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2008年6月 5日 (木)

人道的介入という暴力的愚行:西欧の妄想

Jean Bricmont

2008年5月27日

Counterpunch.org

なぜある人々が、本気でイラク戦争など「容易なこと」だと考えたのかを理解することは可能だ。まず、第二次世界大戦を考えてみよう。アメリカは、ドイツと日本を、民間人を含め、情け容赦なく爆撃し、これらの国々を軍事的に占領し、ほとんど完全な支配を押しつけた。それなのに、現在、ドイツと日本は、世界の中で最も信頼できるアメリカの同盟国だ。この同盟がどれほど深いものか、またどれほど長く続くかは今の時点ではわからないが、当面の所はそれが現実だ。

さて、冷戦について検討してみよう。かつて、ポーランドからブルガリアに至るまでの国々の政府は、アメリカに敵対的だったことを覚えておられよう。今や、彼等は、ひたすらNATOへの統合、高度なアメリカの対ミサイル防備システムと、イラク占領への参加を望んだのだ。あるいは更に驚くべきこととして、さほど遠からぬ昔、アメリカがベトナムを猛烈に爆撃し、何百万人もの人々を殺害し、環境を汚染したのに、アメリカの投資家がベトナムで諸手を挙げて歓迎されていることを考えて頂きたい。

彼らの小さな国を1999年に爆撃した後でさえ、セルビア人は期待通りに振る舞い、ミロシェビッチを選挙で追い出し、少なくともしばらくの間は、親西欧的な政府を受け入れ、自らの国への爆撃を、あからさまにではないにせよ、暗黙のうちに承認した。

こうした全ての結果、西欧、特にインテリ層の間で、(必ずしも、「特に」ではないにせよ)リベラル、あるいは左翼的知識人の間でさえ、大いなる西欧の妄想とでも呼べる支配的な世界観を生み出している。この見方によれば、世界、特に第三世界は、政治独裁者や 経済的に管理の下手な連中が支配する自国政府によって抑圧されている人々に満ちており、これら国民は良き、民主的で、リベラルな、開放市場の西欧によって、援助されたり、支持されたり、あるいは解放されたり(もし必要であれば軍事的手段によって)することだけを期待しているのだ。こうしたことから、左翼の大半が、数あるなかの、ウクライナ、ベラルーシ、レバノン、ジンバブエにおける「民主革命」や、中国国内の人権運動やチベットの独立を支持することになっている。

これが妄想だという理由は、二十世紀における根本的な変化、少なくとも、最も長期的に持続する衝撃をもっている、あるものを見おとしているためだ。それは、もはや過去に属することといえるファシズムあるいは共産主義の歴史ではなく、非植民地化だ。この動きは、人種差別主義者の支配というとりわけ暴虐な形から、何億人もの人々を解放しただけでなく、16世紀末以来、世界史における支配的な傾向であったもの、つまりヨーロッパ拡張の動きをひっくり返したのだ。二十世紀、ヨーロッパは衰退し、世界システムの中心としてのヨーロッパにアメリカが置き換わったが、そう長くは続くこともなさそうだ。

それさえ理解してしまえば、現代の妄想の源を理解するのはむしろたやすい。ドイツと日本は、第二次大戦前は帝国主義勢力であり、その理由もあって、強烈な反共産主義者だった。そこで、戦後アメリカが、そうした国々のエリートに対して進めたのは、基本的に、連中がそれまでしてきたこと、つまり共産主義との戦いを、比較的平和な手段で、アメリカの指導の元で、続けることだった。これは敗北した両国にとり、第一次世界大戦後の同盟国に対するヴェルサイユ条約よりも、遥かに受け入れやすい「解決策」だった。これが、なぜ第二次大戦後のドイツと日本におけるアメリカの政策が相対的に成功し、すくなくともこれまでのところは、むしろ安定した同盟に至ったのかの説明になる。

同じような考え方が、冷戦における「勝利」にもあてはまる。ソ連のアキレス腱は、常に東ヨーロッパ支配だった。実際東ヨーロッパの諸国民たちは自分を「ヨーロッパ人」と思っており、エリートたちは、「文明化した」 西欧を羨望のまなざしでみつめ、「野蛮な」東から目をそむけていた。そこで、彼らを「支配」することは、ソ連にとり、常に悩みの種だった(1953年の東ドイツから始まり、1956年のハンガリー 、1968年のプラハ、ポーランド等々)。そしてもちろん、アメリカを1989年以後熱烈に歓迎したのは、これらの国々だった。だが、その熱意は基本的に、西部ウクライナにまで広がり、そこで止まっている。ロシア人も、旧ソ連圏のアジア諸国も、自分をさほど西欧とは思っておらず、自分たちが決して「西洋」の一部とみなされまいことも分かっている。

そしてこれは、中国、中南米あるいはイスラム教世界には、ましてあてはまる。今日のイラクやアフガニスタンに対し、アメリカが戦争の代償として提供できるものに、何ら「前向き」なものはない。2002年にシリアを旅行していた時に、一人の(ある意味で親西欧的な)小柄なビジネスマンが私に話した「地域の人々の80%は、サダムに去って欲しいと願っていますが、もしも彼を撲滅するのがアメリカであれば、アメリカは100%の人々を敵に回すことになるでしょう。実際の所、かつてはトルコが我々を支配し、次にイギリス、 フランス、そして今やイスラエルです。我々はもはや植民地主義などいらないのです。」。彼は全く正しいのだが、この明白な真実は、当時西欧で反戦派の人々の間ですら(ブッシュよりは、より穏やかで、非軍事的な西欧の介入をよしとすることが多い)理解されることは稀だった。

現代西欧左翼の主な弱みの一つは、まさにその世界観に、第三世界で、デモクラシー支持や人権支持や少数派支持のキャンペーンに熱烈に乗り出す際に、植民地主義の消滅を十分に考慮していないことにある。そのようなキャンペーンの最も新しい例は、特にパリで猛威をふるっている、中国でのオリンピック大会をめぐる騒動だ。パリは昨今そうした「人道的」帝国主義 (当地では、マルクス主義と、68年代のえせ革命主義の両方に置き換わっている)の首都となってしまった。問題は「フリー・チベット」運動が正統であるか否かではなく、あるいはダライ・ラマが元奴隷所有者で、CIAの手下であるかどうかですらなく、もっと基本的なことだ。「我々」(西欧の左翼)は、そこで一体何を実現しようとしているのかだ。中国はセルビアではなく、爆撃されて服従するようなことにはならない。中国が西欧に依存する以上に、我々の方が中国に経済的に依存しているので、(人道主義的左翼お好みの手段の一つ)経済制裁も有効ではあるまい。

ちょうど我々が第二次世界大戦やホロコーストを覚えているのと同様、中国も外部の強国に従属したり、国土分割されたりしたことを覚えている。中国はまた「二度とさせない」とも言っている。中国は、我々の今のチベットをめぐる騒動を、明らかに(正しかろうと、誤りであろうと)西欧による過去の政策の継続とみている。しかも、それは彼等の政治的信条とは無関係に、中国全体にあてはまる。チベットに対して我々ができる最善のことはと言えば、我々は世界のこの部分については、帝国主義者的な野望を持っていないということを、中国に請け合うことだ。しかしチベットをめぐる騒動やら、中央アジアにおけるアメリカ軍事基地の設置やらで、まさに反対の方向に進んでいる。

もちろん、介入するたびに、反体制派あるいは少数派の人々が、あきらかに「我々の側につく」のを目にすることになる。だが殆どの場合、例えば、コソボのアルバニア人民族主義者やイラクの現在の支配者のように、それは単に彼等がアメリカの権力を使って自分たちの狙いを実現しようとしているという理由だ。しかし、コソボで民族的に純粋な国家を作り上げる、あるいは、イラクにイスラム国家をうちたてる、といった目標は、必ずしもアメリカ支配者(西欧の妄想をも患っているのだが)のそれと一致するとは限らず、西欧左翼のより広義の目標とは、まして一致するまい。

対抗する国家を弱体化させるために、帝国主義者がいつも使っている「少数派への支援」は、連中の最も無責任な政策の一つだ。帝国が撤退し、自分たちのことを裏切り者と見なしている隣人たちと一緒に暮らすはめになった時、実際そうした少数派に何が起きるだろう? アメリカが撤退した後、ラオスのモン族に何が起きたろう? あるいはドイツ敗北後の東ヨーロッパにおける親ドイツ集団には?

西欧の左翼がすべきことは、世界の状況についての現実的な見方を促進すること、そしてそのような現実主義に基づく海外政策なのだ。今や「現実主義」というのは、左翼の耳にはおおかた汚らわしいものに聞こえてしまうものだ。しかし、これは全て現実主義的な分析が、どういう結果をもたらすかにかかっている。ある国が、自分が極めて強力だと思っており、実際にそうである場合(過去何世紀もの間、西欧対それ以外の世界の関係がそうであったように)、現実的な政策は、暴虐的略奪となる可能性がある。しかし、ある国が自分で思うほど強力ではない場合には、より現実主義的になれば、より慎重な政策をもたらすはずだ。もしもヒットラーが「現実主義者」であったなら、彼は第二次世界大戦を始めなかっただろうし、決してソ連を侵略しなかったろう。もしもアメリカがより現実的であったなら、60年代初期に、ベトナム戦争を拡大していなかったろう、2003年のイラク侵略もしなかったろう。しかも、現実主義は、なんら石油を生産せず、膨大な費用がかかり、しかもアメリカに対して大変な敵意を生み出しているイスラエルを、アメリカが絶えず支持するのをやめる方向に向かわせるだろう。

皮肉なのは、こうした物事における、最も進歩的な立場(少なくとも客観的には)が、往々にして、人道的な理由から、ボイコットや経済制裁(あるいは戦争)するよりも、開かれた貿易を好む資本家たちのものであることだ。もちろん、社会的あるいは経済的理由から、貿易を含む、資本家の権力の制限を支持することも可能だが、国際関係に関する限り、左翼は同様な立場を支持すべきで、それは中立主義的な動きの一つでもあるが、つまり相互協力と(国連決議に基づかない)一方的な経済制裁の拒否だ。

アメリカと西欧のエリートの問題は、単に彼等が、自分たちの利益のために、暴力的な政策を進めるためではなく、むしろ彼等が、その果てしない傲慢さゆえに、自分たちの利益に逆行するような暴力的な政策をも進めることにある。私たちはもはや世界を支配してはおらず、この事実を受け入れなければ、大変な苦難を受けることになろう。「人道的」介入を奨励するのではなしに、左翼は、世界における武力関係のより現実的な評価や、対話に基づく政策、国家主権の尊重と非介入をこそ助長すべきなのだ。

Jean Bricmont

ベルギーで物理学を教授しており、Brussels Tribunalのメンバー。新刊書「Humanitarian Imperialism」がMonthly Review Pressから刊行されている。

連絡先は jean.bricmont@uclouvain.be.

記事原文のurl:www.counterpunch.org/bricmont05272008.html

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