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2008年4月28日 (月)

9/11の矛盾:チェイニーはいつバンカー(掩蔽壕)に入ったのか?

デヴィッド・レイ・グリフィン

The Canadian

9/11の朝、9:03(ワールド・トレード・センター南棟が攻撃された時刻)からしばらくたって、10:00前に、ディック・チェイニー副大統領が、ホワイト・ハウス東翼地下にある、時には単に「バンカー」と呼ばれる大統領危機管理センター(PEOC)に降りて行ったということは皆が同意する。一度そこに入れば、自分で決定を下すか、ブッシュ大統領の決定を伝えるかして、チェイニーが統括するのだということも誰もが同意する。だが、正確にいつチェイニーがPEOCに入ったのかについては、非常に大きな不一致がある。

9/11委員会報告によれば、チェイニーは「10:00ちょっと前、おそらく9:58に」到着した(9/11委員会報告[以下、9/11CRと略す] 40)。この公式時間は、しかしながら、中には9:20以前に彼がいたとしているものもある、ほとんど全てのそれ以前の報告と矛盾する。もしも9/11委員会の時刻が正しければ、ペンタゴンが攻撃された時点、あるいは、ユナイテッドの93便がワシントンに接近しつつあった時間の大半、チェイニーは、PEOC中で統括していなかったたとになるので、この差異は重要だ。しかし、もしも9:20には彼がそこにいたという報告が正しければ、彼はずっとPEOC中で統括していたのだ。

チェイニーが早く到着していたとするミネタの報告

9/11委員会と矛盾する最も良く知られている発言は、運輸長官ノーマン・ミネタが、2003年5月23日の9/11委員会での公開証言で行ったものだ。彼は「午前9:20頃にPEOCに到着した」と語った。ミネタはそこで、明らかに彼が到着する前から始まっていた、一人の若者とチェイニー副大統領との進行中の会話の一部を耳にしたと報告していた。この会話はワシントンに向かって飛んでくる一機の飛行機についてのもので、チェイニーが「命令は依然有効だ。」と確認して終わった。委員のティモシー・レーマーが後に、ミネタに、彼が到着してどれほどしてから、この命令が依然として有効かどうかについての会話を耳にしたのか尋ねると、ミネタは答えた。「おそらく5分か6分です」これはつまり「9:25か9:26頃」であることを意味するとレーマーは指摘した。

これは著しい矛盾だ。ミネタによれば、チェイニーが、進行中の会話をしていたという事実からすれば、ミネタが9:20に到着する数分前から、彼はPEOCにいたに違いない。もしもチェイニーが、そこに9:15からいたのであれば、ミネタの証言と9/11委員会報告の間には、43分間の矛盾があることになる。なぜこれほど大きな矛盾が存在するのだろうか?

あり得る説明の一つは、ミネタは間違っていたということだろう。彼の話は、しかしながら、他の多くの証人たちの証言と一致している。

チェイニーが早く到着したことを支持している他の報告

リチャード・クラークは、彼とチェイニーと、コンドリーザ・ライスは、9:03のすぐあと短い打ち合わせをし、その後で、シークレット・サービスは、チェイニーとライスに、PEOCに入ってもらいたいと思っていたのだと報告している。ライスは、しかしながら、まず最初にクラークとホワイト・ハウスのテレビ会議センターに行き、そこでクラークがテレビ会議を設定することになっており、それは9:10頃に始まった。そこで数分間すごした後、クラークによると、ライスはこう言った。「至急、いくつか判断をもらわなければなりません。私はPEOCに入り、副大統領に合流します。何が必要か言いなさい。」9:15頃、ノーマン・ミネタが到着し、クラークは「彼に副大統領と合流するよう提案した」 (Against All Enemies、2-5)。クラークはここで、9:15の数分前にチェイニーはPEOCにいたことを暗に語っている。

9/11一周年のあるABCニューズの番組で、チェイニーのホワイト・ハウスのカメラマン、デヴィッド・ボーラーは、9:00のすぐ後で、何人かのシークレット・サービス職員がチェイニーのオフィスに入り、「長官、我々と一緒に参りましょう」と言ったと報告している。この同じ番組で、ライスは言った。「長官たちの全員を見つけようとしていると、シークレット・サービスが入ってきて言いました。「今出て、バンカーに行っていただかなければなりません。副大統領は既に入っておられます。ホワイト・ハウスに向かってくる飛行機があるようです。」そこで、ABCのチャールズ・ギブソンはこう言った。「バンカーで、副大統領はライスとノーマン・ミネタ運輸長官と合流しました」(“9/11: Interviews by Peter Jennings,” ABCニューズ、2002年9月11日)。

9/11委員会の、到着は遅かったという主張

9/11委員会は、一機の飛行機がホワイト・ハウスに向かっているという話を受けた後で、副大統領がPEOCへとせかされたことには同意している。報告書は、しかしながら、この話は9:33までは受けなかったとしている。だがそうであっても、委員会によると、シークレット・サービス職員達は、飛行機が方向を変えたことを伝える他のメッセージを即座に受け取っており、それで「この時点で副大統領を避難させる動きは何も行われなかった。」シークレット・サービスが、チェイニーに地下に行きましょうと言ったのは、「9:36直前」より前ではなかった(9/11CR 39)。しかし、9:37に地下の廊下に入った後でさえ、チェイニーは即座にPEOCには行かなかった。そうではなく、

中に入ってから、チェイニー副大統領とシークレット・サービス職員達は、トンネルの中の盗聴防止機能付き電話と、ベンチとテレビがある場所で休止した。副大統領は大統領に電話をしたいと言ったが、電話がつながるまで時間がかかった。彼はトンネルの中でペンタゴンが攻撃されたことを知り、建物から煙が出てくるテレビ報道を見た。(9/11CR 40)

次に、リン・チェイニーが「トンネル中の夫に加わった」後、委員会は、電話会話を終えた後で「チェイニー夫人と副大統領はトンネルから、シェルターの会議室に移動した」と主張しており、それは9:55以前ではなかった。ライスに関しては、委員会は、彼女が「副大統領のすぐ後に、会議室に入った」と加えている。(9/11CR 40)

これ以上矛盾を明らかにすることはできない。委員会によると、チェイニーは、9:20前にPEOCに入るどころではなく、ミネタや他の人々が言っているように、9:38のペンタゴン攻撃から20分後の9:58頃迄、そこに到着してはおらず、チェイニーは、攻撃について、廊下で知ったのだ。

「ミート・ザ・プレス」でのチェイニーの説明

9/11委員会の説明は、チェイニー自身がある有名なインタビューで言ったものとさえ矛盾している。9/11からわずか五日後、NBCの番組「ミート・ザ・プレス」で、ティム・Russertに、チェイニーはこう言っている。「大統領と話をした後、. . . 私は . . . 大統領危機管理センターに降りて行き. . . . すぐそこに到着し、ペンタゴンが攻撃されたという話を聞いた。」チェイニー自身、それゆえ、 ペンタゴン攻撃(9:38)の前にPEOCに入ったと言っており、委員会が後に主張するように、その20分後なのではない。

矛盾への対処

チェイニーのPEOC到着時刻に関する委員会の主張が、ボーラー、クラーク、ミネタ、ライス、何人かのマスコミ報道や、チェイニー自身のものにさえ矛盾するという事実に、9/11委員会はどのように対処したのだろう? 委員会は単純に、これらの矛盾する報道に対する言及を全く省いたのだ。

そうした省略の中で、最も重要なものは、委員会が公開聴聞会の委員会で行われたものである、この委員会(2003年5月23日)の筆記録を読めばわかるとおりのノーマン・ミネタの証言に触れなかったことだ。9/11委員会記録の9/11委員会聴聞会の公式版ビデオ記録からも、ミネタの証言部分は削除された。(ただし、インターネットでは見られる。)

2006年のカナダ放送のインタビューのなかで、ハミルトンは「午前10時前に、ディック・チェイニーがどこにいたとミネタは委員会に答えたのですか」と質問された。ハミルトンは答えた。「覚えていません」(“9/11: Truth、Lies and Conspiracy: インタビュー: リー・ハミルトン,” CBCニューズ、2006年8月21日)。ミネタが、若者とチェイニーの会話の話をしたことを質問していた人物なのだから、ハミルトンが思い出せないのは驚くべきことだった。ハミルトンは、更に、ミネタにこう言って質問を始めていたのだ。「あなたは、あそこ[PEOC]に、あの日かなり長時間おられましたね。副大統領と一緒にそこにおられたのだと思います。」そして、ミネタが9:20頃に到着したことが確実だとされることになった、ミネタのティモシー・ローマーとのやりとりは、ハミルトン尋問のすぐ後に行われたのだ。それなのに、ハミルトンはこれを全く思い出すことができず、ただこう言った。「チェイニー副大統領は10時ちょっと前にバンカーに入ったのだと思います」

ミネタの問題ぶくみ証言の痕跡抹消

公的記録から、ミネタの話を消し去ろうと9/11委員会が努力するあり得る動機を考えるには、彼が委員会に報告した会話を検討する必要がある。彼はこう言ったのだ。

飛行機がペンタゴンに接近しつつある間、入ってきて、副大統領に「飛行機は50マイル先です」「飛行機は30マイル先です。」という一人の若者がいたのだ。そして、それが「飛行機は10マイル先です」となった時点で、若者は副大統領にこうも言った。「命令はまだ有効でしょうか?」すると副大統領は振り向き、首の回りを叩いて言った。「もちろん命令はまだ有効だ。君は何かそれと反対のことを聞いたのかね?」

ミネタの話には、9:38に起きたペンタゴン攻撃に関して危険な含意があった。9/11委員会によると、軍は一機の飛行機がペンタゴンに接近しつつあったことを9:36まで知らず、「ワシントンに接近しつつある正体不明の飛行機に対応するために、最大で一ないし二分」しかなかった(9/11CR 34)。この主張は、何よりも、なぜペンタゴンで、攻撃される前に避難しなかったのかという、125人の死者を生じさせてしまった事実を説明するのに必要不可欠なのだ。ラムズフェルド国防長官のある広報担当官は、なぜ避難をしなかったのか尋ねられて答えた。「ペンタゴンは、単にこの飛行機がこちらにやってくることに気づいていなかったのです。」(Newsday、2001年9月23日)ミネタの証言は、対照的に、チェイニーや他の連中は、攻撃の約12分前に、一機の飛行機がワシントンに接近しつつあることを知っていたことを暗示している。

一層問題なのは「命令」の本質にかかわる疑問だ。ミネタは推測して、それは飛行機を撃墜させる命令だと言った。だが飛行機は撃墜されなかった。また、特に、二機のハイジャックされた旅客機がニューヨークのビルに既に突入したという日に想定される命令は、ワシントン上空の「民間の飛行が常時禁じられている」「禁止」空域に侵入するいかなる非軍事的航空機でも撃墜せよというものだったろう。(“Pilots Notified of Restricted Airspace; Violators Face Military Action,” FAA報道発表、2001年9月28日)。こうした命令が下されていれば、命令が依然として有効かどうか尋ねる理由などなかったろう。飛行機を撃墜するのではなく、何かただならぬことをする命令であった場合にのみ、この質問は意味をなす。従ってこれは、ミネタが、ついうっかり警備態勢を解除しておくという命令をチェイニーが確認したことを報告してしまったように見える。

ミネタの報告が危険視されたことは、9/11委員会が、ミネタの証言を削除し、チェイニーがバンカーに入った時刻をおよそ45分遅らせ、ミネタの話を、侵入してくる飛行機についての新たな話で置き換えたという事実が示唆している。9/11委員会報告によると、本当に起きたのはこういうことだという。

10:02に、シェルターの通信担当官達は、一機の侵入してくる飛行機についてのシークレット・サービスからの報告を受け取り始め. . . . 10:10から10:15までの間のどこかの時点で、ある軍事顧問が副大統領や他の人々に飛行機は80マイル先だと言った。チェイニー副大統領は、飛行機と交戦する権限を要求された. . . . 副大統領は戦闘機がやってくる飛行機と交戦することを承認し. . . . 軍事顧問が、数分後、恐らく10:12から10:18迄の間に戻り、飛行機は60マイル先だと言った。彼は再び交戦する許可を求めた。副大統領は再び、許可すると言った。(9/11CR 41)

9/11委員会はこうして、侵入してくる飛行機の話を、警備体制解除ではなく、撃墜の命令で終わるものとして提示した。10:10以後にそれが起きたことにすることで、委員会は、それをペンタゴン攻撃から切り離したばかりでなく、チェイニーの撃墜承認が、ユナイテッド航空93便(委員会によれば、10:03に墜落した)の撃墜に至った可能性をも阻止したのだ。

チェイニーのバンカー入室についての9/11委員会説明が、ノーマン・ミネタの証言ばかりでなく、チェイニー自身を含めた他の多くの証人とも矛盾するという事実からして、議会とマスコミは、何が実際に起きたのかを判断するための調査を立ち上げる必要がある。

著者について:

本エッセイは、デヴィッド・レイ・グリフィン博士によるThe Canadianへの寄稿連載記事の二編目。本記事は、グリフィン博士の著書"9/11 Contradictions: An Open Letter to Congress and the Press"「9/11の矛盾: 議会とマスコミに対する公開質問状」(Northampton: Olive Branch、2008年3月刊)の第2、3章の簡略版である。

記事原文のurlアドレス:www.agoracosmopolitan.com/home/Frontpage/2008/01/22/02147.html

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