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2007年11月

2007年11月29日 (木)

マスコミはなぜイラク人65万人死亡の報告を無視するのか? 06/10/13記事

アメリカのマスコミは、アメリカの戦争によるイラク人犠牲者の数が655,000人だと推測する新たな科学的調査に対して、事実上沈黙を保っている。この研究は、マサチューセッツ工科大学の資金援助で、ジョーンズ・ホプキンス大学のブルームバーグ公衆衛生学部によって行われ、水曜日イギリスの医学雑誌ランセットのウエブ・サイトに掲載された。

この研究は、アメリカ侵略と占領の結果として亡くなったイラク民間人と軍人の数の唯一系統だった推計を、アメリカと、世界中の人々の前に明らかにしたものだ。

マスコミ報道の再検討や、アメリカが支援しているイラク政府による集計に基づくこれまでの推計とは異なり、ジョーンズ・ホプキンスの研究は、イラク人医師達がしばしば大変な生命の危険を冒して、イラク中のおよそ2,000家族に面接し、標準的で広く用いられている統計的手法を用いて行われ、戦争と占領による犠牲者数の客観的な推計に至ったものだ。報告されている死亡の大部分は死亡証明書によって裏付けられている。

研究は、95パーセントの確度で、侵略以来のイラクにおける「過剰死亡」人数、つまり侵略前の死亡率をもとに想定される死亡者数を超えて亡くなった人々の数は、393,000人から943,000人の間であると結論づけている。655,000人という数値はもっともあり得る数値として提示されている。これは何と驚くことに全イラク人口の2.5パーセントだ。

研究者達は更に、死亡のうちおよそ600,000人は、銃撃、空襲や爆弾を含む何らかの形の暴力行為によるものだと推測した。彼らは、少なくとも31パーセント、つまり186,000人の非業の死を、アメリカと多国籍軍が直接ひきおこしたと結論している。

侵略以来、非業の死をを遂げた人々の内の約336,000人、あるいは56パーセントは、銃撃の傷が原因で亡くなった。この研究は、イラクにおける非業の死の数が、侵略以来、毎年着実に増加していることも発見している。2005年6月から2006年6月の期間に、死亡率が侵略以前の水準と比較してほぼ四倍に増加していることを研究者達は見いだした。

この研究の信頼性に対する正当な疑念などありえない。ランセットというのは、世界でも最も古く、最も権威ある、論文審査をともなう医学専門誌の一つだ。ジョーンズ・ホプキンス大学公衆衛生学部は世界最大で、いつもアメリカ合衆国における最高位の公衆衛生学部としてランク付けされている。雑誌論文は刊行前に、その分野における四人の独立した専門家によって、精読され承認される。

仮に、少ない方の推計、393,000人のイラク人が亡くなっているというものが正しいのだと考えた場合でも、報告の重要性を買いかぶることは容易ではない。アメリカのイラク介入が、中東のみならず、世界中、そして何よりも、アメリカ合衆国そのものに対する壮大な政治的な意味合いをもった、歴史的な規模の社会的、人道的大惨事を生み出したことをこの報告は明らかにしたのだ。

あらゆる客観的な基準からして、この報告は、わが国の全主要新聞紙の一面での報道と、テレビ・ニュース番組における大規模な討論とレポートに十分値するものだ。それなのにアメリカのマスコミの反応は、事実上報告を無視しており、報道を内部ページのニューズ記事に限定して、無批判的な、政府や軍当局者が報告を「信ぴょう性がない」してはねつけている裏付けのない発言を報道している。

この話題を覆い隠すことによって、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストは特に大きな役割を演じた。水曜日にこれらの新聞に掲載された元の記事は、内側のページに格下げされていた。: ニューヨーク・タイムズの場合は8ページ、ワシントン・ポストの場合は12ページだ。

掲載した記事では、同じチームが公表したイラク人の死亡者数にかかわる以前の報告は、「科学的な手法を用いてイラクの死亡率を推定している唯一のものである。」と書いてジョーンズ・ホプキンス研究の科学的な妥当性を保証しながら、ワシントン・ポストは、この話題を、後方のページに隠すことに決めたのだ。科学者が用いた方法「クラスター・サンプリング」を、「飢饉や自然災害の後で、死亡者数を推定するのに用いられる」と新聞は書いた。

一人の記者が水曜日のホワイト・ハウス記者会見でこの件を取り上げたにもかかわらず、マスコミが最低限しか報道しない状況は木曜日にも継続した。ブッシュ大統領は、信ぴょう性が無いと言って、報告を馬鹿にしたようにはねつけた。記者会見に居た他の記者の誰も大統領にくってかかったり、関連質問をしたりはしなかった。

ブッシュの言明には、様々な支持者やら、戦争を仕組む連中が同じように、ジョーンズ・ホプキンス研究の死亡者数をはねつける声明が続いた。イラクにおけるアメリカ軍の司令官ジョージ・ケーシーは、わざわざ報告など読んだりはしないと認めたが、「まったく大した信頼性などない」と結論づけた。イギリス首相トニー・ブレアのスポークスマンは、655,000人が殺害されたという数字は 「まるで正確などとは思えない」と述べた。イラク政府の役人も同様に、数字は「誇張されている」と宣言した。

木曜日ニューヨーク・タイムズもワシントン・ポストもジョーンズ・ホプキンス報告についての社説は書いておらず、報告やブッシュ政権の対応についての関連記事すらない。

主流マスコミには、報告の信用を傷つけようとする政府の企みに対して異議を申し立てるものは皆無だ。逆に、木曜日の最小限の報道は、主として、ブッシュ、ケーシー、ブレアやイラク人手先政権の声明を報道することにあてられた。例えば、ロサンゼルス・タイムズは、内部のページで、「イラク人が、600,000人の戦死という主張に意義を唱えている」という記事を書いてイラク政府による発言を報じている。同紙は、自身で調査を行い殺害されたのは50,000人だという数字になったと述べて、大合唱に加わっている。

報告の信用を傷つけようという試みは、いかなる事実なり方法論的な論議によっても裏付けられはていない。政権とその支持者達は、正当にも、裏付けのない主張をいくらしてもマスコミは決してかみつくまいと読んでいるのだ。

この研究の共著者であるリー・ロバートは、木曜日のDemocracy Now! ラジオ放送インタビューで、研究者達が用いたクラスター調査手法は「政府が良く機能していない極めて貧しい国々や、戦時に、死亡数を測定する標準的な方法です」と述べた。国連とアメリカ政府いずれも、コソボとアフガン戦争後に、死亡数を決定するのにこの方法を用いたと彼は指摘した。彼は言う。「最も皮肉なことは、アメリカ政府毎年何百万ドルも費やして、NGOや国連職員に戦時や災害時の死者数を数えるためにクラスター調査をする方法を訓練しているのです」

沈黙することによって、マスコミは、またもや政府を見習っている。2005年12月の記者会見で「おおよそ」30,000人のイラク人が、2003年3月のアメリカ侵略以来殺害された(ばからしいほど内輪の推計だ)といったブッシュの軽はずみな言葉にかみつかなかったのと同様、ブッシュによる無知で血も涙もないジョーンズ・ホプキンス報告の無視に、マスコミがかみつくことはなかった。

企業所有で、企業に支配されているマスコミは、イラクで何が起きているかという真実をアメリカ国民知って欲しくないために、この話題を覆い隠したのだ。

戦争開始以来、一貫してそうしてきたように、彼らはこの真実を隠したがっている。なぜなら、彼らはイラクにおける大規模な戦争犯罪の片棒を担いでおり、アメリカ軍による殺りくを支持し続けているからだ。

ジョーンズ・ホプキンス報告は、アメリカ合衆国によってイラクで引き起こされた死亡と破壊の途方もない規模を暴露して、大量破壊兵器とイラク-アル・カイダの絆というものから、現在の「自由と民主主義」のための戦争という主張にいたるいつわりの主張や、「テロに対する戦争」という重要な欺瞞で、国民を欺き、戦争を正当化しようとする企みによって打ち立てられた嘘の殿堂を粉みじんにするものだ。

報告は、軍によるかつてない検閲の受容と、自己検閲と石油と中東における地政学的な支配を求める帝国主義者の戦争を取り繕うための意図的な虚報とを結びつけている、マスコミそのものの責任を必然的に際だたせている。

ランセットで発表されたジョーンズ・ホプキンス研究によって明らかにされた大量殺りくの規模は、アメリカのあらゆる支配エリート、共和党に劣らず民主党も含む二政党、更に全ての公的機関、中でも特に卑しむべき役割を演じてきたマスコミに対する告発だ。

企業、政治、マスコミといった支配体制側が恐れているのは、労働者の社会的条件と民主主義的権利に対する情け容赦のない攻撃への高まる怒りと結びついた、イラクと世界中におけるアメリカ帝国主義の犯罪に対する増大しつつある人々の反感という、一触即発の危険をはらんだ社会的、政治的な雰囲気だ。政治制度が丸ごと国民の目の前にさらされ、疑われている。このような過程は、必然的に革命的な結果をもたらすだろう。

上記は、下記の翻訳。

ジョー・ケイ、バリー・グレイ著  ワールド・ソーシャリスト・ウェブ・サイト(WSWS) 2006年10月13日

http://www.wsws.org/articles/2006/oct2006/iraq-o13.shtml

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日本のマスコミ、当然、宗主国に、右へならへ!

期限切れ食品販売騒ぎは追うが、期限切れの植民地政治には触れない。

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以下も参照。:

New study says US war has killed 655,000 Iraqis

[2006年10月12日]

Provocative US attack on Shiite militia in Iraq

[11 October 2006]

US casualties soar as military intensifies violence in Baghdad

[6 October 2006]

追記 09/02/12 ちきゅう座のサイトに、大変に興味深い記事がある。いかにも正義の味方のような名前、振りをしていても、所詮は、同じ穴のムジナ?

戦争屋に貢献するヒューマン・ライツ・ウォッチ

多くのアメリカ人は依然として陰謀論を信じている

2007年11月23日金曜日

スクリップス・ハワード:ニューズ・サービス

スクリップス・ハワード・ニューズ・サービス/オハイオ大学の世論調査によると、ほぼ三分の二のアメリカ人は、政府の高官の一部は2001年9/11日の、ニューヨークとワシントンのテロ攻撃に対する具体的な警告を知っていたが、そうした警告を無視することを選んだ可能性がありうると考えている。

スクリップスおよびオハイオ大学が行った、811人の成人アメリカ合州国住民の全国的な調査で、三分の一以上が、9/11攻撃、石油価格をつり上げる国際的な陰謀、1963年のジョン・F・ケネディ大統領暗殺の陰謀、政府は宇宙からの知的生物の存在を知っているのだという様々な陰謀論のバイキングを信じていることがわかった。

パーセンテージの高さは、アメリカ国民の連邦政府不信が増大していることの現れだという向きもある。

「攻撃から一年や、二年後では、こうした数値にはならなかったでしょう」フロリダ大学法学教授マーク・フェンスターは言う。「政権に不満な人々が益々増えているのです」

陰謀論: アメリカ文化における秘密主義と権力」の著者でもあるフェンスターは、この高い率の原因の一部は、同時多発テロ事件に関する独立調査委員会(9/11委員会とも呼ばれる)が、政府の高官が攻撃を防止損ねたが、攻撃の日時についての具体的知識はなかったと結論を出したことが原因だとしている。

2006年7月に行われた、前回のスクリップス・ハワード/オハイオ大学調査では、三分の一以上のアメリカ人が、アメリカ合州国が中東で戦争ができるようにするために、連邦政府の高官が、9/11攻撃を幇助したか、彼ら止める行為を何もしなかったのだと考えていることが明らかになった。

「(最近の調査) 結果は、当時すでに警告があったのに、関心を他のことに向けることを選んだブッシュ政権は不適格だ、と人々が考えているという可能性もあります」フェンスターは言う。

原油の価格が1バレル、100ドルに近づいた時、81パーセントのアメリカ人が、ガソリンの価格を高くしておくための石油会社の陰謀という可能性が、「ある程度ありえる」あるいは 「非常にありえる」と答えている。

「これは石油会社は多くの人々から信頼されていないことを現しています」とラルフ・ネーダーが創立した消費者の広告監視団体パブリック・シチズンのエネルギー・プログラム部長タイソン・スローカムは言う。

記録破りの四半期利益が、また論争を巻き起こす。

「人々は莫大な利益を見て、二つを一緒にするのです」と彼は言う。我々が支払っている高価格のおかげで、やつらの利益が膨れ上がるのだ。」

石油とテロにまつわる話は、政府がUFOの真実を隠していると信じている人々の一部を動揺させた。回答者たちの37パーセントは、空飛ぶ円盤は本当で、政府がそれに関する事実を隠している可能性が「非常にありえる」あるいは「ある程度ありえる」と思うと答えている。1995年のスクリップス調査では、50パーセントのアメリカ人が、同じ質問に対して同じように答えていた。

「UFO実在を信じるという形で表現されていた政府に対する懸念や不信が、他に移行したのです」政治学教授のジョディ・ディーンは言う。「今や人々は、自分たちの身により近いことを懸念しているのです。」

「どちらの場合も、政府不信の事例です」と彼女は言う。

ニューヨークにあるホバート・アンド・ウィリアム・スミス・カレッジの教授で「アメリカの異星人:宇宙からサイバースペースまでの陰謀文化」の著者でもあるディーンは、1947年のニュー・メキシコ、ロズウェルの事件50周年記念で、陰謀という考え方にさらに注目が集まったのだと言う。

ディーンは、この理論の人気は、今後数十年の間に更にさらに衰退するだろう予想していると語った。

しかし、一世紀もたった古い理論がはびこり続けているのだ。42パーセントのアメリカ国民は依然として、連邦政府の一部の人々が、ケネディ暗殺について事前に知っていた可能性があると考えている。

「これほど高いのに驚いています」1,632ページの著書「歴史の矯正: ジョン・F・ケネディ大統領暗殺」を5月に刊行したヴィンセント・バグリオシは言う。

バグリオシの本は反対の結論になっている。リー・ハーヴェイ・オズワルドがケネディを射撃したし、彼は自分一人でやったのだという。

バグリオシは、大多数のアメリカ人は、暗殺あるいは、調査をしたウォーレン委員会をめぐるある種の陰謀を信じているが、彼が著書でさばいた大半の疑問は、CIAの疑惑、あるいはマフィアの関与をめぐるものと考えているという。

「彼等は陰謀があると信じていて、(調査が) 彼らが信じていることを表現するのを可能にしたのだと思います。」と彼は言う。

調査は、電話により、9月24日から10月10日にわたり、無作為に抽出された811人の成人のアメリカ合州国居住者に対して行われた。調査は、オハイオ大学スクリップス調査研究センターによって、スクリップス・ハワード財団からの助成のもとで行われた。誤差の範囲はおよそ4パーセントである。

以上は、下記原文の翻訳。

ケヴィン・クローとGUIDO H. ステンペル III

(ケヴィン・クローはスクリップス・ハワード・ニューズ・サービスの記者。グイド・H・ステンペルIIIはオハイオ大学スクリップス調査研究センター理事長。scrippsnews.comで他の記事が読めます。)

記事原文のurl:http://www.scrippsnews.com/node/28533

2007年11月22日 (木)

タリバン後のサラ・チェエスのアフガン生活と彼女がNPRを辞めた理由

06年10月10日Democracy.now放送の書き起こし原稿の一部

(およそ一年以上も前の放送の記事です。テロ特措法がうんぬんされる今、こうした現地事情はあまり目につかないのが不思議です。中村哲医師のお話を除いては。)

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エミー・グッドマン: サラ・チェエスさんに参加していただきます。彼女はアメリカ合衆国のアフガニスタン侵攻を報道した元NPR特派員でした。彼女は2002年にジャーナリストを辞め、カンダハールでAfghans for Civil Societyという援助団体の運営を始められました。サラの新刊は「The Punishment of Virtue: タリバン後のアフガニスタンの内実」です。Democracy Nowにようこそ!

サラ・チェエス: お招き有り難うございます。

エミー・グッドマン: アフガニスタンについて私たちが知り損ねているものにどんな話題があるでしょう?

サラ・チェエス: はい、リチャード司令官の発言は非常に正確だろうと思いますが、これは突然今年起きた事ではないのです。それが2002年後半以来ずっと進展するのを私は見てきたのです。そして問題は、我々がアフガニスタンに提供すると言った物を本当に提供しなかったということです。我々はこう言ったのです。国際的同盟を率いる我々アメリカ合衆国は、我々が来たのは、単にタリバンを解体するだけでなく、敬意を表すべき民主的な国家の基礎を置くためであり、それで、アフガニスタンをいわば国際社会の中へと送り出すためだ、と言ったのです。

しかし実際に起きたのは、アメリカの、いわゆるテロに対する戦争という別の動機が、そうした目標を踏みつけ、思慮深い、教育のある指導者を支持して、彼らが権力の地位に就くのを助け、指導者としての力を伸ばすのを助ける代わりに、テロに対する戦争でアメリカを支援するはずで、一方自分たちの国民を虐待し、略奪していた暴漢を採用したのです。ですから、今私たちが見ているのは大変な不満です。西欧の国家であるアメリカ合衆国に対するイデオロギー的な反対ではありません。アメリカが権力につけた政府に対する憤激なのです。

エミー・グッドマン: あなたはご本のかなり始めのほうで、NPRではしなかった、できなかった報道について書かれています。どんな記事だったのですか?

サラ・チェエス: それはこういう話でした。ある種、部族民兵集団の中に埋め込まれたアメリカ軍特殊部隊があって、南からカンダハールに圧力をかけるよう命令されていたのを私は見ていたのです。カルザイ大統領にもアメリカ軍特殊部隊がついていました。彼は北からカンダハールに向かってきていました。タリバンは彼に降伏しました。彼らは去りました。アル・カイダは町を去りました。都市はカルザイ大統領と彼の代理人の手に落ちたのですが、アメリカ軍特殊部隊がこの軍閥の長に、カルザイ大統領から力でこの都市を奪い取るようにせきたてたのです。

エミー・グッドマン: ちょっと待ってください。それがどう起きたのか、あなたが起きていることをどうやって知ったのですか。あなたはこの時国境におられましたね?

サラ・チェエス: 私は国境にいたのです。この集団と一緒だったわけではありませんが、国境にいてラジオを聞いていました、様々なことが起きていた場所で、私は国境を越えて戻ってくる人々に話しかけて、カルザイ大統領がムラー・ ナキーブという名前の人物をカンダハール知事に任命したことを知りました。それで突然この軍閥の長が町に現れたのです。そして、この大規模で険悪な膠着状態です。BBCでパシュトン語番組で実際に放送されたのですが、この軍閥の長は言ったのです。「いや、私がカンダハールの知事だ」。それで何かおかしいということに気がついたのです。そして、最後にはまさにそうなりました。ムラー・ ナキブは基本的に老齢であることを主張して言ったのです。「ああ、私は年を取りすぎている」。それで私は思いました。「それはおかしい」と。

エミー・グッドマン: カルザイが知事に任命した人物ですね。

サラ・チェエス: そうです。カルザイが任命した人物が、「結構だ、この他の男を知事にしてくれ。私は知事になるには年を取りすぎている。」と言ったのです。それで私は何かが起きたことがわかったのです。それで私はこの後二日後でしたかにこの軍閥の長と一緒にいた人と一緒に町に入り、彼に尋ねました、「で、どうなっているんですか?一体どういうことであなたがたがカンダハールを得ることになったのですか?」彼は非常に若い人物でしたから、非常にわくわくしていて熱中していました。急げ!急げ! といいながら道路を進みました。私は聞きました。「で、一緒にいたアメリカ人はどうなったの?」 彼は言いました。「アメリカ人か?連中が俺たちにそうしろと言ったのさ。」私は思いました。「冗談でしょう」

そしてこれが、物事が進んでいった方向を我々に示すのに役立つ、本当に象徴的な話だと思えたのです。いいですか、これはイラク前のことです、アフガニスタンが関心の的だった時のことです。アメリカがアフガニスタンの中でどう動くのか、アフガニスタンがどうなってゆくのかに世界の視線が釘付けになっているのを見ていたのです、それがこれからの10年、あるいは今後50年間に起きることにとって決定的だと。

エミー・グッドマン: それで、アメリカ合衆国特殊部隊がこの別の軍閥の長を、アメリカが支援するハミド・カルザイに対抗して立てたのだと彼は言ったのですね。

サラ・チェエス: まさにその通りです。そこでアメリカ合衆国自身、矛盾する目的に向かって動いていたわけで、それが第一です。その二、自分が大統領に指名した人物の権力をアメリカは既に制限しはじめていたのです。アメリカはこう言っていたのです。「いいだろう、お前を大統領にしてやろう。だがお前は指名はできないぞ、お前は知事を指名する権限はないのだ」。これがカルザイ大統領を統治の最初の二年間悩ませたのです。こうしてアメリカがつけた軍閥長知事達の権力を制限しようと彼が試みると、アメリカはそうした知事達と連帯したのです。

エミー・グッドマン: アメリカ政府がそうしたのですね。

サラ・チェエス: そう、アメリカ政府は、そうした連中と同盟したのです、おそらくはテロに対する戦争のために。それで、カルザイ大統領は彼らの権力を制限したり、彼らを締め付けたり、あるいは追い出そうとさえしたのですが、何度もそんなことはできないぞと言われたのです。それで、今彼はほとんどそうするのはあきらめています。

エミー・グッドマン: それならなぜその話が朝刊かAll Things Consideredに載らなかったのでしょう?

サラ・チェエス: 今はそれは重要な問題ではないと言われたのです。そのうちゆっくりアフガニスタン内部の小競り合いについて話す時間ができるし、今本当に大事なことは、ムッラー・オマルがどんなにひどい人物だったのかを考えることだと。それに当時の私の考えでは、この話は1996年か1997年に書かれているべきだったのです。私たちはあの時点でどれほどタリバンがひどいか知っていたのです。でも今では、重要だったのは、この国家建設の実験がどのように機能するのか、先を見通すことだったと思います。タリバンがどれほどひどかったかを語り続けるというのは、自分たちの感受性にうぬぼれているだけのように思います。

エミー・グッドマン: 起きていることを正当化しながら、アメリカ合衆国はあの時点であらゆる方面で動いていたのですね。

サラ・チェエス: そうです。そうです。あらゆる面で。アメリカがタリバンと協力していたかどうか確信はありませんが、タリバン運動を創り出したパキスタン政府とアメリカは明らかに手に手をとって協力していたのです。そしてこれはアメリカの政策のひどい自己矛盾の一例です。

エミー・グッドマン: 説明ください。

サラ・チェエス: ええ、パキスタン政府はその宗教的な目的の為に30年間にわたって宗教の過激主義を利用し、操作してきたのです。彼らはそれをカシミールで行い、アフガニスタンでも行いました。そしてソ連がアフガニスタンを1980年代に占領した時に、アメリカは大量の資金をアフガニスタンのレジスタンスに提供しましたが、アメリカ合衆国政府は、それを直接するわけには行かなかったのです。冷戦がからんでいましたから。そこでアメリカ政府、基本的にCIAは、大量の資金をパキスタン軍諜報機関に提供し、それを彼らが好きなように配分したのです。パキスタン軍諜報機関は資金の大半を、アフガニスタン・レジスタンスの最も過激な派閥に渡したのです。ソ連の撤退後にその派閥がアフガニスタンで実権を握るように願って。

聞いていただけますか?アフガニスタンは非常にイデオロギー的な国などではなかったというわけです。これは本当に直感には合わないことですが、そこで暮らした5年間でそれを経験しましたが、アフガニスタン人はこの人物を全く評価しませんでした。このきわめて過激な派閥リーダーを。他のアフガニスタン人は彼が権力を獲得することに関心が無かったのです。パキスタンが、パキスタン政府が彼に資金を提供し続けていたのです。そこで、4年間の内戦があり、他の派閥がその男をけ落としましたが、彼は、パキスタンによる多大な援助によって、依然として支配権を得ようとしていました。

4年間の内戦の後、パキスタン政府はこの人物は支配者になれないと悟り、そこで彼らはタリバン運動を創り出し始めたのです。この運動をゼロから創り出したのです。アフガニスタン内部では立ち上がりませんでした。国境の向こう、パキスタンで創り出され、アフガニスタンのカンダハール地域に輸入されたのです。

繰り返しますが、それはグローバルなジハード(聖戦)などという代物ではなかったのです。言葉こそグローバルなジハード(聖戦)の言葉ですが、けれども目的、狙いは地域的な狙いで、早い話全てがパキスタンとインドの関係にからんでいるのです。ですから、私にとって、それはちょっと、どう言いましょうか、帽子を脱ぐ格好をするだけで、パキスタンが30年間も続けた政策を放棄して、反テロ同盟に突然本気で参加するなどとアメリカ合衆国政府が突然に考えるということ自体理屈にあわないと思うのです。それで、私たちが目にしているのは、パキスタンは非常に賢明に、パキスタン政府は、きわめて賢明にアル・カイダ作戦隊員をアメリカ合衆国に時折は引き渡し続けていますが、常にタリバンを庇護してきたということです。この二つの組織には大きな違いがあるのです。たとえ彼らの言葉が非常によく似ていたとしても、彼らの狙いは違うのです。ですから、もし我々がパキスタンと協力して動けば、アフガニスタンを弱らせようとしている政府と一緒に働くことになるのです。

エミー・グッドマン: それに、これはあなたのテーマではありませんが、パキスタンは核爆弾の資材を北朝鮮に提供していますね。

サラ・チェエス: もちろん、もちろんです。北朝鮮とイランにもですね。つまり、A・Q・カーン、パキスタンの原爆の父と見なされている人物が関与していたことは明白です。つまり全ての核爆弾を辿ると彼に行き着きますし、彼がひとり勝手に行動しているならず者俳優であり得るはずがないのです。パキスタンはそういう形で動いてはいません。パキスタン政府は軍隊の手にある非常に閉ざされた体制です。基本的に軍と軍の諜報機関ですね。ですから私は軍の諜報機関はならず者だとずっと聞かされてきましたし、タリバンを支持しているならず者分子がパキスタン軍部にいるのです。同じ事が言われています。「ああ、A・Q・カーンはならず者分子だったさ」。ムシャラフ大統領はそういう体制の産物なのです。

エミー・グッドマン: ムシャラフ将軍ですね。

サラ・チェエス: その通りです。

エミー・グッドマン: 上院多数党院内総務ビル・フリストの「タリバンが政府に入るべきだということをアフガニスタンは認めるべきだ」という発言はどう思われますか。

サラ・チェエス: それは極めて無知な発言だと思います。というのは、それはつまり、タリバンが国内で育った運動で、彼らがアフガニスタンの中で権力を得ようとしているのだという意味あいがあります。彼らはそうではないのです。タリブなり、元のタリバン政権のメンバーで、本当にアフガニスタン政府に参加することに興味があるような連中は誰でも、もう既に彼らの多数が参加しているのです。元タリバンで、現在アフガニスタン政府に参加している人は多数いるのです。今戦っている連中は敵対的国家、つまりパキスタンに元気づけられているのです。ですから、それはもう全く非論理的ですよね。

エミー・グッドマン: ひとたびイラクが始まると、アメリカ合衆国がイラクを侵略すると、オサマ・ビン・ラデン追跡は中止されてしまい、アフガニスタンにいた兵士達はイラクに移動させられましたね?

サラ・チェエス: ええ、これは私たちにとって本当に興味深い現場経験でした。アフガニスタンで実現するはずのマーシャル・プランについてずっと聞き続けていたのですから。それで2002年中、マーシャル・プランは一体どこにいったのか私たちは不思議に思っていました? 皆何を待っていたのでしょう? アフガニスタンに注がれるはずだったあらゆる焦点や関心やエネルギーはどこに行ったのでしょう? イラクについて色々な本が出版され始められて、昨年からなのですが、アフガニスタンにはもう何の関心も向けられていないことにようやく気がついたのです。資源も関心も焦点も資金も、タリバンがアフガニスタンで倒壊した日から、既にイラク用に蓄えられていたのです。それで、実際に兵士達は撤退したのですが、全力がアフガニスタンに注がれることはなかったのです。

で、オサマ・ビン・ラデンの追跡ですが、あれは色々な意味で、人の注意を他にそらすためのものだったのだと思うのです。オサマは、いくつかの証拠に基づく個人的な考えで、様々な推論からもそうですが、あの男が9/11の後でパキスタン内に、あるいはアフガニスタン/パキスタン国境にいたとは思えません。だいたい、銀行を襲撃しようと言うときに、警官が現れるまで、街角で待っていたりするでしょうか?

エミー・グッドマン: 彼はパキスタンにはいないとおっしゃるのですか?

サラ・チェエス: その通りです。パキスタンにも、アフガニスタン東部にも。彼は相当早くからアフガニスタンを離れていたろうと思います。ごく早くから、たぶん9/11より前から。ですから、全てが、東部の山岳地帯での捜索で、他のアル・カイダ隊員は居たかも知れませんが、オサマ・ビン・ラデンがそこにいたとは思われませんし、パキスタンが彼を匿っているとも思えません。パキスタンが、アル・カイダ隊員に対しては非常に積極的なのはわかっています。彼らは、ワジリスタンの洞窟のあたりやら秘密の場所に座り込んでいるタリバン指導部に対しては積極的ではありません。彼らは地域の首都であるクエッタやバルチスタンあたりにいます。

エミー・グッドマン: 放送を終わる前に、サラ・チェエスさん、ジャーナリズムをおやめになって、今は援助団体におられますね。今何をされているのかお話しください? 残り時間は一分もありません。

サラ・チェエス: はい。援助団体ではありません。あの援助団体はやめました。今はArghandという名の協同組合を運営しています。肌用の高級なお手入れ製品を製造していて、アメリカ合衆国やカナダでお買いになれます。合法的な現地農産物を使っています。

エミー・グッドマン: なぜそれをしておられるのですか?

サラ・チェエス: アヘン栽培と戦う試みです。言い換えれば、人々がケシ栽培をやめることを可能にするには、他のものを栽培してお金が得られるようにするのが最善の方法だからです。

エミー・グッドマン: で、それを選ばれた理由は?

サラ・チェエス: 草の根運動です。とにかく協同組合でできる範囲でデモクラシーを作り上げてゆくのです。生産者と良い関係ができます。共同での意思決定過程もあります。それにカンダハールで千年以上も前から知られている様々な伝統的で合法的な作物にも敬意を払うことができます。これは参加する価値がある事業に思えるのです。

エミー・グッドマン: サラ・チェエスさんは元NPR特派員で、NPRを2002年にやめられて、現在カンダハールの石けん共同組合で働いておられます。democracynow.orgからそちらのウエブサイトにリンクしておきましょう。ご出演ありがとうございます。

サラ・チェエス: 出演させてくださってありがとうございます。

http://www.democracynow.org/article.pl?sid=06/10/10/1355235

サラ・チェエスの協同組合

http://www.arghand.org/

2007年11月20日 (火)

金正日ではなくCIAが偽ドルを作っていると専門家は主張(2006/1/6)

「情報源によれば、議会の監督なしに行う違法な秘密活動の資金を得るため、CIAが偽「スーパーノート」を、ワシントン近くの秘密施設で印刷しているという」

2006年1月6日 アーミン・ブレッゲルヴィルスによる英訳から   

ドイツ - フランクフルター・アルゲマイネン・ゾンターク・ツァイトゥンク - 元記事はドイツ語

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ホワイト・ハウスは、金正日政権が核兵器開発計画の資金を生み出すために偽のスーパーノート(100ドル札)を作っていると非難している。だが金政権はあまりに貧弱で、専門家によれば、それほど高度な品質の偽札など作れないという。

アメリカの100ドル札:CIAは自分たちの違法な秘密活動の資金を得るために偽札を印刷しているのだろうか?

どうしても資金が必要になって、金正日政権はその金準備すら売り出し始めた。

ワシントンが北朝鮮のテロ政権のせいだと主張している、ほとんど完ぺきな偽造の50と100ドル札を製造しているのはアメリカの情報機関のCIAである可能性がある。フランクフルトの新聞、フランクフルター・アルゲマイネン・ゾンタークス・ツァイトゥンクの日曜版による徹底的な調査と、偽造貨幣専門家と紙幣印刷機器業界の主要な人物らとのインタビュー後、ヨーロッパとアジアで、この疑念が現れた。

専門家達ですら本物との違いを識別できないほど巧妙に作られた「スーパーノート(100ドル札という意味)」というアメリカ・ドルの偽札が、ほぼ二十年もの間、犯人を確実に特定できないまま流通している。そのあまりに素晴らしい品質ゆえに、専門家達はどこかの国が背後についているに違いないと想像している。

ジョージ・W・ブッシュの政権は公式には、2005年秋この行為は平壌のせいだと非難して、平壌の核兵器開発計画にかかわる6者会談を頓挫させた。それ以来、朝鮮半島における緊張は大いに高まっている。北朝鮮はロケットと核兵器開発計画の資金を、偽造した「スーパーノート」でまかなっている、とアメリカは非難している。

北朝鮮は、世界の最貧国家の一つであり、これほど高い品質の紙幣を製造する技術的能力が欠けている。フランクフルター・アルゲマイネン・ゾンタークス・ツァイトゥンクによれば、北朝鮮は現在ウオン[北朝鮮の通貨]さえ製造できない。特定されることを拒否している情報源によれば、議会に監督されることなしに行う違法な秘密活動の資金を得るために、CIAが偽「スーパーノート」を、ワシントン近くの秘密施設で印刷しているのだという。

http://www.watchingamerica.com/frankfurterallgemeine000008.shtml

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より詳しくは、下記自主・平和・民主のための広範な国民連合月刊『日本の進路』2007年3月号記事参照

スーパーノート、偽ドル札の秘密

精巧な偽100ドル紙幣は北朝鮮製ではなく、米CIAの疑い メディア・レボリューション記事

以前から、この話題を追求している原田武夫国際戦略情報研究所公式ブログ記事
ついには香港メディアにも噴出した正論

2007年11月14日 (水)

ロシア軍参謀総長、アメリカは「邪悪」と発言

バルエフスキー、アメリカのミサイル防衛は、緊張が高まる中、モスクワを標的とするものだと語る

ポール・ジョセフ・ワトソン

Prison Planet

2007年11月13日火曜日

ロシア軍最高幹部がアメリカを「邪悪」と呼び、「陰湿な」アメリカのミサイル防御兵器システムは、イランに立ち向かうものなどでなく、二大超大国間の緊張が高まり続ける中、真っ向からモスクワを狙うものであると警告した。

ロシア連邦軍参謀総長ユーリー・バルエフスキー大将は、英語版国営TV放送の「ロシア・トゥディ」で、イランに対抗するためという建前で、レーダー一基をチェコ共和国に、迎撃ミサイル装置10基をポーランドに置くというワシントンの計画は、兵器をロシア国境付近に配備する口実に過ぎないと語った。

「もしもアメリカが、2011年までにレーダーを、そして2012-2013年までに弾道弾迎撃ミサイルを配備すれば、そうした配備は間違いなくロシアに向けられたものであり、そのことは容易に証明できる。」とバルエフスキーは語った。

「近い将来において、アメリカ合州国に対するイランの脅威など存在しない。イランは、少なくとも2020年までは、アメリカ合州国にまで到達できる大陸間弾道ミサイルを作ることは不可能だ」と彼は付け加えた。

同じインタビューで、バルエフスキーは、アメリカを「邪悪」と呼び、ロシアの軍事的利益を守ることを誓ったものの、ロシアには、アメリカ帝国主義から他の世界を守る責務はないとした。

「今日、ロシア軍を恐れる必要は全くない。とはいえ、ロシア軍が邪悪なアメリカから世界を守るべきだとは考えていない」と彼は語った。

ロシア大統領ウラジミール・プーチンが、中欧に兵器を配備するペンタゴンの計画を、キューバ・ミサイル危機をもたらし、世界を核戦争の瀬戸際にまで引き込んだ1962年のキューバへのソ連核ミサイル配備にたとえてから、わずか一カ月後の、バルエフスキーのこの煽情的なコメントは、ワシントン・モスクワ間で益々高まりつつある敵対関係を、更に悪化させそうだ。

http://www.prisonplanet.com/articles/november2007/131107_military_chief.htm

2007年11月10日 (土)

ハワード・ジン、「まがいものの」戦争を終わらせようと再度の呼びかけ

ヴィヴィアン・ホー

発表:07年11月7日

元ボストン大学教授で政治活動家のハワード・ジンは、昨晩、現代の戦争をめぐる政府の詐欺と彼が呼ぶものに対し、アメリカ人は「政府に対する服従を止める」ことが必要だと語った。

「テロに対する戦争は、まがいものです。」と、ジンは同校のモース講堂で語った。「テロリズムというものは、いたるところに存在する思想です。それに対して戦争を起こすことなどできません。テロリズムとは、何らかの重要目的と推定されるものの為に無辜の人々を殺害することであり、人々に対し戦争をすることはテロリズムです。戦争はテロリズムです。イラクにおけるアメリカの戦争というテロリズムは、ワールド・トレード・センター(世界金融センター)ツイン・タワーで殺害された人数よりも、遥かに遥かに多くの人々を殺害しています。」

ジンは、革命こそが変化をもたらすためにアメリカ人が持ち合わせている唯一の選択肢だと述べ、200人以上の聴衆に「異なる世界」を目指す「民衆の」運動を組織するよう促した。

長らく教授を勤めている彼はまた、政府の誇大宣伝には、歴史にかかわる論議で応戦しなければならないと語った。

「出来合いの歴史観ではない歴史を多少でも学べば、ホワイト・ハウスや、国会議会連中や、政党指導者たちの言う事に騙されなくなります」と「民主社会を目指すボストン大学生」と「ボストン青年学生反戦運動」が企画した講義で、彼は語った。

戦時における政府の詐欺に関する歴史を詳細に検討する必要がある、とジンは述べた。

「アメリカは、デモクラシーのために、イラクで闘っているのだと言われています。デモクラシーと自由を、イラク国民にもたらす為に、アメリカは占領をしているのだと」彼は語った。「アメリカがやってきた占領の歴史を見た場合、世界のよその場所に対するアメリカの介入の歴史を見た場合、アメリカは一体どこにデモクラシーをもたらしたでしょう? アメリカが占領した国に、デモクラシーをもたらしたという証拠はありません。」

ジンは、心強い人の集まり具合だと語っている。参加者は事前に場所とりをしたと言っており、多数の人々が二階席を埋めた。

「我々が是非とも聞くべき話が沢山ありました」と、文理学部の3年生ハーリー・オットは語っている。「彼の演説のような政治活動は悪いものだという烙印を押されていますから、学内で、彼のような人に話してもらうの有用です。」

ジンは、市民の関与を強調したが、ボストン大学反戦連合の多感なメンバーであるアレク・ドロブニャクは強く賛同すると語っている。

「彼は、人々が関与するようにと強調していましたが、非常に重要なことです」工学部の2年生は語っている。「もっと沢山の人々に我々のクラブに入ってもらい、政府に加わってもらう必要があります。」

ジンはボストン大学教授エリ・ヴィーゼルと共に、「Race to 2008」という超党派の地方会議で、今週末に再度講演をする予定だが、この会議は北東部地方の大学キャンパスにおける政治的な関与を復活させることが狙いだ。

「何かをなし遂げたい時には、人々がまとまると実現するのです」SDS(民主的な社会を目指す学生会議)議長で文理学部3年生のファラ・モハンマドザデフは語っている。「つまり革命です。それは可能です。」

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The Daily Free Pressの下記記事の翻訳です。

http://media.www.dailyfreepress.com/media/storage/paper87/news/2007/11/07/News/Zinn-Renews.Call.To.End.sham.War-3084467.shtml

詳しくは下記を参照

ハワード・ジン「テロリズムに対する戦争と、歴史の効用」を語る

アメリカの支持を得て、イラクはロシアとの石油契約を破棄

The New York Times記事の翻訳

アンドリュー・E・クレーマー

公開: 2007年11月4日

バグダッド、10月29日

アメリカ人法律顧問に指導されて、イラク政府は、ロシアの石油会社ルクオイルとのイラク南部砂漠における、議論の的であった巨大油田開発契約を破棄し、将来、国際投資向けに開放することとなった。

これに対し、130億ドルというイラクの債務を免除するという主要債権国会議パリ・クラブの2004年の取り決めを無効にするとロシア当局は脅したのだと、イラク人政府高官は語っている。

西クルナ油田は、推定埋蔵量110億バレルで、世界的に認められたアメリカ最大の石油会社、エクソン・モービルの石油埋蔵量に等しいものだ。イラク石油大臣フセイン・アル-シャリスタニは、インタビューで、油田は恐らくは来年にも新たな応札者に対して開かれるだろうと述べた。

サダム・フセイン政府によって署名され、後に破棄された契約は、アメリカの侵略以来、法律的にどっちつかずの状況にあった。だがクレムリンは、9月までは何とか救われるのではと希望を抱いていたが、シャリスタニ氏が同月モスクワを訪れ、ロシア幹部に契約を破棄するという決定が最終的なものであると伝えたと同氏は語っている。

最近石油によって富が増大することで、国際情勢上、勢いがついたロシア政府は、ルクオイルの主張を依然として支持し、イラクにおける契約類に対する恣意的な履行と見なし、抗議している。

クレムリンのスポークスマン、ドミトリー・S・ペシコフは電話インタビューでこう語った。「我々の権益は守る。海外でロシア企業の利益を守ることは政府の義務だ。」

あるイラク人幹部は、秘密の外交交渉を担当しているため匿名を条件に、ロシアの対応は「契約を進めてくれれば、ロシアは債務を免除するように政治力を発揮できる。」というものだったと述べた。

1980年代にソ連の地質学者が発見はしたものの、ほとんど未開発だった西クルナは、何ダースかある世界超巨大油田の一つだ。こうした油田は、あまりに巨大なので、企業や国家の命運を傾けかねないため、業界では「巨象」として知られている。

イラクの石油部門幹部とルクオイルの双方によると、4~5年開発すれば、油田は一日100万バレルの石油を生産する。これはほぼ現在のアラスカのノース・スロープの産出量に等しい。

ルクオイルの1997年の生産分与契約で、サダム・フセイン政府は、わずか1000万ドルという契約金で、同社に対し、110億バレルの石油の開発権を与えた。失敗はしたが、国連の経済制裁を解除する工作で、当時イラクがロシアの支援を期待していた時にまとまった契約は、産出量の9.6パーセントをルクオイルに割り当てていた。

この契約は、イラク侵略は石油のためだと一部の評論家達が非難して来たアメリカ合州国にとって厄介の種となっていた。今日に至るまで、戦争のおかげで、アメリカの石油会社がイラクの埋蔵量に対して有利な立場を得たという証拠はほとんどなかったが、ルクオイルの取引は、開戦以来、決定を覆された件として大手石油企業を巻き込んだものではこれ一件だけだ。

しかし、海外政策の拠り所として、アメリカ合州国は、各国に対し、石油契約は履行すると強く主張してきたのだ。それからすると、ルクオイル契約破棄を大目に見ていることは、ダブル・スタンダードの証拠だと見る向きも有る。

「ロシア政府の視点では、イラクは占領されており、イラクの運営、特に石油については、ワシントンが指示していると見なしている」と、ロシアの銀行ウラルシブのチーフ・エコノミスト、ウラジミール I. チホミロフは、電話インタビューで答えている。

「ロシアはイラクの契約破棄を、イラクの主要な油田支配を維持しようとするアメリカの動きの一部とみている」と述べた。

ウラジミール・V・プーチン・ロシア大統領は、ブッシュ大統領に対し、2003年の侵略以来、何度かこの話題を提起してきた。プーチン大統領は、2003年6月のBBCインタビューで、ブッシュ大統領は保障さえ申し出た、と語っている。

プーチン大統領は言った「最後の会談で、ブッシュは直接、明確に言った。ロシア企業をイラクから追い出すというような企みは一切もっておらず、共同して働ける環境を作る用意ができている。到底彼を信じることはできない。」

ルクオイル契約の適法性は依然としてあいまいだ。今国会に上程されている石油法案草稿にある通り、サダム・フセイン政府によって署名された契約を尊重するというのが、イラク政策の建前である。イラク政府は、中国、ベトナム、インドネシアやインドの石油会社との契約では、まさにそうしている。

しかしイラク側は、ルクオイルの契約を破棄したのはサダム・フセイン政府だったと述べている。当時の政府のスポークスマン、タリク・アジズは、ロシアはアメリカと、侵略の際、契約の確保について交渉しているとイラク政府は考えていた、と語っている。

アメリカ占領の初期に、フセイン政府の決定が有効か否かという疑義が生じたと、イラク石油大臣の元首席顧問マイケル・スティンソンは語っている。答えは当時石油省のアメリカ人首席法律顧問ロバート・マクガイア、スティンソン氏によれば国防省で働いていた人物、が提供した。マクガイアは、破棄を正当化するのに、フセイン以前の時代の法律に依拠した、とスティンソン氏は語っている。

本報道にはジェームス・グランツが協力した。

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下記The New York Times記事の翻訳

http://www.nytimes.com/2007/11/04/world/middleeast/04oil.html?_r=1&ref=world&oref=slogin

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