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2008年9月

2008年9月30日 (火)

ロシアのTV、9/11に関する論議を呼ぶ映画と、討論を放送

2008年9月15日、月曜日、15:00 CDT投稿

9/11テロ攻撃七周年を記念して、9月12日ロシアのチャネル・ワンTVは、出来事に関する公式説明に疑念を呈する、論議を呼ぶドキュメンタリー映画、"Zero(ゼロ)"を上映した。著名なイタリア人ジャーナリストで、ヨーロッパ議会議員ジュリエット・キエザが制作したこの映画を上映した後、スタジオでの討論が行われたが、討論では専門家の二つのグループ - キエザの説に同意する人々と不同意の人々-が、その見解を披露した。

「この映画は、正当か否かは別として - 私たちが今晩これから討論する - 出来事に関する公式説明に疑念を呈しているものの、この映画は - 私自身、非常に注意深くほぼ二度見たが- 決して直接、アメリカ政府や議会、あるいは何かアメリカ国内の闇の力やForeign Policy Council(外交政策審議会?)を、テロ行為を背後で操り、計画したとして、非難しているわけではない。そこで私は皆さんに問いたい。「一体誰がやったのだろう?」司会者アレクサンドル・ゴルドンは、討論の始めにそう語っていた。

著者で、ロシアのセンターTVの時事問題番組"ポストスクリプト"の司会者で、外交アカデミー付属戦略問題研究所所長であるアレクセイ・プシコフによれば、2001年9月のニューヨークにおけるテロ行為は、「それを必要としていた極めて有力な人々の集団」によって計画されたものだ。

政治誌「クラス」の編集長で硬派日刊紙ネザヴィーシマヤ・ガゼータ紙元編集長のヴィタリー・トレチャコフは、アメリカの公式説明は"作り話"だと語った。テロリストの小集団が、攻撃を背後であやつれたとは信じがたいと彼は語った。

一方で、KGBの分析部門の長だったウラジーミル・ルバノフは、起きたことに何ら奇妙な点はなく、もっともらしく思われると語った。

チャンネル・ワンTVの司会者で、プロフィール誌編集長のミハイル・レオンチェフは、三つの理由で、出来事に関する公式説明を信じていないと語った。彼の言う一つ目は、「それが一度限りの[テロ]行為だったためだ。計画という目で見て、全く異様な行為を、何らかの組織が遂行したのだ。伝えられるところによると、この組織はいまでも存在しており、戦争と人々の殺戮を継続している。これは、アメリカ軍を二カ国に貼り付けにしており、同時に、アメリカ合州国の領土には、以来、[テロ]行為は一件たりとも起きていない。」「このテロ行為の反復が一件もないという事実が、最初のものが偽物であることを証明している」と彼はつけ加えた。

レオンチェフは続けた。「二つ目は、なぜ[9月11日のテロ攻撃は行われた]かだ? アメリカ合州国は、テロ攻撃によって膨大な利益を受ける立場にあった。間違いなく現政権とつながっているいくつかの集団は、テロ攻撃によって利益を受ける立場にあった。彼らの利害が余りに大きい為、テロ行為が不可欠になったのだ。」

「三つ目に、この[テロ]攻撃の、架空、あるいは本当のまとめ役と見なされている全ての人々は、この全ての人々はアメリカの特務組織に支配されていた。」

政治・軍事研究所所長アレクサンドル・シャラーヴィンは、キエザの映画で使われている主張の多くは説得力がないと見ている。

モスクワの特殊建設プロジェクトのポークスマン、アレクセイ・ヴヴェジェンスキーは、公式説明を支持すると語った。ツイン・タワーは飛行機が突入したために崩壊したのであり、爆破されて崩壊したのではないと彼は語った。それがどう起こり得たかの技術的詳細を彼は説明した。

別の建築専門家、建築物リスク・安全問題研究所所長、アショト・タムラジャンは、彼の研究所では、モデルを制作し、多くの実験をしたが、他に要因がない限りは、ツイン・タワーが崩壊することはあり得ないという結論だったと述べた。

建築家ミハイル・ハザーノフは、三番目のビルの崩壊を説明することはできなかった。

映画監督のウラジーミル・ホチネンコは、映画が疑問を提示しながらも、判決は下していないことを称賛した。彼はまたタワーの崩壊が、最高のハリウッドの大ヒット作という姿勢の上で、実に「映画的」だと語った。

チャネル・ワンの記者ウラジーミル・スホイは、崩壊がおきた時、ツイン・タワーの近くにいた。彼は悲劇を目撃しており、公式説明を信じていると語った。

英語版モスクワ・ニューズ紙編集長のロバート・ブリッジは、民間のボーイング機がペンタゴンのビルに突入した事を疑っていた。彼は言った。「どのような飛行機の墜落事故でも、破片が残るものです。荷物や座席等々。」「なぜこの墜落事故は、これまで見てきたどの墜落事故とも、これほど違うのでしょう?」と彼は質問した。

当時、国際宇宙ステーションにいて、9/11の出来事を宇宙からみていた宇宙飛行士のウラジーミル・ジェジューロフも、飛行機墜落事故には必ず破片が残るものだと語った。

もう一人の目撃者、ITAR-TASS特派員ユーリー・キリルチェンコは、映画は、多くの疑問が未解決のままなので、この悲劇の本格的な調査が依然として必要であることを証明したと語った。

もしも出来事に関するアメリカの公式説明を信じていたら挙手して欲しい、と司会者が尋ねた際、挙手した聴衆は一人もいなかった。

本編はモスクワのチャンネル・ワンTV(ロシア語」で08年9月12日1725に放映された。

(c) 2008 BBC Monitoring Former USSR. Provided by ProQuest LLC. All rights Reserved.

Source: BBC Monitoring Former USSR

記事原文のurl:www.redorbit.com/news/entertainment/1555962/russian_tv_holds_debate_on_controversial_911_film/

2008年9月28日 (日)

なぜアメリカはアフガニスタンで勝てると考えているのだろう?

タリバンは良く訓練され、残念なことに、益々現地の民間人に受け入れらつつある

Robert Fisk

20/09/08 "The Independent'

哀れな老いたアルジェリア人たち。彼等は残忍な政府から、同じ古ぼけたたわごとを聞かされ続けている。1997年、政権側はイスラム教の凶暴な敵方に対する"最終的な勝利"を宣言した。アルジェリア当局は、"テロリスト"は自暴自棄になって、アルジェやオラン周辺の山々で彼等が支配する村々の全ての男、女や子供の首を切り落としているのだから、自分たちの敵は、とうとう打ちのめされたと信じていたのだと、私は少なくとも三度、もちろん、しかるべき皮肉をこめて、報告したことがある。

そして連中は今またそれに取り組んでいる。新たに合併した"マグレブのアルカイダ"という敵による猛烈な自爆自動車攻撃が復活した後、アルジェのガタピシ、古びたFLN政府は、武装イスラム教徒に対する戦いは"最終段階"に至ったと宣言した。アルジェリア人ジャーナリストHocine Belaffoufiが、先日見事に表現したように「この政治的話法によれば ... 攻撃頻度の増大は、テロが敗北しているという否定できない証しだ。テロがより破綻すればするほど、攻撃はますます増大する...(テロ)が益々強くなればなるほど、攻撃は少なくなる。」

アメリカは、むろん、このとんでもないたわごとを、何年間も、南西アジアで広めようとしてきたのだ。そもそも、今をさかのぼる2001年、タリバンを打倒し、アメリカはアフガニスタンでの戦争に勝利したのだ。それからアメリカは、イラク戦争に勝利するべく堂々と立ち去っていったのだ。アメリカはイラク戦争に勝利したので、七年前、アメリカ人の息子たちに徹底的にこらしめられたタリバンが、彼らの道徳的、政治的破産を証明して、国の半分を再度掌握している場所、今や一日最低一件の自爆攻撃があり、お互い敵対する派閥の居住地へと分裂した国アフガニスタンにおける戦いに再度勝利すべく引き返すわけだ。

ドナルド・そういう事はおきるものだ・ラムズフェルドが、「 (アフガニスタンには)政府を樹立したし、カーブルにおいて、もはやイスラム教徒は支配していない。もちろん、時には手榴弾や臼砲が爆発することはある。だがニューヨークやサンフランシスコでも、犠牲者の数は減った。私としては希望に満ちている。」と宣言したのは大昔のことのように思える。奇妙なことに、80年代の昔、アフガニスタンのバグラム空軍基地にいたソ連の将軍から私は全く同じことを聞かされていた。そう、かつてのロシア人による虐殺を免れた数人のアフガニスタン人を、CIAの若者たちが拷問し、死に至らせたのと同じ、まさにあのバグラム空軍基地でだ。「テロリストの残滓」がアフガニスタンの山地に居すわっているだけだと、陽気なロシア人将校は請け合ったものだ。アフガニスタン人兵士と、限定されたソ連「介入」部隊が民主的なアフガニスタンで平和を回復しつつあったのだ。

そして今、イラクにおける"想像を絶する"進展の後、依然として私はホワイト・ハウスを占拠している夢想家の言葉を引用するわけだ。アメリカは、8,000人の兵士をメソポタミアから撤退させて、振り替え、更に4,700人をアフガニスタンの業火に投入するつもりだ。あるフランス人同僚の辛辣な表現によれば、余りに少なすぎ、余りに手遅れ、余りに緩慢だ。今や、より高度な兵器を装備し、良く訓練され、残念なことに、益々現地の民間人に受け入れらつつある、こうしたタリバン連中に引導を渡したいと思うなら、少なくとも、更に10,000人の兵員は必要だろう。アフガニスタンは、イラキスタンと読み替えよう。

かつて19世紀末、タリバンは、そう、イギリスは黒いターバンをした敵のことを実際に「タリブ」と呼んだのだが、捕獲したイギリス兵の喉を掻き切るものだった。今やこの不幸な伝統が繰り替えされていて、アメリカはびっくりしているのだ! 今年7月13日にタリバンがアメリカ軍の山岳基地を急襲した際、捕獲された二人のアメリカ兵士は、捕獲した連中に処刑された。

アフガニスタンで8月18日に殺された10人のフランス兵のうち4人は、タリバンに降伏し、ほぼ即座に処刑されたことが分かった。彼らの通訳は、任務開始の直前に逃亡したことは明白で、これが意味するところは一目瞭然だ。しかも、この窮地を助けられたかも知れないフランスのヘリコプター二機は、アフガニスタン軍の代役として、どうしようもなく、無力な、アフガニスタン大統領ハミド・カルザイを守るのに忙しかったのだ。あるフランス兵はタリバンのことを、極めて率直にこう語った。「やつらはいい兵士だが、情け容赦ない敵だ。」

先月、ヘラト近くのアジザバード急襲で、アメリカ軍が「30人から35人のタリバン」を殺害したと誇らしげに宣言した、在アフガニスタン・アメリカ人幹部将校、デヴィッド・マッキーナン大将は、今やバグラム基地のあのソ連人将軍の筆耕役のようなものだ。"対ゲリラ作戦における民間人死傷者... に関する新たに現れた証拠にかんがみて(原文のまま)," 不幸な大将は、今や、元々の調査を見なおすのは「自重したい」と、ここでも、また大きな(原文のまま)の注記がいるが-のたまっている。「関する」証拠とは、もちろん、アメリカがアジザバードで、大半女性と子供の、おそらく90人ほど殺害したことだ。アフガニスタンにおける哀れなNATO同盟諸国中の我々の役割を率直に認めようではないか。今年だけでも、500人以上のアフガニスタン民間人を虐殺したのだ。この中には、7月、結婚式に対するNATOミサイル攻撃で、47人の客をDeh Balaの村中に散り散りに吹き飛ばした件も含んでいる。

オバマもマケインも、バグダッド政府が崩壊した際、兵士たちを大急ぎでイラクに戻す前に、本気でアフガニスタンで勝利するつもりでいるのだろうか。イギリスが19世紀にできなかったことで、ロシアが二十世紀末にできなかったことを、アメリカは21世紀の初めに実現しようとしており、おまけに、このひどい戦争を核武装したパキスタンにまで持ち込もうとしている。またしても夢想だ。

強力な国家の無力さを理解していた、ジョセフ・コンラッドなら、きっとこれをもとに何か書いたことだろう。そう、アメリカは、アフガニスタンで勝利した後に敗北したのだから、またもや勝利しようとして、敗北することになろう。そういう事はおきるものだ。

記事原文Robert Fisk's World: Why does the US think it can win in Afghanistan?

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記事原文には300を越すコメントが書き込まれている。

ニューヨークで自民党の麻生首相が、憲法解釈を見なおすことにふれた集団的自衛権というもの、実態は、アメリカとその同盟国(属国)の集団的先制虐殺権だろう。

民主党の小沢氏は、まさにこの記事にあるアフガニスタンのISAFへの派兵が方針だ。

つまり、選挙結果が、二大派閥(二大政党というのは、マスコミが作り上げている虚構だ)のどちらにころんでも、いや大連立をしてでも、アフガニスタン新植民地戦争へ属国日本軍参戦は、規定事実だろう。困難な憲法破壊を、とりあえず迂回して。派閥間で政権が移っても政治は浄化されない。二大派閥政治は強化はされるかもしれないが。

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08/10/01追記:なわのつぶや記0802という記事を拝見した。上記コメントと同じ意見の方も、おられるのだ。

2008年9月26日 (金)

アフガニスタンにおけるドイツの戦争

Ludwig Weller

2008年9月24日

アフガニスタンに駐留する3,500人のドイツ兵士が「制服を着た建設労働者」にすぎないとする公式説明は、もはや筋が通らない。彼等が巻き込まれている出来事は、日々残酷さを強めつつある。ドイツ兵士たちは、益々多くの武装勢力と民間人を殺害するか、彼等自身が、殺害されつつある。

アフガニスタンへの駐留を極めて好意的に見ている連邦軍協会(Bundeswehrverband)でさえもが、ごまかしと、危険を控えめに言っていると、ドイツ政府を非難した。「我々は戦争中なのです」と協会の会長ベルンハルト・ゲルツは報道陣に語った。

社会民主党 (SPD)の軍事専門家イェルン・ティーセンと自由民主党 (FDP)のビルギット・ホンバーガーが似たような気分を表現している。「政府は煙幕をはっていて、国民的論議を恐れている」ホンバーガーは、ファイナンシャル・タイムズ・ドイチェランドにそう語った。ドイツは、アフガニスタンにおいて戦闘活動を行っている。

今週、ヴェルト・オンラインは、ドイツとアメリカの諜報機関筋が、クンドゥズとファイザバードのドイツ軍事基地へのロケット弾攻撃数が増加していることは「警告標識」なのかも知れないと語ったと報じた。ウェブ・サイトによると、カーブルのドイツ将校たちはこう懸念している。もし20人なり30人の兵士が一回の攻撃で殺害されたらどうなるだろう?

9月始め、偽装爆弾が北部アフガニスタンの都市クンドゥズ近くで爆発し、29歳のドイツ人上級曹長が死亡し、空挺部隊員三名が負傷した。

一日後、国際治安支援部隊(ISAF)に所属するドイツ兵達が女性一人と子供二人を殺害し、更に四人の子供を負傷させた。彼等が乗っていた二台の民間車両がドイツの憲兵とアフガニスタン人兵士と警察が運営している検問所に接近した際に、砲火を浴びたもの。

国防省によると、二台の車両は当初、静止させられたのだが、彼等の検査をする前に、車両の一台が「突然動いた」。ドイツ兵達と、恐らくはアフガニスタンの治安部隊メンバーも威嚇射撃をしたのだ。更に、検問所からおよそ100メートル離れた車両にいた治安部隊が一両目の自動車に発砲した。

ファイナンシャル・タイムズ・ドイッチェランドの報道によれば、逃げる自動車に発砲したのはドイツ兵達だけだったという。しかしながら、交戦規則は明らかで、アフガニスタン警察だけが発砲すべきなのだ。

その最中にドイツ兵達が怖じ気づき、アフガニスタン人家族に向かって致命的な砲撃をしたという可能性は高い。「北部アフガニスタンのわが国の兵士たちに対して、かなりの数の攻撃があるという事実が、兵士たちの神経に、大きく影響していたろう。これは驚くべきことではない」連邦軍協会(Bundeswehrverband)のゲルツ委員長は語っている。

無辜の男性、女性と子供たちの殺害は、アメリカとそのNATO同盟諸国によって遂行されつつある新植民地戦争の不可避的な結果だ。占領軍はタリバンが主導する武装勢力を、益々暴力的に鎮圧しようとしている。アフガニスタンを占領している軍隊は、急速に増強する武装抵抗勢力と直面している。ドイツが6月に北部アフガニスタンの緊急対応部隊の指揮を引き継いで以来、ドイツ兵士は占領勢力として見なされており、そういうものとして反抗されている。

ドイツの民間人攻撃の理由を理解している、フランツ・ヨセフ・ユング国防相(キリスト民主党、CDU)による、ドイツ国軍が、アフガニスタン国民の間で好評を博し続けている、という最近の強い言葉は皮肉であるばかりでなく、日々のドイツ軍哨戒隊に対する攻撃によって、反証されている。

武装勢力による攻撃は、今年50パーセント増加したと推定されている。ここ何週間も、アメリカと同盟諸国の軍隊は、イラクよりも、アフガニスタンで、より多くの兵士を失っている。ドイツ政府と事実上全ての野党も、このことは良くわかっていながらも、彼等は派兵をしっかり支持し続けている。

上院軍事委員会議長ウルリケ・メルテン(SPD)は、10月に国家の権限を更新した際、即座にアフガニスタン駐留ドイツ兵人員の上限を1,000人増加し、4,500人とする政府提案を支持するよう呼びかけた。「明らかに悪化した状況にあっては、定数を増やすということで答えるべきだ」と彼女は述べた。

ユング国防相は、クンドゥズ ドイツ兵士とその戦闘作戦への支持を誇示するため予告なしの訪問も行った。

8月中旬、クンドゥズの南35キロで、ドイツ哨戒隊が自爆テロによって攻撃された。軍関連情報によると、自爆犯は、爆弾を爆破させる前に、オートバイを 哨戒隊に極めて近くまで接近することに成功した。爆発は極めて大規模だったため、車両を破壊し、兵士五人が負傷し、うち二人は重傷をおった。

アフガニスタンで、ドイツ兵の配備が始まった2002年始め以来、28人のドイツ兵士が死んでいるが、ドイツ兵士によって殺害された、民間人や武装勢力の人数の正確な数値はない。9月始め、ドイツの哨戒隊が、襲撃者とされる一人の人物に致命的な負傷を負わせたと発表した。北部アフガニスタン、バダフシャーン州の警察署長によると、殺害された男性は非武装の羊飼いだったという。

こうした最近の攻撃が、アフガニスタンにおけるドイツの作戦を巡る新たな議論を駆り立てた。世論調査では、ドイツ人の圧倒的大多数が戦争に反対なのに、既成政党は、かたくなにドイツ参戦を擁護している。

公的な政界であがっている批判の大半は、より積極的な軍事行動を要求することを狙っている。グリーンは、かつてSPDと連立していた時に、ドイツ軍のアフガニスタン配備に賛成しており、今ではいかなる撤退にも断固として反対している。議会内会派グリーンの委員長、ユルゲン・トリッティンは、軍事作戦は必要であり、他に代替案はありえないと語っている。

とはいえ、多くの評論家たちは、戦争に対する反対が増えていることが、政治的に一触即発の問題となりかねないという懸念を表明している。

社説で、スーデドイッチェ・ツァイトゥンクは、「メルケル首相から、フランク-ワルター・シュテインマイアー外務大臣から、ユング国防相に至るまでの、責任ある政治家たちが、自分たちのアフガニスタン政策を国民に説明する上で、本腰をいれていないこと」を非難している。コラムは、国民に真実を語ることが必要だと主張している。ヒンドゥークシ山脈で、ドイツ兵達が一緒の人道主義的支援機関として活動している等というお伽話は、最早誰も信じてはいないのだから、ドイツの利害と、ドイツの軍事行動実施に対する公然としたキャンペーンを始めるべき時期に至ったのだ。

そしてこれこそまさに、なぜこの戦争が遂行されているのかを示している。これは「デモクラシーと自由」のための「公正な戦い」どころではないのだ。逆に、アメリカとその同盟諸国は、この国を、資源豊かな中央アジアへの作戦を展開するための地域の基地にすることを狙った新植民地戦争を遂行しているのだ。ベルリンのあらゆる既存政党は、ドイツ国軍撤退など論外だということで一致している。これは、政府がヒンドゥークシ山脈における兵員を支援すべく、エリートのKSK特殊部隊分遣隊を派兵したばかりで、タリバンを捜し出し、絶滅する任務を彼等に課しているという事実によって裏付けられる。

下記も参照:

アフガニスタンとイラクから全兵員を撤退させよ! 戦争と軍国主義に対する社会主義者の回答

Socialist Equality Party (イギリス) およびPartei fur Soziale Gleichheit (ドイツ)の声明(英文)

[2008年9月20日]

元記事のURL:www.wsws.org/articles/2008/sep2008/afgh-s24.shtml

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商業マスコミのみならず、多くの方々が「二大政党間での政権交代」を歓迎しておられる。

小沢氏、以前から、アフガニスタンの国際治安支援部隊(ISAF)への派兵を主張している(『世界』2007年11月号)。撤回したとは聞いたことがない。おりしも、アメリカから、しつこく貢献要求という記事が報じられている。

湾岸戦争時、率先してアメリカのお先棒を担ぎ、莫大な資金を用意したのも小沢氏。

まもなくおきることは、「二大政党間の政権交代」ではなく、同じ穴のむじなの間での、議席たらい回しにすぎない。そもそも、二大政党(派閥)化を無理やり押し進める、小選挙区制を強引に導入したのが、小沢氏であり、それも商業マスコミは例によって強力に支援した。

自民党・民主党、本来の双子がお互い別人を装っている二派閥間の想定内の展開。

麻生氏も小沢氏も、アメリカというお釈迦様の掌上で動き回る走狗。

もちろん、商業マスコミは、幼い少女の事件は追いかけても、全国民に大きな影響を与える、小沢氏の外交・防衛政策の実態を追いかけることはしない。

911詐欺選挙にこりず、オレオレ詐欺にまたもやだまされ、属国はアフガニスタン派兵。

2008年9月24日 (水)

9/11に関する画期的なロシアのTV討論 イワショフ将軍、ティエリー・メイサン、ジュリエット・キエザおよびロシア人専門家が参加

Webster G. Tarpley

Global Research、2008年9月9日

ワシントン DC、2008年9月9日

ティエリー・メイサンが、彼と他の主要な9/11の真相に関する国際的専門家が、ロシア国営放送の全国番組で、今週金曜9月12日に初めて放送されるテレビ討論ビデオ収録を終えたとモスクワから報じた。徹底的で、自由奔放な議論が、2001年9月11日に一体本当は何が起きたかと、9月11日についての、きわめて多様な意見が、キエザと、ローマのテレマコ・プロダクションズのフランコ・フランカッシによる制作、監督のドキュメンタリー映画「ゼロ」ともに提示される。こうしてロシア人は、9/11の真実に関する、前例のない夜を経験しようとしている。

テレビ放映はゴールデンアワーに行われる。出席者には、レオニード・ イワショフ将軍がいるが、9/11当日ロシア軍司令官で、アメリカの公式説明を積極的に批判してきた人物だ。彼はロシアにおける主導的な戦略思想家であり、イワショフは現在モスクワの戦略的文化財団(fondsk.ru)の研究員である。ジュリエット・キエザは、イタリア北西部アスティ地域選出のブリュッセルにあるヨーロッパ議会の議員だ。キエサは、ヨーロッパ議会における、9/11真相問題の主要なスポークスマンであり、ドキャメンタリー映画「ゼロ」と、2007年晩夏に、イタリアで刊行されて以来、大いに衆目を集めた同名のエッセイ集の、陰の原動力だった。パリのヴォルテール・ネットワークの創立者で主宰者であるティエリ・メイサンは、9/11にかかわるアメリカの公式説明を初めて批判した一人だ。彼は「9/11: The Big Lie(巨大な嘘)」、およびペンタゲートを含む何冊もの本の著者である。彼は2005年11月、ブリュッセルでの、平和の枢軸も組織した。

金曜の晩モスクワで放送される議論に参加する十人ほどのロシア人参加者の中で、我々を最も引きつける話者の一人は、9/11の出来事を、地球軌道上、国際宇宙ステーションの自席から観察していたロシア人宇宙飛行士だ。この宇宙飛行士は、膨大な煙の柱が、ニューヨークからの大西洋上まで広がるのを観察しながら、膨大な量の写真とビデオを撮影したが、それは自動的にヒューストンとモスクワの両方に送られたことを、テレビ放送で詳しく語る。「我々はこれらの画像をきわめて慎重に研究しています。そして、我々はきわめて興味深いものを見ています。」と、この宇宙飛行士は辛辣に語った。

この議論のホストは、この画期的な放送は、メドベージェフ大統領とプーチン首相のクレムリン政権が、9/11に関する特定の視点を公式的に支持することを意味するわけではなく、むしろ、自由でオープンな議論を強く支持する姿勢を反映するものだと強調した。とはいえ、ロシアの首都の観測筋は、グルジアの独裁者で、アメリカのかばん持ち、サアカシビリによる南オセチアへの8月7-8日の虐殺攻撃の後、ロシア政府の雰囲気が大きく変わったことを感じている。ロシア人は、この見解によれば、do favorsアメリカ、特にワシントンの公式神話 9/11と、対テロ戦争に関して、うんざりしており、このテレビ放送は、明らかな、誤解の余地がない形で、このメッセージを伝えるだろう。

Webster G. Tarpley

Webster G. Tarpleyは、「9/11 Synthetic Terror: Made in USA」の著者である。彼の新刊は「Obama ? The Postmodern Coup: The Making of a Manchurian Candidate」。これらの著書はamazon.comで購入可能。彼の最新刊、「Barack H. Obama: The Unauthorized Biography」は、9月10日からlulu.comで購入可能。

Webster G.  Tarpleyは、Global Researchの常連寄稿者である。  Webster G.  TarpleyによるGlobal Research記事 

 


 

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免責条項:本記事の見解は、著者のみが責任を負うものであり、必ずしもCentre for Research on Globalizationの見解を反映するものではありません。

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© Copyright Webster G. Tarpley, Global Research, 2008

記事原文のurl:www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=10130

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調べたところ、この放送下記で見ることが可能なことは分かった。発言の文字おこしもある。ただし全てロシア語。人さまの援助を得るなりして、なんとか内容を把握したいものだ。

http://www.1tv.ru/gordonkihot/fbd=4048

ドキャメンタリー映画「Zeroゼロ」はYoutubeで見ることができる。(ナレーション等は英語)

Zero: An Investigation Into 9-11 - part 1
http://jp.youtube.com/watch?v=O-YqET96OO0&feature=related  

Zero : An Investigation Into 9-11- part 2
http://jp.youtube.com/watch?v=DGH2mr3Qows&feature=related

Zero : An Investigation Into 9-11- part 3                        

http://jp.youtube.com/watch?v=Lrj22lX8Bdo&feature=related

Zero : An Investigation Into 9-11- part 4
http://jp.youtube.com/watch?v=KMvJUjZ8rlM&feature=related

2008年9月22日 (月)

ボリビアの不安定化と"コソボ・オプション"

Michel Chossudovsky

Global Research、2008年9月21日

- 2008-09-20

ボリビア東部諸県の分離は、アメリカの諜報組織と連携した、アメリカ国務省によっておぜんだてされた、アメリカが支援する秘密作戦の一部だ。

エル・ポルベニールでのエボ・モラレス支持者殺害に関与した、自動火器で武装した暗殺隊はアメリカによって密かに支援されている。ある記事によると、「USAID(米国国際開発庁)は、活動中の「移行イニシアチブ室」をボリビアに有し、右翼反対派の地方政府や運動の訓練、支援に何百万ドルも注ぎこんでいる。」(The Center for Economic and Policy Research=経済政策研究センター、2008年9月)。アメリカは、様々な反対派に対しても、全米民主主義基金を通して支援を行っている。

追放されたアメリカ大使、フィリップ・S・ゴールドバークは、世界中のアメリカ大使館における様々な「活動」を直接監督する、ジョン・ネグロポンテ国務副長官の指揮の元で働いていた。この点では、舞台裏で働きながらも、ネグロポンテはコンドリーザ・ライス国務長官よりはるかに重要な役割を果たしている。彼はまた、中米やイラクの、体制転覆や、準軍事組織の暗殺隊に対する秘密支援の、主要計画立案者の一人としても知られている。

在ボリビア大使としての、フィリップ・S. ゴールドバークの任務は、国家としてのボリビアに分裂をひき起こすことだった。2007年始め、大使として任命される前は、コソボ、プリシュティナでアメリカ代表団長(2004-2006)として働き、1999年NATOによるコソボ占領後、政治活動も取り込んだ、KLA準軍事集団指導者との常任連絡係をしていた。

CIAによる支援を受け、その指導者たちが今やコソボ政府を率いるコソボ解放軍(KLA)は、組織犯罪や麻薬取引との広範なつながりで知られていた。コソボで、ゴールドバークは、後の「独立」コソボ政府設立につながる、セルビアからのコソボ分離をお膳立てすることに関与した。

1990年代、ゴールドバークは、ユーゴスラビア崩壊に積極的な役割をになっていた。1994年から1996年、彼は国務省のボスニア部門の責任者だった。彼はワシントンからの特使リチャード・ホルブルックと緊密に協力して作業し、デイトンにおけるアメリカ交渉団主席として中心的役割を果たし、1995年のデイトン合意署名に至らせた。これらの合意がボスニア-ヘルツェゴビナ分割を助長した。より一般的に言えば、二人が国家としてのユーゴスラビアの崩壊と不安定化をひき起こしたのだ。1996年、ゴールドバークは、マデレーヌ・オルブライト国務長官と共に、1999年ユーゴスラビアに対する戦争を始める上で主要な役割を演じたストローブ・タルボット国務副長官(1994-2000)の特別補佐官として働いた。

ジョン・ネグロポンテの中心的役割

ジョン・ネグロポンテ国務副長官は秘密作戦の遂行において中心的役割を演じている。彼は1981年から1985年、在ホンジュラス・アメリカ大使として勤務した。テグシガルパ駐在大使として、ホンジュラスに基地を擁するニカラグア・コントラの傭兵を支援し、監督する上で、彼は主要な役割をになった。ニカラグアへの越境コントラ攻撃は、50,000人ほどの民間人を殺害したとされている。同じ時期に、ネグロポンテは「ワシントンの支援のもとで活動し、アメリカが支援する政権への反対者を、何百人も暗殺したホンジュラス軍暗殺隊」を立ち上げるうえで大活躍した(Bill Vann著、Bush Nominee linked to Latin American Terrorism「ブッシュが任命した人物はラテン・アメリカのテロに関連」を参照。 )

「グスタボ・アルバレス・マルティネス将軍の支配の元、ホンジュラスの軍事政府は、レーガン政権の親密な同盟者であり、対抗する政治家を何十人も、古典的な暗殺部隊方式で「失踪」させていた。

    (Peter RoffとJames Chapinによる、 Face-off: Bush's Foreign Policy Warriors「対決: ブッシュの海外政策戦士たち」を参照)

これも、彼を、クリントン政権の元で、アメリカの国連代表に任命する妨げにはならなかった。

サルバドル・オプション

ネグロポンテは2004年にイラク大使となり、そこで彼は、主に中米の暗殺隊を手本にして、アメリカ占領のための「治安体制」を作り上げた。このプロジェクトは、何人かのライターたちによって、「サルバドル・オプション」と呼ばれている。

バグダッド駐在の間、ネグロポンテは安全保障問題の顧問として、エルサルバドル特別作戦の元隊長を雇い入れた。この二人は、1980年代の中米にまでさかのぼる親密な同僚だ。ネグロポンテがホンジュラスで暗殺隊の立ち上げに忙しかった頃、スティール大佐は、駐エルサルバドル・アメリカ軍顧問団(1984-86)担当だった。「彼の担当は、紛争が絶頂期の間に、旅団レベルで特殊工作部隊を立ち上げることだった。」

「こうした軍隊は、得られる人材の中でも最も残忍な兵士で構成されており、スティールがベトナムでの軍務の間に詳しくなった、小部隊による作戦を踏襲していた。彼らの役割は、地域を獲得することを狙うのではなく、武装勢力の指導部、支持者、供給源や前進基地を攻撃することだ。」(Max Fuller、For Iraq, "The Salvador Option" Becomes Reality「イラクにとり『サルバドル・オプション』が現実化」、Global Research、2005年6月)

イラクで、スティールは、特別警察コマンドとして知られる、新たなエリート・イラク人の対ゲリラ部隊と仕事をするよう命じられた。この文脈で、ネグロポンテの狙いは、イラク民間人に向けられた秘密のテロ攻撃をひき起こすことで、民族的な分裂と派閥抗争を促進することだった。

ネグロポンテは2005年、国家情報長官に任命され、更に2007年には国務省で二番目の地位を占めることになった。

コソボ・オプション: ハイチ

テロリスト準軍事集団を支援する「コソボ・モデル」がラテン・アメリカで使われたのは、これが初めてというわけではない。

2003年2月、ワシントンはジェームズ・フォーリーのハイチ大使任命を発表した。ゴールドバーク大使とフォーリーは同じ「外交閥」の一員だ。フォーリーは、コソボ戦争の間、クリントン政権のもとで国務省スポークスマンだった。彼は初期に、コソボ解放軍(KLA)への支援の道を開拓することに携わった。

十分に実証されていることだが、コソボ解放軍(KLA)は、麻薬を売って得た金による財政支援を受け、CIAによって支援されていた。(ミシェル・チョスドフスキー、Kosovo Freedom Fighters Financed by Organized Crime「コソボ解放戦士は、組織犯罪から財政支援を得ている」Covert Action Quarterly、1999年、を参照 )

コソボ戦争当時、当時の在ハイチ大使ジェームズ・フォーリーは、国務省ブリーフィング担当で、ブリュッセルのNATOでの同等職務担当、ジェイミー・シーと緊密に協力していた。1999年3月24日、NATOが率いた戦争の猛攻撃のわずか二カ月前、ジェームズ・フォーリーは、KLAを立派な政治組織へと「変身」させることを主張した。

「政治指向の組織に変身するならば、彼等[KLA]とは良い関係を作り上げたい' ..`彼等が我々が望む通りの政治的役割を演じるようになってさえくれれば、我々が彼らにしてあげれらる忠告や支援は沢山あると思う... "変身する努力のために、我々が彼等を助けることができ、彼等が我々の援助を求めるのであれば、人さまにあれこれ言われることはないと思っている..' (1999年2月2日ニューヨーク・タイムズ引用記事)

言い換えれば、ワシントンの狙いは「体制転覆」だった。ラバラス政権を転覆させ、「民主プラットフォーム」や、指導者が元FRAPHやトントン・マクートのテロリストだった自称民族解放再建戦線(FLRN)を統合し、従順なアメリカ傀儡政権をしつらえた。(より詳細については、ミシェル・チョスドフスキー、The Destabilization of Haiti「ハイチの不安定化」、Global Research、2004年2月 ハイチ:米国協賛のクーデターとして益岡賢氏の翻訳あり)

アリスティド政府の崩壊をもたらした2004年のクーデター後、国家再建を支援すべく、アメリカ国際開発庁(USAID)により、KLA顧問がハイチ内に呼び入れられた。(アンソニー・フェントン、Kosovo Liberation Army helps establish "Protectorate" in Haiti「コソボ解放軍、ハイチ国内の『保護領』設立を支援」、Global Research、2004年11月、を参照)

特に、KLAコンサルタントは、FRAPHやトントン・マクートの元メンバーを兵卒に採用し、ハイチ警察部隊再建を支援するのが仕事だった。

「移行イニシアチブ室」(OTI)を支援するため ... 以前は暴虐な軍だったものを、現在のハイチ警察部隊に組み込むための助言をえるべく、三人のコンサルタントに、USAIDが給与を支払っている。で、その三人のコンサルタントとは誰だったのだろう? その三人のコンサルタントはコソボ解放軍メンバーだった。」(フラッシュポイント・インタビュー、2004年11月19日、www.flashpoints.net )

USAID(米国国際開発庁)の「移行イニシアチブ室」(OTI)

サルバドル/ コソボ・オプションは、国を分裂させ、不安定化させるというアメリカ戦略の一部だ。USAIDが資金を出している在ボリビアOTIは、在ハイチOTIとほとんど同じ機能を演じている。

stated purpose ofアメリカの秘密作戦の、究極的には、主権を有する政府を不安定化させる目的で「解放軍」に秘密の支持と訓練を提供することだ。コソボでは、1990年代のコソボ解放軍(KLA)訓練は、ペンタゴンとの契約で、民間傭兵企業であるミリタリー・プロフェッショナル・リソーシズ・インク(MPRI)に委託されている。

パキスタンとコソボ・オプション

パキスタンにおける最近の展開が、パキスタンの主権を侵害する直接的なアメリカ軍介入の方向へと向かっている事は、指摘しておく価値がある。

既に2005年、アメリカ国家情報会議報告とCIAは、最近バルチスタンで見られたような、内戦、流血、州同士の対立関係で十年間も苦しめられている国、パキスタンは「ユーゴスラビア的な運命」になると予測していた。(Energy Compass、2005年3月2日)。

パキスタン上院国防委員会の2006年報告によると、イギリス諜報部が、バルチスタン分離主義者運動の支援に関与している。(Press Trust of Indo、2006年8月9日)。バロチスタン解放軍(BLA)は、麻薬取引による資金による財政支援と、CIAによる支援という点で、コソボKLAとかなり類似している。

ワシントンは、パキスタンのバルチ族地域を、イランのバルチ族地域と、更にはアフガニスタン南端を統合した "大バルチスタン" [大アルバニアに似た]を作り出し、それによってイランとパキスタンそれぞれの政治的分裂過程をひき起こすことがお気に入りのようだ。(ミシェル・チョスドフスキー、The Destabilization of Pakistan, December 30, 2007)
パキスタンの不安定化、2007年12月30日)

Michel  ChossudovskyによるGlobal Research記事


 

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© Copyright Michel Chossudovsky, Global Research, 2008

記事原文のurl:www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=10284

2008年9月21日 (日)

ボリビアの上流階級はマスコミによるクーデターを狙っている

Justin Podur

The Bullet - 2008-09-15

ボリビアの大衆運動は、民主主義と合法的政府を活用して、主権の確立、一層の平等と、発展を推進しようと試みている。国内の一部裕福な県の何人かの知事が率いる「メディア・ルナ」という名の対抗相手は、彼らの計画を止めさせるため、暴力行為や破壊活動を用い、内戦と混乱をひき起こそうとしている。ボリビア政府とエボ・モラレス大統領にとっての難題は、相手の挑発を成功させることなく、暴力行為を止めることだ。この課題に対応すべく、モラレスは、大半の中南米政府の支持を得ている。彼に敵対する連中は、アメリカ合県国政府の支持を得ている。

いずれの側も実証済みのモデルを活用している。ボリビアの進路は、ベネズエラのそれと共通点がある。選挙による改革の道が正しいか否かについて長い議論の後、選挙戦略が入念に計画され、それを支持する社会運動もあり、懐疑的な運動もあった。選挙には勝利したものの、地方政府を含め、国家機関の大半は、依然として旧来の上流階級と現状維持派の手中にあり、経済は海外の大国や地方の上流階級に支配されたままであるため、新政府は困難に直面した。国家を運営しながら、政府を再建しようと試み、外国の干渉に対処し、法律や憲法を、改革を深化させるために利用するということは、大変に困難な課題だ。しかし、政府の改革への企ては、国民の支持と、より重要なことに、大衆組織によって、強化され、推進されてきた。しばらくの間、ワシントンの注意が中東に集中していたという事実のおかげで、多少は身動きできる余地が与えられていたのだ。

反対派は、実績あるモデルも活用している。2002年にベネズエラで、2004年にハイチで、アメリカが支援する上流階級の運動は、選挙で選ばれた政権に対するクーデターを実行する手法を開発した。西側マスコミは、上流階級を支持し、選挙で選ばれた政府やその指導者を、「支配者」やら「独裁者」として歪んだ姿で描き出す。これらマスコミ報道は、翻訳され、国内で再放送され、人気のある政府を、あたかも、国際的に孤立しているかのように見せかけることができる。アメリカ大使や他の人々も、マスコミのキャンペーンや、反対派の財政、政治、および軍事組織に貢献することができよう。最終的な段階では、軍隊あるいは準軍事的勢力が必要となろう。彼らは、何かアッと言わせるような暴力行為の場面を作り出すだろう。おそらくは、非武装の反対派を攻撃し、彼らの死を政府の責任にするだろう。あるいは、彼らは反対デモをしている反対派に対峙する、政府支持者たちを攻撃することも可能だ。

後者の場合、政府支持者による自衛あるいは報復としての武力行動、あるいは依然として政府に忠実な軍隊による鎮圧行動に至る可能性がある。いずれにせよ、これは政府の背信および暴力行為という口実となり、アメリカ大使館における、意図の見え透いた記者会見で、アメリカによる政府退陣要求ということになりかねない。

現時点では、ボリビアにおいて、国際的マスコミの反政府キャンペーンが全開状態で、アメリカは反対派の組織化を援助し、9月10日以来、反対派そのものによって、要件としての虐殺が生み出され、その犠牲者は政府支持者だ。地方政府がボリビア政府を支持し、軍隊が、そうであろうと思われるが、政府に忠誠であれば、ボリビア政府はこの危機を乗り切れる。しかし、ボリビア人が自分たちの権利を主張するのを止めさせようとするこの企みで、命が無意味に失われているのだ。

国家再生

現在の危機への道は、わずか数週間のような短期間のものではないが(若干の背景情報については、我々による以前の記事「危機に立つボリビア」、ZNet 08年3月を参照)、現在の暴力行為の引き金になったのは、2008年8月28日、エボ・モラレスが新憲法採択に対する国民投票の日を宣言したことだ。投票は本来2008年12月7日に行われる予定で、それは国家再生を意味するものなのだ。つまり土地改革、天然資源国有化、そして上流階級が民衆向けの政策を妨害することを一層困難にする憲法改訂だ。

上流階級の戦略的主要目標は、政府に憲法採択の国民投票を延期させるよう強い、憲法採択の国民投票を避けることだ。そうなれば、エボは国民的支持を失い、民衆向けの改革に向けた能力や勢いが破壊されてしまう。モラレス政府は、極めて人気があり、上流階級もそれを知っている。彼らの戦略は、国全体の代表者であると主張するのではなしに、古い任命権ネットワーク(また、最近では更に暴力行為も用いて)で支配している自分たちの地域の自治を求めているとするものだ。2008年5月には、国際的な監視も、法的根拠もなしに、彼らの支配下にある五つの地方政府が組織した自治に関する手作りの住民投票を行った。モラレス政府は、これを違法として無視したが、リコール国民投票が2008年8月16日に行われると、(この時は国際監視団も入り、法的根拠もあった)、モラレスは投票の67%を得た。

二週間後の8月28日、モラレスは、12月7日を憲法採択の国民投票の日と設定する大統領命令を発した。9月2日、選挙裁判所は、法解釈上の理由から、国民投票反対を決定した(選挙裁判所は、国民投票は布告によって宣言することはできず、野党が優勢な上院も含め、議会を通過することが必要だと主張した)。反対派側の五県の知事は、国民投票を中止するよう要求した。反対派のデモ参加者たちが道路にバリケードをおき始めた。9月5日彼らはコビハの空港を占拠し、サンタ・クルス(上流階級の本拠地の一つ)と首都ラパスを結ぶ道路を閉鎖し、更にボリビアとブラジルを結ぶ道路を閉鎖した。彼らは政府庁舎の占拠を企み、挑発に乗らないよう命令されており、その命令に従ったボリビア軍と衝突した。

最初の一週間、こうした反対派の抗議は失敗した。彼らは望んでいた報復も、待望していた反政府運動への国民の支持も実現できず、経済的損害をもたらしただけだった。アメリカ大使フィリップ・ゴールドバークと会談していた裕福な知事ルーベン・コスタスのような反対派指導者たちは、成功できないことを憂慮していたに違いない。そこで抗議の二週目には、反対派はエスカレートし、破壊活動と殺害への道を辿ったのだ。バリケードは反対派が支配する地域でのエネルギー不足をひき起こしたが、9月8日のビラモンテのガス・プラント占拠と、9月10日のブラジル向けパイプライン攻撃で問題は悪化した。9月11日、パンド県コビハでの「衝突」で、11人ほどの人々が亡くなった。政府は抗議する人々に対し、催涙ガスや散弾を使い始めた。モラレスは自制の継続を呼びかけているが、「我慢にも限界がある」と警告している。

9月12日、コビハのすぐ外での準軍事組織による政府支持デモ攻撃で、(ボリビア政府筋はこれを虐殺と呼んでいるが)30人が殺された。生存者の一人、アントニオ・モレノは、AP通信社に、農民のデモ参加者は武器をもっていなかったと語った。武装した連中が、トラックから彼らを機関銃で銃撃した。モレノの説明はこうだ。「連中は我々を侮辱し、連中は我々を射撃しました。彼らは武装しており、棒を持った連中もいました。800メートル後退したのですが、誰かが連中に立ち向かわなければならないと言ったのです。戦いとなり、連中の何人かは武装解除しましたが、連中の武器を取り上げることはできませんでした。」政府は、パンド知事で、反対派の指導者であるレオポルド・フェルナンデスを、暴力行為の責任があると非難し、反対派がやとった準軍事組織の暗殺者連中が引き金を引いたのだと主張した。反対派は農民たちが最初に攻撃したのだと主張して反論した。

こうした殺害の犠牲者は、反対派が支配する地域における、大衆的先住民運動や団体、政府支持者だ。こうした団体は、リコール国民投票で、エボに多数の投票をもたらす力となったので、上流階級から報復の対象とされていたのだ。パンド県で攻撃されたものの中には、土地改革機関、農夫を支援する人権擁護NGO、および地方の先住民同盟がある。パンド虐殺の犠牲者の中には、有名な先住民指導者のベルナディノ・ラクアもいた。

9月13日と14日、エボ政府はパンドの非常事態を宣言した。政府は、反対派が占拠していた空港や政府庁舎を奪回するのに軍隊を用いた。フェルナンデス等の逮捕命令も発せられた。反対派の暴力行為にも、アメリカの介入にも、忍耐は限界に達した。ベネズエラ駐在アメリカ大使は、好ましくない外交官とされ、退去を命じられ、大使館は、交渉、譲歩、あるいは退陣を要求する通常の記者会見を行う機会も拒否された。チャベスもこれに習い、彼に対するクーデター計画が発覚したと主張して、ベネズエラ駐在アメリカ大使を追放し、ホンジュラスは着任予定のアメリカ大使への信任状を拒否した。

アメリカも同じやり方で反撃し、「深刻な結果」となると脅して、ベネズエラとボリビア大使を追放し、ベネズエラの大臣たちに対し、いつもの麻薬戦争を理由に(この麻薬戦争という言いがかりを払拭するには、更に別記事が必要で、ここでは詳細に語れない)経済制裁を宣言した。もしもアメリカと中南米の間の経済的関係が傷つけば、経済的、政治的にまずい結果となろう。エボは、イランを外交的に孤立化させようというアメリカの企てに逆らって、イランを含む中東を歴訪したばかりで、ベネズエラは11月にロシアとの合同軍事演習を行うことを発表したところだ。エクアドルのラファエル・コレア大統領は、ボリビアを手本にした、エクアドルのグアヤキル県でおきつつある国内の分離主義者運動について懸念を表明した。

ボリビア国内で、エボは反対派に戦略的勝利を収めさせないよう行動し、紛争で民衆向け政策が頓挫させられるのを防いだ。9月9日、危機のさなか、彼は上流階級との妥協上、受け入れを強いられていた一部閣僚を更迭し、大衆向け経済政策推進派の人々で置き換えた。彼は反対派との対話は開始したが、国民投票は予定通り12月7日に進めると主張した。反対派は9月14日にバリケードを撤去すると申し出た。政府はこの一歩は認めたものの、秩序回復には全く不十分だとしている。何十人もの人々の死を画策した以上、反対派は、単に一時的な戦術的撤退をするだけで許されるべきではない。彼らには、刑事訴追の上で、正当な法の手続きを受ける権利はある。彼らが、殺害、虐殺を画策した以上、正統な政府から譲歩を要求する権利は有しない。

ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ブラジル、アルゼンチン、チリ、その他の国々を含む中南米の指導者たちは、9月15日に会合し、ボリビアでの紛争を解決を検討する。アメリカの同盟国コロンビアさえも含め、事実上全員が、モラレス政府と、その国民の信任を支持し、分離主義の受け入れを拒否すると発表した。

エボを権力につけた運動は、反対派も知っている通り、静かに消え去ることはない。全国規模のクーデターを起こす力もない反対派は、自分達が支配する県においてすら、長期にわたって政府の「統治力の欠如」を流布するだけの国民的支持に欠けている。彼らの自暴自棄の狙いは、自分達の限られた行動を実際以上に大きく見せるためにマスコミを活用して、エボに譲歩を強い、国民の大衆運動を敗北させるための外部からの政治的圧力を作り出すことだ。結果的に、ボリビアの大衆向け対策の成功は、過去数週間、そして今後の、政府にまつわる虚偽の話が信じられてしまうか否かにかかっている。

Justin Podurは、トロントを本拠とするライター。ブログはwww.killingtrain.com.

翻訳記事原文のurl:www.socialistproject.ca/bullet/bullet136.html

2008年9月18日 (木)

王様は裸だ 第2章 大麻利用略史

第2章 大麻利用略史 (王様は裸だ ジャック・ヘラー)

我々は世界に挑戦する。私たちが間違っていると証明してみて欲しい!

あらゆる化石燃料とそれから作られたもの、更には紙や建築用の木材まで、地球を守るため、地球温暖化を防止し、森林破壊を止めるために禁止されたならば、

そうなったら、世界の紙と繊維の大半を供給できる、毎年再生可能な天然資源は一つしか存在しない。世界の全ての運輸、産業界、家庭用エネルギー需要をまかなえ、同時に公害を減らし、土壌を回復し、しかも大気まで清浄化してくれる...

その物質とは、これまで何度も出てきたものと全く同じ大麻...マリファナなのだ!

船と船乗り

90パーセント*の全ての帆(フェニキア人以前、少なくとも紀元前5世紀から蒸気船が発明され、商用化されてからずっと後迄(19世紀中期から後期迄)大麻で作られていた。

*残りの10%は、通例、亜大麻或いはカラムシ、サイザル、ジュート、マニラアサのような主要でない繊維である。

(Abel、Ernest、Marifana: The First 12,000 Years、Plenum Press、1980; Herodotus、Histories、5th Century B.C.; Frazier、Jack、The Marifana Farmers、1972; U.S. Agricultural Index、1916-1982; USDA film、Hemp for Victory、1942.)

「キャンバス」という言葉は(フランス語とラテン語と二度の移動を経た)ギリシャ語単語 "Kannabis."のオランダ語発音だ。*

*Kannabis - (Hellenized) 地中海ギリシャ語化された、ペルシャ語と古代北部セム語に由来するもので(カヌバ、カナボスム、Cana?、カナーフ)学者達は、シュメール語とアッカド語の基礎である、6,000年前のインド-セム-ヨーロッパ語族の曙にまでさかのぼっている。古代シュメール語/バビロニア語 K(a)N(a)B(a)、或いはQ(a)N(a)B(a)は、最も長く保持されている人類の基語の一つだ。1 (KNは籐で、Bは二つを意味する - 二つのアシ或いは両性だ。)

キャンバスの帆に加え、今世紀まで、事実上全ての艤装、錨綱、貨物用網、漁網、旗、覆い、槙肌(海水から船を保護する主なもので、梁の隙間や、若い梁の間の詰め物として使われた)は、マリファナ植物の茎から作られていた。

船員の服から、船員の、ロープ底で(時に)「キャンバス製」の靴の縫い目に至るまで、ことごとく大麻で作られていた。*

*16、17、18、或いは19世紀の平均的な貨物船、高速帆船、捕鯨船、或いは海軍の戦列艦は、帆、網等は言うまでもなく、50から100トンの大麻で艤装しており、塩害による腐食のため、毎年あるいは二年毎に、その全てを交換する必要があった。(アメリカ合衆国海軍兵学校、或いはボストン港の米国軍艦コンスティテューション、別名「オールド・アイアンサイド(=老装甲艦)」の構造参照)

(Abel、Ernest、Marifana、The First 12,000 Years、Plenum Press、1980; Ency. Brittanica; Magoun、Alexander、The Frigate Constitution、1928; USDA film Hemp for Victory、1942.)

更に、船の海図、地図、日誌、そして聖書も、西欧/アメリカ世界ではコロンブス(15世紀)の時代から1900年代初期まで、大麻繊維を含む紙から作られており、中国人の場合は1世紀以降そうだった。大麻の紙は大半のパピルス処方の50から100倍長持ちし、製造もコストも100倍楽で、安かった。

信じがたいことに、大麻製の帆、ロープなどの方が、船の木造部の建設よりも費用がかかったのだ。

海での大麻使用は禁じられていなかった...

織物と布地

1820年代までアメリカでは(また、世界の大半では20世紀まで)、衣服、テント、ベッドのシーツやリンネル、* ぼろ、掛け布、キルト、タオル、おしめ、等々に用いられたあらゆる織物と繊維の80%、更に国旗「星条旗」さえ、主として大麻繊維で作られていた。

何千年とは言わずとも、何百年もの間(1830年代まで)、アイルランドは最高のリンネルを、イタリアは世界最高の服地用生地を、大麻から作っていた。

*1893-1910年版のエンサイクロペディア・ブリタニカと、1938年、ポピュラー・メカニックス誌では、リンネルと呼ばれていた生地の少なくとも半分は、亜麻ではなく、大麻だったと推定している。 ヘロドトス(c. 450 B.C.)は、トラキア人が作る大麻の衣服は繊細さの点でリンネルと同等であり、「極めて経験がある人でないと、大麻か亜麻か識別はできない」と述べている。

こうした事実はほとんど忘れ去られてしまったが、大麻が木綿より柔らかいこと、木綿より良く水を吸収すること、木綿の三倍の引っ張り強度があり、木綿より何倍も長持ちすることを我々の先祖は良く知っていた。

実際、愛国的な本物、現代の名門「アメリカ革命の娘達」の母親達、ボストンとニューイングランドのDARは、ワシントンの兵士の軍服を作るため、1776年「spinning bees=紡ぎ蜂」を組織し、大半の糸が大麻繊維から紡がれた。歴史的に忘れ去られ(或いは検閲された)今や貶められているマリファナ植物無かりせば、大陸軍はペンシルバニアのバレー・フォージで凍死していたろう。

共和国の初期経済では、大麻の一般的利用は、アメリカ合衆国初代財務長官アレクサンダー・ハミルトンが、思考する時間をかけるほど重要で、1790年代の財務通知で、彼は「亜麻と大麻: これらの製造業者はお互いに非常に密接な関係にあり、往々にして混じり合っており、両方は一緒と見なすほうが良い。帆布は10%の税であるべきだ...」と述べている。

(Herndon、G.M.、Hemp in Colonial Virginia、1963; DAR histories; Able Ernest、Marifana、First 12,000 Years; 1985の映画 Revolution with Al Pacinoも参照のこと.)

..幌馬車は丈夫な大麻キャンバス防水シートに覆われて西へと向かい(ケンタッキー、インディアナ、イリノイ、オレゴン、そしてカリフォルニアへ*)2、一方、船は大麻の帆と綱を使い、「ホーン岬」を巡り、サンフランシスコへと帆走した。

*頑丈で有名なLeviの最初のジーンズは、カリフォルニアの1849年ゴールドラッシュでやってきた連中用に、大麻製の帆布とリベットで作られた。こうすれば、沈殿物から選鉱鍋で取り出した黄金で一杯になっても、ポケットは破れないのだった。3

手織り布は、世界中の人々によって「家庭用大麻耕地」で栽培した繊維からほとんど常に織られ続けてきた。アメリカでは、この伝統は最初の移住者達(1620年代)から1930年代の大麻禁止まで続いた。*

*1930年代、連邦麻薬局は議会に、多数のポーランド系アメリカ人は、裏庭で、冬の「ももひき」や 作業衣を作るため、依然として大麻を栽培しており、翌年の衣服を盗もうとする連中である麻薬局職員に対しては散弾銃で応じる、と報告している。

大麻畑の古さと密度が繊維の品質に影響する。農家が柔らかいリンネルのような繊維が欲しい場合には大麻を密集して植える。

経験的法則として、医療あるいは娯楽用に植える場合には、5平方ヤードに一粒種を植える。種をとる為に植える場合には、4から5フィート離す。

(Univ. of Kentucky Agricultural. Ext. leaflet、March 1943.)

粗い艤装や粗い布用の場合には、一平方ヤードに120から180粒の種子を植える。極細リンネルやレース用には、一平方ヤードに400粒植え、80から100日で収穫する。

(Farm Crop Reports、USDA international abstracts. CIBA Review 1961-62 Luigi Castellini、Milan Italy.)

1820年代後半には、新しいアメリカの手動綿繰り機(gin)(エリ・ホイットニーが1793年に発明した)は、大半がヨーロッパの主要な装置機械技術(道具と金型製造)のほうがアメリカより進んでいたので、ヨーロッパ製の「産業用」織機と綿繰り機 ("gin"はエンジンを縮めたもの)に置き換えられた。現代、アメリカ農業で使われているすべての化学物質の50パーセントが木綿栽培に使われている。大麻は化学物質を必要とせず、アメリカ政府とDEAを除けば、ほとんど雑草や昆虫の天敵がいない。

軽い木綿衣服が初めて、手で腐らせ、手で大麻繊維を分離し、紡ぎ車やジェニー紡績機で手紡ぎするより少ない経費で作れるようになった。4

けれども、丈夫さ、柔らかさ、暖かさと、長持ちするという特徴から、1930年代まで大麻は二番目に多く使われる天然繊維であり続けた*。

*大麻繊維には、THC或いは「ハイになる成分」は入っていないのではと、お考えかもしれない。その通りで、シャツを吸っても駄目なのだ! 事実、大麻繊維、ついでに言えば、他のあらゆる繊維を喫煙しようとするのは、命にかかわる危ないことだ!

1937年のマリファナ課税法以後、1936年からドイツ企業I.G.ファルベンのライセンス許諾による新たなデュポンの「合成繊維」が(特許の引き渡しはドイツの第一次世界大戦対米賠償支払いの一部だった)、天然の大麻繊維に取って代わった。(ヒトラー政権下で、I.G.ファルベンのおよそ30%はアメリカのデュポンが所有し、資金を出していた。) デュポンは1938年の特許取得後、ナイロン(1935年に発明された)も市場に投入した。

(Colby、Jerry、DuPont Dynasties、Lyle Stewart、1984.)

最後になるが、アメリカ農業で現代用いられている全化学物質のうち、およそ50%は木綿栽培に使われている点は留意すべきだ。大麻は化学物質を必要とせず、アメリカ政府とDEAを除けば、ほとんど天敵の雑草も昆虫もない。

(Cavendar、Jim、Professor of Botany、Ohio University、"Authorities Examine Pot Claims," Athens News、November 16、1989.)

繊維とざら紙

1883年迄、本、聖書、地図、紙幣、株や債権、新聞等を含む世界の全ての紙の75-90%は大麻繊維で作られていた。グーテンベルク聖書(15世紀); ラブレー(16世紀)の「ガルガンチュワとパンタグリュエル」中のパンタグリュエルとパンタグリュエリオン草の話、(17世紀)のジェームズ王欽定訳聖書、フィッツ・ヒュー・ラドロー、マーク・トゥエイン、ヴィクトル・ユーゴ、アレクサンドル・デュマらの作品、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」(19世紀)、そしてほとんど他の全てが大麻の紙に印刷されていた。

独立宣言の第一草稿(1776年6月28日)は、1776年7月2日に完成した第二草稿同様にオランダの(大麻)紙に書かれていた。これはその日実際に合意され、1776年7月4日に発表公開公表された文書だ。1776年7月19日、議会は「宣言」を羊皮紙 (加工した動物の革) 浄書複写するよう命じ、これが1776年8月2日代表団が署名した文書となった。大麻紙は、大半のパピルス製品の50から100倍長持ちし、製造費用も、手間も100倍少ない。

(植民地アメリカ人)と他の世界が、あらゆる紙を作るために使っていたのは、船主が紙に再生するようにスクラップとして廃棄された帆とロープだった。

他の紙材料は、主として大麻、時に亜大麻で作られた着古した服、シーツ、おしめ、カーテンやボロ*がスクラップ業者に売られたものだった。

*これが「ボロ紙、ラグ・ペーパー」の語源だ。

我々の祖先は極めて倹約的で、何でも投げ捨ててしまうようなことはせず、1880年代まで、あらゆる古ボロや衣装は混ぜられて、紙に再利用されていた。

大麻繊維を含むボロ紙は、最高の品質で、これまで作られた紙のなかで最も長持ちした。ぬれた時には破れるが、乾燥すると完全な強さを取り戻した。極端な条件で無ければ、ボロ紙は何世紀も安定した状態を保った。この紙は、まず決してすり切れることがない。多くのアメリカ政府文書は、法律によって、1920年代まで大麻製「ボロ紙」に書かれていた。5

中国人が早くから大麻紙製紙(紀元1世紀 - イスラム教徒が方法を発見するより800年前、ヨーロッパより1,200年から1,400年前)の知識、技術を持っていたことが、東洋の知識と科学が西洋のそれよりも1,400年もの間、非常に進んでいた二つの理由のうちの一つだと概して学者達は考えている。こうして長持ちする大麻紙製紙の技術により、東洋人は、何世代もにわたって伝え、さらにその上に積み上げ、研究し、精緻化し、挑戦し、変更すべき知識(言い換えれば、累積的、総合的学識)を集積したのだ。

東洋の知識や科学が1,400年間、西洋のそれよりも優位を維持できたもう一つの理由は、 ローマ・カトリック教会が95%のヨーロッパ人に読み書きを禁じたことだ。更に1,200年以上の間、懲罰や頻繁な死罪によって、彼らは自らの聖書を含む海外、国内のあらゆる書籍を燃やし、取締り、或いは禁じた。それで、多くの歴史家がこの時代を「暗黒時代」と呼んだ(476 A.D. - 1000 A.D.、或いはルネッサンス頃迄も)。(第10章「社会学」参照。)

ロープ、より糸と艤装

事実上世界のあらゆる都市に(我々の知らない大昔から)大麻縄製造産業があった。6 しかし、ロシアが世界最大の生産者、最高品質の製造業者で、1740年から1940年まで西欧世界の大麻の80パーセントを供給していた。

トーマス・ペインは「コモンセンス」(1776)の中で、新しい国家にとって不可欠な四つの天然資源を挙げている。「艤装、鉄、材木とタール」だ。

その中でも主なものは艤装用の大麻だった。彼は書いている。「大麻は目に余るほど隆盛をきわめているので、我々は艤装に欠乏することはない。」さらに彼は続けてイギリス海軍との戦争に不可欠な他のものを列記している。大砲、火薬等だ。

すべてのロープ、より糸、艤装の70-90%は、1937年迄大麻で作られていた。そして、それは石油化学繊維(ドイツのI.G.社の特許ライセンスで主としてデュポンが所有する企業が製造)や、1898年の米西戦争の賠償としてスペインから獲得した遙かかなたの太平洋フィリピン占領地から運んだマニラ(アバカ)アサに、往々にして強度を得るために鋼鉄ケーブルを絡みあわせたものによって置き換えられた。

画のキャンバス

大麻は完璧な記録用媒体 7

ヴァン・ゴッホ、ゲインズボロー、レンブラントらの油絵は、他のキャンバス画同様、主に大麻キャンバス上に描かれていた。

丈夫で光沢のある繊維の大麻は、熱、白カビ、昆虫に耐え、光で痛まない。大麻や/又は亜大麻キャンバス上に描かれた油絵は何世紀も良い状態のままもつ。

絵の具とワニス

何千年もの間、事実上あらゆる良い絵の具とワニスは、大麻の実油と/又は亜大麻仁油から作られてきた。

例えば、1935年だけでも、1.16億ポンド(58,000)トン*)の大麻の実が、絵の具とワニスだけのためにアメリカで使われていた。大麻乾性油事業はほとんどデュポンの石油化学物質に取って代わられた.8

* 1937年のマリファナ譲渡課税法に対する国立油量種子製品研究所の議会宣誓証言。比較の為に、アメリカ合衆国大麻薬取締局 (DEA)と、アメリカ中のあらゆる州と地方警察機関が、1996年、700+ トンのアメリカで栽培されたマリファナ; 種、植物、根、ほこりの固まり等全てを押収したという主張を考慮されたい。DEA自身すら、1960年代以来、押収され、破棄された全てのマリファナ/大麻植物の94から97パーセントは野生で育っていたもので、マリファナとして喫煙される可能性はなかっだろうことを認めている。

議会と財務省は、1935-37年デュポンが財務省主任顧問でハーマン・オリファントに対して行った秘密の宣誓証言で、確信していた。つまり、大麻の実油は、主としてデュポンによって製造される合成の石油化学の油で置き換えることが可能だった。

議会に提出されたマリファナ課税法の起草に関与していたのはもっぱらオリファントだけだった。9 (この話の全容は第4章、「合法的大麻の最後の日々」参照。)

照明用油

およそ1800年頃まで、大麻の実油はアメリカと世界で最も多く使われていた照明用油だった。その頃から1870年代まで、大麻の実油は、鯨油に続いて二番目に消費されている照明用油だった。

大麻の実油は、伝説のアラジン、預言者アブラハム、そして現実世界では、アブラハム・リンカーンのランプを灯したのだ。それは最も明るいランプ用油だった。

1859年ペンシルバニアでの石油発見とジョン D. ロックフェラーの1870以後の国家石油受託の後、大麻の実油は、石油、灯油等に置き換えられた。(第9章、「経済」参照。)

実際、著名な植物学者ルーサー・バーバンクは述べている。「[大麻の]種は、他国ではその油で称賛されているが、この国でそれが無視されているのは、農業資源の無駄な利用の典型的だ。」

(Burbank、Luther、How Plants Are Trained To Work For Man、Useful Plants、P.F. Collier & Son Co.、NY、Vol. 6、pg. 48.)

バイオマス・エネルギー

1900年代初期、ヘンリー・フォードや他の未来志向で、有機志向の、エンジニアリングの天才達は(彼らの知的、科学的後継者が今もそうしているように)重要な点を認識していた。現代、世界で用いられている90%までの全ての化石燃料(石炭、石油、天然ガス他。)は、とっくの昔にトウモロコシの茎、大麻、古紙等のバイオマスによって置き換えられているべきだった。

バイオマスは、特に環境コストを考慮に入れると、石油、石炭、或いは原子力エネルギーの現行のコストのほんのわずかで、メタン、メタノール或いはガソリンに転換することが可能であり、使用を必須にすれば、酸性雨を止め、硫黄を含むスモッグを止め、地球の温暖化効果を止めることが可能だ。それも今すぐに!*

*政府と石油、石炭会社等は、公害に関する限り、バイオマス燃料を燃やすことは、化石燃料資源を使うことより優れているわけではないと主張する。しかしこれは明らかに不正確だ。

一体なぜか? なぜなら、化石燃料と違い、バイオマスは、成長過程で、今の大気から光合成で二酸化炭素公害を取り除き続ける、生きている(絶滅したものでなく) 植物から得られるからだ。更に、バイオマス燃料は硫黄を含んでいない。

大麻がバイオマス用に栽培され、熱分解(炭化)或いは生化学的堆肥化によって燃料に転換されて、化石燃料エネルギー製品に取って代われば、これは達成可能だ。*

*注目すべきは、気候と土壌の点で、地球規模で考えた場合、トウモロコシの茎、サトウキビ、ケナフ等、地球上の最も近いライバル達よりも、大麻は少なくとも4倍、更にはそれよりもずっと、地球に優しい、再生可能バイオマス/セルロースの可能性が大だ。(Solar Gas、1980; Omni、1983; Cornell University; Science Digest、1983; etc.).

第9章、「経済学」も参照。

熱分解による製品の一つ、メタノールは、今日も大半のレーシング・カーで使われており、1920年代に始まった石油/メタノール・オプションによって、1930年代中、更には1940年代中頃、第二次世界大戦の終結迄も、アメリカの農家や自動車運転手が何万台もの自動車、農業用及び軍用車で定期的に使っていた。

メタノールは、ジョージア技術大学がモービル・オイル社と共同で開発した触媒処理によれば、ハイオクタン無鉛ガソリンにすら転換することも可能だ。

1842年から1890年代まで、きわめて強いマリファナ(当時はカンナビス・エクストラクトゥムスとして知られていた)とハシシ抽出物、チンキ剤と、甘みと香りをつけた飲みやすくしたアルコール水溶のエリキシル剤として、人間用(誕生から、子供時代を経て老年まで)としても、獣医薬としても、1920年代、そしてそれ以降も、アメリカで、ごく普通に第二、第三番目に良く使われた薬だった。

(第6章、「薬」と、第13章、「19世紀」を参照。)

先に述べたように、少なくとも3,000年の間、1842年迄は、様々なマリファナ抽出物(蕾、葉、根等)は、人類の多くの病気治療用最も良く使われ、広く受け入れられていた。

けれども、西欧ではローマ・カトリック教会が、アルコールや瀉血以外の大麻のいかなる医療用途をも、1200年以上にもわたって禁じた。

(第10章、「社会学」参照。)

アメリカ合衆国薬局方は、大麻は、疲労、咳の発作、リュウマチ、ぜんそく、精神錯乱、偏頭痛、生理痛や、月経に伴ううつ等の病気治療に用いられるべきだと指示していた。(ノートリッジ、カリフォルニア州立大学、麻酔性植物学の、ウイリアム・エンボーデン教授)

ビクトリア女王は、大麻樹脂を生理痛と月経前緊張症候群に使い、彼女の治世は(1837-1901)英語圏におけるインド大麻薬利用の大いなる伸長と並行していた。

今世紀、大麻研究によって、ぜんそく、緑内障、吐き気、腫瘍、てんかん、感染症、ストレス、偏頭痛、食欲不振、鬱病、リュウマチ、関節炎及びヘルペス等の多くの健康問題の治療において、治癒的価値と全く安全であることが実証された。

(第7章、「大麻の治療用の使用」)

食用油と蛋白質

大麻の実は、事実上世界中の全ての人々によって、粥、スープ、薄い粥等に、今世紀まで良く使われていた。僧は麻の実の食事を一日に三度食べることを要求されており、麻から衣類を紡ぎ、その繊維で作られた紙に聖書を印刷していた。

(以下を参照 Rubin、Dr. Vera、"Research Institute for the Study of Man;" Eastern Orthodox Church; Cohen & Stillman、Therapeutic Potential of Marifana、Plenum Press、1976; Abel、Ernest、Marifana、The First 12,000 Years、Plenum Press、NY、1980; Encyclopedia Brittanica.)

大麻の実を絞ると極めて栄養価の高い植物油が得られるが、この油には植物王国中でも最も大量の必須脂肪酸が含まれている。これら必須な油は人間の免疫反応に関与しており、血管中のコレステロールや汚れを綺麗にする。

種を絞って油を取るときの副産物は、高品質蛋白質の種ケーキだ。それは発芽させたり(もやし)、挽いてから焼いて、ケーキや、パン、キャセロールにした。マリファナ種の蛋白質は、人類にとって、最高で、最も完全な、体に摂取可能な植物性蛋白質の一つだ。大麻の実は人間の栄養にとって、最も完璧な食料源だ。

(第8章のedistinsと必須脂肪酸についての記述を参照。)

大麻の実は、1937年の禁止法まで、野生と飼い鳥用の世界第一位の餌だった。地球上のあらゆる種餌の中で、鳥が最も好む*ものだった。1937年にはアメリカ合衆国の小売商で、鳴き鳥用に4百万ポンドの大麻の実が販売されていた。鳥は混ぜた種の山から、最初に大麻の実をつまみ出して食べる。世界中の鳥は、大麻の実を食べ物として摂れば、その油を羽根や、健康に使えて、より長生きし、より繁殖する。(より詳細は第8章、「基本的な世界中の食品としての大麻」を参照。)

*議会証言、1937; "鳴き鳥はそれがないと、歌いません"と、鳥餌企業が議会で証言。その結果; 蒔いても生えなくした大麻の種が、イタリア、中国や他の国々から、アメリカ合衆国に輸入され続けた。

大麻の実は、人や鳥に対して、目に見えるようなハイな状態は引き起こさない。種にはごく微量のTHCしか存在していない。大麻の実はヨーロッパでは、魚が喜ぶ餌でもある。釣り人は、まき餌の店で(大麻の実を水上に撒く)何ペック(=約9リットル)もの大麻の実を購入し、その種を求める魚を至る所から集まらせて捕獲する。大麻の実は、大半の小鳥と同様、魚の大好物である。

(ジャック・ヘラーのヨーロッパにおける個人的調査。) (Frazier、Jack、The Marifana Farmers、Solar Age Press、New Orleans、LA、1972)

建材と住宅

一エーカーの大麻で、4.1エーカーの木と同じだけのセルロース繊維パルプが生産できるので、*大麻は、プレスボード、パーチクル・ボードやコンクリート施工用型枠用の木に取って代われる完璧な材料だ。

*Dewey & Merrill、Bulletin #404、アメリカ合衆国 Dept. of Agriculture、1916.

実用的で、安価な耐火建材で、素晴らしい断熱と防音効果のあるものが、植物繊維を加熱し、圧縮して丈夫な建材用パネルを作ることで得られ、ドライウォール(石膏ボード)やベニヤ板に取って代わることが可能だ。オレゴン州、ユージンにあるコンドズ・レッドウッド・ランバー社のウイリアム B. コンド氏は、ワシントン州立大学と共同で(1991-1993)、木質繊維と比較した、大麻複合建材の優れた強度、柔軟性と、経済性を実証しており、梁としてさえ使えるという。

大麻くずと石灰とを混合して作られる、再発見されたフランスの建材、イソシャンブルは、本当に鉱物状態に石化して何世紀も持つ。考古学者は、フランス南部で、メロヴィング朝時代に(500-751 A.D.)、この方法で作られた橋を発見した。

(付録Iのフランス、レーヌのシェネヴォット居住地を参照。)

大麻は歴史上ずっと絨毯の裏当てとして使われてきた。大麻繊維は丈夫で、腐食に強いカーペット製造に使える可能性があり、それは家庭の火事で合成物質が燃えて発生する有毒ガスや、新しい合成カーペットによっておこるアレルギー反応を無くしてくれる。

再生可能でない石炭や石油を原料にした化学原料の代わりに、再生可能な大麻セルロースを化学原料として用いて、プラスチックの配管用パイプ(PVCパイプ)を製造することが可能だ。

従って我々は、将来、世界で第一位の再生可能な資源大麻で、家が建てられ、配管され、ペンキで塗られ、家具が備えられることを思いめぐらすことも可能だ。

喫煙、娯楽と創造性

アメリカの独立宣言は、「生命、自由と幸福の追求」という「不可分の権利」を認めている。それ以後の裁判所裁決は、プライバシーの権利と、これに基づく選択、アメリカ合衆国憲法とその修正条項を推定している。

世界中の宗教的傑作の作者から、現代の不遜な風刺作家に至るまで、芸術家や作家の多くが創造する上での刺激に大麻を用いて来た。こうした人々の中には、ルイス・キャロルと、「不思議の国のアリス」の中の水ギセルでタバコをすういもむし、更には、ビクトル・ユーゴやアレクサンドル・デュマ、ルイ・アームストロング、キャブ・キャロウエイ、デューク・エリントンやジーン・クルーパのようなジャズの巨人達、そしてこのパターンは、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、イーグルズ、ドゥービー・ブラザーズ、ボブ・マリー、ジェファーソン・エアプレーン、ウイリー・ネルソン、バディ・リッチ、カウントリー・ジョーとザ・フィッシュ、ジョー・ウオルシ、デヴィッド・キャラディン、デヴィッド・ボーイ、イギー。ポップ、ローラ・ファラーナ、ハンター・S. トンプソン、ピーター・トッシ、グレートフル・デッド、サイプレス・ヒル、シニード・オコーナー、ブラック・クロウズ、等々、現代の芸術家や音楽家に至るまで続いている。

もちろんマリファナを吸うと創造性が高まる人々もいるが、そうでない人々もいる。

だが歴史上、人が好むアルコール、タバコ或いは大麻のような気晴らし用の物質の禁止を、様々な禁止やら「禁止活動」集団が試み、時折成功している。

アブラハム・リンカーンは1840年12月この種の抑圧的思考に反論して、こう述べた。

「禁止 . . . は人の欲求を法律によって制御しようという試みであり、犯罪ではないものを犯罪にしてしまうという点で、理性を踏み越えている . . . 禁止法はわが政府が打ち立てられたまさにその原理に対して一撃を加えるものだ。」

経済的安定性、利益と自由貿易

競争的な市場では、全ての事実さえ明らかになっていれば、農薬や除草剤無しで栽培された植物から作られ、長持ちする、生物分解性の「Pot tops」や「Mary Jeans」等を買い求めようと人々が殺到するはずだろう。こうした製品で先行している会社の例をあげると、エコリューション、ヘンプステッド、マリー・ミルズ、オハイオ・ヘンパリー、トゥー・スター・ドッグ、ヘッドケース、そしてドイツでは、ハンフハウス、等がある。

我々は資本主義、試験にかけ、制限されない需要と供給という市場と、「グリーン」な環境にとに対する配慮によって、地球の将来が決められるようにすべき時だ。

1776年に、木綿シャツは100ドルから200ドルしたが、大麻シャツは50セントから1ドルだった。1830年代には、より涼しく、軽い木綿シャツは、より暖かく、より重い、大麻シャツと同等の価格となり、競争力のある選択肢になった。

人々は、繊維に求める特徴に基づいて自分の衣服を選択することができた。現代、私たちにはそういう選択肢はない。

大麻や他の天然繊維の役割は、禁止法の不適切な影響ではなく、需要供給と、個人的な趣味や価値観で決定されるべきだが、政府援助と莫大な税が、天然繊維が合成繊維に置き換わるのを妨害している。

60年間政府が情報を抑圧した結果、大麻繊維やその用途の信じがたいほどの可能性について、事実上一般人は全く知識を持っていない。

100%大麻や、大麻と木綿の混紡を使えば、私たちは自分のシャツやズボンや他の衣類を孫に残せる。賢い消費支出によって、ナイロンやポリエステルのような石油化学合成繊維は、より丈夫で、より安く、涼しく、水を吸収し、呼吸し、生物分解可能な天然繊維によって、本質的に置き換えらるだろう。

現在、中国、イタリア、ハンガリー、ルーマニア、チェコスロバキア、ポーランド、そしてロシアといった東欧諸国は、何百万ドルもの価値の丈夫な大麻や、大麻/木綿混紡織物を生産しており、何十億ドルものを収入を毎年生み出せるだろう。

これら諸国は伝統的な農業と織物技術の上で成立しているが、アメリカ合衆国は、この植物の絶滅を強制し、破壊的な合成技術にてこ入れしようとしている。

大麻/木綿混紡織物でさえ、1991年迄アメリカ合衆国での直接販売は許されていなかった。例えば中国人は、暗黙の契約で、質の悪いラミーや木綿を輸出するよう強いられていた。

(National Import/Export Textile Company of Shangai、Personal communication with author、April and May、1983.)

1990年版の「王様は裸だ」が印刷されている頃、少なくとも55パーセントの大麻を使っている衣類は、中国やハンガリーからの輸入だった。1992年、本書を印刷する頃には、様々なクラスの100%大麻繊維が直接中国やハンガリーから届くようになった。1998年の今、大麻繊維の需要は世界中でブームとなり、ルーマニア、ポーランド、イタリア、ドイツ等々から入っている。大麻は、ローリング・ストーン、タイム、ニューズウイーク、ペーパー、ディートゥア、デイーティルズ、マドモアゼル、ニューヨーク・タイムズ、ロサンジェルス・タイムズ、デア・シュピーゲル等によって1990年代、最も人気のある繊維と認められた。メディアを挙げれば際限が無い。いずれもが何度も繰り返して、産業用、栄養用の大麻の話題を採り上げている。

更に、大麻をバイオマス用として栽培すれば、毎年1兆ドルのエネルギーが提供可能で、同時に空気の質を向上させ、独占的な中央権力から富を奪い去り、農村地域とその周囲の共同体に分配することが可能だ。大麻は地球上他のどの植物より、持続可能な生態環境と経済への可能性を持っている。

結論として . . .

最初に述べた我々の基本的姿勢を改めて表明する必要がある。世界は、我々が間違っていることを証明して欲しい。

地球を救うために、地球温暖化効果を止めるために、森林破壊を止めるために、全ての化石燃料とその派生物、そして製紙用と建設用木材が禁止されたらどうなるだろう。

そうなれば、世界の紙と織物の大半、世界中のあらゆる運輸需要、工業用と家庭用エネルギー需要を満たし、同時に、公害を低減し、土壌を再生し、さらに大気までも清浄化する . . .毎年再生可能な天然資源はたった一つしかない。

そう、その物質は、何度も繰り返している同じ物、大麻 . . . マリファナだ!

脚注:

1. Oxford English Dictionary; Encyclopedia Brittanica、11th edition、1910; U.S.D.A. film、Hemp for Victory、1942.

2. Ibid.

3. Levi-Strauss & Company of San Francisco、CA、author's personal communication with Gene McClaine、1985.

4. Ye Olde Spinning Jennys and Wheels were principally used for fiberin this order: cannabis hemp、flax、wool、cotton、and so forth.

5. Frazier、Jack、The Marifana Farmers、Solar Age Press、New Orleans、LA、1974; U.S. Library of congress; National Archives; U.S. Mint; etc.

6. Adams、James T.、editor、Album of American History、Charles Scribner's Sons、NY、1944、g. 116.

7. Frazier、Jack、The Marifana Farmers、Solar Age Press、New Orleans、LA、1974; U.S. Library of Congress; National Archives.

8. Sloman、Larry、Reefer Madness、Grove、New York、NY、1979、pg. 72.

9. Bonnie、Richard and Whitebread、Charles、The Marifana Conviction、Univ. of Virginia Press、1974.

大麻が(父親)ジョージ・ブッシュの命を救った

大麻の重要さの例をもう一つ挙げよう。大麻が非合法とされた1937年から五年後の1942年、第二次世界大戦対策として、迅速に再導入された。

そこで、太平洋上での戦闘後、燃える飛行機から飛び出した若きパイロット、ジョージ・ブッシュは、以下の事をほとんど知らなかっただろう。

- 飛行機のエンジン部品は大麻の実油を潤滑油につかっていた。

- 命を救ったパラシュートの帯ひもは100%アメリカで栽培した大麻で作られていた。

- 彼を救出した船の全ての艤装とロープは事実上全部大麻で作られていた。

- その船の消防用ホースは(彼が通った学校のホース同様に)大麻繊維で編まれていた。さらに、

- 最後に、若きジョージ・ブッシュが無事甲板上に立った時、今日でも全ての良い革靴や軍靴がそうであるように、彼の靴の耐久力ある縫い目は大麻だった。

それなのにブッシュ大統領は、その経歴のうちのかなりの時間を、大麻という植物の根絶と、おそらくは自分自身を含めて誰もこの情報を決して知ることができないようにする法律の施行に費やしてきた. . .

(USDA film、Hemp for Victory、1942; ケンタッキー大学農学部 Service Leaflet 25、March 1943; Galbraith、Gatewood、Kentucky Marijuana Feasibility Study、1977.)

第2章、以下まだある。勝手ながら省略させていただく。

翻訳記事原文url:The Emperor Wears No Clothes By Jack Herer Chapter Two

2008年9月16日 (火)

三沢のパイロット「最も功績ある飛行」の栄誉を受ける

2008年5月6日 (by SrA Stefanie Torres)

アフガニスタンの暴風の中を暗視ゴーグルの助けで飛行し、パイロットは計画を正確に遂行した。

F-16 Unit News

最後はわずか25秒の間に十数発のGBU-38を投下して、ほんの数分で任務飛行を終え、応急飛行場の方向に転換するのだ。

「500ポンド精密爆弾の第一波攻撃は命中しました」第13飛行体司令官で、任務飛行の司令官だったスチーブン・"トーチ"・ウイリアムス中佐は語っている。

パイロットたちは2分間の攻撃の機会を割り当てられていたが、他の飛行機による160回の集中攻撃の邪魔にならないようにしながら、命中させることに成功した。今や連合軍地上部隊はタリバン陣地に対して襲撃を行えるようになった。

「攻撃のため目的の国に向かって進む、弾薬を搭載したジェット機と、燃料満タンの空中給油機の数を見るのは感動的なことでした。」この任務飛行についた第13飛行隊パイロット、ローレンス・"ゴルド"サリバン大佐は語っている。

2007年8月12日、これまで試みられたことがなかった秘密任務飛行で、三沢空軍基地から中部イラクに派遣された第13遠征飛行隊のパイロット4人が、東部アフガニスタンに向かって飛び立った。歴史的な新記録である11時間の飛行により、彼らは2007年度のクラレンス・マッケイ・トロフィーを受賞した。

マッケイ・トロフィーは、毎年その年で「最も功績ある飛行」に授与される。

パンサー11 (ワンワンと発音する)飛行隊は限りなき自由作戦を支援するため自分たちの居場所から2,100マイル先への任務飛行を依頼された。この任務飛行は、一体何が起こるか全くわからぬまま、そのような長距離飛行にF-16が乗り出す初めての経験だった。

4機のF-16CJは、6ヶ国の領空を飛行し、新たな作戦命令のもとで動き、合計13回空中補給した。

目標地域に到着して、攻撃の数分前、攻撃後の空中給油機が前もって計画された燃料補給地点から400マイル迂回したことを知らされたが、アフガニスタンで予定外の着陸を強いられる可能性があった。

「飛行中、基地まで帰還するのに十分な燃料があるかどうかわからなくなることが何度かありました。」サリバン機長は語った。

攻撃からわずか数分後に、パンサー11は不定期の空中給油機を見つけだすことに成功し、空中給油のため自分たちの方向に向かわせた。これによって、飛行中隊は基地への帰還の長い飛行を始めることが可能となり、ジェット機とパイロットが誰も待っていてはくれない外国の交戦地帯に取り残されるのを防いだのだ。

飛行した地域が、ほとんどが全くの夜間だったことが、この任務飛行の珍しい特徴というわけではない。グローバル・ストライク任務飛行の特異性は、F-16が長距離飛行をしたことだと、ウイリアムス大佐は説明する。

「イラクにおける通常の出撃は三時間半から四時間なのですが、これは11時間でした」彼は語った。「我々はニューヨークからロサンゼルス往復と同じ距離を飛んだのです。」

このような特殊な飛行でおこりうる結果を論じるため、夜の打ち合わせが攻撃の前の晩行われた。飛行の長さから、肉体的にも、精神的にもきついものだった。

ウイリアムス大佐は、任務飛行について聞いてから、攻撃を計画するのに24時間以下の時間しかなかった。

この種の任務飛行は「未知の世界に向かう」ことであるのが彼にはわかっていた。

「この任務飛行が独特だった理由の一つには、新たな責任分担地域で、初めて、最小の準備で、パイロットが活動することがあります」とウイリアムス大佐は語った。「空中給油機による支援は、長距離飛行をおこなうのに必要不可欠ですが、任務飛行と目標が、機密事項なために、毎日の航空作戦命令に」

それは「一か八かの任務飛行」であり、大佐はチームの中でも最高の人材を選ばざるを得なかった。

「これから我々が遂行しようとしている事態に対処できる能力がある兵器指導員卒業生が必要でした。」ウイリアムス大佐は語った。

第13遠征飛行隊のパイロットたちは、チャールズ・ムーア大佐、ローレンス・サリバン大佐とクリストファー・ストルーヴェ大佐だ。

「兵器学校の学生と教師として、今回のようにやりがいのある任務に出会えた我々は全員幸運であるとわかっていました。」と彼は語っている。「急な通知で時間もないのに、ためらうこともないのです。彼らは本物だと思いました。」

パイロットたちは早朝の任務にそなえるべく乗員休息室に行き、航空機搭乗員とともに派遣されたキャメロン・カルーム少佐は、一晩中作戦計画を立てていた。

「あれだけの短時間で、必要な全ての物資を揃えるのは、能力が試される難題だろうとは思っていました」三沢第35戦闘航空団武器担当将校のカルーム少佐は言う。だがアメリカ空軍兵器学校が、大規模な準備経験を与えてくれていた。

職務命令を受けてからわずか18時間後、あらゆることが起こる可能性がある、大変に困難な課題であることを知りながら、パイロットはイラクの基地から離陸した。

「飛行中、それも、基地から遥かかなたで、変化に巧く調整してあわせなければならないだろうとわかっていました」サリバン機長は語った。

「パイロットの視点からは、任務飛行は時計仕掛けのように正確に行きました。」と機長は語る。「しっかりした任務飛行計画があったので、任務飛行を遂行し、全員無事に帰還できました。こういうことのためにこそ、我々は訓練されており、航空勢力任務飛行を完遂し、所期の効果を達成できる機会を持てたのは名誉なことです。」

急な通知によるグローバル・ストライク任務飛行の歴史的な成功は、多くの支援組織のおかげで可能になったと、ウイリアムス大佐は説明する。

「各組織の大半は任務の詳細を全く知りませんでしたが、一致団結して飛行を成功させてくれました。」

「あの晩の任務飛行全体のための重い責務を遂行して、空中給油機は素晴らしい仕事をしてくれました」とサリバン機長は語った。「私たちは多くの飛行機の飛行中隊の一つに過ぎず、空中給油機は非常に柔軟で、効率的で効果的でした。彼らがなしとげたことに対して、大いに称賛に値します。」

マッケイ・トロフィーはアメリカ空軍の飛行将校にのみ授与される最も古い賞である。賞は、アメリカ空軍と全米飛行家協会が運営し、毎年授与される。

「実に名誉なことです。トロフィー上の多くの名前は、航空勢力に多大な貢献をした人々ですから」とウイリアムス大佐は語った。「この任務飛行が成功したのは、派遣先空軍の他の人々と一緒に働いた派遣三沢要員チームの努力のおかげです。」

トロフィー自体は、ワシントンD.Cのスミソニアン航空宇宙博物館で永久展示されており、四人のパイロットの氏名は、アメリカ陸軍航空軍総司令官ヘンリー・ハップ・アーノルド、撃墜王エディー・リッケンバッカー、東京初空襲を指揮したジミー・ドゥーリトル、アメリカ軍最初の「1日で規定の記録を達成したエース・パイロット」チャック・イェーガー等のとなりに刻まれる。

記事原文のurl:www.f-16.net/news_article2877.html

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インド洋での戦艦油補給は話題にするが、「不沈空母」日本の基地から米軍がはるばるアフガニスタン爆撃にでかけていることを、大手マスコミは報道しない。日米安全保障条約は、その実、日米戦争保障条約であることが良くわかるエピソードだ。

さすがに、東奥日報、2008年7月20日で報じている。

三沢F16がタリバン爆撃/昨年8月

在日米軍最前線』斉藤光政(東奥日報編集委員)著 新人物往来社、08年9月刊は、さすがに詳しい。

帯には下記の言葉がある。

在日米軍再編はどのような戦略構想のなかでうまれたのか

ミサイル防衛回廊と化した国家の危機を問う

チェコ、ポーランドのミサイル網と、日本はそのままつながっているのだ。このまま行けば、やがて、二大政党か、大連立政権によって、憲法改正(=破壊)が実現すれば、日本人パイロットもあちこちに出撃して、マッケイ・トロフィーの栄誉をうけられるようになるに違いない。

そうならぬためには、『在日米軍最前線』のような情報が、日本人の常識になる必要があるだろう。

関連記事翻訳:

ラスベガスでタリバン狩り -無人機による空爆  2006年9月Atlantic

2008年9月14日 (日)

ロシア、ヨーロッパとアメリカ: 基本的地政学

F. William Engdahl

Global Research

2008年9月4日

グルジアが瀕している危機や、より大きなカフカス危機を巡って、一層大きな戦略的全体像の細部が浮かび上がり、モスクワがスターリンの国境と1948年の冷戦に、押し戻そうと決心しているわけではないことが、明らかになりつつある。かつてプーチンが、今メドベージェフが開始したことは、1990年の冷戦終結以来、ワシントンのタカ派が率いてきた大いに危険なNATOの拡張の危険を除去するプロセスなのだ。

四月のNATOサミットにおける、ドイツやフランスを含むヨーロッパのNATO加盟国10ヶ国以上による予想もしないNATO加盟拒否まで、ことがワシントンの計画通りに進んでいればグルジアは、今頃ウクライナとともにNATO加盟承認過程にあったはずだ。そうなっていればロシアの軍事的、経済的全面包囲が始まっていただろう。

8月8日の夜に、誰が南オセチアで最初の一撃を発射したのかは争点ではない。ロシアは、そうした射撃に準備ができていたのだ。事件を理解するには、1945年以来のアメリカ、あるいは英米の戦略の根底にある地政学的な基本原理に立ち返る必要がある。ロシアはグルジアの攻撃に反撃して、アメリカ拡張主義の基本原理に挑戦したのだ。

地政学の基本的公理

1945年以降のアメリカの基本戦略を設計したのは、イギリス人のハルフォード・マッキンダー卿であることを知っている人々はほとんどいない。画期的な1904年の論文、Geographical Pivot of History(歴史の地政学的中心)以来、大英帝国覇権の大戦略家だったマッキンダーは、アメリカ合州国の主導的海外交政策雑誌フォーリン・アフェアーズへの寄稿原稿の中で、アメリカ合州国がどうすれば、第二次大戦後の世界を支配できるかを明らかにした。

死の数年前、戦後世界で、アメリカ合州国が大英帝国の後を継ぐことが明らかだった頃にに書かれた1943年7月のフォーリン・アフェアーズ論文で、マッキンダーは、「ハートランド」と呼んだものを支配する、アメリカ世界戦略の死活的な重要性の概要を描いた。彼はハートランドを、北部の内陸ユーラシア、基本的には、ロシア-ウクライナ-ベラルーシ、つまり当時のソ連邦、として定義していた。マッキンダーにとって、ハートランドの戦略的重要性は、世界で最も広大な低地の平野と、航海可能な大河と広大な草原地帯というその特別な地理にある。

マッキンダーは、1943年のロシアの戦略的な重要性を、1914-18年のフランスのそれに例えた。「ロシアは、本質的にフランスと同じパターンを繰り返すが、北東方向ではなく、西方向に開かれた辺境地帯を有する、より大規模なものだ。今回の戦争において、ロシア軍は、その開かれた辺境地帯を横断して、整列した。その背後には、ハートランドの広大な平原があり、それを縦深防御と戦略的退却に使うことができる。マッキンダーはアメリカ人の政治論読者に指摘していた。「…もしもソ連が、この大戦後、ドイツに対する勝者として登場すれば、ソ連は世界最大のランド・パワー…戦略的に最強防衛陣地の大国となるに違いない。ハートランドは地上最強の自然要塞なのだ。」[1]

マッキンダーが、このほとんど知られていないエッセイで次々に示唆しようとしているのは、西ヨーロッパ、何よりもドイツの工業による英米の覇権に対する挑戦は、東側に位置する敵対的ハートランドソ連邦の力と、大西洋側の軍事強国アメリカによってこそ、一番うまく封じ込めることができるだろうということだ。ある意味で、ソ連邦の力が依然ワシントンに友好的なものであるのか、あるいは冷戦の敵であるのかは問題ではないのだ。いずれにせよその効果で、西ヨーロッパを封じ込め、1945年以後もアメリカの勢力範囲とすることができるのだ。

1945年における、アメリカの対モスクワ戦争計画

拙書、Full Spectrum Dominance: Totalitarian Democracy in the New World Orderで詳しく述べているが、17年ほど前のワルシャワ条約解体の余波中のアメリカ軍の政策を扱うなかで、アメリカ大統領ハリー・トルーマンとチャーチルの二人が、ドイツが降伏した瞬間に、ハートランドに対して向けようとした即座の戦争について検討した。[2]

チャーチルの地政学的計画に対するアメリカの拒否によって、冷戦の始まりは三年引き延ばされた。多数の方にとって理解しがたいことは、冷戦は、実は、敵対的なロシアと、朝鮮戦争以後、アジアで敵対的となった中国を利用した、アメリカによる戦後世界秩序を支配するための地政学的戦略で、NATOと、様々なアジアにおける安保条約とによるアメリカ合州国の軍事防衛が、大戦後の生活の基本的な事実だ。

1990年代初期のソ連崩壊で、ワシントンの為政者は、突如として、大変な戦略的ジレンマに直面することとなった。自分たちの「かたきやく」ソ連の熊が消滅してしまったのだ。中国は経済上のパートナーだった。NATOが双方の側における注意深い軍備縮小の期間を越えて存続する必要性は皆無だった。

ロシアという「かたきやく」の欠如は、アメリカのバラク・オバマの顧問ズビグニュー・ブレジンスキーのような戦略家にとって、アメリカによる単独超大国支配の継続に対する戦略的な脅威だった。彼の良き指導者マッキンダーと同じフォーリン・アフェアーズ誌に掲載された1997年の彼のエッセイで、ブレジンスキーは、ヘンリー・キッシンジャー同様、アメリカ外交政策を構築するために、マッキンダーの地政学的な考え方を、暗黙のうちに、さらには明示的にさえ活用し、冷戦後のアメリカ外交政策の目標を略述した。

アメリカが、唯一のグローバル超大国として出現したために、ユーラシアに対する統合された、包括的戦略がさせられないものになっている。

ユーラシアは、世界の大半の、政治的に自信に満ちてダイナミックな国々のふるさとだ。歴史上、世界的大国としての覇権を狙った国々は、全てユーラシアから発していた。世界で最も人口の多い、地域覇権を熱望する国家、中国とインドも、ユーラシアにある、アメリカの卓越に対する政治的あるいは経済的潜在的挑戦者だ…ユーラシアは世界人口の75パーセント、GNPの60パーセント、そしてエネルギー資源の75パーセントを占めている。全体として、ユーラシアの潜在的な力は、アメリカすら顔色をなからしめるものだ。

ユーラシアは世界の中軸をなす超大陸だ。ユーラシアを支配する国は、経済的に世界で最も生産的な三つの地域のうちの二つ、西ヨーロッパと東アジアに対し、決定的な影響を行使できる。地図を一瞥すれば、ユーラシアで優勢な国は、ほぼ自動的に中東とアフリカを支配するだろうことがわかる… ユーラシアの広大な土地上における、勢力の分布にともなって起きることが、アメリカの世界覇権と、歴史的資産にとって、決定的な重要性を持つことになる。

… 差し当たって、アメリカ合州国は、ユーラシアの地図上で一般的な地政学的多元性を強化し、永続させるべきだ。この戦略は、政治的駆け引きと、外交的操作に重点をおくもので、いかなる単一の国家が、覇権を握ろうとするわずかな可能性はいうまでもなく、アメリカの卓越に挑戦しそうな敵対的同盟の出現を防止し、…[3]

マッキンダーとブッシュ・ドクトリン

手短に言いなおせば、アメリカ外交政策は、キッシンジャーが指導したジョージ H.W. ブッシュの時代も、あるいはクリントン、あるいはジョージ・W・ブッシュの時代も、ブレジンスキーの発言が示唆している、マッキンダーの基本方針に沿っていた。つまり、分割して統治せよという勢力均衡政策だ。ユーラシアのいかなる「ライバル国家」あるいは勢力集団が、アメリカ単独の超大国支配に挑戦することを防止することが、9月11日の一年後、2002年9月に公開されたアメリカ合州国の公式国家安全保障戦略に体系化されている。[4]

ブッシュ・ドクトリン政策は、アメリカ合州国の安全保障にとって脅威となる外国政権を、たとえその脅威が差し迫ったものでなくとも、退陣させるために、2003年のイラク攻撃のような先制攻撃戦争を、始めて正当化するまでに至っている。このドクトリンは、文明世界の多くの国において、アメリカの外交政策の正統性を徹底的に終焉させた。

2002年以来、ワシントンは、ひそかな体制転覆計画をしゃにむに推進し続けてきた。最も典型的なのが、2003-2004年グルジアとウクライナにおいて、親NATO政権への転換をこっそり仕組んだことだ。ワシントンは、ジェームズ・ベーカーIIIが、ソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフと会談した際に約束した合意、つまり、アメリカはNATOの国境を東側には拡張しない、その代わりに、モスクワは統一ドイツがNATO加盟国になることを認めるという約束に反し、秘密の政権転覆を仕組んだのだ。[5]

ワシントンは、好都合にも、外交的記憶喪失症を患い、ジョン・マケイン外交政策の導師で、代表的なネオコン・タカ派のランディ・シェーネマンのような連中が、1991年以降、ポーランド、バルト諸国、チェコ共和国と他の元ワルシャワ条約加盟諸国をNATOに加盟させるというキャンペーンを率いてきた。モスクワは予想通り、この傾向に不安を感じるようになった。それは当然のことだ。

2007年始め、アメリカのミサイルを含め、ミサイル「防衛」網をポーランドと、チェコ共和国に設置する計画をワシントンがとうとう発表すると、当時のプーチン大統領は、激しく反撃した。彼の発言は、抜け目のないアメリカ・マスコミが検閲して、ほとんど記事にせず、アメリカのミサイル防衛計画に対するロシアの敵対的な反応に対するショックを表明するアメリカ高官のコメントだけが報道された。

ワシントンは、ポーランドとチェコの施設は、イランがやりかねない核ミサイル攻撃が起きた場合、アメリカの安全保障上の利益を守るのに必要なのだというばかばかしい主張をした。プーチンが、ブッシュ政権の対イラン防衛という主張の欺瞞を暴露し、アメリカの迎撃用レーダー用代替基地を、テヘランにずっと近いアゼルバイジャンにおこうと提案した時には、驚いたブッシュは言葉も出なかった。ワシントンは、あっさりアゼルバイジャン案を無視し、ポーランドとチェコの基地へと突き進んだ。[6]

防衛戦略分野にいない人々にはほとんど理解できていないこととして、ミサイル防衛は、たとえ初歩的なものであれ、ある一級のアメリカ・ミサイル防衛戦略家が言ったように、「核による第一撃能力を実現する上で、これまで欠けていた部分」なのだ。 [7] もしもアメリカ合州国が、ロシア国境にミサイル防衛システムを配備することができて、ロシア側の防衛網が皆無であれば、アメリカが第三次世界大戦で勝利したことになり、ロシアに対し、無条件降伏や、一つの存続可能な国家の国土分割や、完璧な解体を命じることができる立場になるのだ。プーチンが反撃したのも無理はない。1940年代以来、モスクワの戦略家たちは、アメリカ軍の危険な冒険が一体何かを、いやというほど理解している。

8-8-8以後のユーラシア地政学

これら全ての結果、我々は8.8.08後のグルジアにおけるロシア反撃の結果に立ち戻ることとなる。ロシアは軍事力で迅速に反撃すると、メドベージェフ大統領によるロシア外交政策五カ条を発表した。西側にはそれをメドベージェフ・ドクトリンと呼ぶ評論家があらわれた。五カ条には、ロシアが国際法の原則に準じることの再確認に加え、「世界は多極的でなければならない」という素朴な発言もある。

メドベージェフはこう言っている。「一極的な世界は受け入れられない。支配というものを、我々は認めることができない。それが例え、まじめで影響力のあるアメリカ合州国のような国であれ、一つの国があらゆる決定をするような世界秩序を、受け入れることはできない。そのような世界は不安定で、紛争によって脅かされる。」更に、ヨーロッパやアメリカや他国と平和で友好的な関係を持ちたいというロシアの願いと、どこにいようと国民を保護する意図を述べた後、メドベージェフは、決定的に重要な五番目の点に至る。「他の国の場合も同じだろうが、ロシアが特恵的利害を有している地域が存在する。これらの地域は、特別な歴史的関係を共有し、友人かつ良き隣人として結びつけられている諸国にとっての故郷なのだ。我々は、こうした地域の中で働き、これらの国々、我々の身近な隣人たちとの間に、友好的なつながりを築くために、格別の配慮を払うつもりだ。」[8]

南オセチアとアブハジアを主権ある独立国家としての承認という最新のロシア外交政策の動きをたどって行くと、ロシアがタジキスタンのギサル空港に駐留することを認める8月29日のタジキスタンとの合意にゆきつく。この条約が結ばれたという事実は、ワシントンのユーラシア地政学戦略に対する壊滅的打撃となる可能性がある。ウランの輸出でロシアに依存し、収入の多くをヘロインに依存する辺鄙な中央アジアの国タジキスタンは、2005年以後、ワシントンとの戦略的な結びつきを強めていた。グルジアにおけるロシアの反撃をきっかけにして、タジキスタンの独裁者大統領エモマリ・ラフモンは、最善の安全保障策が、ワシントンではなく、モスクワとの密接なつながりにあることを明瞭に選び取った。

9月3日、南オセチアをめぐる最近の紛争でグルジアを支持し、ロシアを非難した大統領を、ユリア・ティモシェンコ首相が支持することを拒否したため、ユシチェンコが与党連合から離脱して、オレンジ革命ウクライナの親NATO派ビクトル・ユシチェンコ大統領政府は崩壊した。ユシチェンコは、親米的姿勢を支持しそこねたことに対し、ティモシェンコを「反逆、政治的腐敗」と非難した。彼は、事実上同盟関係にあったティモシェンコの党によって通過した、首相候補に対する大統領拒否権を奪い、大統領弾劾の手順を容易にする新法にも反対した。ロシアのRAIノーボスチ通信によると、ウクライナの親ロシア派元首相で地域党党首のビクトル・ヤヌコーヴィチは、ユリア・ティモシェンコ・ブロックと組んで議会多数派を形成する可能性を排除しないと語った。そのような動きにより、ウクライナのNATO加盟申請問題そのものの議論が消える可能性がある。

アメリカのグローバル戦略は危機的状況にあり、これをはっきりとモスクワも感じ取っている。アメリカ合州国は、イラク戦争に、そして益々アフガニスタン戦争に対処するのに不十分な戦力しか持ち合わせていない。これらはいずれもユーラシアのライバル諸国、特にロシアと中国を軍事的に支配するためのアメリカ政策にとって不可欠な部分だった。しかしながら、グルジアでロシアに対し威嚇的な武力の誇示以上の軍事行動など、本質的にアメリカの虚勢であることが今やグルジアの全隣国にばれてしまった。

現在のアメリカ戦略の継続は、ロシアより、イスラム教徒との戦争に対処することを意味している。アメリカ大統領選のかけひきの合流、日に日に悪化しつつあるアメリカの経済と財政の破壊的な危機と、2001年にブッシュ政権がワシントン入りして以来、アメリカ外交政策への信頼性が世界中で失われつつあることが、ハルフォード・マッキンダーが最も恐れた悪夢を具現化すべく、他の大国が行動を開始する空白を生み出した。ロシアという肝要なハートランドが、主として、冷戦中のように銃によってではなく、経済と貿易協力を通して、中国、カザフスタンや他の上海協力機構加盟諸国と戦略的関係を構築することができるのだ。

ワシントンは壊滅的な戦略的誤算をしたが、グルジアだけでのことではない。それは、OECDとロシアの間に平和的経済協力の橋を築く素晴らしい機会があった1990年にさかのぼる。そうはせず、父親ジョージ・ブッシュとアメリカは、明らかにより良いオプションと考えて、NATOとIMFを東方に送り、経済的混乱、略奪と不安定をもたらした。次期大統領は、あの機会を逸した尻ぬぐいをすることになろう。

[1] Sir Halford J. Mackinder, The Round World and the Winning of the Peace, New York Council on Foreign Relations, Foreign Affairs, Vol. 21, No. 4, July 1943, pp.599-601.

[2] While still ostensible allies, during the World War II the United States started to prepare for war with the Soviet Union. In the summer of 1945, at the time of the Conference in Potsdam, the United States had secretly adopted a policy of 'striking the first blow' in a nuclear war against the Soviet Union. To that effect a secret document JCS 1496 was drafted on July 19, 1945. The first plan for nuclear attack was drafted soon afterwards by General Dwight Eisenhower at the order of President Truman.

The plan, called TOTALITY (JIC 329/1), envisioned a nuclear attack on the Soviet Union with 20 to 30 Atomic-bombs. It earmarked 20 Soviet cities for obliteration in a first strike: Moscow, Gorki, Kuibyshev, Sverdlovsk, Novosibirsk , Omsk, Saratov, Kazan, Leningrad , Baku, Tashkent, Chelyabinsk, Nizhni Tagil, Magnitogorsk, Molotov, Tbilisi, Stalinsk, Grozny, Irkutsk, and Jaroslavl." Detailed in Michio Kaku and Daniel Axelrod, To Win a Nuclear War: The Pentagon's Secret War Plans, Boston, South End Press, 1987, pp. 30-31. The secret Pentagon strategy since the end of the Cold War to use modernization of its nuclear strike force and deployment of missile defense technology is but a modern update of a policy established in 1945—Full Spectrum Dominance of the world, via the destruction of the only power capable of resisting that dominance—Russia.

[3] Zbigniew Brzezinski, A geostrategy for Eurasia, New York Council on Foreign Relations, Foreign Affairs, September/October 1997.

[4] Condoleezza Rice, et al, National Security Strategy of the United States, Washington D.C., National Security Council, September 20, 2002.

[5] Philip Zelikow and Condoleezza Rice, Germany Unified and Europe Transformed , Cambridge, Harvard University Press, 1995, pp. 180-184. US Ambassador to Moscow at that time, Jack Matlock, confirmed in personal discussion with German researcher, Hannes Adomeit, of the Stiftung Wissenschaft und Politik of the German Institute for International and Security Affairs, that he had been present and noted in his diary that US Secretary of State James Baker III had agreed in talks with Soviet President Mikhail Gorbachev that ‘Any extension of the zone of NATO is unacceptable.’ Curiously, Baker omitted the pledge entirely in his memoirs.

[6] Richard L. Garwin, Ballistic Missile Defense Deployment to Poland and the Czech Republic, A Talk to the Erice International Seminars, 38th Session, August 21, 2007, in www.fas.org/RLG/. Garwin, a senior US defense scientist demonstrated the fraudulent nature of the US Government’s motivation for its missile policy, p.17. Garwin asks, ‘Are there alternatives to the Czech-Polish deployment? Yes…An Aegis cruiser deployed in the Baltic Sea and another in the Mediterranean could thus provide equivalent protection of Europe against Iranian missiles.’ Garwin as well reaches the same conclusion as Putin: the US missiles are aimed directly at Russia.

[7] Robert Bowman, Lt. Col. and former head of SDI research under President Ronald Reagan, cited in, National Security Council Institutional Files, POLICY FOR PLANNING THE EMPLOYMENT OF NUCLEAR WEAPONS, 17 Jan 1974, NSDM 242, in http://64.233.183.104/search?q=cache:xHvc_74xiroJ:nixon.archives.gov/find/textual/presidential/nsc/institutional/finding_aid.pdf+NSDM-242+henry+kissinger+role+in&hl=en&ct=clnk&cd=3&gl=de&client=firefox-a

[8] RAI Novosti, Medvedev outlines five main points of future foreign policy, August 31, 2008.

 

F. William Engdahlは、A Century of War: Anglo-American Oil Politics and the New World Order (Pluto Press)、およびSeeds of Destruction: The Hidden Agenda of Genetic Manipulation (www.globalresearch.ca) の著者であり、新著、Full Spectrum Dominance: Totalitarian Democraty in the New World Order (Third Millennium Press)は十月末刊行の予定。www.engdahl.oilgeopolitics.netで連絡がとれる。

F. William Engdahlは、Global Researchの常連寄稿者。F. William Engdahによる、Global Research記事


 

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© Copyright F. William Engdahl, Global Research, 2008

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2008年9月12日 (金)

本当の麻薬王:CIAの麻薬取引関与小史

ウィリアム・ブルム

2008年8月30日

revolutionradio.org

1947年から1951年、フランス

アルフレッド・W・マッコイの著書The Politics of Heroin in Southeast Asia、によると、CIAの武器、資金とデマが、マルセイユのコルシカ島人犯罪組織が、労働組合の支配を共産党から奪取することを可能にした。コルシカ島人は、政治的影響力と、波止場の支配権を獲得し、マフィア麻薬密売人との長期的協力関係を固めるのに理想的な状況となり、マルセイユは、西側世界において、戦後のヘロインの中心地となった。コルシカ島人が波止場地区を掌握してから、わずか数カ月後、マルセイユで最初のヘロイン研究所が1951年に開設された。

1950年代初期、東南アジア

中国共産党に対する戦争遂行のためにCIAが組織した中国国民党軍は、世界最大のアヘンとヘロインの供給源、ゴールデン・トライアングル(ビルマ、タイとラオスの一部)のアヘン豪族となった。ClAが主要株主であるエア・アメリカが、麻薬を東南アジア全域に空輸した。(クリストファー・ロビンズ著、エア・アメリカ、Avon Books、1985、第9章を参照)

1950年代から1970年代初期、インドシナ

アメリカ軍が、ラオスやインドシナの他地域に介入していた間、エア・アメリカは、アヘンとヘロインを地域中に空輸した。ベトナムに駐留した多くのGlが麻薬中毒になった。北部ラオスのCIA本部に作られた研究所がヘロイン精製に使われた。十年間のアメリカ軍事介入後、東南アジアは、世界中の違法アヘン70パーセントの供給源、アメリカの成長著しいヘロイン市場への原料主要供給源となった。

1973-80、オーストラリア

シドニーにあるヌガン・ハンド銀行は、事実上CIA銀行だった。同行の幹部には、同社弁護士の一人でもあった元CIA長官ウイリアム・コルビーを含む、アメリカ人将軍、提督やCIAネットワーク関係者がいた。サウジアラビア、ヨーロッパ、東南アジア、南米やアメリカの支店を通じて、ヌガン・ハンド銀行は、麻薬取引、マネーローンダリングや国際的武器取引に資金を提供した。1980年、何人かが謎の死を遂げるさなか、同行は倒産し、$5000万ドルの負債が残った。(ジョナサン・クウィトニー著、The Crimes of Patriots: A True Tale of Dope、Dirty Money and the CIA、W.W. Norton & Co.、1987年刊行、を参照。)

1970年代と1980年代、パナマ

この将軍が麻薬密輸とマネーローンダリングに深く関与していることを、アメリカの麻薬取り締まり当局が1971年という早い時期から知っていながら、パナマ独裁者のマヌエル・ノリエガは、十年間以上、高給をはむCIA情報提供者、協力者だった。ノリエガは、コントラに対する「麻薬と交換用の銃砲」貨物便の便宜をはかり、保護とパイロット、麻薬カルテル幹部の為の安全な隠れ場、目立たない金融機関銀行を提供した。当時のClA長官ウイリアム・ウエブスターや何人かのDEA職員を含むアメリカ官僚は、(メデリン・カルテルのパトロンの競争相手に対してだけだったが)麻薬取引を妨害した努力に対して、ノリエガに称賛の手紙を送った。アメリカ政府は、彼がキューバ人やサンディニスタたちに諜報情報や活動を提供していることを発見すると、ようやくノリエガと敵対し、1989年12月パナマに侵略し、将軍を誘拐した。皮肉なことに、パナマ経由の麻薬取引は、アメリカ侵略後に増大した。(John Dinges, Our Man in Panama, Random House, 1991; National Security Archive Documentation Packet The Contra, Cocaine, and Covert Operations.)

1980年代、中米

サンノゼ・マーキュリー・ニューズの連載記事は、CIA、コントラとコカイン・カルテルという、織り混じった作戦中のより糸の一本にすぎない。ニカラグアの左翼サンディニスタ政府を打倒することに熱中するあまり、レーガン政権の官僚は、麻薬密売人たちが、反共ゲリラのコントラを支援している限り、麻薬取引を大目に見ていた。1989年、テロリズム,麻薬,国際作戦に関する上院小委員会(ケリー委員会)は、以下のように述べて、三年間の捜査の結論とした。

「個別のコントラ、コントラへの供給業者、コントラのために働いたコントラの傭兵パイロット、そして地域全域のコントラ支持者の側が、交戦地帯を経由した麻薬密輸実質的証拠があった …。中米に関与していたアメリカ人官僚は、対ニカラグア戦争推進工作を台無しにするのを恐れるあまり、麻薬問題に対処しそこねた …。いずれの場合も、麻薬取引に関する情報を、その取引の最中なり、その直後にはアメリカ政府のどれかの機関が持っていた…。麻薬による資金はコントラ資金援助問題完璧な解決策だという発想に、アメリカの政策立案幹部は免疫がなかった。」(Drugs, Law Enforcement and Foreign Policy, a Report of the Senate Committee on Foreign Relations, Subcommittee on Terrorism, Narcotics and International Operations, 1989)

コントラの「南部戦線」として機能したコスタリカには(ホンジュラスは北部戦線だった )、麻薬取引に関与するいくつかの異なるClA-コントラ・ネットワークがあった。マーキュリー・ニューズが詳細を報じたメネセス-ブランドン作戦のために働いた連中や、ノリエガの工作に加え、CIA工作員ジョン・ハルという人物がいた。コスタリカとニカラグアの国境沿いにあった彼の農場は、コントラ作戦の主要舞台だった。ハルや他のClAとつながったコントラの支持者やパイロットが、マイアミに本拠を持つコロンビア人の大物麻薬密売人ジョージ・モラレスとくんだ。モラレスは、300万ドルの現金と、飛行機数機をコントラ指導者に渡したことを後に認めた。1989年、コスタリカ政府がハルを麻薬取引で告訴すると、DEAが雇った飛行機が、こっそり違法にこのCIA工作員を、ハイチ経由で、マイアミへと移送した。裁判にかけるため、ハルをコスタリカに送還させようというコスタリカの努力を、アメリカは再三妨害した。コスタリカに本拠をおく別の麻薬組織には、CIAがコントラ用の軍事訓練担当者として雇用したキューバ系アメリカ人の集団がからんでいた。彼らの多くはCIAとの麻薬取引に長らく関与していた。彼らはコントラの飛行機とコスタリカに本拠を持つ船会社を使い、CIAのために資金を洗浄し、コカインをアメリカに運び込んだ。コスタリカだけが唯一のルートではなかった。CIAと深い関係を持っているグアテマラ軍諜報組織が多数の麻薬密売人を匿った。DEAによると、コカイン・ハイウエイ上のもう一つの中間駅だった。

さらに、メデリン・カルテルの在マイアミ経理担当者ラモン・ミリアン・ロドリゲスは、エルサルバドルのイロパンゴ空軍基地を本拠地にしていたベテランCIA工作員フェリックス・ロドリゲスを通して、1000万ドル近くを、ニカラグア・コントラに注ぎ込んだと証言した。コントラは、これらのClAとつながった麻薬ネットワークに、保護とインフラストラクチャー(飛行機、パイロット、滑走路、倉庫、トンネル会社や銀行)とを提供した。少なくとも麻薬取引に関して捜査されていた運輸会社四社は、非致命的な武器をコントラに輸送するアメリカ政府の契約を得ていた。「元」ClA所有で、後にはペンタゴンと契約していた、サザン・エア・トランスポートも、麻薬密売に関与していた。コカインを積んだ飛行機が、フロリダ州、テキサス州、ルイジアナや、「コントラ同業組合」として指定されているいくつかの軍事基地をふくめた他の場所に空輸した。こうした貨物は検査を受けないことになっていた。内情を知らされていない官庁が彼らを逮捕すると、太いコネを使って、訴訟の取り下げ、無罪放免、減刑判決、あるいは、国外追放を実現させていた。

1980年代から1990年代初期、アフガニスタン

ClAが支援したムジャヒディン・ゲリラは、ソ連が支援する政府や、非常に遅れたアフガニスタン社会を改革しようという彼らの計画と戦う一方、麻薬取引に深く関与していた。ClAの主要な相手は、グルブッディーン・ヘクマティヤールで、有力な麻薬王、ヘロイン精製業者の一人だった。CIAはトラックとラバを提供したが、これを使って、武器をアフガニスタンに運び込み、アヘンをアフガニスタン・パキスタン国境沿いの工場に運ぶのに用いられた。生産物は、アメリカ合州国で毎年消費されるヘロインの二分の一、西欧で使われる四分の三を満たした。アメリカ人の役人は、1990年、同盟相手のパキスタン人やアフガニスタン人を怒らせたくないという願望から、麻薬事業の捜査、あるいは取り締まりをやりそこなったことを認めた。1993年、あるDEAの役人は、アフガニスタンを麻薬世界の新コロンビアと呼んだ。

1980年代中頃から199O年代初期、ハイチ

ハイチの軍と政治の有力な人物と協力しながら、CIAは顧客の麻薬取引を見て見ぬ振りをした。1986年、CIAは新しいハイチの組織、国家情報庁(SIN)を創設して、給与支払い名簿に新たな名前を書き加えた。SINはコカイン取引と戦うため創設したのだと言われてはいたが、SIN職員自身が密輸に従事し、取引でハイチ軍や政治指導者の犯罪を幇助した。

ウィリアム・ブルムは、Killing Hope: U.S Military and CIA Interventions Since World War ll の著者。本はCommon Courage Press、P.O. Box 702、Monroe、Maine、04951で購入可能。

記事原文のurl:revolutionradio.org/2008/08/30/the-real-drug-lords/

Killing Hopeの一部は、ご本人のwebにものっている。

帝国への血塗られた道 ウィリアム・ブルムとのインタビュー

益岡賢氏が訳しておられる。Killing Hopeについての長文!

ウィリアム・ブルムの本『アメリカの国家犯罪全書』は翻訳・刊行されており、日本語でよめる。

原書Rogue State 益岡賢訳

2008年9月10日 (水)

パキスタン国内でのアメリカの攻撃、新たな戦争の徴候

Peter Symonds

2008年9月5日

wsws.org

アメリカの対パキスタン戦争勃発のリスクを持った、水曜日のアメリカ特殊部隊兵士によるパキスタンの村に対する地上攻撃は、アフガニスタン戦争を隣国にまで拡大する恐れがある。パキスタンは、同国の軍隊がワシントンからの圧力のもと、アフガニスタン内で反占領ゲリラを支援しているイスラム教民兵を粉砕しようとする中で、既に部族国境地域における事実上の内戦に直面している。

最大20人の民間人を死亡させた攻撃は、パキスタン内におけるアメリカの作戦の明確な拡大を表している。かつては目標を爆撃するのにアメリカのプレデター無人偵察機と戦闘機が使われてきたが、水曜日の襲撃はパキスタン領土内におけるアメリカの地上軍による初めての攻撃の好例だ。ホワイト・ハウスとペンタゴンは、この出来事についてのコメントを拒否したが、様々な匿名のアメリカ当局者がマスコミに対し、襲撃が実行されたことを認め、同じようなことが今後更に行われる可能性があると述べた。

攻撃は正当な理由のないものだった。アメリカ兵は南ワジリスタンのジャラル・ヘイ村に午前3時頃ヘリコプターで着陸し、即座に三軒の家を標的にした。戦闘はおよそ30分続き、女性と子供を含む15人から20人の死者をだした。

あるアメリカ当局者は、CNNに対し、間近に女性と子供がいた可能性はあるが、任務が開始された時には、「屋敷内から全員が発砲しながら出てきた」ことを認めた。むき出しの侵略行為に対するこの見え透いた正当化さえ恐らくは嘘だろう。「住民全員が眠っているうちに殺された大変に恐ろしいことだ」村人ディン・モハンマドは、パキスタンの新聞インターナショナル・ニューズに語った。

新聞には死傷者の詳細が書いてある。4人の女性、2人の子供と3人の男性を含むファウジャン・ワズィールの家族9人。ファイズ・モハンマド・ワズィール、彼の妻、更に家族二人、ナザル・ジャンとその母親。ナザル・ジャンの家族更に二人が重傷を負った。

アメリカと国際的マスコミは、村の周辺アンゴール・アッダ地域は「タリバンとアルカイダの有名な本拠地」だと書いているが、主張を裏付ける証拠は何も提示していない。村人のジャバール・ワズィールはインターナショナル・ニューズに語っている。「殺害された人々は全員貧しい農民で、タリバンとは無関係だ。」

インターナショナル・ヘラルド・トリビューンに対するコメントで、パキスタン人幹部の一人は、アルカイダ幹部あるいはタリバン指導者の誰も,捕捉も殺害もできなかった襲撃に「カウボーイのような振る舞い」とレッテルを貼った。「連中がもしも誰か大物をやっていたら、自慢したにちがいない」と彼はコメントした。

攻撃は、パキスタンで激しい怒りをひき起こした。パキスタン外務省は、この攻撃に「パキスタン領土のひどい侵害」とする声明を発表し、アメリカのパキスタン大使アン・パターソンを召喚し説明を求めた。北西辺境地域(NWFP)知事オワイス・アフメド・ガニは「パキスタン軍が国家主権を守るべく立ち上がることを国民は期待している」と断じた。彼は死者の数を20人とした。

パキスタン軍広報担当官アサール・アッバス少将は、襲撃は「全く逆効果で」、かつては国境地帯におけるわが軍の作戦を支持していた部族民の間においてさえ、反乱をひき起こす危険があると語った。

インターナショナル・ニューズはこう報じている。「怒った村人たちは、後に、アングール・アッダのパキスタンとアフガニスタンとの間の幹線道路上に、殺された部族民の亡骸を置いて封鎖した。彼らはアメリカとNATOの軍当局が何ら理由もなく国境を越え、無辜の人々を殺害したことに対するシュプレヒコールを叫んだ。」

アメリカの襲撃は、新大統領の選挙が明日行われる予定であるパキスタン内部の政治危機を、悪化させた。与党パキスタン人民党(PPP)は、ずっと微妙な綱渡り状態にある。パキスタン軍によるアフガニスタン国境沿いの取り締まりに対するアメリカの要求を支持し続けながら、広くゆきわたった怒りをしずめ、アメリカの傀儡だという非難をかわそうとしているのだ。

ブッシュ政権のエセ「対テロ戦争」支持の立場を再確認しながら、PPPの大統領候補アシフ・アリ・ザルダリは昨日のワシントン・ポストのコラムでこう宣言した。「我々はアメリカ合州国、イギリス、スペインや、攻撃された他の国々を支持する。」ザルダリは更に、パキスタン領土が、アフガニスタン内のアメリカやNATO軍に対する襲撃出撃に使われることが決してないようにすると約束した。

しかしながら、PPPの広報担当者ファルハトゥラー・ババルが説明したように、アメリカの攻撃は、政治的には不面目なものだった。「国境のこちら側におけるいかなる行動も、パキスタン軍自身によって行われなければならないことを我々は明言してきた」彼はAP通信社に語った。「これは政府にとって極めて厄介なものだ。人々はパキスタン政府を非難しはじめるだろう。」

拡大した戦争

水曜日の攻撃を実施する決定は、ホワイト・ハウスとペンタゴンの最高レベルで行われたことは疑うべくもない。ニューヨーク・タイムズが今年早々の記事で報じていたように、パキスタン内におけるアメリカ軍特殊部隊の使用と、プレデター無人偵察機ミサイル攻撃を含む既存CIA作戦の強化をめぐり、ワシントンでは高官レベルの議論が起きている。

一月早々の会合には、ディック・チェイニー副大統領、コンドリーザ・ライス国務長官、統合参謀本部議長マイク・マレン海軍大将、国家安全保障と諜報機関幹部と顧問らが参加した。1月6日のニューヨーク・タイムズによると、論じられたオプションには、「CIAがパキスタン内の選ばれた標的を攻撃することに関する制限の緩和」や、ネイビーシールズのようなアメリカの特殊作戦部隊を伴う作戦が含まれている。

1月27日に、当時のパキスタン大統領ペルベス・ムシャラフは、マイク・マコーネル国家情報長官とマイケル・ヘイデンCIA長官が提案した、秘密のCIA任務、あるいは、パキスタン治安部隊との統合作戦によるパキスタンにおけるアメリカ戦闘部隊の駐留拡大を拒否したはタイムズは報じていた。一見、拒否は受け入れたものの、アメリカはパキスタン国境地域を支配下におくよう、パキスタンに対する圧力を強化した。

反占領ゲリラがアフガニスタン内で伸長し、アメリカとNATO兵士の死傷者数の増大を公言しており、パキスタンは格好の身代わりにさせられている。ワシントンはパキスタン軍が、イスラム教民兵を押さえそこねていることを再三非難し、アフガニスタン内で、パキスタン軍諜報機関が積極的に反米ゲリラを支援していると主張してきた。

マレン海軍大将は、二月以来、パキスタン側の相手であるアシュファク・パルベス・カヤニ陸軍参謀長と五回の会談を行い、より強硬な措置をとるよう迫っている。最近では、会談は、先週末アラビア海に配備された空母アブラハム・リンカーン船上で行われた。CNNに対するコメントの中で、あるアメリカ人幹部は、パキスタン領空あるいは、領土内で、アメリカ兵士がタリバンやアルカイダ攻撃作戦を行うための何らかの新たな合意があったかいなかについては「発言を控えた」。

パキスタン軍が暗黙のうちに水曜日の攻撃を承認していようといまいと、ブッシュ政権は、戦争をパキスタン国内へも拡大するつもりであることを明らかにしている。アメリカ首脳の発言を引用し、ニューヨーク・タイムズは水曜日に、襲撃は「ジョージ・W・ブッシュ大統領の軍事会議で、ロバート・ゲーツ国防長官が何カ月も主張してきた秘密計画である、特殊作戦部隊による、パキスタン内のタリバンとアルカイダに対するより大規模な作戦開戦の一斉射撃だという可能性がある」だと報じた。

アメリカの対パキスタン戦争を勃発させるリスクを持った、この実に無謀な政策は、超党派的なものだ。事実、民主党大統領候補者バラク・オバマは、パキスタン内に本拠を持つゲリラに対するアメリカによる一方的な攻撃による「対テロ戦争」の拡大を支持することを繰り返し宣言している。彼の立候補は、ブッシュ政権のイラク侵略がアメリカの利益を台無しにしていることに批判的なアメリカ支配層の各層から強い支持を受けてきた。攻撃的なアメリカ軍の行動に反対するどころではなく、オバマは、中央アジアとインド亜大陸とでアメリカの戦略的利益を促進する手段として、焦点をアフガニスタンとパキスタンに移す政治的手段となっている。

ジャラル・ヘイ村に対するアメリカの攻撃は破滅的な結果をもたらす可能性があるにもかかわらず、既に進行中である政策転換の、もう一つの証明だ。

下記も参照:

US continues to defend air strike on Pakistani military post

[2008年6月13日]

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2008/sep2008/paki-s05.shtml

2008年9月 8日 (月)

王様は裸だ -1 (ジャック・ヘラーのマリファナ論)

第1章

大麻史概観

本書の記述を簡潔にするために:

アステリスク(*)印を付けた事項の説明、あるいは典拠は、各段落末にあげる。簡潔にするため、事実、逸話、歴史、研究等々の他の典拠は、本文中に引用するか、または付録にまとめた。本書で引用した事実は、おおむね、主に大麻から作った紙に150年以上もの間印刷されていたエンサイクロペディア・ブリタニカで検証可能である。ただし、一般的な検証目的であれば、どの百科事典 (いくら古いものであれ)でも、良い辞書でもかまわないはずだ。

カンナビス・サッテイヴァ L.

別名: ヘンプ、カンナビス・ヘンプ、インド・ヘンプ、トゥルー・ヘンプ、マグルズ、ウイード、ポット、マリファナ、リーファー、グラス、ガンジャ、バング、「カインド」 ダッガ(南アフリカ)、ハーブ等々、これらの全ての名前は全く同一植物を指している!

名詞になっているものは? (アメリカの地名)

例えば、ロングアイランドのヘンプステッド(HEMPstead); アーカンサスのヘンプステッド(HEMPstead)カウンティ、テキサスのヘンプステッド(HEMPstead)、ノースカロライナのヘンプヒル(HEMPhill)、ペンシルバニアのヘンプフィールド(HEMPfield)等は大麻を栽培した地域にちなんで、或いは、大麻栽培から付けられた家名に由来している。

アメリカ史覚え書き

1619年、アメリカ最初のマリファナ法が、バージニア、ジェームスタウン居留地で制定されたが、それは全ての農家にインディアン大麻の実の(栽培を)試みるよう「命じる」ものだった。より強制的な(栽培しなければならないという)大麻栽培法が、1631年にはマサチューセッツで、1632年にはコネチカットで、更にチェサピーク居留地では、1700年代中期まで施行されていた。

イギリスでさえも、大麻を栽培しようという外国人には、皆が熱望するイギリス国籍という対価が国家から与えられ、拒否する連中に対しては、往々にして罰金が科せられた。

アメリカの大半の場所で、1631年から1800年代初期まで、大麻は法定貨幣(お金)だった。なぜか? アメリカの農民に、もっと栽培するように奨励するためだ。1

アメリカ中で、200年間以上も、大麻で税金を支払うことができた。2

アメリカでは、何度かの飢饉の時期に、大麻を栽培しないという理由で投獄されることさこえあり、例えば、バージニアでは1763年から1767年の間そうだった。(Herndon、G.M.、Hemp in Colonial バージニア、1963; チェサピーク Colony ies、1954; L.A.Times、August 12、1981; 他)

ジョージ・ワシントンとトーマス・ジェファーソンは、彼らのプランテーションで大麻を栽培していた。ジェファーソンは、3外交官としてフランスにいる間、彼自身と秘密エージェントが多大の費用を費やして、特にすぐれた大麻の実を、違法で中国からトルコに密輸する大変な危険さえ冒した。中国の高級官吏(政治指導者達)は、大麻の実を非常に大切にしており、輸出は死罪に処していた。

1850年のアメリカ合衆国国勢調査では、布、キャンバス、さらに艤装、木綿のベール梱包用に大麻を栽培している、8,327カ所の大麻「プランテーション」があった* (最小面積2,000エーカーの農場)。こうしたプランテーションの多くは、主として1865年以前に労働集約的な大麻産業用の安い奴隷労働を使うことが可能だったという理由から、南部や境界州にあった。

(アメリカ国勢調査、1850; Allen、James Lane、法の支配、ケンタッキー 麻畑の物語、MacMillan Co.、NY、1900; Roffman、Roger、Ph.D. 薬としてのマリファナ、Mendrone Books、WA、1982.)

*この数値は、アメリカで大麻を栽培していた何万もの、より小規模な農場、または、何百万ではないにせよ、何十万もの家庭大麻耕地は含まない。200年もの間、今世紀に入ってさえ、80パーセントのアメリカの大麻消費を、ロシア、ハンガリー、チェコスロバキアやポーランド等から輸入しなければならなかったことは考慮に入れていない。

ベンジャミン・フランクリンは、アメリカ最初の大麻を使う製紙工場の一つを操業していた。これにより、アメリカは、イギリスに紙や本が必要だと請願したり、納得させたりする必要なしに、植民地の自由な新聞を持つことができた。

更に、様々なマリファナやハシシ抽出物は、1842年から1890年代までの間、アメリカ合衆国で、第一位、第二位、そして第三位に良く処方される薬だった。人間に対する医薬としての利用は1930年代を通して続き、この時代アメリカと世界の獣医薬としても傑出していた。

大麻抽出薬はエリ・リリー、パーク-デイビス、ティルデンズ、ブラザーズ・スミス(スミス・ブラザース)、スクイブ他、多くのアメリカやヨーロッパ企業や薬局によって製造された。この間、大麻抽出薬による死亡例は一つもとなく、初めての使用者、或いは新米の使用者が、時に見当識障害になったり内省的になりすぎたりするのを除き、事実上いかなる乱用も精神障害も報告されていない。

(御厨、Tod、M.D.、Marifana Medical Papers、Medi-Comp Press、CA; Cohen、Sidney & Stillman、Richard、Therapeutic Potential of Marifana、Plenum Press、NY、1976.)

世界史の注

「織られた布地で、世界で最も古いものはあきらかに大麻で、第八千年期には使われ始めていた (8,000 - 7,000 B.C.)」

(コロンビア世界の歴史、1981、54ページ.)

大麻に関する多数な文献(つまり、考古学、人類学、文献学、経済、歴史)は、少なくとも以下の点では合致している。

キリスト生誕の1,000年以上昔から1883年まで、大麻、つまり、マリファナは、地球上最大の農作物、最重要の産業で、何千もの製品、企業を生み出していた。地球上の繊維、生地、照明用油、紙、お香や薬の、圧倒的多数を作り出していた。更に人類と動物にとって不可欠な食用油と蛋白質の主要な源でもあった。

事実上全ての人類学者や、世界中の大学によれば、マリファナは大半の宗教や儀式でも、雰囲気、精神、或いは痛みを改善するために最も良く利用された七つ程の薬の一つとして用いられ、向精神薬、幻覚的(精神を現す、或いは精神を拡大する)聖餐として服用された。

ほとんど例外なしに、こうした聖なる(薬)体験は、人類の迷信、お守り、護符、宗教、祈祷、そして言語符号を刺激した。

(第10章「宗教と魔術」参照)

(Wasson、R.、Gordon、Soma、Divine Mushroom of Immortality; Allegro、J.M.、Sacred Mushroom & the Cross、Doubleday、NY、1969; Pliny; Josephus; Herodotus; Dead Sea Scrolls; Gnostic Gospels; Bible; Ginsberg Legends Kaballah、c. 1860; Paracelsus; British Museum; Budge; Ency. Britannica、"Pharmacological Cults;" Schultes & Wasson、plants of the Gods、Research of R.E. Schultes、Harvard Botanical Dept.; Wm EmBoden、Cal State U.、Northridge; et al.)

大麻供給を確保するため戦われた大戦争

例えば、1812年の(アメリカがイギリスに対し戦った)戦争の主な理由は、ロシアからの大麻調達だった。ロシアの大麻が、ナポレオン(1812年のわが同盟者)と彼の「大陸体制」同盟軍が、1812年にロシア進入した主な理由だったのだ。(第12章、「1812年の(大麻)戦争とナポレオンのロシア侵略」参照)

1942年、日本のフィリピン侵略後、マニラ(アバカ)アサの供給を絶たれ、アメリカ政府は400,000ポンドの大麻の種をウイスコンシンからケンタッキーに至る、アメリカ農家に配給し、農家は42,000トンの大麻繊維を1946年の戦争終結迄、毎年生産した。

歴史上なぜ大麻/マリファナはそれほど重要だったのか?

なぜなら大麻は、総合的に、地球上で最も丈夫で、最も耐久力があり、長持ちする天然の柔らかい繊維だからだ。その葉と花頂(マリファナ)は、少なくとも3,000年間、世界人類の2/3にとって、今世紀の始めまで、文化により、一番目、二番目あるいは三番目に重要で、良く利用される薬だった。

植物学的に、大麻は地球上で最も進んだ植物の科の一つだ。大麻は雌雄異体で(雄、雌があるが、時には雌雄同体、つまり雄と雌が同じ植物上にある)、木質で、事実上地球上の他のどの植物より太陽を効率的に活用する一年生草本植物で、一度の短い栽培期間にたくましく12から20フィート以上の丈まで伸びる。大麻は事実上地球上のどんな気候や土壌条件でも、限界的な環境でさえ育つ。

大麻は、地球で断然一番の再生可能な天然資源なのだ。これがなぜ大麻がそれほど重要なのかという理由である。

脚注:

1. Clark、V.S.、History of Manufacture in the United States、McGraw Hill、NY 1929、Pg. 34.

2. Ibid.

3. ジョージ・ワシントンの日記; WWritings of George Washington、Letter to Dr. James Anderson、May 26、1794、vol. 33、p. 433、(U.S. govt. pub.、1931); Letters to his caretaker、ウイリアムズ・ピアス、1795 & 1796; トーマス・ジェファーソン、Jefferson's Farm Books、Ernest、マリファナ: The First 12,000 Years、Plenum Press、NY、1980; M. Aldrich、et al.

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ロシア系関取のマリファナ疑惑がかまびすしい。数年前に、某大手新聞社幹部の師弟が、マリファナ吸引をしたということで、マスコミが賑やかだった時期があったと記憶している。ヘロイン、コカイン、あるいは他の合成薬物は、無条件に好ましからぬ物質ということで、禁止されるのは道理かも知れない。しかし、知人で、海外に山岳探検にでかけた際に、現地でマリファナを試したという人の話を思い出した。「マリファ、試したけど、リラックスする程度のことで、とうということはなかったよ」というのだ。どこの国の話だったかも覚えていない。知人の経験、たしか40年ほど前のことだ。

それで気になって、マリファナ、大麻関係の本を数冊まとめて読んでみた。

「第二次大戦後、アメリカによって禁じられた」ようだが、なぜいけないのかは、そうした本を読む限りさっぱりわからなかった。法律を読んでもわからない。ヨーロッパには、マリファナを合法にして、公然と喫煙させる国があるという。オランダだったか。皆様も是非どれかをお読みいただきたい。そもそも、マスコミが一斉に、何かをほめたり、けなしたりするのは、お上の政策のラウドスピーカー。大本営発表活動に決まっている。

小選挙区制導入、二大政党制称賛、憲法改正(実は破壊)、そして9/11、対テロ戦争、小泉郵政911詐欺選挙。イラク特措法、そして2008年自民党総裁選挙等々。

そうしたキャンペーン、これまで庶民の為になったためしがない。だから、一斉キャンペーンの時には、なんであれ、まず眉につばをぬりたくるようにしている。

webを見ると、日本でも、マリファナ合法化を主張しておられる方々もある。

大麻とはなにか?

麻と人類文化

宗主国アメリカにも、熱心な活動家がおられる。ジャック・ヘラー氏だ。麻・マリファナ擁護論の大部な本を書き、印刷物を販売する一方で、オンラインで公開している。

The Emperor Wears No Clothes

そこで、彼の公開本の一部を翻訳掲載させていただくことにした。

印刷された本には、膨大なイラストや写真、図版も入っている。これを機会に、是非原書のお求めを。

2008年9月 6日 (土)

グルジアのチェイニー:石油を追い求めて砲艦外交

Tom Eley

2008年9月5日

先月のカフカスにおける戦争の余波の中、アメリカは、ロシアとの緊張を着実に深化させる策を継続している。

木曜日、アメリカ副大統領ディック・チェイニーがグルジアの首都トビリシにあらわれた。チェイニーは、グルジアのNATO加盟に対するアメリカの支持を繰り返し表明する一方、ロシアに対し敵意に満ちた非難をした。

わずか一日前、国務長官コンドリーサ・ライスは、貧困にあえぐ黒海の国家に対して、10億ドルという驚くべき金額の財政支援を提案した。

訪問中、チェイニーは、グルジアはアメリカの軍事保護領だと宣言するのに等しい発言をした。グルジア大統領ミヘイル・サアカシュヴィリに、チェイニーは「アメリカ合州国の支持と援助の継続を期待してよろしいと言ってやった。私は大統領に、グルジアの領土保全に対するわが国の固い支持も保証した。」と語った。

「グルジアは我々の同盟国だ」チェイニーは約束した。「NATOは防衛同盟だ。誰に対する脅威でもない。」

主要なヨーロッパ諸国、特にドイツが、ブッシュ政権の熱心な努力にもかかわらず、今の所、反対しているため、グルジアはまだNATO同盟国に加盟できずにいる。これも、最近の戦争の結果、変わるかも知れない。

ブッシュ政権が提案している10億ドルの支援計画は、6300万ドルだった昨年の財政的援助に比べて莫大な増加であり、グルジアは、イスラエルとエジプトにつぎ、アメリカ対外援助を三番目に多く受ける国となる。資金のおよそ半額は今年の議会で承認される予定で、残りの半額は、議会の次期会期の始めに承認される予定だ。

ライスは、資金は戦争の間、ロシアの攻撃によって破壊されたグルジア軍再建に割り当てるものではないと主張した。とはいえ、グルジアの金庫に入ってしまえば、資金がまさにその目的で使われることはないと信ずべき理由はほとんどあるまい。ガーディアンのある報道は、チェイニーは訪問中に「グルジアの武器購入希望品の長いリスト」について会談するだろうと書いている。

水曜版の「グルジアを救え」という見出しの社説で、ニューヨーク・タイムズは、チェイニーの訪問に対しては「神経をとがらせてはいた」ものの、グルジアに向けた予算支出案と、ブッシュ政権の強硬な反ロシア姿勢を歓迎した。タイムズによると、「西側は、決して怖じ気づいて、奮闘しているデモクラシーを見捨てるようなことはしないのを、モスクワは理解するべきだ。」

黒海におけるアメリカの権謀術数はデモクラシーと無関係だ。そうではなく、二つの密接に関連する狙いが、グルジアに対するライスの莫大な財政支援提案と、チェイニーのほぼ同時期の訪問を鼓舞したのだ。第一に、ワシントンは対ロシア戦争に備えつつあること。第二に、ロシアの軌道外に、石油と天然ガス・パイプライン確保を求めていること。

チェイニーのグルジア訪問は、核ミサイルを迎撃するように設計された、明らかにロシアに対して向けられている、アメリカのミサイル・システムを、ポーランドが国内に設置することを同意したわずか二週間後、ロシアに敵対的なもう一つの国ウクライナに対して予定されていた訪問より、わずか一日前のことだ。

チェイニーがグルジアに到着したのと同じ日、アメリカは表向き人道的任務で、更にもう一隻の戦艦、地中海艦隊の旗艦、揚陸指揮艦マウント・ホイットニーを黒海、グルジアへと向かわせた。

これはもう典型的な砲艦外交だ。だがワシントンは、対ロシア戦争の高度な準備を行いつつある。これには、アメリカの政治、軍事支配者達が、迎撃ミサイル網によって、それを実行することが可能になったと考えている核兵器による第一撃も含まれている。

グルジア訪問の前日、チェイニーは、ヨーロッパ市場向けカスピ海石油とガスの唯一の非ロシア支配経路、バクー-トビリシ-ジェイハンの石油と、バクー-トビリシ-エルズルム・ガス・パイプラインの出発点アゼルバイジャンにいた。グルジア安全保障会議書記アレクサンドル・ロマイアは、共に行った訪問は「代替エネルギー・ルートとエネルギー源は、確保されるという、極めて明瞭な信号だ」と語った。

アゼルバイジャンは、イルハム・アリエフ大統領のもと、最近はワシントンとモスクワの中間を行こうと試みてきた。グルジアをめぐる西側からのロシアの孤立にかかわる公式発表では概して中立的な立場をとり続けており、モスクワは、アリエフ政府に言い寄ろうと試みている。アゼルバイジャンは、グルジアでの不安定さを理由にして、石油の一部をロシア・パイプライン経由で流し始めてさえいる。アナリストは、チェイニー訪問は、バクーをなだめて引き戻そうとする試みだと考えている。

チェイニーは、アゼルバイジャンでの短い滞在の間に時間をさき、BPとシェブロン石油の現地幹部と非公式会談を行った。

アゼルバイジャン滞在中、チェイニーは、この地域で、軍事、および石油/ガス枢軸の形成を狙っていることを明らかにした。チェイニーは「エネルギー輸出ルートは多様で、信頼がおけるものであること」に対するアメリカの関心の重要性と、「資源の自由な流れを保証するエネルギー輸出のための追加ルート」が必要であることを指摘し、エネルギー・パイプラインの保護と増設のために、トルコの支援を得ると約束した。ロシアの経済的復活の基盤と、ロシアの石油輸出をむしばむべく計算された取り組みだ。

そのような同盟の二つ目の目的は対イラン戦争の準備だろう。トルコとアゼルバイジャンはイランに国境を接しており、グルジアは輸送拠点と空爆作戦基地として利用可能だろう。

下記も参照:

European Union summit sides with Georgia

[2008年9月2日]

Danger grows of NATO-Russian clash in Black Sea

[2008年9月1日]

Georgian crisis heightens US-Russian tensions over Ukraina

[2008年8月29日]

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2008/sep2008/chen-s05.shtml

2008年9月 5日 (金)

パキスタン: "タリバンのゴッドファーザー" 文書は、長年にわたるパキスタンの対タリバン・過激派支援の詳細を記録

National Security Archiveによる

Global Research、2008年8月31日

National Security Archive

Global Research編集者の注記:

新たに機密リストから除かれた、タリバンやカシミール分離主義者集団に対するパキスタンの秘密支援に関する文書は、ソ連アフガニスタン戦争勃発以来、パキスタン諜報組織とその秘密工作の歴史的な役割を追認するものだ。

ただし機密リストから除かれた文書は、アメリカ諜報機関の役割には触れていない。

これらの秘密活動を遂行するにあたって、パキスタン諜報機関は、CIA代理の「仲人」として機能してきた。

ソ連アフガニスタン戦争は、カーター政権時代に始められたCIAの秘密行動計画の一部であり、後にアルカイダとして知られるようになったイスラム教徒旅団を、積極的に支援、資金援助を行っていた。パキスタン軍事政権は、1970年代後半、最初から、アフガニスタンにおけるアメリカの支援による軍事、諜報作戦で、主要な役割を演じた。冷戦後の時代、アメリカの諜報作戦におけるパキスタンの主な役割は、より広範な中央アジア- 中東地域にまで拡大された。CIAが保護していた黄金の三日月地帯における麻薬取引行為は、ムジャヒディンへ支援を送り込むのに使われた。

パキスタンを足掛かりとして使う、アフガニスタンにおけるアメリカの秘密戦争は、実際は、ソ連による「侵略」前、カーター政権時代に開始されていた。ソ連アフガニスタン戦争のさなかCIA副長官の職にあったロバート・ゲーツ国防長官の自叙伝には、ソ連侵略前に、イスラム教徒旅団に対する援助を行う路を開拓する上で、アメリカ諜報機関が当初から直接関与していたとある。このロバート・ゲーツ発言は、カーター大統領の国家安全保障顧問ズビグニュー・ブレジンスキーによっても追認されている。(Nouvel Observateur、インタビュー、1998年1月15-21日)

CIAによる支援と、膨大な量のアメリカ軍事援助注入を受け、パキスタンISIは「 政府のあらゆる分野で巨大な権力を振るう並列構造」へと進化した。(Dipankar Banerjee、"Possible Connection of ISI With Drug Industry"、India Abroad、1994年12月2日). ISIは、軍および諜報将校、官僚、秘密工作員や情報提供者からなる職員を有し、その数は150,000人と推定されている。(同上)

歴史的に、パキスタンは「対テロ戦争」において中心的役割を演じてきた。ワシントンの立場からすれば、パキスタンは地政学的活動の中心なのだ。パキスタンは、アフガニスタンとイランと国境を接している。アフガニスタンにおけるアメリカと同盟諸国の軍事作戦遂行の上で、またイランに対するペンタゴンの戦争計画という文脈でも、重要な役割な役割を演じている。

パキスタンは、アメリカが支援する、中東、アフリカ、中央アジア、南、および東南アジアのイスラム教徒旅団の養成所であり続けている。

ペルベス・ムシャラフ大統領は、西側のマスコミでは、「対テロ戦争におけるアメリカの同盟者」と紹介されている。事実は逆だ。パキスタンの軍事政権は、1970年代後半以来、ワシントンに成り代わり、「イスラム教テロ組織」を終始一貫して幇助し、資金援助してきている。

パキスタンのISIは、常にワシントンと密接に連携して動いている。パキスタン経由で注ぎ込まれたアメリカの軍事援助無しには、タリバンが、一大政治勢力となって、政府を作ることは不可能だったろう。

文書を検討する際は、パキスタン諜報機関の従属的な役割を念頭に置くべきだろう。

Michel Chossudovsky、2008年8月31日

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以下に、National Security Archiveからの長い本文あり。

Pakistan: "The Taliban's Godfather"?

Documents Detail Years of Pakistani Support for Taliban, Extremists

Covert Policy Linked Taliban, Kashmiri Militants, Pakistan's Pashtun Troops

Aid Encouraged Pro-Taliban Sympathies in Troubled Border Region

National Security Archive Electronic Briefing Book No. 227

Edited by Barbara Elias

Posted - August 14, 2007

For more information contact:

Barbara Elias - 202/994-7000

belias@gwu.edu

http://www.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB227/index.htm

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=10015

以下、省略。

記事原文のurl:www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=10015

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下記の毎日新聞記事が、いっそう興味深く読める。リンクが切れてはいけないので、全文を引用させていただく。

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<アフガン拉致殺害>「パキスタンが黒幕」国家保安局が発表

9月5日2時31分配信 毎日新聞

 【ニューデリー栗田慎一】アフガニスタン東部で非政府組織「ペシャワール会」メンバーの伊藤和也さん(31)が拉致、殺害された事件で、アフガン国家保安局(NDS)は、「パキスタン軍情報機関(ISI)が事件の黒幕だ」と発表した。だがこれまでもNDSは、国内のテロ事件の責任を明確な根拠を示さないままパキスタンに負わせる言動が目立ち、事件はパキスタンの責任だと世界に印象付けたい思惑も垣間見える。伊藤さん殺害事件の真相はアフガンとパキスタンの確執に巻き込まれ、解明されないまま終わる可能性も出ている。

 NDSは3日、事件で拘束されたアーディル・シャー容疑者(25)が、「ISIから報酬支払いを条件に拉致を依頼された」と供述したと発表した。ただ直接依頼を受けたのは逃走中の共犯者で、その人物がシャー容疑者に拉致話を持ちかけたという。

 シャー容疑者は伊藤さんが拉致された8月26日、拉致現場付近に潜んでいるところを拘束された。地元ナンガルハル州警察のパチャ本部長は29日、毎日新聞に対し同容疑者が、「パキスタン北西部のペシャワルで(反政府武装勢力の)タリバンから拉致を命じられた」と供述していると語った。

 NDSは州警察の調べが終了した30日から、シャー容疑者の取り調べに着手したとされる。州警察は同容疑者の国籍について「アフガニスタン難民」としたが、NDSは「パキスタン市民」、容疑者の動機についても「復興支援の中止」(州警察)、「金銭目的」(NDS)とするなど、両者の食い違いが目立っている。

 NDSは4月のカルザイ大統領暗殺未遂事件や、7月にインド大使館付近で起きた自爆テロについても「ISIの犯行」とした。真相は不明だが、「カルザイ政権はカブールすら統治できていない」との批判が国際社会で高まる中、治安悪化の責任をパキスタンに転嫁するために、ISI関与を強く主張している面が否めない。

 パキスタン軍幹部は4日、NDSの発表について「アフガンの現実逃避だ」と否定。ナンガルハル州警察幹部は「(NDSの発表内容には)我々の知らない部分があるが、コメントは控えたい」と口を閉ざした。

 【ことば】▽ISIとNDS▽ パキスタン軍情報機関(ISI)はアフガンの武装勢力タリバン発足に深くかかわり、その後もタリバン政権を強く支援してきた。一方、01年のタリバン政権崩壊後に発足したアフガン国家保安局(NDS)は、タリバンと戦った「北部同盟」の故マスード司令官の側近が幹部を占め、ISIやパキスタンへの敵対心が特に強いとされる。

2008年9月 3日 (水)

アフガニスタン、血まみれの8月

ジェイムズ・コーガン

2008年9月2日

アフガニスタンにおけるアメリカおよびNATO兵士の八月の死亡者数は、この日曜日で、45人にのぼり、ほぼ7年に及ぶ戦争で、月間死者数の過去最高となった。物資補給部隊を防御していたルーマニア兵士の一人が、乗っていた車両が、首都カーブルと東部諸州を結ぶ幹線道路に埋められていた地雷に乗り上げた際に死亡した。他のルーマニア兵3名が重傷を負った。

八月の死者数のうち、21人はアメリカ兵だ。四倍の以上のアメリカ人兵士が駐留するイラクでは、死亡者数は22人だった。死亡者1名につき、負傷者が5人いるという典型的な割合を考えると、8月アフガニスタン戦域では、100人以上のアメリカ兵士が何らかの負傷を負った可能性がある 。

8月18日、ゲリラが、カーブル東部への偵察部隊を奇襲した際に、フランス兵10名が死亡し、23名が負傷した。カナダ兵5名、ポーランド兵3名とイギリス兵2名が死んだ。ドイツ、デンマークおよびラトビア兵士それぞれ一名が死んだ。2008年の、アメリカとNATO兵士の死者総数は198人となった。

死傷者については、アフガニスタン政府軍と警察による正確な数値はないが、先月公表された数値によると、一カ月に、平均150人の警官が殺害されている。

NATOが指揮する国際治安支援部隊(ISAF)には、現在約52,000人の兵士がいるが、2006年と2007年、イラクでゲリラが最も激しかった段階に拮抗しはじめたゲリラに直面している。2001年のアメリカ侵略によって打倒されたタリバン政権に忠実なゲリラが南部アフガニスタンから、カーブル周辺の地域のパシュトゥーン族諸州におけるNATO標的への攻撃を拡大している。

アフガニスタン-パキスタン東部国境地域沿いの山岳地帯の険しい地域で活動している、アメリカが指揮する総勢19,000人の別部隊は、元アフガニスタン軍閥の長グルブッディーン・ヘクマティヤールが指揮するきわめて組織だった抵抗に直面している。1980年代のソ連占領軍に対するゲリラ戦の頃には、CIAのお気に入りだったヘクマティヤールは、パキスタンの連邦直轄部族地域(FATA)にある安全な隠れ場で指揮をしていると信じられている。

71,000人の外国人兵士を、総勢65,000人のアフガニスタン政府軍が補強している。ただし装備があまりに貧弱なので、この部隊はほとんど、アメリカ/NATOの航空支援、兵站と諜報無しでは活動できない。

タリバンとヘクマティヤールが動員できる戦士の数については、推計数はきわめて様々だ。主たるタリバン司令官のジャラルディン・ハッカーニは、15,000人から20,000人の兵士を結集できるようだ。ここ四年間で、アフガニスタン内で、著名な立場に戻ったヘクマティヤールは、ずっと少ない勢力を指揮している可能性が高い。アメリカ軍の空襲や、はるかに強力な装備をもったアメリカとNATOの軍による一方的な戦闘で、毎年何千人も死傷しているにもかかわらず、これら双方の派はゲリラ作戦を続行できている。対ソ連戦争時代にそうであったように、世界の他の国々から来たイスラム過激派が、現地アフガニスタン人ゲリラを支援していると信じられている。そうした外人過激派の人数の推計は、500人から、8,000人にも及ぶというものまである。

激しい戦闘の結果、ヘルマンド州のキャンプ・バスチォンでイギリスが運営する病院は、ある医師の言葉によれば、「世界で最も多忙な外科病院」と化している。そこでは週に100人以上の病人を治療しており、8月29日のロイター記事では「半数以上が、爆発による大外傷で、手術が必要なものである」という。負傷者の中には、アメリカ/NATO兵士、アフガニスタン軍兵士や警察官、タリバン戦士や民間人がいる。記者が訪問した日に、病院にいた負傷者の中には、アメリカ軍による「民間人誤爆」にあった、18カ月にも満たない女の子がいた。この女の子は助かりそうもないという。

ゲリラの主要な標的の一つは、パキスタンのカラチ港から、パキスタンのFATA地域の峠を越えて、アフガニスタンに至るアメリカとNATOの物資補給部隊だ。先週イギリスのサンデー・テレグラフがインタビューした、カイバル峠地域のある部族民によると、カーブルに向かう物資補給部隊に対する攻撃は事実上毎日起きている。「ロケット弾で破壊された車両が道路脇にあるのをみることができますよ」と地元の部族指導者の一人は語った。「残骸はいつまでもそのままではありません。[パキスタン]軍が、まだ道路を掌握している振りをしたいので、すぐに撤去するのですが、実際は今にも支配権を失う瀬戸際です。」

テレグラフ紙によると、奇襲された物資補給部隊から略奪されたアメリカ軍備品は、パキスタン、ペシャワール市の様々な市場で堂々と売られている。記者たちは、ヘルメット、制服、地図、ざん壕用工具、支給食糧パックや従軍記章を目にしたと報じている。

兵士ではなく、契約業者が、アフガニスタンに品物を運び込む物資補給車両の大半を運転している。その多くは、かなりの額の現金をもらえる約束で、この危険な仕事に、誘い込まれたアフガニスタン人あるいはパキスタン人だ。最新の数値はないが、2007年6月には、少なくとも80人の契約業者が殺害され、少なくとも879人が負傷した。過去数カ月間だけでも、更に数十人の死が報告されている。

今年の、アフガニスタン民間人死亡者数は、8月22日のアメリカ軍による西部のヘラト州アジザバド村空襲で90人以上の男性、女性と子供の虐殺のおかげで、先月ほぼ1,000人にのぼった。ブッシュ政権とアメリカ軍は、依然、殺害がおきたことを否定している。

先週木曜日、ドイツ兵たちが、北部の都市クンドウスにある検問所に接近した際、すぐに減速しなかっという理由で、自動車の中にいた女性一人と子供二人を殺害した。報復行為として、道路脇爆弾一発が、週末市郊外を偵察していたドイツ部隊に対して爆発したが、死傷者は出していない。

アメリカ/NATO兵士による民間人に対する最近の虐殺だとする彼らが主張するものに抗議するため、昨日、何百人ものアフガニスタン人が、カーブル街頭でデモを繰り広げた。カーブル郊外での占領軍兵士による家宅捜査の際に、男性一名と、彼の二人の幼児が自宅で射殺されたといわれている。東部の州パクチカで、昨日地上部隊を支援するために用いた特科射撃が、民間住居にあたり、子供三人が死亡し、少なくとも七人の非戦闘員が負傷したことをISAFは認めた。

パキスタン国境周辺でのできごとのおかげで、ここ数週間、アフガニスタン、特に東部で、戦闘が激しくなる見込みだ。パキスタン政府は週末、連邦直轄部族地域FATAのバジャワル地区と、北西辺境州(NWFP)のスワット渓谷地域のタリバンと関係した過激派に対する、いくつかの軍事攻勢を中止したのだ。

当初、停戦協定は、戦乱から避難した何十万人もの民間人が、イスラム教のラマダン時期に、自宅に帰れるようにするためだという理由で正当化されていた。本当の動機は、むしろ先月の元独裁者ペルベス・ムシャラフ辞職を受けた、9月6日のパキスタン議会の新大統領選任投票だ。

与党パキスタン人民党(PPP)の候補者アシフ・アリ・ザルダリは、他の二候補の挑戦を受けている。イスラム教政党ウレマ・イスラム協会と、NWFP出身の政治家が、ザルダリ支援の代償である、軍事攻勢を終わらせた。多くの信心深いパシュトゥーン系パキスタン人はアフガニスタンにおける、対アメリカ/NATO占領軍ゲリラに共感しており、FATA地域における反タリバン作戦を、アメリカ合州国を代行する不当な代理戦争と見なしている。

空爆を避けるべく、解散、あるいは身を隠したゲリラ勢力が、一カ月間の停戦協定のおかげで、再結集し、国境を越えてアフガニスタンへともどることが可能になる。ヘクマティヤールは、現地のパキスタン人タリバン司令官による保護のもと、バジャウルで指揮をしていると考えられている。かなりの人数の外国人イスラム過激派がこの地区にいるという報告がある。

七月には、バジャウルとの国境からわずか数マイル、ワナトのコナル村にあるアメリカ軍前哨基地に対するゲリラの攻撃が大規模な戦闘となり、守備隊45名のうち、アメリカ兵9人が死亡し、15人が負傷した。先週コナルで、もう一つの小規模なアメリカ軍駐屯地が攻撃されたが、襲撃者は撃退された。

下記も参照。

Pentagon denies responsibility for US massacre of Afghan villagers

[2008年9月1日]

Military offensive displaces 300,000 in north-west Pakistan

[2008年8月23日]

French troops killed in Afghanistan: another sign of an escalating war

[2008年8月21日]

記事原文のurl:www.wsws.org/articles/2008/sep2008/afgh-s02.shtml

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個々の誤射、虐殺、もちろん理不尽な誘拐殺人をとりあげることは大切だろう。

しかし、そうした個々の戦乱全体をひき起こす状況は、決して偶然の結果ではなく、大国の意図的な長期基本計画の中で起きていることを知り、個別事件のみならず、そうした壮大な企みを立案、実行する大国の実情を知ることも大切だろうと思う。

日本国憲法にたいする壊憲の主張、集団安保論議、在日米軍再編成、日本からのイラク派兵、テロ対策特別措置法等々は、世界新秩序を目指す、アメリカの一貫した施策の大きな流れの中にあるにすぎない。個別の法律にいくら反対していても、きりがない。

アフガニスタンをネタに世界遠征軍創設を進めるアメリカの施策とその現状については、下記をお読み願いたい。

いっそNATOを廃絶しては?

NATO、 コソボ、アフガニスタンとパキスタン: NATOはアフガニスタンで一体何をしているのか?

タリバンのテト攻勢が始まった。

NATO の白鳥の歌: アフガニスタンおける敗北の本当のコスト

売国政治家と売国マスコミが支配する体制が変わらなければ属国体制は変わらない。とはいえ、変わるべき理由とて皆無。

女性売国宰相があらわれようと、野党を装う与党分派の売国代表が政権をになおうと、属国体制は強化されるばかり。

「周辺自体」というあやしい概念を押しつけられ、のみこんだのは、日本だけではなかった。NATOヨーロッパは喜んで飲み込み、憲法9条がないので、アフガニスタンのISAFに兵員を派遣し、無辜のアフガニスタン人を無差別に殺している。

小選挙区制度を導入し、憲法9条を破壊し、今や、アフガニスタンのISAFに、兵員を派遣しようと提唱しているのが、マスコミが手放しで絶賛するエセ野党代表ではないか?

911選挙にころりだまされ、売国自民党に投票した総員B層国民、今度は二大政党政権交代のトリックに騙され、一層逃げ場のない状況に陥るに違いない。政権交代など政権後退の誤変換。飛んで火にいる夏(秋)の虫。

マスコミは、小選挙区導入を煽動した。その結果はどうなったろう。

マスコミが、さんざん小泉人気をあおった。その結果はどうだったろう。

マスコミが、今、女性宰相や政権交代をあおるなら、その結果も想像がつくではないか。

マスコミは、読者の幸福より、宗主国とスポンサーの幸福が大切。壮大な詐欺手品だ。

正気で生きるには、「テレビは見ず、新聞は読まず」にいるしかなさそうだ。

二大政党制なるものの末路、宗主国のインチキ大統領選を見れば猿でもわかろうに。

2008年9月 1日 (月)

バイデン、イラクとオバマの裏切り

Prof Stephen Zunes

2008年8月24日

Foreign Policy in Focus

民主党大統領候補者となったばかりのバラク・オバマが、ジョセフ・バイデンを副大統領候補に選出したことは、民主党予備選挙と、党員集会での困難な戦いを勝利に導いた反戦派支持層に対する、驚くべき裏切りだ。

ベテランのデラウエア選出上院議員は、アメリカによる中東や東欧の軍事化、キューバに対する厳しい経済制裁、そしてイスラエルの占領政策に対する、議会中の主要な支持者だ。

しかし、最も重要なのは、2002年後半、イラク戦争に至る上院外交委員会の委員長をつとめていたバイデンは、あの石油が豊富な国を侵略するというブッシュ政権の決断に対する、恐らく、アメリカ議会の中で最も重要な支持者であったことだ。

候補者間の差を縮めた

オバマと、間もなく共和党大統領候補となるジョン・ マケインの最も重要な違いの一つは、オバマにはアメリカのイラク侵略に反対する知恵と勇気があったことだ。オバマと彼の支持者は、正しい海外政策判断の方が、経験の長さよりはるかに大切だ、と正しくも主張してきた。これは、マケインに加わって、イラク戦争決議を支持したヒラリー・クリントン上院議員に対する、イリノイ選出上院議員の選挙運動の中でも、主要で重要とおぼしき主張だった。

とはいえ、バイデンを選んだ事で、外交問題では、ずっと豊富な経験を持ってはいるが、判断を間違えることで悪名が高く、間もなく共和党大統領候補となる人物同様、オバマは、二人の大統領候補の、この重要な違いなど大事ではないと言っているのと同じだ。この判断は、従って、本選挙において彼の最大利点の一つを打ち消してしまう。特に懸念されるのは、民主党のタカ派から体制派の人物を選んだことで、オバマが大統領として行うであろう外交政策担当職任命で、どんな人物を選ぶかという可能性を示唆している点だ。

オバマが副大統領としてバイデンを選んだことで、かつては熱心だった支持者基盤に対して、極めて大きな悪影響をもたらす可能性が高い。オバマの支持者は、イラクは、アメリカの国家安全保障上の利害に対する差し迫った危機であり、イラクの侵略と占領が必要だという、ブッシュ政権のあからさまな偽りの主張を、彼がむやみに受け入れなかった事実を高く評価してきた。バイデンが共和党の同意権の連中とつるんで、侵略を承認する上院決議を推進していたのと同じ頃、オバマはシカゴでの大きな反戦集会で、正当にもイラクの交戦能力は大幅に弱体化されており、国際社会はサダム・フセインが将来侵略行為をするのをうまく封じ込められることをあげて論じていた。

対照的に、サダム・フセイン指揮下のイラクは、国連の武装解除施策と包括的国際経済制裁によって、大幅に弱体化されていたにもかかわらず、なぜか「アメリカの国家安全保障にとっての長期的、短期的脅威」であり、「世界にとっても極めて危険」だと偽りの主張をして、ブッシュが正しく、オバマは間違っている、とワシントンでバイデンは主張していたのだ。いかなる「大量破壊兵器」あるいは、攻撃的な軍事能力がなかったにもかかわらず、昨年のインタビューで、これらの発言を蒸し返されるとバイデンは答えた。「その通り。私は正しかったんですよ。」

バイデンは戦争承認を指導した

イラク戦争という悲劇を可能にする上で、バイデンが果たした重要な役割を評価しすぎるのは困難だ。2002年の戦争決議案が発表されるより二カ月も前に、今や議会がアメリカのイラク侵略を認めた最初の兆しとして広く理解されている行為だが、バイデンは8月4日、アメリカ合州国は、恐らく戦争をすることになろうと語ったのだ。上院外交委員会委員長という強力な立場から、彼は反対意見など公平に聞いてなどもらえないことを確証することにより、懐疑的な同僚議員達や、アメリカ国民に対し、戦争を売り込むよう仕組まれたプロパガンダの見せ物を画策したのだ。元国連の主席武器査察官スコット・リッターが当時言っていたように、「バイデン上院議員のイラク聴聞会は、イラクに対する現代版トンキン湾決議を発動させるために使われた政治的詐欺に過ぎません。彼の委員会は、イラクがもたらしている兵器による脅威の本質について、答えにくい難問を問うべきであり、確かな事実を要求すべきです。」

バイデンはそうするつもりなどないことが間もなく明らかになった。バイデンは、イラクの大量破壊兵器の能力を誰よりも知っており、イラクは、少なくとも、質的には軍備縮小を実現していたと、証言したであろうリッター本人が証言することを拒否した。皮肉なことに、昨年のMeet the Pressで、イラクの大量破壊兵器にまつわる自分の偽りの主張を「世界中の全員が、サダムは大量破壊兵器を持っていると思っていたんだ。武器査察官も、彼は持っていたと言った。」と述べて、バイデンは自分の主張を弁護した。

バイデンは、聴聞会に、イラクや中東に詳しい主要な反戦派の学者を何人か入れようという民主党の同僚議員による要求を尊重することも拒否した。こうした人々には、存在しないイラクの大量破壊兵器能力に関するリッターの結論を繰り返したであろう人々や、アメリカのイラク侵略は、アルカイダに対する戦いを阻害し、アメリカ合州国は世界の多くの国から疎んじられようになり、テロが激化する中での、血まみれの都市型対ゲリラ戦争、イスラム教過激派、そして宗派間の暴力を勃発させかねないと証言しそうな人々があった。こうした予言全てが、まさにそのとおりに起きる結果となっている。

バイデンは、イデオロギーを優先する上司による人騒がせな主張に反対する覚悟でいた、ペンタゴンや国務省の反対意見を持った職員たちすら招こうともしなかった。彼は、その一方で、極めて適格性のいかがわしいイラク人亡命者には、サダム・フセインが所有するとされる、膨大な量の大量破壊兵器用資材に関する偽りの証言を進んで許したのだ。リッターは、バイデンが「前もって、事実とは無関係に、サダム・フセインを権力の地位から取り除くという結論を決めており. . .こうした聴聞会を、イラクに対する大規模軍事攻撃のための政治的な隠れ蓑として利用した。」と正当にも非難している

ブッシュ政権の嘘と情報操作の不幸な犠牲者どころではなく、ブッシュ以前に侵略を支持していたバイデンは、アメリカがイラク侵略するよう主張し、ジョージ・W・ブッシュ大統領が登場する何年も前から、サダム・フセインが 「大量破壊兵器」所有するとされるものについて虚偽の発言をしていた。既に1998年という昔に、バイデンは、アメリカがこの石油が豊富な国に侵略することを主張していたのだ。国連査察官と国連主導の武装解除手順により、イラクの大量破壊兵器の脅威を廃絶するに至っていたのに、バイデンは、国連の評判を損ない、戦争の口実を作り出す工作として、国連査察官の仕事など信頼できないと主張した。その年九月の上院のイラク聴聞会では、バイデンはリッターに言った。「サダムが権力を握っている限り、大量破壊兵器に関するサダムの計画全体を、君や他の査察官が、根も枝も完全に除去したと保証できるような、正当な見込みなどあるはずがない。」

7年も前に湾岸戦争規模の軍事行動を主張して、彼は「我々が、サダム・フセインを駆逐する唯一の方法は、結局私たちだけで事を済ませるしかないのだ」と語った。退役した海兵隊員に向かって、「再び砂漠に立って、サダムを引きずり下ろすためには、皆さんのような制服を着た人々が必要になるのです」と言ったのだ。リッターが、ビル・クリントン大統領が提案したイラクの大規模爆撃は、国連の査察行為を台無しにしてしまいかねないことを公表しようとすると、バイデンは、軍事力の使用という結論は「お前のような給与等級の及ぶところではない」と人を見下したように答えた。リッターの予言通り、クリントンが、その年の十二月、国連査察官にイラクからの退去を命じ、砂漠の狐作戦として知られている、四日間にわたる爆撃作戦を遂行したことで、サダムに査察官の再入国を拒否する口実を与えることになった。バイデンは、後年、サダムが査察官の再入国を拒否したことを、都合よく、開戦する口実に活用した。

戦争を鼓舞するための、バイデンの虚偽の主張

イラクの軍事能力に関する政権の主張に対する広範な疑念にもかかわらず、イラクが大量破壊兵器を求めているとされることを懸念しているブッシュ大統領は、正当化できるとバイデン主張した。イラクが1990年代中頃に、化学兵器庫を廃絶していたにもかかわらず、イラク戦争決議に至る数週間、サダム・フセインはまだ化学兵器を持っているとバイデンは断固主張していた。イラクが配備可能な生物兵器を開発した証拠などなく、生物兵器開発計画は数年前に廃絶したにもかかわらず、バイデンは、サダムは炭素菌を含む生物兵器を持っていると主張し、「彼は天然痘の細菌株を持っている可能性がある」と語った。さらに、国際原子力機関が、1998年という昔に、イラクが何らかの進行中の核開発計画を持っている証拠はないと報告したにもかかわらず、バイデンは、サダムは「核兵器を求めている」と主張した。

バイデンはこう言った。「一つはっきりしていることがある。これらの兵器をサダムから取り除くか、サダムを権力からはずさねばならない。」フセインを追放するためには、いかなる実際の兵器が存在する証明も不要だと彼は考えていた。一方で「もしも、我々がサダムの危機が明らかになるまで待つようであれば、遅すぎになる可能性がある。」と主張した。彼はさらに「国連や、同盟諸国を鼻であしらうことを彼はしなかった。新検査体制を解任しなかった。彼は議会を無視しなかった。重要な瞬間にはいつも、彼は節度と熟考の道を選んでいた。」と偽りの主張をして、ブッシュ大統領を擁護した。

戦争決議を正当化する為に仕組まれた、あのオーウェル風の言葉の歪曲として、はるか地球の裏側の国に、任意の時期、状況で侵略する先例のないことに対し、ブッシュ大統領に権限を与えるの承認で、バイデンはこう主張した。「私はこれを戦争への突進だとは思わない。これは平和と安全保障への行進だと信じている。この決議を圧倒的に支持しそこねれば、戦争が起こる可能性を高めかねないと信じている。」

バイデンは、侵略が決して、短期で、容易なものではなく、アメリカ合州国がかなりの長期間イラクを占領しなければならないことを十分に知りながら、それを支持したことを、特記しておかねばならない。彼こう宣言していた。「我々は、アメリカ国民に対して、はっきり言うべきだ。我々はイラクに対して、長期的に取り組むのだ。翌日までなどではなく、次の十年まで。」

バイデンの現在の立場

アメリカ侵略の悲劇的な結果と、それに伴う戦争に対する国民支持の弱まりに対応して、バイデンは、より最近では、政権の紛争処理方法を批判し、大半の戦闘部隊の撤退を主張する民主党議員の合唱に加わっている。彼は昨年初頭、ブッシュ大統領の兵員拡大(増派)に反対し、 イラク国内の現行の紛争解決には、国連や他国による一層の関与を主張した。

にもかかわらず、バイデンは、この国を、クルド、スンナ派アラブ人とシーア派アラブ人の現状区分されている区域で分離する案に対する、議会中の指導的支持者であるが、彼の提案は、イラク人の安定的多数によって反対され、主力のスンナ派、シーア派、そしてイラク国会内の世俗派によって、強く非難された。アメリカ国務省でさえ、バイデンの計画は余りに過激だと批判している。分割して統治せよという、ひねくれた危険な企み、中東の国境を引き直すというバイデンの野心的な狙いは、暴力的で、悲劇的な状況をさらに悪化させかねない。

ともあれ、2003年のアメリカ侵略に対する、議会承認を可能にする上でのバイデンの主要な役割は、オバマ支持者の間で、大きな懸念をひき起こしている。より最近には、自分の投票行動について遺憾の意を表明してはいるものの、公式に謝罪してはおらず、侵略そのものの違法性というよりは、ブッシュ政権による侵略後の占領処理がまずかったことを強調している。

決議に対するバイデンの支持は、単なる判断の誤りではなく、侵略戦争を禁ずる国連憲章や他の国際的法規に成文化されている原理の意図的な棄却である。憲法第VI条によれば、そのような棄却は、アメリカ法の違反にも等しい。バイデンは、もしも国連安全保障理事会が武力の使用を承認すれば、イラクに対するアメリカ軍の行為を承認したであろう、同僚の民主党上院議員カール・レビンが提案した修正案にすら反対し、アメリカ合州国が一方的に戦争を遂行することを承認するという共和党が提案した決議に賛成したのだ。実質的に、バイデンは、アメリカ合州国は、なぜか世界唯一の超大国として、たとえ現状ではアメリカの戦略的脅威となっていなくとも、他国を、したい放題に、侵略する権利を持っているというネオコンの見解を受け入れているのだ。

イラク戦争決議で示された危険な前例を考えると、戦争の主要支持者の一人を次期アメリカ副大統領になりうる人物として指名したことは、オバマ上院議員の国際法を守るという約束に対する深刻な疑問をひき起こしている。しかも、ブッシュ政権の8年間の後、より責任あるアメリカ海外政策を、世界が必死に待ち望んでいる時期にだ。大統領選挙運動の始めに、オバマは、イラクの戦争を終わらせるだけでなく、そもそもアメリカ合州国をイラクに侵略させた考え方そのものに挑戦すると約束した。しかしながら、バイデンを副大統領候補に選んだことで、「我々が信じられる変化」の約束をオバマが本当に守るのかどうかに対する疑念をひき起こしている。

Stephen Zunesは政治学教授で、サンフランシスコ大学の中東研究を統括しており、Foreign Policy in Focusのシニア・アナリストである。

記事原文のurl:www.fpif.org/fpiftxt/5492

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