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2008年3月16日 (日)

トルコの北部イラク侵攻。軍事的大失敗、政治的瓦解

スングル・サブラン

Global Research、2008年3月14日

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二月の北部イラクへのトルコ軍侵攻は、アメリカ帝国主義とトルコ双方にとってひどい大失敗に終わった。2007年11月5日ホワイト・ハウスにおける、ブッシュとトルコのエルドガン首相間会談によって実現された雪解け後、二つの同盟国は再び対立している。トルコ政府と軍は、資本主義マスコミと一般人による前例のない批判に曝されている。更に、アメリカに対して泣き面に蜂となったのは、2月29日の北部イラクからのトルコ部隊撤退からわずか三日後に、恐らくはイスラム革命から29年後、そして両国間の破壊的な戦争から20年後、アメリカ占領下にあるイラクを訪問する初めてのイラン大統領という偉業をなしとげたことに対することで喜色満面の、得意気なイラン大統領マフムード・アフマディネジャドの姿がバグダッドから世界中のテレビ画面に映し出されたことだった。

トルコ侵攻という出来事は、すっかりアメリカとトルコという二つの同盟国による危機的状況管理の惨めな失敗という展開となった。後者が、昨年12月16日以来、イラク北部のPKK(クルド労働者党)基地を爆撃していたとは言え、この地域への2月21日のトルコ戦闘部隊侵攻は、特に真冬の非常に険しい山岳地帯という環境を考えれば、世界にとって寝耳に水の出来事だった。この作戦は、アメリカによる手放しの支援で迎えられた。ほかならぬコンドリーザ・ライス国務長官本人が、即座にトルコの戦争作戦に対する「絶対的な連帯」を表明した。アメリカは既に、トルコの爆撃作戦出撃の何度かに、リアル・タイム諜報情報を提供するという惜しみない支援を行い、イラク領空への侵入を許可し、明白な外交的承認もした。だがライスの言葉ほど力強く公的に表明されたものはない。だが、わずか五日後、アメリカの支持は消滅したようだ。

アメリカの叱責

アメリカ国防長官のロバート・ゲーツは、インドから トルコに到着する一日前、トルコは、北部イラクからできるだけ早急に撤退すべきだと明言した。翌日アンカラで、少なくとも四回異なる場面でメッセージを繰り返した。トルコ高官達は(参謀総長も含め)、火遊びを続けることを選び、トルコ軍は任務が完了した時に、初めて撤退するのだと宣言した(翌朝午前4時に早くも撤退した!)。ブッシュもワシントンから介入し、ゲーツに続いて自ら発言し、記者の質問に答えトルコは「できるだけ早急に」撤退すべきだと二度述べた。

この惨めな喜劇の背後にある力学を徹底的に分析するには、今は恐らく尚早だろう。当初、アメリカがこの誤った作戦を支持していた証拠がある。トルコに与えた承認には、数百人あるいは、最大で千人の兵士が参戦し、春になる前に、PKKに対し、多少の損害を与える為、北部イラクに短期間侵攻することも、明らかに含まれていた。トルコ兵士の人数はそれよりずっと多いことがわかったのだ。ある情報筋によれば一万人だという。作戦が進むなか、最も有力なトルコのマスコミが、目標はカンディル、PKKの司令部がある山地だと発表した。カンディルはトルコ軍の侵攻地点からはるか200キロものイラク内部にある。これら全てがイラクのクルド人(当初ほとんど騒いでいなかった)と、更にはイラク中央政府の怒りをかき立てた。これら同盟陣営と仲違いしたくはなかったので、アメリカはそこで方向転換し、同盟国かつ指導者に虚偽の情報を与えたとトルコをたしなめはじめた。これはゲーツのアンカラにおける発言中の短い言葉で明らかだ。彼はこう言った。「重要な点は、透明性、協力、そして連絡だ。」

この失敗の喜劇の背後には、もちろん、アメリカのイラク政策の重大な矛盾がある。アメリカは、長年のNATO同盟国であるトルコと、新たにできた友人たるイラクのクルド人指導者バルザイとタラバニと、両方との密接な関係を同時に享受しようとしている。しかしながら、自国領土において何十年間もクルド人を抑圧してきたトルコは、他の中東諸国のクルド人が自立したり、独立したりする方向へのあらゆる動きを恐れている。それで、トルコとしては、クルド人が権力構造の一部となっているイラクとアメリカに対して、情報を隠さざるを得なかったのだ。アメリカのイラク政策におけるこの根深い矛盾のおかげで、既にアメリカとトルコの関係は2003年から2007年にかけて冷却し、同年三月1日に、イラク戦争において、事実上、北部戦線を実現させることを狙う政府の動議をトルコ議会が否決したという事実によって、更に悪化していた。

2007年11月5日ホワイト・ハウスでの会合で、恐らくはアフガニスタン、および/あるいはイラク、および/あるいはエネルギー輸送経路に関するトルコ政府の密約(つまりロシア孤立化)と引き換えに、PKKを追ってイラク領土内に侵攻することについての承認、というトルコの要求を、アメリカがはっきりと認めることで、不和を克服した。しかしながら、二国間の和解は極めて短命なものになりかねない。トルコ国民が味わっている大変な屈辱と怒りからすれば、この事態展開は、アメリカ-トルコ関係を損なわずにはおかない。双方は当然、トルコの撤退決定がアメリカの圧力と何らかの関係があることを断固として否定している。しかし、こうした信心深い呪文を信じようなどというトルコ人は一人もいない。被害はあるに違いない。双方の側で、危機管理の天才達が、これによる打撃を食い止められたるかどうかは、時間を経ない限りわかるまい。

軍事的大失敗

トルコ軍侵攻の目標は決して明白に述べられていない。これが、PKKに対する最終的な打撃ではないにせよ、深刻な打撃を与えてやるのだという、トルコ世論の過剰な期待をもたらした。「目標はカンディル」といった類の好戦的愛国主義のマスコミ報道が、こうした非現実的な期待を更に煽った。クルド人に対する長年の狂信的愛国主義プロパガンダ(民族自決を含むクルド問題およびクルド人の権利、速報No. 68参照)によって毒されたトルコ国民全体が、今感じている苦い失望の原因はこれだ。トルコ軍が実際にPKKに決定的な一撃を加えようと狙っていたと考えるのは現実的ではあるまい。軍高官は結局、イラクへの軍事侵攻は、トルコ内部と国境を越えたイラクに、大半の推計によると総計およそ5000人のゲリラを擁するPKKにとどめをさすものではないと、過去繰り返して明言してきたのだ。

最初に設定されていた目標が何であったにせよ、一週間にわたる侵攻で、トルコ軍が本格的な軍事上の結果を何か実現できたとは言いがたい。軍の公式発表では、PKKの死傷者は約230人、一方で軍の死傷者はわずか27人であることを認めた。一方PKKの側では、トルコ軍の死傷者は125人にのぼる一方で、自軍の死者はわずか10名であると主張している。この点に関わる真実がどうあろうと、トルコ軍が完全にその目標実現に失敗したという事実が、PKKのザブ基地の例によって、はっきりと証明される。トルコ軍はこの極めて重要な基地をめぐって、数日間ゲリラ勢力と戦った。トルコ軍はこの基地を征服できず、PKKを退去させることも、できなかった。こうした点からすれば、トルコの幕僚が公式発表で、作戦の軍事的な目的が完遂されたので撤退の決断がなされたと宣言するのは、現実離れの響きがある。

ザブ基地奪取が作戦の目的に含まれていなかったのなら、一体何故トルコ軍はゲリラ部隊と何日も戦ったのだろうと、尋ねたくもなる。あるいは逆に、ザブ基地奪取がそれほど重要だったなら、何故軍隊は突然撤収するのだろう? トルコ軍のヘリコプター一機がゲリラによって撃墜され、多数のトルコ兵士が命を失ったことが、トルコ軍が味わった軍事的大失敗の更なる証拠だ。トルコ軍がPKKに破れたがゆえの大失敗ではなく、手詰まりになったがゆえの大失敗だ。中東ではイスラエル軍につぎ第二位にあるというトルコ軍の圧倒的な攻撃力からすれば、これは敗北としか見えず、トルコの大衆もそう受け止めるだろう。大いに尊敬され、恐れられてきた組織であるトルコ軍の権威は、恐らくこれまでの最低になっていよう。このエピソードは、イスラエルが2006年夏のレバノン侵略のたくらみで味わった歴史的敗北と著しく似通っている。(皮肉なことに、トルコはあの出来事の後、イスラエルの面子を救うべく軍隊をレバノンに派兵した国々の一つだ!)

高まる政治的緊張

トルコは現在極めて微妙な段階に入りつつある。最近のトルコの社会的、政治的局面におけるあらゆる矛盾は、今や頂点に達した観がある。クルド問題から生じる緊張とならんで、中東とユーラシアにおけるアメリカの永久戦争に加担させようという、トルコに対するアメリカの圧力もある。トルコの資本主義者、親西欧派の非宗教主義者と、親イスラム教派という両派間の対立は、クルド問題の重要性という影響のもとでは休眠状態の対立であったが、大学生がスカーフを被るのを禁止することを止めるという政府の決断にともない、これが再び勃発している。また世界経済の重大な経済危機が進展し、必ずやトルコをも襲おうとする中、十年以上にわたる期間で初めて、労働者の戦いが、おっかなびっくりとではあれ盛り上がりつつある。

昨年は、親イスラム政府与党指導者の誰を大統領として選挙するかという展望をめぐりトルコ国内における深刻な緊張がおきた。このプロセスは軍の宣言によって中断されたが、最終的には政府与党の選挙での勝利後に終了した。トルコにとって、再び一触即発の年が約束されているようだが、それに比べれば2007年の緊張さえ冴えなく見える。

スングル・サブランは、トルコ、イスタンブールの新聞Isci Mucadelesi(労働者の闘争)編集者(www.iscimucadelesi.net).

スングル・サブランによるGlobal Research記事



 

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© Copyright Sungur Savran, The Bullet. Socialist Project  E-Bulletin No. 89, 2008

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