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2008年9月22日 (月)

ボリビアの不安定化と"コソボ・オプション"

Michel Chossudovsky

Global Research、2008年9月21日

- 2008-09-20

ボリビア東部諸県の分離は、アメリカの諜報組織と連携した、アメリカ国務省によっておぜんだてされた、アメリカが支援する秘密作戦の一部だ。

エル・ポルベニールでのエボ・モラレス支持者殺害に関与した、自動火器で武装した暗殺隊はアメリカによって密かに支援されている。ある記事によると、「USAID(米国国際開発庁)は、活動中の「移行イニシアチブ室」をボリビアに有し、右翼反対派の地方政府や運動の訓練、支援に何百万ドルも注ぎこんでいる。」(The Center for Economic and Policy Research=経済政策研究センター、2008年9月)。アメリカは、様々な反対派に対しても、全米民主主義基金を通して支援を行っている。

追放されたアメリカ大使、フィリップ・S・ゴールドバークは、世界中のアメリカ大使館における様々な「活動」を直接監督する、ジョン・ネグロポンテ国務副長官の指揮の元で働いていた。この点では、舞台裏で働きながらも、ネグロポンテはコンドリーザ・ライス国務長官よりはるかに重要な役割を果たしている。彼はまた、中米やイラクの、体制転覆や、準軍事組織の暗殺隊に対する秘密支援の、主要計画立案者の一人としても知られている。

在ボリビア大使としての、フィリップ・S. ゴールドバークの任務は、国家としてのボリビアに分裂をひき起こすことだった。2007年始め、大使として任命される前は、コソボ、プリシュティナでアメリカ代表団長(2004-2006)として働き、1999年NATOによるコソボ占領後、政治活動も取り込んだ、KLA準軍事集団指導者との常任連絡係をしていた。

CIAによる支援を受け、その指導者たちが今やコソボ政府を率いるコソボ解放軍(KLA)は、組織犯罪や麻薬取引との広範なつながりで知られていた。コソボで、ゴールドバークは、後の「独立」コソボ政府設立につながる、セルビアからのコソボ分離をお膳立てすることに関与した。

1990年代、ゴールドバークは、ユーゴスラビア崩壊に積極的な役割をになっていた。1994年から1996年、彼は国務省のボスニア部門の責任者だった。彼はワシントンからの特使リチャード・ホルブルックと緊密に協力して作業し、デイトンにおけるアメリカ交渉団主席として中心的役割を果たし、1995年のデイトン合意署名に至らせた。これらの合意がボスニア-ヘルツェゴビナ分割を助長した。より一般的に言えば、二人が国家としてのユーゴスラビアの崩壊と不安定化をひき起こしたのだ。1996年、ゴールドバークは、マデレーヌ・オルブライト国務長官と共に、1999年ユーゴスラビアに対する戦争を始める上で主要な役割を演じたストローブ・タルボット国務副長官(1994-2000)の特別補佐官として働いた。

ジョン・ネグロポンテの中心的役割

ジョン・ネグロポンテ国務副長官は秘密作戦の遂行において中心的役割を演じている。彼は1981年から1985年、在ホンジュラス・アメリカ大使として勤務した。テグシガルパ駐在大使として、ホンジュラスに基地を擁するニカラグア・コントラの傭兵を支援し、監督する上で、彼は主要な役割をになった。ニカラグアへの越境コントラ攻撃は、50,000人ほどの民間人を殺害したとされている。同じ時期に、ネグロポンテは「ワシントンの支援のもとで活動し、アメリカが支援する政権への反対者を、何百人も暗殺したホンジュラス軍暗殺隊」を立ち上げるうえで大活躍した(Bill Vann著、Bush Nominee linked to Latin American Terrorism「ブッシュが任命した人物はラテン・アメリカのテロに関連」を参照。 )

「グスタボ・アルバレス・マルティネス将軍の支配の元、ホンジュラスの軍事政府は、レーガン政権の親密な同盟者であり、対抗する政治家を何十人も、古典的な暗殺部隊方式で「失踪」させていた。

    (Peter RoffとJames Chapinによる、 Face-off: Bush's Foreign Policy Warriors「対決: ブッシュの海外政策戦士たち」を参照)

これも、彼を、クリントン政権の元で、アメリカの国連代表に任命する妨げにはならなかった。

サルバドル・オプション

ネグロポンテは2004年にイラク大使となり、そこで彼は、主に中米の暗殺隊を手本にして、アメリカ占領のための「治安体制」を作り上げた。このプロジェクトは、何人かのライターたちによって、「サルバドル・オプション」と呼ばれている。

バグダッド駐在の間、ネグロポンテは安全保障問題の顧問として、エルサルバドル特別作戦の元隊長を雇い入れた。この二人は、1980年代の中米にまでさかのぼる親密な同僚だ。ネグロポンテがホンジュラスで暗殺隊の立ち上げに忙しかった頃、スティール大佐は、駐エルサルバドル・アメリカ軍顧問団(1984-86)担当だった。「彼の担当は、紛争が絶頂期の間に、旅団レベルで特殊工作部隊を立ち上げることだった。」

「こうした軍隊は、得られる人材の中でも最も残忍な兵士で構成されており、スティールがベトナムでの軍務の間に詳しくなった、小部隊による作戦を踏襲していた。彼らの役割は、地域を獲得することを狙うのではなく、武装勢力の指導部、支持者、供給源や前進基地を攻撃することだ。」(Max Fuller、For Iraq, "The Salvador Option" Becomes Reality「イラクにとり『サルバドル・オプション』が現実化」、Global Research、2005年6月)

イラクで、スティールは、特別警察コマンドとして知られる、新たなエリート・イラク人の対ゲリラ部隊と仕事をするよう命じられた。この文脈で、ネグロポンテの狙いは、イラク民間人に向けられた秘密のテロ攻撃をひき起こすことで、民族的な分裂と派閥抗争を促進することだった。

ネグロポンテは2005年、国家情報長官に任命され、更に2007年には国務省で二番目の地位を占めることになった。

コソボ・オプション: ハイチ

テロリスト準軍事集団を支援する「コソボ・モデル」がラテン・アメリカで使われたのは、これが初めてというわけではない。

2003年2月、ワシントンはジェームズ・フォーリーのハイチ大使任命を発表した。ゴールドバーク大使とフォーリーは同じ「外交閥」の一員だ。フォーリーは、コソボ戦争の間、クリントン政権のもとで国務省スポークスマンだった。彼は初期に、コソボ解放軍(KLA)への支援の道を開拓することに携わった。

十分に実証されていることだが、コソボ解放軍(KLA)は、麻薬を売って得た金による財政支援を受け、CIAによって支援されていた。(ミシェル・チョスドフスキー、Kosovo Freedom Fighters Financed by Organized Crime「コソボ解放戦士は、組織犯罪から財政支援を得ている」Covert Action Quarterly、1999年、を参照 )

コソボ戦争当時、当時の在ハイチ大使ジェームズ・フォーリーは、国務省ブリーフィング担当で、ブリュッセルのNATOでの同等職務担当、ジェイミー・シーと緊密に協力していた。1999年3月24日、NATOが率いた戦争の猛攻撃のわずか二カ月前、ジェームズ・フォーリーは、KLAを立派な政治組織へと「変身」させることを主張した。

「政治指向の組織に変身するならば、彼等[KLA]とは良い関係を作り上げたい' ..`彼等が我々が望む通りの政治的役割を演じるようになってさえくれれば、我々が彼らにしてあげれらる忠告や支援は沢山あると思う... "変身する努力のために、我々が彼等を助けることができ、彼等が我々の援助を求めるのであれば、人さまにあれこれ言われることはないと思っている..' (1999年2月2日ニューヨーク・タイムズ引用記事)

言い換えれば、ワシントンの狙いは「体制転覆」だった。ラバラス政権を転覆させ、「民主プラットフォーム」や、指導者が元FRAPHやトントン・マクートのテロリストだった自称民族解放再建戦線(FLRN)を統合し、従順なアメリカ傀儡政権をしつらえた。(より詳細については、ミシェル・チョスドフスキー、The Destabilization of Haiti「ハイチの不安定化」、Global Research、2004年2月 ハイチ:米国協賛のクーデターとして益岡賢氏の翻訳あり)

アリスティド政府の崩壊をもたらした2004年のクーデター後、国家再建を支援すべく、アメリカ国際開発庁(USAID)により、KLA顧問がハイチ内に呼び入れられた。(アンソニー・フェントン、Kosovo Liberation Army helps establish "Protectorate" in Haiti「コソボ解放軍、ハイチ国内の『保護領』設立を支援」、Global Research、2004年11月、を参照)

特に、KLAコンサルタントは、FRAPHやトントン・マクートの元メンバーを兵卒に採用し、ハイチ警察部隊再建を支援するのが仕事だった。

「移行イニシアチブ室」(OTI)を支援するため ... 以前は暴虐な軍だったものを、現在のハイチ警察部隊に組み込むための助言をえるべく、三人のコンサルタントに、USAIDが給与を支払っている。で、その三人のコンサルタントとは誰だったのだろう? その三人のコンサルタントはコソボ解放軍メンバーだった。」(フラッシュポイント・インタビュー、2004年11月19日、www.flashpoints.net )

USAID(米国国際開発庁)の「移行イニシアチブ室」(OTI)

サルバドル/ コソボ・オプションは、国を分裂させ、不安定化させるというアメリカ戦略の一部だ。USAIDが資金を出している在ボリビアOTIは、在ハイチOTIとほとんど同じ機能を演じている。

stated purpose ofアメリカの秘密作戦の、究極的には、主権を有する政府を不安定化させる目的で「解放軍」に秘密の支持と訓練を提供することだ。コソボでは、1990年代のコソボ解放軍(KLA)訓練は、ペンタゴンとの契約で、民間傭兵企業であるミリタリー・プロフェッショナル・リソーシズ・インク(MPRI)に委託されている。

パキスタンとコソボ・オプション

パキスタンにおける最近の展開が、パキスタンの主権を侵害する直接的なアメリカ軍介入の方向へと向かっている事は、指摘しておく価値がある。

既に2005年、アメリカ国家情報会議報告とCIAは、最近バルチスタンで見られたような、内戦、流血、州同士の対立関係で十年間も苦しめられている国、パキスタンは「ユーゴスラビア的な運命」になると予測していた。(Energy Compass、2005年3月2日)。

パキスタン上院国防委員会の2006年報告によると、イギリス諜報部が、バルチスタン分離主義者運動の支援に関与している。(Press Trust of Indo、2006年8月9日)。バロチスタン解放軍(BLA)は、麻薬取引による資金による財政支援と、CIAによる支援という点で、コソボKLAとかなり類似している。

ワシントンは、パキスタンのバルチ族地域を、イランのバルチ族地域と、更にはアフガニスタン南端を統合した "大バルチスタン" [大アルバニアに似た]を作り出し、それによってイランとパキスタンそれぞれの政治的分裂過程をひき起こすことがお気に入りのようだ。(ミシェル・チョスドフスキー、The Destabilization of Pakistan, December 30, 2007)
パキスタンの不安定化、2007年12月30日)

Michel  ChossudovskyによるGlobal Research記事


 

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