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2009年1月27日 (火)

オバマ就任演説: 陳腐さの中、耐乏生活への呼びかけ

wsws.org

2009年1月21日

火曜日の就任演説で、バラク・オバマ大統領は、経済危機に対処したり、戦争を終わらせたりする具体的な約束や、計画という意味では、何も語ってはくれなかった。そうではなく彼は、アメリカ人はさらに大きな犠牲を受け入れなければなるまいと示唆したのだ。

220年前のアメリカという共和国の生誕にまでさかのぼる仰々しい儀式は、最初のアフリカ系アメリカ人が大統領という地位に就任したことで更に強調されたが、オバマの発言の陳腐さと、メッセージのむなしさが、対照的にきわだった。

ワシントン・モールに押し寄せた何百万人もの人々にとって、この日の感情は、アフリカ系アメリカ人が権力を握ったことは、本当のチェンジ(改革)を意味するのであろうという期待と、ジョージ・W・ブッシュが退任するという安堵感に後押しされていたのだろう。ブッシュがキャピトルの階段に登場すると、集まった群衆から大きなヤジがおこった。式典の最後に、モール上空を、アメリカの歴史上最も嫌われた大統領ブッシュを載せたヘリコプターが去って行くと、群衆から、スポーツ・ファンが相手チームを野次る際に良くやる声援が沸き起こった。「ナ-ナ-ナ-ナ、ナ-ナ-ナ-ナ、ヘイ ヘイ、さようなら」

新大統領の就任が、盗んだ選挙から始まり、二つの侵略戦争、歴史上前例のない憲法上の権利に対する攻撃、社会的不平等の間断なき拡大、現代アメリカ史上最悪の経済危機をひき起こした八年間の国家的悪夢が終焉するサインになるのではという、全体的な希望があった。こうした感情は式典の国際放送を見ていた世界中の人々が共有していただろう。

だが、オバマの演説は、そうした期待を冷ますという強い狙いから作り上げられたもののように見える。彼のメッセージをあまねく商業マスコミが喧伝し、ニューヨーク・タイムズワシントン・ポストのウエブの見出しを飾ったのは、オバマの「新たな責任の時代」という呼びかけだった。

この呪文にこめられた少なからぬ皮肉は、責任という原理が、実に恣意的に適用されていたことだ。ここ数週間、オバマと顧問たちは、ブッシュ、チェイニーや他の幹部たちに、連中の任期中の、戦争犯罪と憲法に対する犯罪に等しい政策について、いかなる形にせよ責任を問うつもりはないことを、何度となく明言していた。

アメリカ資本主義の歴史上、最も深刻な金融恐慌についていえば、少なくとも、オバマの判断では、頂点にいる連中は誰一人、なんら個別の責任をとっていない。「アメリカの経済は、ひどく弱体化した、一部の人々の強欲と無責任の結果ではあるが、困難な選択をし損ね、国を新しい時代に備えそこねた、我々全員の過ちでもある」演説の始めに、彼はそう宣言した。

こうした公式は、仕事や家を失う事態に直面している何千万人もの労働者に、現在の危機に対して、何の責任もないのに、金融上の寄生と、犯罪行為によって、自分たちの企業や世界経済を破滅に引きずり込んだ、ウォール街の幹部や、ヘッジファンド・マネージャーと、同様に責任をとらせるものだ。

数兆ドルもの公的資金がウォール街を緊急救済するために投入されている中、そうした企業のCEO達は7なり8桁の報酬パッケージを引き出し続けているのに、今や、オバマは、職、給与や社会福祉への重大な攻撃を受け入れて、自分たちの生活を破壊している危機の"責任"をとらねばならないと勤労者を諭すのだ。

オバマの美辞麗句のあちこちに、彼とスピーチライターが、フランクリン D. ルーズベルトが大恐慌のどん底で、1933年に行った就任演説を掘り出したような形跡がある。ここには明らかに歴史的な類似点があり、火曜日、オバマが就任宣言をしている最中でさえも、株式市場が8,000以下に急落し、多くの銘柄が5パーセント以上の価値を失ったことで、これが一層明らかになった。

しかし、最も特記すべきは、オバマが、76年前のルーズベルトのようには率直な語り方ができなかったことだ。新大統領の就任演説を特徴付けるものは、何よりも、あらゆることに関する驚くばかりの具体性の欠如だ。

ルーズベルトが国民に向かって演説した時は、彼は「真実をお話しする。全ての真実を、率直かつ大胆に」と約束した。オバマは明らかにそうはしなかったが、彼の狙いは、資本主義を社会革命から救うことであり、危機が何をもたらしたか、そして、それに対して何をするつもりなのかを、かなり明快な単語で彼は語った。

1930年代の恐慌は、自然の"恵"、あるいは、それを増幅しようとする"人間の努力"の欠如によって起きたものではなく、"人類の商品を交換する支配者達が、頑固さと無能さゆえに失敗した"ためだ、とルーズベルトは言明した。彼は続けた。「金融業者の無節操な慣行は、世論という法廷で告訴され、人々の心によって拒否された。」

オバマは、この概念の最初の部分から、彼の演説の一部を引きだしたもののようで、彼はこう語っている。「アメリカの労働者の生産性が落ちたわけではない。先週、先月、昨年と比べて、我々が創造的でなくなったわけでもなく、アメリカの製品やサービスへの需要が減ったわけでもない」だが、触れずに残されたのは、それが本当なのであれば、一体なぜ、アメリカで、昨年だけでもほぼ三百万もの職が消滅し、経済が恐慌へと急降下つつあるのだろうかということだ。

このごまかしの背後にあるのは、彼を支持した人々に対する、驚くべきレベルの軽視と見下しだ。あきらかに、彼はそうした人々に対する説明など不要だと感じている。触れなければ触れないほど良いのだ。

オバマは、選挙キャンペーン資金のかなりの部分を支払い、就任式そのものに資金を供給している現代の"金融業"の役割には、言及することさえできない。"平等"にまつわるあらゆる美辞麗句にもかかわらず、オバマが擁護しようとしているのは、膨大な人数のアメリカの勤労者を犠牲にした上での、そうした金融業の利害だ。

政府の役割と資本主義市場にかかわる「過去の陳腐な政争」を乗り越え、「不快な決断を先延ばしする」時代は過ぎ去ったと誓った部分こそ、主張の本当の意義だ。

「我々が今日問うべき問題は、アメリカの政府が大きすぎるか、小さすぎるかではなく、それが機能しているか否か...その答えがイエスなら、我々は更に前進しよう」彼は言った。「答えがノーであれば、その政策は終わりだ」またもや、どのような政策を終わりにするのかについて何ら具体性はないが、彼は先週、政府の財政危機に対処する手段として、社会保障やメディケアを含む基盤的社会福祉政策を根本的に削減する意図を示した。

「また、市場が、善への力なのか、悪への力なのかということも、我々の問題ではない」オバマは続けた。「富を生み出し、自由を広める市場の力は、比類のないものだ」現在の危機が、「注意深く見ている」必要性を示したことを、彼は認め、「繁栄がどこまで到達するか」は「意欲のある人々」に機会を与えることによって広げられるべきだ、という信念を表明した。ロナルド・レーガンの演説や、ウォール街とアメリカの実業界に成り代わり、過去三十年間支配してきた、他のどの右翼政治家達の発言にも見いだせないような事はここにはひとつもない。

危機を克服するのに不可欠だと彼が考えている類の行動を説明するにあたって、オバマが「同僚達が仕事を失うはめになるよりは、労働時間を短縮するという、労働者の無私の心」を引き合いに出したのも、決して偶然ではない。これも、緊急救済された当の銀行家達が、いかなる犠牲を払うことも拒否している中、アメリカ中の労働者が、職を維持するという美名のもとに、労働時間短縮と、給与削減に見舞われている状況のもとでだ。

"対テロ戦争"は続く

演説全体を通して流れている二つ目の基本的な主題があったが、それは、略奪的な海外政策を、倫理性と利他主義という美辞麗句で包むということに多少大目の配慮はするものの、アメリカの好戦性と軍国主義は継続するということだ。

演説の最初の実質部分で、オバマはこう宣言した。「わが国は暴力と憎悪の広範囲におよぶネットワークと戦争中だ。」この含意は誤解の余地がない。「世界対テロ戦争」二つの侵略戦争を仕掛けるのにブッシュ政権が使った口実、拷問、特別引き渡し、違法な拘留や国内スパイ活動は、変わることなく続く。

オバマは自分の政権のもとで、「我々は責任を持って、イラクをその国民たちにゆだね、アフガニスタンでは苦労して得た平和の構築を始める」と誓った。ところが、こうした戦争を始めた決断については、一言の批判もなかった。実際、新政権は既に、イラクを「その国民にゆだねる」どころではなく、占領を、より経済的な規模で、無期限に継続し、何万人もの追加のアメリカ兵士がアフガニスタンでの戦争を拡大するために派兵される予定であることを示している。

演説には、ごう慢さと盲目的愛国主義の醜い響きがあった。オバマの「私たちは自分たちの生き方について弁解はしないし、生き方を守ることにためらいはない」という宣言や、恐らくは、アフリカ、中東、アジアや中南米の歴史的に抑圧されてきた諸国の、自国の社会的病状を西欧のせいにする指導者たちに対する懲罰の発言に。

「自分たちの目的を進めるためにテロを引き起こし、罪のない人々を虐殺しようとする者」に対し、彼は修辞的に挑戦し、こう誓った。「我々はあなたがたを打ち破る。」アメリカが供給した兵器とオバマの沈黙という暗黙の支持により、ガザに対して行った、何千人もの無辜のパレスチナ人が殺害されたり、不具になったりした、イスラエルの三週間の猛攻撃後では、こうした言葉も偽善の臭気にまみれてしまう。

最後に、オバマは「まさにこの瞬間に、遥か彼方の砂漠や人里離れた山々をパトロールしている」アメリカ兵士を讃え、「彼等の奉仕精神」こそ「まさに我々全員が抱かねばならない精神だ」と断言した。

こうして新たに就任した大統領は、現代の軍国主義に教科書的定義を与えたのだ。軍隊の理念と精神を、国家の理想として、彼のアメリカ再生という「ビジョン」の本質として、鼓舞するのだ。

初のアフリカ系アメリカ人大統領就任ということからすれば、公民権闘争について、更に言えば、あらゆる形の社会的闘争について全く触れられなかったことは特筆に値する。

そうした削除には二つの理由がある。オバマには今日、そうした大衆の社会闘争を奨励する意図は皆無で、また彼は、自分がその上に成立していて、自分を取り囲んでいる反動勢力の機嫌を損ねないよう苦心しているからなのだ。

だが、彼の意図が何であれ、アメリカと世界中で今展開しつつある途方もない経済・社会的危機は、そうした闘争をひき起こすだろう、それも一層大規模に。陳腐で、不誠実な就任演説の中で、わずかだけ示唆されていた政策は、圧倒的多数のアメリカ人の、社会的な利害関係や念願とは全く食い違っている。遅かれ、というより、まもなく、そうした政策は、アメリカ資本主義の基盤に真っ向からぶつかるような政治的対立と、新たな階級闘争の勃発をもたらそう。

Bill Van Auken

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2009/jan2009/pers-j21.shtml

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日本でも(もちろんアメリカでも)マスコミには掲載されない文章だろう。

マスコミの提灯記事はもちろん、ブログをかかれている方々も、この演説からなにかを期待しようとしておられるのを多数見受ける。不思議な光景だ。(小泉郵政選挙を思い出す。)商業マスコミは、宣伝が商売なので、是非はともかく、その論理はわかる。しかし、更に搾り取られるはずの日本の庶民(失礼)が、この演説から何かを期待される理由とは一体何なのだろう?更に、属国日本人の金と血を搾り取られるだけだろうに。頑迷な中高年に、正解をご教示頂ければ幸いだ。

「素晴らしい」という新聞記事を読んでも、blogの皆様の感激記事を読んでも、皆様が称賛されたり、期待されたりする理由が全くわからない小生、認知症が始まったのかも知れない。あるいは、貧乏ゆえほとんど牛肉など食べないが、遠い昔アメリカで何度かビフテキを食べたせいで、狂牛病が発症したのだろうか。

イソップ物語の一つを思い出す。池に住む蛙が、「王様が欲しい」、と神様に要求した話だ。神様、最初に、丸太ん棒を投げ込んでくれたが、デクの坊。蛙はあきたらない。「もっと強い王様が欲しい。」と要求すると、神様はコウノトリ(あるいはヘビ)を送り込んでくれた。蛙は全員食べられてしまい、めでたし、めでたし。

念の為、昨年末に亡くなった加藤周一の言葉を再掲しておこう。

だから、あの、英語をお読みになる方は、あの、英会話をしないでね、で英会話をすることより、その英語の新聞に、あの何が書いてあるかということをご覧になった方が良いと思う。それで、もし日本の新聞に書いてあることの誤差があれば、その差が何を意味するかということを見極める必要があると思うんですよね。

この発言の前の部分若干については下記記事翻訳をどうぞ。:

ご う慢と無知の末尾

加藤周一講演会 老人と学生の未来-戦争か平和か 2006年12月8日、東京大学駒場900番教室での加藤発言のごく一部を書き起こしたものだ。

ところで不況の中オバマ演説集本やCDが結構売れているようだが、本当だろうか?

英語能力がないのを棚に上げる貧乏な中高年の小生、オバマ演説本やCDには金も時間も回らず、加藤周一の言葉通りに行動する以外、悲しいかな選択肢なし。

個人的には、彼のCDを買うお金があれば、神社仏閣にお賽銭をあげるだろう。

アメリカ発恐慌に対する結論は「三億総懺悔」(属国日本を含めると四億総懺悔)

「彼等の奉仕精神」は、昔の「滅私奉公」

「新たな責任の時代」属国で既に実験済の「自己責任」(小泉元首相以降の属国政府御用達)そのまんま演説。

そもそも「チェンジ(改革)」、わが属国傀儡首相のキャッチ・フレーズだったではないか!見栄えの良さ、わかりやすい(B層向けの?)語りくち。小浜も小泉元首相も、共有しているようだ。

「チェンジ(改革)」のインチキさを言えば、地方の知事選結果をあげつらって、民主党の上げ潮を言う報道も、実にまゆつば。

何度も繰り返すが、小沢民主党こそ、究極の「偽装チェンジ」に他ならないだろうに。

小沢代表の意見の通り、ISAFに派兵し、はるばるアフガニスタンで、正義のない戦争をするのが、本当に日本人の大多数の熱望であれば、そういう愚劣な人々の国に生まれた以上、いたしかたあるまい。もちろん、その論理、ぼけ中高年の筆者には、永久に、全くわからない。

悪い平和も、良い戦争もあったためしはないと確信しているが、多勢に無勢。

一度始めれば、属国傭兵軍は世界中に出てゆかされるだろう。これも、不況のおり「雇用の機会が増える」好例といわれるのだろうか。

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