タリバン後のサラ・チェエスのアフガン生活と彼女がNPRを辞めた理由
06年10月10日Democracy.now放送の書き起こし原稿の一部
(およそ一年以上も前の放送の記事です。テロ特措法がうんぬんされる今、こうした現地事情はあまり目につかないのが不思議です。中村哲医師のお話を除いては。)
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エミー・グッドマン: サラ・チェエスさんに参加していただきます。彼女はアメリカ合衆国のアフガニスタン侵攻を報道した元NPR特派員でした。彼女は2002年にジャーナリストを辞め、カンダハールでAfghans for Civil Societyという援助団体の運営を始められました。サラの新刊は「The Punishment of Virtue: タリバン後のアフガニスタンの内実」です。Democracy Nowにようこそ!
サラ・チェエス: お招き有り難うございます。
エミー・グッドマン: アフガニスタンについて私たちが知り損ねているものにどんな話題があるでしょう?
サラ・チェエス: はい、リチャード司令官の発言は非常に正確だろうと思いますが、これは突然今年起きた事ではないのです。それが2002年後半以来ずっと進展するのを私は見てきたのです。そして問題は、我々がアフガニスタンに提供すると言った物を本当に提供しなかったということです。我々はこう言ったのです。国際的同盟を率いる我々アメリカ合衆国は、我々が来たのは、単にタリバンを解体するだけでなく、敬意を表すべき民主的な国家の基礎を置くためであり、それで、アフガニスタンをいわば国際社会の中へと送り出すためだ、と言ったのです。
しかし実際に起きたのは、アメリカの、いわゆるテロに対する戦争という別の動機が、そうした目標を踏みつけ、思慮深い、教育のある指導者を支持して、彼らが権力の地位に就くのを助け、指導者としての力を伸ばすのを助ける代わりに、テロに対する戦争でアメリカを支援するはずで、一方自分たちの国民を虐待し、略奪していた暴漢を採用したのです。ですから、今私たちが見ているのは大変な不満です。西欧の国家であるアメリカ合衆国に対するイデオロギー的な反対ではありません。アメリカが権力につけた政府に対する憤激なのです。
エミー・グッドマン: あなたはご本のかなり始めのほうで、NPRではしなかった、できなかった報道について書かれています。どんな記事だったのですか?
サラ・チェエス: それはこういう話でした。ある種、部族民兵集団の中に埋め込まれたアメリカ軍特殊部隊があって、南からカンダハールに圧力をかけるよう命令されていたのを私は見ていたのです。カルザイ大統領にもアメリカ軍特殊部隊がついていました。彼は北からカンダハールに向かってきていました。タリバンは彼に降伏しました。彼らは去りました。アル・カイダは町を去りました。都市はカルザイ大統領と彼の代理人の手に落ちたのですが、アメリカ軍特殊部隊がこの軍閥の長に、カルザイ大統領から力でこの都市を奪い取るようにせきたてたのです。
エミー・グッドマン: ちょっと待ってください。それがどう起きたのか、あなたが起きていることをどうやって知ったのですか。あなたはこの時国境におられましたね?
サラ・チェエス: 私は国境にいたのです。この集団と一緒だったわけではありませんが、国境にいてラジオを聞いていました、様々なことが起きていた場所で、私は国境を越えて戻ってくる人々に話しかけて、カルザイ大統領がムラー・ ナキーブという名前の人物をカンダハール知事に任命したことを知りました。それで突然この軍閥の長が町に現れたのです。そして、この大規模で険悪な膠着状態です。BBCでパシュトン語番組で実際に放送されたのですが、この軍閥の長は言ったのです。「いや、私がカンダハールの知事だ」。それで何かおかしいということに気がついたのです。そして、最後にはまさにそうなりました。ムラー・ ナキブは基本的に老齢であることを主張して言ったのです。「ああ、私は年を取りすぎている」。それで私は思いました。「それはおかしい」と。
エミー・グッドマン: カルザイが知事に任命した人物ですね。
サラ・チェエス: そうです。カルザイが任命した人物が、「結構だ、この他の男を知事にしてくれ。私は知事になるには年を取りすぎている。」と言ったのです。それで私は何かが起きたことがわかったのです。それで私はこの後二日後でしたかにこの軍閥の長と一緒にいた人と一緒に町に入り、彼に尋ねました、「で、どうなっているんですか?一体どういうことであなたがたがカンダハールを得ることになったのですか?」彼は非常に若い人物でしたから、非常にわくわくしていて熱中していました。急げ!急げ! といいながら道路を進みました。私は聞きました。「で、一緒にいたアメリカ人はどうなったの?」 彼は言いました。「アメリカ人か?連中が俺たちにそうしろと言ったのさ。」私は思いました。「冗談でしょう」
そしてこれが、物事が進んでいった方向を我々に示すのに役立つ、本当に象徴的な話だと思えたのです。いいですか、これはイラク前のことです、アフガニスタンが関心の的だった時のことです。アメリカがアフガニスタンの中でどう動くのか、アフガニスタンがどうなってゆくのかに世界の視線が釘付けになっているのを見ていたのです、それがこれからの10年、あるいは今後50年間に起きることにとって決定的だと。
エミー・グッドマン: それで、アメリカ合衆国特殊部隊がこの別の軍閥の長を、アメリカが支援するハミド・カルザイに対抗して立てたのだと彼は言ったのですね。
サラ・チェエス: まさにその通りです。そこでアメリカ合衆国自身、矛盾する目的に向かって動いていたわけで、それが第一です。その二、自分が大統領に指名した人物の権力をアメリカは既に制限しはじめていたのです。アメリカはこう言っていたのです。「いいだろう、お前を大統領にしてやろう。だがお前は指名はできないぞ、お前は知事を指名する権限はないのだ」。これがカルザイ大統領を統治の最初の二年間悩ませたのです。こうしてアメリカがつけた軍閥長知事達の権力を制限しようと彼が試みると、アメリカはそうした知事達と連帯したのです。
エミー・グッドマン: アメリカ政府がそうしたのですね。
サラ・チェエス: そう、アメリカ政府は、そうした連中と同盟したのです、おそらくはテロに対する戦争のために。それで、カルザイ大統領は彼らの権力を制限したり、彼らを締め付けたり、あるいは追い出そうとさえしたのですが、何度もそんなことはできないぞと言われたのです。それで、今彼はほとんどそうするのはあきらめています。
エミー・グッドマン: それならなぜその話が朝刊かAll Things Consideredに載らなかったのでしょう?
サラ・チェエス: 今はそれは重要な問題ではないと言われたのです。そのうちゆっくりアフガニスタン内部の小競り合いについて話す時間ができるし、今本当に大事なことは、ムッラー・オマルがどんなにひどい人物だったのかを考えることだと。それに当時の私の考えでは、この話は1996年か1997年に書かれているべきだったのです。私たちはあの時点でどれほどタリバンがひどいか知っていたのです。でも今では、重要だったのは、この国家建設の実験がどのように機能するのか、先を見通すことだったと思います。タリバンがどれほどひどかったかを語り続けるというのは、自分たちの感受性にうぬぼれているだけのように思います。
エミー・グッドマン: 起きていることを正当化しながら、アメリカ合衆国はあの時点であらゆる方面で動いていたのですね。
サラ・チェエス: そうです。そうです。あらゆる面で。アメリカがタリバンと協力していたかどうか確信はありませんが、タリバン運動を創り出したパキスタン政府とアメリカは明らかに手に手をとって協力していたのです。そしてこれはアメリカの政策のひどい自己矛盾の一例です。
エミー・グッドマン: 説明ください。
サラ・チェエス: ええ、パキスタン政府はその宗教的な目的の為に30年間にわたって宗教の過激主義を利用し、操作してきたのです。彼らはそれをカシミールで行い、アフガニスタンでも行いました。そしてソ連がアフガニスタンを1980年代に占領した時に、アメリカは大量の資金をアフガニスタンのレジスタンスに提供しましたが、アメリカ合衆国政府は、それを直接するわけには行かなかったのです。冷戦がからんでいましたから。そこでアメリカ政府、基本的にCIAは、大量の資金をパキスタン軍諜報機関に提供し、それを彼らが好きなように配分したのです。パキスタン軍諜報機関は資金の大半を、アフガニスタン・レジスタンスの最も過激な派閥に渡したのです。ソ連の撤退後にその派閥がアフガニスタンで実権を握るように願って。
聞いていただけますか?アフガニスタンは非常にイデオロギー的な国などではなかったというわけです。これは本当に直感には合わないことですが、そこで暮らした5年間でそれを経験しましたが、アフガニスタン人はこの人物を全く評価しませんでした。このきわめて過激な派閥リーダーを。他のアフガニスタン人は彼が権力を獲得することに関心が無かったのです。パキスタンが、パキスタン政府が彼に資金を提供し続けていたのです。そこで、4年間の内戦があり、他の派閥がその男をけ落としましたが、彼は、パキスタンによる多大な援助によって、依然として支配権を得ようとしていました。
4年間の内戦の後、パキスタン政府はこの人物は支配者になれないと悟り、そこで彼らはタリバン運動を創り出し始めたのです。この運動をゼロから創り出したのです。アフガニスタン内部では立ち上がりませんでした。国境の向こう、パキスタンで創り出され、アフガニスタンのカンダハール地域に輸入されたのです。
繰り返しますが、それはグローバルなジハード(聖戦)などという代物ではなかったのです。言葉こそグローバルなジハード(聖戦)の言葉ですが、けれども目的、狙いは地域的な狙いで、早い話全てがパキスタンとインドの関係にからんでいるのです。ですから、私にとって、それはちょっと、どう言いましょうか、帽子を脱ぐ格好をするだけで、パキスタンが30年間も続けた政策を放棄して、反テロ同盟に突然本気で参加するなどとアメリカ合衆国政府が突然に考えるということ自体理屈にあわないと思うのです。それで、私たちが目にしているのは、パキスタンは非常に賢明に、パキスタン政府は、きわめて賢明にアル・カイダ作戦隊員をアメリカ合衆国に時折は引き渡し続けていますが、常にタリバンを庇護してきたということです。この二つの組織には大きな違いがあるのです。たとえ彼らの言葉が非常によく似ていたとしても、彼らの狙いは違うのです。ですから、もし我々がパキスタンと協力して動けば、アフガニスタンを弱らせようとしている政府と一緒に働くことになるのです。
エミー・グッドマン: それに、これはあなたのテーマではありませんが、パキスタンは核爆弾の資材を北朝鮮に提供していますね。
サラ・チェエス: もちろん、もちろんです。北朝鮮とイランにもですね。つまり、A・Q・カーン、パキスタンの原爆の父と見なされている人物が関与していたことは明白です。つまり全ての核爆弾を辿ると彼に行き着きますし、彼がひとり勝手に行動しているならず者俳優であり得るはずがないのです。パキスタンはそういう形で動いてはいません。パキスタン政府は軍隊の手にある非常に閉ざされた体制です。基本的に軍と軍の諜報機関ですね。ですから私は軍の諜報機関はならず者だとずっと聞かされてきましたし、タリバンを支持しているならず者分子がパキスタン軍部にいるのです。同じ事が言われています。「ああ、A・Q・カーンはならず者分子だったさ」。ムシャラフ大統領はそういう体制の産物なのです。
エミー・グッドマン: ムシャラフ将軍ですね。
サラ・チェエス: その通りです。
エミー・グッドマン: 上院多数党院内総務ビル・フリストの「タリバンが政府に入るべきだということをアフガニスタンは認めるべきだ」という発言はどう思われますか。
サラ・チェエス: それは極めて無知な発言だと思います。というのは、それはつまり、タリバンが国内で育った運動で、彼らがアフガニスタンの中で権力を得ようとしているのだという意味あいがあります。彼らはそうではないのです。タリブなり、元のタリバン政権のメンバーで、本当にアフガニスタン政府に参加することに興味があるような連中は誰でも、もう既に彼らの多数が参加しているのです。元タリバンで、現在アフガニスタン政府に参加している人は多数いるのです。今戦っている連中は敵対的国家、つまりパキスタンに元気づけられているのです。ですから、それはもう全く非論理的ですよね。
エミー・グッドマン: ひとたびイラクが始まると、アメリカ合衆国がイラクを侵略すると、オサマ・ビン・ラデン追跡は中止されてしまい、アフガニスタンにいた兵士達はイラクに移動させられましたね?
サラ・チェエス: ええ、これは私たちにとって本当に興味深い現場経験でした。アフガニスタンで実現するはずのマーシャル・プランについてずっと聞き続けていたのですから。それで2002年中、マーシャル・プランは一体どこにいったのか私たちは不思議に思っていました? 皆何を待っていたのでしょう? アフガニスタンに注がれるはずだったあらゆる焦点や関心やエネルギーはどこに行ったのでしょう? イラクについて色々な本が出版され始められて、昨年からなのですが、アフガニスタンにはもう何の関心も向けられていないことにようやく気がついたのです。資源も関心も焦点も資金も、タリバンがアフガニスタンで倒壊した日から、既にイラク用に蓄えられていたのです。それで、実際に兵士達は撤退したのですが、全力がアフガニスタンに注がれることはなかったのです。
で、オサマ・ビン・ラデンの追跡ですが、あれは色々な意味で、人の注意を他にそらすためのものだったのだと思うのです。オサマは、いくつかの証拠に基づく個人的な考えで、様々な推論からもそうですが、あの男が9/11の後でパキスタン内に、あるいはアフガニスタン/パキスタン国境にいたとは思えません。だいたい、銀行を襲撃しようと言うときに、警官が現れるまで、街角で待っていたりするでしょうか?
エミー・グッドマン: 彼はパキスタンにはいないとおっしゃるのですか?
サラ・チェエス: その通りです。パキスタンにも、アフガニスタン東部にも。彼は相当早くからアフガニスタンを離れていたろうと思います。ごく早くから、たぶん9/11より前から。ですから、全てが、東部の山岳地帯での捜索で、他のアル・カイダ隊員は居たかも知れませんが、オサマ・ビン・ラデンがそこにいたとは思われませんし、パキスタンが彼を匿っているとも思えません。パキスタンが、アル・カイダ隊員に対しては非常に積極的なのはわかっています。彼らは、ワジリスタンの洞窟のあたりやら秘密の場所に座り込んでいるタリバン指導部に対しては積極的ではありません。彼らは地域の首都であるクエッタやバルチスタンあたりにいます。
エミー・グッドマン: 放送を終わる前に、サラ・チェエスさん、ジャーナリズムをおやめになって、今は援助団体におられますね。今何をされているのかお話しください? 残り時間は一分もありません。
サラ・チェエス: はい。援助団体ではありません。あの援助団体はやめました。今はArghandという名の協同組合を運営しています。肌用の高級なお手入れ製品を製造していて、アメリカ合衆国やカナダでお買いになれます。合法的な現地農産物を使っています。
エミー・グッドマン: なぜそれをしておられるのですか?
サラ・チェエス: アヘン栽培と戦う試みです。言い換えれば、人々がケシ栽培をやめることを可能にするには、他のものを栽培してお金が得られるようにするのが最善の方法だからです。
エミー・グッドマン: で、それを選ばれた理由は?
サラ・チェエス: 草の根運動です。とにかく協同組合でできる範囲でデモクラシーを作り上げてゆくのです。生産者と良い関係ができます。共同での意思決定過程もあります。それにカンダハールで千年以上も前から知られている様々な伝統的で合法的な作物にも敬意を払うことができます。これは参加する価値がある事業に思えるのです。
エミー・グッドマン: サラ・チェエスさんは元NPR特派員で、NPRを2002年にやめられて、現在カンダハールの石けん共同組合で働いておられます。democracynow.orgからそちらのウエブサイトにリンクしておきましょう。ご出演ありがとうございます。
サラ・チェエス: 出演させてくださってありがとうございます。
http://www.democracynow.org/article.pl?sid=06/10/10/1355235
サラ・チェエスの協同組合
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