9/11の矛盾:モハメド・アタの三菱の車と彼の荷物
デヴィッド・レイ・グリフィン博士
9/11に関する 公式説明の中核は、この日衝突・墜落した四機の旅客機は、モハメド・アタが率いるアルカイダのハイジャッカーの一団によって乗っ取られたという主張だ。この主張に対する証明はこれまで提示されていない。だが様々な種類の証拠が提示され、その中でも最も重要なものは、攻撃後アタの荷物から見つかったとされるものだ。この荷物中の資料は、飛行機がアタや仲間のイスラム教徒たちによって乗っ取られたという疑惑を確認するものだと言われた。ジョエル・アッヘンバッハは、2001年9月16日、ワシントン・ポストの記事でこう書いた。
アタはワールド・トレード・センターに最初に突入したアメリカン航空11便を操縦していたと見なされている。ボストンのローガン空港にあった彼の荷物の中に残されたアタが書いた手紙には、彼が殉教者として天国に行けるために、自殺を計画していると書いてあった。荷物には、サウジのパスポート、国際運転免許証、ボーイング旅客機操縦法のビデオ教本と、イスラム教のお祈りの時間表があった。(“’You Never Imagine’ A Hijacker Next Door.”「隣人がハイジャッカーだなどと夢にも思わない」)
この発見は明らかに、アタとアルカイダによる事件を立件するのに大いに役立った。
だがなぜアタの荷物が、そこで発見されることになったのだろう? アッヘンバッハはこう言っていた。「当局は、アタと[アブドゥル] アル・オマリが、ボストンで車を借り、メイン州ポートランドまで運転して行き、月曜日夜、コンフォート・インの部屋を借りた . . . . 二人は更に、火曜日朝ポートランドからボストンの短距離便に搭乗し、11便に乗り継いだと考えている。」
だが一体なぜアタの荷物は、11便に間に合わなかったのだろう? 9/11のスタッフ証言は、余裕のない乗換であったことを示唆しており、こう語っている。「ポートランドへの寄り道のせいで、すんでのところで、アタとオマリがボストンを発つ11便に間に合わなくなるところでした。実際、彼等がポートランドでチェック・インした荷物は飛行機に間に合いませんでした」(スタッフ供述 No. 16、2004年6月16日)。9/11委員会報告が翌月現れた時には、しかしながら、この示唆は消えていた。実際、委員会は「アタとオマリはボストンに6:45に到着した」と書いた後で、「アメリカン航空の11便は7:45に離陸予定だった」と補足した。(9/11委員会報告[以下9/11CRと略す]、1-2)。
もしも荷物を運ぶのにほぼ一時間もあったのなら、なぜそれが積み残されたのだろう? 地上職員がうかっだったと考えることも可能だ。しかしながら、アメリカン航空はこう報じている。「アタは、アメリカン航空11便の81人の乗客の中で、荷物が便に間に合わなかった、たった一人の客だった。」(ポール・スペリー、WorldNetDaily.com、2002年9月11日)
しかし、さらに、より大きなミステリーがあった。一体なぜアタは、もしも9月10日に既にボストンにいたのであれば、わざわざポートランドに旅をし、一泊し、早朝の定期便に乗る必要があったのだろう? もしもこの定期便が一時間遅れていれば、アタとアル・オマリは、接続便に乗り損ねていたはずだ。すると11便を乗っ取るのにわずか三人しかハイジャッカーがいなかったことになる。アタは、おまけに、この便のパイロットとして指名されていたとされており、しかも彼は何年間もかけて計画した全体の作戦の首謀者だったのに、それで中止を宣言しなければならない可能性さえあったのだ。
一体なぜ彼がそのようなリスクの高い旅をしたのか、決して説明されていない。攻撃から一年後、FBI長官ロバート・マラーは、9/11問題の議会共同聴聞で証言して、こう述べた。
攻撃の前日、モハメド・アタは. . . アブドゥル・アジズと落ち合い. . . メイン州ポートランドまでドライブしました。二人は、南ポートランドのコンフォート・インにチェックインし. . . . 二人がそこにでかけた理由は、今日に至るまで不明のままです。(「記録のための証言」共同インテリジェンス委員会聴聞、2002年9月26日)
二年後、9/11委員会は書いている。「なぜアタとオマリは、9月10日の朝ボストンからメイン州ポートランドまで車ででかけ、結局はただローガンに、9月11日朝、5930便で戻るだけだったかについて、説得力のある説明となる、物理的、文書的、あるいは分析的証拠は皆無である」(9/11CR 451n1)。
そこで、ミステリーは二つあることになる。一体なぜアタはポートランドへのリスクのある旅をしたのだろう? そして、なぜ彼の荷物は、11便に搭載されそこねたのだろう? 拙著「9/11の矛盾」は、矛盾についての本であり、ミステリーではない。これらのミステリーに対する手がかりは、しかしながら、本格的な矛盾を調べることによって見つけ出すことが可能だ。アタのポートランド旅行の話は、9/11後すぐの報道に現れた話と矛盾するという事実だ。
大元の話: ボストンとブハリ兄弟
我々が知っている公式説明によると、アタは青い日産アルティマでポートランドまでドライブし、9月11日朝、ポートランドからボストン空港まで飛行機に搭乗し、有罪を示す証拠資料が、その日遅く、彼の荷物の中で見つかった。9/11以後すぐの数日間は、しかしながら、話は大きく異なっていた。
9月12日、あるCNN報道では、アタとポートランドからボストンまで飛行機に登場した男たちを区別していた。
警察当局筋は、ハイジャッカー容疑者のうち二人は . . . [フロリダ州、ヴェロ・ビーチに住んでいた、]兄弟で . . . 彼らの一人はアドナン・ブハリだと語りました。彼の写真も手に入れています. . . . 彼もヴェロ・ビーチに住むブハリ兄弟で、アメール. . . .警察当局筋は. . . ブハリ兄弟はボストンを発った二便のうちの一つに搭乗していたものと思われているとCNNに語り. . . . また、メイン州ポートランドで収用された自動車は、警察当局によると、ボストン、ローガン空港で借りられたもので、メイン州ポートランドまで運転されたもとだということをお知らせできます。現在、メイン州警察は、ハイジャッカー容疑者二人が[ポートランド空港]から飛び立つU.S. 航空便に搭乗していたことを確認しています. . . 更にFBIも二人のハイジャッカー容疑者を調査していました . . . 、モハメド・アタとマルワン・ユセフ・アルシェヒ」(「攻撃下のアメリカ:どうしてそんなことがおき得たか?」スーザン・キャンディオッティ記者は「ローガン空港」と語ったが、彼女が得た情報は、USエアウェイズ便が出発する空港であり、それについては、メイン州の州警察が情報をもっていただろうポートランド空港についてのものだったはずだ。)
同じ日の別のCNN報道は、有罪を示す証拠資料が、ボストン空港にあった車の中で見つかったと語り、一方でポートランド空港でみつかった日産車について語りながら、それをアタとは結びつけなかった。:
警察当局は自動車がボストンのローガン国際空港で収用されたことと、疑わしい資料が発見されたことをを確認した。ボストン・ヘラルドは、車の中にはアラビア語の飛行操縦教習マニュアルがあったと報じました. . . . 一方、メイン州ポートランドで、警察は、飛行機でこの町からボストンに旅をした二人は、調査対象になっていた. . . . メイン州当局は、自動車が、マサチューセッツのナンバー・プレートを付けたシルバーの日産アルティマのレンタカーが、火曜日の晩、ポートランド空港で収用されたと語っています。 (“US Says It Has Identified Hijackers”「アメリカ、ハイジャッカーを特定したと語る」)
翌日9月13日、CNNはブハリ兄弟が日産車の借り手だとし、ボストンで見つかった自動車は、三菱の車であり、アタが借りたことがわかったと報道した。:
「彼等二人は兄弟だった、. . . アドナン・ブハリとアメル・アバス・ブハリ. . . . 二人は、ボストン、ローガン空港のアラモ・カー・レンタルで、シルバー・ブルーの日産アルティマを借り、メイン州ポートランドの空港までそれを運転し、そこで火曜日午前6時に、ボストンに戻るUSエアウェイズの5930便に搭乗した . . . . ローガン空港で収用された三菱のセダンは[モハメド]アタが借りたものだと、当局筋は語っている。自動車には、警察当局筋が調査の「役にたつ」と語ったアラビア語で書かれた飛行マニュアルを含む資料があった」 (“Two Brothers among Hijackers”)「ハイジャッカー中の二人の兄弟」)
同じ日の別のCNN報道は、警察当局は、日産に関連した文書から、ブハリ兄弟にたどり着いたのだと語っていた。(“Hijack Suspect Detained, Cooperating with FBI”「ハイジャック容疑者が拘留されFBIに協力」)。
問題発生
ところが、まさに同じ日(9月13日)に、CNNは訂正をし(「FBIは何人かのハイジャッカーを特定できたものと考えた」)、ブハリ兄弟のどちらも9/11に亡くなっていないと指摘した。アメールは三年前に亡くなっており、アドナンはまだ生きていると。CNNは「複数の警察当局筋からの情報に基づく」「誤報」を詫びた。
しかしながら、この発見によって、すぐさま話を完全に変更するには至らなかった。例えば、翌日(9月14日)、CNNはこう言った。「[アタ]が借りた三菱のセダンがボストンのローガン空港で発見されました。アラビア語の資料が車の中で見つかりました」(マイク・フィッシュ、「フロリダ州の飛行訓練学校学校はハイジャッカーを訓練していたのかも知れない」).
最終的なお話の登場
その同じ日、ところが、物語はより劇的に変化し始める。あるAP報道は、「ワールド・トレード・センターテロ攻撃の二人の容疑者」に触れてこう言っている。
ポートランドでこの便に搭乗した二人の容疑者のうち一人は、モハメド・アタ、33. . . . 男たちが使った2001年型の日産アルティマは、他の容疑者たちが使った他の自動車と同じボストンのレンタル会社のもので、ボストンのローガン空港で収用された際に有罪を示す証拠資料を載せていた。
メイン州に入ると、翌朝飛行機に搭乗するまで、容疑者たちは一夜を南ポートランドのコンフォート・インで過ごした。(“Portland Police Eye Local Ties”「ポートランド警察は、地元のつながりに注目」)
突然、日産アルティマが、ボストンに翌朝飛行機で戻ったアタと仲間によって、ポートランドまで運転されたことになった。だが後に一般に知られる物語となるものへの遷移は、まだ完全ではなかった。有罪を示す証拠資料は依然としてローガン空港に残されたレンタカーの中で発見されたのだ。だがこの自動車は、不特定の「他の容疑者」が借りたのだと言われており、アタが借りたのではないのだ。
完全な遷移は、9月16日、有罪を示す証拠がアタの荷物の中で見つかったというジョエル・アッヘンバッハによる上記のワシントン・ポスト記事によって行われた。
この新しい話に、間もなく、アタとアル・オマリが攻撃の前の晩にポートランドにいたという物理的な証拠を含む、様々な具体的な詳細情報が続いた。ある記事はこう書いた。
FBIは、木曜日[10月4日]、911ワールド・トレード・センター攻撃のハイジャッカー容疑者のうちの二人が、最後の時をグレーター・ポートランドで過ごしたことを示す詳細な出来事の記録を発表した。. . . . モーテルにチェックインした後、アタとアル・オマリが . . . 午後8時から9時の間に. . . ピザ・ハットで目撃されている。午後8:31に、二人はキーバンクの現金自動預払機のビデオに映っており、再度午後8:41に、ピッゼリア・ウノの隣のファースト・グリーンATMのビデオに映っている . . . . 。. . . 午後9:22に、アタはスカボローのウォル-マートにいるところをビデオ撮影されている。(“The Night Before Terror,”「テロの前夜」ポートランド・プレス・ヘラルド、2001年10月5日)
ミステリーと矛盾
この新しい話は、ブハリ兄弟が9/11には死ななかったという事実の発見によって生じた問題を解決した。なぜポートランド空港に残されたレンタカーから、警察当局が二人のハイジャッカーにたどり着いたのかの説明だ。この解決は、しかしながら、なぜアタがこのような旅行をしたのかというミステリーと、更には、有罪を示す証拠資料が、ローガン空港で見つかった、という広く報道された事実を説明する問題をも生み出した。この後者の問題は、それが11便に間にあわなかったアタの荷物の中から見つかったと言うことによって解決された。しかしこの解決案は、今度は、なぜアタの荷物は便に間に合わなかったのかというミステリーを生み出した。新たな話が直面する主な問題は、しかしながら、単純に それが当局が始めの数日間語っていたことと根本的に矛盾する、新しい話であるという事実だ。
9/11委員会は、この矛盾に、単純にそれを無視することで対処した。委員会は、ポートランド空港に残されていた日産の車に、FBIがアドナンやアメール・ブハリにたどり着けるようにした書類があったという初期の報告や、ブハリ兄弟がポートランドからボストンへの早朝の便に搭乗したこと、FBIは、ボストンのローガン空港に残された三菱の車の中で見つかった情報によってアタ(マルワン・アル-シェヒの場合と同様)にたどりついたこと、あるいは、この三菱の車から情報の宝庫が発見されたことに触れなかった。委員会はその代わり、あたかも、それがずっと語られ続けてきた話であるかのごとく、単純に、新たな話を語ったのだ。
議会とマスコミはなぜこの矛盾が存在し、なぜ9/11委員会がそれを無視したのかを問うべきだ。
著者について
このエッセイは、グリフィン博士がCanadianに寄稿した連載記事の三回目である。本記事は、グリフィンの著書9/11 Contradictions: An Open Letter to Congress and the Press(「9/11の矛盾:議会とマスコミに対する公開質問状(Northampton: Olive Branch、2008年3月刊)第16章の簡略版である。
記事原文のurl:www.agoracosmopolitan.com/home/Frontpage/2008/03/18/02267.html
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