アフガニスタン: もう一つの秘話
マイケル・パレンティ
2008年12月05日、 "Information Clearinghouse"
バラク・オバマは、アフガニスタンでの軍事エスカレーション支持を正式に言明している。その泥沼に一層深く沈み込む前に、現代アフガニスタン史と、そこでアメリカ合州国が果たした役割について多少学ぶことが役に立つかも知れない。
2001年9月11日のワールド・トレード・センターとペンタゴン攻撃から一カ月もしない内に、アメリカの指導者は、うわさによると、オサマ・ビン・ラディンと彼のアルカイダ・テロリスト組織を匿っている国アフガニスタンに対し、空爆総攻撃を始めた。20年以上も昔の1980年、この国へのソ連「侵略」を止めるべく、アメリカ合州国は介入していた。通常ならアメリカ海外政策に対し、より批判的な見方をする何人かの主要な進歩的作家たちさえもが、ソ連が支援する政府に対するアメリカの介入を「良いこと」と受け止めていた。本当の物語はそのような良いことなどではなかった。
若干の本当の歴史
封建時代からアフガニスタンの土地所有制度は、変わらぬままで、土地の75パーセント以上が、地方人口の僅か3パーセントでしかない大地主によって所有されていた。1960年代中期、民主革命諸派が合同して、人民民主党 (PDP)を形成した。1973年、王は退位させられたが、彼の後釜となった政府は、独裁的で、腐敗し、人気がないものだった。今度はその政権が、1978年、大統領宮殿前での大規模デモがおき、軍がデモ側に立って介入した後に、追い出された。
主導権を握っていた軍当局者達は、詩人で小説家のヌール・ムハンマド・タラキーの指導のもとで、新政府を作るようPDPを招いた。このようにしてマルクス主義者が主導する全国的な民主勢力連合が権力を獲得した。「これは全く自発的な出来事だった。CIAでさえ、この件でソビエト連邦を責めることはしなかった」当時アフガニスタンで農業調査プロジェクトを行っていた、元ウイニペグ大学教授のジョン・ライアンはそう書いている。
タラキ政府は、労働組合を合法化し、最低賃金を設定し、累進所得税、読み書き能力向上キャンペーンや、一般人がより医療、住宅、公衆衛生を享受できるような計画を推進した。ホヤホヤの農民組合が創設され、いくつかの主要食料品に対する価格引き下げが行われた。
政府はまた、王が始めた、昔からの部族のくびきから女性を解放するプログラムも継続した。政府は、女子や様々な部族の子供への公教育を行った。
サンフランシスコ・クロニクル紙のレポート(2001年11月17日)は、タラキ政権のもと、カーブルは「国際都市」となったと書いている。芸術家やヒッピーが首都に押し寄せた。この都市の大学で、女性が農業、工学や経営を学んでいた。アフガニスタンの女性は政府の仕事にもついていた。1980年代には、7人の女性議員がいた。女性が自動車を運転し、旅行し、デートにでかけた。大学生の50パーセントは女性だった。」
タラキ政府は、アヘン生産用のケシ栽培根絶に動いた。それまで、アフガニスタンは世界のヘロイン供給に必要なアヘンの70パーセント以上を生産していた。政府は農民のあらゆる借金も廃止し、大規模な土地改革計画を立て始めた。ライアンは、それは「本当の人民政府で、国民は、大きな希望を持って未来を期待していた。」と信じている。
しかし、いくつかの分野から深刻な反対が起きた。封建的な地主たちは、自分たちの保有地を侵害する土地改革計画に反対した。また、 部族民や原理主義者のイスラム法学者達は、ジェンダーの平等や女性、児童教育に対する政府の献身に激しく反対した。
タラキ政府は、その平等主義的で、集団的な経済政策ゆえに、アメリカの国家安全保障に対する反感も招いた。PDP連合が権力を得たほぼ直後、追い出された封建領主、反動的な部族の族長、イスラム法学者や、アヘン密売人を支持して、サウジアラビアとパキスタン軍の助力を得たCIAが、大規模なアフガニスタン介入を開始した。
タラキ政府の最高幹部に、ハーフィズッラー・アミーンがいたが、多くの人々が彼はアメリカ合州国に数年間留学している間に、CIAにリクルートされたと信じている。1979年9月、アミーンは武力クーデターで国家権力を握った。彼は原理主義のイスラム国家樹立に向かって進む中で、タラキを処刑し、改革を中止し、何千人ものタラキ支持者を、殺害、投獄、あるいは追放した。しかし、二カ月の内に、軍内部の部隊を含むPDPの残党によって、彼は倒された。
これら全てが、ソ連の軍事介入前に起きたことに留意すべきだ。国家安全保障顧問ズビグニュー・ブレジンスキーは公的に認めているが、ソ連軍がアフガニスタンに入るより何カ月も前に、カーター政権が革新派政府を転覆させるため、イスラム過激派に莫大な金額を提供していた。この活動の一部として、CIAが支援するムジャヒディンによる、地方の学校や教師たちに対する残虐な攻撃があった。
1979年末、ひどく包囲攻撃されていたPDP政府は、全てCIAによって採用され、財政支援を受け、完全武装したムジャヒディン (イスラム教徒のゲリラ戦士)や外国の傭兵の撃退を支援するため、派遣部隊を送って欲しいとモスクワに依頼した。ソ連は既に、採鉱、教育、農業、および公衆衛生の分野のプロジェクトで、支援者を送り込んでいた。軍隊の配備というのは、更に本格的であり、政治的にも危険な行為だ。軍事的に介入することにモスクワが合意するまでには、カーブルによる再三の要請が必要だった。
CIA流イスラム聖戦と、タリバン
CIAにとって、ソ連の介入は、部族のレジスタンスを、イスラム教徒の聖戦へと変換し、神を否定する共産主義者をアフガニスタンから駆逐する千載一遇の好機だった。長年にわたり、アメリカ合州国とサウジアラビアは、アフガニスタンにおける戦争に、およそ400億ドルを費やした。CIAとその同盟者は、パキスタン、サウジアラビア、イラン、アルジェリア、そしてアフガニスタン自身を含む40のイスラム教諸国から、およそ100,000人の過激派ムジャヒディンを採用し、供給し、訓練した。呼びかけに答えた連中の中に、サウジアラビア生まれの大富豪の右翼、オサマ・ビン・ラディンと彼の仲間たちがいた。
長く、不成功に終わった戦争の後、ソ連は、1989年2月にアフガニスタンから撤退した。一般的には、ソ連退去の直後に、PDPのマルクス主義政府は崩壊するだろうと考えられていた。実際は、政府は戦い続けるための十分な国民の支持を維持し、更に三年、ソ連よりも一年長く生き延びた。
アフガニスタンを支配すると、ムジャヒディンは仲間同士で戦闘を始めた。彼等は都市を略奪し、民間人を脅嚇し、略奪し、大量処刑を実施し、学校を閉鎖し、何千人もの女性や少女を強姦し、カーブルの半分を瓦礫に帰した。2001年、アムネスティ・インターナショナルは、ムジャヒディンが、性的暴行を「征服した国民を脅し、兵士に報いる手段」として利用したと報告している。
諸部族は、やくざ流で国を支配しながら、もうかる収入源を求め、農民にアヘン生産用のケシ栽培を命じた。CIAの密接な従属的パートナー、パキスタンISIは、アフガニスタン中に、何百ものヘロイン工場を作った。CIAがやってきて二年間の内に、パキスタン-アフガニスタン国境地方は世界最大のヘロイン生産地となった。
主として、CIAによって生み出され、資金援助されたムジャヒディン傭兵が、今や独り歩きを始めた。彼らは何百人も、アルジェリア、チェチェン、コソボや、カシミールに帰国し、非宗教的御用商人の「腐敗」に対し、アラーの名においてテロ攻撃を遂行した。
アフガニスタンでは、1995年迄に、ISIとCIAによって多大の資金と助言を得て、パキスタンのイスラム教諸政党の支援を受けた、スンナ派イスラム教宗派のタリバンと呼ばれる過激派が権力を勝ち取り、国の大半を支配し、多くの部族長を脅しと賄賂で囲い込んだ。
タリバンは、ムジャヒディンのトレードマークであった部族間戦闘と山賊行為を終わらせると約束した。殺人者やスパイと目された人々は、毎月スポーツ・スタジアムで処刑され、窃盗で訴えられた人々は、悪事を犯した手を切り取られた。タリバンは、婚前性交渉、不倫、そして同性愛を含む様々な「背徳行為」を悪としてとがめた。タリバンは、あらゆる音楽、劇場、図書館、文学、世俗教育と、多くの科学研究も禁止した。
タリバンは宗教的な恐怖統治をときはなち、カーブルの聖職者の大半が使用しているよりも、一層厳格なイスラム法解釈を課した。全ての男性は、髭を剃らずずにおくよう命じられ、女性は頭から顔も含め、爪先まで覆うブルカを着なければならなかった。すぐに従わない人々は、道徳省により迅速かつ過酷な懲罰を課された。虐待的な家庭から逃げたり、配偶者への虐待を訴えたりした女性たちは、神政主義の当局によって逆に激しく鞭打たれた。女性は社会生活を禁じられ、ほとんどの医療を奪われ、あらゆるレベルの教育と、家の外で働くあらゆる機会から締め出された。「不道徳行為」をしたとされる女性は、投石で殺されるか、生き埋めにされた。
こうしたことのいずれも、周知の通りタリバンと馬が合うワシントンの指導者達には気にならなかった。なんと1999年まで、アメリカ政府は、タリバン政府のあらゆる役人の年間給与を丸々支払っていたのだ。ジョージ・W・ブッシュ大統領が、アフガニスタン爆撃キャンペーンに対する世論を結集しなければならなくなって、タリバンの女性抑圧を非難した2001年10月迄は。妻のローラ・ブッシュは、突如完璧なフェミニストとして浮上し、アフガニスタン女性に対してなされたいくつかの虐待の詳細にわたる演説をした。
タリバンについて、何か前向きなことを言えるとすれば、ムジャヒディンが定期的に行っていた略奪、強姦と無差別殺人の大半を終わらせたということだ。2000年、タリバン当局は、全支配地域でのアヘン生産用ケシ栽培も根絶し、この努力で国連薬物統制計画がほぼ完璧に成功したものと判断された。タリバンが打倒され、2001年12月に西側が選んだムジャヒディン政府がカーブルで再建されて以来、アフガニスタンにおけるアヘン生産用ケシ栽培は劇的に増加した。
それ以降の長年にわたる戦争で、何万人ものアフガニスタン人の命が失われた。人々は、巡航ミサイル、ステルス爆撃機、トマホーク、燃料空気爆弾や、地雷で殺されるのに加え、飢え、寒さ、避難所の欠如や、水不足で人々が亡くなり続けている。
石油とガスのための聖戦
テロと戦っていると主張する一方、アメリカの指導者たちは、アフガニスタンに深く入り込むための、もう一つの抑えがたいものながら、さほど広報していない理由を見いだしていた。中央アジア地域は石油とガスの埋蔵量が豊富なのだ。9/11より十年も前に、アメリカの政策エリートは、中央アジアへの軍事駐留を検討していたとタイム誌(1991年3月18日)は報じていた。カザフスタンとトルクメニスタンでの膨大な石油とガス埋蔵量の発見は、大きな魅力となったが、ソビエト連邦の崩壊で、この地域においてに強引な介入主義的政策を推進することに対する一つの大きな障壁が無くなっていた。
アメリカの石油会社は、これらの新たな埋蔵量のおよそ75パーセントの権利を獲得した。主要な問題は、この内陸地域から、どうやって石油とガスを輸送するかだ。アメリカの高官は、ロシア・パイプラインの利用や、イランを横切ってペルシャ湾に出る最も直線的な経路に反対した。そうではなく、彼等も石油コントラクターも、アゼルバイジャンとトルコを横切って地中海にでるか、中国を横切って、太平洋に出るという、様々な代替パイプライン経路を検討した。
アメリカに本社をもつ石油会社ユノカルお好みの経路は、アフガニスタンとパキスタンを横切って、インド洋に至るものだった。ユノカルがタリバン政権と行った本格的交渉は、1998年に、あるアルゼンチン企業がパイプラインの競争入札をするまで、未解決のままだった。タリバンに対するブッシュの戦争は、大きな仕事をなし遂げたいというユノカルの希望を元気づけた。
非常に興味深いことに、クリントン、ブッシュいずれの政権も、オサマ・ビン・ラディンがタリバン政府の客人としていることがわかっていたにもかかわらず、アフガニスタンを、国務省のテロ支援国家を非難する公式リストに載せなかった。そのような「ならずもの国家」指定は、アメリカの石油や建設会社が、カーブル政府と、中央アジアの石油やガス田へのパイプラインの契約を締結することを不可能にしていたろう。
要するに、9/11攻撃のずっと以前から、アメリカ政府は、タリバンを攻撃し、カーブルに、従順な政権、中央アジアに、アメリカ軍の直接駐留を作り出す準備をしていた。9/11攻撃は、完璧な刺激となり、アメリカの世論や、いやがる同盟諸国を、どっと軍事介入支持へと回らせた。
もしも、ワシントンがマルクス主義のタラキ政府を、1979年に放置していれば、「ムジャヒディン軍などなく、ソ連介入もなく、アフガニスタンを破壊した戦争はなく、オサマ・ビン・ラディンもなく、9月11日の惨事もなかっただろう。」と主張するジョン・ライアンに人々は同意するかも知れない。しかし、私的蓄積ではなく、集団的な大衆ニーズを巡って社会資本を配分していた進歩的な左翼政府を妨害せずにおくよう、ワシントンに望むのは、無い物ねだりだろう。
アメリカのアフガニスタン介入は、カンボジア、アンゴラ、モザンビーク、エチオピア、ニカラグア、グレナダ、パナマや、他のあちこちでのアメリカ介入と、さほど違わないことが明らかになった。平等主義的な社会改革を防ぎ、経済的に革新派の政府を転覆するという同じ効果を目指す意図があったのだ。これらのいずれも、介入によって、退行的な諸派が優位となり、経済は壊滅し、多くの無辜の命が冷酷にも失われた。
うちのめされ、貧困にあえぐ国アフガニスタンに対する戦争は、アメリカの公式支配集団によって、依然として、テロに対する勇敢な聖戦として描かれ続けている。もしも、それが本当にそうであったとすれば、それはまた他の目的のための手段でもあった。左翼革命的社会秩序を破壊し、地球の先細りの化石燃料供給に対する最後の膨大な未開発埋蔵資源の一つにたいする儲けのある支配権を得て、アメリカ軍基地とアメリカ軍勢力を、さらなる地域に植えつけることだ。
こうした全てを前にすると、オバマの「変化」という呼びかけも空々しく聞こえる。
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