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2008年7月 5日 (土)

帝国か博愛か? 学校では教えてくれなかったアメリカ帝国のこと

ハワード・ジン

占領軍がイラクとアフガニスタンで戦争を遂行し、世界のあらゆる部分で、軍事基地や企業が威圧している現在、アメリカ帝国主義の存在についての疑問など、ほとんど存在していません。確かに、かつては懸命に否定していた考え方は、高慢にも、外聞をはばからずに受け入れられるものとなったのです。

けれども、アメリカ合州国が帝国なのだという発想は、第二次世界大戦で、第8空軍の爆撃手としての兵役を終えて、帰国するまで、全く思いつきませんでした。広島や長崎でぞっとさせられて、自分自身のヨーロッパ都市爆撃という「良い戦争」のけがれのなさについ見なおし始めた後でさえ、そうしたものを、まとめてアメリカ「帝国」という文脈でとらえることが依然としてできませんでした。

皆と同様、イギリス帝国やヨーロッパの他の帝国主義大国のことは知っていましたが、アメリカ合州国も同じものだとは見てはいませんでした。戦後、復員軍人援護法のおかげで大学に行き、アメリカ史の授業を受けましたが、歴史の教科書には、「帝国主義の時代」という章がありました。その章は、きまって1898年の米西戦争と、その後のフィリピン征服について触れていました。アメリカ帝国主義は、わずか数年しか続かなかったように思えました。より広範囲な帝国、あるいは「帝国主義」時代、という考え方にまで到達するような、アメリカの拡張に対する包括的な見方というものはありませんでした。

大陸を横切って進む行進を、自然で、ほとんど生物学的現象であるかのように表現している、教室にあった(「西部開拓」という題の)地図を思い出します。「ルイジアナ購入」と呼ばれる、広大な土地の買収の表現には、空閑地を購入したようなニュアンスしかありません。この領土には、何百ものインディアン部族が居住しており、今で言う「民族浄化」によって、彼らは殲滅させられるか、家から追い出されるかし、白人がそこに定住し、やがて「文明化」や、残忍な不愉快さを予感させる鉄道が行き来する、というような観念は皆無なのです。

歴史の授業での「ジャクソン・デモクラシー」に関する討論も、アーサー・シュレジンガー Jr.が書いた『ジャクソン時代』という人気のあった本も、「5つの礼儀正しい部族」に、ジョージアやアラバマからミシシッピを越え、西方への死の行進を強いて、その途中で4,000人が亡くなった「涙の道」については教えてくれませんでした。南北戦争についての論述で、リンカーン政権が黒人に対して宣言した「奴隷解放」を描いているのと同じ様に、コロラド、サンド・クリークにおける何百人ものインディアン住民の虐殺を記述しているものは皆無です。

あの教室の地図には、南と西方向には「メキシコ領割譲」と題する部分もありました。アメリカ合州国が、メキシコの土地の半分を奪い、カリフォルニアと偉大なる南西部を入手した、1846年のメキシコに対する侵略戦争にとって、これは重宝な婉曲表現です。当時使われていた言葉「明白な運命(Manifest Destiny)」は、もまなく、もちろん、はるかに普遍的なものとなりました。1898年の米西戦争の直前、ワシントン・ポストは、キューバの先を見通していました。「我々は奇妙な運命と向き合っている。ジャングルの中では、口の中で血の味がするように、国民の口の中では、帝国の味がしている。」

大陸を横切る暴力的な行進、更にはキューバ侵略さえもが、アメリカの利害として、本来の領土のことであるように見えました。結局、1823年のモンロー主義は、西半球はアメリカの保護のもとにあるのだと宣言したのではなかったでしょうか? しかし、キューバ侵略の後、ほとんど休む間もなく、地球の裏側でフィリピン侵略がおきたのです。「帝国主義」という言葉が、今やアメリカの行動にぴったりのように思えました。事実、この長い、残酷な戦争は、歴史の本では、手短に上っ面しか扱われていませんが、これによって反帝国主義者同盟が生まれ、そこでウイリアム・ジェームズやマーク・トゥエインは、中心人物となりました。けれど、これも大学では学べなかったことの一つです。

『唯一の超大国』出現

それでも、教室外で読書をすることで、歴史の断片から、大きな寄せ木細工を組み立て始めたのです。最初、全く受け身の海外政策のように思えていた第一次世界大戦に至るまでの十年間が、今度は暴力的な介入の連続に見えてきました。コロンビアからの、パナマ運河地帯の奪取、海軍によるメキシコ沿岸砲撃、ほとんどの中米諸国への海兵隊派兵、ハイチやドミニカ共和国に派遣された占領軍。こうした介入の多くに参加した、数々の勲章を持つスメドレー・バトラー将軍が、後に書いています。「私は、ウォール街の使い走りだった。」

第二次世界大戦以後の日々、私が歴史を学んでいた、まさにこの時期、アメリカ合州国は、単なるもう一つの帝国主義大国ではなく、世界有数の超大国でした。核兵器の独占を維持、拡大すると決心し、アメリカは太平洋の孤島を占拠し、住民に退去を強い、島々を更なる原爆実験用の地獄のような施設に変えて行きました。

回顧録『避難場所無し(No Place to Hide)』の中で、そうした実験で放射線を監視したDavid・ブラッドリー医師は、実験チームが帰国した後に残されたものについて書いています。「放射能、汚染、破壊されたビキニの島々と、島を追われた、悲しげな目をした我慢強い人々。」太平洋での実験の後、長年にわたり、ユタやネバダの砂漠での更なる実験が続き、合計千回以上の実験が行われました。

朝鮮戦争が1950年に始まった時、私はコロンビア大学の大学院生として歴史を研究していました。大学の授業は、どれ一つとしてアメリカのアジア政策理解に役立ちませんでした。けれども私は、I. F. ストーンの「ウィークリー」を読んでいました。ストーンは、朝鮮への派兵に関する、政府による正当化に疑問を呈した数少ないジャーナリストの一人でした。当時、アメリカの介入を促した原因は、北朝鮮による韓国への侵略ということよりも、特に共産主義者が中国で権力を握っている以上は、アジア大陸に確固とした足場が欲しいというアメリカ合州国の願望であることが明白であるように思えたのです。

何年も後に、ベトナムへの秘密介入は、大規模で暴虐な軍事作戦へと化し、アメリカ合州国の帝国主義的設計は、私には一層明らかになりました。1967年に、私は「ベトナム:撤退の論理」という小さな本をかきました。その頃には、私は反戦運動に深く関与していました。

ダニエル・エルズバーグが私に預けたペンタゴン・ペーパーを何百ページも読んだ時に、私の目に飛び込んできたのは、国家安全保障会議の秘密メモでした。東南アジアにおける、アメリカの利害関係を説明しながら、アメリカの動機は、「すず、ゴム、石油」の探索だったとあからさまに語っていたのです。

米墨戦争での兵士の脱走、南北戦争時の徴兵暴動、世紀の変わり目の反帝国主義運動、第一次世界大戦に対する強い反対等々を含め、実際、アメリカ史上、ベトナム戦争反対運動の規模に達した反戦運動は皆無です。少なくとも、あの反対運動の一部は、ベトナム以上のものが危機にさらされているのだ、あの小さな国における暴虐な戦争は、より大規模な帝国設計の一部なのだ、という理解に基づいていました。

アメリカのベトナム戦争敗北に続く様々な介入は、依然君臨している超大国が、強力なライバルのソ連が崩壊した後でさえ、至る所で支配的な立場を確保しようとする死に物狂いの欲求の反映であるように思えました。そこで、1982年のグレナダ侵略、1989年のパナマ爆撃攻撃、1991年の第一次湾岸戦争というわけです。サダム・フセインがクウェートを占領したことに、父親ジョージ・ブッシュは心を痛めたのでしょうか、それとも、彼はあの出来事を、喉から手がでるほど欲しい中東の油田地帯に、アメリカの権力をしっかりと打ち込む好機として利用したのでしょうか? フランクリン・ルーズベルトの、1945年のサウジアラビアのアブドゥル・アジズ王との取引や、CIAによる1953年のイランでの民主的なモサデク政府の転覆にまでさかのぼる、アメリカ合州国の歴史、中東の石油に対する執念を考えれば、この疑問を判断するのは難しいことではありません。

帝国の正当化

9月11日の冷酷な攻撃は(公式の9/11委員会が認めている通り)中東や他の地域におけるアメリカの拡張に対する、強烈な憎悪から生まれました。あの出来事の前ですら、チャルマーズ・ジョンソンの著書『アメリカ帝国の悲劇』によれば、国防省はアメリカ合州国国外に、700以上のアメリカ軍事基地があることを認めていました。

あの日以来、「対テロ戦争」が始まり、更に多くの基地が建設されたり、拡張されたりしてきました。キルギスタン、アフガニスタン、カタールの砂漠、オマーン湾、アフリカの角、そしてどこであれ賄賂を使ったり、強要したりすれば言いなりになる国々に。

第二次世界大戦で、ドイツ、ハンガリー、チェコスロバキアや,フランスの都市を爆撃していた時、道徳的に正当化するのは、議論の余地がない程単純明快でした。我々はファシズムの悪から世界を救っているのです。ですから、別のクルーの射撃手が、彼と私の共通点はお互い本を良く読むことでしたが、彼が、これは「帝国主義者の戦争」だと言うのを聞いて大変に驚きました。いずれの側も、支配し征服するという野望に動機づけられているのだと彼は言ったのです。議論をしましたが解決はしませんでした。皮肉にも、悲劇的なことに、我々が議論をしてから間もなく、この戦友は撃墜され戦死しました。

戦争では、兵士たちの動機と、彼らを戦場に派兵する政治指導者の動機との間には、かならず違いがあるものです。私の動機は、他の多くの兵士たちと同様、帝国主義的野望とは無縁でした。ファシズム打倒を押し進め、侵略や、軍国主義や、人種差別のない、よりまともな世界を生み出したいというものでした。

アメリカ支配層の動機は、私の知り合いの航空射撃手が理解していたように、性格が異なっています。1941年という早い時期に、タイム、ライフ、およびフォーチュン誌のオーナーで大富豪のヘンリー・ルースが、「アメリカの世紀」の到来として、それを描き出していました。彼は言ったのです。「アメリカ合州国が、アメリカが適切と考える目的のために、アメリカが適切と考える手段によって、世界に対し、我々のあらゆる影響力を行使するべき時が到来した。」

これ以上率直で無遠慮な、帝国主義政策の宣言を期待することはまず不可能です。近年、ブッシュ政権の知的侍女たちが、これを繰り返していますが、この「影響」の動機に悪意はなく、「目的」は、ルース風の処方であれ、あるいは、より今風の物であれ、高貴なもので、しかもこれは「本格派ではない帝国主義」だ、という保証まで付けています。ジョージ・ブッシュは二期目の就任演説で言いました。「世界に自由を広めることこそ...現代の使命です。」ニューヨーク・タイムズは、この演説を「理想主義が際立っている」と評しました。

アメリカ帝国というものは、常に超党派プロジェクトであり続けています。民主党と共和党は、交互にそれを拡張し、称賛し、正当化してきました。1914年(彼がメキシコを爆撃した年)、ウッドロー・ウィルソン大統領は、海軍兵学校卒業生に、アメリカは「海軍と陸軍を... 侵略の道具ではなく、文明化の道具として使ってきたのです。」と語りました。そして、ビル・クリントンは、1992年、陸軍士官学校卒業生に語りました。「諸君がここで学んだ価値観は...アメリカ中に、世界中に広げることが可能です。」

アメリカ合州国の人々にとって、そして実際、世界中の人々にとって、こうした主張は、遅かれ早かれ、嘘であることがばれるものです。最初耳にした時には、説得力がありそうに聞こえる論理も、もはや隠すべくもない恐怖によって、あっという間に圧倒されます。イラク人の血まみれの死体、アメリカ兵士のちぎれた手足、中東で、そしてミシシッピの三角州で、自宅から追い出される何百万もの家族。

いわく、戦争は安全保障のために必要である、いわく、拡張は文明に必須である、という、アメリカ文化の中に埋め込まれた、私たちの良識を攻撃する帝国の正当化は、私たちの心に対する影響力を失い始めたのではないでしょうか? 世界の中に、アメリカの軍事力ではなく、博愛を広めるという、新しい暮らし方を受け入れる用意ができるような、歴史上の地点に、私たちは到達したのでしょうか?

上記は、下記に翻訳した「民衆のアメリカ史」コミック版、「民衆のアメリカ帝国史」刊行によせたハワード・ジンの記事翻訳。

下記を参照:

ハ ワード・ジン: 帝国の終焉?(「民衆のアメリカ史」コミック版によせて)

本記事原文のurl:www.alternet.org/audits/81005/?page=1

(原文は3ページにわたっています。)

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