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2008年1月22日 (火)

オサマ・ビン・ラディンとは何者か? 2001年9月12日

ミシェル・チョスドフスキー

2001年9月12日

www.globalresearch.ca

ワールド・トレード・センターとペンタゴンに対するテロリスト攻撃から数時間後、ブッシュ政権は、根拠となる証拠も無しに「オサマ・ビン・ラディンと彼のアルカイダ組織が主要容疑者」だと結論を出した。CIA長官ジョージ・テネットは、ビン・ラディンには「複数の攻撃を、ほとんど、あるいは全く気づかれずに」計画する能力があると述べた。国務長官コリン・パウエルは、攻撃を「戦争行為」と呼び、ブッシュ大統領は、夕方にテレビ放映された国民に対する演説で、「これらの犯罪を犯したテロリストと、 彼らを匿う連中を一切区別しない」と断言した。元CIA長官ジェームズ・ウルジーは「国家による支援」と非難し、複数外国政府の共謀をほのめかした。元国家安全保証顧問ローレンス・イーグルバーガーの発言はこうだ。「このような攻撃を受けた時には、我々の力も、報復も、恐ろしいものであることを示す必要がある。」

一方では、公式発表を鸚鵡返しにする西欧のマスコミの呪文が、中東における民間の標的に向けられた「処罰処置」の開始を認めてしまった。ウイリアム・サフィアがニューヨーク・タイムズに書いた記事はこうだ。「我々を攻撃した連中の基地やキャンプを正当に特定した暁には、巻き添え被害は最小にしながらも、受け入れ、我々は彼らを粉砕しなければならない」「公然あるいは非公然に活動して、テロ組織を匿う国々を不安定化させよう」。

下記の文章は、オサマ・ビン・ラディンとイスラム教「ジハド」のつながりから、冷戦中および、その余波におけるアメリカ海外政策形成の歴史の概要である。

アフリカのアメリカ大使館爆撃における役割から、FBIによって「国際的テロリスト」と烙印を押された、ニューヨークとワシントンのテロ攻撃の主要容疑者、サウジ生まれのオサマ・ビン・ラディンは、ソ連-アフガン戦争の時代に「皮肉にもCIAの援助のもとで、ソ連の侵略者と闘うべく」採用されたのだ。1

1979年、バブラク・カマルの親共産党政権を支援するためのソ連のアフガニスタン侵略に対抗して「CIA史上最大の秘密活動」が開始された。2

アフガンのジハドを、あらゆるイスラム教国家がソ連に対して闘うグローバル戦争に仕立てたかったCIAとパキスタンのISI [Inter Services Intelligence=総合情報局]の積極的な奨励のもと、イスラム教の40か国から来た約35,000人のイスラム教過激派が、1982年から1992年の期間、アフガニスタンの戦いに参加した。さらに何万人もがパキスタンの宗教学校に留学した。結果的に、100,000人以上の外国人イスラム教徒過激派が、アフガン・ジハドによって、直接影響を受けた。3

イスラム教「ジハド」は、資金のかなりの部分を、黄金の三日月地帯の麻薬取引で生み出された、アメリカ合州国とサウジアラビアの支援を受けてきた。

1985年3月、レーガン大統領は、国家安全保証決定指令166に署名したが...[それは]ムジャヒディンに対する秘密軍事援助の強化を承認し、秘密のアフガン戦争には新たな目標があることを明らかにしていた。秘密工作を通じて、アフガニスタンのソ連軍を敗北させ、ソ連撤退を促すことだ。アメリカの新たな秘密援助は、武器供給の劇的増強で始まったが、1987年には年間65,000トンにまで着実に伸びた、..。パキスタンのラワルピンジ近くの幹線道路沿いにあるパキスタンISIの秘密本部への、CIAとペンタゴンの専門家による「絶えざる訪問」もあった。そこでCIA専門家はパキスタンの諜報機関員と会い、アフガン反乱軍の作戦を立てる手助けをした。4

中央情報局(CIA)

(CIA)は、パキスタンの軍事Inter-Services Intelligence (ISI)を使って、ムジャヒディンの訓練の上で重要な役割を演じた。代りに、CIAが支援するゲリラ訓練は、イスラム教教育に組み込まれた。

    「支配的主題は、イスラム教は完璧な社会政治学的なイデオロギーであり、聖なるイスラム教が、無神論者ソ連の軍隊によって侵されており、アフガニスタンのイスラム教徒は、モスクワがてこいれしている左翼アフガン政権を打倒して、独立を回復すべきだというのである」5

パキスタンの諜報組織

パキスタンのISIは「橋渡し役」として使われた。「ジハド」作戦に対するCIAの秘密支援は、パキスタンのISIを通して、間接的に、機能していた。つまりCIAは、ムジャヒディンに対する支援を、直接することはなかった。言い換えれば、これらの秘密活動を「成功させるため」、ワシントンは「ジハド」の究極的な狙い、つまりソ連崩壊が、ばれないよう配慮していた。

CIAのミルトン・ベアドマンによれば「我々がアラブ人を訓練したわけではない。」しかし、カイロのアル-アラム戦略研究センターのアブドル・モナム・サイダリによれば、ビン・ラディンと「アフガンのアラブ人」は、「CIAによって提供された極めて高度な種類の訓練」を授けられていた。6

CIAのベアドマンは、この点、オサマ・ビン・ラディンは、ワシントンに成り代わって自分が演じていた役割に気づいていなかったことを確認した。ビン・ラディン自身の言葉は (ベアドマンによる): 「私も、兄弟たちも、アメリカの援助を証拠だと見た。」7

民族主義と宗教的情熱という動機で動くイスラム戦士は、自分たちがアメリカになりかわってソ連軍と闘っていることに気づいていなかった。諜報組織の幹部間では連絡がとられていた一方、戦場のイスラム教徒ゲリラ指導者たちは、ワシントンやCIAとは何の接触もなかったのだ。

CIAの支援とアメリカの膨大な金額の軍事援助資金の注入によって、パキスタンのISIは、「政府のあらゆる面において、膨大な力を及ぼす並列の構造」へと発展した。8  ISIは軍事、諜報機関員、官僚、秘密工作員や情報提供者で構成されており、その数150,000人と推測されている。9

その間、CIA工作はジア・ウル・ハク将軍が率いるパキスタン軍事政権を強化した。

    [将軍の]ジアが、ブットを放逐し、軍事政権ができて以来..、CIAとISI [パキスタン軍の諜報組織]の関係は次第に緊密になっていった。アフガン戦争期間の大半、パキスタンは、アメリカ合州国よりも、はげしく反ソ的だった。1980年にソ連軍がアフガニスタンを侵略して間もなく、ジア[ウル・ハク]は、ソ連の中央アジア諸国を不安定化させるべくISI幹部を送り込んだ。CIAがこの計画に合意したのは、ようやく1984年10月になってからに過ぎない ...。「CIAはパキスタン人よりも慎重だった。」パキスタンとアメリカ合州国の両国は、アフガニスタンに対し、一連の偽装を行った。表面上は和解交渉をしているふりをしながら、密かに、軍事的拡大策が最善の方向だと合意していたのだ。」10

黄金の三日月地帯という麻薬三角地帯

中央アジアにおける麻薬貿易の歴史は、CIAの秘密活動と密接に結びついている。ソ連-アフガン戦争前は、アフガニスタンとパキスタンのアヘン生産は、小さな地域市場向けのものだった。地域におけるヘロイン生産はなかった。11 この点で、アルフレッド・マッコイの研究で、アフガニスタンにおける二年間のCIA作戦による猛攻の間に、「パキスタン-アフガニスタン国境地帯は世界第一位のヘロイン生産国となり、アメリカの需要の60パーセントを供給している。パキスタンでは、ヘロイン中毒者の人口は、1979年のほぼゼロ状態から、1985年の120万人になった。他のどの国よりもずっと急激な伸びた。」ことが確認されている。12

    CIAの手先達がまたもやこのヘロイン貿易を支配した。ムジャヒディン・ゲリラがアフガニスタン内部の領土を獲得すると、彼らは農民に対し、革命税としてアヘンを栽培するよう命じた。国境を超えたパキスタンでは、パキスタン諜報組織の保護の元で、アフガン指導者や地方犯罪組織が、何百ものヘロイン工場を運営していた。この十年の取り締まりの甘い麻薬取引で、イスラマバードにあるアメリカの麻薬取締局は大規模押収や逮捕を実施しそこねた..。アフガニスタンにおけるアメリカの麻薬対策が、ソ連の影響に対する戦いの下に位置づけられていたために、アメリカの役人は、アメリカのアフガン人同盟者たちによるヘロイン取引犯罪の調査を拒否したのだ。1995年、アフガン作戦の元CIA指揮官チャールズ・コーガンは、CIAが、冷戦を優先し、麻薬に対する戦いを犠牲にしてきたことを認めた。「我々の主要任務は、ソ連に対してできるだけ損失を与えることだった。我々には麻薬取引の調査に注ぐための資源も時間もなかった'..。我々はこの点について、詫びる必要はないと思う。あらゆることに副産物はつきものだ。確かに麻薬という点で、副産物はあった。だが主要目的は完遂された。ソ連はアフガニスタンを去ったのだ。13

冷戦の後

冷戦が終わり、中央アジア地域は、膨大な石油埋蔵量ゆえに戦略上重要なばかりでなく、世界アヘンの四分の三を生産し、企業連合、金融機関、諜報機関や組織犯罪に、何十億ドルもの収入をもたらしている。黄金の三日月地帯の年間取麻薬取引(1000から2000億ドルの間)は、全世界年間麻薬生産量のおよそ三分の一を占め、国連による推計では、5000億ドルの規模だ。14

ソ連崩壊とともに、アヘン生産の新たな急増が起きた。(国連推計によれば、1998-99年のアフガニスタンのアヘン生産は、旧ソ連共和国内武装反抗勢力の増強と並行しているが、過去最大の4600メートルトンに達した。15 犯罪組織と手を組んだ、旧ソ連内の強力な企業連合が、ヘロイン流通経路の戦略的支配を巡って戦っている。

ISIの大規模な諜報組織・軍ネットワークは、冷戦終結後も解体されなかった。CIAは、イスラム教「ジハド」を、パキスタンの外部から支援し続けた。新たな秘密の構想が、中央アジア、コーカサスとバルカンで活動を開始した。パキスタンの軍事および諜報組織は、本質的に「ソ連解体と中央アジアにおける、6つの新たなイスラム教共和国登場の触媒として機能した。」16.

一方、サウジアラビアのワッハーブ派イスラム教宗教者は、非宗教的な国家組織に侵入し、イスラム教共和国やロシア連邦内で足場を固めた。反米イデオロギーにもかかわらず、旧ソ連において、イスラム教原理主義は、ワシントンの戦略的利益に大いに貢献した。

1989年のソ連軍撤退後も、パキスタンのデオバンディス派イスラム教徒と、その政党ジャミアト-ウル-ウレマ-エ-イスラム(JUI)にタリバンが支援され、アフガニスタン内戦は衰えずに続いた。1993年、JUIは、ベナジール・ブット首相の連立政権に参加した。JUI、軍とISIの間のつながりが確立された。1995年、カーブルのヘズブ-イ-イスラミ・ヘクマチヤル政府の失脚とともに、タリバンは強硬派イスラム教政府を作っただけでなく、「アフガニスタン訓練キャンプの支配権をJUIの派閥に引き渡した...」 17

サウジのワッハーブ主義運動による支援を得て、バルカンと旧ソ連で戦う志願兵の募集の上で、JUIは主要な役割を果たした。

ジェーン・ディフェンス・ウイークリーは、この点に関し「タリバン兵士と武器の半分は、ISIの元で、パキスタンからきているもの」であることを確認している。18

実際、ソ連撤退後、アフガン内戦において、双方がパキスタンのISI経由で、秘密支援を継続した。19

言い換えれば、CIAが支配するパキスタンの軍事諜報組織、総合情報局(ISI)に支援され、タリバンのイスラム教国家は、アメリカの地政学的利益に大いに貢献したのだ。黄金の三日月地帯の麻薬取引も、ボスニアのイスラム教徒軍(1990年代初期に始まった)やコソボ解放軍(KLA)に資金援助と武器を与えるのに用いられた。マケドニア攻撃時、最後の数カ月、KLA-NLAテロリストの兵卒としてムジャヒディンの傭兵が戦った証拠がある。

女性の権利の目に余る低下、女生徒向け学校の閉鎖、女性職員の政府機関からの解雇や、「イスラム法の刑罰」の施行等を含む、タリバンによる恐怖支配を、なぜワシントンが見てみない振りをしていたのかという理由が、これで氷解する。20

チェチェン戦争

チェチェンについていえば、反乱勢力の主な指導者シャミール・バサーエフとアル・ハッターブは、CIAが支援するアフガニスタンとパキスタンのキャンプで訓練、教化された。アメリカ議会のテロおよび不正規戦対策委員会の委員長ヨセフ・ボダンスキーによると、チェチェンにおける戦争は、ソマリアのモガディシオで1996年に開催されたヒズボラ・インターナショナルという秘密サミットの間に、計画された。21 サミットには、オサマ・ビン・ラディンやイランとパキスタンの諜報部門幹部が参加した。この点で、チェチェンにおけるパキスタンISIの関与は、チェチェン人に武器と専門知識を提供するというレベルを遥かに超えている。ISIと過激派イスラム教徒という代理人が、実際この戦争を支配している。22

ロシアの主要パイプライン経路は、チェチェンとダゲスタンを経由している。イスラム教テロに対する、ワシントンによる通り一遍の非難にもかかわらず、チェチェン戦争の間接的な受益者は、カスピ海盆地からの石油資源とパイプライン回廊の支配権を競い合っている英米の石油コングロマリットだ。

総勢35,000人とみられる二つの主要なチェチェン反乱軍(それぞれシャミール・バサーエフとエミール・ハッターブ司令官によって率いられる)は、チェチェン反乱軍の組織化と訓練の上で主要な役割を演じているパキスタンのISIによって支援されていた。

    「[1994年] パキスタン総合情報局は、1980年代初期にCIAとISIが作りあげ、有名なアフガン人軍閥将軍ガルブディン・ヘクマチアルが運営するアフガニスタン、ホスト州のアミール・ムアイア・キャンプで、バサーエフと彼の信頼のおける副官たちのために、集中的なイスラム教教化とゲリラ戦争の訓練を行うよう手配をした。1994年7月、アミール・ムアイアを卒業し、バサーエフはパキスタンのマルカズ-イ-ダワル・キャンプに送られ、高度ゲリラ戦術の訓練を受けた。パキスタンで、バサーエフは、パキスタンの軍や諜報組織の最高幹部と会っていた。国防大臣アフタブ・シャーバン・ミラニ将軍、内務大臣ナセルラ・ババール将軍、イスラム教の大義を支える役目のISI部門の長、ジャベド・アシラフ将軍、(今では全員退職済)。間もなく、こうした高官とのコネはバサーエフにとって大いに役立った。」23

訓練と教化期間の後、バサーエフは1995年の第一次チェチェン戦争で、ロシア国軍に対する攻撃を指揮する役を与えられた。彼の組織は、モスクワの犯罪組織との大規模なつながりや、アルバニアの組織犯罪やコソボ解放軍(KLA)との結びつきを展開していた。1997-98年、ロシアの連邦保安(FSB)によると「ユーゴスラビアで、隠れ蓑として登録した何社かの不動産会社を通じて、チェチェン軍閥の長達がコソボの不動産買い占めを始めた」 24

バサーエフの組織は、麻薬、ロシア石油パイプラインからの盗油や、破壊工作、誘拐、売春、偽ドル札取引や核物質の密輸を含む多数の悪事にも関与していた(アルバニアの崩壊したピラミッドにつながったマフィア参照、25 麻薬や、様々な非合法活動取引で稼いだ資金は、大規模なマネー・ロンダリングと並行して、傭兵採用と武器購入に注ぎ込まれた。

アフガニスタンでの訓練中、シャミール・バサーエフは、サウジ生まれの古参ムジャヒディン司令官、アフガニスタンで志願兵として闘った「アル・ハッターブ」と連携した。バサーエフがグロズヌィに帰還してわずか数カ月後、(1995始め) ムジャヒディン戦士訓練のためにチェチェンに軍事基地を設置するためにハッターブが招かれた。BBCによると、ハッターブのチェチェン駐在は「サウジ・アラビアに本拠をおき、モスクと豊かな人々が資金を供給しており、資金をチェチェンに注ぎ込んでいる戦闘的な宗教組織[国際]イスラーム救援機構を通してお膳立てされたもの」だ。26

結語

冷戦時代から、ワシントンはオサマ・ビン・ラディンを故意に支援しながら、同時に彼をFBIの世界「最重要指名手配者リスト」に載せている。

バルカンや旧ソ連で、ムジャヒディンがアメリカの戦争をせっせと闘っている間、アメリカを本拠として活動するFBIは、ソ連-アフガン戦争以来、秘密活動を通して国際テロリズムを支援してきたCIAとは、ある面において独立して動き、アメリカ国内でテロに対する戦争を遂行している。

残酷な皮肉だが、イスラム教聖戦は、ブッシュ政権によって「アメリカに対する脅威」だとされており、ワールド・トレード・センターとペンタゴンに対するテロ攻撃を行ったとして非難されているが、まさにその同じイスラム教組織が、バルカンや旧ソ連内でのアメリカの軍事-諜報活動の主要な手段なのだ。

ニューヨークとワシントンにおけるテロ攻撃の後、ブッシュ政権とNATO同盟諸国が人類の未来を脅かす軍事的冒険に乗り出すのを防ぐべく、真実が勝利せねばならない。


Michel Chossudovskyは、国際的ベストセラーAmerica’s "War on Terrorism" 第二版、Global Research、2005年刊行の著者。彼はオタワ大学の経済学の教授で、Center for Research on Globalizationの理事長。

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注: 中東戦争拡大の危機について人々に知らせ、警告する目的で、読者がこの記事を他に投稿されることを歓迎します。引用元と著作権の表記をお忘れなく。

メデイア問い合わせは crgeditor@yahoo.com

関連記事: 2001年9月11日にオサマはどこにいたのか?(英語原文)  Michel Chossudovsky, 2006年9月9日


注:

   1. Hugh Davies, International: `Informers' point the finger at bin Laden; Washington on alert for suicide bombers, The Daily Telegraph, London, 1998年8月24日。

   2.  Fred Halliday, "The Un-great game: the Country that lost the Cold War, Afghanistan, New Republic, 1996年3月25日):

   3. Ahmed Rashid, The Taliban: Exporting Extremism, Foreign Affairs, 1999年11-12月。

   4. Steve Coll, Washington Post, 1992年7月19日。

   5. Dilip Hiro, Fallout from the Afghan Jihad, Inter Press Services, 21 November 1995年.

   6. Weekend Sunday (NPR); Eric Weiner, Ted Clark; 1998年8月16日。

   7. 同上

   8. Dipankar Banerjee; Possible Connection of ISI With Drug Industry, India Abroad, 1994年12月2日。

   9. 同上

  10. Diego Cordovez and Selig Harrison, Out of Afghanistan: The Inside Story of the Soviet Withdrawal, Oxford university Press, New York, 1995年. International Press ServicesでのCordovez and Harrisonの書評も参照、1995年8月22日。

  11. Alfred McCoy, Drug fallout: the CIA's Forty Year Complicity in the Narcotics Trade. The Progressive; 1997年8月1日。

  12. 同上

  13. 同上

  14. Douglas Keh, Drug Money in a changing World, Technical document no 4, 1998, Vienna UNDCP, p. 4. Report of the International Narcotics Control Board for 1999, E/INCB/1999/1 United Nations Publication, Vienna 1999, p 49-51, And Richard Lapper, UN Fears Growth of Heroin Trade, Financial Times, 2000年2月24日も参照。

  15. Report of the International Narcotics Control Board, 前掲書 p 49-51, Richard Lapper, 前掲書も参照。

  16. International Press Services, 1995年8月22日。

  17. Ahmed Rashid, The Taliban: Exporting Extremism, Foreign Affairs, 1999年11-12月, p. 22.

  18. Christian Science Monitorで引用、1998年9月3日)

  19. Tim McGirk, Kabul learns to live with its bearded conquerors, The Independent, London, 1996年11月6日。

  20. See K. Subrahmanyam, Pakistan is Pursuing Asian Goals, India Abroad, 1995年11月3日。

  21. Levon Sevunts, Who's calling the shots?: Chechen conflict finds Islamic roots in Afghanistan and Pakistan, The Gazette, Montreal, 1999年10月26日。

  22. 同上

  23. 同上

  24. Vitaly Romanov and Viktor Yadukha, Chechen Front Moves To Kosovo Segodnia, Moscow, 2000年2月23日。

  25. The European, 1997年2月13日, See also Itar-Tass, 4-5 January 2000.

  26. BBC,  1999年9月29日。


Michel ChossudovskyはGlobal Researchの常連執筆者。Michel ChossudovskyによるGlobal Research記事

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