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2008年12月

2008年12月31日 (水)

グルジアまたもや暴挙?

2008年12月30日、13:43

Russia Today

グルジアが戦車と装甲車両を南オセチア国境付近に移動したと、月曜日、共和国政府は述べた。

「入手している諜報情報によると、グルジアは、28輌の戦車を、戦車大隊が配備されているゴリ市に移動した。しかも、コブラ装甲軍用人員輸送車が、南オセチア共和国の国境直近のニコジ村で発見されている」と報道発表にある。

この報道が本当の状況であれば、グルジアが、共和国の支配を奪い返そうという狙いで南オセチアを攻撃した際、8月7日に至るまでの日々に目撃できたであろうものと良く似ている。南オセチアは、アブハジアとともに、1990年代初期にグルジアから分離した。

一方、グルジアの警察幹部は、グルジアがゴリに配備しているといわれる戦車大隊を強化したという、南オセチア国防省の主張を否定した。

「ゴリ市の元戦車大隊の配備基地には、現在アパート群が建設中なので、この情報は真実ではない」と現地の警察署長ウラジーミル・ジュゲリは語っている。

「コブラ警察用車両については、そのような車両がツヒンヴァリ地域の交番付近を巡回しているのは事実で、あらゆる紛争当事者には、ずっと前からこの件は通知済だ」とジュゲリは語っている。

地域の状況を巡って懸念を表明しているのは南オセチア政府だけではない。先週金曜日、EU監視団は、南オセチアとアブハジア国境に近い地域への、グルジアの装甲車両配備について懸念していると語った。

記事原文のurl:www.russiatoday.com/ossetianwar/news/35444

2008年12月30日 (火)

アメリカ、拒否権で国連の反イスラエル決議案を阻止

2008年12月28日 "Press TV"

国連安全保障理事会は、アメリカ合州国による干渉のおかげで、ガザに対するイスラエルの攻撃を終わらせることができなかった。日曜日、ワシントンはまたもや拒否権を使い、現行の大規模なイスラエルのガザ攻撃停止を要求する決議案を阻止した。

安全保障理事会は、かろうじて、イスラエルに対し、包囲された地域に対するイスラエルの全軍事活動を自発的に即座停止するよう要求する「法的拘束力を持たない」声明を発表したにすぎない。

この声明は、日曜日に、イスラエルがガザに対し新たな空爆を開始し、少なくとも6人を殺害した時点に発表された。土曜日の同様な攻撃では少なくとも230人が殺害され、800人が負傷した。パレスチナ人死者の数は、これまでに271人にのぼっている。

安全保障理事会は、当事者に対し、当該地域における人道的な危機に対処するよう求めたが、イスラエルの空爆は非難しなかった。

クロアチアのネヴェン・ジュリカ国連大使が、15人の委員を代表し「あらゆる暴力の即時停止を要求し」、 当事者に「即座にあらゆる軍事活動を停止する」ことを求める、法的拘束力を持たない声明を読み上げた。

「安全保障理事会の諸メンバーは、ガザにおける状況の激化に対し、深刻な懸念を表明した」と安全保障理事会議長として彼は述べた。

安全保障理事会は、ガザにおける深刻な人道的、および経済的な需要に対処し、医療と、食糧や燃料の継続的な供給を確保するため、ガザに通じる国境の開放も要求した。

国連安全保障理事会のアメリカ代表、ザルメイ・ハリルザドは、イスラエルの動きを、テルアビブには自己防衛の権利があるとして擁護した。

「あらゆる無辜の命を悼みます」と彼は述べ、ハマースのロケット弾がこの状況の導火線になったと付け加えた。

ガザのパレスチナ人戦士たちは、イスラエルによる彼等に対する毎日の攻撃への報復として、イスラエルにロケット弾を撃ち込むのだと語っている。最先端のイスラエル兵器や弾薬とは異なり、自家製のカッサム・ロケット弾が死傷者をもたらすことは稀だ。

1972年以来、イスラエルの断固たる同盟国アメリカは、安全保障理事会で要求された、40以上の反イスラエル決議案に拒否権を行使してきた。

2004年以降、ワシントンは、テルアビブに、ガザにおける作戦の停止を求める他の四決議案の採択を阻止してきた。

記事原文のurl:www.presstv.com/detail.aspx?id=79727&sectionid=351020202

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下記のGlobalResearch.ca記事、訳しているときには、「まさか」と思っていたが、今にして思えば、今回のための準備についての警告だったようだ。
ガザの「ショアー」という意味:イスラエル、もう一つのパレスチナ人エクソダスを企む

2008年12月28日 (日)

ブッシュはイスラエルによるガザ虐殺を黙認、オバマとクリントンは沈黙

Matthew Rothschild

The Progressive

2008年12月27日

土曜日、イスラエルはガザを無謀に爆撃し、パレスチナの厚生当局によると、少なくとも205人のパレスチナ人を殺害し、更に少なくとも350人を負傷させた。

イスラエルに対する、ハマースの非道ではあるが、ほとんど無効なロケット攻撃に対する、この全く不均衡な反撃が、中東を更に燃え上がらせることは確実だ。

イスラエルの攻撃に対してブッシュ政権の黙認があるだろうことは、誰にでもわかる。

ホワイト・ハウスのスポークスマン、ゴードン・ジョンドローは、ハマースに全ての罪を押しつけた。

「もしも暴力を止めるべきであるなら、ハマースは、継続しているイスラエルへのロケット攻撃は停止しなければならない」と、ジョンドローは述べた。

民間人の保護については、おざなりな同意の様子は示しながらも、イスラエルがハマースを追求していることに対する不満を彼は全く示さなかった。「アメリカ合州国は、イスラエルに対し、ガザのハマースを標的としているのだから、民間人死傷者は避けるよう強く促している」とジョンドローは述べた。

一方、次期大統領のバラク・オバマと次期国務長官ヒラリー・クリントンは、恥知らずにも、攻撃後、最初の数時間、沈黙したままだ。

ブッシュの対応と、オバマとクリントンの無対応は、ハナン・アシラウィが、土曜日に述べた要点を強く示すものだ。「イスラエルは、責任を負わないことと、法の適用を受けない国であることに慣れきっている」パレスチナ議員で人権活動家の彼女はそう言った。彼女は爆撃を「虐殺」と呼んでいる。

ワシントンがイスラエルの猛攻撃を大目に見ている以上、暴力はますます悪化するばかりだろう。

イスラエルの防衛大臣エフド・バラクは「作戦は大規模なものとなろうし、必要なだけ拡大されるだろう. . . . 作戦は短期的ではなく、容易なものでもない。」と述べた。

あるハマースのスポークスマンは、復しゅうを誓い、ハマースは「最後の血の一滴まで、レジスタンスを継続する」と語った。

この暴力のサイクルは、パレスチナとの公正な調停をすべく、ワシントンが最終的にイスラエルを説得することなしには、また説得するまでは、ますます血みどろなものとなろう。

ブッシュにはそうする意図はない。オバマにもその気はないように思われる。

記事原文のurl:www.progressive.org/mag/wx122708.html

2008年12月25日 (木)

クリスマスの手紙 「百万長者対貧乏作家」

二十二章: 百万長者対貧乏作家 アプトン・シンクレア 真鍮の貞操切符』

本書の主張は、アメリカの新聞は、公共の利益ではなく、私益を代表し、人間性ではなく、財産を代表するものであるということにある。アメリカの新聞は、人をその人物の偉大さ、善良さ、賢さ、または有用さではなく、豊かであるとか、既得の富に対し貢献をしているということで評価するのだ。そして、この主張を試験してみたいと考えたと仮定しよう。極めて科学的な性格の試験をするとしたら、一体どうすれば良いだろう? 財産を代表する一人の人物と、人間性を代表するもう一人という、二人の人物を設定しよう。他の全ての要素を厳密に排除するよう、努力する必要がある。財産を代表する人物は、人間性を除外されており、もう一人の人間性を代表する人物は、財産が除外されているわけだ。この二人の人物を公衆の前に並べ、二人にできるだけ同じ様なことをさせ、新聞に現れる結果を記録するのだ。この結果、財産を代表する人物と人間性を代表する人物の、各新聞に対する相対的重要度が、数学的にインチで示される。そのような正確で科学的な試験を、ここに記録する。

二人の人物をご紹介しよう。一人目は、人間性を代表する人物だ。この試験が行われた時点、1913年12月で、彼は35歳だった。彼はアメリカ合州国全土で有名だったし、また、おそらくジャック・ロンドンを除いて、世界で最も有名な現役アメリカ作家だった。試験の時点で、彼は200ドルしか持っていなかった。

二人目は、財産を代表する人物だ。彼は当時22歳で、四つのことをなし遂げて、広く喧伝されていた。第一に、誕生したこと。第二に、農業上いくつかの実験をすると決心したこと。第三に、知り合いの若い女性と結婚すると決めたこと。第四に、彼が6500万ドルを相続したこと。これらのうち三つは、決して稀なことではない。多くの百姓の息子でさえそんなことはやっているが、新聞は彼らに対して紙面をさくような特別待遇はしない。しかし、最後の一つは実に類まれなことだ。アメリカの歴史始まって以来、6500万ドルを相続した人物など、これまでいなかった。従って、この若者の名声は財産によるものであり、財産以外の何ものでもないことは明白で、議論の余地はないだろう。彼は、社会科学者が実験に必要とするであろうような完璧な見本、生粋の財産人だ。

そこで、この二人の人物の行動を検討しよう。世界資本主義の偉大な機関の一つである「ニューヨーク・タイムズ」は、同社の実際の機能を隠蔽するのに、コンスタンティヌス皇帝に売り渡されて以来、キリスト教会が用いている慈善という古くからの手段に依存しているようだ。毎年十二月始めに「タイムズ」は「最も困窮した百家族」と呼ぶリストを公開し、窮地にある百家族のために募金をつのる。"タイムズ"は、こうした痛ましい家族を生み出す社会制度という問題には、決して立ち入らず、また誰にもこの疑問には立ち入らせない。タイムズは、この制度の犠牲者である百家族に、翌年の12月まで生き長らえるのに十分な金を寄贈し、彼らが再びリストに選ばれる競争に参加できるようして、彼らの窮状を食い物にしているのだ。

これに加え、「タイムズ」は、多様な読者を楽しませるため、毎日曜に写真画報の付録を発行している。日曜日に「最も困窮した百家族」を掲載した際、たまたま同紙は、若きヴィンセント・アスター氏が郷里の私有地に百万ドルの経費で建設中の「レクリエーション館」の写真も載せた。この建物はアスター氏と友人たちが使うためのものだった。公衆にあてる部分は皆無だ。テニスと水泳と体操専用の建物だった。文学、音楽、美術、科学、あるいは宗教のための場所は皆無なのだ。典型的な私有財産制度の産物だった。そこで、人間性を代表する男性は机に向かい「クリスマスの手紙」を百万長者あてに書いた。それは実質的に、何百万人もの同胞が飢えているというあからさまな事実を目にしながら、一体どうしてクリスマスを楽しみ、百万ドルの「レクリエーション館」でスポーツを楽しむことができるのかと彼に問うものだった。この手紙は表現にとみ、面白く、良く書かれていた。ニュースとして、この手紙はあらゆる点で「生き生きした」ものだった。

そこで、第一の試験となった。このヴィンセント・アスター宛の「クリスマスの手紙」は同日中にニューヨーク市のあらゆる新聞の「都市版編集者」宛に速達郵便で送られた。手紙は、朝刊紙と夕刊紙の両方に送られた。一体何紙が掲載しただろう? わずか一紙、ニューヨークの「コール」、社会主義者の新聞だけだ。ニューヨークの朝刊紙も夕刊紙も、他の新聞はいずれも一行たりとも掲載せず、またいかなる形で言及することもなかった。手紙はアメリカのあらゆる大手通信社に提供されていた。で一体何社が扱っただろう? 一社とてない。ニューヨーク以外では、たまたま著者の個人的な友人が編集しているシカゴの新聞「アピール・トゥ・リーズン」が掲載した。かくして、ニューヨークの資本主義ジャーナリズムによる最初の判決が出たわけだ。人間性を代表する人物が書いた手紙は報道価値が、まさに0でしかなかったのだ。

百万長者が新聞編集者たちの判断に同意しなかったという事実がなければ、そこまでで事が終わった可能性も、試験が完了しなかった可能性もあった。百万長者は著者の手紙を重要と考え、それに答えたのだ。

一体どうしてこうなったか私には全くわからない。百万長者の良心に触れたのかもしれない。正真正銘の財産の人以上のひとかどの人物になりたいという大志を抱いたのかも知れない。彼自身が答えを書いたのかも知れない。誰か顧問弁護士が書いたのかも知れない。彼の秘書あるいは他の従業員が書いたのかもしれない--私が知っているのは、二三週間後に百万長者が著者に返事を書き、同時にその手紙を新聞社に送ったのだ。

著者の手紙は、もちろん資本主義に対する攻撃だった。百万長者はそれを擁護する側だ。そこで第二の試験となった。あらゆるニューヨークの新聞が、百万長者から著者への手紙を掲載する機会を与えられたのだ。そして一体何紙がその機会を活用しただろう? 全紙、全ての新聞だ! 全紙がその手紙を掲載した。しかも全文を掲載したのだ! 大半の新聞は百万長者の写真入りで一面に載せた。何紙かは、それに関するインタビューのコラムや、それについて論じる社説を加えた。財産を代表する人物の報道価値に対するニューヨークの各新聞による評価は、まさに100パーセントだった!

いかなる社会科学者にとっても、上記だけで十分だろう。しかし試験は、たまたま更にもう一歩進められることになった。百万長者と比較して、著者は取るに足らないものだという事実によって、著者が完璧にめげてしまったわけではない。私は社会主義者で、社会主義者は、容易には黙らせることができないことが良く知られている。著者は百万長者の主張に答え、百万長者宛に二通目の手紙を送った。そして著者は、またもや、ニューヨークのあらゆる新聞社とあらゆる通信社に送った。百万長者の主張を丸ごと掲載した同じ各社に。そこで、何紙が掲載しただろう? 一体何紙が手紙の全文を掲載しただろう? 一紙のみ、社会主義者の新聞「コール」紙だけだ。一体何紙がその一部を掲載しただろう? そして、掲載した一部分の長さはどれほどだったのだろう? 調べてみよう。

著者の最初の手紙は、新聞の行数で63インチの長さだった。百万長者の回答は19インチで、著者のそれに対する回答は61インチ分だった。もしも、著者は正当な分量以上のものを要求をしていると非難されるのであれば、著者は既存体制を批判しているのであり、それは僅か数行ではなしえないと指摘せざるをえない。その一方、はなはだ愚鈍な人物すら、「あなたには同意しない」と答えることは可能で、しかも簡潔さという美徳を主張できる。また、ここでの問題は、著者が主張したことではなく、それがどれだけ掲載されたのかであることに留意いただきたい。下記は、ニューヨークの主要朝刊紙に、記事がどれ程の長さで掲載されたかを示す表だ。

      著者 百万長者 著者

タイムズ   0   19   0

ヘラルド   0   19   0

プレス    0   19   0

トリビューン 0   19   0

アメリカン  0   19    2

ワールド   0   19      2-1/4

サン            0     19      4-1/2

コール         63    19      61

上記は、見出しについて考慮していない点、留意が必要だ。百万長者用見出しは大きかったが、著者の見出しは小さかった。表は、論説、インタビューや写真、第一面という有利な条件も配慮していない。

数値の重みをより明らかにすべく、パーセンテージで表示しよう。各紙が著者から受け取った原稿は124インチで、百万長者の原稿は19インチであった。まず「タイムズ」から始めよう。この新聞は百万長者の原稿をすべて掲載し、更に自社で調べたいくつかの追加まで載せていた。著者の記事は一切掲載しなかった。そこで、数学的に言えば、「タイムズ」紙は、百万長者と比較して、著者のことを全く無価値と考えていることがわかる。全く同じことが「ヘラルド」、「プレス」および「トリビューン」紙にもあてはまる。「ワールド」は、百万長者のものは100パーセント掲載したが、著者のものは2パーセント以下しか載せず、従って百万長者に50倍以上の便宜をはかっていた。同様に、「アメリカン」紙は60対1の比で彼を優遇した。「コール」紙だけは二人を平等に扱った。つまり「コール」紙は記事を掲載したのだ。

このささやかなエピソードに関する報告を、たまたま人間性の人にして、また財産の人でもあった中国の賢明な老紳士、李鴻章の回想録の一節を引用して終わることとする。

貧乏人は、公の問題に関しては、常に不利な立場にある。そういう人物が、立ち上がって、上司に対して、話したり、意見の手紙を書いたりすると、人々は尋ねる。「助言をしようとしているのは一体どのような人物なのか?」そして彼が一銭も持っていないことが知れると、自分たちの手に唾をはいて、おし返し、手紙など釜の焚きつけにしてしまう。だが、もしも金持ちが、話したり、書いたり、あるいは罵倒したりすると、ラクダの当歳子並の頭脳しかなくとも、背骨の曲がった見苦しい人物であっても、全市をあげてその言葉に耳を傾け、賢いと賛美するのだ。

ザ・ブラス・チェック、アプトン・シンクレア著1920年刊(邦題:真鍮の貞操切符、1929年刊)から

"The Brass Check" Upton Siclair 原書は1920年初版

日本語版は、早坂二郎訳、昭和四年(1929年)十二月六日 新潮社発行 (上記は拙訳)

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アメリカ版「蟹工船」ともいうべき?傑作『ジャングル』を1906年に発表した後の、ジャーナリズムの対応にうんざりして、彼は本書「The Brass check」を書いた。もちろん出版してくれる会社はなく、自費出版。著作権も放棄している。本文章の英語原文全文テキストはこちら

また、食肉工場で働く、移民たちの凄惨な姿を描いた、アメリカ版「蟹工船」『ジャングル』舞台を、アメリカから、日本に、食肉工場を、自動車工場に、リトアニアからの移民を、ブラジルからの出稼ぎの方々に変えれば、基本構造はそのままのように思えるのだが。詳細については、たとえば以下をどうぞ。『石油』についても、あげておこう。

なお、同じシンクレアによる、『石油』、最近アメリカで映画化されたが、換骨奪胎、到底見るきになれない代物。マスコミ記事で読む限り『蟹工船』の再映画化も、おそらくそんなものだろう。『蟹工船』への注目を逸らすような内容だろうと勝手に想像している。『蟹工船』はやはり、山村聡監督の旧作で見ろということだろうか。

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最後の部分に、やや不穏当な表現があるが、90年ほど前のアメリカの文章ということで、あえて、そのまま訳した。あしからず。しかし、マスコミ本来の仕事が、商品宣伝と、洗脳であることは、昔も今も、そして、未来も、変わるまい。テレビは、新聞よりも、洗脳効果、何桁も大きいだろう。「マスコミは社会の木鐸」であった歴史など本当にあるのだろうか?彼らが勝手に考え出した、単に販促目的の耳障りのよい念仏ではあるまいか。商業マスコミに期待などしてはいけない。問題点ずらしが仕事。考えるべき主題、例えば安保・基地問題は、あつかわず、あるいは歪めて報じ、必要のない猟奇的事件ばかり報じる。英語でいうRed Herring報道が彼等の使命。

金と手間をかけなければ、本当に必要な情報が、自然に流れ込んでくるわけなどない、のは自明だろう。

麻生首相が、一億円を稼いだ青年ゴルファーと面談し、クラブをもらった光景は、繰り返し報道される。その一方で、首相豪邸を見学にでかけた富裕ならざる人々のツアーが、警察の壁でガードされ、中途解散を余儀なくされ、逮捕者まででた事件の報道は見ない。気のせいだろうか?90年近くたっても、ジャーナリズムと権力の関係は同じ? 麻生豪邸渋谷ツアーがあえなく中断したあと、参加者の皆様、きっと同じ渋谷で上映中の古典アニメ「動物農場」を見に行かれたと思いたい。チェンジなどと叫ぶ連中がグルであること、くわせものであることを、はっきり描いた古典だから。原作者オーウェルは、ソ連共産主義など、くわせものであると言いたかったのだろう。ソ連なき今、アニメ(CIAが制作資金援助をしている)を見ると、まるで、「二大政党など、くわせものである」ことを表現しているよう。いわゆる「ブローバック」現象?なお、原作とアニメ、結末が大きく違う。是非、原作『動物農場』もどうぞ。そして、ついでに『1984年』も。

なんとも不思議なことに、大手新聞・テレビといった、マスコミを信じ、期待する方々が、本書刊行からおよそ90年たった今も世の中の大多数。

「二大政党」政権交代信者が増えるばかりで、属国の度合いが年々ひどくなる。国民全員が、名作映画「トゥルーマン・ショー」の主人公になってしまったようだ。東京都、大阪府、千葉県の知事選挙を見ていると、日本は、マスコミのおかげで、すっかり、ナチス・ドイツ化しているとしか思われない。北朝鮮のことを笑えまい。喜んで、どちらかのファシストを選ぶ自由があるにすぎない。

小泉政権の経済政策のとんでもない本質をえぐりだすという素晴らしい活動をされた植草氏「痴漢」として袋叩きになった。(とはいえ、最近の民主党マンセー姿勢、全く評価できないが。)一方、小泉政権の経済政策を支えた高橋洋一氏、決して「窃盗犯」として袋叩きにならない。こちらは、植草氏と違って、防犯カメラに、しっかり写っていたという。なんとも不思議。ちなみに、高橋洋一氏、「脱藩官僚の会」(2010/3/8追記:今人気の右翼政党「みんなの党」の元だろう)発起人。(他の発起人メンバーは、江田けんじ氏、岸博幸氏ら。見るからに、なんとも...。岸博幸氏のブログ批判、噴飯ものではないか?こういう先生には習いたくないものだ。(2010/5/21追記:新著『ネット帝国主義と日本の敗北』では、かつてのアメリカ信仰を反省しているようではある。)

アプトン・シンクレアは、名作「ジャングル」を書いた時期、当時主要な「大本営広報部」装置であった新聞との様々な摩擦を通して、その実態を知るに至った。是非、英語原文なり、原文にそえられた、アメリカの教授による解説をお読みいただきたいもの。現代は、新聞以上に、テレビが、圧倒的・驚異的「体制維持」機能を発揮している。

名作映画「トゥルーマン・ショー」で、主人公の人生は、「テレビ」で国中に放送されていた。

テレビは、体制に批判的な学者、評論家はほとんど出演させない。タレントは、ほぼ全員が、むかしでいう「太鼓持ち」。太鼓持ち、滅びたのではない。タレント全員が太鼓持ちと化しただけなのだ。かねづるの言うがままにうごく。長寿番組、すなわち太鼓持ちタレント総出演番組。

そうした「太鼓持ち」代表を、喜んで選ばせる行事が、首長選挙。選挙のたびに、イソップの蛙の王様の逸話を思い出す。ごくまれに、時には、嬉しい地方選挙結果があったりもするけれど。

日本における、テレビ・システム導入と、アメリカによる属国化政策との密接な関係は『日本テレビとCIA』有馬哲夫著で、克明に描かれている。

重箱の隅的な知識をつつく(失礼?)漢検ではなく、マスコミ・リテラシー検定、選挙検定こそが必要なのかもしれない。(英検の方が、個人的には、まだ意義深いのではと思う。)お上が、そうした啓蒙組織を作るはずは永遠にない。欺瞞するための組織なら、いくらでも作るだろう。

ハワード・ジンがいうように、「ひとつだけ覚えておくように。政府は嘘をつくものです。」

ハワード・ジン「歴史の効用とテロリズムに対する戦争」を語る

世論操作については、天才?バーネイズの暗躍のあとをたどる下記の本がお勧め。マスコミを駆使した世論操作の手法に間する基本図書。たまたま訳者と著者の会見と、あの911が重なるというのも、またすごい偶然。素晴らしい内容には驚かされるが、価格にも十分驚かされるのだけが残念。値段がせめて半額なら、もっと読まれる名著だろう。

スチュウアート・ユーエン 『PR! --世論操作の社会史』

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「天木直人のブログ」の2009年04月25日、
二枚舌を使った大前研一氏 他の中に、「テレビ業界にジャーナリズム精神は存在しない」という記事がある。政界、官界、テレビ界の、世襲癒着構造が書かれている。
テレビ、やはり「エリートの、エリートによる、エリートのための国民白痴化装置」のようだ。もちろん、エリートというのは、買弁のカタカナ表記である。

2008年12月24日 (水)

アメリカ、アフガニスタンへの別補給路を模索中

wsws.org

ジェームズ・コーガン

2008年12月24日

10,000人以上のパキスタン人が、先週水曜日、北西部の都市ペシャワルで、パキスタンを、アフガニスタン占領に対する武装抵抗を弾圧しているアメリカとNATO軍のための補給路として使用することを非難して、デモをした。

デモは、パキスタンの、合法的な主要イスラム教政党、ジャマート・エ-イスラミ(JI)が呼びかけたものだ。これは、カラチ港から、カイバル峠を経て、アフガニスタンへと輸送するトラック運送の通過駅として使用されている地元の供給拠点の車両や装備に対して、過激派がペシャワル地域で遂行した一連の攻撃に対する、暗黙の支持の表明だった。

12月7日と8日に、過激派が、別個の施設三カ所を攻撃した結果、200輌ものトラックや、その荷物であったハンビーや他の軍用品を破壊した。その結果、カイバル峠は、12月15日まで閉鎖された。

現在、80パーセントのアメリカ軍の補給は、カラチ-カイバルの経路経由で運ばれている。あるJI幹部は、デモ隊に言った。「もう我々は、武器や弾薬が、わが国を経由してアフガニスタンに駐在するアメリカやNATO軍の手に渡ることは許さない。連中は、それを我々の兄弟、姉妹、子供たちに向けても使うからだ。」

峠は今は再開してはいるものの、パキスタン人運転者は、危ない経路を運転するのをいやがっている。カイバル運輸組合に所属する3,500人のトラック運転手は、あらゆる軍事貨物のボイコットを宣言した。

ボイコットのおかげで、峠を経由してゆくトラックの台数は、アフガニスタン国境までの護衛を行うべく、約1,500人のパキスタン兵士を派兵したにもかかわらず一日400台から、わずか100台にまで急落した。実際ペシャワルの外に出た車両集団の一つは、先週水曜日、ロケット推進擲弾で攻撃された。

運転手に金を握らせて、危ない橋を渡らせるため、運輸会社は、8日間のカラチ・カーブル往復に、15,000ルピー、約190ドル相当を支払っている。ある運転者は、ニューズ・インターナションナルにこう語った。「パキスタンで、運転手が8日間で15,000ルピー稼げる仕事は他にない。」更に危険なタリン・コウト行きの道路でのわずか一往復で、運転手は35,000ルピー支払われる。国民の大半が得る平均月収の二倍だ。運送会社も、車両集団を守る警備員として働く覚悟がある連中には、パキスタンの標準からすれば、ふんだんに給料をはずんでいる。

近年のアフガニスタン反政府武装勢力の拡張と、それに関係した、パキスタン国内においてイスラム教徒の活動が伸長するのにともない、補給路は危機にひんしている。反植民地感情や、民族的なパシュトゥーン族の忠誠心が、宗教的熱情と結びつき、両国でタリバンへの大衆の支持を生み出している。若者たちは、醜悪なまでの社会的不平等、支配層エリートの腐敗や、地域でのアメリカや他の外国軍隊の駐留などが原因で、イスラム教徒の戦闘性に惹きつけられている。

数百万人のパキスタン国民が、アメリカが主導するアフガニスタン占領に対する戦いは、彼らの戦争だと、懸念しているのだ。植民地時代のアフガニスタンとパキスタンとの間のデュアランド線と呼ばれる国境は、全く恣意的なものだ。アフガニスタンは、実際、共通の言語、文化と宗教を持った約3000万人のパシュトゥーン族とを区切るこの国境を、決して公式に認知していない。

1947年に、亜大陸がインドとパキスタンに分割された後でさえ、パキスタンの連邦直轄部族地域 (FATA)と、北西辺境州(NWFP)のパシュトゥーン族は、南部アフガニスタンのパシュトゥーン族との歴史的な絆を維持している。

国境を越えた動きや交易は、ソ連によるアフガニスタン占領に対する1980-1988年の戦争の間に幾何学級数的に増加し、500万人ものアフガニスタン人が、言い換えれば国民の20パーセントが、国境を越えて難民キャンプへと避難した。アメリカ、サウジ・アラビアや、パキスタン政府は、大半がもっぱらイスラム原理主義に基づく、大規模な反ソ連ゲリラ・ムジャヒディン勢力を生み出すために何十億ドルも注ぎ込んだ。

何年間もイスラム教プロパガンダに満ちた環境で暮らせば、タリバンが、1994年、ソ連の撤退後に権力を握った腐敗した軍閥長の打倒を呼びかけた際に、パキスタンのキャンプの元ムジャヒディン戦士や、アフガニスタンの若者が結集したのも驚くべきことではない。

何千人ものパキスタン国民が、彼らの側に立って戦った。2001年のアメリカの侵略後、非常に多数のアフガニスタンとパキスタン人のタリバンは、FATAとNWFPの安全な隠れ場へと逃れた。次第に勢力を建て直し、彼等は今や、南部アフガニスタン中で新たなゲリラ戦争を進め、国内での反政府活動を阻止するよう命じられているパキスタン政府軍とも戦っている。

タリバンは、アフガニスタンの半分以上で勢力をもっている。関連したイスラム教徒の集団がFATAに君臨し、彼等の影響力、は全NWFPから、更にはそれ以外のパキスタンにおよんでいる。NATOの補給は、カラチ港のドックまで攻撃されるに至っている。イスラム教徒の影響やアメリカ占領に対する抵抗を、軍事的に根絶するには、長期の、費用のかかる、国境の両側における血まみれの損耗戦争が避けられまい。

ワシントンからのあらゆる兆しは、中央アジアにおけるアメリカの地政学的野望を確保し、中国やロシアのようなライバル諸国が、資源の豊富な地域で主要勢力となることを防ぐため、オバマ政権が、そのような戦争を押し進めるつもりであることを示している。何万人もの追加の兵士がアフガニスタンへの展開準備をしており、オバマは繰り返し、反政府武装勢力の標的とされるものに対しては、パキスタン国内への攻撃を命じると発言している。

ブッシュのホワイト・ハウスは既にこの政策を実施し、パキスタン政府の反対の声にもかかわらず、8月以来、パキスタンの領土に30回もの攻撃を行っている。最近のアメリカの攻撃は、月曜日に行われ、南ワジリスタンの国境地帯で、リモコン操作の無人飛行機から、少なくとも二機のミサイルが発射された。現地の住民と役人は、ワナに近い村で4人、隣村で更に3人の、計7人が殺害されたと語っている。今年これまでに、そうした攻撃で、220人以上の人々が殺害されている。

軍隊の増加と、より大規模なアメリカによるパキスタンの主権侵犯の可能性から、補給路の治安が一層重要となる。中央アジア・アメリカ軍司令官の、デービッド・ペトレイアス大将や、他のアメリカ軍幹部は、危機管理計画を練っている。ここ数週間、ロシアを経由し、中央アジアの諸共和国経由で、アフガニスタン国内に、より多くのNATO補給の輸送を認めるように、圧力と予備交渉の誘いが、ロシア政府に対して向けられている様子だ。

先週、ロシア軍の幹部ミハイル・マルゲロフは、ジャーナリスト達にこう語った。「専門家は、詳細を議論している。静かにやってもらおうではないか。地図を見れば、アフガニスタンに行く道路は多数あるが、実際、それは皆危険なのだ... ロシア回廊が最も安全だ。それが、NATOとロシアが、共同の利害を持っている理由だ。」

もう一つの選択肢として、イランの港チャーバールを使う方法がある。インド政府は、アフガニスタン西部の都市ヘラートから、イラン国境にいたり、チャーバールからの道路と交差する多車線幹線道路の建設に10億ドル以上を投じている。テヘランの政権と、何らかの形で、政治的な交渉ができれば、アメリカとNATOは、全てではないにせよ、現在カラチへ向かっている運輸の大半の流れを変えることができ、ヘラートの支配を確保できる。

アメリカ-イラン関係改善の可能性について質問されて、ロシアのマルゲロフは明言した。「我々は、イランから、アメリカ、特に新政権との直接の接触を歓迎するというメッセージを受け取っており、もしそうであれば、彼等はより協力的にする用意があるはずだ。」

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2008/dec2008/paki-d24.shtml

2008年12月23日 (火)

イラク人靴投げ記者: また同じことをするつもり

Al-Jazeera Magazine

2008年12月20日 10:09:12 AM GMT

自分の靴をアメリカ大統領に投げつけて、世界を震撼させたイラク人ジャーナリストは、もしも機会が与えられたら、また同じことをする、と語っていると報じられている。

「イラク首相宛ての書状で、ムンタザル・アル-ザイディは、ヌリ・アル-マリキ自身に対してのみ謝罪した」という、事件に詳しいあるイラク人情報筋のコメントを引用して、ファルダニューズは報じた。

「彼は、大悪魔ジョージ・ブッシュに自分の靴を投げつけたことは全く後悔しておらず、ブッシュの軍隊が多数のイラクのことも達を殺したのだから、もし彼とまた会ったら、あの行為を繰り返すつもりだ。」と語っていると、情報筋は付け加えている。

アル-ザイディは、この事件を取り調べている判事に対して、好きで、尊敬しているヌリ・アル-マリキではなく、ブッシュが彼の行為の標的だったと語っていると、ファルダニューズによると、取り調べに近い立場にある情報筋が発言しているという。

アル-バグダディヤ衛星テレビ局記者のムンタザル・アル-ザイディは、日曜日、バグダッドでの記者会見の際に、  アラビア語で「これはイラク国民からのお別れのキスだ、犬め!」と叫びながら、ジョージ・ブッシュ・アメリカ大統領めがけて靴を投げつけた。

アル-ザイディが反省はしていないというニュースは、いくつかの西側のマスコミが、ジャーナリストは、事件について、マリキに謝罪し、事件を「醜い行為」と表現した書状を書いたと報道した後に現れた。

アル-ザイディの弟ウダイは、しかしながら西側の報道を否定し、報道は「不正確」だと言っている。

「この謝罪は本物ではない。もしも彼等は(政府)、謝罪して欲しければ、まず彼を釈放し、圧力の元ではなく、彼が自由にそうできるようにすべきです。」とウダイは語った。

ファルダニューズはまた、アル-ザイディは、マリキには謝罪しているが、自分の行為は後悔していないということを認めた、取り調べに関与しているある匿名イラク当局者のコメントも掲載した。

この当局者は更に、判事に対する書面の中で、アル-ザイディは、最初の靴を投げた後、ブッシュの護衛に殺されるだろうと思っていたと語っていると述べている。

この当局者は、「大統領の護衛は、当時、完全警戒体制にはなかったようで、それが、私がもう一方の靴も投げつけることができた理由だ」と言ったアル-ザイディ発言を引用している。

MJ/DT

Source: Press TV

記事原文のurl:aljazeera.com/news/newsfull.php?newid=195735

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イラクにアメリカ大統領が送り込んだ兵員輸送に従事し、今回帰国した航空自衛隊に関する記事は、大本営広報記事で見聞きできる。が、この記者の動静については、小さな記事があるばかり。

「無事」帰国報道を読むと、家族との再会の光景を見ると、あの靴、どうやら日本人に対しても投げられたように思えてくる。無事ではない、家族との再会ができなくなったイラク人を生み出す片棒を、日本人は、本当に担いでいる。

2008年12月21日 (日)

靴投げ犯「醜い行為」を詫びる

Al Jazeera English 2008年12月19日

(写真のキャプション:何百人ものイラク人がアル-ザイディの釈放を要求[AFP])

ジョージ・ブッシュ・アメリカ大統領に靴を投げつけた後、逮捕されたイラク人ジャーナリストは、報道によれば、イラク首相に、事件を詫び、赦免を求める書状を送ったという。

ヌリ・アル-マリキ・イラク首相のスポークスマンは、木曜日、ムンダザル・アル-ザイディが、バグダッドでの記者会見中に自分が靴を投げたのは「醜い行為」だったと認めたと語った。

アル-マリキの広報顧問ヤシン・マジードは、ロイターに「アル-ザイディは書状の中で、自分の非常に醜い行為は許さるものではない」と書いたと語った。

マジードによると、アル-ザイディは、アル-マリキ首相に、2005年のインタビューの際、ジャーナリストを自宅に招いた時に示してくれた優しさを思い出して欲しいと願ったという。

「あなたの父親のような心で、私をお許しくださるよう懇願します」とアル-ザイディは書いているとマジードは語っている。

家族は懐疑的

しかしながら、ジャーナリストの兄、ダルガム・アル-ザイディは、声明が本物かどうか疑念を呈した。

日曜日バグダッドでのアル-マリキとの共同記者会見で、ブッシュをアラビア語で"犬"と呼び、ブッシュに両足の靴を投げつけたアル-ザイディはあっというまに有名になったが、これはアラブ文化では重大な侮辱となるしぐさだ。

2003年のアメリカが主導するイラク侵略の後、何万人ものイラク人死者が出ていることでアメリカ大統領を非難する人々にとっての英雄となってから四日間、ジャーナリストの居場所は不明のままだ。

イラクの警備官とアメリカ大統領護衛官にタックルされ、抵抗し、叫びながら連れ出された後、彼は腕の骨折や、他の重い怪我を負ったと彼の家族は言う。

彼の家族は、彼は厳重に警備されたバグダッドのグリーン・ゾーン内の病院にいると語っている。

火曜日、アル-ザイディは、判事の前に出頭させられ、15年の実刑判決に値する犯罪、「大統領に対する攻撃」を犯したことを認めたと、司法当局は語っている。

彼は、まもなくこの容疑で、裁判を受ける可能性がある。

アル-ザイディは、彼の釈放を要求するイラク人たちの声援を受けており、また木曜日には、ベツレヘムからモントリオールにいたるまで同様の支援行動があった。

ヨルダン川西岸ベツレヘムのメイジャー広場では、アル-ザイディの拘留に抗議すべく、数十人のパレスチナ人ジャーナリストが靴を脱ぎ、「ブッシュには当然の報いだ」と書いたプラカードを掲げた。

またカナダの都市モントリオールでは、ブッシュの海外政策をいつも批判している反戦活動集団のブロック・ザ・エンパイアが、土曜日に、アル-ザイディと連帯して、市内のアメリカ領事館に、自分たちの履物を投げつけようとカナダ人に呼びかけている。

記事原文のurl:english.aljazeera.net/news/middleeast/2008/12/200812182353218656.html

2008年12月20日 (土)

イラクで投げられた靴

direct aid Iraq

Najlaa A. Al-Nashi、Noah Baker Merrill

わずか数秒の出来事にすぎなかった。靴がブッシュ大統領めがけて飛んだのだ。そしてこれは、イラクの慣習では、重大な侮辱だ。

一人のイラク人ジャーナリストがアメリカ大統領に自分の靴を投げつけたというニュースは聞いておられようが、一人のイラク人として、私は、このジャーナリストについての多少の情報と、彼がなぜそうしたのかについて、お話してみたい。

ニュースで報じられているジャーナリストのムンタザル・アル-ザイディは、28歳だ。彼は南部の都市ナシリヤの出身で、バグダッドで暮らしている。彼はエジプト企業のアル-バグダディヤ・テレビ働いているが、イラク人だ。

ムンタザルは、彼を知っている人々の間では、占領に反対していることが良く知られていた。数カ月前、彼は弟に、もしも自分が、ブッシュ大統領にインタビューするよう選ばれたら、イラク国民の苦難と、イラクの破壊における、ブッシュの役割に対する、彼の怒りと反対のあかしとして、自分の靴を投げるつもりだと話していた。当時、彼の弟は、それはかっとして口にした言葉に過ぎないだろうと思っていた。

ムンタザルの最後の報道の仕事は、先月放映されたが、イラク人未亡人と孤児たちの状態を調査するものだった。三つの戦争、独裁者による支配、圧倒的な経済制裁、そして壊滅的な占領の結果として、500万人の子供たちが、少なくとも、その片親がなく、150万人の未亡人がいると推定されている。この報告を準備しながら、彼は目にしたことに深く衝撃を受け、イラクで放送されたその番組の中で、彼は泣いていた。

イラクで何が起きているのか、そして、この出来事がイラク人の間で、どう見られているのかを見てみよう。

バグダッド大学と、アル・ムスタンシリヤ大学では、学生たちは、勉強したり、授業に出たりするのを拒否した。そのかわり、学生は抗議し、イラク治安部隊がムンタザルを釈放するよう要求している。

世界中で、イラク人は、ムンタザルと彼の家族に、彼らの息子が表現したメッセージに、感謝するメッセージをおくり続けている。TVインタビューで、電話で、イラク人は、彼の行動を支持することを表明している。

イラク国内、国外の多くのイラク人は、「どんな行動にも、反応があります」と語っている。ブッシュは全員を傷つけたと、彼等は言っており、したがって、ブッシュは、イラク国民を代表した人物から、その怒りや侮辱的反応を受ける目にあっても、驚くべき理由などないのだ。

イラクでは、伝統的な共同社会は、部族の関係の中に深く根ざしている。スンナ派であれシーア派であれ(部族によっては、双方の宗派のメンバーがいる場合もある)、イラクの習慣では、もしも、ある部族の一メンバーが、ことを起こしたり、窮地に陥いったりすると、彼が属する部族のメンバーは、彼を代理することになり、彼を支持したことに対し責任を持つのだ。だがムンタザルの場合、北部、南部、および東部、更には西部、イラク中の部族指導者が、彼のことを我が息子だと主張している。彼等は、彼を無事に釈放して欲しい、政府が彼に課するいかなる罰金でも支払うと言っているのだ。

ムンタザルの行為は、最近、スンナ派、シーア派と、キリスト教徒を一体化させた。彼の行為は、イラク人を、イラク人として一体化しこのだ。しかも、それにはわずか数秒しかかからなかった。スンナ派と、シーア派の部族指導者達は、公式に、ムンタザルのことを、彼の所属部族名をつけて呼ばないよう(ムンタザル・アル-ザイディ)要求している。彼等は、彼の部族的所属は、今やイラクの全部族にわたるものと信じているのだ。彼等は、今後彼のことは「ムンタザル・アル-イラキ」(イラク人ムンタザル)と呼んで欲しいと要求している。同時に、部族指導者たちは、自分たちの敵は一つしかないことが今や明らかになったことを望んでいると語った。つまり、イラク占領だ。

イラク人の反応は、ムンタザルの行為が、イラク社会の中の、深い感情の放出を誘発したことを明らかに示している。主流マスコミがろ過してしまい、沈黙の壁を切り開く発言ができぬ中、外部の世界に対して、どれだけ多数のイラク人が占領や、イラクで継続中の外国兵士駐留に反対しているかということを示したのだ。

一人の男性によるこの行為は、ジャーナリストという役割ゆえに生じたものでもなければ、彼の人生における何らかの出来事から生じたものでもないことを、明確にしておくことが重要だ。占領で、ブラックウォーター・ワールドワイドが雇用しているような傭兵連中の行為で、アブグレイブ監獄や他の場所における、アメリカ兵士によるイラク人に対する拷問で、占領がはぐくみ、油を注ぎ、はびこるままにしている宗派間暴力で、他の全てのイラク国民同様に、大いに苦しんでいる一人のイラク男性がおこしたことなのだ。ムンタザル自身、数カ月前に誘拐されたが、幸いにも生きて釈放されていた。

状況分析をするのはこれまでにしよう。なぜこれほど多くのイラク人が、ムンタザルを「わが息子」と見なし、なぜ彼等は彼を英雄と呼んでいるのだろう? なぜ人々は、イラクの多くの場所で、イラク人の勇気と自由を進める象徴として、彼の写真を印刷して、配っているのだろう?

彼の行為は、皆が感じている同じ怒りと苦痛を表現したのだ。だが彼の行為は、その怒りに声を与え、そしてあの一つの小さな行動で、 彼はイラク国民が自分たちの歴史と威厳を思い出すための口火を切ったのだ。彼の象徴的な抗議行為が、事のすべてをさらけ出し、国連と世界に逆らって、イラクに侵略し、占領して以来、ブッシュと彼の支持者たちが入念に作り上げてきたイメージを、切り裂いたのだ。

諸々の反応に戻ると

200人以上のイラク人とアラブ人弁護士が、その機会さえ与えられるなら、イラクの裁判所で彼を弁護すると、進んで申し出た。

あるイラク人実業家は、白地小切手に署名し、その実業家がムンタザルが投げた靴をもらえるなら、ムンタザルがどんな金額を書き込んでも良いと言った。別のサウジアラビアの男性は、靴に1000万ドルを支払うと言った。

ムンタザルには6歳頃の甥ッ子がいる。その甥ッ子が、叔父の別の靴を一足持って、アル-バクダディヤ・テレビ画面に登場し、もし叔父を釈放してくれなければ、この二足目の靴も投げるつもりだと話した。

エジプト、ヨルダン、シリア、レバノン、そしてパレスチナで、抗議と祝賀を含む、強い支持の表明があった。

多くのイラク人が、現在のイラクの状況は、イギリス占領軍を追い出した1920年の革命前のようだと言っている。彼等は、ムンタザルが、イラクにおける新たな革命の火付け役になるかも知れないと言っている。最近では、イラク中で、ムンタザルの釈放を求める抗議行動が見られる。ナジャフの群衆は占領軍に向かって靴を投げた。アメリカが支援するイラク軍に拘留されている間に、ムンタザルが、殴打され、拷問されていることを国民が知るにつれ、イラクの街路は怒りで満ちつつある。

昨日ヨルダンで私の仲良しの友人がタクシーに乗った。在ヨルダン・イラク難民にとって、タクシーに乗ることは、往々にして、非常に多くのイラク人が自国に避難してきていることに不満なヨルダン人やパレスチナ人から、侮辱されたり、軽蔑されたり、あなどられたりすることを意味する。だが今回は違っていた。運転手は彼女に丁寧に対応した。彼女のイラク訛りに気がついて、彼は言った。行かれたい所、どこへでも行きますよ、もう喜んで。あなたは「靴を投げた人々」の一人ですから。

彼の例は、単なる個人的な例ではない。これは国民的な関心の的になっているのだ。昨日、国会は彼の釈放を促進するために会合した。昨日のニュースでは、イラク法に基づき、行為に対し、200イラク・ディナール、近年のイラク経済の壊滅的崩壊後では、アメリカの額にして20セント以下の罰金を支払えば、二日以内に釈放されそうだというものだった。

現在は、しかしながら、状況は緊張したまま、悪化している。イラク政府は、彼は7-15年間、拘留される可能性が高く、罰金を払って釈放される可能性は皆無だと述べている。こうしたニュースにもかかわらず、彼をまもなく釈放しなければならないもののように思われる。もしそうしなければ、政府は、イラクの多くの場所で、彼等が握っている、さなきだに薄弱な支配をも失ってしまう危険があるのだ。ムンタザルの行為は、占領とアメリカが支援する政府に反対するため、イラク人を団結させる火付け役として機能してしまう可能性があるのだ。イラクの歴史を良く知っている人なら誰でも、部族の怒りがどれほどの事をひき起こせるかを知っているはずだ。

1920年に、イギリスがイラクから叩き出される前、イラク内の占領軍の地位に関して、直前に調印された条約があった 。外国による占領に反対する持続的な全国規模の反乱による圧力の元、イギリスの占領者達が望んだよりずっと早く、軍隊は去った。ブッシュと、ヌリ・アル-マリキが、「靴投げの瞬間」の直前に署名した条約も、同じ道をたどり、2011年以前に駄目になるだろう。多くのイラク人が、今はそう願っている。

一方、ムンタザルは今でも拘留されており、そこで彼はひどい怪我を負わされており、手首と腕を折られ、目を負傷し、更に両足も怪我をしている可能性がある。現在、イラクの多くの行政区域で、彼の釈放を要求する抗議が行われている。

2003年初頭の頃、侵略するアメリカ兵士たちは「花束で迎えられる」だろうと言われていたのを覚えている。イラク人が、ブッシュと彼の占領に対し、どのようにお別れの挨拶をするかは、誰も、何も言わなかった。

記事原文のurl:www.directaidiraq.org/shoe-throwing-in-iraq/

2008年12月19日 (金)

靴を投げたイラク人ジャーナリストに連帯し、平和活動家はホワイト・ハウスに靴を持って集合しよう

靴を投げたイラク人ジャーナリストに連帯し、平和活動家はホワイト・ハウスに靴を持って集合しよう

彼の釈放と、アメリカ占領の元に苦しんでいるイラク人への寄付の呼びかけ

何を: 平和活動家達がイラク人ジャーナリストに連帯し、靴を持って集合

いつ: 12月17日 水曜日 午前11時

どこで: ホワイト・ハウス前、ペンシルバニア アベニュー 1600

ワシントンD.C.

日曜日にバグダッドの記者会見で、ジョージ・W・ブッシュに靴を投げつけたイラク人ジャーナリストに連帯して、ブッシュ政権の違法なイラク侵略以後に亡くなったイラク人とアメリカ兵に成り代わり、平和活動家達が、靴の入った袋を持って、ホワイト・ハウスのまわりに集まる予定だ。

彼等の狙いは、ブッシュ大統領が、戦争について話し合うため「突然」訪問した会議で、演説をした際に、大統領に靴を投げつけたイラク人ジャーナリスト、ムンタザル・アル-ザイディ支持を表明することにある。アル-ザイディは、現在イラク警察に拘留され、行為について尋問されている。平和運動家達は、イラク政府に、アル-ザイディを告訴せずに釈放するよう要求しており、彼と彼の家族を支援するための基金を作った。」

「ジョージ・ブッシュを侮辱したかどで、アル-ザイディが二年の懲役になるなど言語道断です。ブッシュこそ、150万人のイラク人と、4,200人のアメリカ兵士の死と、強制退去させられた500万人のイラク人について、直接の責任があるのに。」と、CODEPINKのメディア・ベンジャミンは言う。「監獄に送られるべきなのは、ジョージ・ブッシュであり、彼は戦争犯罪で告発されるべきなのです。」

靴を投げるジェスチャーは、アラブの文化では、重大な侮辱だと見なされている。

「アル-ザイディの市民的不服従の行為は、非常に多数のイラク人やアメリカ人が、これほどの苦痛と苦難をひき起こした人物に対して感じている嫌悪感の表現です」と「イラクの平和の声」のアナス・シャラルは言う。「ブッシュの恐怖の統治の終焉に、実にぴったりの捧げ物です。」

イラク戦争に従軍したアメリカ人退役軍人もホワイト・ハウスでの靴デモに参加する。

「退役軍人やイラク人達が日々味わっている苦難と比べれば、ジョージ・ブッシュに靴が一足投げつけられたことなど、ささいなことです」と、イラク反戦軍人会のジョフリー・ミリアドは言う。「おそらく、もしもブッシュが、退任する前に、更に何度か靴を投げられれば、私たちの苦しみのいくばくかは感じるでしょう。」

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CODEPINKは、2002年に設立され、イラク戦争を終わらせ、新たな戦争を止め、我々の資源を、医療、教育や、他の人生に対して肯定的な活動にへと向け直すべく、女性が主導している草の根の平和、社会公正運動である。喜びとユーモアに力点を置き、CODEPINKの男女達は、創造的なキャンペーンと、非暴力へのこだわりを通して、平和を推進する人々のコミュニティを、活性化、強化、鼓舞することを目指している。より詳細な情報については、www.codepinkalert.orgを参照のこと。

記事原文のurl:www.codepink4peace.org/article.php?id=4565

2008年12月17日 (水)

ムンタザル・アル-ザイディは我々ジャーリストが、ずっと前にすべきだったことをした

Dave Lindorff

2008年12月15日 "Information Clearinghouse"

イラク人ジャーナリスト、ムンタザル・アル-ザイディが、バグダッドでの記者会見中に、ジョージ・W・ブッシュ大統領の顔めがけて両足の靴を投げつけたが、ホワイト・ハウス報道陣は、もう何年も前にしておくべきことだったのだ。

アル-ザイディは、違法なイラク侵略で始められた5年にわたる戦争は、「アメリカの安全保障、イラクの安定(原文のまま)と世界平和」の為だというブッシュのたわごとを聞いていて、切れたのだろう。昨年、過激派シーア派によって誘拐され、しばらく拘留されていたことがあるテレビ記者が、靴を脱ぎ、ブッシュめがけて投げたのだ。イラクの文化では大変な侮辱だ。そしてこう叫んだ。「これがお別れのキスだ、犬め!」最初の靴が、目標に当たらなかったので、もう一方の靴をつかんで、それも投げ、大統領を二度目によけさせながらアル-ザイディは叫んだ。「これは未亡人、孤児、イラク国内で殺された人々からのものだ!」

前もって選ばれた記者が協力して、大統領の注意を引いたようなふりをし、実は事前提出し、入念に吟味された、質問ができるという、記者会見でのブッシュの嘘を8年間にわたって聞かされながら、私はテレビに靴を投げつけたくなっていたことを認めざるを得ない。

勇敢な抗議行為に対し、護衛によってひどく打擲されるという犠牲を払ったアル-ザイディは、この職業の英雄だ。彼は大統領のたわごとを聞くのを止め、大統領の正体が何であるか言ったのだ。おそらく百万人以上のイラク人の血で、その手がまみれている殺人者・犯罪人だ。アル-ザイディは、(安保条約締結記念の)シャッター・チャンスとして設定されていたはずの瞬間を、この大統領によって生活が破壊された人々の為に、わがゴマスリ・ジャーナリスト連中が、いつも決まって無視する人々の為に、はっきりものを言う瞬間に変えたのだ。

ジャーナリストは、大統領記者会見から、いつも靴下姿で出てくるべきである、と言いたいわけではない。自分の知性を侮辱した連中に対して、自分の感情を表現するやり方は、靴を投げつける以外にもあるが、記者に対して、余りに厚かましい嘘をついた際には、ジャーナリストの一人や二人、大統領に向け、中指を立てて侮辱するのを見るのも悪くはあるまい。あるいは、皆で立ち上がって歩き去り、講演台のところに大統領を置き去りにするのも良いだろう。

報道陣は、大統領を皇族のように扱うのをやめるべき時期だ。8年間の在職中に、彼が何かをなしとげたとすれば、ブッシュ大統領は、むしろ逆に、大統領というのは、ごく普通の、まあ彼の場合は、むしろ普通以下の、人物であることを証明してくれたことだ。大統領職というものは、デトロイト知事、あるいは(ペイリンがつとめた)アラスカのワシラ知事より、尊敬に値するというわけではないのだ。

私が提案したいのは、報道陣は、ブッシュ政権の残りの5週間を活用して 大統領と新たな関係を築くことだ。まやかしの礼儀作法や伝統を全て投げ捨て、昔ながらの獰猛なやり手の記者のように行動し始めるのだ。吠えるように質問し、馬鹿げた回答をあざ笑い、はぐらかされたら補足説明を要求し、そして必要であれば、歩き去ったり、あるいは恐らくは、時に靴を投げたりするのだ。

ブッシュ政権の間、ジャーナリズムという職業は、本格的な災厄、全くの恥辱だったが、記者団によるそうした過ちも一因となった、アメリカと世界が直面するあらゆる危機を前にして、そうした過ちをオバマ政権にまで持ち越してもらう余裕は、我々にない。

現時点では、ブッシュ政権は、最早おきまりのジョークになってしまったが、ジャーナリズムという職業が、この残り少ない数週間を活用して、次期大統領に対しても維持可能な、大統領記者会見と、シャッター・チャンスの新たな伝統を打ち立てて、名誉回復をする機会だろう。

とりあえず、わが母校コロンビア大学ジャーナリズム大学院には、記者会見におけるジャーナリズム技術のコースの教師として、アル-ザイディを採用するよう提案したい。僅か一年で辞められては、穴埋めが難しいだろうから、複数年契約にすべきだ。

注: 靴とホワイト・ハウスということでは、ペンシルバニア州、ホーンズデールのスキップ・メンドラーが素晴らしいことを思いついた。彼は、退陣するブッシュ/チェイニー政権にうんざりしている人々全員が、ホワイト・ハウスに靴を送るよう提案している。ホワイト・ハウスの郵便集配室で、百万足の臭い古い運動靴が山となるのを想像して頂きたい! これは名案だと思う。話を広めよう!

Dave Lindorffは、フィラデルフィアを本拠とするジャーナリスト、コラムニスト。彼の近著は"The Case for Impeachment: The Legal Argument for Removing President George W. Bush from Office" (St. Martin's Press、2006)。彼の著作は、www.thiscantbehappening.netで読める。

記事原文のurl:www.informationclearinghouse.info/article21470.htm

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そう、郵政破壊を進めたコンビの顔をテレビで見るたびに、液晶テレビの画面を、何度もスリッパで叩きたいと思ったことを、訳者は認めざるを得ない。同じことを考え、想像上、実行する方もおられるのにびっくり。
http://jp.youtube.com/watch?v=gYbjzv7cmN0

ただ、そう思う対象が、大変に困ったことに、あの二人だけ、あるいは昔の話に限らないのだ。今も、政治ニュースに現れる、似非二大政党の大物連中を見ると、全く同じように思えてしまう。きっと、この国に暮らす限りは。

ところで、上杉隆著「ジャーナリズム崩壊」(幻冬舎刊)をよむと、日本ジャーナリズム固有の制度「記者クラブ」は実に困りものであることがわかる。百害あって一利なし。早急になくすべきだ。ただ、上杉隆氏の文章では、ご自分のアメリカ・ジャーナリズム勤務体験からか、「記者クラブ」が存在しないアメリカ大手ジャーナリズム、いかにも健全なように、読めてしまう。

大統領が変わっても、平然と違法な戦争を進めることに、アメリカ大手ジャーナリズムが異をとなえているようには見えない。アメリカ大手ジャーナリズム、とうてい健全には見えない。「記者クラブ」がなくとも、ゴマスリ・ジャーナリスト連中、国境に関係なく、跳梁跋扈するもののようだ。どちらも、ジャーナリストという名はやめ、大本営広報部員にして欲しい。

80年前のアメリカ・ジャーナリズムの真実を描いた、アプトン・シンクレアの古典「ブラス・チェック」を思い出した。

首相に激励のクリスマス・カードを送る方々がおられるというが、不満の意志も表明したいものだ。

彼等にも、なんとか、クツ辱感を味わって頂きたいものだ。しかし、靴投げをゲームにした、今人気の、「ショック・アンド・オー」(衝撃と畏怖)ならぬ、「ソック・アンド・オー」(靴下と畏怖)と、ペンシルバニア州、ホーンズデールのスキップ・メンドラーさんの発案に学んで、履きふるしの靴下をお送りするなどという、過激な行動はよろしくないだろう。なにしろ、豪邸を見学にゆくだけで、つかまるお国柄だ。

(当初、ムンタデルとしたが、アラビア文字を見ると、ムンタザルのほうがよさそうだ。あるいは、ムンタゼルかも知れない。貧弱なアラビア文字知識では、アラビア文字綴りからは、母音a,eの区別はつけられない。あしからず。)

「阿修羅」に、ごもっともな書き込みがある。

マズゴミよ、いい加減にしろと思った時

アメリカがドイツ国内の基地をイラク戦争に使っているのは、ドイツ領土から戦争をしかけるのを禁ずる憲法に反すると活動家

2008年12月12日

democracy.now

ドイツには何万人ものアメリカ兵が暮らしており、アメリカ以外の国としては、一番多くのアメリカ軍基地がある。アメリカ人活動家エルサ・ラスバックさんとお話しする。彼女は、ベルリンに転居し、アメリカン・ボイシズ・アブロード・ミリタリー・プロジェクトの活動を続けている。

ゲスト:

アメリカ国民で活動家のエルサ・ラスバックは、長年ドイツで暮らしている。彼女はアメリカン・ボイシズ・アブロード・ミリタリー・プロジェクトと、ワー・レジスタンス・インターナションナルのドイツ支部のメンバーである。

エミー・グッドマン: ドイツのベルリンから、実際には東ベルリンから、お送りしています。デモクラシー・ナウ!はツアー中なのですが、ヨーロッパ・ツアーを終えるところです。ドイツの別の場所にいるアンドレ・シェパードさんが電話で参加くださいます。彼は、イラクに戻ることを拒否し、ドイツで政治亡命を申請する初めてのアメリカ人兵士かも知れません。彼は身を隠しました。無許可離隊者になったのです。

ベルリンでは、エルサ・ラスバックさんにも参加頂きます。彼女はアメリカ人の活動家で、過去18年間ドイツで暮らしています。彼女は、アメリカン・ボイシズ・アブロード・ミリタリー・プロジェクトと、ワー・レジスタンス・インターナショナルのドイツ支部メンバーです。

エルサさんとお話しする前に、まずアンドレさんとお話して、質問したいと思います。ドイツに戻ってこられたのですが。どこにおられたのですか? 無許可離隊者になるというのはどういうことでしょうか? 何をしたのですか? 基地を出たのですか?

アンドレ・シェパード: はい、その通りです。私は2007年4月にカッターバッハ軍基地を出て、帰りませんでした。無許可離隊者。これは脱走とは、少し違います。無許可離隊者の場合には、常に帰隊する意図があるわけで、ある時間経過した後で、自分の職場に戻る意図が。脱走の場合は、軍隊を永久に離れるのです。そして現時点では、私は依然として無許可離隊者と見なされていますが、[聞き取れず]状況を考えれば、立場は脱走に変更されているのが確実だと思います。

エミー・グッドマン: それで、あなたは実際どのように申請されたのですか? アメリカ政府に対して、何らかの形で申請したのですか?

アンドレ・シェパード: 無許可離隊者にですか、それとも…?

エミー・グッドマン: いいえ、ドイツでの亡命申請です。

アンドレ・シェパード: ああ、OK、OK。わかりました。OK、ええ、基本的にしなければならないことは、受け付けセンターに行くことです。数週間前に、ギーセンに行き、正式に亡命希望者として申請しました。それで、後は、あちらに書類手続き等をしてもらうわけです。すると亡命希望者として認定され、審問が行われ、彼等が完全な亡命を認めるかどうか決定する時まで、ドイツで暮らす限定的な権利を享受できるのです。

エミー・グッドマン: アンドレ・シェパードさん、なぜ良心的兵役拒否者として申請しなかったのですか?

アンドレ・シェパード: いくつかの理由がありますが、一番大きな理由は、アメリカでは、良心的兵役拒否者というのは、あらゆる形のあらゆる戦争に反対する個人にしかふさわしくないのです。戦争が攻撃的か、防衛的か、限定的な行動かとは無関係です。それは問題ではありません。問題は、私にとって、良心的兵役拒否者として申請すれば、私は実際、嘘をつかなければならいことになるのです。私の信念は、軍隊は国家防衛の為にあるというものです。まあ例として言えば、例えば誰かがカリフォルニアを侵略しようと決心したとすれば、軍隊が戦闘に動員され、何であれ国に侵略した勢力を撃退するわけです。もちろん、私は武器を手にして、出征し、自分の国を守るでしょう、彼等が我々の国境を侵したのですから。それは良いのです。けれども、私がこの主張を自分の良心的兵役拒否者としての申請に使うと、申請は自動的に却下されます。異議申立規則の、最初の原理に合わないためです。

二つ目の理由は、それにあった生き方をしなければならないということです。私が、AR600-43を理解している限りでは、自分の信念体系と首尾一貫した生き方をしなければなりません。まだ、一体どういうことか正確に理解しようとしている所なのですが、書かれているのは、たとえば、何であれ戦争を支持するようなものを、ビデオゲームをやったり、戦争映画を観たりしたくても、それは自分の生き方、自分の信念体系と首尾一貫しないということになるのです。しかも、そうした信念体系が本物であることを証明するのは、兵士の責任なのです。ですから、もうほとんど不可能と同じことです。

オーガスティン・アグアヨの場合は、それが一番やむにやまれぬ理由でした。同時に、私の部隊は、二度目の配置が予定されていました。オーガスティン・アグアヨの場合、マスコミで大きく扱われました、特にスター・アンド・ストライプ誌で。この人物は私がこれまで見た兵士の中で最も平和主義者で、彼は良心的兵役拒否者として申請したのです。彼は、戦闘地帯でさえ武器に弾をこめようとしなかったのです。それなのに軍が彼を処遇したやり方は、即座に彼の申請を却下し、信念体系やら何やらについて彼は誠実ではなかったと言い、彼に手錠をかけ、イラクに送り返したがったのです。良心的兵役拒否者となる普通のチャンネルは彼にとって閉じられており、また他に戦闘任務に行かない代替策がなかったので、結局彼は服役し、最後は無許可離隊者となったのです。ですから、私には、これはすぐに、問題の解決策としては、とるべき手段ではないと思えたのです。なぜなら、まず第一に、良心的兵役拒否者といっても棄却されてしまうこと、そして第二に、私自身にとってではなく、部隊にとっても、余りに多くの問題を生じさせてしまうことがわかっていましたから。特に、こういう出来事が起きているという噂が広がると。

エミー・グッドマン: 我々のウェブサイト、democracynow.orgに、ロサンゼルスのアメリカ軍に出頭する直前に出演し、それからドイツに帰り、ドイツに戻って、そこで無許可離隊者となり、拘置された後、最終的には解放された、オーガスティン・アグアヨさんとのインタビューへのリンクを置いておきます。彼が良心的兵役拒否者として申告した理由について色々お話しています。

ここで、アンドレ・シェパードさんとは離れ、彼にはそのままオンラインでいて頂きたいと思いますが、アメリカ合州国から移住して、ドイツに18年間程暮らしている、エルサ・ラスバックさんとお話します。エルサさん、状況をご説明いただけますか? ドイツで長らく反戦活動家をしておられますが、ドイツには、アメリカ合州国以外で、世界のどこよりも、沢山のアメリカ軍基地がありますね。

エルサ・ラスバック: はい。実際、私がこちらに暮らしている期間は二度なのです。一度目はベトナム戦争中で、もう一つは1996年以降です。ベトナム戦争では、ヨーロッパとドイツには多数のGI新聞があって、多数の兵士がスウェーデン等に脱走しました。ドイツの和運動は、当時兵士と接触する努力の上で、非常に重要なものでした。

そして、今起きている事は、ドイツは実際には、依然として占領されているのです。60年以上にもわたって。ドイツ人は、アメリカがドイツを解放してくれたことは非常に感謝していますが、概して、大多数はアメリカがドイツの基地をこれらの戦争に利用していることを承認していません。そしてドイツには、アメリカ以外のどの国よりも多くの基地があるのです。ドイツには68,000人のアメリカ兵が駐留しています。アメリカは、ヨーロッパで、いわば六つの超巨大基地に統合しつつあります。そのうち五ヶ所はドイツにあり、一つはイタリアのビチェンツァです。アンドレが駐留していたアンスバハ地域は、その一つとなる予定で、巨大な戦闘ヘリコプター基地となる予定です。更に、ドイツには二つの中央軍があります。ドイツは、アメリカにあるCENTCOMの様に、ペンタゴン直下の中央軍がある唯一の国です。またヨーロッパ全域と、ソ連、トルコをカバーするEUCOMは、シュトゥットガルトにあり、かつてはアフリカも含んでいましたが、今や彼等はAFRICOMを創設しました。それもシュトゥットガルトにあります。

エミー・グッドマン: それを受け入れるアフリカの国は皆無だからですね。

エルサ・ラスバック: その通りです。しかし、ドイツは、難しい立場にあるのです。ドイツは、恩知らずになりたくはないのです。ドイツはそれでも、もう何年も、ドイツの基地の使用に対しては、反感が高まっています。アメリカが、中流階級の住宅地で基地を拡張しようとした、イタリアのビチェンツァでご覧になったようなデモを目にされることはありませんけれど。アンドレさんがいたアンスバハでは、アメリカが基地を拡張したがったので、最も活発な反基地運動の一つもそこにあって、見られます。彼等は請願をしていて、そこでこう言っています。憲法には、ドイツ経由で、ドイツの領土は侵略戦争の為に使用されるべきではないとあると。そして多くのドイツ人は、アメリカにもそれは適用すべきだと感じているのです。

エミー・グッドマン: 私たちはアイルランドやイギリスにも行き、シャノンの反戦活動家達に会い、学びました。大半の兵士達がイラクに行く前にシャノン空港を経由するのですから。でも、変わったのですか?

エルサ・ラスバック: ええ、そうです。まだそこを経由している兵士もいるとは思いますが、アイルランドでの抗議の結果もあって、アメリカはそれを変更したのだと思います。今ドイツでは、主に商業空港の、旧東ドイツのライプツィッヒ経由です。そして、ライプツィッヒ空港は、ドイツでの活動の焦点にもなっています。何人の兵士が、そこを経由して出征するのかを監視に行っている活動家もいます。

けれども、ドイツのラムシュタイン空軍基地、またはライプツィッヒ、あるいはまたフランクフルトに近い商業空港ハーン経由で、イラクやアフガニスタンに向かう兵士たちに加え、ドイツに恒久的に駐留している兵士もいるのです。アメリカ軍の法律で、彼らの本拠地として見なされているのです。例えば、オーガスティンがいたシュヴァインフルトは、恒久的な基地と見なされています。シュヴァインフルトの兵士の死亡率は一番大きいのです。それに彼等は、これらの基地全てが、ドイツ社会に環境被害をもたらしています。ドイツ人は基地の経費の一部も負担しています。アンドレがいたアンスバハ基地拡張に反対する市民の活動もあります。

エミー・グッドマン: それがドイツのどこにあるのか、実情を知らない視聴者の皆さんの為に説明してください。

エルサ・ラスバック: OK。それはババリアにあります。それはほぼ、ニュルンベルクの少し北です。彼等がやったことの特徴の一つに、連中はこうした巨大な基地を、とても辺鄙な地域に建設したことがあります。意図的なものかどうかは知りませんが。活動家たちがそこに近づくのはより困難になります。グラーフェンヴォールは、最大の訓練基地です。アンスバハから、一時間半ほどの場所なのですが、人口がとても少ないのです。その地域には、わずか1000人程度のドイツ人しかいません。

エミー・グッドマン: ニュルンベルクの話がでましたが、ドイツ憲法では、ドイツはいかなる侵略戦争もすることはできないとしています。

エルサ・ラスバック: ドイツだけのことを言っているわけではありません。ドイツの領土から、侵略的戦争の準備をしてはならないと書いてあるのです。ドイツ人だけがそうしてはいけないと書いてあるわけではないという、ラムシュタイン空軍基地にまつわる何件かの国民の請願もあります。憲法には、ドイツの領土で、侵略的な戦争の準備をしてはならないとあるのです。

エミー・グッドマン: アメリカ軍基地には行かれますか?

エルサ・ラスバック: ええ、はい。アメリカ軍基地には良く行きますし、アメリカン・ヴォイシズ・ミリタリー・プロジェクトや、ワー・レジスターズ・インターナショナルの両方があり、ドイツには、全ての基地近隣の人々によるネットワークがあり、他の反基地ネットワークもあります。私たちは協力して動いています。

エミー・グッドマン: そこで何をされているのですか?

エルサ・ラスバック: ええ、組織化をして、情報が兵士に配信されるようにしているのです。このようなGIライツ・ホットライン・カードがあります。これは、実際、アメリカにあるものと全く同じです。そこにはホットラインの電話番号が書いてあり、そこから兵士たちは情報が得られます。これが電話番号です。皆さんに見えるかどうかわかりませんが。これは、とにかく、アメリカでは多くの人々が目にしているものです。アメリカ国内では、多くの人がこのようなカードを目にしたことがあるはずです。私たちは反戦イラク退役軍人会や、ミリタリー・ファミリーズ・スピーク・アウト等の様々な組織とつながっています。でも、基本的に、大半の人は、もしアメリカに電話をすると、GIライツ・ホットライン・ネットワークの一部として動いている、メノー派教徒の援助組織の、ドイツの軍隊カウンセリング・ネットワークにも、電話がつながります。それで、これも私たちの活動の一つというわけです。

私たちは先頭にたってデモもします。5月には反戦イラク退役軍人会をアンスバハに招待しました。四人の反戦イラク退役軍人会の人々が一週間、ここでもキャンペーン活動をしました。

エミー・グッドマン: NATOの60周年記念がやってきますから、大規模な反戦行動計画があると聞いています。バラク・オバマは、その頃には正式な大統領になっています。彼も、記念式典に出かけると思っています。どこで式典は行われるのですか?

エルサ・ラスバック: はい、フランスとドイツ間の国境でおこなわれます。フランス側ではストラスブールで、ドイツ側ではケールと、バーデンバーデンのまるごと。それに、ストラスブールにはヨーロッパ議会があるのです。実際、ストラスブールでは、2006年に亡命に関する決議が行われましたが、これを組織するのに、緑の党と左翼政党が協力しました。私たちも参加しましたし、ここで触れた全ての組織が関与しました。

計画はあります。それは実際に、かなりの規模で、ドイツ平和運動の焦点になっています。春のヨーロッパの平和運動では、スローガンは「戦争反対、NATO反対」というものです。NATOが存続する理由などありません。NATOは、ソ連ブロックとワルシャワ条約に対抗する同盟でした。彼等が、NATOが防衛専門だということは、NATOの法律にあるのです。どこかに出撃することは想定されていないのです。それなのに冷戦終結以来、アフガニスタン戦争、攻撃的姿勢、東ヨーロッパのミサイル防衛網や、ソ連、あるいは旧ソ連、ロシア等々に対して展開されている攻勢の正当化に使われ続けているのです。Andそれも正当化に使われています-それが、なぜドイツは、これらの基地がイラク戦争の為に使用されるのを認めているのかという唯一の正当化です。ドイツはイラク戦争には賛成しなかったのです。NATO同盟のせいなのです。それで、NATOが、今問題にされているわけです。

エミー・グッドマン: アンドレ・シェパードさんとのお話を終えたいと思います。

エルサ・ラスバック: OK.

エミー・グッドマン: アンドレさん、反戦運動とはどの程度接触しておられますか、ドイツとアメリカで? それは今あなたに対する支援になっていますか? そうした人々の情報にはアクセスできたのですか? あるいは、おっしゃったように、あなたの情報の大半は、ドイツのアメリカ軍基地で、ご自分で色々調べて得られた結果なのでしょうか?

アンドレ・シェパード: ええ、反戦運動と緊密に連絡をとっていて、ミリタリー・カウンセリング・ネットワークとは、過去一年半、接触しています。実際、無許可離隊者となって以来ずっとです。現時点では、先月あたりから、反戦イラク退役軍人会メンバーになったことを誇りにしています。Connection e.V.とも関係があります。カレッジ・トゥ・レジスト(抵抗する勇気)とも話をしました。それにチュービンゲン・プログレッシブ・アメリカン・フォー・ピース等々のような無数の他の平和組織があります。ですから、本当に巨大な支援ネットワークと、協力して活動しています。

エミー・グッドマン: アウグスティン・アグアヨがそうされたように、連行される心配はしておられますか? もちろん、彼はドイツのアメリカ軍基地にいたのですが、でも最終的には、最初はアメリカ軍に連行されました。それから無許可離隊者となりました。これは懸念しておられますか?

アンドレ・シェパード: 現時点では、若干の懸念はありますが、アメリカもジュネーブ協定を尊重し、このプロセスが進行している間に、私を連行して、アメリカの裁判権のもとに持って行こうなどという、国際的な揉め事になりそうなことをしでかすことはないだろうと期待しています。

エミー・グッドマン: それでドイツでの亡命申請過程で、次のステップは何でしょう?

アンドレ・シェパード: 現在、弁護士のラインハルト・マルクス博士と、申し立てを主張できる審問を待っています。申し立てをできるだけ非常に包括的な形で提示したいと思っています。そこで、最初の決定がどのようなものになるかを見ることになります。

エミー・グッドマン: では、お二人にご登場頂いたお礼を申しあげたいと思います。アンドレ・シェパードさんは、国際的に初めて、ドイツでの政治的亡命申請について正々堂々と語ってくださいました。エルサ・ラスバックさん、どうも有り難うございます。聴視者の皆様が、連絡をとりたいと思った場合の、あなた方のウエブは。

エルサ・ラスバック: 私たちのウエブはないんですが、ミュンヘン・アメリカ・平和委員会があります。それはアメリカン・ボイシズ・アブロード・ミリタリー・ウエブの一部です。すみません。

エミー・グッドマン: お二人ともご出演有り難うございます。アメリカ上院では、元国防長官ドナルド・ラムズフェルドに関する報告書が発表されました。次のコマでは、拷問で、ドナルド・ラムズフェルドを訴えているドイツ人弁護士に出演頂きます。

記事原文のurl:www.democracynow.org/2008/12/12/us_use_of_bases_in_germany

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「もぐりのインチキ」でない翻訳でよみたい方は、本家democracy.now.Japanに、ご寄付を。

先程、横須賀で原子力空母事故を想定した訓練が行われたという報道を見た。

人は、空母の原子力発電装置による被害を想像はできても、空母搭載の飛行機で攻撃され死傷している人々のことは想像しないのだろうか?

膨大な基地とその利用、思いやり予算とやらで搾取されることを黙認する人々は、単純に、被害者だとは言えないだろう。それは、イラク、アフガニスタン、パキスタンの人々に対する加害を、暗黙のうちに支持する行為だと敷衍することができるだろう。

とんでもない首相のおかげで、自民党支持が急激に下がっているという。しかし、ここまで日本がおかしくなったのは、彼ではなく、小泉首相主導による自・公売国政権のアメリカ属国化推進策によるところが大きいはずだ。麻生首相一人が、わずかな期間頑張って、駄目にしているわけではなかろう。一方で、マスコミによると、小沢代表やら、民主党への支持が高まっているという。全くもって不思議なことだ。

イラクで米軍向け空のタクシーをさせ、アメリカ軍による虐殺を支援し、アラビア海給油をする自民党より、「アフガニスタンISAFに兵を送る」という小沢民主党のほうが、一体なぜ「よりまし」と言えるだろう。どちらも虐殺の幇助だ。下記の同じ内容を何度でも書いておこう。

ゆがんだ二大政党を実現すべく小選挙区制導入を率先したのは、ほかならぬ小沢代表。

湾岸戦争時に恫喝され、戦費として莫大なつかみ金を払ったのは小沢幹事長。

その彼が、いよいよ、属国化総仕上げに、アフガン派兵を実現する。

憲法改訂など無用の革命行為。オバマ・オザワ・民主コンビによる地獄への道。

自民(麻生首相も含め)と民主、公明等の大政党と、大本営マスコミの見事な共同作戦。

小沢民主党にエールを送る今のマスコミを見ていると、郵政破壊911選挙当時、小泉支持を言い募ったマスコミを思いだす。小泉元首相も小沢代表も笑いがとまるまい。どちらにころんでも煉獄。

属国マスコミの活動、愚民化プロパガンダという意味では大量破壊兵器並みの効果。

彼等の狙い通り、今や属国民の大半、既に本当に「希望は、戦争」なのだろうか?

やがて日本は小沢代表の言う「普通の国」になり、宗主国の傭兵から、良心的兵役拒否者や、彼のような無許可離隊者も現れるだろう。宗主国の勝手な戦争で、傭兵として喜んで命を差し出す「普通の属国」になるのは、嬉しいどころか、悲しいこととしか思えない。

2008年12月12日 (金)

ごう慢と無知

イヴォンヌ・リドリー

2008年12月10日

"Information Clearinghouse"

ある有力なシンクタンクによる最新報告書によれば、タリバンは、今やアフガニスタンの72パーセントに、恒久的な勢力を確立している。

しかし、インターナショナル・カウンシル・オン・セキュリティ・アンド・ディベロップメント(ICOS)がこのニュースを発表してから数時間内に、アフガニスタン、アメリカやイギリスの様々な政治家や大使たちが、その内容を批判した。

旅行するのは安全ではないので、こうした連中の誰一人として、アフガニスタンの現地で何がおきているのか本当に知りはしないというのが真実で、仮に彼等の誰かが、あえて外出するとしても、カーブルという都市から外にでることはごく稀なのだ。

ICOS報告書が重要であるということを私が理解できる理由は、私自身がアフガニスタンから帰国したばかりであり、しかもアフガニスタンに行く大半の政治家、外交官やジャーナリストたちと違って、私は護衛なしででかけたからだ。

タリバンは、カーブルを巡る首吊り縄を形成しつつあり、ICOSが言うように、首都に入る幹線道路の四本のうち三本は、今やタリバンによる脅威にさらされている。

私がなぜ知っているのだろう? アフガニスタン中を、映画監督のハッサン・アル・バンナ・ガニと一緒にドライブし、証拠を自分の眼で見たからだ。うかつにも、私たちはカーブルから30分のガズニへの幹線道路上で、タリバン戦士とアフガニスタン警察との間の戦闘に車で入り込んで、すんでのところで頭を吹き飛ばされるところだった。

私たちは、ペシャワールから、劇的かつ歴史的なカイバル峠を通って、トルハムへと下り、更にそこから、ジャララバードから、カーブルへと直行した。

これは驚くべきドライブで、恐らくは世界で最も景色の良い道路の一つなのだが、この機会に、私がはっとせられたのは、背景をなすヒンズークシ山脈、あるいは前方に連なる険しい山頂から下がる、薄物のような朝霧に覆われた、豊穣な緑なす谷でもない。

それはアフガニスタンの首都までのドライブを特徴づける、道路脇の生々しい死体の山だった。タリバンの手中にあるロケット推進式の躑弾発射機の標的となった、およそ20輌の石油輸送車の残骸を見たに違いない。

これは、イギリス首相のゴードン・ブラウン、アメリカ次期大統領バラク・オバマ、あるいはハミド・カルザイ達自身が、まず目にすることがないだろう光景だ。なぜなら、カーブルに入る唯一安全な方法は空港に飛行機で入ることだから。

我々にはそういう贅沢な選択の余地がなかったので、この危険な経路をドライブするという私たちの判断は、飛行機の座席がとれるまで、イスラマバードで更に一週間ぶらぶらしているわけには行かなかったという事実に基づいている。

けれども、これを経験できたことを、私は嬉しく思う。おかげで、アフガニスタンの現場で何がおきているかを自分自身で見る機会が得られたからだ。くる日もくる日も、重装備の軍による護衛やら、しっかりと防備を固めた職場やら、さらに強固に警備された睡眠の場などという贅沢を許されずに生きている一般人と話す機会が得られたからだ。

その次の週は、他の外国人達があえて足を踏み入れない地域への道路を、自動車で、護衛なしで旅行し、先に書いたように、私たちは、素晴らしい映像のために、すんでのところで高い代償を払うところだった。

その経験のおかげで、西側の指導者や、顧問の全員には到底あり得ないレベルの知識の高見から書かれたICOS報告を読み取れる。

それこそが、今やタリバンが、一年前の54%から増え、アフガニスタンの72%に恒久的に駐留しているという、ICOSの主張を無視するのは愚行だという理由だ。タリバンは南部の中核地域から前進し、アフガニスタンの西部および北西部の諸州でも、カーブル北部の諸州でも多くの都市や村で、今や事実上の支配勢力だ。

ICOSの理事長で、主任現地調査員のノリン・マクドナルドQCは、ロンドンの記者会見で語った。「タリバンは、現在アフガニスタンで、政治的、軍事的な原動力を支配しています。

「アフガニスタンにおける治安レベルがここ数カ月の間、一層悪化しているにもかかわらず、驚くべきことに、国際社会の反応はほとんど変わっていません。武装勢力はNATOの弱みを、自分達の強みに変え続けています。」彼女はそう付け加えた。

「タリバンは、カーブルを巡る首吊り縄を締めつけつつあり、NATOの目の前で、タリバンが、アフガニスタンをあっさり制圧してしまう本当の危険性がある」とICOSの政策部長ポール・バートンは語っている。

駐アフガニスタンイギリス大使サー・シェラード・カウパー-コールズは、月曜朝BBCラジオ4トゥデイの番組のレポートでコメントし、軽蔑的な雰囲気で、こう語っている。「報告書の方法には、ひどい欠陥があるのではないかと懸念しています。つまり、例えば今私の目の前にある報告書のカーブル地図は、今ここに座って皆さんにお話していて、今朝もカルザイ大統領と会うためにあたりをドライブした地域を、タリバンの影響が極めて強い地域だとしているのです。

「実際は全く逆です。アフガニスタン人は街路を散歩し、断食明けの祭りイードを祝っています。ICOS報告書は、ヨークシャーと同じ広さの州における一つの出来事をとりあげて、その州が恒久的なタリバン支配のもとにあるとしています。報告書は大変に薄っぺらな代物です。」

サー・シェラードの傲慢さと無知は、まさに驚異的なものに他ならない。誘拐の恐怖があるため、外国人は誰もあえて護衛なしに、カーブルで外出して散歩などしない。そして彼は、重装備した護衛のもとで、インタビューに応じていることは私が請け合って良い。

カーブルのイギリス大使館を私は見てきた。大使館は、巨大なコンクリート・バンカーの土手と、鉄条網と重装備の警備員の背後に隠れている。2003年3月に私がそうしたように、大使館にぶらりと歩き寄ることはできない。

サー・シェラードについて、私は何も知らないが、彼はカーブルでどこにも散歩などには出かけはしないと賭けてもよい。けれども、私は報告書の著者ノリン・マクドナルドなら知っている。彼女は勇気のある女性で、カーブルでも、更にカーブル外へも、本当に現地に出向いているため、重要な知識をもっているのだ。

しかも私は、アフガニスタン内でもいくつかの最も危険な地域で、彼女がしゃがみこんで、アフガニスタンの男たちや、女性たちと、彼らの希望、要求や恐怖について話しているのを目撃している。

番組トウデイでは、アフガニスタンの議員シュクリア・バラクザイも話をしていたが、報告書について尋ねられると彼女はこう言った。「びっくりしました。これは本当ではありません。もしもタリバンがそれほど強力なら、連合軍やアフガニスタン政府自身が、どうして存続していられますか? 治安は欠如していますが、タリバンがそこまで強力だとは思いません。それが事実です。

「タリバンは依然として治安上と、連合国軍に対する多少の脅威ではあり、また場所によっては、特に民間人にとって、治安上の脅威です。しかし発表された数値には全く同意できません。」

私はシュクリアと会う光栄にも属したが、彼女は極めて裕福で、特権的な家系出身の素晴らしい女性だ。金持ちであること自体は犯罪ではないが、シュクリアは飛行機以外では、カーブルの外には出はしないだろうことは請け合える。

彼女は快活で、聡明な女性で、思いやりがあり、国を深く愛しているので、国会議員になった時には、私も嬉しかった。

アメリカとイギリスのアフガニスタン駐留を大幅に増強するという計画を私は本当に恐れている。「より大きな軍隊、より大きな標的、おもちゃの兵隊から奪い取れる更なるぴかぴかの新兵器」のように]思えるものを、タリバンは揉み手をして待ち構えているのが私にはわかる。

アフガニスタンおいて、タリバンの権力復帰を望まない人々の間ですら、アメリカの駐留はひどく嫌われている。これは様々なことに至るのだが、とりわけ、アメリカ兵のあらゆるごう慢さ、アメリカ軍の遅々とした車列を追い越そうとする運転手なら誰でも射撃する文化とアメリカ軍の習慣を、受け入れたり、理解しようとしたりすることへの拒否がある。

お考えいただきたい。前方の道路がすいている時に、一体なぜ、時速9キロ以下で進んでいる装甲兵員輸送車の集団の後ろで待たなければならないのだろう。

交通渋滞の中で、忍耐強く待っていると、自由に通行できる専用車線を作ろうと決めたアメリカ軍の車列に、自分の自動車が押しつぶされ、脇に押しやられてしまうという目にあう、アフガニスタン人運転手と話してみられたい。アンクル・サムの息子たちの振る舞いを彼がどう思っているかを具体的に語ってくれるだろう。

無辜のアフガニスタン人を虐殺した結婚式の祝宴に対するアメリカのミサイル攻撃の果てしないリストがある。こうした殺害の後で、お詫びがあることは極めて稀で、そうした事件は起き続けている。

ノリンは、自由で開かれたマスコミが必要だとも言っている。それは素晴らしいことだろうが、アメリカ占領に反対する記事を書く全ての人間は、アメリカ人の訪問を予期しなければならないという文書化された証拠もあるのだ。期限切れのアメリカ軍の軍用食がカーブルの闇市で売られていることを暴露した後に、誘拐され、打擲され、バグラムの独房に18時間放り込まれる結果となった、そうしたある若いジャーナリストと話したことがある。

お聞きいただきたい。カーブルの青空市場で売られている品物の間を歩き回って見つけた通り、その話は本当なのだ。そこでは本当にアメリカ軍の軍用食が売られていたし、それを証明するハッサンの映画もある。

西側の指導者は、自分たちのご主人たちが聞きたがるだろうと思うことだけを語る横柄な公務員、政治家や外交官の話を聞き、現実に目を背け、更に多くの兵士を送り込むことを選ぶか、あるいは腰を据え、ICOS報告を読み、それに対して行動することもできる。

アフガニスタンの危機には、解決策があり、ごう慢で無知なアメリカ軍を取り除き、更にイギリス人も排除することはその方法の一つだ。なぜなら、アフガニスタン人はもはや、この二者を区別できないのだから。

大砲の砲弾ではなく、本当の支援で人々を爆撃し、アフガニスタン政府に、条件付きの援助ではなく、本当の支援を与えるのだ。

まともな給料が払われる本当の仕事を生み出す計画というのも手始めとしては適切だ。また、まずは男性から始めて、カーブルの瓦礫からキャリア・ウーマンに出現してもらうのも良かろう。本当の仕事を与えることによって、威厳を取り戻してもらうのだ。

飢餓と、月におよそ40ドルの金でタリバンのために戦うのと、どちらを選ぶと言われたら、どういう結論を出すかは明白だ。お考え頂きたい。頭を使わなくてもよい非常に簡単なことだ。

イヴォンヌ・リドリーとハッサン・アル・バンナ・ガニのドキュメンタリー映画「In Search of Prisoner 650(囚人650号を探して)」は、Press TVで、2009年早々放映予定。

記事原文のurl:www.informationclearinghouse.info/article21428.htm

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AFPで下記ニュースが、この記事の話題。

タリバン、「アフガニスタン国土の7割に勢力拡大」 国際シンクタンク 

加藤周一が亡くなった。

加藤周一講演会 老人と学生の未来-戦争か平和か 2006年12月8日、東京大学駒場900番教室

後編の24:40付近に、興味深い発言があった。そのまま書きおこしておこう。

だから、この、あれですね、憲法を変えれば、アメリカのご機嫌をとるにしてもね、そう簡単にいかないと思いますね。で、だから、アジアでの孤立と、それから、アメリカとの間のギクシャクという問題が、つまり、外交的困難が増大する。で、その増大した外交的困難が、アメリカへの依存を強める。で、アメリカへの依存の強化が、外交的困難を増強する、ということで、その、いわゆる悪循環を起こす、だろうと思うんですね。
で、そのことを意識してやっているのかね、意識してやっていないのか、それは、私には分からない。
だけど、私が言っていることは、ちょっとその、実際にそうなった時に何がおこったかををご覧になったら、あの時加藤が言ったことは、口からでまかせだったか、そうでないかということは、すぐわかるんですよ。その時まで覚えておいて頂きたいんだな。政府の言ったことも覚えておいて頂きたい。記憶がなければ駄目ですよ、ね。だから、一つ一つの事件を、技術的な細かい所に入って行くことは、それは専門家でないと非常に困難だし、第一、そこに引き込むことは罠ですよ、一種の、ね。批判を封じる罠ですよ。そうじゃなくて、その、事件と事件とのつながりを見なければね。で、つながりは方向性を持ってるんだから。だからその、方向性に対して反応しなければいけないと思うんですね。
だから、それは非常に悪いね。ま、その外交的な技術で言えば、タイミングですね。時間を、今やることということは、その言語道断な愚挙だと思う。それで、そういう風に思っている人は沢山いるんですよ。あの日本の中に何人いるか知らないけれども。アメリカにも沢山いるんですね。
だから、あの、英語をお読みになる方は、あの、英会話をしないでね、で英会話をすることより、その英語の新聞に、あの何が書いてあるかということをご覧になった方が良いと思う。それで、もし日本の新聞に書いてあることの誤差があれば、その差が何を意味するかということを見極める必要があると思うんですよね。

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小学校での英語教育の必修化、つまりは植民地化の一歩に違いない。主眼は、英会話におかれるだろう。決して、健全なリテラシー教育という方向には行くまい。

だいたい、現場に詳細をまかせるなどという科目が、一体他のどの科目であるだろう。そもそも、導入する前に、教師のレベル・アップ、養成・強化が先決だろう。それは本来、中学校の英語教師のレベル・アップ、養成・強化から始めるべきだろう。属国の文部科学省、独立を目指す教育方針をたてるはずがない。

12/26補足:小学校に続いて、高校の英語でも、同じようなことを言い出した。教師皆様の実力向上強化策もなしに。

結論は、アメリカ青年男女を税金で日本に招き、知日派(ジャパン・ハンドラーの卵)を、税金で育てあげるだけに終わるだろう。早い話、日本調査・洗脳部隊の養成用支援金を支払うようなものではないか。そういう人々に学んで、英語のアメリカ式発音だけ巧くなっても、それに何の意味があるだろう。

本当は、加藤の言う様に、英会話などしないで、メディア・リテラシーを養う教育を、日本人が自前で行えばよいだろうに。

属国の傀儡政権・官僚は、決して独立は目指さない。従属強化を、60余年継続しただけのこと。与党が来年変わっても、本質は全く同じ。従属政策の継続あるのみ。宗主国オバマの「チェンジ(変化)」が、じつは顔だけで、実質は「コンティニュー(継続)」なのと変わらない。

2010/2/21追記:

同じ筆者が、まさにこうした苦労をしながら制作した映画の主人公を巡って、下記記事を書いている。

アメリカの司法の真実

2008年12月11日 (木)

武装勢力のNATOトラック攻撃、アメリカのアフガニスタンにおける軍事的危機を浮き彫りに

wsws.org

Barry Grey

2008年12月9日

日曜と月曜の、パキスタン北西部の都市ペシャワールにあるアメリカとNATOの軍需物資兵站部に対する一連の攻撃は、隣国アフガニスタンで対ゲリラ戦争を遂行しているアメリカと同盟諸国軍が直面する、益々悲惨となりつつある治安状況を浮き彫りにするものだ。

反米武装勢力は、個別に三カ所の兵站部を攻撃し、アフガニスタンの山岳地帯国境を越え、アメリカとNATO軍宛てへと運ぶ、軍装備品や糧食を載せた約200台のトラックとコンテナを破壊した。トラックは何十台ものハンビーや兵員輸送車や他の資材を積んでいた。

一カ月もしないうちにおきた武装勢力によるパキスタン内でのNATO補給に対する三度目の大規模攻撃は、アフガニスタンにおけるアメリカと同盟諸国占領軍用軍事補給の80パーセントを中継する経路に対するこれまでで最大かつ最も成功した攻撃だった。先月、NATO当局からタリバンだと特定されている約60人の武装勢力が、両国間のカイバル街道で、白昼公然、輸送隊のトラックをハイジャックした。

日曜の午前2:30、200-300人の武装勢力が、トラックが駐車している敷地の原始的な警備を圧倒し、警備員を武装解除し、荷物を積載したトラックに手榴弾を投げ、ロケット弾を発射し、約150台の車両を破壊した。月曜日早朝、西側の補給に対する更に別の攻撃が同じ地域で行われたと報告されている。ある警備員は、50のコンテナが燃え、何台かの車がロケット攻撃で破壊されたと語っている。

攻撃はパキスタン軍第11兵団を擁する都市中心で起きたゆえに一層注目すべきなのだ。

NATO補給焼き討ちの後、金曜日、ペシャワール都心で、それとは明らかに無関係な自動車爆弾で29人が亡くなった。

アメリカは、軍需物資の大部分を、パキスタンのカラチ港から、ペシャワールの輸送拠点を経て、カイバル峠を越えて、陸地に囲まれた国、アフガニスタンへと輸送している。ペシャワールは、国境までおよそ一時間、距離にして40マイルの最終輸送拠点だ。軍需物資を積んだパキスタンのトラックは、ペシャワールから、カイバルを経由し、パキスタンの連邦直轄部族地域を。カイバル地域は、タリバンの一つの派や、他の反乱分子によってほぼ完全に支配されており、もはや多くの一般政府職員は、トラックが使っている道路をあえて通行しないようにしている。

ペシャワール兵站部の装備破壊は、アフガニスタンにおけるアメリカとNATOの作戦に対して「最小限の」影響があるだろうとアメリカ当局は語っている。彼らは、急襲で破壊されたハンビーや他の自動車の台数を明らかにすることを拒否した。

しかしながら、アフガニスタンへの兵站線に対する脅威には測り知れない重要性がある。アジア・タイムズ・オンラインは、パキスタンの国防研究センターの理事ファルーク・サリーム博士による以下の発言を引用している。「ソ連がアフガニスタン戦争で敗北したのは、主として補給路を断たれたためでした。ムジャヒディンは、中央アジアから北部アフガニスタンへの補給路を遮断することに力を注ぎました。現在、アフガニスタンには、アメリカの戦闘旅団がいます[約5,000人]。この12月、もう一つの戦闘旅団が到着する予定で、更に二つの戦闘旅団が来年やってきます。従って、一層の補給が必要になります。もしも、この重大な時期に、戦士たちが補給路を断てば、アフガニスタンのNATO軍にとって、破壊的なことになります。」

アジア・タイムズ・オンラインは、7月、アフガニスタンのNATO-タリバン戦争が最高潮だった際に、NATOの補給路に対するタリバンの攻撃によって、ガズニやヘルマンドなどの重要な基地におけるNATOの食料や他の品目の備蓄容量が、一カ月分から、わずか一週間分に低下したことも書いている。

最近の攻撃は、アフガニスタン内のアメリカ-NATOの軍事状況そのものが劇的に悪化している山のような証拠と符合している。ニューヨーク・タイムズは、日曜、来月アフガニスタンに派兵される新たなアメリカ戦闘旅団は、大半の戦闘が起きているアフガニスタン東部と南部地域ではなく、首都カーブルの南部に隣接する二つの州に配備される予定だと報じた。

これは、反米武装勢力がここ数カ月で力を得て、今やカーブルそのものまで脅かしていることを認めるものだ。カーブル周辺の治安は、過去12か月で劇的に悪化した。

第10山岳部隊の第3旅団の戦闘部隊4,000人ほぼ全員がカーブルに隣接するローガンとワルダクに派遣される予定だ。タイムズによると、「ワルダクとローガンは昨年末までは比較的治安が良かった。しかし、大半の報告によると、昨年、この二つの州で、タリバンの活動は急増し、武装勢力がアフガニスタンと外国軍に対する攻撃を強化し、時にはカーブルを東部と南部と接続する主要な道路の一部まで支配している」

状況の悪化に対応して、次期大統領バラク・オバマによる後継政権は、アフガニスタンとパキスタン国境の部族地域の両方でアメリカ軍の戦闘を大幅にエスカレートする計画をしている。オバマと、この次期大統領が去りゆくブッシュ政権から引き継ぐロバート・ゲーツ国防長官は、20,000人以上のアメリカ戦闘部隊をアフガニスタンで今後増強する予定だ。更に6,000人の航空、および支援部隊と合計すると、計画されている軍事エスカレーションで、アフガニスタン内のアメリカ軍分遣隊の合計人数は、32,000人から、58,000人へと増える。

民間人死傷者数も、これに応じて増加するだろう。土曜日のヘルマンド州ナダリ地域のシェナ・カリ村に対するアメリカ-NATO爆撃のような出来事が増加するだろう。村の住人たちによると、二軒の家が爆撃され、そのうち農家では9人が殺害された。もう一人の村人は、女性や子供を含む十人が、一軒の瓦礫の下から死体で見つかったと語った。

アフガニスタン内部での軍事的エスカレーションは、パキスタン内の隣接する部族地域に対する攻撃の強化を伴い、パキスタン政府が、反米武装勢力に対する作戦を強化するよう要求することになろう。アメリカは、ムンバイにおける先月のテロ攻撃を利用して、アメリカのアフガニスタン戦争を支援して、軍事協力を強化するようイスラマバードへの圧力を強めようとしている。

月曜日、ニューヨーク・タイムズのホワイト・ハウス特派員デーヴィッド・サンガーは、ブッシュ政権が、オバマに対し、アフガニスタンとパキスタンの状況に関する、長たらしい、極めて機密の戦略レビューを渡す準備をしているのを暴露する記事を書いた。このレビューの核心は、サンガーによれば、オバマに対して、パキスタンへの将来の軍事援助を、アフガニスタンとの国境地域にいる武装勢力の一掃に全力を尽くすため、インドとの積年の緊張関係はさしおいて、軍隊の再構成をするようイスラマバードに要求することと結びつけるようにという勧告だ。

これが暗に意味するものは、アフガニスタンに加えてパキスタンを益々巻き込む、より大規模な戦争だ。タイムズは、ある「軍幹部」の「報告書の趣旨は、まずパキスタンを建て直さないとアフガニスタンで勝利できないということだ。しかし、たとえパキスタンを建て直したとしても、それで十分というわけではない。」という発言を引用している。

別の新聞報道は、元国家安全保障会議の南アジア専門家アシュリー・テリスの発言を引用しているが、彼は「これは何十年がかりのプロジェクトです」と語り、「移行だけでも、アフガニスタン国軍に切り換えられるようになるのに十年はかかります。」と付け加えている。

オバマとしては、「対テロ戦争」の「中央正面」は「アフガニスタンと、アフガニスタンとパキスタンとの国境地域」であると繰り返し語っている。日曜NBCニューズの番組「ミート・ザ・プレス」のインタビューで、オバマは、中央アジアにおける、広範な帝国主義戦略の概要を語ったが、これはより大規模な戦争の暗黙の脅威をも意味している。「アフガニスタンを孤立したものと見なし続けるわけには行かない」と彼は語った。「我々は、アフガニスタンを、パキスタンや、インドや、カシミールや、イランを含む地域問題の一部と見なさねばならない」「アメリカのもつ力のあらゆる要素を活用する新たな安全保障戦略」を考えたいと彼は付け加えた。

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2008/dec2008/afgh-d09.shtml

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「あほうな首相より、(オバマ大統領と語呂があう?)オザワ首相のほうが良い」という言説を目にする。金をまきあげられたあげく、血を流したがる日本とは、実に不思議な属国だ。

国連の美名のもとアフガン派兵を主張し、おまけに国会で、ソマリア海賊問題対策の必要性をわざわざ取り上げてくれるオザワ民主党は、宗主国アメリカにとってのみ、「よりまし」なのだろうと思うのだが。

森田実氏の12/12付けblogは、下記の言葉で始まっている。

いよいよアメリカが日本をアフガニスタン戦争に誘い込むために動き出しました。

2008年12月 6日 (土)

アフガニスタン: もう一つの秘話

マイケル・パレンティ

2008年12月05日、 "Information Clearinghouse"

バラク・オバマは、アフガニスタンでの軍事エスカレーション支持を正式に言明している。その泥沼に一層深く沈み込む前に、現代アフガニスタン史と、そこでアメリカ合州国が果たした役割について多少学ぶことが役に立つかも知れない。

2001年9月11日のワールド・トレード・センターとペンタゴン攻撃から一カ月もしない内に、アメリカの指導者は、うわさによると、オサマ・ビン・ラディンと彼のアルカイダ・テロリスト組織を匿っている国アフガニスタンに対し、空爆総攻撃を始めた。20年以上も昔の1980年、この国へのソ連「侵略」を止めるべく、アメリカ合州国は介入していた。通常ならアメリカ海外政策に対し、より批判的な見方をする何人かの主要な進歩的作家たちさえもが、ソ連が支援する政府に対するアメリカの介入を「良いこと」と受け止めていた。本当の物語はそのような良いことなどではなかった。

若干の本当の歴史

封建時代からアフガニスタンの土地所有制度は、変わらぬままで、土地の75パーセント以上が、地方人口の僅か3パーセントでしかない大地主によって所有されていた。1960年代中期、民主革命諸派が合同して、人民民主党 (PDP)を形成した。1973年、王は退位させられたが、彼の後釜となった政府は、独裁的で、腐敗し、人気がないものだった。今度はその政権が、1978年、大統領宮殿前での大規模デモがおき、軍がデモ側に立って介入した後に、追い出された。

主導権を握っていた軍当局者達は、詩人で小説家のヌール・ムハンマド・タラキーの指導のもとで、新政府を作るようPDPを招いた。このようにしてマルクス主義者が主導する全国的な民主勢力連合が権力を獲得した。「これは全く自発的な出来事だった。CIAでさえ、この件でソビエト連邦を責めることはしなかった」当時アフガニスタンで農業調査プロジェクトを行っていた、元ウイニペグ大学教授のジョン・ライアンはそう書いている。

タラキ政府は、労働組合を合法化し、最低賃金を設定し、累進所得税、読み書き能力向上キャンペーンや、一般人がより医療、住宅、公衆衛生を享受できるような計画を推進した。ホヤホヤの農民組合が創設され、いくつかの主要食料品に対する価格引き下げが行われた。

政府はまた、王が始めた、昔からの部族のくびきから女性を解放するプログラムも継続した。政府は、女子や様々な部族の子供への公教育を行った。

サンフランシスコ・クロニクル紙のレポート(2001年11月17日)は、タラキ政権のもと、カーブルは「国際都市」となったと書いている。芸術家やヒッピーが首都に押し寄せた。この都市の大学で、女性が農業、工学や経営を学んでいた。アフガニスタンの女性は政府の仕事にもついていた。1980年代には、7人の女性議員がいた。女性が自動車を運転し、旅行し、デートにでかけた。大学生の50パーセントは女性だった。」

タラキ政府は、アヘン生産用のケシ栽培根絶に動いた。それまで、アフガニスタンは世界のヘロイン供給に必要なアヘンの70パーセント以上を生産していた。政府は農民のあらゆる借金も廃止し、大規模な土地改革計画を立て始めた。ライアンは、それは「本当の人民政府で、国民は、大きな希望を持って未来を期待していた。」と信じている。

しかし、いくつかの分野から深刻な反対が起きた。封建的な地主たちは、自分たちの保有地を侵害する土地改革計画に反対した。また、 部族民や原理主義者のイスラム法学者達は、ジェンダーの平等や女性、児童教育に対する政府の献身に激しく反対した。

タラキ政府は、その平等主義的で、集団的な経済政策ゆえに、アメリカの国家安全保障に対する反感も招いた。PDP連合が権力を得たほぼ直後、追い出された封建領主、反動的な部族の族長、イスラム法学者や、アヘン密売人を支持して、サウジアラビアとパキスタン軍の助力を得たCIAが、大規模なアフガニスタン介入を開始した。

タラキ政府の最高幹部に、ハーフィズッラー・アミーンがいたが、多くの人々が彼はアメリカ合州国に数年間留学している間に、CIAにリクルートされたと信じている。1979年9月、アミーンは武力クーデターで国家権力を握った。彼は原理主義のイスラム国家樹立に向かって進む中で、タラキを処刑し、改革を中止し、何千人ものタラキ支持者を、殺害、投獄、あるいは追放した。しかし、二カ月の内に、軍内部の部隊を含むPDPの残党によって、彼は倒された。

これら全てが、ソ連の軍事介入前に起きたことに留意すべきだ。国家安全保障顧問ズビグニュー・ブレジンスキーは公的に認めているが、ソ連軍がアフガニスタンに入るより何カ月も前に、カーター政権が革新派政府を転覆させるため、イスラム過激派に莫大な金額を提供していた。この活動の一部として、CIAが支援するムジャヒディンによる、地方の学校や教師たちに対する残虐な攻撃があった。

1979年末、ひどく包囲攻撃されていたPDP政府は、全てCIAによって採用され、財政支援を受け、完全武装したムジャヒディン (イスラム教徒のゲリラ戦士)や外国の傭兵の撃退を支援するため、派遣部隊を送って欲しいとモスクワに依頼した。ソ連は既に、採鉱、教育、農業、および公衆衛生の分野のプロジェクトで、支援者を送り込んでいた。軍隊の配備というのは、更に本格的であり、政治的にも危険な行為だ。軍事的に介入することにモスクワが合意するまでには、カーブルによる再三の要請が必要だった。

CIA流イスラム聖戦と、タリバン

CIAにとって、ソ連の介入は、部族のレジスタンスを、イスラム教徒の聖戦へと変換し、神を否定する共産主義者をアフガニスタンから駆逐する千載一遇の好機だった。長年にわたり、アメリカ合州国とサウジアラビアは、アフガニスタンにおける戦争に、およそ400億ドルを費やした。CIAとその同盟者は、パキスタン、サウジアラビア、イラン、アルジェリア、そしてアフガニスタン自身を含む40のイスラム教諸国から、およそ100,000人の過激派ムジャヒディンを採用し、供給し、訓練した。呼びかけに答えた連中の中に、サウジアラビア生まれの大富豪の右翼、オサマ・ビン・ラディンと彼の仲間たちがいた。

長く、不成功に終わった戦争の後、ソ連は、1989年2月にアフガニスタンから撤退した。一般的には、ソ連退去の直後に、PDPのマルクス主義政府は崩壊するだろうと考えられていた。実際は、政府は戦い続けるための十分な国民の支持を維持し、更に三年、ソ連よりも一年長く生き延びた。

アフガニスタンを支配すると、ムジャヒディンは仲間同士で戦闘を始めた。彼等は都市を略奪し、民間人を脅嚇し、略奪し、大量処刑を実施し、学校を閉鎖し、何千人もの女性や少女を強姦し、カーブルの半分を瓦礫に帰した。2001年、アムネスティ・インターナショナルは、ムジャヒディンが、性的暴行を「征服した国民を脅し、兵士に報いる手段」として利用したと報告している。

諸部族は、やくざ流で国を支配しながら、もうかる収入源を求め、農民にアヘン生産用のケシ栽培を命じた。CIAの密接な従属的パートナー、パキスタンISIは、アフガニスタン中に、何百ものヘロイン工場を作った。CIAがやってきて二年間の内に、パキスタン-アフガニスタン国境地方は世界最大のヘロイン生産地となった。

主として、CIAによって生み出され、資金援助されたムジャヒディン傭兵が、今や独り歩きを始めた。彼らは何百人も、アルジェリア、チェチェン、コソボや、カシミールに帰国し、非宗教的御用商人の「腐敗」に対し、アラーの名においてテロ攻撃を遂行した。

アフガニスタンでは、1995年迄に、ISIとCIAによって多大の資金と助言を得て、パキスタンのイスラム教諸政党の支援を受けた、スンナ派イスラム教宗派のタリバンと呼ばれる過激派が権力を勝ち取り、国の大半を支配し、多くの部族長を脅しと賄賂で囲い込んだ。

タリバンは、ムジャヒディンのトレードマークであった部族間戦闘と山賊行為を終わらせると約束した。殺人者やスパイと目された人々は、毎月スポーツ・スタジアムで処刑され、窃盗で訴えられた人々は、悪事を犯した手を切り取られた。タリバンは、婚前性交渉、不倫、そして同性愛を含む様々な「背徳行為」を悪としてとがめた。タリバンは、あらゆる音楽、劇場、図書館、文学、世俗教育と、多くの科学研究も禁止した。

タリバンは宗教的な恐怖統治をときはなち、カーブルの聖職者の大半が使用しているよりも、一層厳格なイスラム法解釈を課した。全ての男性は、髭を剃らずずにおくよう命じられ、女性は頭から顔も含め、爪先まで覆うブルカを着なければならなかった。すぐに従わない人々は、道徳省により迅速かつ過酷な懲罰を課された。虐待的な家庭から逃げたり、配偶者への虐待を訴えたりした女性たちは、神政主義の当局によって逆に激しく鞭打たれた。女性は社会生活を禁じられ、ほとんどの医療を奪われ、あらゆるレベルの教育と、家の外で働くあらゆる機会から締め出された。「不道徳行為」をしたとされる女性は、投石で殺されるか、生き埋めにされた。

こうしたことのいずれも、周知の通りタリバンと馬が合うワシントンの指導者達には気にならなかった。なんと1999年まで、アメリカ政府は、タリバン政府のあらゆる役人の年間給与を丸々支払っていたのだ。ジョージ・W・ブッシュ大統領が、アフガニスタン爆撃キャンペーンに対する世論を結集しなければならなくなって、タリバンの女性抑圧を非難した2001年10月迄は。妻のローラ・ブッシュは、突如完璧なフェミニストとして浮上し、アフガニスタン女性に対してなされたいくつかの虐待の詳細にわたる演説をした。

タリバンについて、何か前向きなことを言えるとすれば、ムジャヒディンが定期的に行っていた略奪、強姦と無差別殺人の大半を終わらせたということだ。2000年、タリバン当局は、全支配地域でのアヘン生産用ケシ栽培も根絶し、この努力で国連薬物統制計画がほぼ完璧に成功したものと判断された。タリバンが打倒され、2001年12月に西側が選んだムジャヒディン政府がカーブルで再建されて以来、アフガニスタンにおけるアヘン生産用ケシ栽培は劇的に増加した。

それ以降の長年にわたる戦争で、何万人ものアフガニスタン人の命が失われた。人々は、巡航ミサイル、ステルス爆撃機、トマホーク、燃料空気爆弾や、地雷で殺されるのに加え、飢え、寒さ、避難所の欠如や、水不足で人々が亡くなり続けている。

石油とガスのための聖戦

テロと戦っていると主張する一方、アメリカの指導者たちは、アフガニスタンに深く入り込むための、もう一つの抑えがたいものながら、さほど広報していない理由を見いだしていた。中央アジア地域は石油とガスの埋蔵量が豊富なのだ。9/11より十年も前に、アメリカの政策エリートは、中央アジアへの軍事駐留を検討していたとタイム誌(1991年3月18日)は報じていた。カザフスタンとトルクメニスタンでの膨大な石油とガス埋蔵量の発見は、大きな魅力となったが、ソビエト連邦の崩壊で、この地域においてに強引な介入主義的政策を推進することに対する一つの大きな障壁が無くなっていた。

アメリカの石油会社は、これらの新たな埋蔵量のおよそ75パーセントの権利を獲得した。主要な問題は、この内陸地域から、どうやって石油とガスを輸送するかだ。アメリカの高官は、ロシア・パイプラインの利用や、イランを横切ってペルシャ湾に出る最も直線的な経路に反対した。そうではなく、彼等も石油コントラクターも、アゼルバイジャンとトルコを横切って地中海にでるか、中国を横切って、太平洋に出るという、様々な代替パイプライン経路を検討した。

アメリカに本社をもつ石油会社ユノカルお好みの経路は、アフガニスタンとパキスタンを横切って、インド洋に至るものだった。ユノカルがタリバン政権と行った本格的交渉は、1998年に、あるアルゼンチン企業がパイプラインの競争入札をするまで、未解決のままだった。タリバンに対するブッシュの戦争は、大きな仕事をなし遂げたいというユノカルの希望を元気づけた。

非常に興味深いことに、クリントン、ブッシュいずれの政権も、オサマ・ビン・ラディンがタリバン政府の客人としていることがわかっていたにもかかわらず、アフガニスタンを、国務省のテロ支援国家を非難する公式リストに載せなかった。そのような「ならずもの国家」指定は、アメリカの石油や建設会社が、カーブル政府と、中央アジアの石油やガス田へのパイプラインの契約を締結することを不可能にしていたろう。

要するに、9/11攻撃のずっと以前から、アメリカ政府は、タリバンを攻撃し、カーブルに、従順な政権、中央アジアに、アメリカ軍の直接駐留を作り出す準備をしていた。9/11攻撃は、完璧な刺激となり、アメリカの世論や、いやがる同盟諸国を、どっと軍事介入支持へと回らせた。

もしも、ワシントンがマルクス主義のタラキ政府を、1979年に放置していれば、「ムジャヒディン軍などなく、ソ連介入もなく、アフガニスタンを破壊した戦争はなく、オサマ・ビン・ラディンもなく、9月11日の惨事もなかっただろう。」と主張するジョン・ライアンに人々は同意するかも知れない。しかし、私的蓄積ではなく、集団的な大衆ニーズを巡って社会資本を配分していた進歩的な左翼政府を妨害せずにおくよう、ワシントンに望むのは、無い物ねだりだろう。

アメリカのアフガニスタン介入は、カンボジア、アンゴラ、モザンビーク、エチオピア、ニカラグア、グレナダ、パナマや、他のあちこちでのアメリカ介入と、さほど違わないことが明らかになった。平等主義的な社会改革を防ぎ、経済的に革新派の政府を転覆するという同じ効果を目指す意図があったのだ。これらのいずれも、介入によって、退行的な諸派が優位となり、経済は壊滅し、多くの無辜の命が冷酷にも失われた。

うちのめされ、貧困にあえぐ国アフガニスタンに対する戦争は、アメリカの公式支配集団によって、依然として、テロに対する勇敢な聖戦として描かれ続けている。もしも、それが本当にそうであったとすれば、それはまた他の目的のための手段でもあった。左翼革命的社会秩序を破壊し、地球の先細りの化石燃料供給に対する最後の膨大な未開発埋蔵資源の一つにたいする儲けのある支配権を得て、アメリカ軍基地とアメリカ軍勢力を、さらなる地域に植えつけることだ。

こうした全てを前にすると、オバマの「変化」という呼びかけも空々しく聞こえる。

マイケル・パレンティの新刊は、Contrary Notions: The Michael Parenti Reader および、近刊のGod and His Demons。詳細情報は、www.michaelparenti.org.で。

記事原文のurl:www.informationclearinghouse.info/article21387.htm

2008年12月 5日 (金)

ソマリア: CIAが支援したもう一つのクーデターの崩壊

Mike Whitney

「アメリカ政府が許容したエチオピア侵略が、事実上、国民が過去15年間で築き上げた、生命を維持する全ての経済体制を破壊したのです。」デモクラシー・ナウでのミネソタ大学グローバル・スタディ教授アブディ・サマタール談

2008年12月2日、 "Information Clearinghouse" ---

一カ月前まで、ソマリア沿岸の海賊事件などには、ブッシュ政権の誰も、ほんのわずかの興味も示していなかった。今や、それがすっかり様変わりし、アフリカの角沖の海域をパトロールし、海賊のアジトを掃討すべく海軍を送ろうという話になっている。なぜこの突然の方針転換なのだろう? これは、エチオピア軍が、年末迄にモガディシュから全ての軍を撤退させる予定であり、かくして、アメリカが支援した二年間にわたる失敗したソマリア占領が終わるという事実と何か関係があるのだろうか?

アメリカ合州国は、ソマリアでの地上戦に敗北したが、それでアメリカの地政学的目標がいささかでも変化したことを意味するわけではない。アメリカは、今後何年間にもわたってこの地域に居続け、海軍力をアデン湾からの極めて重要な航路を支配するために使うつもりだ。ソマリア人の国民的抵抗が力を増していることは痛手ではあるが、それが基本的戦略を変えるわけではない。海賊は実際には、変装した、天の恵だ。海賊のおかげで、政権にとって、アメリカ軍の駐留を強化し、腰を据える口実ができたわけだ。あらゆる危機がチャンスだ。

海賊の物語には、西欧のマスコミには現れていない興味深い隠れたテーマがある。ソシャリスト・ワーカーのサイモン・アッサフによれば、こうだ。

「多くのヨーロッパ、アメリカ、そしてアジアの海運会社、とりわけスイスのAchairパートナーズとイタリアのプログレッソが、1990年代初期にソマリアの政治家や軍指導者達と投棄協定に署名した。これはつまり、彼等は沿岸を毒物の廃棄場として使えるというものだ。ソマリアが内戦へと落ち込むにつれ、この慣行が広まった。国連環境プログラムのニック・ナトールは、「ヨーロッパの企業は、これが廃棄物を処理するのに、極めて安価であることに気がついたのです」と言う。

2005年(注:「湯呑」様ご指摘通り、2004年の誤りだろう)のクリスマスに、アジアの津波がアフリカ東海岸を襲った際、大スキャンダルが明らかになった。巨大な波がそうしたゴミをソマリア沖の海底から取り除いた後、何トンもの放射性廃棄物と有害な化学物質が、海岸に流れ寄せた。何万人ものソマリア人が、このカクテルに接触した後で病気になった。彼等は国連に苦情を申し立て、国連は調査を始めた。

「村人たちからの、口からの出血、腹部の出血、異常な皮膚疾患や呼吸困難等いった多様な健康障害の報告がある」と国連は言っている。

およそ300人の人々が、有害な化学物質のせいで死亡したと信じられている。

2006年に、ソマリアの漁師達は、外国の漁業船団が、ソマリア国家の崩壊を、ソマリアの魚種資源を略奪するのに利用していると、国連に苦情を申し立てた。こうした外国船団は、往々にして、ソマリア人民兵を雇って、地元の漁師を恫喝していた。再三の要求にもかかわらず、国連は対応することを拒んだ。一方、戦略的に重要なアデン湾をパトロールする世界の大国の戦艦も、有毒化学物質を沖で投棄する船を沈没させたり、だ捕したりしてはくれなかった。

そこで、海域を汚染され、生計手段が脅かされて怒ったソマリア人は、自ら解決をすることにした。漁師たちは武装して、非公式な沿岸警備隊として活動しはじめた。」(ソシャリスト・ワーカー紙)

ソマリアでの海賊の起源は、生まれつき犯罪的な行動をする傾向がある恐ろしい黒人という、マスコミが維持したがっているステレオタイプの話とは全く違っている。実際、海賊は、それが生み出す被害にもかかわらず、開発途上国を、依然として有毒廃棄物のごみ廃棄場として使うという、アメリカとEUが運用している制度の犠牲者だったのだ。(ラリー・サマーズに尋ねればわかる) 事実、バラク・オバマが選出された後、我々は「ポスト人種差別時代」に生きていると安心して良いのだとは言え、投棄は今日も続いている。不幸にして、その法則は、依然として帝国の照準の的になったままの状態にある、肌が黒や茶色の多数の人々にはあてはまらない。彼等の生活は相変わらずに惨めなままだ。

エチオピアの撤退計画

2006年、ブッシュ政権は、作戦基地を西部の都市バイドアに設けた、暫定連邦政府(TFG)という名で知られているソマリア人部族軍の長達の連合を支援した。エチオピア軍、西側の傭兵、アメリカ海軍の戦艦、そしてAC-130対地攻撃機の助力を得て、TFGはモガディシュを占拠し、イスラム法廷会議(ICU)を南部に退却させた。それ以来、レジスタンスは合同し、執拗なゲリラ軍となり、国の大半を奪還した。

ブッシュ政権は、ソマリアへの関与を正当化するために、対テロ戦争を発動はしたものの、その根拠は薄弱で、矛盾に満ちている。ICUは、国務省の主張とは異なり、アルカイダ関連の団体でもなければ、テロ組織でもない。事実、ICUは、16年間以上も存在しなかった高いレベルの平和と安定を、ソマリアにもたらしていた。

政治評論家のジェームズ・ペトラス以下のように要約している。

「ICUは部族軍の長達の腐敗と強奪を終わらせた比較的誠実な政権だった。個人の安全と財産は守られ、部族軍の長とその武装した暴漢たちによる、恣意的な没収や誘拐を終わらせた。ICUは、穏健派や過激派のイスラム教徒、民間の政治家や武装戦士、リベラル派やポピュリスト、選挙至上主義者や権威主義者などを含む、広範な多様な指向の運動体なのだ。最も大切なのは、イスラム法廷会議は、部族分裂を克服し、国を統一し、多少の独立国家としての装いを生み出すのに成功したのだ。」

ブッシュ政権が一番関心があるのは石油と地政学だ。大半の推計によると、今後十年間の内に、アメリカの石油の30パーセントがアフリカから来ることになるという。これはつまりペンタゴンは大陸中に、その触手を広げねばならないということだ。TFGの中のワシントン協力者、外国の石油会社がソマリアに戻ることを可能にするような石油法案を通すと約束したが、今やそれも全て不確実だ。どのような種類の政府が、現在の紛争から生まれるかを知ることは不可能だ。多くの評論家が、ソマリアは、今後何年間にもわたって、テロリストを生み出す、破たん国家に陥るだろうと予想している。

最近の戦闘は人道的な惨事を生み出した。130万人が背負えるだけのものしか持たずに、自宅から追い出された。350万人以上の人々が、わずかな食糧、清浄水や医療用品しかない南部のテント村に身を寄せている。

国連ニューズ・センターによると「国民のほぼ半数は、危機に瀕しているか、援助が必要だ....引き続く不安定さが、干ばつ、食料品価格の高さと現地通貨の崩壊などと相まって、ここ数カ月、悲惨な人道的状況を更に悪化させた。国連は、国民の40パーセント、援助が必要だと推計している。更に、南部と中央ソマリアでは、五歳未満の子供、6人に一人が現在ひどい栄養失調状態にある。」(国連ニューズ・センター)

エチオピア占領軍と様々なゲリラ諸派との間の戦闘は、過去二年にわたり、徐々に激化してきた。ICUの戦士たち、アル・シャバブや他のイスラム教徒集団が、南部からモガディシュ近郊に移動し、戦闘がいつ始まっても不思議ではない。ブッシュの代理軍と、暫定連邦政府にとっては、もはやゲーム・オーバーなのだ。彼等は勝利できず、それこそが、エチオピアの指導者たちが、年末までに軍の完全撤退をすると宣言した理由なのだ。2009年1月1日までに、占領は終了する。

「アメリカはソマリアで敗北しつつあるようだ」という最近のシカゴ・トリビューン記事の中で、ジャーナリストのポール・サロペクは以下のように要約している。

「(ソマリア)は、 CIAが、イスラム教過激派を追い詰め、誘拐するために、腐敗した部族軍の長達というギャングをスカウトし...秘かに彼等を、沖の、アメリカの戦艦上に拘置している、秘密戦争の現場だ。イギリスの人権活動団体レプリーブは、17隻ものアメリカの戦艦が、911テロ攻撃以来、水上監獄として、倍増した可能性があると主張している...

「ソマリアは、9/11以来、そうとは認識されていないアメリカ政策の大きな失敗の一つだ」と、ノース・カロライナ、デビッドソン・カレッジの一流ソマリア研究者ケン・メンクハウスは語っている。「いかなる合理的な基準から見ても、今日立ち至った状況は、我々が望んだものとはまさに正反対のものだ」(ポール・サロペク、「アメリカはソマリアで敗北しつつあるようだ」シカゴ・トリビューン記事)

CIAは、任務をしっかりやり遂げた。CIAは、テロリズムと、別の9-11のような大惨事を生み出しかねない蜂の巣を作り出したのだ。

現在、ゲリラ指導者とTFGとの間で政権協議を巡って交渉が行われている。しかし、交渉が何か意味ある結果に至ると期待する人間は皆無だ。穏健なICUが権力を獲得するかもしれないが、ソマリアは今後何年も始末におえない状態が続こう。最善でも、ソマリアが、ブッシュの血まみれの介入以前にはあった脆弱な平和を回復するには、あと十年はかるだろう。

記事原文のurl:www.informationclearinghouse.info/article21375.htm

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追記 09/02/08

ソマリア沖自衛隊派遣への疑問『世界』09年3月号の、竹田いさみ獨協大学教授による「ソマリア海賊の深層に迫る」を是非お読み頂きたい。ここでは、ごく一部を引用し、ご紹介しておく。

海賊の正体

内外のメディアは、「海賊の正体は元漁民」というフレーズを繰り返し、外国漁船に漁場を奪われた「哀れな漁民」が、やむなく「海賊に転身」して犯行に及んでいるという報道を重ねた。
しかし本当にそうなのであろうか。結論を先取りして言えば、ソマリア海賊はプロの犯罪集団であって、単なる元漁民などではない。

そのプロの犯罪集団、一体どのようにしてできあがったのだろう。
イギリスの陸軍特殊空挺部隊(SAS)出身のリチャード・ウエストベリー卿が作った海洋安全保障コンサルタントの会社が、そこにからんでいる。プントランド自治政府のコーストガードなるものに、この民間セキュリティ企業が、海賊対策のノウハウを教えたのだ。これを習った側が悪用すれば、立派な海賊ができあがる。ひどいマッチ・ポンプ?

同論文を再度引用しよう。

密漁や違法操業を摘発、漁船員を事情聴取して逮捕へと至る一連の法執行のノウハウを、約五〇~七〇人のソマリア人に教えたのは、言うまでもなく、あのハート・セキュリティである。

密輸シンジケートの話なども実に興味深い。

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