鉄の壁
(私たちとアラブ人)
ウラジミール・ジャボチンスキー(ジャボティンスキー)
ただちに要点を述べよという黄金律に反し、この文章を私はまず自己紹介から始めねばならない。いわく、この文章の著者はアラブ人の敵と見なされており、彼らを追放すべきだという主唱者である等々。それは事実ではない。アラブ人に対する私の感情的態度は、あらゆる他人に対するものと同じだ。慇懃な無関心である。私の政治的な立場は二つの原理によって表現できる。その一:いかなる方法によってもアラブ人をパレスチナから追い出すことは絶対に不可能である。パレスチナには常に二つの国民が暮らし続けることになろう。ユダヤ人が多数派になる限り、私はそれで十分満足だ。その二:ヘルシンキ・プログラムをまとめ上げた集団のメンバーであったことを私は誇りに思っている。私たちは、ユダヤ人だけのためでなく、あらゆる人々のためにまとめ上げたのであって、基本はあらゆる国民の平等だ。我々も、我々の子孫も、決してこの「平等」を破壊することはなく、決してアラブ人を追い出したり、抑圧したりしようとはしないと誓う覚悟はできている。我々の信条は、読者にはおわかりの通り、全く平和的だ。しかし我々の平和的な目的が、平和的な手段で実現されるかどうかは全く別のことだ。それがどうなるかは、我々のアラブ人に対する態度にではなく、ひたすらアラブ人のシオニズムに対する態度に依存する。
以上の前置きを述べたので、要点をお話しすることができる。イスラエルの土地にいるアラブ人は我々と進んで合意に至るだろうということには、現在において、そして予見しうる将来において、いかなる可能性も存在しない。私の信念を、これほど断固として申し上げているのは、シオニスト陣営の穏健派を幻滅させたいがためではなく、全く逆に、彼らをそのような幻滅から救い出したいがためなのだ。子供の時から、事実上「目が見えなくなっている」連中を除けば、ほかの穏健なシオニストは全員、イスラエルの土地にいるアラブ人から、「パレスチナ」がユダヤ人が多数派の国になることへの同意を取り付けることなど、少しの可能性もないことは大昔から分かっている。
読者はどなたも、移住によってできた他国の古代史を多少はご存じだろう。あらゆる例を思い出していただくようお願いしたい。その地に生まれついた先住民の同意のもとに移住した国の例を一つでも挙げようと試みられれば、決して成功することはあるまい。住民(彼らが文明人であれ、野蛮人であれ)は、常に頑固に戦うものなのだ。しかも移住者がどのように振る舞うかは、それには何の影響もなかったのだ。メキシコとペルーを征服したスペイン人、或いはヨシュア・ベン・ヌンの時代の我が先祖については、略奪者のように振る舞ったという意見もあろう。だがあの「偉大な探検家たち」真に最初の北米の先駆者であったイギリス人、スコットランド人やオランダ人は、極めて高い倫理基準の持ち主だった。彼らはアメリカ・インディアンをそっとしておきたいと願ったばかりでなく、ハエさえも哀れんだのだ。全く誠実で純真な人々は、処女林と広大な平原には、白人と先住民双方にとって十分な空間があると信じたのだ。だが先住民は野蛮な移住者に対しても、文明的な移住者に対しても、同様の残忍さで抵抗した。
もう一つ、全く関係が無かったのは、移住者が住民を土地から追い出したいと願っているという疑念があったかどうかだ。アメリカ合衆国の広大な地域に、百万あるいは二百万人以上のインディアンが住んでいたことはない。住民たちが白人移住者と戦ったのは、土地を取り上げられてしまうかもしれないという恐怖心からではなく、単に、いかなる場所でも、いかなる時代でも、自分の国によそものの移住者を受け入れた先住民がいた事などなかったからに過ぎない。文明的であれ野蛮であれ、いかなる先住民も同じで、自分たちの国を民族的郷土と考えていて、そこで自分が常に完全な主人だと思っている。新たな主人だけでなく、新たなパートナーさえ、彼らは決して進んで受け入れようとはしないのだ。アラブ人の場合も同じだ。我々の企てのさなか、妥協派は、アラブ人は、我々の目標に多少糖衣をかぶせたものでだませるような連中、パレスチナに対する生得の権利を、文化的、経済的な利益のために放棄する金にどん欲な部族である種のあほうだと我々に思わせたがっている。パレスチナ・アラブ人をこのように評価することを、私はきっぱり拒否したい。文化的には彼らは我々より500年遅れている。精神的には、我々のような忍耐力や意志の力は持ち合わせていないが、内部的な違いはこれが全てだ。我々の善意について、いくらでも語り続けることはできよう。しかし彼らとて、何が自分たちにとって良いことか程度は理解している。アステカ族の人々が自分たちのメキシコを見渡したと同じ、或いはスー族の人々が大草原を見渡したのと同じ本能的な愛情と本当の熱情で、彼らはパレスチナを見渡している。文化的、経済的恩恵と引き替えに、アラブ人がシオニズムの実現に進んで同意し、我々が彼らに恩恵を与えることが可能だなどと考えることは子供じみている。我が「親アラブ派」の子供のような幻想は、アラブ人に対するある種の軽蔑、この民族を、鉄道網のためなら祖国を売却し、簡単に抱き込める野次馬連中と見なす事実無根の考え方から来ている。
こうした見方は全く根拠がない。おそらく個別のアラブ人は金でかたをつけることができるだろうが、だからといって決してエレツ・イスラエルの全アラブ人が、パプア人でさえ売り払おうとしない愛国心を、進んで売り払うわけではない。あらゆる先住民は、よそ者による移住の危機を、自分たちで避けることができるという可能性がわずかでもあれば、よそ者の移住者には抵抗するものなのだ。
これこそ、パレスチナのアラブ人が今やっていることであり、「パレスチナ」を「イスラエルの土地」に変革することが防止できるというごくわずかな希望が残っている限り、彼らがやり続けるであろうことなのだ。
ある種の誤解が起きていて、アラブ人は我々の意図を理解しないために我々に反対しているが、我々の熱意がどれほど控えめで限定されているかということを、彼らに対してはっきり説明できさえすれば、彼らは、平和的に手を差し伸べてくると想像している人々がいる。これも今までに何度となく証明されてきた誤った考えだ。一つの出来事を挙げれば十分だろう。三年前の当地訪問の際に、ソコロフが素晴らしい演説をした まさにこの「誤解」について、説得力のある言葉を使って、我々が彼らの財産を奪ったり、あるいは国から追い出したり、あるいは抑圧するつもりだとアラブ人が思いこむとは何という甚だしい誤りかを証明した。我々は決してそんな事はしなかった。我々はユダヤ人国家すら求めてはいない。我々が望んでいるのは国際連盟を代表する政権だ。この演説に対する回答がアラブの新聞アル・カーメルのある記事で公表されたが、その内容を記憶の中からここに書いてみよう。内容は原文に忠実だと私は確信している。
我がシオニストの高官連は不必要に狼狽していると、その著者は書いている。誤解などない。ソコロフがシオニズムを代表して主張したことは真実だ。だがアラブ人は既にそれを知っている。明らかに、シオニストは現在アラブ人を追い出したり、抑圧したり、あるいはユダヤ人国家の樹立さえ夢想することはできない。今の時期、明らかに連中はただ一つの事にしか関心がないのだ。アラブ人がユダヤ人移民の邪魔をしないということに。さらに、シオニストは、移民の数を国の経済的受容能力に応じて制御すると誓約した。だが移民の可能性を許容するような条件など他にないので、アラブ人は何の幻想も持っていない。
この新聞の編集者は、エレツ・イスラエルの受容能力は極めて大きく、一人のアラブ人にも影響を与えずに多くのユダヤ人が移住可能だと進んで信じようとしているようだ。「それがまさにシオニストが望んでいることであり、アラブ人が望んでいないことだ。 こうして、ユダヤ人はすこしずつ多数派になってゆき、そのこと自体によって、ユダヤ人国家が形成され、アラブ人少数派の運命はユダヤ人の善意に依存するようになる。だが、少数派であることがどれほど「快い」かを、我々に教えてくれたのはユダヤ人自身ではなかったろうか? ここには何の誤解も存在しない。シオニストが望んでいるのは「移住の自由」であり、我々が望んでいないのは、ユダヤ人の移住なのだ。」
この編集者が用いている論理はごく単純で明快なので、暗記してしまえるほどだが、アラブ問題にかかわる我々の意識の根幹だ。我々の運動を正当化するために、ヘルツルあるいはヘルベルト・サミュエルを引用するかどうかは重要な問題ではない。植民そのものに、不可欠かつ避けがたい論理があり、理解力のあるすべてのアラブ人とすべてのユダヤ人がそれを理解している。植民の目標は一つしかありえない。パレスチナのアラブ人にとって、この目標は受け入れがたいものだ。これは物事の本性だ。本性を変えることは不可能だ。
多くのシオニストを引きつけるだろうと思われる計画はこんな具合だ。もしも、パレスチナのアラブ人から、シオニズムの承認を得ることが不可能ならば、シリア、イラク、サウジ・アラビアや、多分エジプトのアラブ人から承認を得なければならない、と。たとえ可能であったとしても、それで基本的な状況が変わることはあるまい。それによってイスラエルの土地にいるアラブ人が、我々に対する態度を変えることはあるまい。70年前、オーストリアがトレントとトリエステを保持することでイタリアの統一が実現した。しかしながら、二つの町の住民たちは状況を受け入れるのを拒否したばかりでなく、倍加する激しさでオーストリアと戦った。もしそれが可能であって(私はそうは思わないが) バグダッドやメッカのアラブ人と、パレスチナ問題を、あたかも狭いどうでもよい周辺地域であるかのごとく議論してみても、パレスチナはパレスチナ人にとっては依然として周辺地域ではなく、彼らの生まれ故郷で、中心で、彼ら自身の国家的存在の基盤なのだ。それゆえ、パレスチナのアラブ人の意志に返して、今と同じ条件で植民を続けることが必要となろう。
だがイスラエルの地の外部におけるアラブ人との合意もまた妄想にすぎない。バグダッド、メッカそしてダマスカスの民族主義者が(自らの将来の「連合」の中心となるべき場所にある国の、アラブ的特質を保持するのを見捨てることに合意するという)高価な貢献に対しては、我々も何か同様に貴重なものを提供せずには済むまい。我々が提供できることは二つしかない。資金か政治的支援か、あるいはその両方だ。だが我々はそのいずれも提供するわけには行かない。資金という点では、イスラエルの地に対してさえ十分持ち合わせのない我々が、イラクやサウジ・アラビアの発展の為に融資をするなどと考えることは滑稽なことだ。その十倍も思い違いなのは、アラブの政治的熱望に対する政治的な支援だ。アラブの民族主義は、1870年以前のイタリアの民族主義や、1918年以前のポーランドの民族主義が掲げたのと同じ目的を持っている。統一と独立だ。こうした熱意は、エジプトやイラクにおけるイギリスの影響のあらゆる痕跡を消し去ること、リビアからイタリア人を追放すること、シリア、チュニス、アルジェリアやモロッコからフランスの支配を取り除くことを意味するのだ。我々がこのような運動を支持することは、自殺行為かつ背信行為だ。我々が、バルフォア宣言はイギリスが署名したという事実を無視しても、フランスとイタリアも署名したことは忘れるわけにはいかない。我々は、スエズ運河やペルシャ湾からイギリスを追い出したり、アラブ地域におけるフランスやイタリアの植民地統治を排除することを画策するわけには行かない。そのような二重の駆け引きは、いかなる理由によっても考えらるわけにはいかない。
そこで、イスラエルの地やアラブ諸国のアラブ人に対して、我々は何も約束することができないという結論になる。彼らの自発的な同意など問題外だ。したがって、先住民との合意がシオニズムにとっての必須条件だと確信する人々は、「ノー」と言って、シオニズムから去っていただこう。シオニスト植民は、最も限定されたものであっても、終了するべきか、先住民の意志に逆らって遂行されるべきかの、いずれしかない。植民は、したがって、現地住民から独立した兵力による保護のもとでのみ、継続発展することが可能だ。つまり先住する人々が壊して通ることができない鉄の壁だ。これが、まさにアラブ人に対する我々の政策だ。ほかにどのように表現しようと、それは偽善にほかならない。
そうあらねばないというだけではない。我々が認めようと認めまいと、そうなのだ。我々にとって、バルフォア宣言と「委任統治」はどんな意味を持っているのだろう? それは、現地住民が我々の努力の邪魔をするのを防止するような治安状態を、公平無私な権力が、もたらすことを保証したという事実だ。
我々全員、例外なしに、この権力が厳密にその義務を実効するよう常に要求している。その意味で、我が「軍国主義者」と我が「菜食主義者」の間には、意味ある違いなど存在しない。ユダヤの銃剣による鉄の壁を好む者があれば、イギリスの銃剣による鉄の壁を提案する者もあり、またバグダッドとの合意を提案する者もあり、彼らはバグダッドの銃剣に満足しているように見え、奇妙かつ少しばかり危うい趣味であるのに、日夜皆が喝さいしている。つまり鉄の壁だ。合意の必要性を主張すれば我々の大儀を損なうことになり、「委任統治」の精神を、鉄の壁など不要で、無限に対話すべきだという信念で満たしてしまうだろう。そのような主張は我々にとって害になるばかりだ。したがって、そのような風説を明らかにし、それがわなであり錯覚であることを証明するのは我々の聖なる義務である。
二つ手短に述べておきたい。そもそも、誰かがこのような見方は不道徳ではないかと反対するのであれば、私は「それは真実ではない」と答えよう。シオニズムは道徳的で正しいか、さもなくば道徳に反し、正しくないかのいずれかだ。だがそれは我々がシオニストになる前に答えを出しておくべき質問なのだ。実際、我々はこの問いに答えを出しており、その答えは肯定的なものなのだ。
我々はシオニズムは道徳的で正しいと確信している。道徳的で正しい以上、ヨセフやシモンやイワンやアフメットが同意しようとするまいと、正義は行われなければならない。
これ以外の道徳原理はあり得ない。
だからといって、どんな合意も不可能だというわけではない。自発的な合意に限って不可能なのだ。彼らが我々を追い出せるというごくわずかな希望がある限り、いかなる甘言や一口の美味によっても、そうした希望を彼らはあきらめまい。彼らが野次馬ではなく、国民であり、恐らく多少荒廃はしているにせよ、いまだに生きているためだ。生きている人々が、これほど決定的に重要な問題について、それほど大きな妥協をするのは、希望など残されていない時になってからである。鉄の壁にたった一つの裂け目も見えなくなってはじめて過激派は権力を失い、穏健派に影響力が移行する。そうなってはじめて、こうした穏健派が、相互の妥協という提案を持ってやってくる。そして、そうなって始めて、穏健派は、追放しないという保証や、平等や、国家の自治権といったような実際的な問題に関する妥協案を出してくる。
彼らが十分な保証を得ることができ、双方の国民が良き隣人として平和に暮らせるだろうという可能性について私は楽観的だ。しかしそうした合意に至る唯一の道は鉄の壁であり、パレスチナにおいて、いかなるアラブの影響も受けない、つまりアラブ人がそれに対して戦うような政府の強化なのだ。言い換えれば、我々にとって、将来の合意に至る唯一の道は、現在合意してしまうというあらゆる企てを絶対に拒否することなのだ。
初出:1923年11月4日ラスヴェート誌
O Zheleznoi Steneの原題で、ロシア語で刊行。
英語版はJewish Herald (南アフリカ)、1937年11月26日。
転写・校訂:Lenni Brenner
Die Roten(英語でThe Red)の為の組み版:Einde O' Callaghan
http://www.marxists.de/middleast/ironwall/ironwall.htm#top
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現代の無謀な「分離壁建設」の淵源、あるいはこの文章ではあるまいか。
2003年のKurt Nimmoの文章「バグダッドのパウエル 帝国の社会病質者」にある、清教徒の信条と、是非比較されたい。
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2008年7月、この文章、そして筆者のジャボチンスキーを、正面からとりあげた本が刊行された。
講談社選書メチエ418
「シオニズムとアラブ」 ジャボティンスキーとイスラエル右派1880~2005年
森まり子
帯には、「領土的妥協の拒否、対立は不可避。対アラブ強硬論の思想的源流」とある。
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