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2008年2月28日 (木)

ワシントン、バルカン半島に新植民地を獲得

サラ・フラウンダース

Global Research、2008年2月28日、

International Action Center - 2008-02-21

セルビアの一つの州であるコソボの最近の「独立宣言」と、アメリカ、ドイツ、イギリスとフランスによる即座の国家承認を評価するにあたっては、下記の三点を理解することが重要だ。

第一に、コソボは、独立や、あるいは最少の自治すらも得るわけではないことだ。ボスニアは、指名された上級代表と、アメリカ、欧州連合とNATOが任命した機関によって運営されるのだ。旧来の植民地総督や帝国主義統治者たちが、海外、国内政策を支配する。アメリカ帝国主義が、バルカンの中心に、完全に独自な植民地の直接支配を確立したに過ぎない。

第二に、ワシントンによるコソボ即時承認は、またもや、アメリカ帝国主義は、アメリカ自身が草稿を書き、暴力と武力で相手に強制した条約を含め、自分がこれまで署名した、いかなる、あらゆる条約、国際的合意を破るものであることの確認となった。

コソボ承認は、特に、1999年のNATOによる自国に対する78日間の爆撃を終わらせるため、ユーゴスラビアの指導部が署名を強制された国連安全保障理事会決議1244のような、そうした法律に直接違反している。この押しつけられた合意ですら、ユーゴスラビアの共和国の一つ、セルビアについて「全ての加盟諸国による、主権と領土の保全にたいするコミットメント」を確約していた。

今週の違法なコソボ承認を、セルビア、ロシア、中国およびスペインが非難している。

第三に、アメリカ帝国主義者支配は、占領された人々の為にはならない。9年間、直接NATOに軍事占領されたコソボの失業率は、60パーセントという驚くべきものだ。コソボはヨーロッパの国際麻薬取引と売春のセンターとなった。

この狭い資源の豊富な工業地帯で、かつて活発だった鉱山、工場、製錬所、精錬センターや鉄道の全てが、じっと黙ったままでいる。NATO占領下にあったコソボの資源は、強制的に私有化され、西欧の巨大多国籍企業に売り払われた。今やほとんど唯一の就職口といえば、アメリカ/NATO占領軍か国連諸機関だけだ。

コソボ唯一の巨大建設は、ヨーロッパにこれまでに建設されるものの中で最大のアメリカ軍基地、キャンプ・ボンドスチールだ。ハリバートンが、もちろん契約をかち取った。キャンプ・ボンドスチールは、この地域全域の戦略的石油パイプラインと、運輸幹線を防衛する。

アメリカ/NATO支配のもとに入って以来、250,000人以上のセルビア人、ルーマニア人や他民族の人々が、このセルビアの州から追い出された。アルバニア人のうち、およそ四分の一は仕事の口を探すために退去を余儀なくされた。

植民地政権の樹立

コソボの「独立」を実現させた計画を検討してみよう。それは、国連決議に違反しているばかりでなく、それは完全な植民地体制でもあるのだ。アメリカのイラク占領で最初の二年間、 L. ポール・ブレマーが握っていた絶対権力と同様のものだ。

この植民計画は一体どこから来たのだろうか? それはユーゴスラビア分割とNATO爆撃とコソボ占領に関与したのと同じ勢力が提案したものだ。

2005年六月、コフィ・アナン国連事務総長は、コソボの最終的状況に対する交渉を率いる特使として、元フィンランド大統領マルティ・アハティサーリを任命した。アハティサーリは、アメリカのコソボ介入という点で、とうてい中立的な調停者とは言えない。彼は、アメリカとE.U.投資の為の自由市場と、NATOの拡張と介入を推進する超億万長者ジョージ・ソロスが資金供給する組織インターナショナル・クライシス・グループ(ICG)の名誉会長なのだ。

ICGの役員には、コソボ爆撃に関与した二人の主要なアメリカ人幹部がいる。ウェスリー・クラーク将軍とズビグニュー・ブレジンスキーだ。2007年三月、アハティサーリは、コソボ状態調停の為の包括的提案を新国連事務総長の潘基文に提出した。

コソボ新政府を計画した文書は、unosek.org/unosek/en/statusproposal.HTMLで入手できる。要約は、アメリカ国務省のウエブ・サイトstate.gov/p/eur/rls/fs/100058.htmで入手できる。

アメリカとE.U.高官によって指名された国際文民代表(ICR)がコソボを監督する。ここで指名された高官達は、あらゆる施策をも却下し、いかなる法律をも無効にし、コソボの議会から誰でも排除することができる。ICRが税関、課税、財務および金融部門の完全かつ最終的な支配権を掌握する。

E.U.は欧州安全保障防衛政策ミッション(ESDP)を設立し、NATOは国際軍事プレゼンスを設立する。この指名された二つの組織が、海外政策、国防、警察、司法、全ての裁判所と刑務所を支配する。両者はコソボにおける、あらゆる活動、手続き、あるいは文書に対する、即座かつ完全な利用の権利が保証されている。

この両者とICRが、どの犯罪を、誰に対して起訴するかについての最終決定権を持っている。彼らはいかなる決定をも逆転したり、取り消したりすることができる。コソボ最大の刑務所はアメリカ軍基地、キャンプ・ボンドスチールにあり、囚人たちは、告訴もされずに、裁判手続きも、代理人も無しで、そこで拘留される。

コソボ「独立」承認は、アメリカが何十年にもわたって執拗に追求してきたアメリカ再征服戦争最後の段階に過ぎない。

分割して統治せよ

バルカン半島は、数多くの抑圧された民族、文化や宗教の活気に満ちた寄せ集めだ。第二次世界大戦後に形成されたユーゴスラビア社会主義連邦共和国には、六つの共和国があり、そのいずれもが多数派を占めていたわけではなかった。ユーゴスラビアは、オットーマン・トルコ、オーストリア・ハンガリー帝国、イギリスとフランスの帝国主義による干渉、さらには第二次世界大戦のナチス・ドイツとイタリアのファシストによる占領によって、ひっきりなしに利用され続けてきた抗争の伝統のもとに生まれた。

第二次世界大戦では、ユダヤ人とセルビア人が最も被害を被った。共産主義者が率いる強力なレジスタンス運動は、様々な形で苦難を味わった全ての国籍の人々から成り立っており、ナチス占領やあらゆる外部からの介入に対抗すべくる作り上げられていた。解放後、新たな社会主義連邦を作り上げるために、全ての国籍の人々が協力し、妥協した。

45年間で、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、貧窮化した、未開発の、抗争する地域を、産業基盤があり、全員が読み書き能力を持ち、全国民への健康保険を備えた安定した国家にした。

1990年代始めのソ連崩壊と共に、ペンタゴンは即座に、東欧への積極的なNATO拡大計画を立てた。この地域全域において、「分割して統治する」ことがアメリカの政策となった。いたるところで右翼の親資本主義勢力に資金供与し、奨励した。ソ連が崩壊し、分割され、弱体化した、不安定で反目する共和国が生まれる中、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国はこの反動的な流れに抵抗しようとしていた。

1991年、世界の関心がアメリカの破壊的なイラク爆撃に集中する中、ワシントンは、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国内部のクロアチア、スロベニアとボスニア共和国の右翼の独立運動を励まし、資金援助し、武装させた。国際協定に違反し、ドイツとアメリカは、こうした分離主義運動を即座に承認し、いくつかの資本主義ミニ国家の創生を認めた。

同時にアメリカの金融資本は、経済を破綻させるため、ユーゴスラビアに厳しい経済制裁を課していた。さらにワシントンはNATOを、この地域で安定をもたらせる唯一の武装勢力としてもて推進した。

セルビアの一州であるコソボにおける右翼的なUCK運動に対する武装と資金供与は、これとまさに同じ時期に始まった。コソボは、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国中の明確な共和国ではなく、セルビア共和国の一州だった。歴史的に、セルビアの国家的アイデンティティーの中心ではあったが、アルバニア人の人口が増えていた。

ワシントンは、セルビアがコソボのアルバニア系多数派に対する大虐殺作戦を遂行していると主張する激しいプロパガンダ・キャンペーンを開始した。西欧のマスコミは集団墓地や残虐な強姦の話じあふれ返った。アメリカ当局は 100,000人から500,000人のアルバニア人が虐殺されたと主張した。

アメリカ/NATO幹部たちはクリントン政権のもとで、セルビアは即座に軍事占領を受け入れ、あらゆる主権を放棄しろ、さもなくば、都会や、村やインフラストラクチャーに対するNATOによる爆撃を受けるぞという非道な最後通告を発した。フランス、ランブイエでの交渉会議で、セルビア議会がNATOの要求を拒否する投票をすると、爆撃が始まった。

78日間でペンタゴンは、地中貫通型(バンカーバスター)爆弾や巡行ミサイルだけでなく35,000発のクラスター爆弾を投下し、放射性の劣化ウラン弾を何千発と撃ち込んだ。爆撃で、工業工場、化学工場、暖房工場、配電網に加え、480以上の学校、33以上の病院、無数の診療所、60以上の橋梁を破壊した。ワシントンが「解放する」ことを決定していたと思われる地域、つまりコソボが、最もひどく破壊された。

最終的に、1999年六月3日、ユーゴスラビアは停戦とコソボ占領への同意を強いられた。

至る所に遺体があるものと期待して、ハーグ国際戦犯法廷が組織した、NATO加盟諸国のうちの17カ国からなる法医学チームが、占領したコソボを1999年の夏中捜索したが、あらゆる国籍の2,108人の遺体を発見できただけだった。これらの人々の中には、NATO爆撃による被害者があり、またUCKとセルビア警察と軍間の戦争による死者もあった。彼らは集団墓地の一つたりとも発見できず、虐殺、あるいは「ジェノサイド」の証拠も全く提示できなかった。」

帝国主義者のプロパガンダに対するこの驚くべき反証は、主任検察官カルラ・デル・ポンテが元ユーゴスラビアの国際戦犯法廷のために発表した報告によるものだ。しかし、1999年11月11日、ニューヨーク・タイムズに大して華々しくもなく報道された。

ジェノサイドや集団墓地の話という激しいプロパガンダは、イラクが「大量破壊兵器」を所有し、利用しようとしていたという、それより後で使われた主張と同じ真っ赤な嘘だ。

戦争、暗殺、クーデターと経済的な絞め殺しによって、ワシントンは、今や六つの旧ユーゴスラビア共和国全てにネオリベラル経済政策を押しつけ、共和国を不安定で貧困化したミニ国家に分割することに成功した。

長い目で見れば、帝国主義がこの地域にもたらした不安定さとすさまじい貧困そのものが、この国の破滅の原因となるだろう。ユーゴスラビアが団結と社会主義的開発によって、本当の独立を享受し、主権を持っていた時に実現した歴史的達成が、将来、再び現れよう。

サラ・フラウンダーズはInternational Action Centerの共同代表で、1999年アメリカ爆撃の最中ユーゴスラビアを訪れ、民間標的に対するアメリカ爆撃の激しさを報告した。彼女は「Hidden Agenda-U.S./NATO Takeover of Yugoslavia" and "NATO in the Balkans」の共著者、編者。

サラ・フラウンダースによるGlobal Research記事


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本記事の英語原文www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=8185

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