーデター政権に有利になるようロビー活動をして、ワシントンの有力者達が、ホンジュラスにおける現在の政府を、受け入れ、認めるよう説得すべく、中南米経済人会議(CEAL)に雇われている。ラニー・デイビスは、1996年から-1998年まで、元大統領ビル・クリントンの特別顧問をつとめ、ヒラリー・クリントン国務長官の親しい友人であり、顧問だ。デイビスは、現在のホンジュラス政府を合法化することを狙って、外交的攻勢と、重要なアメリカ・マスコミにおける、戦略的な広告の配置を含む、クーデター政権に味方する広報キャンペーンをとりまとめ、会合や、議会、国務省やホワイト・ハウスのメンバーとの公聴会を開催している。中南米経済人会議CEALは、民主的な政府を、クーデター、および/または、他の破壊工作手段で、倒そうとする過去の企みを、推進し、参加してきた連中を含め、中南米の保守的な財界を代表している。例えば、CEALのベネズエラ代表は、2002年の対チャベス大統領クーデターに、本格的に関与し、自社の政治的な狙いを推進するため、一貫してベネズエラの法律違反をしてきたテレビ局RCTV社長マルセル・グラニエルだ。

この攻勢の一環として、ラニー・デイビスは、下院外交委員会での特別公聴会をお膳立てしたが、これには議会の有力者が出席し、民主党議員エリオット・エンゲル(ニューヨーク選出の下院議員)が監督していた。公聴会において、ホンジュラス・クーデター政権の代表や、直接、間接に、クーデターを支持していた、インターアメリカン・ダイアローグのマイケル・シフターや、元ホンジュラス外務大臣、最高裁裁判官のギレルモ・ペレス-カダルソ、そして、80年代中ずっと、中南米の左翼、進歩派政府に対する、大半の不安定化活動における役割で有名な、悪名高いキューバ系アメリカ人オットー・ライヒらによる宣誓証言が行われた。ジョージ・W・ブッシュ大統領の中南米特別顧問に任命されたライヒは、チャベス大統領に対する2002年クーデターでも、主要な役割を演じていた。この聴聞会の結果、アメリカ議会は、現在、ホンジュラスのクーデター政権を、合法的な政府として認める決議を通そうとしている。

ラニー・デイビスのロビー活動による、もう一つの成果は、6月9日のカウンシルズ・オブ・アメリカのワシントン事務所における会議だ。この催しには、NEDとUSAIDから資金を受けている団体、ナシュナル・デモクラティック・インスティテュート(NDI)の中南米・カリブ海担当プログラム責任者、ジム・スゥィガート、元駐ホンジュラス・アメリカ大使、クリス・アーコス、中南米とカリブ海諸国担当の元USAID局長で、キューバ“デモクラシー移行”プログラムの理事長のアドルフォ・フランコらが参加していた。これら三人の人物は、ホンジュラス危機で、オバマ政権顧問として働いている。2008年の大統領選挙運動中、ジョン・マケインの外交政策顧問をつとめていたフランコは、キューバ“デモクラシー”プログラム向けのUSAID資金の管理不行き届きによる汚職で告訴されている。フランコは、こうした資金から、総計4000万ドル以上にものぼる額を、マイアミの、自由キューバ委員会や、インスティテュート・オブ・キューバン・スタディーズ等の団体に、資金支払いの透明なプロセスを遵守せずに転用していたのだ。

またしても、ネグロポンテとライヒ

多くの中南米アナリストや専門家達は、1980年代、中米の左翼活動に対し、民兵組織や、“コントラ”として知られている暗殺部隊を指揮していた元駐ホンジュラス大使、ジョン・ネグロポンテの役割に思いをめぐらせている。駐イラク・アメリカ大使、国連アメリカ大使、国家情報長官、そして最後には、コンドリーサ・ライスにつぐ地位の国務副長官、等、ネグロポンテは、ブッシュ政権時代、様々な高位の職についた。2009年1月に国務省を辞めてから、ネグロポンテは、元政府幹部によくあることとして、民間分野に天下りした。ワシントンで、最も影響力があり、強力なコンサルティング会社、マクラーティ・アソシエーツの副社長という地位を彼は提案された。ネグロポンテはその仕事を受けた。マクラーティ・アソシエーツは、ビル・クリントン大統領の元大統領首席補佐官で、クリントンの中南米特使でもあったトーマス・“マック”・マクラーティが創立した会社だ。クリントン政権が終えた後、マクラーティは、ワシントンで最も強力な戦略コンサルティング会社を経営したが、同社は昨年までは、トーマス・マクラーティとヘンリー・キッシンジャーとの合併によりキッシンジャー-マクラーティ・アソシエーツと呼ばれていた。この共同経営は、 ワシントンで、最も重要な政策を、本当に作り上げている超党派連合の明らかな証拠だ。

新たな職務の役割として、ジョン・ネグロポンテは、現在、ヒラリー・クリントン国務長官の顧問として働いている。現在の駐ホンジュラス・アメリカ大使、ヒューゴ・ローレンスは、彼の職業経歴のほとんどを、ネグロポンテ勢力圏の下で過ごしてきたことを想起されたい。従って、中米における左翼活動壊滅の専門家、ジョン・ネグロポンテが、ホンジュラスにおける、今の対セラヤ大統領クーデターの中で、一翼を担っていると考えても、飛躍しすぎにはなるまい。

オットー・ライヒは、最近数年間、セラヤ大統領に反対するキャンペーンにエネルギーを注ぎ込んできた。2009年4月、ライヒが、セラヤ大統領は、国有の通信会社ホンジュテルから、1億ドル盗み取ったと非難した後、ホンジュラス大統領は、実際にライヒを名誉棄損のかどで訴えると脅した。こうした非難には、決して証拠がなかったが、ライヒが、ホンジュテルに興味を持っている理由を説明する真実が、間もなく明らかになった。彼のコンサルティング・ロビー会社、オットー・ライヒ・アソシエーツ経由で、このキューバ系アメリカ人は、ホンジュテル民営化を要求している多国籍企業の代理人をつとめていたが、民営化にはセラヤが反対していたのだ。セラヤ大統領が、もはや部外者となった今、ライヒは、数百万ドルもの取引を進めることが可能になった。

ライヒは、ワシントンで、アルカディア財団という名前の組織を[vii]、彼自身の履歴書によれば、2002年4月のベネズエラ・クーデターに関係していた軍法専門のベネズエラ人弁護士ロベルト・カルモナ-ボルハスと共同で設立している。ロベルト・カルモナ-ボルハスは、クーデター当日、2002年4月11-12日、独裁者ペドロ・カルモナと一緒に、ベネズエラ、カラカスのミラフローレス大統領官邸におり、大統領官邸が、再度、大統領警備隊により、奪還され、憲法秩序が回復した後、カルモナと共に逃亡した。後に、彼はベネズエラのクーデターで果たした役割の責任で起訴され、アメリカ合州国に逃げ、ワシントンDCのジョージ・ワシントン大学で教授になった(クーデター指導者や、デモクラシーの違反者達が、アメリカ合州国で歓待を受けているの見るのは、結構なことだ)。昨年来、ライヒとカルモナ-ボルハスは、腐敗と、私有財産権を制限するとして、彼を非難する、反セラヤ大統領キャンペーンを実行した。アルカディア財団経由で、彼等は一連のビデオ・クリップを制作し、様々なメディアで上映されたが、セラヤを、ホンジュラス国民の基本的権利を侵す、腐敗した大統領として描き出そうとするものだった。[viii]

カルモナ-ボルハスは、過去数カ月間、ホンジュラスに頻繁に出張し、セラヤに対するクーデターをあからさまに論議する市民集会まで開いた。カルモナ-ボルハスが出席する、ある場面で、クーデターに参加した、ホンジュラスの国選弁護人ラモン・クストディアは、「クーデターは、一つの可能性であり、いかなる政治環境の中でも起こりうる」とマスコミに宣言した。クーデターが起きた後、ロベルト・カルモナ-ボルハスは、7月3日、現在の政権を支持する集会に登場し、彼のことを、セラヤ大統領の権力からの追放と、独裁者ロベルト・ミチェレッティを、事実上の大統領に就任を“可能にすることを助けた”“重要な関係者”だと公言したクーデター指導者達から、敬意と喝采を受けた。[ix]

軍事力

アメリカ合州国は、首都テグシガルパから約80キロのところにあるホンジュラスのソトカノ(パルメローラ)基地に、大規模な駐留軍を維持しており、これは1981年以来、積極的に活動しており、アメリカのロナルド・レーガン政権により、大いに活用され、中米での作戦に使われた。

80年代中、ソトカノは、CIAによって訓練され、武器を与えられ、資金を受け、中米における、あらゆる左翼運動に対し、中でも、特に隣国ニカラグアのサンディニスタ政府に焦点を当てて、戦争を遂行する任務を帯びた民兵組織“コントラ”作戦の基地としてオリバー・ノース大佐によって利用された。“コントラ”は、ソトカノから、何万人もの農民や一般市民の暗殺、何千人もの行方不明者、拷問、負傷者をもたらし、全地域を恐怖政策で支配した、テロ攻撃、心理戦(オットー・ライヒの外交広報局が監督していた)、暗殺部隊や、特殊秘密任務を遂行した。

当時駐ホンジュラス・アメリカ大使だったジョン・ネグロポンテは、オリバー・ノースやオットー・ライヒと共に、これらの卑劣な作戦を、指揮、監督した。彼等は後に、レーガン政権が、この地域の左翼運動を無力化するために使っていた、民兵集団と暗殺部隊への資金提供を、アメリカ議会が止めた際に、イラン-コントラ・スキャンダルに関与することとなり、ネグロポンテ-ノース-ライヒ・チームは、自分たちの秘密作戦への資金提供を継続するため、イランに武器を売った。

ソトカノ基地には、陸軍、空軍、統合治安部隊と、アメリカ空軍第一大隊第228連隊のメンバーによって構成される、アメリカ軍ブラボー統合任務部隊が駐留している。この基地に現在駐留するアメリカ軍の総計は約600人で、18機の戦闘機と、特殊戦争作戦に用いられる、UH-60ブラック・ホーク・ヘリコプターと、CH-47チヌーク・ヘリコプターもある。ホンジュラス航空アカデミーもソトカノ基地にある。650人以上のホンジュラスとアメリカの民間人も、この基地施設の中で生活している。

ホンジュラス憲法は、外国軍隊の国内駐留を法的には認めていない。ワシントンとホンジュラス当局の間で、“握手”協定が結ばれた。基地への“数百人、時には数千人の、アメリカ軍要員の半永久的”な重要で戦略的な駐留だ。協定は1954年、アメリカがホンジュラス軍に提供する数百万ドルの援助金と引き換えに結ばれた。この援助は、訓練プログラム、武器と軍装備品、ホンジュラスの領土で行われる共同演習や作戦にまでわたる。この基地は、アメリカ軍とCIAによって、1954年に、グアテマラで、ハコボ・アルベンスに対するクーデターをしかけるのに、始めて利用された。

毎年、ワシントンは、ハイチとニカラグアに継ぐ、西半球で三番目に貧しい国ホンジュラスへの軍事および経済援助として、何億ドルも認可している。この中米国家へのアメリカ軍駐留を確保するこの「取引」は、ホンジュラス政府によって、たいした通知なしに、いつでも終結できる。

2008年5月31日、マヌエル・セラヤ大統領は、ソトカノ(パルメロラ)を、国際民間空港に転換するつもりだと発表した。空港ターミナル建設は、米州ボリバール代替統合構想(つまりALBA、ボリビア、キューバ、エクアドル、ドミニカ、ホンジュラス、ニカラグア、セントビンセント、アンティグア、バルバドスと、ベネズエラが加盟国)からの資金を、財源とする予定だった。これは、明らかに、ホンジュラスにおける将来のアメリカ軍駐留に対する重大な脅威だった。

セラヤ大統領に対するクーデターで主要な役割で参加した二人の将軍は、いずれも、中南米の独裁者、拷問者や、鎮圧者を訓練することで有名な、アメリカ陸軍米州学校の卒業生で、二人は、ホンジュラスに駐留するアメリカ軍と、非常に緊密な関係を保っていた。ホンジュラス空軍司令官ルイス・ハビエル・プリンセ・スアソ将軍は、1996年に、有名なアメリカ陸軍米州学校で学んだ。2009年6月24日に、大統領命令に対する非服従のかどで、セラヤ大統領に解任され、わずか数日後の軍事クーデターで、主要な関係者として登場した、ホンジュラス統合参謀本部議長ロメオ・ヴァスケス大将も、アメリカ陸軍米州学校の卒業生だ。この二人の軍幹部も、ペンタゴンやアメリカ南方軍と、密接な連絡を維持していた。

2008年9月までの駐ホンジュラス・アメリカ大使、チャールズ・フォードは、ヒューゴ・ローレンスがその職務に任命されると、ホンジュラスから、フロリダ州のアメリカ南方軍に、転出させられ、現在の地位である、ペンタゴンに中南米に関する“戦略的助言”を提供する任務を与えられた。

ホンジュラス軍は、アメリカ軍により、資金を得、訓練され、教え込まれ、指揮されている。冷戦開始以来、彼等は、反左翼、反社会主義、親帝国主義精神を吹き込まれつづけてきた。ホンジュラスのクーデターに参加した、将軍や、高級将校達は、“その“左翼”イデオロギーと、ベネズエラやキューバのような地域の社会主義諸国との団結によって、彼がもたらした脅威”ゆえに、セラヤ大統領を権力の座から追い出すよう、軍は“義務づけられていた”と、公然と述べている。あるホンジュラス人大佐によると、「我々は、この国で、破壊活動と戦ってきたが、 ホンジュラスは、他国のような、同胞で殺し合う戦争をしなかった唯一の国家だ…我々にとっては、我々が受けた訓練からして、左翼政府と関係を維持することは困難だったろう。それは不可能なのだ。個人的には、退役したかった。私の意見、私の信条は、あれに参加することを許さないはずのものなので。''.[x]

こうした上記の証拠の全て、そして、必ずや今後も更に現れるであろうものが、ホンジュラスの対セラヤ大統領クーデターにおける、ワシントンの否定しがたい役割を証明している。

i http://www.state.gov/r/pa/prs/ps/2009/july/125564.htm

ii http://www.state.gov/secretary/rm/2009a/06/125452.htm

iii Ver nota 1.

iv http://www.state.gov/secretary/rm/2009a/july/125753.htm

v http://www.radiomundial.com.ve/yvke/noticia.php?28366

vi http://www.elheraldo.hn/País/Ediciones/2009/06/05/Noticias/Lo-que-se-haga-debe-ser-legal-y-constitucional

vii www.arcadiafoundation.org

viii http://www.arcadiafoundation.org/videos.html

ix http://www.youtube.com/watch?v=ukacM-77lXs.

x http://www.aporrea.org/actualidad/n138264.html

記事原文のurl:www.chavezcode.com/

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段々と実態が見えてきたようだ。属国には、よくある話。

電話会社のアメリカによる私営化問題:まるで、どこかで聞いたような話。

彼のコンサルティング・ロビー会社、オットー・ライヒ・アソシエーツ経由で、このキューバ系アメリカ人は、ホンジュテル民営化を要求している多国籍企業の代理人をつとめていたが、民営化にはセラヤが反対していたのだ。セラヤ大統領が、もはや部外者となった今、ライヒは、数百万ドルもの取引を進めることが可能になった。

基地協定廃止・民間空港化:これも我が身。ただし、そういう事態になる可能性は皆無。

ホンジュラス憲法は、外国軍隊の国内駐留を法的には認めていない。ワシントンとホンジュラス当局の間で、“握手”協定が結ばれている

中米国家へのアメリカ軍の駐留を確保するこの「取引」は、ホンジュラス政府によって、たいした通知なしに、いつでも終結できる。

属国日本にとって、益々人ごとでない事態。

数年前の呪文、郵政改革、守旧派、刺客にかわる、まるで実態のない政権交代などという、二大右翼政党(派閥)体制実現プロパガンダでなく、またイランの緑の革命でも、新疆ウイグルの事態でもなく、こうした、属国にとって最も切実な話題をこそ、マスコミに報じてもらいたいもの。今日は人の身、明日は我が身。ホンジュラス情勢を、ほとんど伝えない現状、まるで報道管制。もちろん、しつこく繰り返し書いている通り、属国庶民の生活向上ではなく、二大政党化体制実現プロパガンダこそが、(属国)商業マスコミの使命である以上、それは期待すべくもない。

選挙前から「インド洋やソマリアへの軍隊派遣を継続する」と言い出した民主党代表。セラヤのように、大化けして、国外追放される危険は皆無。その分、空虚な期待をして、またもや、だまされる庶民への打撃は、きつかろう。それが自己責任だと、小泉元首相は丁寧に?教えてくれている。

小泉郵政解散で、一度だまされ、政権交代で、二度目に、まただまされる。オバマのチェンジで熱狂した宗主国の民度は、そうした宗主国に憧れる属国の、チェンジにあこがれる民度の手本だろう。

(単なる「政権交代」という言葉そのものについて、良い、悪いという判断をしているわけではない。日本の、今の局面で、商業マスコミが大いに推進する、これからおきる「政権交代」は、恐ろしいと、思っているに過ぎない。都議選結果が、その恐ろしさを、くっきりと浮かびあがらせている。自民党多数派が、民主党多数派になったことをもって、商業マスコミは、また、多くのブログは、素晴らしい変化であるがごとき言説を振りまいている。また、自民党も、あたかも、敗北が深刻な風を装っている。しかし、都議会の審議実績からいって、民主党は事実上の与党にすぎない。カレー・ライスが、ライス・カレーに変わったに過ぎない。都民の大多数が、本当に、東京都の自民党に反対なのであれば、自民・公明・民主以外の政党に投票するのでなければ、本当の反対ではあるまい。国政とて同じこと。庶民にとって、暮らしやすくなる「政権交代」が、本当に起きるのであれば、そもそも、素人がブログでこうして書く必要はないだろう。アメリカが、背後であやつった、ホンジュラスのクーデターにあたるものが、日本では、小泉郵政選挙であり、麻生政権からの交代選挙だ、というだけのこと。)

マルクスの有名な言葉を、書いておこう。

「歴史は繰り返す、最初は悲劇として、二度目は茶番として」出典は『ルイ・ボナパルトのブリューメル18日』の冒頭。Wikipediaドイツ語版で、該当するドイツ語原文が読める。

„Hegel bemerkt irgendwo, daß alle großen weltgeschichtlichen Thatsachen
und Personen sich so zu sagen zweimal ereignen. Er hat vergessen
hinzuzufügen: das eine Mal als große Tragödie, das andre Mal als
lumpige Farce.“

「ヘーゲルは、どこかで言っている。あらゆる偉大な歴史的事実や、登場人物は、いわば二度現れる、と。彼はこう付け加えるのを忘れていた。一度目は、悲劇として、二度目は茶番として」

参考:同じ筆者による過去記事の、別の方による日本語訳

ベネズエラに対する米国の攻撃:ブラック・プロパガンダと汚い戦争戦術の高まり

チェチェン政府に批判的なジャーナリスト殺害される

wsws.org

Niall Green

2009年7月18日

水曜日、人権活動家で、クレムリン寄りのチェチェン政府に対する著名な批判者、ナターリヤ・エステミロワが、政府が支援する、地域の民兵による虐待とされるものを調査していたところを、拉致され、射殺された。

エステミロワは、チェチェンの首都グローズヌィの自宅を出た後、拉致された。目撃者達は、男四人が彼女を白いラーダに押し込んでいたと語っている。彼女の死体は、数時間後、隣国イングーシ共和国で発見された。

エステミロワは十代の娘を持つシングルマザーで、50歳だった。ロシアとチェチェンの血をひくエステミロワは、1999年に、第二次チェチェン戦争が勃発して以来、一般市民に対する人権侵害を調査していた。

殺害された当時、エステミロワは、チェチェン大統領ラムザン・カディロフの命を奪おうとたくらんでいたとして告発されていた夫婦の変死を調査していた。

エステミロワの同僚達は、彼女の死は、カディロフのせいだとしている。カディロフは、関与を否定し、この活動家の殺人犯は処罰されようと述べた。あるチェチェン政府の広報担当者は、正式な捜査が開始されるだろうと、マスコミに語った。

ロシア大統領ドミトリー・メドベージェフも殺害を非難し、追加調査を命じた。

カディロフの政府は、ロシア人や国際的ジャーナリスト、人権団体から、その腐敗、脅迫、暴力に対し、強く批判されてきた。エステミロワは、人権団体メモリアルのグローズヌィ事務所の職員で、チェチェン政府や、チェチェン国内のロシア連邦軍による、何百件もの誘拐、拷問、殺害事件を調査していた。

チェチェン大統領は、「カディロフスツィ」として知られている、無数の犯罪事件や政治的な暗殺に関係している大きな民兵組織のボスだ。民兵組織は、この地域における、分離主義イスラム教徒集団との紛争に携わっているため、モスクワから、かなり大目に見てもらっている。

カディロフは、チェチェンを、まるで自分の領地であるかのように支配している。政治的な反対は禁じられており、腐敗は蔓延している。三月、チェチェン国会野党のトップ、スリム・ヤマダーエフは、ドバイ旅行中に暗殺された。

メモリアルの代表、オレグ・オルロフは、自分は潔白だというカディロフの主張を否定する声明を発表した。オルロフは、エステミロワが、カディロフの民兵から、再三、脅迫されていたと主張し、チェチェン当局は、エステミロワ殺害に関連していると断言した。

国際的人権団体のアムネスティー・インターナショナルや、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、いずれも殺害を非難し、活動家やジャーナリストが、この地域で自由に活動する能力についての懸念を表明した。

「チェチェンにおける恐るべき人権侵害を明らかにしようとするあらゆる人々に対する猟の解禁期のようだ」と、アメリカを拠点とするヒューマン・ライツ・ウォッチ代表のケネス・ロスは語っている。

カディロフは、2007年にチェチェン共和国大統領になった。彼は、元チェチェン反乱勢力指導者から、クレムリンの同盟者となり、2004年に暗殺されるまで、やはり大統領をつとめていたアフマド・カディロフの息子だ。カディロフは、2006年のロシア人の調査報道記者、アンナ・ポリトコフスカヤ殺害に関与しているとして、再三告発されている。

エステミロワは、ポリトコフスカヤや、今年モスクワで殺された人権活動家弁護士スタニスラフ・マルケロフらと親しく仕事をしていた。こうした人々は、1990年代に、この地域の分離主義者達が、ロシア連邦からの分離をたくらんで以来、ロシア軍やその現地代理人がチェチェンで用いる、一般市民に対する大規模なテロの幾つかの例を調査していた。

1994年に、第一次チェチェン戦争が勃発し、ロシア軍が、反抗を鎮圧しようとした際に、一般市民は、大量の犠牲者や、強制退去を味あわされた。1996年、停戦と、人口が百万をわずかに超えるだけの小国チェチェンのかなりの程度、事実上の独立によって、紛争は終結した。しかし、1999年、チェチェン分離主義者の責任だとされる、いくつかのロシア都市におけるテロ攻撃で正当化して、ロシア軍は新たな攻勢をしかけた。第二次の戦争は、翌年、グローズヌィの独立派政府崩壊と、クレムリン支配の復活で終わった。

この共和国は、カフカス地域における、モスクワのエネルギー権益にとって、極めて重要であったし、今もそうなのだ。石油とガスのパイプラインは、主要市場である西欧への途上、北カフカス地域を経由し、ロシアのビジネス・エリートとクレムリンに、何十億ドルもの金をもたらしている 。

更に、チェチェンの独立は、ロシア中で、ダゲスタンやタタールスタン等といった、国家的、民族的に 色々といりまじった共和国諸国が次々離脱する口火となりかねなかった。スターリン主義の下で、こうした歴史的紛争は、いずれも解決してはいなかった。そうではなく、少数派は、境界は維持されたままに、抑圧を味あわされていた。その多くが元スターリン主義者であった、ロシアの新興ブルジョワジーも、自分たちの経済的・戦略的権益を維持するため暴力に依拠し、同様に、こうした歴史的紛争に対応できないことが明らかとなった。

先週メドベージェフ大統領が、チェチェンに近い、旧ソ連共和国グルジアから分離独立した地域、南オセチアを訪問したことで、クレムリンの権益にとっての、この地域の重要性が強調された。南オセチアは、昨年の、グルジア・ロシア戦争の焦点であり、 アメリカ合州国はグルジア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリを支援していた。

メドベージェフの最近の訪問は、ロシア指導者とアメリカ大統領バラク・オバマとの間の最近の会談で、アメリカのアフガニスタン占領を支援することと引き換えに、少なくとも一時的には、この地域における支配権を主張することに、モスクワが成功した証拠だと見なされている。

地域の豊富な天然資源で利益を得ようと狙って、クレムリンと、そのチェチェンの子分が用いる、反民主的で、残虐な手法は、ソビエト社会主義共和国連邦における、資本主義復活の反動的な性格に対する悲劇的な証拠となっている。

積極的に自分たちの経済権益を追求する好機として、ソ連の崩壊を支援したアメリカとヨーロッパの諸大国は、カフカス地域で、活発に動いている。ワシントンと欧州連合は、石油・ガス輸送を巡るロシアの支配を弱体化させるべく、この地域における代替のエネルギー輸送経路を開発しており、将来の紛争の舞台を整えている。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2009/jul2009/chec-j18.shtml

2009年7月19日 (日)

ワシントンご指名のホンジュラス・クーデター調停者 オスカル・アリアスとは何者?

wsws.org

Bill Van Auken

2009年7月11日

コスタリカ大統領オスカル・アリアスは、追放されたホンジュラス大統領マヌエル・セラヤと、彼を打倒した軍事クーデターの指導者たちとの和解を調停するには、理想的な選択肢だと、アメリカのマスコミによって、もてはやされている。

アリアス・プランとして知られるようになった、いわゆるエスキプラスII和平合意を実現へと導いたことへの褒賞として、ノーベル平和賞を1987年に受賞したことで、彼は称賛されている。この合意は、ニカラグアのサンディニスタ政府の破たん、エルサルバドルのファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)ゲリラの武装解除、そして、両国における、ワシントンと緊密に提携した政府による政権掌握の基盤となった。

コスタリカで最も裕福なコーヒー農園のひとつに生まれた、現在68歳のアリアスは、大統領フィゲーレス“ぺペ”フィゲーレスの顧問として政治活動を開始した。コスタリカの主要政党である国民解放党(PLN)の創始者フィゲーレスは、1948年の内戦で勝利し、権力の座についた。内戦では、保守的なブルジョア政府と連合した、スターリン主義者のパルティード・ヴァングァルディア・ポプラール(人民前衛党)に組織された軍と民兵に対し、彼は、コスタリカの右派と、社会民主党と連合した反政府軍を率いた。

フィゲーレスは、彼の“リベラル”という反共性についての信任により、CIAの支持と、資金援助をかち取った。中南米で、偽装団体をたちあげるために、長年の工作員コード・ マイアーと密接に協力した。

アリアスは、PLN指導者として、フィゲーレスの後を継ぎ、1986年、初めて選挙で選ばれた大統領となった。一年後、彼はエスキプラスIIの中米五カ国の大統領による批准の功績があると見なされ、ノーベル賞を授与された。

わずかに、あと二人だけ生存している条約署名者、ニカラグアのダニエル・オルテガと、グアテマラのビニシオ・セレソは、いずれも、アリアスの功績とされるものに激しく異議を唱え、「アリアス・プラン」等と言うものは存在せず、アリアスが大統領に選出される前に、セレソがイニシアチブを発揮したのだと非難している。

エスキプラス20周年記念として、ニカラグアのあるラジオ局でおこなったインタビューの中で、セレソもオルテガも、和平交渉におけるアリアスの主な役割は、協定をサンディニスタ政府に対する最後通告に変えようとする企みで、ニカラグアを交渉から締め出すべく、ワシントンと「共謀」することだったと非難した。

遂には、サンディニスタも、アメリカの支援を受け、ニカラグア国民に対し戦争犯罪を実行したコントラ・ゲリラに対し、大赦を行うエスキプラスに屈し、右派野党の勝利を確実にするため、ワシントンが、何百万ドルも注ぎ込むことや、他の秘密支援をする行動の自由も認められた選挙に合意した。同様に、FMLNは、その指導者たちが、ゲリラからブルジョア政治家や国会議員に変貌することを可能にする和解に合意した。

アリアスは、アメリカ帝国主義に捧げた貢献により得たノーベル平和賞、つまりヘンリー・キッシンジャーに与えられたのと同じ賞を運用して、個人的な財産と、世界的「政治家」という名声を作り出した。

彼自身、2006年大統領選挙に、もう一期出馬できるよう、司法上の浅ましい策略を駆使して、コスタリカ憲法改訂を、なんとかやりとげている。このエピソードを巡っては、ワシントンや、アメリカのマスコミで、抗議の声は全く起きなかった。

ホンジュラスのクーデターを支持したのと同じ、多国籍企業と、中米の大事業家連中からの政治的、財政的支援により、アメリカ合州国との自由貿易協定を実現するという目標を持って、アリアスは大統領の座についた。2007年10月、中央アメリカ自由貿易連合(CAFTA)加盟を、国民多数からの猛烈な反対を押し、ごく僅差で実現することに成功した。

クーデター指導者と追放されたホンジュラス大統領との間の調停者という役割をつとめてはいるものの、アリアスは隣国政府の崩壊を事前に知っていたという指摘もある。クーデター政権の外務大臣に任命されたエンリケ・オルテス・コリンドレス(彼は、人前でオバマのことを、“ese negrito que no sabe nada”と呼んだ後、今週辞職を余儀なくされた。この発言「何も知らないこのチビクロ」というような感じに訳せる)行動を起こす前に、クーデター指導者が、アリアスに相談していたと、BBCに語っていた。

「オスカル・アリアス大統領は、事前に聞かされており、惨事を避けるべく、彼を受け入れることに同意していた」とオルテスは語っていた。

アリアスが、クーデターの匿名パートナーであろうとなかろうと、彼の長い経歴を考えれば、彼ならワシントンの忠実な召し使いであることを、再び証明してくれるに違いないという確信を持って、アメリカ国務長官ヒラリー・クリントンが、彼を調停者として指名したことは疑いようがあるまい。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2009/jul2009/aria-j11.shtml

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コスタリカは、人口400万人

日本は、人口1億2776万人

コスタリカには軍隊がない。世界遺産のココ島に、アメリカ軍が駐留している。

日本には軍隊があり、アメリカの傭兵として世界各地で活用され始めている。首都圏を含む日本各地の巨大な基地にアメリカ軍が駐留している。特に、世界遺産もある沖縄には、特別に広大なアメリカ軍基地・施設が多数ある。

「軍隊がない国」としてしか知らなかった。思わず、日本を描いたガバン・マコーマック著『空虚な楽園』(品切れ?)を思い出した。

2009年7月18日 (土)

オバマの戦争

wsws.org

2009年7月17日

オバマのホワイト・ハウス生活も、6ヶ月目の終わりを迎えつつあるが、彼の政権は、アメリカのアフガニスタン戦争の大規模で継続的なエスカレーションとして立ち現れるであろうものの第一段階であるに過ぎないという証拠が、増えつつつつある。

主として、ブッシュ政権の軍国主義的な政策に対するアメリカ労働者の敵意によって、大統領に選出されたといえるオバマは、イラクにおける大虐殺さえも、ささいなものに見せてしまい、さらに十年間も継続しそうな激しく、残虐な対ゲリラ作戦を、ペンタゴンと一緒になってしかけている。

半ばを過ぎたばかりでしかない7月が、ほぼ8年前に戦争が始まって以来、アメリカが率いる軍隊にとり、既に史上最悪の月となっている。総計46人の占領軍兵士が死亡したが、そのうち24人がアメリカ人だ。この死亡者数、一日に約三名、というのは、イラクにおける最も激しい戦闘の最中に起きたものに等しい。

アフガニスタン政府軍にとって、死傷者数ははるかに大きく、一日当たり、国家警察職員6人から10人が、毎日殺害されていると、カーブル政権は報じている。

いつものごとく最大の犠牲を払っているのは、アメリカ軍が「一掃し、確保する」作戦を遂行する中、益々多くが殺害され、より直接的に、外国による占領という状態におかれつつある、アフガニスタン国民自身だ。

アフガニスタン国民に対して行使されている暴力を、まざまざと示すのは、6月には、アフガニスタンに437発の爆弾を投下したという先週のアメリカ空軍報告だ。アメリカの戦闘機によって、近接航空支援ミッションとして、これまで行われた飛行回数は、2009年6月末までで、17,420回にのぼると空軍司令部は報じている。対照的に、2008年全体で19,092回だった。

空爆への依存が増しているのは、地上部隊が危険なほど、まばらに展開していることを現しているものだ。一般市民に対するその影響は、5月にアフガニスタン西部のファラ州にある二つの村に対するアメリカの奇襲爆撃によって、140人以上が粉々にされた虐殺を含め、一連のぞっとするような虐殺となって現れている。

アメリカが率いる介入の最初のエスカレーションでは、アフガニスタン国内のアメリカ兵士の人数は、32,000人から、68,000人へと倍以上に増える。これはNATO同盟諸国からの36,000人の兵士に対する上乗せだ。

この兵員増強で最も目立つ点は、武装反抗勢力の牙城と見なされている、アフガニスタン南部の州ヘルマンドでの攻勢に、4,000人のアメリカ海兵隊員が、数千人のイギリス兵とともに、配備されたことだ。

オペレーション・ハンジャールと呼ばれている、この攻撃は、巨大なアメリカ軍が、武装反抗勢力との大規模な戦闘を遂行することができないまま、大失態という形にまとまりつつある。武装反抗勢力は、特にイギリス兵において、重大な死傷者数を強いるゲリラ攻撃を行いながら、人々の中に姿を消してしまうのだ。

アメリカが率いる軍隊が作戦行動をしているヘルマンド地域では、武装反抗勢力は、一般市民のなかに混じってしまうか、国境を越え、パキスタンの安全な避難所に退却する。しかし、占領軍の規模は、地域を確保したり、彼等が去った後、武装反抗勢力が戻ったりするのを阻止するには全く不十分だ。

アメリカ軍の幹部司令官達による最近の発言で、はるかに血なまぐさい戦争の脅威がくっきりと浮かび上がった。

水曜日にカーブル郊外のバグラム空軍基地にあるアメリカ軍司令本部を訪れた統合参謀本部議長マイケル・ミューレン大将による発言は、そうした中でも、最も単刀直入だ。ミューレンは、アメリカ軍は「きわめて困難な戦闘」に直面していると警告し、戦争が一体いつまで続くのか分からないと語った。

「2006年以来の三年間、三年半で、状況が徐々に悪化しているのを知っている」と彼はBBCに語った。「一方、タリバンは、ずっと良くなり、連中は益々激烈になり、連中は一層組織化されたので、それに伴って戦闘が起きるのだ。」

8年後、アメリカが率いる占領軍の状態が「徐々に悪化」し、武装反抗勢力は「強化し」 「益々激烈になり」、「一層組織化された」というのであれば、それは単に、益々多数の武装反抗勢力と、彼等の戦闘に対する広範な大衆の支持を確実にするような、占領者に対するアフガニスタン人の敵意の尺度にすぎない。

アメリカによるエスカレーションは、アメリカ軍と共に戦うべく、十分大規模なアフガニスタン軍を動員することができないことで、妨げられている。アメリカの司令官たちは、ヘルマンド攻撃で、アメリカ兵一人あたり、一人のアフガニスタン兵を計画していたのに、4,000人のアメリカ兵と共に配備されたのはわずか650人だ。

アメリカのエスカレーションは、国境を越えようとしているタリバン戦士を阻止すべく、配備されるだろうと願って、パキスタン軍から得られると狙っていた支援も得られずにいる。パキスタン軍は、パキスタンの北西で、アメリカが扇動した作戦によって縛りつけられたままで、この作戦で、約250万人のパキスタン人が、国内で難民と化した。

アメリカ軍司令官たちは、アフガニスタン戦争のエスカレーションを、アフガニスタンの人々を取り込むための努力だとして描いているが、現実は、困窮した人々に対して、降参を強いるため、大規模な軍事的暴力が、しかけられているのだ。

アフガニスタンで戦争を始めるにあたっての元々の口実など、どこかへいってしまった。ワシントンとニューヨーク市に対する2001年9月11日攻撃の余波の中、アメリカ議会によって成立した軍事力の使用を承認する法律は、こうした残虐行為の原因とされる連中を、追跡して捕まえるために、アメリカ軍が使われるということを前提にしていたのだ。それなのに、アルカイダもオサマ・ビン・ラディンも、ワシントンの公式社会では、事実上、全く触れられることのない名前となってしまっている。

アフガニスタン国民にデモクラシーをもたらすのだ、というブッシュの願いとされるものについては、オバマは、そのような目標は、非現実的だとして、はっきりと切り捨てた。そうはならず、アフガニスタンは8月20日の大統領選挙へと向かっており、そこでは、彼を部族軍の長や犯罪組織と結びつけている、腐敗の蜘蛛の巣のおかげで、実に不人気なハミド・カルザイ大統領が再選されるだろうと広く見なされている。不可避的な結果は、カーブルの政権と、それを守るアメリカ軍に対する怒りの激化だろう。

今や、オバマの戦争が、現実的で、独自のものであるものとして、唯一残された明白な理由は、アメリカ軍の使用こそが、石油が豊富で、地政学的に極めて重要な中央アジアを、ワシントンが支配するのを確実にするかもしれない、ということだ。

アメリカ軍幹部は、この狙いを実現するため、より多くの兵士を求めて、あからさまなロビーイング活動をしている。木曜日に、国防長官ロバート・ゲーツが、アフガニスタンでの兵力増強と、アメリカによるイラク占領の継続によってひき起こされているストレスを軽減すべく、アメリカ軍の規模を、兵士30,000人増強する提案を検討していると発言して、こうした要求の内容が明らかになった。

これより、あからさまな、オバマ政権告発はありえまい。反戦感情の波に乗って、大統領の座についた彼の政権が、汚らしく、引き延ばされた植民地戦争を遂行するため、アメリカ軍を増強しようとしているのだ。同時に、アメリカ軍の幹部司令官達は、ブッシュ政権の下でよりも、一層直接的に、あからさまに政府に対する影響力を行使している。

オバマ指揮下のアメリカ軍国主義は、既成のあらゆる体制派政治勢力からの支持を享受している。民主党が多数派の議会は、戦争への予算配分賛成に投票し、アメリカのマスコミは、ホワイト・ハウスとペンタゴンの戦争プロパガンダをおうむ返しにし、かつてはこうした政治に反対する姿勢を保っていたいわゆる「左翼」団体も、抗議をやめ、オバマの戦争を暗黙裡に後押ししている。

それでも、生活水準に対する攻勢の激化や、亡くなったり、負傷したりした兵士の人数の増加や、更には拡大する軍の兵卒にあてるべく、労働階級の若者徴兵によって、軍国主義のつけを払うことを強いられる多数のアメリカ労働者の中には、戦争に対する深い敵意が依然として残っている。オバマ政権と、軍国主義をひき起こす資本主義の自由企業体制に対する反戦闘争の前進は、労働者階級の独立した動員を通してのみ、可能になるだろう。

Bill Van Auken

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2009/jul2009/pers-j17.shtml

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小泉売国政権以来の市場原理主義的な政策に対する日本労働者の敵意によって、政権党に選出されたといえる民主党は...と、冒頭を置き換えれば、そのまま日本。

民主党政権交代を待望する「狂気」が日本のマスコミのみならず、ブログにまで満ちている。

二大政党を生み出すべく小選挙区制を導入したのは小沢氏だ。商業マスコミは、こぞって小選挙区制導入をあおった。マスコミ各社のトップが、たしか諮問委員会かなにかに、ずらり首を揃えていた。マスコミ社員、小選挙区制導入反対の記事・報道をすれば、閑職か馘首。

政党助成制度なる、陣笠代議員締めつけ道具を導入させたのは小沢氏だ。

日本を普通の国(アメリカ軍の言うがままに、日本の軍隊を戦争させられるよう憲法を変えることを言う)にすると主張する迷著『日本改造計画』を書いた(ということになっている)のは小沢氏。

第一次湾岸戦争の時に、アメリカにつかみ金を差し出したのは小沢氏。

アフガニスタンのISAFに、日本の軍隊を派遣すると言ったのは小沢氏。

本来、新自由主義の旗手、小泉元首相ではなく、小沢氏だろう。

ソマリア派兵を最初に言い出したのは民主党の長島昭久議員(彼も小泉元首相の息子同様アメリカ留学し、あのブレジンスキーの薫陶を受けた。)

一体どうして多数の国民が、彼・彼が実権を握る政党が、庶民のためになる政治をしてくれると期待をするのか、その理由が全く理解できない。新聞を読んでも、断片的なテレビ報道を見ても皆目わからない。『政権交代』まるでオウムの念仏。思考停止。まさか脳死状態ではないだろうが。国民の大多数が見事に洗脳されてしまっている。

彼が実権を握ったら、庶民は悲惨なことになるというのなら、容易に理解できる。

郵政改革(=破壊)を訴える小泉元首相・自民党を商業マスコミこぞって応援した。

それで得た途方もない衆議院の議席数をかさに、数々の属国化推進法案が実現した

政権交代を訴える民主党を、商業マスコミ、こぞって応援している。

これから起きるのは、残念ながら、揺り戻しではない。

宗主国アメリカで起きたのと全く同じ『チェンジ』。

表紙がかわるだけで、もちろん、雑誌の中身が変化するわけではない。

そもそも、その表紙たるや、れっきとした元自民党のお歴々ではないか。

別の政党を名乗っているだけで実際は同じ党内派閥間での政権交代。

日本を破壊した自民党を政権から引き下ろせば、積年の病弊が一挙に治るがごとく、虚偽のイメージをまきちらす商業マスコミ。それを盲信する国民。

それで得る、途方もない衆議院議席数をかさに、数々の属国化推進法案を、今度は民主党が推進するようになるだけのこと。

アメリカの意にそわない弱小政党の排除完成で、長年にわたる米日支配層の計画が、敗戦後65年にしてようやく実現する。世界最大の完全属国誕生だ。日本は、その程度の国だったということだろう。

属国にも、国旗と国歌がある不思議。独立ではなく、属国化を推進する側が押しつける、属国旗と属国歌。

サミュエル・ジョンソンの言葉を思い出さずにいられない。『愛国心、悪人最後の拠り所。』Patriotism is the last refuge of a scoundrel.

ところで、皆様は、映画『トゥルーマン・ショー』をご覧になって、ぞっとした経験をお持ちでないだろうか?あるいは、あの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』第一作、ダンス・パーティー壇上で演奏するマーティ・マクフライの体から力が抜け、写真中の兄たちの姿が、次第に薄れて行く場面を覚えておられるだろうか?

二大政党なる米日独裁体制を実現する選挙を前に、マーティ・マクフライのように、体から力が抜け、日本人の顔が消えてゆきつつあるような気分になっている。トゥルーマン・バーバンクのように、嵐の中、脱出を試みても、結局は...

2009年7月16日 (木)

アメリカ占領下アフガニスタンで展開される、腐敗した選挙運動

wsws.org

James Cogan

2009年7月2日

アメリカとヨーロッパの支配層が、不正なイラン大統領選挙とされるものを巡り、非難の大合唱をしているさなか、オバマ政権とNATO同盟諸国が、アフガニスタンにおける、きわめて違法で、腐敗した選挙運動をとりしきっている。

8月20日の大統領選挙にむけた選挙運動は、公式には、先月、候補者41人で始まったが、政治的芝居にすぎないものだ。結果は、事実上、あらかじめのアメリカの政策、無数の陰の実力者達による浅ましい派閥間取引、投票の不正操作や、有権者への脅迫が容易にできる選挙制度によって決まるのだ。

アメリカ侵略によって生み出された政府は、タリバン打倒に協力したタジク族、ウズベク族、ハザラ族やパシュトゥーン族の部族軍長に、アフガニスタンの様々な地域に対する支配権を与えたことに依拠している。2002年、ドウラニ系パシュトゥーン族の、君主制主義支持派ポパルツァイ民族を代表するハミド・カルザイが、名目上の大統領として、任命された。しかしながら、本当の実権は、アメリカとNATOの軍隊と、地域の陰の実力者が握ってきた。

その結果、アメリカ諜報機関が昨年「腐敗の横行」と表現したような事態となった。イギリスの保守派政治家デイビッド・デービスは、アフガニスタン現地調査旅行後、こう語っている。「過去の残虐行為に関与していた、昔の部族軍長や領袖である20家族の金銭的な利益を目指して運営されているように見える。」

閣僚、知事や軍司令官は、契約や地位を一番高値をつけてくれる応札者に売っている。警察と公務員は、あからさまに賄賂を要求する。カンダハル州地域を支配している、カルザイの実弟を含め、国家機関で働く無数の人々が、アフガニスタンにおけるアヘンとヘロインの莫大な違法取引に関与していると信じられている。膨大な金額の国際援助や、いわゆる復興資金は、政府幹部や地方の部族指導者の懐に消えた。

戦争が延々と続くなか、昨年のアメリカ大統領選挙中に、更に多くのアメリカ軍兵士を派兵しなければならないという合意が生まれ、アメリカの政策担当者達は、自分たちが支配する傀儡政権のトップに、カルザイより権威がある人物を据えつけることを検討していたふしがある。

アメリカの権益に忠実に使えて来たにもかかわらず、アフガニスタン大統領は、時に空爆や他の作戦地よる民間人虐殺を、控えめに批判して、アメリカ軍を怒らせた。より重要なことは、アフガニスタン国民の、どれか重要な階層によって、尊敬される人物には、なり損ねたことだ。そうでなく、彼が、概して、残虐な外国軍による占領と政府の腐敗にこびへつらってきたことが、タリバンや他の武装反抗運動に対する大衆の支持を増やすことに貢献したのだ。

とはいえ、アフガニスタン大統領選への途上、アメリカ/NATO占領軍が直面したジレンマは、代わりに大統領となりうる人々としてリストにあがった誰一人として、カルザイ以上には、信頼できないことだった。彼等は人権侵害の罪を犯した部族軍の長か、アメリカ政府の、よりあからさまな手先と見なされている人々であるか、のいずれかだ。

右派の国際共和研究所が行った世論調査では、2005年選挙時の、50パーセント以上と比べ、回答者の、たった31パーセントが、カルザイに投票するつもりだと回答した。とはいえ、彼の最大ライバル、元外務大臣アブドゥラーは、わずか7パーセントの支持だった。三位の候補者は、たった3パーセントだった。

2001年以来、アフガニスタン戦争を報道してきたニューヨーク・タイムズの上級海外特派員デクスター・フィルキンスは先月こう述べている。「あるアメリカ人幹部は、今後五年間は、彼[カルザイ]と離れられない可能性があるという諦念を表明した。実際、オバマ政権は、そうした見込みに備え始めたように思われる。」

オバマ・ホワイトハウスによる、少なくとも暗黙の同意のもと、カルザイは、その支配地域で、票を獲得できると保証できる、様々な部族軍指導者との提携を打ち出した。

北東アフガニスタンの多くを支配するタジク族運動の権力者であり、その民兵がアフガニスタン軍の大部分を占めているモハマド・カシム・ファヒムを、第一副大統領候補に指名した。2005年のヒューマン・ライツ・ウォッチ報告書は、ファヒムを、1990年代のアフガニスタン内戦時代に「一般市民の意図的な殺害、民間人の打擲、民族を理由にした拉致、略奪と強制労働」を命じた司令官の一人としてあげている。

アフガニスタン中部諸州のハザラ族実力者達から、支持を確保するため、カルザイは、カリム・ハリリを、第二副大統領候補に再度任命した。内戦中、ハザラ族民兵を指揮したハリリは、パシュトゥーン族の一般市民に対する残虐行為も命じたと疑われている。

南部の主要パシュトゥーン族諸州では、広大な地域が実際はタリバン武装反抗勢力に支配されているが、カルザイは、主要な占領支持派の実力者達による支援を確保している。

カンダハルでは、彼の家族と部族の忠臣達が影響力を持っている。ヘルマンドでは、元知事で、麻薬王と見なされている、カルザイの盟友シェル・モハマド・アフンザダは、依然としてかなりの権力を誇っている。南東部の州ナンガルハルでは、パシュトゥーン部族軍長で、知事のグル・アガ・シェルザイは、カンダハルを支配していた1990年代に血にまみれた経歴をもっているが、彼もカルザイ支持に回った。今年早々、グルは、大統領として、あり得る選択肢だとして、アメリカの支配層に、もてはやされていた。

北部アフガニスタンのウズベク族が暮らす地域では、カルザイは票を獲得するため、アフガニスタンで最も独裁的な人物の一人に頼っている。アブドゥル・ラシド・ドスタムだ。アフガニスタンの悲惨な30年間戦争の間、ドスタムは、ソ連占領軍で働き、親モスクワ派のナジブラ政府を支援し、それから鞍替えをしたのだ。アメリカに支援され、ナジブラを打倒したイスラム教民兵に参加し、タリバンが最終的に実権を把握する前に、カーブルの覇権を目指す、激しい党派対立の一員だった。

2001年まで、ドスタムは、アメリカに支援され、タリバン政権を打倒した、北部同盟に参加していた。彼の民兵とアメリカ軍特殊部隊は、アフガニスタン侵略における最悪の戦争犯罪の一つを犯した。2001年11月クンドゥス市における攻略後、彼等は何百人ものタリバン捕虜を輸送コンテナに閉じ込め、酷暑の中で死ぬにまかせたのだ。

カルザイは、部族軍の長との同盟から恩恵を受けるだけでなく、自分の選挙活動を有利にするよう国家機関を活用する力を持っている。2005年の選挙では、支持を固めるのに必要な地域に、彼は露骨に開発計画をもたらした。国営メディアは彼のために偏向報道を行い、放送時間の75パーセントも使わせた。

もしもこれら要素が、カルザイの勝利を保障するのに不十分な場合には、大規模な不正行為用の機会が十分にある。国際危機グループ(ICG)による今月の報告が、そうしたことが起きうる規模の大きさを示唆している。3000万人の国民のうち、半数は選挙権がない年齢の国で、1700万以上の投票券が発行されているのだ。タリバン支配下にある広大な地域や女性は、文化的に投票しないよう圧力を受けている。

言い換えれば、非常に多数の人々が、複数の投票権を持っている可能性が高い。例えば、東部のヌリスタン州は、成人人口130,000人で、かなり多数のタリバンが存在すると推定されているが、そこでは443,000人の有権者が登録されている。成人人口が約130,000人のタジク族の州パンジシールが、190,000人の有権者を生み出した。

自分たちの夫あるいは親戚の男性が投票するよう、何万人もの女性が登録していると考えられている。男が女性の投票券を使って再度投票するのだ。現地の選挙職員がそれと知りながら、黙認するもとで。ICGによると、2005年の選挙におけるパクチカ州女性の投票率は「信じられないほど高」かったので、数値は決して公式発表されなかったという。

2月1日、バラク・オバマは、あるインタビューで、アメリカは「アフガニスタンを、ジェファーソン流のデモクラシーに再構築することは」できなかったと述べた。この正確かつ率直な発言は、つまり、アフガニスタン政府が、アメリカの帝国主義的権益に従順であることが、オバマ政権の唯一の関心。

最終的な分析は、8月20日のアフガニスタン大統領選挙は、この戦争は、資源の豊富な中央アジアの戦略的領土を巡る地政学的支配という略奪的な動機でなく、ある種の高貴な目標があったのだという、アメリカとNATO諸国における虚構を維持するためにだけ、行われるということだ。大統領選の結果には、何の信頼性も、正統性もありはしない。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2009/jul2009/afgh-j02.shtml

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他の政争に関する、対照的な、アメリカ、(日本の)マスコミ報道についての記事翻訳:
二都物語:テヘランとテグシガルパ
ニューヨーク・タイムズとイラン選挙

2009年7月14日 (火)

アメリカ基地帝国に、どう対処すべきか 駐留軍受け入れ国に対する控えめな私案

チャルマーズ・ジョンソン

2009年7月3日

"TomDispatch"

アメリカ基地帝国は、年間1020億ドル、既に世界で最も金のかかる軍事事業であるにもかかわらず、更に高価になろうとしている。まず手始めとして、5月27日、国務省が、新"大使館"を、パキスタンのイスラマバードに建設する予定であるということを知った。経費は、もしも見積超過が起きなければ、ブッシュ政権がバグダッドにしつらえた、バチカン市程の規模のものより、わずか400万ドル安いだけの7億3600万ドルで、これまで建設されたものの中で二番目に高価だ。報道によれば、国務省は、アフガニスタンとの国境に近い、ペシャワルでも、五つ星のパール・コンチネンタル・ホテル(プール付き) を購入し、領事館と、その現地スタッフの住居として使用する計画だそうだ。

そのような計画にとって不幸なことに、6月9日、過激派パキスタン人が、爆薬を満載したトラックでホテルに突入し、18人の滞在客を殺害し、少なくとも55人を負傷させ、建物の一つのウイングは、すっかり崩壊した。国務省が依然として購入を進める計画かどうかについては、その後、何のニュースもない。

その費用が、一体いくらになろうとも、既に肥大化したアメリカの軍事予算に、含まれることはあるまい。たとえ、そうした建物の一つとして、本当の大使館、つまり現地の人々が、ビザ取得にやってきたり、アメリカ人の役人達が、商業、外交上のアメリカ権益を代表している場所として設計されてなどいなくとも。そうではなく、これら、いわゆる大使館というのは、実際は中世の要塞に近い、四方を壁で囲った場所で、そこで、アメリカのスパイ、兵士、諜報機関職員や、外交官達が、戦争状態にある市域の、敵意を抱いた国民に、目を光らせようとしているのだ。それが大量の海兵隊員を擁しており、屋上には迅速撤退用のヘリコプター着陸場があるだろうことは、誰でも確信をもって断言できる。

危険な地域で仕事をしている国務省職員にとって、何らかの物理的な防御があることを知っていれば、安心かも知れないが、彼等にとっても、また彼等が働いている国の国民にとっても、その造作は公然たるアメリカ帝国駐留の一部であることが、今や明白になってしまう。アメリカを攻撃しようとする過激派が、たとえどれほど厳重に警備されていようと、基地のような一大使館の方が、巨大軍事基地より容易な標的だと考えても、決して驚きはしない。

いずれにせよ、世界中の他人の国々に散在し、今や800箇所にもなろうという、こうした軍事基地に対して、一体何が行われているのだろう? 議会やオバマ政権が、銀行救済、新たな健康保険、汚染管理や、その他の必要性の高い国内支出の費用を巡り論争する中でさえ、こうした不人気で、金のかかる帝国の飛び地のいくつかを閉鎖するのが、かなりの金が節約できる良い方法だと、誰も提案しようとしない。

そうではなく、そうした基地は、明らかに、一層高価になって行こうとしている。6月23日に、元ソ連の中央アジアの共和国だったキルギスタンが、2009年2月に、アメリカ軍を、マナス空軍基地(2001年以来、アフガニスタン戦争用の準備地域として)から追い出すつもりだと発表していたが、アメリカ軍の駐留継続を認めるよう説得されたことを知った。しかし、問題はここだ。アメリカの願いを聞いてくれるお礼として、基地使用のためにワシントンが支払う年間賃貸料は、1740万ドルから、6000万ドルへと、三倍以上になり、更に何百万ドルもが、空港施設を改良する約束や、他の財政的賄賂のようなものにつぎ込まれる。こうした全てが、この地域における戦争を拡大することを公約しているオバマ政権が、アフガニスタンへの補給品を備蓄し、積み換えるため、この基地の必要性を確信しているためなのだ。

こうした展開は、アメリカ人が、やはり嫌われ者の進駐軍になっている他の国々にも、気づかれずには済まないだろうと思う。例えば、エクアドルは、アメリカに、今年11月までに、マンタ空軍基地から出て行ってくれと言ってきた。もちろん、彼等にも自尊心があり、アメリカ兵士が、コロンビアやペルーをいじくりまわすのが気に食わないのだなどという事実を言ったりはしない。それでも、彼等は基地で、おそらくもっと稼げよう。

57年間以上にわたり、米軍基地を自国領土に置いておくため、膨大な金額を支払ってきた日本人はどうだろう? 最近彼等は、ワシントンと、一部のアメリカ海兵隊員を、沖縄の基地から、アメリカ領グアムに移動させることに合意した。ところがその過程で、日本人は、海兵隊員の引っ越し費用だけ支払うのではなく、グアムに彼等を受け入れる新施設を建設することまで強いられたのだ。日本人も、今やキルギスタン政府を見習って、アメリカ人に、出て行ってくれ、費用も自分で賄ってくれというようなことがあり得るだろうか? それとも、少なくとも、日本人女性をおきまりのように強姦している(一ヶ月に二件の割合で)のと、まさに同じアメリカ軍人に、資金を援助するのをやめ、沖縄にある約38の米軍基地に暮らす連中が誰であれ、その生活を惨めなものにする可能性はあるだろうか。これは確かに、1945年にアメリカが進駐して以来、沖縄人が請い願ってきたことだ。

実際、自国領土に米軍を駐留させておくことに、いささか飽き飽きしている他の国々に、ご提案がある。手遅れになる前に、現金化なさるように。値段をつり上げるか、アメリカ人に、帰ってくれと言うかのどちらかだ。私が、こうした行動をお勧めするのは、アメリカ基地帝国は、もう間もなく、アメリカを破産させると、私は確信しており、そして、金融バブルや、ねずみ講から類推するに、読者が投資家であれば、お金は引きだせるうちに、引きだしておいた方が良いのだ。

これは、もちろん、中国や、他のアメリカ国債への投資家の間で起きていることだ。ただ、連中がまだ膨大な国債の束を抱えている間に、ドルが暴落しないようにするため、連中は、ひっそり、ゆっくり、現金化している。ただし、間違いのないように。流血が、急速であろうと、あるいは、ゆっくりであろとうと、アメリカはともあれ流血しているのだ。アメリカ軍事帝国や、それに伴うあらゆる基地にしがみついていても、最終的には、我々が知っているアメリカ合州国に終止符を打つことになろう。

信じていただきたい。海外旅行をする今から数十年後の将来世代のアメリカ人は、10億ドル近くもする "大使館"が点在している光景を見ることはあるまい。

チャルマーズ・ジョンソンはブローバック三部作の著者。『アメリカ帝国への報復』(2000年・集英社)、『アメリカ帝国の悲劇』(2004年・文藝春秋)、および『ネメシス』(2006・未だに邦訳なし)、いずれも原作はMetropolitan Books刊。アメリカ基地帝国に関するジョンソン氏のTomDispatchオーディオ・インタビューはここをクリックしてどうぞ。

記事原文のurl:www.tomdispatch.com/post/175091/chalmers_johnson_baseless_expenditures

チャルマーズ・ジョンソン教授関連記事の翻訳:

アメリカ軍はなぜいまだに沖縄にいるのか? 1997年4月記事

アメリカを衰亡させる方法:なぜ累積債務危機が、今アメリカ共和国とって最大の脅威なのか

チャルマーズ・ジョンソン: 『復讐の女神ネメシス: アメリカ共和国最後の日々』

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戦後、一貫して自民党を支持してきた大多数の国民が選んだ政治家たち(もちろん小沢氏らは、確信犯だろう)が、小選挙区を導入した。

その結果、マスコミの大キャンペーンの功績もあって、小泉911選挙では、雪崩をうつようにして自民党多数体制が実現した。(不思議なことに小泉元首相は、長らく小選挙区に反対していたという。本当だろうか?彼は「自民党をぶっ壊す」といったような記憶がある。)

そして、今マスコミの、政権(派閥)交代の大キャンペーンによって、「民主党に政権が移行する。」と報じられている。自民党を、小沢氏が、無原則に無理やり二つに分け、その一派閥から、もう一つの派閥に、主導権が移行するだけだろう。小沢氏は、アメリカに頭をなでられているだろうが、自民党とて、党勢が極端に、減少するとはいえ、アメリカ流な無意味な政権交代(単なるポーズにすぎまい)を実現させた功績で、宗主国アメリカから、絶大な報酬をもらうのではあるまいか。小泉政権で、極端な、従米棄民政策をとらせ、次は、民主党に意味もなく期待して、振れさせる。宗主国と属国支配層は、長らく忍耐をしながら、ようやく恐怖による悪しき選択(実質、選択にはならない)の仕組みを完成させたのだ。

日米支配層は、にこにこしながら、今回の衆議院選挙を見守っているだろう。マスコミには、もちろん、二大政党政権交代というくだらない念仏を唱えるよう命じながら。

所詮、普通の人々は、そういうプロパガンダにまんまとのせられるということだろう。小泉911選挙の時には、『B層』という、うまい表現があった。

評論家の故大宅壮一は、『一億総白痴』なる言葉を作り出した。生きていれば、『一億総B層』といったかも知れない。太鼓持ちタレントである彼の娘が言うはずなど全くないが。

本当に政治の行方を考えて投票したのかどうか知らないが、長らく一貫して、自民党を支持してきた大多数の国民が、今度は、どっと(スタンピード現象?)民主党に投票するだろう。小泉・竹中破壊政策を強行すれば、やがて人心が離反するのは、猿でもわかる。その離反を、本質的に制度を改変するような勢力にはむけず、お仲間の中でたらい回しする、インチキ「二大政党間の政権交代」を、支配層は見事に作り上げた。民主党が、またひどい政策をとると、民心は離れ、「やはり自民党だった」となるだろう。今の民主党へのスタンピード現象を見て、米日支配層・マスコミは、「してやったり」とほくそえんでいるだろう。

国家の品格』という本の中にあった

国民は永遠に成熟しない。....成熟した判断が出来る国民という民主主義の暗黙の前提は、永遠に成り立たない。放っておくと、民主主義すなわち主権在民が戦争を起こす。

という部分、その通りではなかろうか。

日本の国民・庶民にとっての本当の地獄は、米日支配層が作り上げた、二大政党(実質は派閥)が定着し(いや派閥の大連立かも知れない)から始まるだろう。小泉生活破壊政治など序の口だった、と思い返す日が、きっとくるに違いない。ただし、そう自覚するのは、全て廃墟となった後のこと。いわゆる「後の祭」。

属国日本が属国ホンジュラスと同じになっては困るが、いつか、大陸移動で、中南米に続けば、目をさます可能性もあるだろ。それには気の遠くなるような地質学的な時間が必要だ。

無限に遠い未来、我々が消滅した後、大陸移動で、つながれば、せめて魚や獣だけは中南米と同じレベルになれる可能性はあるだろう。

2010/5/7追記:

Diamond Online特別レポート【第47回】 2010年5月7日

独占インタビュー
元CIA顧問の大物政治学者が緊急提言
「米軍に普天間基地の代替施設は必要ない!
日本は結束して無条件の閉鎖を求めよ」

 チャルマーズ・ジョンソン 日本政策研究所(JPRI)所長

2009年7月12日 (日)

ホンジュラス: アメリカが支援する調停、軍事クーデターを合法化

Bill Van Auken

2009年7月11日

6月28日のクーデターにより、隣国ホンジュラスでひき起こされた政治危機を解決することを目的とするという建前で、木曜日、コスタリカの首都サン・ホセで、開催された会談は、茶番の態を示しつつある。この詐欺的な行為の明白な狙いは、選挙で選ばれたホンジュラス大統領を軍隊によって打倒したことの合法化と、ワシントンと、ホンジュラス右翼オリガーキーの支配的派閥の狙いを実現することだ。

先月、軍隊に捕縛され、飛行機に押し込まれ、飛行機でサン・ホセに送られ、亡命中のホンジュラス大統領マヌエル・セラヤが、水曜日、コスタリカの首都に戻り、翌日、アメリカが指名した調停者、コスタリカ大統領オスカル・アリアスと、最初に会談した。

彼の後に、コスタリカ当局が「臨時大統領」と呼ぶ、クーデターによって任命された政府の長ロベルト・ミチェレッティが続いた。この肩書きは、元国会議長を、違法に権力を奪取した犯罪者として非難してきた、セラヤと彼の支持者を当惑させた。

会談前にアリアスは、二人を大統領として等しく扱うつもりだと強調した。

二人は個別に、アリアスと、サンホセ近郊、富裕層が住むロルモセール地区にあるコスタリカ大統領官邸で会談したが、そこは警官と、クーデターを非難しにやってきて、ミチェレッティを「暗殺者」と呼び、彼の人形を燃やした、何百人ものデモ参加者に包囲されていた。

アリアスとの会談後、外で待ち受けていた記者団に、セラヤはこう語った。「ホンジュラスの立場について、我々は一致していると、考えている。法秩序とデモクラシーの復帰だ。国連と米州機構が要求している通りの、ホンジュラス国民に選ばれた大統領の地位への復帰だ。」

セラヤに続いて、その後もまなく、ミチェレッティもアリアス邸に入った。彼は市内に入る前、明らかに身の安全に対する懸念から、空港で三時間過ごした。いくつかの報道によると、抗議デモ参加者を避けるべく、空港で会談するよう、彼はアリアスに提案したという。

ミチェレッティは、アリアスの調停に「満足だ」と発言し、即座にホンジュラスに帰国した。彼の出発は、合意に達するまで、二人で交渉して欲しいというアリアスの願いに逆らうものだった。アリアスの願いを聞く代わりに、ミチェレッティは、クーデターを支持しているホンジュラス政界の実力者による「委員会」を残して、出発すると宣言した。セラヤも、交渉に参加する、自分の支持者達の委員会を編成した。

ホンジュラスの首都テグシガルパに戻った後、ミチェレッティは記者団に語った。「我々は、彼の(セラヤの)帰国には合意しているが、それは、真っ直ぐ裁判官の所へということだ」クーデター指導者達は、ホンジュラス憲法を改訂するかどうかで、国民の支持を判断するため、拘束力のない国民投票を行おうとしたことによる反逆罪のかどで、セラヤは裁判を受けるべきだと要求している。批判する連中は、これは、セラヤによる、もう一期、大統領をつとめられるようにする企みの一部だと非難しているが、憲法を書き直すための憲法制定会議に対する投票が、新大統領を選ぶ11月29日の選挙までは、行われないことを考えれば、事実上、もはや不可能になっている。

ミチェレッティはこう付け加えた。「次のコスタリカ訪問では、この美しい国の兄弟のような国民が、わが国民が現在そうしているように、私を合法的なホンジュラス大統領として受け入れていただけるものと期待している。」

クーデター指導者が、こうした確信をにじませるのも無理からぬことだ。調停過程が丸ごと、セラヤを打倒した連中に有利なように操作されているのだから。軍、教会や、土地所有者や財界の支配勢力による支援を得ている以上、ミチェレッティが、恐れるべき唯一のものと言えば、クーデターに対する抵抗の中心となっているホンジュラス労働者大衆だけしかない。

セラヤとミチェレッティとの最初の会合について、アリアスは、「我々は幻想は全く抱いていない。これは我々が想像しているよりも長くかかるかも知れない。」という発言で対応した。更に彼は言った。「二日で、解決策が現れるかも知れないし、二ヶ月たっても、解決策が現れないかも知れない。」

大統領選挙が、わずか四カ月半先に行われることを考えれば、ミチェレッティと、お仲間のクーデター指導者達は、セラヤの任期が終わるまで、調停委員会を引き延ばすことも可能だ。

あらゆる解決策は、セラヤを大統領職に復帰させることを含んでいることが不可欠だと、アリアスは主張した。オバマは、彼を復職させるべきだと要求する一方、ヒラリー・クリントン国務長官は、あからさまに、そのような要求をすることを拒否しており、スポンサーであるオバマ政権は、この点では曖昧な態度をとっている。ある国務省スポークスマンは、ワシントンは、アリアスの調停が「ホンジュラスの民主的秩序を回復」することを願っていると語った。選挙で選ばれた大統領については彼は一言も触れなかった。

ワシントンから指示されたアリアスの任務について多少知る立場にあるある元コスタリカ幹部は、他の代替案を示唆した。セラヤはテグシガルパに戻され、クーデターが任命した政権の名目上の無力な大統領として、短期間つとめるというのだ。このような解決策の、明らかな狙いは、選挙で選ばれた政府を、アメリカの支援を得て、軍事的に打倒した事に対し、民主的な装いを与えることにあるだろう。

二年前まで、アリアスの下で副大統領をつとめ、現在ブルッキングス研究所の上級研究員であるケヴィン・カサス・サモラは、木曜日、外交問題評議会とのインタビューで、このシナリオを説明した。「国際社会が要求していること、正しい行為というのは、まずセラヤを大統領に戻すべきことだと私は思う。必ずしも、権力のある立場に戻すということではないが。」とカサスは言う。

セラヤは、あらゆる実権を放棄するだけでなく、憲法を改訂しようというあらゆる計画を中止し(彼は既にそうすると約束している)、ベネズエラ大統領ウゴ・チャベスとの間で、彼が確立した結びつきを断ち切り、彼を打倒した連中と、明確な「権力分担の合意」をすることを要求されるだろう。

ホンジュラスの「デモクラシー」に関するタイムズポストの考え方

これこそがアメリカ政界の既成勢力が好んでいる代案だということは、今週ワシントン・ポストニューヨーク・タイムズに掲載された、似たような論説で明らかになった。いずれも、政治的冷笑と偽善が、その特徴だ。

ポストにとって、ホンジュラス・クーデター唯一の問題は、そのやり方で、「ホンジュラスの民主的制度を、崩壊させようと企んだ、セラヤの師ウゴ・チャベスが率いる連中の術中に陥った」ことなのだ。言い換えれば、デモクラシーを崩壊させようとした連中というのは、大統領官邸を急襲し、街路を支配し、権力奪取に好意的でないラジオ局やテレビ局を閉鎖し、非武装のデモ参加者に発砲するよう軍隊に命じたホンジュラスの支配者達ではないのだ。むしろ彼等による犠牲者こそが、そうだというのだ。

ホンジュラス・クーデター指導者は、セラヤの帰国を恐れる理由は全くないとポストは主張する。「たとえ彼が監獄入りすることはなくとも、」同紙は書いている。「今や彼が... 憲法改訂に成功する可能性はほとんどない。」

同様に、タイムズはこう主張している。「おそらく、二期目に出馬できるように、憲法を変えようとするあらゆる工作を放棄するという誓約と引き換えに、1月に終わる、残った任期の間、セラヤ氏をテグシガルパに戻させることが、ホンジュラス軍、裁判所と、事実上の政府にとって、最善の結論だろう。」

ホンジュラス憲法への完全なる忠誠と、更にもう一期の任期に向け、セラヤが出馬することを可能にするよう文書を変更することに対する断固たる反対とは、クーデターを正当化し、選挙で選ばれた大統領から、あらゆる実権をはぎ取るため、両紙によってひき起こされたものだ。しかしながら、連中による、そのような「原則」への固執も、そうした法律の維持・改訂のどちらが、アメリカ支配層エリートの権益にとって最善か、によって決まる、全くのご都合主義のものなのだ。

例えば、コロンビアの右翼大統領で、アメリカ外交政策の忠実な支持者であるアルバロ・ウリベが、二期目にも大統領になれるよう、国民投票にかけようという提案すらせずに、コロンビア憲法を改訂した際は、いずれの新聞も、大きな懸念の声をあげなかった。

当時のタイムズの反応は、ウリベの策略は「この無秩序な地域における、ブッシュ政権の二大重要課題である、麻薬とマルクス主義の反逆者に対する戦闘のための、信頼できる管理人を、ワシントンが、確実に抱えておけることを意味しよう。」というものだった。

アメリカ国内では、任期制限をなくし、三期目、四年間の知事職に就くべく、市の条例を訂正しようという、億万長者のニューヨーク市長マイケル・ブルームバーグの動きを、同紙は熱烈に支持した。この時、同紙は、改訂はブルームバーグと市議会との間の密室交渉で行われるべきだと提案し、ホンジュラスで提案されたような市民投票は「技術的に困難だ」として、はっきりと反対した。

アメリカが画策した「調停」が、サン・ホセで開始される中、ホンジュラスの労働者や若者はクーデターへの抵抗を続けている。何千人もの人々が、木曜と金曜に、テグシガルパ、サンペドロスーラや、他の多くの都市で、抗議デモを行った。

様々な地域で、抗議デモ参加者達は道路や橋を占拠し、交通を遮断した。木曜日、抗議デモ参加者達は、テグシガルパから、パンアメリカン・ハイウェイや、南のニカラグアやエルサルバドルにつながる幹線の交通を6時間封鎖し、首都に向けて渋滞するトラクタ・トレーラーの長蛇の列をひき起こした。金曜日、何千人もが北部テグシガルパに行進し、ホンジュラス第二の都市サンペドロスーラに至る道路を封鎖した。

クーデター政権の弾圧も継続している。木曜日、7月5日にセラヤが帰国しようという試みで失敗した時に、テグシガルパ空港に集まった抗議デモ参加者に対し、兵士が発砲した際、射殺された19歳の青年イシス・オベド・ムリーリョの父親を、治安部隊が拘束した。

父親のダビド・ムリーリョは、息子の殺害以来、息子に対する公正を要求して、はっきり意見を述べてきた。ホンジュラス被拘留者・行方不明者親族委員会本部で演説した後、彼は国家警察に逮捕され、軍が支配する監獄に、そのまま収容された。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2009/jul2009/hond-j11.shtml

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ホンジュラスのクーデター、なかなか手際がよいが、わが宗主国には、属国政権を思うがままに、据えつけたり、倒したりする、素晴らしい属国政治「操縦マニュアル」があるのだろう。下記関連記事は、それが主題。

手先になって、率先して自国民を弾圧する国軍。攻めてくる敵ではなく、宗主国の敵である、自国民こそが、属国軍の敵なのだ。属国の軍隊は、買弁支配者以外の、属国民は守らない。ピノチェトの軍隊の再来。ナオミ・クラインのThe Shock Doctrineの邦訳がないのは、何とも残念。

簡単な10のステップで実現できるファシスト・アメリカ(日本?)

2009年7月11日 (土)

二都物語:テヘランとテグシガルパ

Barry Grey

2009年7月9日

"WSWS"

テヘランで、アメリカに支援された、敗北した大統領候補が呼びかけた抗議デモについては、アメリカのマスコミによって、不休の包括的報道が行われている。選挙が不正で、“クーデター”なのだという、元首相ミル・ホセイニ・ムサビによる非難は、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポストや他の“権威ある”新聞によって、いかなる独自の調査や証拠も無しに、事実として、無批判に受け入れられ、報道されている。マスコミのプロパガンダ・キャンペーンは、最高指導者アヤトラ・アリ・ハメネイと大統領マフムード・アフマディネジャドが率いるイランの支配的党派を孤立化させ、不安定化させることを狙って、行われている。

抗議デモの大多数を占めるのは、都会の中流階級の、より裕福な層で、大半がムサビに投票し、アメリカとヨーロッパ帝国主義とのより密接なつながりと、自由市場政策の迅速な導入という彼の右翼的なプログラムを支持している人々だ。ムサビや、億万長者の元大統領アリ・アクバル・ハシェミ・ラフサンジャニが率いる“改革論者”派閥を支持すべき何の理由も見いだせない労働者階級は、デモ参加を控えている。

マスコミは、いかなる客観性のふりもかなぐり捨て、抗議運動と、その指導者達が、民主主義を目指す“緑の革命”の先鋒だと主張している。イラン政権による、あらゆる抑圧行為が、重大ニュースとして報道され、何百人も死亡したという噂が事実として報道されている。アメリカのマスコミは、とりわけ、インターネットと携帯電話の通信を阻止しようとするイラン政権の活動に対して、その矛先を向けている。

二週間後、アメリカが訓練し、装備を与えたホンジュラス軍が、選挙で選ばれた大統領の家に押し入り、縛りつけ、銃をつきつけて、飛行機に乗せ、国外に追放した。職を追われた大統領マヌエル・セラヤの基本的な犯罪は、ホンジュラス政府を、ラテン・アメリカにおけるワシントンの宿敵、ベネズエラのウーゴ・チャベスやキューバのフィデル・カストロと提携させ、ホンジュラス国内で、最低賃金引き上げのような、控えめな人気のある改革を進めたことにある。

ホンジュラスでクーデターが起きていることに議論の余地はない。しかし、アメリカの新聞や、テレビでは、この事件はほとんど報道されていない。セラヤ政府閣僚の逮捕と国外追放、追放された大統領に同情的な現地マスコミの閉鎖、外国人ジャーナリストの逮捕、CNN等、アメリカに本社があるマスコミの閉鎖、夕暮れから夜明けまでの外出禁止令や、全ての主要都市における、何千人ものホンジュラス軍の動員を含む、事実上の非常事態発動のいずれもが。

ホンジュラス財界、国会、裁判所と教会が支援するクーデター政権が、インターネットと携帯電話通信を阻止しようと狙っているのに、アメリカのマスコミからは何の抗議も起きない。

新政権が仕組んだ、クーデター支持派デモは、首都テグシガルパの豊かな中産階級が多数派を占めていた。

国家による抑圧をものともせず、ホンジュラスの教師組合は、総勢60,000人の学校閉鎖ストライキを敢行し、何千人もがテグシガルパで抗議デモをした。このデモでは、労働組合員、労働者、失業者や地方の貧しい人々が多数派を占めていた。クーデターに対する、この労働者階級の抵抗は、アメリカのマスコミでは、ほとんど報じられない。

日曜、7月5日、テグシガルパ空港をバリケード封鎖している軍隊が、チャーター機で着陸し、職に復帰しようとしたセラヤ歓迎のため集まった非武装のデモ参加者に発砲した。19歳の青年が射撃され死亡した。またもや、アメリカの報道メディアではほとんど触れられていない。

アフマディネジャドがムサビを逮捕し、イラン国外に追放していたら、アメリカのマスコミがどのように反応しただろうかというのは、容易に想像できる。もしもイラン大統領が、ムサビの帰国を阻止するために空港を封鎖していたら、怒号が噴出していただろう。

イランとホンジュラスに適用される二重基準の見本はたっぷりある。ごく一部をあげればこうだ。

CNNは、ニュースを検閲し、外国人報道陣を脅迫しようとするイラン政権の活動をことさら強調している。一方、ホンジュラス・クーデター政権自身によるホンジュラス放送の停止については、一言も触れない。

7月4日、CNN.comは、地方から、テグシガルパにでかける反クーデター・デモ参加者を、乗せていたバスのタイヤを、ホンジュラス軍が撃ち抜く様を示すビデオ・テープを入手したと報道した。ところがこのビデオ、同局では、例え放送されたとしても、事実上ほとんど放送されていないに等しい。

もっとも重要なのは、日曜、テグシガルパ空港での反クーデター・デモ参加者の殺害と負傷の報道が、アメリカ・マスコミでは、事実上皆無なことだ。月曜日、イギリスのフィナンシャル・タイムズは、残虐行為について、その計画的な特徴を明らかにするような恐ろしい記事を掲載した。セラヤの飛行機を歓迎するため、約1,500人の群衆が空港境界のフェンスに集まったと報道して、同紙は書いている。

「しかし、目撃者によると、日曜の午後3時頃、セラヤの帰国を妨げるために滑走路を警備している兵士たちが、非武装の群衆に対して、攻撃を始めた。

「兵士たちは、空港内の位置から発砲し、更に群衆の中に催涙ガスを打ち込んだ。

「少したって、少数の連中が、デモ参加者が切り裂いた境界フェンスを超え、自動小銃を構え、それを怯えた男、女、子供たちに向けた。更に、連中は、再度発砲した。少なくとも、一人が死亡し、30人もの人々が負傷した。」

ラテン・アメリカのマスコミの多くが、致命傷を負った青年イシス・オベ・ムリーリョが、抗議デモ参加者仲間に運び去られて行く写真を掲載している。そのような写真は、大手アメリカ新聞や、テレビ・ニュース番組には全く現れていない。ムリーリョは、アメリカのマスコミでは、無名のまま、哀悼もされずにいる。

この冷淡な扱いは、6月20日テヘランでのネダ・アガ・ソルタンの死をめぐるマスコミの狂乱ぶりと比較する必要があるだろう。ムサビ支持派抗議デモの傍観者だと報道されている27歳の学生の死は、曖昧な状況下で起きている。イラン政府は関係がないと主張しているが、マスコミは直ちに、彼女を「緑の革命」の殉教者だと宣言した。彼女の映像は、新聞第一面に目立つように掲載され、あらゆるTVチャンネルで放映されている。「ネダ」はイラン反対派の「ジャンヌ・ダルク」だと讃えられている。

二つの首都の物語が、アメリカ・マスコミの性格と役割をまざまざと描き出している。超巨大企業が所有し、支配するアメリカ・マスコミは、国家の付属物、兼、アメリカ帝国主義者の権益のための宣伝機関として機能しているのだ。テヘランとテグシガルパの抗議デモに対する、まったく正反対の対応によって、アメリカ・マスコミと、編集主幹や、上席記者やら、TVニュースキャスターとして働き、たっぷり金をもらっている連中の階級的偏向は浮き彫りにされている。

イランの支配党派を攻撃するアメリカのキャンペーンを、一斉に支持しているいわゆる“進歩的”リベラル・メディアも、同じ役割を果たしている。ネーション誌の水曜日のウェブサイトでは、ムサビ支持派勢力による新たなデモの呼びかけを歓迎する、同誌のイラン特派員ロバート・ドレフュスの記事を見出しに載せている。ホンジュラスの出来事に関する記事をざっと探してみたが無駄だった。(ドレフュスについてより詳しくは、『ネーションのテヘラン特派員ロバート・ドレフュスとは何者か?』英語原文)

アメリカ支配層の国内、外交政策の目的に従って、世論操作の機能を遂行するにあたって、アメリカのマスコミは、いかなる基準も遵守することなく、いかなる制限も守りはしない。アメリカのマスコミが、アメリカの権益にとって好ましくないと目される政権に対する、まやかしの“カラー革命”を支持し、CIA、軍や国務省に支援された政権による目に余るほど反民主的な手段を無視する姿ほど、アメリカの民主主義と、アメリカにおける“自由な言論”の崩壊を分かりやすく示しているものはない。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2009/jul2009/pers-j09.shtml

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チャールズ・ディケンズに『二都物語』という小説がある。ロンドンとパリだ。

アナリー・サクセニアンに『現代の二都物語』という経営学の名著がある。ボストンとサンノゼだったろうか。

郵政911デマ選挙で小泉首相を強く押した日本の商業マスコミ、その行為を何ら反省しないまま(それが業務なのだから、反省するはずもないが)、今度は二大政党の間の政権交代をうたっている。これも既定路線。これもまんまと成功するだろう。属国日本の商業マスコミも、二大政党制度も、巧妙に、強烈に、宗主国に管理されているのだろう。

ホンジュラスの場合、自由党と国民党、二大政党いずれも、アメリカの傀儡政党。

日本の場合、自民党と民主党、二大政党いずれも、アメリカの傀儡政党。

ホンジュラスと日本の違いは、日本はアジアで孤立しており、アメリカから自立するような政策をとるような政党も政治家も権力を握る可能性がなく、こうしたクーデターが不要であることだけかも。

二大政党間(実質は、自民党の二大派閥だろう)で政権が移動することが、庶民にとって、政治・選挙の目的ではなかろう。

庶民の生活を良くすることが、庶民にとっての、政治・選挙の本当の目的だろう。

そうであれば、小泉郵政選挙で、自民党に2/3の圧倒的大多数の議席を与えた過ちを、有権者は反省・後悔しているだろうか?

東京都議選挙、事実上与党の一つである民主党が、野党のふりをして、商業マスコミの絶大な応援を得て、今度、自民党の代替となる。商業マスコミが民主党を応援するのは、民主党が多数派になっても、財界に対し不利な政策を行わないことを知っているからに違いない。

二大政党なるものの間における権力交代よりも、たとえ、自民、公明、民主といった与党が大連立を組んでも、2/3を超える議席を持てないよう、他の弱小政党を増やすことこそ、属国化暴走を止める安全弁だろうに、そういうことを商業マスコミは書かない。書かないで、二大政党化をあおることが、彼等の使命、業務なのだ。

もちろん、そうなる可能性は皆無。日本は無限に属国化するだろう。(かな漢字変化で、「よとう」を変換させたら、「夜盗」が出てきた。あたらずとも言えず、遠からず、と賢さに感心した。)

今日の新聞で、象徴的な広告を見つけた。

リチャード・ギア主演の「HACHI」なる映画の宣伝だ。

911郵政選挙時期、リチャード・ギアのVisaカード・コマーシャルが連日流されていた記憶がある。

ライオン・ヘアで、ボタンをはずしたシャツ姿のリチャード・ギアが、インドらしき都市で、放鳥しようとする少女を助けるコマーシャルだ。

放鳥すると幸運になれます。鳥の数は多ければ多い方が良いですと商人は語る。出立する兄の幸運を祈って、少女が放鳥しようとするが、小遣いでは一羽しか放鳥できない。少女の背後にいたギアが商人に目配せし、カードで無数の鳥を少女のために放鳥させる。

鳥は仕込まれていて、舞い戻ってくるのだろう。リチャード・ギアにそっくりな当時の首相が、あたかも「これから手品・まやかしをやりますよ」というコマーシャルに見えた。

映画「HACHI 約束の犬」リチャード・ギア主演8月8日ロードショー宣伝。あまりにうまい時期のサプライズ?

「どちらの党が多数派になろうと、日本はアメリカのポチですよ」と言われた気分。

いや、意外に「息子さんも父親ゆずりのポチです。安心して選んでください。」という素直な応援かも知れない。

2009年7月 8日 (水)

ホンジュラス・クーデターは氷山の一角。次はどの国?

グアテマラ・タイムズ
2009-07-05

中米と南米の伝統的な右派勢力陣営はパニック状態だ。連中の演説と戦略の決まり文句はこうだ。「わが国において、"チャベス"や"エヴォ・モラレス"の選出を阻止せねばならない。」連中は米州ボリバル代替統合構想の指導者達に対する嫌悪を雄弁に語っている。

米州ボリバル代替統合構想の指導者達の美徳は、権力を握っている右翼の連中のそれと同様に、疑問の余地がある。こうした諸国にとって、一体誰が最終的に有益なのかは、結果を見てみるまで、分からない。

ブラジルのルラと、チリのミシェル・バチェレは、新たな左翼運動の建設的な功績の好例だ。

中米では状況は異なっている。これらの国々(コスタリカ以外)の国民が大きく分極化したのは、冷戦中この地域で戦われた代理戦争の結果だ。大虐殺、権力の乱用、集団虐殺、そして全体主義的政府は、こうした戦争の結果で苦労した国民の記憶にいまだ新しい。

冷戦が公式に終結した後に登場し始めた脆弱な民主主義は、依然として、ほとんど名ばかりの民主主義にすぎず、法に従って機能する堅固な統治制度ではない。

脆弱な民主的制度や司法部門は、こうした民主主義の本拠とはほど遠い。

法案は通過させることはできても、必ずしも尊重されるわけではない。グアテマラには、国会による治安判事任命の法律を通過したという、ごく最近の例がある。司法制度から、腐敗した治安判事や裁判官たちを一掃するのに、新法は必要だった。

一言、違憲だと宣言して、この法律をゆがめた最初の分野は、グアテマラ各大学の学長たち、つまり学界代表だった。彼等はこの件をグアテマラ憲法裁判所に持ち込み、最高裁は彼等に有利な裁定をしたのだ。

これは、グアテマラでは、いかに法律が機能するか、そして、誰が自分たちに都合良く、法律を変える力を持っているかについての、心強い例だとは言い難い。

要するに、グアテマラで、コロムが、ニカラグアでダニエル・オルテガが大統領に選出されて以来、ホンジュラス大統領セラヤの米州ボリバル代替統合構想に対する熱意と、最近エルサルバドルでフネスが選出されたことで、この地域における、伝統的な右派権力者層がパニックに陥ったのだ。

彼等は、闘牛士が振る赤いケープを見ている 雄牛のようなものだ。雄牛はどうするだろう。闘牛は突進するのだ。

グアテマラのアルバロ・コロムを、権力から追い落とそうという最初の深刻な企みは、2009年5月、ローゼンバーク弁護士暗殺のスキャンダルを利用したものだった。国際社会が注目し、素早く信号を送ったために、これはうまく行かなかった。クーデタをしようなどど考えてはいけない。我々はお前たちを支持しない。右派野党は、渋々ながら、自陣営へと退却し、今や他のオプションを伺っている。

ホンジュラスの右翼権力エリートは、グアテマラで起きた事に細心の注意を払っていたに違いなく、多少とも準合法的な主張さえあれば、国際社会は、我々のことを止められまい、と考え、セラヤを権力から追い落とす、一見合法的なクーデター作戦を思いついた。

中米諸国では、議会と最高裁がどのように機能するかを知っていれば、かなりの法律を、でっちあげることができ、最高裁や憲法裁判所に、特定の利益に従った裁定をさせることができる。司法制度は、きわめて脆弱で、腐敗しており、基本的に金次第だ。

国連、欧州連合、アメリカ、米州機構、中米統合機構は、異口同音に、ホンジュラスの新政府は、合法的でなく、セラヤを復帰させるべきだと宣言した。米州ボリバル代替統合構想は関与すべきではないと考え、いかなる軍事的対応や関与を遺憾に思う。

"承認されていない"ホンジュラス政府はこう主張している。何が合法的で、何が民主的だということを、世界がどう思うとかまわない。我々は自分が思う通りにやる。

これは新たな戦略だ。国連、欧州連合、アメリカ、米州機構、中米統合機構の見解を、一斉に無視するものだ。

いまや問題は、エルサルバドル、ニカラグアやグアテマラに対する、ホンジュラス"非合法政府"による行動の影響はどのようなものか、ということだ。

コスタリカは安定しており、パナマは伝統的な右翼支配層の代表を選出したばかりで、この二カ国は平静を保つだろう。

"承認されていない"ホンジュラス政府から送られる信号は、グアテマラ、エルサルバドルや、ニカラグアの仲間たちに、自分たちの行動をまねするよう激励しかねない。

グアテマラでは、12人程の右翼評論家が、セラヤを追い落とした"大胆で、勇敢な"ホンジュラス人への支持を、既に公式に書いて表明し、国際社会を無視して、いかなる犠牲を払っても、最後までやり抜くように、励ましている。何人かのラジオ解説者も同じ行動をしている。

グアテマラとエルサルバドルでも、間もなく、クーデターを見ることになるのだろうか? それは大いにありうることだ。もしも、グアテマラのラジオやTVをつけてみて、マリンバ音楽しか聞こえないという場合に、起きたとわかるのだ。

記事原文のurl:www.guatemala-times.com/opinion/editorial/1136-honduras-coup-is-just-the-tip-of-the-iceberg-who-is-next.html

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自民党支持者としか思われない学者が、民主党支持で、静岡県知事に選ばれたのを、あたかも、政治大変動のごとく描き出して、自民・公明から、民主へのエセ政権交代をあおる商業マスコミ。自民党シンパ学者が民主党という同じ穴のむじなのレッテルで当選したとて、何の変化もおきるわけがないだろう。与党の派閥間の移行にすぎまい。あの学者が落ちて、他の穴馬候補が当選していれば、それは事件だったろうが。

911の小泉・郵政詐欺選挙の反省を全く表明していないマスコミ。今度は、詐欺の第二段階、二大政党政権交代論を売り込む。失礼ながら、実質大多数がB層ではないかとおもわれるこの国の皆様、またもや、この詐欺にのせられるだろう。

俳優の何回忌だかを、大々的に報道するゴミ・ニュース。お笑い芸人が知事(痴事?)に扮している宮崎県人やら、無責任なタレント弁護士知事らの、二党選択発言ばかり報道してくれる。一方、世界最大、最も忠実なアメリカの属国としては、ホンジュラスの命運、小国とはいえ人ごとではないのに、クーデターについては詳しく報じない。マスコミや政治家には、幸い、素晴らしい好都合なタイミングで、中国でウイグル騒乱が発生。大変な問題だ。しかし、属国日本としては、中国の少数民族弾圧を批判するまえに、まず自立することだろう。自分の頭の上の蝿を追うのが先では。

安保解消を訴える著名財界人の本が出た。『惜別 さらばアメリカ』清水信次著 経済界刊

冒頭には、カラー著者写真が多数載っている。著者がそれぞれの写真で、一緒に写っている相手が壮観。岸信介、福田赳夫、中曽根康弘、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎という歴代総理。自民党幹部とそうしたつながりを持つ人物が、日米安保条約の解消を呼びかけたのにびっくり。しかるのち、憲法をかえよという。当然の順序だろう。自民も民主も、日米安保解消には決してふれず、憲法の破壊(マスコミ用語では『改正』)だけを言い立てるが、この人はそうではない。

清水信次という人、政界にいたら、ほとんど日本版セラヤ?

もしも、テレビや新聞に使うお時間があるなら、是非こうした画期的な本をこそお読みいただきたいと思う。『1Q84』のようなあいまいな小説ではなく、こういう本がベストセラーになるようであれば、日本も変わる可能性があるだろう。しかし、そういう可能性、残念ながら、無限に小さいだろう。

2009年7月 5日 (日)

もう一つの9/11、中南米に再度出没

頂点にいる人々が、労せずして得ている特権を維持しようと反撃するのは、どうしても避けられない。

Johann Hari

2009年7月3日

"The Independent"

もう一つの、破壊的な9/11の亡霊が中南米に再来し、しつこくつきまとっている。日曜日朝、兵士の大隊がホンジュラスの大統領官邸に押し入った。彼等は、民主的に選出された大統領マヌエル・セラヤが眠っていたベッドを包囲し、機関銃を大統領の胸に押しつけた。兵士たちは、彼に起きるよう命じ、軍用機に連行した。彼等は、コスタリカの滑走路に、セラヤをパジャマ姿のまま置き去りにし、彼を自由意志で国家首長に選んだ国ホンジュラスには、二度と戻るなと命じたのだ。

ホンジュラス国内では、将軍達が、電話網、インターネットや国際TVチャンネルを封鎖し、自分たちが今や権力の座にあると発表した。甘美で、空虚な音楽だけが、ラジオで流されている。政府閣僚は逮捕され、打擲されている。もしも午後9時以後に家から出ると、射撃される可能性があると、国民は脅されている。街頭に押し寄せた反対デモ参加者に対して、戦車と催涙弾が向けられた。

中南米の人々にとって、これは、あの9月11日の再演だ。チリでは、1973年のこの日、平和的な民主社会主義者で、大多数を占める貧しい人々に、着々と富を再分配していたサルヴァドール・アジェンデが、官邸を爆撃され、自殺を強いられたのだ。彼にとって代わったのは、自ら認める "ファシスト"、アウグスト・ピノチェト将軍で、彼は更に何万人もの無辜の人々を"行方不明"にした。クーデターは、ワシントンDCで、ヘンリー・キッシンジャーによってくわだてられたのだ。

チリのデモクラシーを圧殺した公式な口実は、アジェンデが「共産主義者」だったというものだ。彼はそうではなかった。実際、彼は、国富や土地を、アメリカと、チリの超巨大企業から、国民へと移しつつあり、彼等の権益を脅かしていたがゆえに殺害されたのだ。サルヴァドール・アジェンデの未亡人が先週亡くなった時、彼女は、まるで昔の時代の象徴のように見えたのに、なんとわずか数日後に、クーデターが戻って来たのだ。

ホンジュラスは、国民わずか700万人の中米の小国だが、成長しつつある自前のデモクラシー事業に着手してきた。2005年、セラヤはホンジュラスの大多数の貧しい国民を助けると約束して出馬し、約束を守った。彼は労働搾取工場はもはや受け入れられず、「豊かな人々は割り前を払わなければならない」といって最低賃金を60パーセント上げた。

ホンジュラスの富の45パーセントを持つ、頂点にいる僅かなエリート層が怯えたのだ。彼等は、ホンジュラスを、自分たちで、自分たちのために動かすことに慣れている。

しかし、この富の国民への再配分という波は、中南米中に押し寄せている。バリオやフアベラと呼ばれるスラム街、泥と錆びたトタンで作られた貧民街に、初めて、医者や教師や、助成金を受けたスーパーマーケットがあらわれるようになる様子を私は見てきた。石油で得た資金の蛇口を国民の方向に変える指導者を選出したからだ。ベネズエラでは、例えば、ノーベル経済学賞受賞者のアメリカ人経済学者ジョセフ・スティグリッツが引用した研究によれば、ウゴ・チャベスを大統領に選んだがゆえに、国民の半数の貧しい人々は、インフレーション後、収入が130パーセントも増えたという。幼児死亡率は急降下した。

これほど多くの中南米諸国がこの例によって、元気づけられたのも不思議ではない。チャベスが、セラヤのような人を"賄賂"または"洗脳"しているに違いないなどという発想は、とっぴにすぎる。

頂点にいる人々が、労せずして得ている特権を維持しようと反撃するのは、どうしても避けられない。2002年、ベネズエラのオリガーキーは、ウゴ・チャベスの拉致で、ブッシュ政権と共謀した。大規模な民主的な民衆の蜂起だけが、彼の復帰を強いた。ホンジュラスでも、民衆は同じことをしようとしている。

しかし軍産複合体は、プロパガンダ上の口実を考え出し、それが、手先連中によって、西欧世界中で熱心に反復されている。将軍たちは、デモクラシーを救うために、民主的に選出された指導者を打倒し、閣僚たちを逮捕したのだと主張している。

ことのなりゆきはこうだ。ホンジュラスには、1982年に、退陣する軍独裁権力の監督のもとで、オリガーキーによって制定された憲法がある。この憲法は、大統領は一期しか勤められないが、ホンジュラスにおける本当の権力者であることを確保し続けるため、軍は永久に、そのまま残り、"独立"していると定めている。

セラヤは、これはデモクラシーに対する障害だと考え、国民が、新憲法を制定するための憲法制定会議を選出したいのかどうかを見るための、国民投票を提案した。これは、軍の権力を削減する可能性があり、おそらくは、大統領が再選に出馬することを可能にするはずだった。ところが、最高裁が、大統領選挙がある年に、拘束力がある国民投票を行うことは違憲だと裁定した。そこで、ゼラヤは、その代わりに、単に世論を測るだけの、拘束力の無い国民投票を行うよう提案していた。これは全く合法的だ。軍は、国民による票決を恐れ、銃を持って介入したのだ。

しかし、1973年の、あるいは2002年のクーデターの日々以後、世の中は進歩している。アジェンデやチャベスに対するクーデターは、CIAとホワイト・ハウスにより熱心な支援を受けた。だが今回は、バラク・オバマはこう語っている。「クーデターは、合法的ではなかったし、セラヤ大統領は依然として、ホンジュラス大統領だと考えている。」彼は、このクーデターを「不快な前例」と呼んだ。

彼の対応は完全とは言えない。フランスやスペインとは異なり、彼はまだアメリカ大使を召還していない。中南米デモクラシーに対する大きな障害である国際通貨基金と世界銀行を彼は支持し、正真正銘、権力濫用をしているコロンビア政府に武器を供給しながら、チャベスを中傷している。だが、漠然と「我々は、今や皆ホンジュラスの将軍だ」というよう合唱をしていたに違いないブッシュとマケインに比べれば大きな進歩だ。

醜い中南米オリガーキーが、世界を敵に回し、孤立して、デモクラシーと自国民への軽視を現している。機関銃を突きつけることで、全ての富が自分達のものになる古い大陸を維持するために彼等は戦っているのだ。こうした行為の代償を私は見てきた。こうした大陸の、褐色の肌をしたごみ拾いの子供たちが群がっているごみ捨て場に暮らしたことがあるが、そこから何キロか離れた所には、ビバリー・ヒルズのような住宅地があるのだ。

今週末、アルゼンチン大統領と米州機構事務総長を伴い、セラヤは、正当な地位に着くため、彼を選んだホンジュラスに帰国する。彼が成功するか失敗するかによって、ごみ捨て場の子供たちも希望が持てるようになるのか、そして、あの破壊的な9/11クーデターの硝煙がとうとう晴れたのかどうかがわかるだろう。

Slate magazineに書いた、アジアの赤ん坊の生と死に関するJohann Hariの最新記事を読むには、ここをクリック。

j.hari@independent.co.uk

記事原文のurl:www.independent.co.uk/opinion/commentators/johann-hari/johann-hari-the-other-911-returns-to-haunt-latin-america-1729429.html

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関連記事翻訳:

1973/9/11 アジェンデの遺言

ナオミ・クラインの「The Shock Doctrine」中でも、シカゴ大学に学んで洗脳されたシカゴ・ボーイズ達による、ピノチェト時代の過激なチリの経済政策、ピノチェトの独裁・弾圧政治と不可分だったことが実に詳しく書かれている。是非お読みいただきたい。投票をされる前に。

中南米諸国、アメリカ軍から離れようと努力していることも「The Shock Doctrine」にあった。

クーデターを起こした将軍たち、周知の通り、こういう行動をとるように教えるアメリカ軍に育てられている。

それで昨日テレビで報道されていた神奈川の世襲候補を連想した。彼もアメリカで超一流ジャパン・ハンドラーに育てられている。そのことに触れる報道は当然、皆無。アメリカ軍に育てられたホンジュラスの将軍たちと、彼は違う行動をとれるだろうか?父親の懐刀?竹中氏もアメリカ留学した。ホンジュラスの将軍たちとまさに同じ行動をとっているように思える。

アメリカ留学時に、ブレジンスキーの講義を受けたのがご自慢の民主党衆院議員長島昭久氏はどうだろう?ソマリア派兵を最初に言い出した彼、次期は、あの国のために、この属国で、一体何を推進してくれるだろう?

今朝の新聞に、気になる記事があった。

アマゾンに140億円追徴 国税局「日本にも本社機能」というもの。一部を引用しよう。

アマゾン側は米国に納税しており、日本側の指摘を不服として日米の二国間協議を申請。日米の税務当局間で現在、協議中という。日本法人「アマゾンジャパン」(東京都渋谷区)は「課税は不適切で、当局と議論を継続している」とコメントしている。

日米租税条約では、米企業が支店など「恒久的施設(PE)」を日本国内に持たない場合、日本に申告・納税する必要はない。アマゾンは市川市に物流センターがあり、仕入れた書籍などが置かれている。こうした倉庫はPEに当たらない。

ということは、「愛国者法」、日本アマゾンにも適用され、日本人がどんな本を購入しているかという情報、アメリカ当局に報告される可能性がある、ということを意味するのではなかろうか。妄想であれば幸いだ。少なくとも、税金は、アメリカにもってゆかれる可能性が限りなく高い。

こうした理由で、宗主国の巨大企業アマゾン、基本的に本のリンク先にはしていない。(原文で、原書を参照している場合は、その限りではない。)

2009年7月 3日 (金)

中南米に対するオバマの本当のメッセージは?

ホンジュラスのクーデター

Nikolas Kozloff

2009年6月29日

"Counterpunch"

ベネズエラとアメリカ合州国間の外交的雪解けは突然終焉するのだろうか? トリニダード・トバゴの首都ポートオブスペインで最近開催された米州サミットで、バラク・オバマは、ベネズエラのウゴ・チャベス大統領と握手し、中南米に対し、これまでほどのごう慢でない外交政策を遂行するつもりだと宣言した。この友好に基づき、先週末ベネズエラとアメリカ合州国は、大使再派遣に同意した。こうした外交的序曲は、ブッシュ時代の惨めな外交関係状態との、あからさまな対比となっていた。わずか九ヶ月前、ベネズエラは、外交的闘争の中で、アメリカ外交官を追放した。当時、チャベスは、アンデス地域の国家の内政に対してあからさまな政治介入をしたと非難し、同様にアメリカ首席外交官を追放した左翼的な同盟国ボリビアとの団結を表明するために、自分もアメリカ大使を追い出したと語っていた。

しかしながら、先週実現した友好も、ホンジュラスの不穏な政治的事態で、今やおしゃかだ。日曜日のホンジュラス軍事クーデター後、チャベスは、ホンジュラスのマヌエル・セラヤ大統領打倒の画策を支援したとして、アメリカを非難した。「これら兵士の背後には、ホンジュラスを、バナナ共和国(バナナ等果物輸出の依存度が高い国家)に、北米帝国主義の政治的・軍事的な基地に変えた、ホンジュラスのブルジョア層、金持ちたちがいる」とチャベスは口をきわめて非難した。ベネズエラの指導者は、セラヤを権力に復帰させるようホンジュラス軍に強く促し、もしもベネズエラ大使が殺害されたり、軍隊がベネズエラ大使館に侵入したりすれば、クーデター政権に対する軍事行動もありうるとまで威嚇した。ホンジュラス軍兵は、軍事クーデターの途上、大使を殴り、道路脇に放置したと報じられている。チャベスが今や軍隊を警戒態勢におくほどまでに緊張は高まっている。

表面上は、少なくとも、中米における介入主義的なアメリカ外交政策を、オバマが承認するとは考えがたい。彼は過去数カ月間、アメリカを、世界から見て、無謀な単独主義とは対照的に、礼儀正しい外交を行う思慮分別のある大国として「ブランドを再生」させようと、いかなる苦労も惜しまずにやってきた。民主的に選出された政府の転覆をオバマが容認したことが万一証明されたなら、それはアメリカ大統領が入念に作り上げてきたイメージをすっかり台無しにしかねない。

公式には、ホンジュラス大統領が権限を乱用したという理由で、軍はセラヤを権力の座から追放したことになっている。日曜日、セラヤは、更に四年間の任期が得られる再選に、彼が出馬することを可能にするような、憲法改訂に関する国民投票を実施したいと望んでいたが、この動きを、ホンジュラス最高裁と議会は違法だと宣言していた。とはいえ、セラヤの憲法に関する国民投票を巡る紛争が、軍介入の口実になったのは事実であり、大統領が、ホンジュラスのエリート層と、政治的に過去数年間対立しており、この地域で、ワシントンに対する最も激しい批判者になっていたことは誰もが知っている。

セラヤの台頭

太く黒い口ひげをたくわえ、カウボーイ・ブーツを履き、大きな白いステットソン帽を被ったセラヤは、2005年末に選出されていた。一見したところでは、波風を立てる政治家のようには到底見えなかった。製材事業を営む裕福な土地所有者一家出身の地主ゼラヤは、ホンジュラスにおける二大政党の一つ自由党を率いていた。大統領は、アメリカ合州国との貿易障壁を解消する中米自由貿易協定を支持していた。

当初の保守的な傾向にもかかわらず、マスコミや、産業自由貿易地帯で、輸出用商品を生産するマキラドーラ労働搾取工場の所有者などの、強力な、既得権益集団をセラヤは批判し始めた。彼は次第に社会的に進歩的な政策を採用し始めた。たとえば、セラヤは、60パーセントの最低賃金引き上げを制定して、裕福な経営者達を激怒させた。最低賃金引き上げは、「産業オリガーキーたちに、公正な賃金を支払い始めさせる」ことになるだろうとセラヤは宣言した。「我々は、貧しい人々に献身する、偉大な社会変革の政府なのだ」彼はそうつけ加えた。労働組合は、この決定を称賛したが、ホンジュラスが、半球で三番目に貧しい国で、国民の70パーセントが貧しい暮らしをしていることを考えれば決して驚くべきことではない。ホンジュラス最高裁で、民間企業の協会が、政府の賃金法令に異議を申し立てると発言した際、セラヤの労相は、批判者たちを「強欲な搾取者」と呼んだ。

ワシントンを驚かせたに違いない、もう一つの行動として、中南米とカリブ海諸国麻薬取り締まり担当官の会合で、密輸にまつわる暴力を止めるためには、麻薬消費を合法化しなければならないとセラヤは宣言した。近年ホンジュラスは、麻薬密売と、陰惨な斬首、強姦や、目玉のくり抜きをする、いわゆるマラス、つまり街のチンピラに悩まされてきた。「麻薬密売人を追いかけるのではなく、社会は、麻薬常習者の教育と、麻薬需要の抑制に資源を投入すべきだ」とゼラヤは発言した。ホンジュラス国会の麻薬密売対策委員会議長ロドルフォ・セラヤは、セラヤの発言を否定した。彼は会議参加者に「ホンジュラスの大統領の発言には、困惑し、あぜんとした」と語っている。

セラヤとALBA(米州ボリバール代替構想)

そこで止まることに満足せず、セラヤは益々自立的な外交政策を実施し始めた。2007年末、ホンジュラス大統領による共産主義者の島への、46年間で初めての公式訪問として、彼はキューバにでかけた。そこで、セラヤはラウル・カストロと会見し、二国間の協力関係と、相互利益をもたらす他の話題を話し合った。

しかし、セラヤを、ホンジュラスのエリート層との政治的衝突を必至にさせた本当の原因は、チャベスが率いる左翼的な中南米とカリブ海諸国の同盟である(スペイン語の略語ALBAで知られている)米州ボリバール代替構想への加盟を決定したことだ。ベネズエラ、キューバ、ニカラグア、ボリビアとドミニカを含む地域貿易同盟は、アメリカが支援する、大企業に有利な自由貿易制度に対抗することを目指している。2004年の創立以来、ALBA加盟諸国は、共同工場、銀行、緊急食糧備蓄、安いベネズエラの石油と、食糧、住宅や、教育投資との交換を推進してきた。

アメリカの従順な臣下であった、それまでのホンジュラス指導者達からの断固たる決別として、「ホンジュラスとホンジュラス国民は、ALBAに加盟するのに、いかなる帝国主義の承認も得る必要はない。」とゼラヤは語った。ホンジュラスの首都テグシガルパで、50,000人の組合員、女性グループ、農民や先住民の群衆を前にして、ベネズエラは、ホンジュラスに「少なくとも100年間」は、安価な石油を保障するとチャベスは語った。ALBAに加盟することで、セラヤは、与信枠、エネルギーと食糧援助を確保することができた。好意のあかしとして、3000万ドルにものぼるベネズエラに対するホンジュラス債務を帳消しにすることにチャベスは同意した。

チャベスは、ALBAに反対するホンジュラス人は 「裏切り者」だと宣言して、現地のエリート達を激怒させた。「私はここに、内政問題に介入するためにやってきたのではない」彼は更に続けた。「しかし…一体なぜホンジュラス人が、ホンジュラスが開発への道、統合への道であるALBAに加盟することに反対できるのか、私にはわからない。」チャベスは、ホンジュラスのマスコミをこきおろし、ピティヤンキス(小さなヤンキーの模倣者)、「ヤンキーへの卑劣なゴマスリ」とレッテルを貼った。セラヤはこう言った。「この条約に署名するのに、我々は誰の承認も必要としていない。現在、我々は中道左派政府に向けた道を進んでいる。もしも、これが気に入らないという人がいるのであれば、「中道」という単語だけ削り、二つ目の単語だけ残そうではないか。」

間もなく、ホンジュラスを、チャベスの軌道へと近づけているとして、民間企業がセラヤを激しく攻撃しはじめた。ALBAに加盟することで、大統領は、自由企業と、アメリカ合州国との中米自由貿易協定を危険にさらしていると、企業経営者達は主張した。元大統領リカルド・マドゥロは、アメリカ合州国は、ホンジュラス移民を、アメリカ合州国から強制送還して、ホンジュラスに報復するかも知れないとまで主張した。「食べさせてくれる人の手を噛んではいけない」ワシントンのことをほのめかして、マドゥロは警告した。ゼラヤは批判にさらされた。「(アメリカ大統領) ジョージ・W・ブッシュと会った時に」彼は言った。「誰も私のことを反帝国主義者とは呼ばず、実業界は私を喝采してくれた。ところが世界の貧困にあえぐ人々と会うと、彼等は私を批判する。」

セラヤのオバマ宛書状

2008年9月、ワシントンとの外交騒動を起こしていた最中のボリビアとベネズエラへの連帯から、新しいアメリカ大使の信任を遅らせ、セラヤは更にアメリカとの関係を緊張させた。「我々はアメリカ合州国との関係を断とうとしているのではない」とセラヤは述べた。「我々が(これをしているのは)、ボリビアの内政に対するアメリカ合州国のおせっかいを糾弾した[ボリビア大統領]モラレスとの連帯なのだ」自分の決定を擁護して、セラヤは、小国は協力する必要があると語った。「世界の大国は、我々を、公正に、敬意を持って処遇しなければならない」と彼は述べた。

11月、セラヤはアメリカでオバマが大統領に選出されたことを「世界に対する希望だ」と歓迎したが、わずか二ヶ月後には 緊張が現れ始めた。個人的にオバマに送った大胆不敵な手紙の中で、セラヤは、アメリカの「干渉主義政策」を非難し、ワシントン新政権に、他国の政治問題への不干渉原理を尊重するよう要求した。手紙の写しを見たという、スペインの通信社EFEによると、アメリカ大統領に対し、彼が何をすべきであり、何をすべきではないかを言うつもりではないのだと、セラヤはオバマに書いているという。

しかしながら、彼はまさにそれを遂行し続けたのだ。最初に、セラヤは、アメリカ・ビザの問題を取り上げ、「アメリカに対し脅威となるような、異なる信条、あるいはイデオロギーを抱く人々に対する圧力手段として、世界の他の国々の国民に対し、ビザが取り消されたり、拒否されたりする手順を改訂」するようオバマに強く促した。

あたかも、それだけでは、厚かましさが足りなかったかのように、セラヤは更に麻薬密売に触れた。「麻薬密売に対する合法的な闘いが…他国の政治に対する介入主義的政策を遂行する口実に使われてはならない。」麻薬密売に対する闘いは、「あらゆる国々における、分配と、消費者要求、および金融機構を通して機能していて、先進国内部のネットワークが関与している不正資金浄化の管理への強制的な政策と分離してはならない」とセラヤは書いていた。

セラヤは、国連構造の改編・変換と「対決より、豊かな実りを生み出す」「ベネズエラとボリビアの問題を解決する」対話が「緊急に必要」なことも主張していた。一方、キューバ経済封鎖は「役に立たない手段」であり「不公平な圧力手段で、人権の侵害だ。」

六月クーデターの準備期間

中米の小国指導者から送られた大胆不敵な手紙をオバマがどう思ったかはあきらかではない。とはいえ、セラヤは、ワシントンの新政権にどこか幻滅を覚えるようになっていたように思われる。わずか三ヶ月前、ホンジュラス指導者は、コスタリカのサンホセに、アメリカ副大統領ジョー・バイデンと中米の大統領を集合させる中米統合機構(スペイン語略語SICAで知られている)の会合への参加を拒否していた。

セラヤと、ニカラグアのダニエル・オルテガ大統領の二人は、外交的な侮辱と見なして、会合をボイコットした。ニカラグアは現在SICAの議長国であり、バイデンは、オルテガに、会議を主催させることこそ適切なやり方だったのだ。サンディニスタ経済学者で元ニカラグア貿易相のアレハンドロ・マルティネス・クエンカは、「中米の憲法秩序への敬意よりも、[コスタリカ大統領]アリアスとの個人的関係を優先する」ことによって、アメリカ合州国は、中米関係の新時代を促進する極めて重要な機会を失ったと断言した。

こうしたテグシガルパとワシントン間のあらゆる論争的な外交論議が、オバマ政権を反セラヤにさせたのだろうか? 事態に先立つ日々、セラヤに対する軍事クーデターを率いた将軍ロメオ・ヴァスケスの役割に対して、注目と吟味が大いに行われたであろうことは確実だ。ヴァスケスは、悪名高い「アメリカ陸軍米州学校」つまり中南米の軍隊に拷問方法を教育する学校の卒業生なのだ。

アメリカ合州国は、ヴァスケスやクーデターを計画した連中と一切協力していないというのを信じるべきだろうか? アメリカは、ホンジュラス軍とは、特に1980年代、ニカラグアでのコントラ戦争の間、長年の軍事的紐帯を保っている。ホワイト・ハウスは、言うまでもなく、アメリカが関与していたという主張を否定した。ニューヨーク・タイムズは、オバマ政権がクーデターが切迫していることを知っており、軍に実行しないよう説得しようとしていたという主張を報道している。アメリカ人幹部との交渉を打ち切ったのはホンジュラス軍だったと同紙は報じている。「ホンジュラスあらゆる政治的、社会的主体に、私は、民主的な規範の尊重[と]法の支配を要求する…存在しているあらゆる緊張と紛争は、いかなる外部からの影響無しに、対話によって、平和裡に解決されなければならない。」と言明して、オバマ自身は王道をあゆんでいる。

この出来事で、たとえオバマ政権が、陰に隠れた役を演じていなかったにせよ、ホンジュラス・クーデターは、この地域において高まりつつある地政学的緊張を際立たせている。ここ数年、チャベスは中米とカリブ海小国に対する影響力を拡張することを狙ってきた。ベネズエラ指導者は、ホンジュラ・スクーデターに対する発言を翻す意図は一切見せておらず、ALBA加盟諸国は「セラヤ以外のいかなる[ホンジュラス]政府も認めない。」と述べている

そしてチャベスは、ホンジュラス暫定大統領ロベルト・ミチェレッティをあざけった。「ロベルト・ミチェレッティ氏は、最終的には監獄に入るか、亡命せざるを得ないだろう…もしも彼等が彼を宣誓就任させるなら、我々が彼を打倒する。私が言ったことを覚えておきたまえ。Thugetti(やくざもの?)よ。彼のことは今後こう呼ぶつもりだが、荷物をまとめた方が良いぞ。あなたは牢獄に入るか、亡命するかしかないのだから。我々はあなたの過ちを許さない。あなたがたはホンジュラスから一掃されるのだ。こういうことを許すつもりはない。あなたがたが生きてゆくのを困難にしてやろう。マヌエル・セラヤ大統領は大統領としての地位を取り戻す必要があるのだ。」

緊張が高まる中、ALBA加盟諸国の首脳は、ホンジュラスのクーデターについて論じるために、マナグアで会合することを確約した。コスタリカから、ホンジュラスに追放されたゼラヤは、ニカラグアに飛び、同僚達と相談する計画だ。ALBA加盟諸国間のこうした政治的団結の中、オバマは、アメリカの公式な態度が何であるかを決定しなければなるまい。

Nikolas Kozloffは「Revolution! South America and the Rise of the New Left」の著者(Palgrave-Macmillan、2008年刊) 彼のブログはsenorchichero.blogspot.comで読める。

記事原文のurl:www.counterpunch.org/kozloff06292009.html

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関連記事翻訳:
ホンジュラスでクーデター進行中: オバマ最初のクーデター
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イランの事態については、しつこく報道(プロパガンダ)を繰り返している属国日本のマスコミ、ホンジュラスのことになると、急にトーンダウンする。同じ属国に暮らす庶民としては、よほどホンジュラスの事態の方が、気になるのに。

もしも、日本で、対米独立を主張する、政党、政治家が現れたら、こういうシナリオになるという一例なのだから。もっとも、その可能性、無限にゼロに近い。

真偽は別として、イラクでは、都市から米軍が撤退したという。日本では64年たっても、米軍は、都市にしっかり巨大基地を確保している。この国は、イラクより本格的な植民地だと認識するのが、正常な神経の人間だろう。

横須賀市長選挙の結果にはびっくりしたが。彼とて決して「反基地」とはいっていない。なによりも驚いたのは、元市長を支持した政党、自民・公明だけではなかったことだ。民主党もしっかり元市長を応援していた。実にあきれた政党だ。万一、元首相の子息が落選するようであれば、慶賀として海軍カレーを食べ、三笠見学に行きたいと思うが、可能性は低そうだ。

都議会で、ずっと実質与党だった民主党、マスコミによる都民洗脳のおかげで、そらとぼけして、今回選挙で、より多くの議席を獲得できるのだろうか?とんでもない銀行設置に賛成し、築地移転に賛成し、歌と旗の押しつけをごりおしする知事を支えている政党が。

ナオミ・クラインの名著「ショック・ドクトリン」を読んでいるが、南米における、ショック・ドクトリンの過酷さが良くわかる。そこに、この事件。ああ、なるほどと思った。

しかし、日本は中南米諸国から、さらに何周もの周回遅れ。依然として、完全属国、市場絶対主義から抜けられない、政治的「ガラパゴス」だと、痛感している。現代日本を描いた『属国』を書いたガバン・マコーマックには、『空虚な楽園』という素晴らしい本もある。もちろん、これも日本の別名。残念なことに現在入手できない。

「ショック・ドクトリン」を読みながら、紺谷典子著、『平成経済20年史』を思い出した。植草一秀氏も「経済人だけでなく一般市民も必携の書であると思う。」と評する名著だ。ブログ、snozueの読書日記 平成経済20年史に、この本についての簡潔な記事がある。
市場主義批判の本を良い本を書いているのは、カナダでも、日本でも、女性ジャーナリストだけ。まともな経済学者は、何故本を書かないのだろうか、と不思議に思っていた所、根井雅弘『市場主義のたそがれ』が刊行された。有り難い。

ナオミ・クライン、文中だけでなく、巻末謝辞で、わざわざ、(ヴォネガットや)ガルブレイス逝去は耐えがたい損失だとのべている。『市場主義のたそがれ』のなかでも、当然、ガルブレイスについても詳しく言及されている。フリードマンの対極のような経済学者なのだから。

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