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2007年12月

2007年12月29日 (土)

オハイオ州選挙管理当局者、投票装置に欠陥があったと語る

ボブ・ドリーハウス

2007年12月15日公開

ニューヨーク・タイムズ記事

シンシナティー発

選挙投票で、かろうじてブッシュ大統領の二度の選出をもたらした州、オハイオで使われた五つの投票システムの全てに、2008年総選挙の無欠さを台無しにしかねない致命的な欠陥があることが、同州の選挙管理幹部に委託された報告で判明した。

「レポートについて、選挙管理役、州務長官のジェニファー・ブルンナーは、予想していたよりも酷かった、と語っている。「多分いずれかのシステムの方が、他よりは良いという結果になることを期待していたので。」

投票場で、研究を行ったチームは、メモリー・カードにアクセスする鍵をこじあけることができ、装置に偽の票数計算を入れるのには携帯型機器を用いた。選挙管理委員会で、チームは、悪質なソフトウエアをサーバーに導入することができた。

ブルンナー氏は、オハイオの88中、50以上の郡で使われているタッチ-スクリーンを含め、同州の投票装置を全て入れ換えるよう提案した。投票者が手で記入した投票用紙を読み取って、電子的に記録する光学スキャニング装置を全ての郡で使って欲しいと彼女は望んでいる。

来年十一月の大統領選挙で新たな装置が使えるようにするには、四月までに立法と資金調達が必要だと彼女は主張している。変更にかかる費用は推測できていないと語っている。

投票問題の実績があるもう一つの激戦州フロリダも、タッチ-スクリーン装置を止め、光学スキャニング方式のものに切り換える。そうしたシステムは、専門家たちがこの装置の方が他の装置より信頼性があると言っており、大半のタッチ・スクリーンとは違い、数え直しのため紙の結果が残ることから、受けが良いのだ。

民主党員のブルンナー氏は、オハイオで、2004年選挙を監視すると同時に、ブッシュ大統領の再選キャンペーン副議長を勤めて、攻撃の的となった共和党員J. ケネス・ブラックウェルの後任だ。

2000年と2004年の選挙で一時間にも及ぶ行列の問題がトップ記事となり、数え直しで不正を行った罪で二人の選挙作業人の有罪判決がだされたクリーブランドを含むクヤホガ郡でのスキャンダル後、投票を徹底的に調査するという約束の一部として、彼女が研究を命じたのだ。ブルンナー氏の事務所が、一時的にその郡の選挙管理委員会を掌握している。

金曜日に発表された研究で、イレクションズ・システムズ・アンド・ソフトウエア社、プレミア・イレクション・ソリューションズ(旧ディーボルド社)、およびハート・インターシビック社製の投票装置と中央サーバーが、簡単に改竄されることが判明した。

プレミア社の広報担当者、クリス・リッゴールは、ハードウエアとソフトウエアの問題は、2008年には設置可能になる同社の新製品では修正されている、と語っている。

「オハイオなりアメリカ合州国のどこかで、選挙投票システムに対する攻撃がうまくいったことが文書になった例は一つもないことに留意するのが重要です。」と彼は言う。

イレクション・システムズ・アンド・ソフトウエア社の広報担当者、ケン・フィールズは、報告書所見のいくつかについて、同社は強く反対すると語った。「選挙分野における、わが社の35年間の経験が、イレクション・システムズ・アンド・ソフトウエア社の投票装置技術が、正確で、信頼性があり、安全に守られていることを証明していると申し上げられます」と彼は述べている。

190万ドルの連邦政府資金をかけた研究では、平行評価をするために、企業および学者のチームが編成された。12の選挙管理委員会の委員長と副委員長の超党派グループが顧問として働いた。

クリーブランド州立大学、ペンシルバニア州立大学、カリフォルニア大学、サンタ・バーバラ、およびペンシルバニア大学の教員と学生で構成された学者チームは、体系的な変更が必要だと述べている。「検討したシステム全てに致命的な警備上の欠陥があり、システムの技術的な制御は、信頼できる選挙を保証するには不十分である」とチームは書いている。

投票装置を入れ換えることに加え、ブルンナー氏は、経費削減手段として、5つ以下の投票区用の投票場を廃止し、投票日の15日前の期日前投票を導入するよう提案している。

写真は、オハイオ州の投票システムの研究に関するコロンバスにおける記者会見でのオハイオ州務長官ジェニファー・ブルンナー

http://www.nytimes.com/2007/12/15/us/15ohio.html?_r=2&oref=slogin&oref=slogin

天木直人氏の下記ブログでも、電子投票についての疑念が書かれた。もっともな御意見だが、最後の一行だけは全く賛成できない。小選挙区制、二大政党制、郵政選挙をあおるマスコミが、改心する可能性があるだろうか?

http://www.amakiblog.com/archives/2008/01/15/#000670

2007年12月28日 (金)

マスコミはどのように階級戦争を隠蔽しているか

ノーマン・ソロモン、AlterNet 2007年11月26日掲載の記事

マスコミは組織労働者だけを軽くあしらっているわけではない。未組織労働者も無視している。

数十年前、1/3以上のアメリカの労働者が組合に加入していた。現在この数値は10パーセント程度にまで落ちている。そしてマスコミはこの大幅下落の中で重要な位置を占めている。

組合が萎縮するにつれ、体制派マスコミは、組合に対して記事も放送時間も減らす口実を見つけ出す。マスコミ報道が減るにつれ、労働組合が自分たちの労働生活に関係があると思うアメリカ人の数も減ってゆく。

だが労働に関わるメディアの問題は、記事、テレビ、ラジオから組合の話が消えるだけでは終わらない。メディアは組織労働者だけを軽くあしらっているわけではない。未組織労働者のことも、忌避しているのだ。

したがって、職場と生計に関わる話題がニュースに乗る時は、雇用者側の立場から取り上げられる。競争せねばならない企業の視点や危機が強調されがちだ。

そう、確かに企業は競争せざるを得ない。そして労働者は自分と家族が、食事をし、服を着、家に住まねばならない。そして労働者は十分な医療が欲しいと期待するものだ。

健康保険の問題は、昨今多くの候補者にとって政治上の話の種だ。その一方、組織労働者たちは、何であれ自分たちの得ている医療保障を維持しようとすると、自分の立場が弱くなっていることに気がつく。そして未組織労働者には、医療保障などほとんどあるいは、全くない。

全てのマスコミが企業収益の困難さばかり言い立てる中、人的要素は、どさくさに紛れて抜かされるのがお決まりだ。日々の企業ニュースや一般的報道の中で、ぎりぎりの貧困状態にある人々の生活は、抽象的な概念として描かれがちとなる。あるいは、ただ触れずに済まされるだけのことだ。

イラクにおける戦争の話題がマスコミではお盛んだ。その報道の質について多くは語れないが、マスコミは少なくとも軍事的な戦争が海外では起きていることだけは報道し続けている。しかしアメリカ国内で起きている経済戦争についてはどうだろう?

「階級戦争」といった言葉はアメリカのマスコミでは疑わしいものにさせられている。余りに無遠慮で、余りに戦闘的で、余りに雄弁的だという汚名を着せられている。だがそれを何と呼ぼうと、経済的な利害の衝突は我々につきものなのだ。

トップダウンで遂行される階級戦争は、輝かしい活動であり、企業お抱えのマスコミによって、ある種不愉快な現実を具合よく描き出したり、忌避したりするのも、成功の秘訣の一部だ。数十億ドル規模の企業が、数十億ドル規模の企業の権力に対向しようとするようなマスコミ企業を所有しようとしたり、そうしたマスコミ企業を使って宣伝をしたいなどと考えるはずがないことは、ロケット科学者あるいは社会科学者でなくともわかることだ。

支配的であるにもかかわらず、ほとんど触れられることがない、過去数十年間にわたるマスコミの変貌の一つは、経済ニュースを一般ニュースとして扱う傾向が急激に高まったことだ。その結果、何千万人もの低収入の人々が、金回りのいい投資家にとっての難題やらチャンスに関するニュースを常時聞かされる。

その逆は、もちろんありえない。極めて豊かな我々の社会では、新聞を取り上げたり、あるいは夜のニュースにチャンネルを合わせたりした時に、アメリカの貧しい人々のひどい苦境について、あるいはそういう人々の一人になるのがどういうことかという一連の話やら解説に出会うようなことは滅多にない。しかも、多数の人々が益々貧しくなる直接の結果として、わずかな人々が不愉快なほど金持ちになる様を報道するのを見るのは、更にまれなことだ。

「階級戦争」? アメリカで最も有力な編集者たちは、この言葉にはうんざりだろう。しかし、日々、何百万人ものアメリカ人は痛いほど感じている。どんな表現で呼ぼうと、階級戦争は続いており、自分たちは敗北しつつあることを。

記事原文のurl:http://www.alternet.org/workplace/68903/

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そこで、マスコミになど期待せず、下記のようなミニコミを読むしかないわけだ。

雨宮処凛が行く! 037 グッドウィル事業停止と「貧乏人一揆」の巻

2007年12月20日 (木)

大衆を国家に頼らせるべく、無辜の民間人、女性、子供を攻撃せよ<グラディオ作戦>2005年2月18日

剣劇:グラディオ作戦

モスコー・タイムズ コンテキスト

グローバル・アイ掲載記事

グラディオ作戦

2005年2月18日 クリス・フロイド

「民間人を、人々を、女性を、子供を、無辜の人々を、あらゆる政治的ゲームとは縁もない名も無き人々を攻撃しなければならない。理由はきわめて単純だ。一般大衆に、より大いなる安全を求めさせ、国家を頼るようにさせる為だ。」

これはグラディオ作戦、つまり西欧の謀略機関が操る、自国民達に向けたテロリズムとペテンという何十年も続いている秘密作戦の本質だ。列車の駅、スーパーマーケット、カフェや事務所に対するテロ攻撃によって何百人もの無辜の人々が殺されたり、かたわにされるが、そのテロ行為は「左翼の破壊活動分子」或いは他の政敵のせいにされる。その狙いは、グラディオのスパイ、ヴィンチェンツォ・ヴィンチグエッラによる上記の宣誓証言に述べられている通り、狙った敵を悪魔のように見せかけ、大衆を怯えさせ、政府指導者と仲間のエリート主義者達の、強化しつづける権力を支持させるようし向けることだ。

イタリアの首相ジュリオ・アンドレオッティが1991年に初めて明らかにしたグラディオ(ラテン語の「グラディオ=剣」が語源)は、創設者のCIAとMI6によって今日も依然として守られている。それでも、イタリア、スイスとベルギーの議会による調査によって、過去数年間に真実の断片がいくつか明らかになった。これらはCommonDreams.org.でリラ・ラジヴァが報告しているように、ダニエル・ガンサーの新刊書「NATOの秘密の軍隊:グラディオ作戦と西欧におけるテロリズム」(NATO's Secret Armies: Operation Gladio and Terrorism in Western Europe)に纏められている。

本来、ソ連が西欧を侵略した場合に、国境線の背後で活性化されるべき秘密細胞のネットワークとして作り上げられたグラディオは、あっという間にNATOとワシントンによって率いられる政治的抑圧と操作の手段へと進化した。右翼の民兵、暗黒街の大物、政府の煽動者や秘密の戦闘部隊、グラディオはイタリア、フランスや西独のような民主国家において、広範にテロリズム、暗殺や選挙破壊工作を行ったばかりでなく、スペインとポルトガルではファシストの圧政を支持し、ギリシャの軍事クーデターを幇助し、トルコにおけるクルド人抑圧を手助けした。

ガンサーが暴き出した「決定的証拠」の中には、国防総省の文書で「共産主義者の破壊工作」に対して「十分効果的に対応しようとしない」国々においてテロリスト攻撃を立ち上げる方法を詳細に説明している戦場マニュアルFM30-31Bがある。皮肉なことにこのマニュアルには、最も危険な瞬間は左翼の連中が「武力の使用を放棄して」民主的な手順を受け入れた時にやってくると書いてある。その時にこそ、「アメリカの諜報機関は、ホスト国の政府と世論に、反乱分子の危機の真実を知らしめる特別作戦をたちあげる手段を持っている必要があるのだ」。当然ながらこうした平和を絞め殺す「特殊作戦は極秘に留めておかねばならない」と文書は警告している。

実際、1980年8月2日のボローニャ駅爆破で粉々にされた85人の家族が、愛する人々が、イタリア議会が2000年の調査の後で結論づけたように「イタリアという国家組織内部の連中や...アメリカの諜報機関とつながる連中」に殺害されたことを知っても、何の役にもたちはしない。

ボローニャの残虐行為は、グラディオ作戦の大家たちが「緊張作戦」と呼んでいるものの好例だ。恐怖を醸成して、国民を絶えざるテロリスト脅威のとりこにとどめ、守ってくれる「強力な指導者」を求めさせるのだ。また、ラジヴァが述べている通り、この戦略は対西欧に限定されてはいない。レーガン及びブッシュ政権により不気味なほど効果的に中米において適用された。1980年代、右翼暗殺者集団、アメリカによって武装され、訓練され、備品供給を受けたゲリラ軍と国家保安部隊が、地域一帯において何万人という人々を殺戮したが、衝突に対する平和的な解決がまさに根付こうかという時に限って、とりわけ残虐になることが多かった。

先月、国防総省がイラクで同様な計画を考慮中だということが広く報じられた。ただし、イラクの新聞を除いては記事にならなかった事実として、既に少なくとも一つの占領支持派暗殺者集団が作戦遂行中だということがある。国防総省の計画が明らかになった直後、新たな戦闘的集団「サラヤ・イラクナ」が、反乱分子の頭の皮に対し、$50,000にも上るアメリカ・ドルの分厚い札束を提供しはじめたとイラクの新聞アル・イッティハードは書いている。「我々の活動では攻撃相手を注意深く選んだりはしない」と、このグループは約束している。言い換えれば、連中が国家の敵だと考える相手なら、誰でも格好の獲物になるわけだ。

奇妙なことに、国防総省がグラディオ型の作戦をイラクにおいてまさに展開しようとしているよう見えるところに、病院や学校といった民間施設に対するテロリストの非道な挑発的攻撃が突如続いた、とガーディアンは書いている。アメリカによる占領の早急な終了を求める候補者達の名簿を主要な党派が支持した選挙の直後に、際だって世間の目をひく対民間虐殺事件が連続し、絶えざるテロリストの脅威に対して安全を提供すべく、アメリカ軍が無期限に居座る「切迫した必要性」が強調されることとなったわけだ。一方で、ブッシュ派一味は長らく待望していたイラクにおける恒久的基地の建設を続けている。それは新任のイラク人官僚達がアメリカ企業に売却すると約束している石油を守るための砦であり、地政学的な支配上の新たな侵略への足がかりだ。

おそらくこれは単なる偶然の一致だろう。だが、友好的な人民に対し、アメリカのエリートがテロリスト攻撃を指揮したり、醸成した歴史は余りに広範で、根深く、広く認められているので、世界を混乱させる、あらゆるテロリスト行為の素性を我々は疑わざるを得なくなっている。新たな残虐行為がおこるたびごとに、我々はそれが「本物の」テロリストの仕業なのか、あるいは諜報機関による「スパイ」の仕業なのか、それともその両方なのかと考えるよう強いられている。

絶対確実とは言えないにせよ、いにしえのラテン語の問いが、依然として現代のテロリズムという血にまみれた暗闇の真相を見抜く最善の手引きである。それは「Cui bono?(クイ・ボノ)」だ。つまりだれが利益を得るのかだ?「緊張作戦」が、「安全」への鍵を握っていると主張する連中の権力と利益とを意味するものであることはわかりきっている。クレムリンの大広間からポトマック川堤に至るまで、この冷笑的な作戦こそ、現代の支配的イデオロギーであるようだ。

Copyright: Moscow Times

http://context.themoscowtimes.com/stories/2005/02/18/120.html

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週刊金曜日 金曜アンテナ
イタリア 元大統領が指摘する 「9・11の真相」
http://www.kinyobi.co.jp/pages/vol683/antena

BBCのドキュメンタリー、Operation Gradioは色々なWebでみられる。

スイス人研究者Daniele Ganserによるこの活動に関する著書 NATO's SECRET ARMIES

書籍の概要PDF

彼のWebには、テレビ、ラジオ等のインタビューもある。(大半はドイツ語だが、英語のものもある。)

最近話題になっている上記の記事で、昔訳したこの記事を思い出した。

「ジョー・マクモニーグル未来を透視する」
ソフトバンククリエイティブ
2006/12/21刊行
には、
「2010年、東京でテロが起きる!」とある。なるほど。
成田で指紋などをとっても防げないのだろう。
成田で指紋をとられずに、入出国ができるテロリストとは誰だろう?
あるいは、そもそも、入出国をせずにすむテロリストとは誰だろう?

松本清張「日本の黒い霧」を思い出す。
下山事件、帝銀事件、松川事件、などGHQ占領下日本でおきた一連の怪事件。
犯人は一体誰なのだろう?

2007年12月 8日 (土)

鉄の壁 (私たちとアラブ人) (1923)

鉄の壁

(私たちとアラブ人)

ウラジミール・ジャボチンスキー(ジャボティンスキー)

ただちに要点を述べよという黄金律に反し、この文章を私はまず自己紹介から始めねばならない。いわく、この文章の著者はアラブ人の敵と見なされており、彼らを追放すべきだという主唱者である等々。それは事実ではない。アラブ人に対する私の感情的態度は、あらゆる他人に対するものと同じだ。慇懃な無関心である。私の政治的な立場は二つの原理によって表現できる。その一:いかなる方法によってもアラブ人をパレスチナから追い出すことは絶対に不可能である。パレスチナには常に二つの国民が暮らし続けることになろう。ユダヤ人が多数派になる限り、私はそれで十分満足だ。その二:ヘルシンキ・プログラムをまとめ上げた集団のメンバーであったことを私は誇りに思っている。私たちは、ユダヤ人だけのためでなく、あらゆる人々のためにまとめ上げたのであって、基本はあらゆる国民の平等だ。我々も、我々の子孫も、決してこの「平等」を破壊することはなく、決してアラブ人を追い出したり、抑圧したりしようとはしないと誓う覚悟はできている。我々の信条は、読者にはおわかりの通り、全く平和的だ。しかし我々の平和的な目的が、平和的な手段で実現されるかどうかは全く別のことだ。それがどうなるかは、我々のアラブ人に対する態度にではなく、ひたすらアラブ人のシオニズムに対する態度に依存する。

以上の前置きを述べたので、要点をお話しすることができる。イスラエルの土地にいるアラブ人は我々と進んで合意に至るだろうということには、現在において、そして予見しうる将来において、いかなる可能性も存在しない。私の信念を、これほど断固として申し上げているのは、シオニスト陣営の穏健派を幻滅させたいがためではなく、全く逆に、彼らをそのような幻滅から救い出したいがためなのだ。子供の時から、事実上「目が見えなくなっている」連中を除けば、ほかの穏健なシオニストは全員、イスラエルの土地にいるアラブ人から、「パレスチナ」がユダヤ人が多数派の国になることへの同意を取り付けることなど、少しの可能性もないことは大昔から分かっている。

読者はどなたも、移住によってできた他国の古代史を多少はご存じだろう。あらゆる例を思い出していただくようお願いしたい。その地に生まれついた先住民の同意のもとに移住した国の例を一つでも挙げようと試みられれば、決して成功することはあるまい。住民(彼らが文明人であれ、野蛮人であれ)は、常に頑固に戦うものなのだ。しかも移住者がどのように振る舞うかは、それには何の影響もなかったのだ。メキシコとペルーを征服したスペイン人、或いはヨシュア・ベン・ヌンの時代の我が先祖については、略奪者のように振る舞ったという意見もあろう。だがあの「偉大な探検家たち」真に最初の北米の先駆者であったイギリス人、スコットランド人やオランダ人は、極めて高い倫理基準の持ち主だった。彼らはアメリカ・インディアンをそっとしておきたいと願ったばかりでなく、ハエさえも哀れんだのだ。全く誠実で純真な人々は、処女林と広大な平原には、白人と先住民双方にとって十分な空間があると信じたのだ。だが先住民は野蛮な移住者に対しても、文明的な移住者に対しても、同様の残忍さで抵抗した。

もう一つ、全く関係が無かったのは、移住者が住民を土地から追い出したいと願っているという疑念があったかどうかだ。アメリカ合衆国の広大な地域に、百万あるいは二百万人以上のインディアンが住んでいたことはない。住民たちが白人移住者と戦ったのは、土地を取り上げられてしまうかもしれないという恐怖心からではなく、単に、いかなる場所でも、いかなる時代でも、自分の国によそものの移住者を受け入れた先住民がいた事などなかったからに過ぎない。文明的であれ野蛮であれ、いかなる先住民も同じで、自分たちの国を民族的郷土と考えていて、そこで自分が常に完全な主人だと思っている。新たな主人だけでなく、新たなパートナーさえ、彼らは決して進んで受け入れようとはしないのだ。アラブ人の場合も同じだ。我々の企てのさなか、妥協派は、アラブ人は、我々の目標に多少糖衣をかぶせたものでだませるような連中、パレスチナに対する生得の権利を、文化的、経済的な利益のために放棄する金にどん欲な部族である種のあほうだと我々に思わせたがっている。パレスチナ・アラブ人をこのように評価することを、私はきっぱり拒否したい。文化的には彼らは我々より500年遅れている。精神的には、我々のような忍耐力や意志の力は持ち合わせていないが、内部的な違いはこれが全てだ。我々の善意について、いくらでも語り続けることはできよう。しかし彼らとて、何が自分たちにとって良いことか程度は理解している。アステカ族の人々が自分たちのメキシコを見渡したと同じ、或いはスー族の人々が大草原を見渡したのと同じ本能的な愛情と本当の熱情で、彼らはパレスチナを見渡している。文化的、経済的恩恵と引き替えに、アラブ人がシオニズムの実現に進んで同意し、我々が彼らに恩恵を与えることが可能だなどと考えることは子供じみている。我が「親アラブ派」の子供のような幻想は、アラブ人に対するある種の軽蔑、この民族を、鉄道網のためなら祖国を売却し、簡単に抱き込める野次馬連中と見なす事実無根の考え方から来ている。

こうした見方は全く根拠がない。おそらく個別のアラブ人は金でかたをつけることができるだろうが、だからといって決してエレツ・イスラエルの全アラブ人が、パプア人でさえ売り払おうとしない愛国心を、進んで売り払うわけではない。あらゆる先住民は、よそ者による移住の危機を、自分たちで避けることができるという可能性がわずかでもあれば、よそ者の移住者には抵抗するものなのだ。

これこそ、パレスチナのアラブ人が今やっていることであり、「パレスチナ」を「イスラエルの土地」に変革することが防止できるというごくわずかな希望が残っている限り、彼らがやり続けるであろうことなのだ。

ある種の誤解が起きていて、アラブ人は我々の意図を理解しないために我々に反対しているが、我々の熱意がどれほど控えめで限定されているかということを、彼らに対してはっきり説明できさえすれば、彼らは、平和的に手を差し伸べてくると想像している人々がいる。これも今までに何度となく証明されてきた誤った考えだ。一つの出来事を挙げれば十分だろう。三年前の当地訪問の際に、ソコロフが素晴らしい演説をした まさにこの「誤解」について、説得力のある言葉を使って、我々が彼らの財産を奪ったり、あるいは国から追い出したり、あるいは抑圧するつもりだとアラブ人が思いこむとは何という甚だしい誤りかを証明した。我々は決してそんな事はしなかった。我々はユダヤ人国家すら求めてはいない。我々が望んでいるのは国際連盟を代表する政権だ。この演説に対する回答がアラブの新聞アル・カーメルのある記事で公表されたが、その内容を記憶の中からここに書いてみよう。内容は原文に忠実だと私は確信している。

我がシオニストの高官連は不必要に狼狽していると、その著者は書いている。誤解などない。ソコロフがシオニズムを代表して主張したことは真実だ。だがアラブ人は既にそれを知っている。明らかに、シオニストは現在アラブ人を追い出したり、抑圧したり、あるいはユダヤ人国家の樹立さえ夢想することはできない。今の時期、明らかに連中はただ一つの事にしか関心がないのだ。アラブ人がユダヤ人移民の邪魔をしないということに。さらに、シオニストは、移民の数を国の経済的受容能力に応じて制御すると誓約した。だが移民の可能性を許容するような条件など他にないので、アラブ人は何の幻想も持っていない。

この新聞の編集者は、エレツ・イスラエルの受容能力は極めて大きく、一人のアラブ人にも影響を与えずに多くのユダヤ人が移住可能だと進んで信じようとしているようだ。「それがまさにシオニストが望んでいることであり、アラブ人が望んでいないことだ。 こうして、ユダヤ人はすこしずつ多数派になってゆき、そのこと自体によって、ユダヤ人国家が形成され、アラブ人少数派の運命はユダヤ人の善意に依存するようになる。だが、少数派であることがどれほど「快い」かを、我々に教えてくれたのはユダヤ人自身ではなかったろうか? ここには何の誤解も存在しない。シオニストが望んでいるのは「移住の自由」であり、我々が望んでいないのは、ユダヤ人の移住なのだ。」

この編集者が用いている論理はごく単純で明快なので、暗記してしまえるほどだが、アラブ問題にかかわる我々の意識の根幹だ。我々の運動を正当化するために、ヘルツルあるいはヘルベルト・サミュエルを引用するかどうかは重要な問題ではない。植民そのものに、不可欠かつ避けがたい論理があり、理解力のあるすべてのアラブ人とすべてのユダヤ人がそれを理解している。植民の目標は一つしかありえない。パレスチナのアラブ人にとって、この目標は受け入れがたいものだ。これは物事の本性だ。本性を変えることは不可能だ。

多くのシオニストを引きつけるだろうと思われる計画はこんな具合だ。もしも、パレスチナのアラブ人から、シオニズムの承認を得ることが不可能ならば、シリア、イラク、サウジ・アラビアや、多分エジプトのアラブ人から承認を得なければならない、と。たとえ可能であったとしても、それで基本的な状況が変わることはあるまい。それによってイスラエルの土地にいるアラブ人が、我々に対する態度を変えることはあるまい。70年前、オーストリアがトレントとトリエステを保持することでイタリアの統一が実現した。しかしながら、二つの町の住民たちは状況を受け入れるのを拒否したばかりでなく、倍加する激しさでオーストリアと戦った。もしそれが可能であって(私はそうは思わないが) バグダッドやメッカのアラブ人と、パレスチナ問題を、あたかも狭いどうでもよい周辺地域であるかのごとく議論してみても、パレスチナはパレスチナ人にとっては依然として周辺地域ではなく、彼らの生まれ故郷で、中心で、彼ら自身の国家的存在の基盤なのだ。それゆえ、パレスチナのアラブ人の意志に返して、今と同じ条件で植民を続けることが必要となろう。

だがイスラエルの地の外部におけるアラブ人との合意もまた妄想にすぎない。バグダッド、メッカそしてダマスカスの民族主義者が(自らの将来の「連合」の中心となるべき場所にある国の、アラブ的特質を保持するのを見捨てることに合意するという)高価な貢献に対しては、我々も何か同様に貴重なものを提供せずには済むまい。我々が提供できることは二つしかない。資金か政治的支援か、あるいはその両方だ。だが我々はそのいずれも提供するわけには行かない。資金という点では、イスラエルの地に対してさえ十分持ち合わせのない我々が、イラクやサウジ・アラビアの発展の為に融資をするなどと考えることは滑稽なことだ。その十倍も思い違いなのは、アラブの政治的熱望に対する政治的な支援だ。アラブの民族主義は、1870年以前のイタリアの民族主義や、1918年以前のポーランドの民族主義が掲げたのと同じ目的を持っている。統一と独立だ。こうした熱意は、エジプトやイラクにおけるイギリスの影響のあらゆる痕跡を消し去ること、リビアからイタリア人を追放すること、シリア、チュニス、アルジェリアやモロッコからフランスの支配を取り除くことを意味するのだ。我々がこのような運動を支持することは、自殺行為かつ背信行為だ。我々が、バルフォア宣言はイギリスが署名したという事実を無視しても、フランスとイタリアも署名したことは忘れるわけにはいかない。我々は、スエズ運河やペルシャ湾からイギリスを追い出したり、アラブ地域におけるフランスやイタリアの植民地統治を排除することを画策するわけには行かない。そのような二重の駆け引きは、いかなる理由によっても考えらるわけにはいかない。

そこで、イスラエルの地やアラブ諸国のアラブ人に対して、我々は何も約束することができないという結論になる。彼らの自発的な同意など問題外だ。したがって、先住民との合意がシオニズムにとっての必須条件だと確信する人々は、「ノー」と言って、シオニズムから去っていただこう。シオニスト植民は、最も限定されたものであっても、終了するべきか、先住民の意志に逆らって遂行されるべきかの、いずれしかない。植民は、したがって、現地住民から独立した兵力による保護のもとでのみ、継続発展することが可能だ。つまり先住する人々が壊して通ることができない鉄の壁だ。これが、まさにアラブ人に対する我々の政策だ。ほかにどのように表現しようと、それは偽善にほかならない。

そうあらねばないというだけではない。我々が認めようと認めまいと、そうなのだ。我々にとって、バルフォア宣言と「委任統治」はどんな意味を持っているのだろう? それは、現地住民が我々の努力の邪魔をするのを防止するような治安状態を、公平無私な権力が、もたらすことを保証したという事実だ。

我々全員、例外なしに、この権力が厳密にその義務を実効するよう常に要求している。その意味で、我が「軍国主義者」と我が「菜食主義者」の間には、意味ある違いなど存在しない。ユダヤの銃剣による鉄の壁を好む者があれば、イギリスの銃剣による鉄の壁を提案する者もあり、またバグダッドとの合意を提案する者もあり、彼らはバグダッドの銃剣に満足しているように見え、奇妙かつ少しばかり危うい趣味であるのに、日夜皆が喝さいしている。つまり鉄の壁だ。合意の必要性を主張すれば我々の大儀を損なうことになり、「委任統治」の精神を、鉄の壁など不要で、無限に対話すべきだという信念で満たしてしまうだろう。そのような主張は我々にとって害になるばかりだ。したがって、そのような風説を明らかにし、それがわなであり錯覚であることを証明するのは我々の聖なる義務である。

二つ手短に述べておきたい。そもそも、誰かがこのような見方は不道徳ではないかと反対するのであれば、私は「それは真実ではない」と答えよう。シオニズムは道徳的で正しいか、さもなくば道徳に反し、正しくないかのいずれかだ。だがそれは我々がシオニストになる前に答えを出しておくべき質問なのだ。実際、我々はこの問いに答えを出しており、その答えは肯定的なものなのだ。

我々はシオニズムは道徳的で正しいと確信している。道徳的で正しい以上、ヨセフやシモンやイワンやアフメットが同意しようとするまいと、正義は行われなければならない。

これ以外の道徳原理はあり得ない。

だからといって、どんな合意も不可能だというわけではない。自発的な合意に限って不可能なのだ。彼らが我々を追い出せるというごくわずかな希望がある限り、いかなる甘言や一口の美味によっても、そうした希望を彼らはあきらめまい。彼らが野次馬ではなく、国民であり、恐らく多少荒廃はしているにせよ、いまだに生きているためだ。生きている人々が、これほど決定的に重要な問題について、それほど大きな妥協をするのは、希望など残されていない時になってからである。鉄の壁にたった一つの裂け目も見えなくなってはじめて過激派は権力を失い、穏健派に影響力が移行する。そうなってはじめて、こうした穏健派が、相互の妥協という提案を持ってやってくる。そして、そうなって始めて、穏健派は、追放しないという保証や、平等や、国家の自治権といったような実際的な問題に関する妥協案を出してくる。

彼らが十分な保証を得ることができ、双方の国民が良き隣人として平和に暮らせるだろうという可能性について私は楽観的だ。しかしそうした合意に至る唯一の道は鉄の壁であり、パレスチナにおいて、いかなるアラブの影響も受けない、つまりアラブ人がそれに対して戦うような政府の強化なのだ。言い換えれば、我々にとって、将来の合意に至る唯一の道は、現在合意してしまうというあらゆる企てを絶対に拒否することなのだ。

初出:1923年11月4日ラスヴェート誌

O Zheleznoi Steneの原題で、ロシア語で刊行。

英語版はJewish Herald (南アフリカ)、1937年11月26日。

転写・校訂:Lenni Brenner

Die Roten(英語でThe Red)の為の組み版:Einde O' Callaghan

http://www.marxists.de/middleast/ironwall/ironwall.htm#top

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現代の無謀な「分離壁建設」の淵源、あるいはこの文章ではあるまいか。

2003年のKurt Nimmoの文章「バグダッドのパウエル 帝国の社会病質者」にある、清教徒の信条と、是非比較されたい。

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2008年7月、この文章、そして筆者のジャボチンスキーを、正面からとりあげた本が刊行された。

講談社選書メチエ418

シオニズムとアラブ」 ジャボティンスキーとイスラエル右派1880~2005年

森まり子

帯には、「領土的妥協の拒否、対立は不可避。対アラブ強硬論の思想的源流」とある。

2007年12月 6日 (木)

電子投票装置は改ざんが極めて容易 プリンストン大学研究所による報告書

ディーボルドAccuVote-TS投票機の安全性分析:要約

Ariel J. Feldman、J. Alex Halderman、and Edward W. Felten

本研究の詳細情報、全文は右記を参照。 http://itpolicy.princeton.edu/voting/

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ディーボルドAccuVote-TSと、より新型の類型装置AccuVote-TSxは、ともにアメリカ合衆国で最も広範に利用されている電子投票装置だ。2006年11月の本選挙で、こうした装置が、登録有権者数のほぼ10%にあたる357の郡で使用される予定だ。メリーランドとジョージアの全州を含む、こうした郡のおよそ半分がAccuVote-TSモデルを使用する。33,000台以上のTS装置が、全米で使用されている。

本論文は、非公開の関係者から入手したAccuVote-TSに関わる我々の研究についての報告である。我々は装置ハードウエアとソフトウエアを分析し、実験を行い、本当の選挙のやり方が、装置を適切に安全堅固なものとしているかどうかを検討した。我々は、装置が、それがもたらす票読みの正確さと信頼性を損なうような、多数の極めて深刻な攻撃に対して、弱いことを見いだした。

コンピューター科学者は、基本的には汎用コンピューター上で選挙専用ソフトウエアを走らせる、この種の投票システム、つまり直接記録電子装置 (DRE)にたいして懐疑的だ。あらゆるコンピューター・システムでの経験から、複雑なソフトウエアの信頼性と安全性を確保すること、またそうした問題が起きた場合、それを検知し、診断するのは極めて困難である。にもかかわらず、DREは、基本的に複雑なソフトウエア・プログラムの正しく安全な作動に依存している。簡単に言えば、多くのコンピューター科学者は、ペーパーレス直接記録電子装置DREを信頼性のある、安全なものにできることを疑問に思っており、そのようなシステムにおけるいかなる欠陥も、気づかれないままになってしまう可能性があると予想している。

直接記録電子装置DREの安全性についての先行研究は、この疑念を肯定するものであるが、我々の知る限り、我々のこの研究こそ、広範に用いられているDREのハードウエアとソフトウエア双方を含んだ最初の公的研究である。河野、スタブルフィールド、ルービン、およびワラクによる有名な論文は、ディーボルドAccuVote-TSソフトウエアの一部ソース・コードの漏洩版を研究したものであり、多数の設計ミスと脆弱性を発見しているが、それは我々の研究によっても基本的に確認された。我々の研究は、装置のハードウエアと、作動上の詳細をも対象にし、いくつかの新た、かつ深刻な脆弱性を見いだし、それを説明し、また機能するいくつかの安全性攻撃デモを作りだすことによって、彼らによる研究を深めるものである。

我々の研究で明らかになった主な点は以下の通り。:

1. 一台の投票機上で機能している悪質なソフトウエアは、ほとんど探知されるリスクなしに投票を横取りできる。悪質なソフトウエアは、投票機が保持するあらゆる記録、監査ログ記録、カウンターを改ざんすることができる為、そうした記録を入念に法的科学調査をしても、何もおかしなことは見つからない。この投票剽窃攻撃を実行するデモ用ソフトウエアを我々は作り上げた。

2. 物理的に、投票機、或いは、後で装置に挿入するメモリー・カードに触ることができる人なら誰でも、わずか一分程度しかかからない簡単な方法で、そうした悪意あるソフトウエアをインストールできる。実際、選挙関係者らは、人に監視されずに装置に触れる機会が多いものだ。

3. AccuVote-TS装置は、投票機ウイルス、つまり、通常の選挙前、選挙後の作業の間に、悪意あるソフトウエアを装置から装置へと人目につかぬよう自動的に蔓延させるコンピューター・ウイルスにやられやすいのだろうか?

我々は、そうした形で蔓延するデモ用ウイルスを作成した。感染したあらゆる装置に、そのデモ用投票横取りプログラムをインストールするものだ。

4. ディーボルドのソフトウエア改良によって、こうした問題のあるものは取り除けるが、装置ハードウエアを交換しないと直らないものもある。安全性確保の為には、選挙手順の変更も必要であろう。

以上は下記の翻訳

http://itpolicy.princeton.edu/voting/summary.html

我々の分析詳細は、本論文完全版PDFに掲載。

(PDFのアドレスは下記)

http://itpolicy.princeton.edu/voting/ts-paper.pdf

上記と同一内容のビデオ

http://itpolicy.princeton.edu/voting/videos.html

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上記は、2006年9月18日に翻訳した古い記事である。

2007年12月6日、日本の新聞を見てびっくりしたので、再度公開する。

日本では、自民党、公明党に加え民主党が国政選挙に電子投票を導入することに賛成。

次期衆議院選挙から導入するという。真の狙い、アメリカ政権のそれと同じだろう。

自民党・民主党、選挙民に、本当の選択肢を与えないアメリカ二大政党日本版に他ならないことが、再確認できたように思える。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007120601000159.html

属国は悲しからずや。

同社の装置についての関連記事選挙結果の操作も可能?

電子投票システムの危ういセキュリティー

http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20030916202.html

電子投票装置によるインチキ選挙の実態については、以下もどうぞ。(装置の具体的なハード、ソフト分析はない)

グレッグ・パラスト著「金で買えるアメリカ民主主義」角川文庫 740円

グレッグ・パラスト(Gleg Palast)の最新刊Armed Madhouse(翻訳なし)

変わりそうに見えれば見えるほど、物事は変わらないもの

軍事的な進歩という作り話

2007年11月27日

ロン・ジェイコブズ

占領をしておいて、それを平和と呼ぶ。相手を殺す人数を減らしておいて、それを進歩と呼ぶ。部隊を交代しておいて、それを撤退と呼ぶ。新たな殺し屋集団を作っておいて、その連中を同盟と呼ぶ。規準を下げておいて、新たなチャンスが開くと言う。

こうした上記の現象、現在のイラクにおけるワシントン軍事作戦の一部のようだ。今、イラクで死亡する米兵の数が減少しているが、それは兵士が基地から出ないからだ。なぜか? 最新のアメリカ同盟者となった部族に、自分たちになりかわって殺害をするよう現金を支払い、彼等が殺人を行い、彼等に弾が命中するからだ。実際、こうした命中の中でも、もっとも致命的なものは、アメリカがでっちあげた、本当にいるかどうかもわからない妖怪、イラクのアル・カイダ、アル・カイダ・イン・メソポタミア殺害に携わっている連中を、「誤って」爆撃するアメリカの空爆だったり。一方、こうした部族の連中はアメリカ軍の手法と所在地を学び、敵対するシーア派、あるいは恐らくは当面のところ同盟しているその同じアメリカ軍と将来戦うために、アメリカが提供した兵器を蓄積している。

そうした中、政治家たちはアメリカのなかで、戦争をするため、帝国を維持するため、何十億ドルも自国の男女達からかすめ取りながらも、本当の撤退日程を主張することを拒否して、人命商売を冷笑的に続けている。撤退法案ではない撤退法案を巡り、いつわりの論議が始まった。ホワイト・ハウスが自分達、戦争とその行動に対し、しっかり把握できているのだと言い張る一方、議会の野党が、間抜け漁師の破れた漁網よりも穴だらけな法律を立案したためだ。無力な法律なのに、野党はそれさえも通し損ね、ホワイト・ハウスに、政権が元々要求していた予算をすべて与える結末となった。野党は、選挙まで待てと主張する。そうなれば事態は変わるのだと。前回の選挙が多少参考になるとすれば、変わるものと言えば、ホワイト・ハウスの主人公の顔だけだろう。軍隊はイラクに駐留し続け、占領/戦争は油田支配のための場当たりなやり方を続けるだろう。あるいは、誰がホワイト・ハウスの主になろうと、この地域に対するワシントンの計画の失敗という結果になる可能性もある。

「我々は軍隊に資金を供給する」ミシガン州の民主党議員レヴィンは、今日(11/25/07)のテレビ番組「フォックス・ニューズ・サンデイ」で語った。「軍隊を弱くしようとする人はいない。」この発言の言外の意味は単純にこうだ。戦争の足をひっぱるようなことをする人間はいない。結局、戦争で戦うのは軍隊だ、そうではないだろうか? 歴史を学ぶものにとって信じがたいことだが、この国の歴史には、軍隊が今のような触れてはならない組織ではない時期もあった。実際、軍隊が純粋に防衛軍であるという、短期間ながら輝ける瞬間もあったのだ。不幸なことに、そうした期間は短かかったばかりでなく、かなり大昔のことだ。アメリカ合州国の第二次世界大戦への参戦以来ほど、軍部がアメリカの政治形態を支配したことは、アメリカの歴史上かつてなかった。この政治分野に対する支配こそが、議員の職に居続けたい政治家の誰一人として、ペンタゴンや、ペンタゴンが生み出した複合体に対する資金援助を止めようとしない理由だ。この状況が存在しているのは、必ずしもアメリカ国民が自分たちの税金の大半を武器製造企業に払ったり、帝国軍維持のために使って欲しいと思っているからではない。前述の複合体のプロパガンダ部隊が、この複合体に挑戦する政治家の人生を破壊できるし、破壊するからこそ存在しているのだ。その結果、二大政党の政治家で、アメリカ政治における、ペンタゴンの特に神聖な立場に対して本質的に反対する連中の数など片手で数えられるに過ぎない。これらの腑抜けの男女は、そうした恐怖にかられて動いているだけでなく、先に述べた複合体のメンバーとして儲けている企業が彼等に与えてくれるドルのおかげもあるのだ。明らかに実体のない恐怖にかりたてられた私たちの沈黙が、本当は殺人と呼ぶ以外ありえないようなことを連中がしでかし、何の罰も受けずにまんまと逃げるの許している。

イラクとアフガニスタンに話を戻そう。この二国における暴力は、戦争という野獣のみが知る、死と破壊のリズムを反映して盛衰している。その野獣のせいで、両親を失う子供たちがいる一方、子供たちを失う両親もいる。アメリカ国民が税金で払っているドルが、平和的な目的で使われるべきだとする大多数の率直な願いにもかかわらず、戦争怪獣の強欲に日々注がれている。我々が許してしまっている支配構造は、もはやたぶんその金を平和のためには使ってはいまい。恐らく連中は戦争とその儲けで腐敗しすぎなのだ。連中は、残酷な戦争に長く仕えた結果、平和が支配を意味するものでなく、そのような平和を確保するための無益な努力としての戦争など不要な世界を、恐らく想像できなくなってしまっている。

こうした支配を受けざるを得ない人々が抵抗をするのはきわめて当然のことだ。抵抗運動が武器をとるのは当然のことだ。そうでなければ自殺も同然だから。殺戮されている時に、自殺をする人間などいるだろうか? そういうことであれば、武装抵抗運動は自己防衛であり、何もしないことは敗北なのだ。そうなると再び疑問が湧き上がる。イラクとアフガニスタンの占領者に現在協力している部族民連中は、ガードが下がった時に、占領者に最終的な打撃を与えるために協力しているふりをしているだけなのだろうか? この戦略は、(西欧のマスコミによって、シーア派とレッテルを貼られている)ムクタダ・アル-サドルの反占領部隊のものではなかったろうか? そしてこれらの勢力は、今やアメリカ軍の照準に入っているのではないか?

一方で、バグダッドのグリーン・ゾーン政府は、アメリカ軍に対し、相当な規模でイラクに駐留し続ける長期条約をして欲しいと要求している。グリーン・ゾーン政府が実際にはアメリカ軍がいつまでイラクを占領するかについて発言権皆無であるという明白な事実に加えて、権力の地位にある連中が、軍隊に居続けて欲しいと頼んでいるという事実は 自分たちの権力がイラク国民から得ているものではなく、ワシントンの軍事力によるものだという自認だ。実際、グリーン・ゾーン政府によるこの「要求」を論じた2007年11月26日のAP通信社記事によると、「イラク政府が海外からの脅威と国内のクーデターからの保護を求めている」がゆえに、その要求がだされたのだという。こうした国内のクーデターというのは、ほぼ確実に反乱軍の勝利に対するワシントンの恐怖のことを言っているだろうことは明らかだ。あらゆる行動によって、アメリカによる占領に反対しているムクタダ・アル-サドルの支持者が、この「要求」に対する反対を表明したことが、そのあたりを物語っている。物事が変わりそうに見えれば見えるほど、物事は変わらないものだ。死傷者がこの問題の部分でさえなくとも、死傷者は増え続けるのだ。

ロン・ジェイコブズは、Versoによって復刊されたばかりのWeather Undergroundの歴史を描いた本The Way the Wind Blewの著者である。ビッグ・ビル・ブルーンジーについてのジェイコブズのエッセイは音楽、芸術とセックスに関わるカウンター・パンチのコレクション、Serpents in the Gardenで特集された。処女作小説Short Order Frame UpはMainstay Pressから刊行されている。メールアドレスはrjacobs3625@charter.net

http://www.counterpunch.org/jacobs11272007.html

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以下は補足と、よしなしごと。

ロン・ジェイコブズの、2004年記事、選挙と「死の部隊」:イスラム法学者協会聖職者殺害の翻訳は下記に。翻訳は益岡賢氏。

http://teanotwar.blogtribe.org/entry-036f472f5f004a1a455e2d7fdf085fd3.html

ロン・ジェイコブズの、2007年9月記事、「イラク分割統治という幻想」の翻訳は下記に。翻訳は益岡賢氏。

http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/znet070928.html

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食べ物の賞味期限切れで国民がいやいや殺されることはないだろう。

60年以上も、支配を続けて、賞味期限の切れた、宗主国支配層、属国傀儡層、軍産複合体による被害の方が、比較にならないほど大きいはずだ。

大東亜戦争当時と変わらずどうでもよいことだけを報道するマスコミこそ、国民に大きな被害をあたえる期限切れに違いない。

2007年12月 2日 (日)

アメリカ・マスコミというポチ

発作的なうわっつらの自己批判はしても、戦争のこととなると、アメリカ・マスコミはホワイト・ハウスのせりふに追随する点で卓越している

ノーマン・ソロモン

2007年11月19日、3:30 PM

時には、戦争への道に大きな敷石を置いたずっと後に、アメリカの大手マスコミは、次はもっと自主的になろうと決心したりする。それも当然だろう。マーク・トゥエインが言ったではないか。「禁煙するのは簡単だ。私は何百回もやった。」

大統領とそのチームが戦争のためのマスコミ地盤作りに着手する時には、連中はアメリカのマスコミに蔓延している「反復」という衝動脅迫をあてにできる。大手マスコミはホワイト・ハウスによる戦争を目的とした話題設定には逆らえないもののようだ。この問題はもう何十年にもわたって続いてきた。ベトナムからドミニカ共和国、グレナダ、パナマ、イラクとユーゴスラビア、そしてアフガニスタンから再びイラク、そしてイランも来年にはこのリストに加わりそうだ。

その間、1991年の湾岸戦争から始まり、アメリカのマスコミと比較すると、イギリス・マスコミの成績の方が宜しいが、まあそれとて低い基準を越えた程度に過ぎない。それすらもイギリス政府が、欺瞞に基づくアメリカ主導の戦争行為に兵隊と兵器を提供し、特別な関係に、最悪の面で報いるのを止めることはできなかった。

こうした悲劇的な戦争を行うという政治的実行可能性は、アメリカ・マスコミがワシントン政権に対し、反射的に降伏し、厳しい精査どころか、往々にして速記サービスをしていることが原因だ。

アメリカでは、うわっ面の自己批判は巨大マスコミ企業の定例儀式になっている。しかし独立したジャーナリズムであるべき上の基本的、慢性的欠陥が、いつものように真剣な検証を免れてしまう。ニューヨーク・タイムズの「パブリック・エディター」によるものであれ、あるいはワシントン・ポストの社内メディア・コラムニスト、ハワード・クルツ、彼は長らく二社から金を稼いでいて、CNNの給料も貰って、いつも手加減しているメディア評論家だが、その彼によるものであれ。このようなメディア企業では、根深い戦争報道パターンなど分析しても無駄だ。

アメリカ・マスコミで、遅ればせで曖昧な見直しが姿を現すのは、えてしてリアルタイム報道がワシントンの戦争立案者どもを手伝い、扇動をしたずっと後になってから、になりがちだ。そこで今日、強力なアメリカ・マスコミからはほとんど懸念のつぶやきもなく、イランの「脅威」にかかわる報道の品質は、もうほとんど公式ホワイト・ハウスのせりふの焼き直しにすぎず、我々が5年前に聞かされた無数の「サダム・フセインのイラクの脅威」の類だ。

長編ドキュメンタリー映画、War Made Easy: 大統領と評論家どもによる、我々をだまして死の道に導く方法(同名拙著に基づいたもの)を去年夏に公開して以来、この映画が批判しているCNN、Fox、MSNBC、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、CBS、NBCそしてABCを含むマスコミ連中は、映画を全員一致で避けてきた。どの社もこの映画については、一瞬たりとも放送したり、一言も印刷したりしていない。この映画ではシーン・ペンがナレーションをしており、アメリカで最も権威あるマスコミ組織だなどという見せかけの土台を堀くずすような衝撃的な記録資料場面も入っている。ドキュメンタリーによる批判が根本的なものであるため、この映画が挑戦している相手、マスコミによる不消化も、根本的になる。

極めて重要な前提がアメリカ・マスコミ上層部に生き続けている。つまり、戦争支持派であれば客観的と言われる。反戦派であれば、偏向していると言われるのだ。

かくして、War Made Easy中のマスコミ報道場面で見られるように、広く尊敬されている当時ABC特派員のテッド・コッペルが、2003年3月イラク侵略開始時、前線でカメラの前でこう唱えることになった。「申し上げねばなりません。私は考えようとしていました。このような場面に、何か相応しい言葉を考えようとしていました。よくあることなのですが、思いつける最善のものといえば、まあシェークスピアが「ヘンリー五世」で描いた「『情け無用』の雄叫びをあげ、戦争の犬を解き放て」でしょうか。」

最ももてはやされているアメリカ人ジャーナリストが、報道という職務の上で、最近のアメリカの戦争行為を応援したことに対し、眉をひそめた人々はごくわずかだ。私が映画の中で言ったように、「ニュース解説者は戦争を支持するような発言をしても、決して激しい批判は受けず、戦争に反対するような発言をすることなど夢にも思わない。」

War Made Easyのイギリス初の公開上映は、11月27日火曜日の晩、ロンドンのフロントライン・クラブで行う予定だ。このドキュメンタリーは、戦争中止連合が後援する会合で、翌日の晩も映画館上映される。(後日、この映画はアムステルダム国際ドキュメンタリー映画フェスティバルにデビューする。)

アメリカ大統領とアメリカのマスコミが、過去50年間、戦争開始用の主要なプロパガンダ・コーラスを協力して担ってきた程度のひどさをご覧になって、イギリスの観客は面食らわれるかも知れない。だが現状に満足されるのは軽率だろう。戦争と平和という大問題を報道しながら、ジョージ・ブッシュとトニー・ブレア二人の策謀は報道しないアメリカのマスコミは、特に堕落した意気地ない状態なのかも知れない。今やテヘランに向けられたワシントンのときの声に、現在のイギリス政府が立ち向かおうとしたがらないということは、この両国の政治あるいはジャーナリズムの全体的な健康さを証明するわけではない。

ガーディアン記事翻訳

記事原文url:http://commentisfree.guardian.co.uk/norman_solomon/2007/11/us_media_poodles.html

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宗主国のマスコミにして、この程度。まして属国のマスコミに期待するのは正気ではあるまい。

マスコミの限界(本質について触れた記事の翻訳)

クリスマスの手紙「百万長者対貧乏作家」 2008/12

マスコミはどのように階級戦争を隠蔽しているか 2007/12

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