オバマ・ブランドに乗せられる-Chris Hedgesのコラム
Chris Hedges
2009年5月5日
"Truthdig"
バラク・オバマというは一つのブランドだ。そして、オバマ・ブランドなるものは、企業の大立者連中が財務省を略奪し、選挙で選ばれた首脳達が、企業ロビイストの軍団から、賄賂を得続け、商業マスコミが、うわさ話や、どうでもよいことで国民の憂さを晴らし、アメリカの帝国主義戦争が中東で拡大する中、アメリカ国民に、アメリカ政府のことを良く思わせるように仕組まれたものだ。オバマ・ブランドというのは、消費者を幸せにするのが目的だ。我々国民が、もてなされる。未来は明るいような気分にさせられる。国民は大統領が好きになる。彼は私たちと同じようなものだと、私たちは思い込む。だが、操作巧みな企業広告の世界から送り出される、あらゆるブランド製品同様、我々は、自分の利益にならない様々な事をしたり、支持したりするように欺かれるのだ。
こうしたアメリカ人の信頼と希望に対して、オバマ・ブランドは一体何を与えてくれたのだろう? 彼の政権は、バブル経済を再膨張させるという失敗の運命にある努力、せいぜいが破局を先のばしにして、深刻な危機の時代に、人々を無一文で放置することになる戦術として、ウォール街や破たん寸前の銀行に、12.8兆ドルもの納税者の金を、使ったり、貸したり、保証したりしている。オバマ・ブランドは、国防関連支出と、軍事計画者たちが、今や70,000人の兵士が今後15年から20年駐留すると予想している、イラクにおける運の尽きた帝国主義プロジェクト継続のために、ほぼ1兆ドルを割り当てた。オバマ・ブランドは、パキスタンに入り込むよう越境爆撃に送られる無人飛行機の使用を含め、アフガニスタンでの戦争を拡大し、一般市民の死者数を過去三ヶ月で倍増した。オバマ・ブランドは、労働者達が団結できるような規制緩和をせず、全てのアメリカ人のための非営利単一医療を考えられるようにするのを拒んだ。そしてオバマ・ブランドは、ブッシュ政権を、拷問の利用を含む戦争犯罪で起訴せず、ブッシュの秘密主義法制を取り去ることも、人身保護法の復活も拒んだ。
オバマ・ブランドは、極端に個人主義的で、目新しく見えるイメージを提供してくれている。企業勢力と巨大な軍産複合体という、昔ながらの原動力が、国家を略奪し続けているのを見えなくするよう、我々に免疫をつけてくれるのだ。わが国の政治を支配している企業は、もはや本質的に違いがある製品を製造しているのでなく、違いのあるブランドを製造しているのだ。オバマ・ブランドも、ジョージ・W・ブッシュというブランドと同様、法人型国家の核を脅かすようなことはしない。ブッシュ・ブランドは潰れた。わざとらしい気取りのなさに対する免疫が、我々にできたのだ。我々が本質を見抜いたのだ。これは、広告宣伝の世界で良くある、空気抜きだ。つまり、我々は、ワクワクする、わずかばかりエロチックな魅力もある、新しいオバマ・ブランドを与えられたわけだ。ベネトンやカルバン・クラインは、きわどい芸術と進歩的政治と結びつけるのに広告を活用するオバマ・ブランドの先駆けだ。それで連中の製品が優位になる。だが狙いは、あらゆるブランド同様に、受け身の消費者たちに、ブランドを経験だと思い込ませることにある。
後に「政治的正しさ」と呼ばれるようになった大義と融合したおかげで、基本的な経済基盤を無視した、女性運動や公民権運動が、活動家世代を、行動ではなく、イメージの政治で、たくみに調教してしまった、とナオミ・クラインは、『ブランドなんかいらない』(原題NO LOGO)で書いている。
世界的な有名人となったオバマは、易々と、ブランドへと成形された。二年間の上院議員以外、彼にはほとんど何の経験もなく、道徳的な核心も何もなく、万人向けのどんな色にでも塗り変えることが可能だった。彼の短い上院における投票実績は、企業権益への見すぼらしい屈従に過ぎない。原子力発電は、「グリーン」エネルギーだとして、彼は喜んで推進した。イラクとアフガニスタンでの戦争を継続するよう賛成票を投じた。彼は愛国者法を再認可した。暴利をむさぼるクレジット・カード利率の上限を定めることを狙った法案を、彼は支持しようとはしなかった。1872年の悪名高い鉱業法を改正するはずだった法案に、彼は反対した。デニス・クシニッチやジョン・コニヤーズ等の下院議員が起草した皆医療保険法 HR676を支持することを、彼は拒否した。彼は死刑を支持している。そして、金融業界による大規模ロビー活動の一環だった、集団訴訟「改革」法案を彼は支持した。この法律は、集団訴訟公正法として知られており、大半の集団訴訟を審問する裁判地としての州裁判所を、事実上閉鎖し、多くの裁判所での強力な企業による異議申し立てを、こうした訴訟が拒否する機会という救済策を否定するものだ。
オバマ就任前の数週、ガザが空襲で爆撃されていた間、シーモア・ハーシュによれば、「オバマ・チームは、既にイスラエルに流れ込んでいた「高性能爆弾」その他ハイテク兵器の、計画されていた補給には反対するものではないことを知ってもらいたい」と言っていたそうだ。上院議員としての、彼ご自慢の反戦演説とて、おそらく彼唯一の果敢な抵抗の実行動も、あっと言う間に反転した。2004年7月27日、シカゴ・トリビューンに彼はこう語っている。「今の段階では、私の立場とジョージ・ブッシュの立場の間には、それほど大きな差異はありません。差異は、思うに、誰が任務を実行する立場にあるかです」。そして、何百回も反戦演説をしたクシニッチのような熱心な反戦論者とは違い、オバマは、イラク戦争が不人気になるまで、従順に沈黙を守ったままだった。
オバマ選挙キャンペーンは、10月、全米広告協会年次大会に集まった、何百人ものマーケティング担当者、広告代理店幹部や、マーケティング・サービス・ベンダーの票を獲得した。オバマ選挙キャンペーンは、アドバタイジング・エージで、2008年のマーケター・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、次点のアップルやZappos.comを押し退けた。専門家から賞を奪ったのだ。オバマ・ブランドは、マーケティング担当者の夢なのだ。オバマ大統領は、あることを行い、オバマ・ブランドは、国民にそれとは違うことを信じさせたのだ。これこめが当たる広告の神髄だ。スポンサーにその気にさせられてしまい、彼等の狙い通りに、ものを買ったり、行為をしたりするのだ。
「有名人文化」が、ベンジャミン・デモットが「ジャンク政治」と呼んだ政治を含め、アメリカ文化のあらゆる側面にまつわりついている。ジャンク政治は、正義も、権利の修復も求めはしない。ジャンク政治は、様々な問題を、はっきりさせるのではなしに、擬人化し、道徳的教訓を引きだそうとする。「ジャンク政治は、相互関連した紛争はもどかしがり、アメリカの楽観主義や品性に熱心で、あなたの痛みはわかりますという類の言葉やしぐさに、大きく依存している」とデモットは書いている。ジャンク政治の結果は、何も変わらない、ということなのだ。「既存の社会・経済的権益が連動したシステムを、強化する過程やら、慣習には、一切邪魔をしない」。ジャンク政治は、「勇気を、ほら吹きに、共感を、安っぽい感傷に、謙遜を、自己軽蔑に、一般国民との同一化を、知恵の不信に」変えて、伝統的な価値観を再定義する。ジャンク政治は「国内の大きく複雑な諸問題を小さくしてしまい、海外からの脅威を極大化する。またジャンク政治は、以前は極小化されていた問題を、往々にして華々しく膨らませ、自分の建前を、突然、説明もなしに、破棄しがちだ。」そして最後に、ジャンク政治は「あらゆる機会をとらえて、有権者の社会経済的自覚や、有権者の中にある他の差異を抹殺しようとする。」
ジャンク政治によって支配される、イメージに基づく文化は、物語や、イメージや、入念に練り上げられた見世物や、でっちあげの疑似ドラマを通じて、表現するのだ。恥ずべき事件、台風、地震、早世、致死的な新ウイルス、列車事故等々の出来事は、コンピューター画面やテレビ向きだ。国際外交や、労組交渉や、複雑な救済プランは、わくわくするような身の上話や刺激的画面にはならない。知事が売春婦の客になれば大変なニュース種になる。本格的な規制改革や、国民皆保険制度を提案したり、無駄な支出の抑制を唱えたりする政治家は退屈なのだ。王、女王や皇帝たちは、かつて宮廷で陰謀を駆使して、話題をそらせた。現在、映画、政治やマスコミ有名人は、連中の個人的欠点やらスキャンダルで、我々の気を散らす。こうしたものが、私たちに共通の神話を生み出すのだ。芝居、政治、そしてスポーツは、ネロ統治時代そうであったように、お互いに置き替えが可能になったのだ。
幻影と娯楽の時代において、瞬間的に感情を満足させる時代において、我々は真実を求めてはいない。真実は複雑だ。真実は退屈だ。人は、混乱した真実には、対処することができないか、あるいは、対処するのがいやなのだ。我々が何者になろうと、我々は地球上で最も偉大な国家に暮らしていて、つまりアメリカ人である我々は、優れた道徳的、肉体的特質を与えられており、我々自身の資質、または、アメリカという国家の性格ゆえに、または、神に祝福されているがゆえに、我々の将来は、常に素晴らしく、繁栄することができるのだと語ってくれる月並みな考えや、ステレオタイプや、心を鼓舞するメッセージに耽溺し、慰安されていることを、アメリカ人は要求されているのだ。真実は、我々の希望を阻害するものゆえ、受け入れられない。真実は我々を心地よくさせてはくれないのだ。
著書『世論』の中で、ウォルター・リップマンは、「外部世界と、私たちの頭の中の図柄」を区別した。彼は「ステレオタイプ」を、我々が世界の意味を見つけ出すのを手助けする単純化しすぎたパターン、と定義した。リップマンは、「ドイツ人」「南欧人」「黒人」「ハーバード出身者」「煽動者」等々のような人々の集団についての、雑な「我々が頭の中に抱いているステレオタイプ」の例をあげている。このようなステレオタイプは、リップマンは書いているが、混沌とした現実に、安心させてくれる、いつわりの首尾一貫性を与えるのだ。これらは、真実に対して、容易に理解できる説明を与えてくれて、物事を複雑化するのではなく、単純化するということから、むしろプロパガンダに近い。
ところが、広報担当者、政治機構、テレビ、ハリウッドあるいは、スポンサーらによって練り上げられた、仕組まれた出来事、ドラマ的上演というのは、全く違うのだ。ダニエル・ブーアスティンが、『幻影の時代―マスコミが製造する事実』で書いたように、それには、我々がそれはお膳立てされたものと知りながらも、本当のように見える能力があるのだ。それは、圧倒的な真実という、強力な情緒反応をひき起こすことができ、真実と置き換わり、虚構の説話が、往々にして容認された真実となる。ステレオタイプの場合には、正体を暴露すると、その信頼性が損なわれ、破壊されてしまうことが多い。しかし、自動車工場や、貧困者用給食施設や、イラクで兵士に演説する大統領を見せる、仕組まれた出来事ならば、そうした腐食の影響は決して受けない。疑似イベントの背後の、手の込んだ仕組みをさらしても、魅力と力が強化するばかりなのだ。これが、政治キャンペーンや、政治家が、どれほど効果的に演出されているかという、屈折したテレビ報道の基本なのだ。特に、テレビ出演するレポーターたちは、もはやメッセージが本当かどうかなどは、問わず、疑似イベントが、政治劇として有効だったのか、有効ではなかったのかを問うのだ。仕組まれた出来事は、私たちが、幻想によって、どれほど効果的に操つられたかによって判断される。本物のように見える、こうした出来事が、好まれ、賛美される。信じられる幻想を生み出し損ねたものは、失敗扱いされる。真実など無関係なのだ。政治で成功する連中というのは、ほとんどの文化においてと同様、最も説得力のある夢想をもたらす、ブランドと仕組まれた出来事を生み出す連中だ。そして、これこそがオバマが極めた技術だ。
もはや真実と作り事とが識別できない大衆は、幻想を通して、真実を解釈するしかなくなる。まとまりのない事実や、データの曖昧な断片や、取るに足りないことが、幻想を拡大したり、信ぴょう性を与えたりするのに使われ、もしも、それが、メッセージの邪魔になれば、捨てられる。真実が悪化すればするほど、たとえば、住宅の差し押さえや、失業が急増すればするほど、人々は更に逃避して、幻影に慰安を得るのだ。様々な意見が、真実と識別できなくなり、法律、科学、学問、あるいは、その日の出来事の報道について、真実を決定する普遍的な基準が無くなり、最も高く評価される技能は、人を楽しませる能力だということになり、この世界は、嘘が真実となり、自分たちが信じたいことを、人々が信じられる場所となる。これが疑似イベントの本当の危険性であり、仕組まれた出来事が、ステレオタイプより、はるかに有害な理由だ。ステレオタイプがそうしようとしているように、真実を説明しようとするのではなく、真実と置き換わるのだ。仕組まれた出来事を作り出した人々が設定したパラメーターによって、仕組まれた出来事が真実を再定義する。こうした制作者達は、このような幻想を広めて膨大な利益を稼ぐのだが、自分たちが支配している権力構造を維持することが、自分たちの既得権益にかなっているのだ。
古い生産志向の文化は、歴史家ウォレン・サスマンが名付けた性格を要求していた。新たな消費志向の文化は、彼がパーソナリティと名付けたものを要求する。ここで価値観は、固定した徳性から、演じ方の巧みさへと変わった。倹約と節度という古い文化的価値観は勤勉、誠実さと勇気を重んじるものだった。消費志向の文化は、魅力、魅惑、人から好まれることを重んじる。「人格という新たな文化で、全員に要求されている社会的役割は、俳優のそれだった」サスマンは書いている。「あらゆるアメリカ人は、かくして演技者となった。」
オバマが実践しているジャンク政治は、消費者に対する欺まんだ。ほとんど演技なのだ。ほとんど嘘なのだ。永遠に子供のような状態に留めておくためのものなのだ。しかし、我々が幻想の中で暮らす時間が長ければ長いほど、それが私たちの夢想を最後に打ち砕いた時の真実はひどいものとなる。自分の身の回りで何が起きているのかがわからず、厳しい真実に圧倒されている人々は、救世主を必死に探そうと、期待したり、予見したりはしないものだ。人々は、扇動政治家が救いに現れることをこいねがうようになる。これがオバマ・ブランドの究極的な危険性だ。それは、アメリカという法人国家によって遂行されている、理不尽な国内での破壊と盗みを、効果的に隠ぺいする。こうした企業は、何兆ドルもの納税者の富をかすめ取った後、何千万人のアメリカ人を、全てを失わせ、途方に暮れさせ、僅かばかり残された縮んでしまっている開かれた社会を、素早く消滅させられるような、更に強力で破壊的な幻想にあこがれる状態に放置するだろう。
クリス・ヘッジズの新刊「Empire of Illusion: The End of Literacy and the Triumph of Spectacle」は7月刊行だが、Amazonや地元書店で予約可能。
記事原文のurl:www.truthdig.com/report/item/20090503_buying_brand_obama/
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引用されている三冊、いずれもお勧め。
ナオミ・クライン『ブランドなんかいらない』(絶版だったが、新刊が刊行され入手可能に!)
ウォルター・リップマン『世論』岩波文庫 上・下
ダニエル・ブーアスティン『幻影の時代―マスコミが製造する事実』東京創元社
『幻影の時代―マスコミが製造する事実』は、数十年ぶりに懐かしく再読した。
有名人が有名なのは、有名だから。ベストセラーがベストセラーなのは、ベストセラーだから。というのに納得。いずれも本質的価値とは無関係。タレント東国原知事が「総理にしてくれるなら、自民党で出馬する」という、珍ニュースを聞いて、本書を思い出した。『芝居、政治、そしてスポーツは、ネロ統治時代そうであったように、お互いに置き替えが可能になったのだ。』
なお、ナオミ・クラインの『ブランドなんかいらない』と、ウォルター・リップマン『世論』の引用部分、翻訳書のものではなく、勝手な拙訳。
ベンジャミン・デモット『ジャンク政治』邦訳はなさそう。
クリス・ヘッジズの新刊も、なかなか面白そうだ。
天木直人氏のブログにも、お笑い日本ジャンク政治の記事があらわれた。
ナオミ・クラインの新刊・世界的ベストセラー『The Shock Doctrin』(ショック・ドクトリン)、あのル・カレが推薦の言葉を書いている。"Impassioned, hugely informative, wonderfully controversial and scary as hell"
仮に訳せば下記のような趣旨だ。
「熱のこもった、大いに参考になる、素晴らしいほど物議を醸す、実に恐ろしい本」
ルカレの言う通り。すごい本だ。
精神的を病み、病院に相談に行った結果、ショック療法のモルモットにされ、すっかり人生をこわされた女性との会話から本書は始まる。この「ショック療法」、アメリカ政府のプロジェクトによる資金援助を得ていた。「ショックで、人の心を白紙にし、あらたに健全な人格を発展させる」という建前ではあった。本当の狙いは、効果的な拷問の研究だったようだ。今、その成果は、グアンタナモ、アブグレイブ他、アメリカの拷問で存分に活用されている。
フリードマンの自由市場経済というショック療法も、まさに、この歪んだ、精神病治療を狙ったという建前の拷問方法開発・適用と、本質的には変わらないのだ。と、具体的適用例を詳細に物語る。皮切りは、シカゴ・ボーイズによる、チリのピノチェト政権。
こういう本の翻訳に、一体なぜ二年もかかるのだろう?大変に不思議なことだ。
フリードマンの自由市場経済との決別を言わない、自民・公明与党ばかりではなく、うりふたつの政策をうたっている民主党にもダメージが大きいので刊行を遠慮しているのだ、とまでは思わないが。
英会話能力向上カリキュラム開発などより、良書翻訳の方が、文化の底上げ効果ははるかに大きかろう。そう、宗主国アメリカでは、オバマ・ブランドが強烈に喧伝され、属国日本では、民主党ブランドが喧伝されている。(少し前までは、まことに都合のよいオザワ・ブランドだった。今は、政治資金問題の不祥事から、ハトヤマ・ブランドになっていて、この語呂合わせは使えない。)しかも、ハトヤマ氏も、政治資金の故人献金で、結局同じような背景があることはばれてしまった。それでも、「二大政党の間での政権交代」を求める声は、マスコミのみならず、(より正確には、大政翼賛マスコミゆえ、だろう)驚くほど多数のブロガーの皆様からあがっている。不思議なことだ。
二大政党での交代、いずれにおいても、所詮はアメリカ傀儡派閥間の利権争い、より良い変革などおこらず、より悪しき政策の推進・継続が実態だろう。宗主国の人々がまんまと、オバマ・ブランドに乗せられたように、属国日本の人々、まんまと、民主党オザワ・ブランドに乗せらる。宗主国アメリカでは「チェンジ」、属国日本では「政権交代」。似たような猿芝居。オバマ・ブランドで、アフガニスタン・パキスタン戦線は拡大した。オバマ・ブランドという、より演技の巧みな名優を得て、いっそう戦争・内政介入が激化しただけ。
日本も間もなく、「チェンジ」する。「どのようにチェンジする」を問わないで、チェンジするのだから、もちろん必ずや悲惨なことになるだろうが、それは小泉氏のご印籠「自己責任」。
属国ホンジュラスでは、言うことを聞かない政権は転覆させられた。ひとごとではあるまい。こちらは、宗主国からの距離がホンジュラスより遠く、経済力が大きいだけのこと。宗主国に支配された、政界・軍隊・マスコミ・財界構造、一体どこが違うだろう。
民主党ブランド(オザワ・ブランド)に乗せられるこの国の未来、夏ながら、「どこまでもついて行きます下駄の雪。」腐敗しきった政界をそのまま反映するような芸能界の薬汚染。もっともらしいイメージで、人をだますのは、芸能人だけでなく、政治家や、マスコミの本性だろう。上記の文章をもじれば、そのまま日本。
あらゆるブランド製品同様、日本人も、自分の利益にならない様々な事をしたり、支持したりするように欺かれるのだ。
小泉「改革」という名の日本破壊、そして、自主憲法制定という名目による、日本軍のアメリカ傭兵化。
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