「体制転覆:ハワイからイラクに至るまで、一世紀にわたるアメリカによる体制変革」その1
Democracynow.org
2006年4月21日分放送の翻訳
「体制転覆:ハワイからイラクに至るまで、一世紀にわたるアメリカによる体制変革」
作家スティーブン・キンザーが新著「体制転覆:ハワイからイラクに至るまで、一世紀にわたるアメリカによる体制変革」について論じる。著書の中で、 彼は、イラク侵略は、イデオロギー上、政治的、或いは経済的理由から、気に入らない14の政権をアメリカが転覆してきた110年の経験の頂点だ」と書いている。「2003年のイラク侵略は、孤立した出来事ではない。それは、イデオロギー上、政治的、或いは経済的理由から、気に入らない14の政権をアメリカが転覆してきた110年の経験の頂点だった。」
著者スティーブン・キンザーは新刊「体制転覆:ハワイからイラクに至るまで、一世紀にわたるアメリカによる体制変革」の中でそう書いている。
キンザーは書いている。イラクにおける「体制変革」は一時は --ごく短期的には -- 機能したかのようだ。しかしながら、今やこの作戦は意図しなかったひどい結果をもたらしていることは明白だ。アメリカ合衆国が恐れていたり、信頼できないと考える政府に対して行った他のクーデター、革命、侵略もそうだった。」
* スティーブン・キンザーは、『体制転覆:ハワイからイラクに至るまで、一世紀にわたるアメリカによる体制変革』(原題:Overthrow:America's Century of Regime Change from Hawaii to Iraq)の著者。元ニューヨーク・タイムズの海外特派員であり、"All the Shah's Men"や"Bitter Fruit"など数冊の本も書いている。
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エイミー・グッドマン:スティーブン・キンザーさんに今日ここシカゴで出演していただきます。彼は元元ニューヨーク・タイムスのベテラン海外特派員で、「オール・ザ・シャーズ・メン」や「ビター・フルーツ」など本も何冊かお書きになっています。最近ニューヨーク・タイムスを退社されたばかりです。デモクラシー・ナウにようこそ!
スティーブン・キンザー:お招き有り難うございます。エミーさん。
エイミー・グッドマン:あなたの町に来られて嬉しく思います。スティーブンさん。
スティーブン・キンザー:いいところでしょう。
エイミー・グッドマン:アメリカが関与した14のクーデターを検討しておられますね。アメリカ政府が多国の政府転覆に関与した主な理由は何だったのでしょう?
スティーブン・キンザー:こうしたクーデターの多くは個別に研究されてはきましたが、私が本書で試みたのは、それを一連の個別の出来事としてでなく、ひとまとまりの長い連続体として見ることです。そうやって見てみることで、何度も何度も繰り返して現れるある種のパターンを引き出すことができます。全てが同じパターンに当てはまるというわけではありませんが、それでも非常に多くがあてはまるというのは驚くべきことです。
動機についておたずねですが、こうした物事をひとまとめにして見ると、浮かび上がってくるパターンがあるのです。こうして多くのクーデターの展開を注視すると、三段階の動機が見いだせます。最初に起きるのは、問題となる政権がどこかのアメリカ企業を困らせ始めるのです。彼らは、企業に税金を払うようにとか、労働法や環境法を守るように、とかいう要求をし始めます。時には企業が国有化されたり、所有する土地や資産の一部の売却を要求されたりします。それで最初に起きることは、アメリカか外国の企業が他国で活動していると、その国の政府が何らかの制限を始めたり、問題を起こして、自由に活動する能力を制限したりするのです。
すると、その企業の首脳がアメリカ合衆国の政治的指導者のところに出向き、その国の政権に対して苦情を言います。この政治過程の中で、ホワイトハウスで動機は少々変わります。アメリカ政府は、ある企業の権利を守る為に直接介入することはしませんが、動機を、経済的なものから政治的な、というよりは地政学的、戦略的なものに変えるのです。彼らは、アメリカ企業を困らせたり、悩ませたりするようなあらゆる政権は、反米的で、抑圧的で、専制的で、おそらくはアメリカ合衆国を傷つけようとしているどこかの国の勢力か、その国の利益の為の道具であるに違いないという想定に立っています。そこで実際の基盤は決して変わらないのですが、動機は経済的なものから政治的なものへと変身します。
アメリカの指導者がその作戦の動機を、アメリカ国民に説明せねばならない段になって、もう一度変身するのです。そこで彼らは、普通、経済的な動機も、政治的な動機も使わず、こうした介入を解放作戦、独裁政権と見なしている政権の暴虐から、貧しく抑圧された国民を解放する機会として描くのです。他にどんな種類の政権がアメリカ企業を困らせるでしょう?
エイミー・グッドマン:スティーブン・キンザーさん、あなたがご本を始められているところから始めたいと思うのですが、それはハワイです。
スティーブン・キンザー:アメリカ合衆国に併合されるまで、ハワイが独立国家であったことを、多くのアメリカ人は知らないだろうと思います。要約すればこういうことなのです。19世紀初頭、数百人のアメリカ人宣教師が、その大半はニューイングランド出身ですが、当時サンドイッチ諸島と呼ばれていた場所へと人生を捧げるべく出帆しました。彼らの言うのに、異教徒の野蛮人を育てあげ、キリスト教文明の恩恵を教えてやるために。
間もなく、宣教師達やその子ども達の多くが、ハワイで莫大な金儲けができることを悟りました。現地人たちは長いこと砂糖を栽培していたのですが、決して精製せず、輸出もしなかったのです。現地人から大半の土地を奪い取った、宣教師農園主エリートと呼ばれた階層出身者の集団は、いわば神の道を外れ、拝金教に宗旨替えし、ハワイに一連の巨大砂糖プランテーションをうち立て、アメリカ合衆国に砂糖を輸出することで裕福になりました。
1890年代始めに、アメリカは課税法を通過させ、ハワイの砂糖栽培者が砂糖をアメリカに売ることを不可能にしました。そこで、ハワイの業者はパニックになりました。財産をすんでのところで失うところでしたから。何とかして砂糖をアメリカに売り続ける為には、どんなことが出来るだろうかと自問したのです。
彼らは完璧な解を思いつきました。アメリカになってしまえばいいと。どうやってそれを実現しよう? そこで、もしそうお呼びになりたければですが、ほとんどアメリカ系である「ハワイ人革命家指導者」が、実際ワシントンまで出かけました。海軍大臣と面会しました。アメリカ合衆国大統領ベンジャミン・ハリソンに直接問題を話しました。アメリカはハワイの君主制に対する反乱を支持するという確約を得たのです。
そこで彼はハワイに戻り、事実上のハワイ革命を実行した三執政の一人となりました。彼は三執政の一人でした。二人目はアメリカ大使で、彼自身併合主義者で、国務省からこの革命を助けることなら出来ることを何でもするよう支持されていました。そして三人目はアメリカ海軍戦艦の司令官で、その戦艦は好都合にもホノルル海岸沖に停泊していたのです。
この革命は驚くほど簡単に遂行されました。ハワイ革命の指導者、この宣教師農園主エリートが、ある日の会議で、「我々はハワイ政府を打倒した、今や我々が新政府だ。」と宣言しただけなのです。そして女王が対応する前に、アメリカの大使が、好都合にもホノルル沖に停泊していた軍艦から250名の海兵隊を岸に召集し、ある種の政治不安があったが、政府が交替したように見えるので、新政権を保護し、あらゆるハワイ人の財産を保護するため海兵隊が上陸すると宣言したのです。つまり、女王ができることは何もなかったというわけです。新政権は即座にアメリカ合衆国によって承認され、こうした単純なやり方で、ハワイの君主制は終焉し、究極的にハワイはアメリカに合併しました。
エイミー・グッドマン:女王は、助けてもらう為に他国の大使達は呼んだのでしょうか?
スティーブン・キンザー:女王も閣僚達も少々ショックを受けました。実際彼らはアメリカ合衆国に懇願し、尋ねたのです。「どんな政情不安があるのですか?誰が危険に直面しているのですか?言って下されば、その人々を保護しましょう。」女王にはおよそ600人の兵士がいました。それが全ハワイの軍隊でした。女王の閣僚達は実際に、ホノルル駐在の諸国大使達を、当時およそ一ダースほどでしょうか、呼び出して尋ねました。「我々は何をすべきでしょうか? 海兵隊と戦うべきとお考えでしょうか?」そして大使達は極めて慎重に、それは馬鹿げたことですと女王に言ったのです。「これを受け入れて、何か他の方法で再び王位につかれるよう試みられてはいかがかと。」それは決して実現不能なものでした。それでも当時でさえ、この小さな、弱い国家の支配者にとって、アメリカの軍事介入に抵抗しても何の希望もないことは明白でした。
エイミー・グッドマン:ハワイが実際究極的に併合されるまでにはさらに数年かかりましたね。
スティーブン・キンザー:それが実に興味深い話なのです。革命の直後、革命家達はワシントンに戻り、確かに大統領ハリソンは、約束通り、アメリカ議会に対してハワイをアメリカに併合するという法案を提出しました。けれども、クーデターがどのように組織され、それが誰の為に組織されたのかが知られるとこれには強い抵抗がありました。それで国会は即座にはハワイ併合を承認しませんでした。
まさにその時に、大統領が交代したのです。共和党のベンジャミン・ハリソンが退任し、新たな大統領、民主党のグローバー・クリーブランドが就任したのです。彼は併合には反対でした。彼は反帝国主義者でした。彼は条約を撤回しました。それは共和党の次期大統領マッキンリーが就任するまで、ハワイは数年間は独立国家でいなければならないことを意味しました。そして米西戦争たけなわのころ、アメリカがフィリピンを占領すると、ハワイはアメリカに対してカリフォルニアとフィリピン間の必要不可欠の中継基地となったのです。そしてその時、革命の五年後にハワイはアメリカ合衆国に実際に併合されたのです。
エイミー・グッドマン:スティーブン・キンザーさんとお話をしています。つまり、最初に宣教師達がやってきて、次に海兵隊がやってきたということですね。
スティーブン・キンザー:ええ、その通りです。「国旗の後から、企業が進出する」という言葉があります。しかし私の研究では実は逆なのです。最初に企業が進出し、それに国旗が続くのです。国旗が企業進出の後について行くのです。
エイミー・グッドマン:ここで一休みしましょう。それからまたこのお話に戻りましょう。ご本の書名は『体制転覆:ハワイからイラクに至るまで、一世紀にわたるアメリカによる体制変革』(原題:Overthrow:America's Century of Regime Change from Hawaii to Iraq)です。
[休憩]
エイミー・グッドマン:ニューヨーク・タイムスで長らく海外特派員を勤め、「オール・ザ・シャーズ・メン」というイランについての本、「ビター・フルーツ」というグアテマラについての本を含む多くの著書もあるスティーブン・キンザーさんの地元であるシカゴからお送りしています。彼の最新作は、「体制転覆:ハワイからイラクに至るまで、一世紀にわたるアメリカによる体制変革」です。彼はつい最近、ニューヨーク・タイムスを退社しました。あなたはアメリカが介入した14ヶ国についてお書きになっています。ハワイ、キューバ、フィリピン、プエルトリコ、チリ、ホンジュラス、イラン、グアテマラ、南ベトナム、アフガニスタン、イラク、パナマ。キューバについてお話しましょう。何が起きたのですか?
スティーブン・キンザー:キューバの話は実に心を惹きつけて離しません。特に私の本の主要テーマの一つを例証するのですが、それは、こうした介入が長期的にはいつも反応を引き起こし、究極的に最初に打倒した政権よりもずっと反米的な政権が登場するというものです。キューバについてはこんな具合です。トーマス・ジェファーソンが大統領だった頃からずっと、アメリカ人はキューバに長いこと目を付けていたのです。けれども1898年、クバ・リブレ(自由キューバ)という大義への傾倒が実際多くのアメリカ人の心を捕らえたのです。
1898年、キューバ経済は完全にアメリカ人に支配されていたことを銘記しておいてください。キューバは非常に大きな砂糖産出国で、キューバ内の全砂糖プランテーションはアメリカ人が所有していたのです。それにキューバはアメリカで製造した商品にとって巨大な市場でした。キューバで購入できる全てのおよそ85%はアメリカ合衆国製で、アメリカ企業はそこに極めて多大な利権を持っていたのです。
さてキューバの愛国者達は19世紀後半の長期間を、スペインの植民地支配に対する反乱に費やしたのです。1898年彼らはほとんど成功しそうに見えました。アメリカのキューバにおけるある種の利益にとって、これはいささか問題でした。革命家達は社会改革者でもあったためです。彼らは土地制度改革を支持しましたが、それはアメリカ人が所有する巨大砂糖プランテーションの解体を意味しました。彼らは、キューバが自国製造業の成長を可能にするための関税障壁を設けることも支持していましたが、それはアメリカ企業が商品をキューバに輸出するのをより困難にしたでしょう。
エイミー・グッドマン:それは何年のことですか?
スティーブン・キンザー:1890年代後半です。そこで1898年、アメリカの報道は、いわばキューバで活動していたアメリカのビジネスマンの耳打ちをきっかけに、キューバにおけるスペインの植民地支配を、言語に絶する、想像できる限り最も残忍な暴虐として描き出すキャンペーンを開始したのですが、アメリカ国民はこの熱情をあおり立てられました。アメリカの戦艦メイン号がハバナ湾で爆破されるとこの熱情は激化しました。「我が戦艦、敵の極悪非道なる装置により爆破さる。」これが拙書中にも収録したニューヨーク・ジャーナルの見出しでした。実際は、75年後に海軍が審問会議を召喚して、実際には海兵隊は内部的な爆破で吹き飛ばされた、という事実がようやく明らかになったのです。スペイン人は全く無関係だったのですが、アメリカ国民は当時それを知らず、報道機関はこの好機を捕らえてアメリカ国内の怒りに油を注いだのです。
さて、アメリカ人は、愛国者達がスペイン植民地主義を打倒するのを助けるため、キューバに軍隊を送ろうと決心しました。けれどもキューバ人革命家達は本当にその考えが良いのかどうか確信がありませんでした。何千人ものアメリカ兵士を自分たちの土地に呼び込んだら、勝利した後何が起きるのか彼等は考えられなかったのです。この懸念に答えてアメリカ政府、国会は法律を通過させました。テラー修正案で、非常に明確に「独立を勝ちとれた瞬間に、全てのアメリカ軍はキューバから撤退し、キューバが完全に独立することを認めると我々は約束する。」と規定していました。
この法律が通った後、キューバ人の反逆者達はアメリカの援助を受け入れることに合意しました。自分の軍服をニューヨークでブルックス・ブラザーズに自分用に特注した有名なテディー・ルーズベルトを含めたアメリカ兵士がキューバに入りました。事実上わずか一日の戦闘で、スペイン植民地統治は最後の致命的打撃を受け、スペインはキューバに降伏し、キューバは巨大な独立の祝賀を準備したのです。
その祝賀会が始まる直前に、アメリカ人は考えを変えたと宣言したのです。テラー修正案は無分別な熱狂の瞬間に成立したもので、実際キューバの独立はあまり好ましい考えではないと。そこでアメリカ軍は撤退はしませんでした。アメリカは米軍将校の直接指揮のもと数十年キューバに駐留したままで、それから後の期間は土地の独裁者の指揮の元で。
さて1959年に早巻き戻しをしましょう。フィデル・カストロの革命が成功した時のことです。カストロは丘から降りてきて、サンチャゴで革命の指導者として最初の演説をしました。その演説の中で、本の中にも引用しましたが、どんな政権を作りたいかは語っておらず、一つの約束だけをしているのです。彼は言っています。「今回は、アメリカ人がやって来て我が国のご主人様になった1898年のようにはしないとお約束しましょう。」
この演説の報告を読んだアメリカ人なら誰もが、当惑するに違いないと思います。そもそも、1898年に一体何がおきたのか何も記憶がありません。そして次に「60年前の出来事など、現代のキューバの革命とどんな関係を持ち得よう?」と訝るのです。こうした介入に対する憤りが外国の人々の魂や精神に焼き付き、後に激しく暴発するということを、アメリカ人は理解しそこねているのです。
アメリカがキューバに介入せず、キューバが独立するのを邪魔していなければ、1898年のキューバ人に対する明確な約束を実行していれば、過去40年間、あらゆるカストロ共産主義現象に直面することなど決してあり得なかっただろうと、今になって言うのは実にもっともなことです。今はもちろん、キューバで1898年に政権につこうとしていたような穏健なデモクラシー政権に戻って欲しいわけですが、しかしそれにはもはや遅すぎ、これが外国の国民の正当な民族主義的な熱望を、アメリカ人がどのようにして挫き、後になってそうした諸国を不安定状態に追いやるだけでなく、我が国の安全保障をも深く傷つけてしまうかという好例なのです。
エイミー・グッドマン:今例えばイラクでは、恐らくはアメリカ企業を保護しようとするアメリカ政府だけでなく、こうした全てにおけるメディアの役割はかなり重要に思えます。キューバに話を戻すと、メディアの役割はどうだったのでしょう?
スティーブン・キンザー:米西戦争に向ける準備段階で、報道機関は実に恥ずべき役を演じました。アメリカ人は、決してとりたててスペインのキューバ統治を好んでいたわけではありませんが、報道機関が、部数拡大競争のために、彼ら流に言うところの、スペイン植民地支配の蛮行を上手く利用することに決めた1898年の夏、アメリカ人は本当におかしくなりました。
そして、キューバの報道キャンペーンには非常に興味深い点が、アメリカの歴史の中で何度も繰り返し定期的に目にするものがあると思います。つまりアメリカは決してある政権だけを攻撃しようとはしないということです。アメリカ人は誰か個人を仕立て上げたがるのです。アメリカ人は、悪魔を、アメリカが攻撃しようとしている政権のあらゆる悪と専制の象徴となる人物を、欲しがるのです。ホメイニが、カストロが、カダフィがそれであり、歴史上他にも様々な人々がいました。
そこで米西戦争の場合、まずはスペイン王を悪魔のように描きたいと考えたのですが、スペイン王は存在しませんでした。女王がいまして、実際にはオーストリアの王女ですが、彼女では使えません。摂政は、彼女の息子でしたが僅か12歳の子供で、彼も使えませんでした。そこでアメリカはスペイン人将軍、在キューバスペイン軍指揮官、ワイラー将軍に焦点を当てることに決め、その当時、ワイラーはスペイン植民地主義に帰せられたあらゆる肉体的暴虐の縮図だと見なされました。
アメリカ人が常に誰か非難すべき個人を持ち出す時、現代に至るまでこのパターンを目にするのです。この考え方の背後にあるのは、全世界の人々の自然な状態は、アメリカ式デモクラシー制度のもとにあることで、アメリカ合衆国に対しては友好的であるべきだ、というものです。そうでなければ、たった一人の人物か、ちっぽけな徒党が、自然な姿にあるべきその国の人々の邪魔をしているのであり、アメリカがこのたった一人の人物やちっぽけな徒党を取り除きさえすれば、その国の国民はあらゆる人々にとっての正常な状態に戻り、つまりアメリカ式政府、政治、経済に憧れ、アメリカ合衆国を喜んで受け入れる、というのです。
エイミー・グッドマン:ウイリアム・ランドルフ・ハーストは、当時重要な役割を演じたのですか?
スティーブン・キンザー:ハーストは、極めて賢明にも、外国は常にアメリカ合衆国を傷つけようとしているのだと指摘して、好戦的愛国主義をあおりさえすれば自社の新聞の販売部数を劇的に伸ばせるだろうと悟った重要な人物でした。世界をこうしたホッブズ風に、至る所に恐ろしい危機があると見る風潮、そうした危険が上陸する前に、外に出ていって、あちこちを攻撃することがアメリカにとって極めて重要だというのは、現代でも依然として続いているわけです。本書の為に調査をしている間、クラウゼヴィッツをかなり読みましたが、彼はこうした事を名言で表現しています。彼はこれを「死ぬのが恐くて自殺する」と表現しています。自分に対して、世界で起きていること、或いは起こりそうなことが心配でたまらない余りに、出かけていって作戦を展開し、そんなことをしなければ起きなかったのに、実際にその行為が、起きるのではないかと恐れていた結果をもたらすことになるのです。
エイミー・グッドマン:ジョン・フォスター・ダレスについて、彼がどういう人物だったか、グアテマラや、その直前のイランへの介入における彼の役割をお話頂けますか?
スティーブン・キンザー:これまでの著作ではしておらず、本書でしたことの一つは、ダレスにかなりの焦点を当てたことです。私は本当に、ダレスが、20世紀の後半を形作った主要人物の一人だと信じていて、彼の分析と、なぜ彼がこういう役割を演じたのかの解明にかなりの時間をさきました。そもそも、ダレスは成人してからの生活の殆どを、アメリカで最も成功し最も高給を取る企業弁護士として過ごしました。彼はアメリカのあらゆる超巨大多国籍企業、ユナイテッド・フルーツのみならず、インターナショナル・ニッケルやあらゆる類の世界中の天然資源コングロマリットの代理人でした。そこで彼の世界の見方はひたすら経済的なものでした。世界におけるアメリカ政策はアメリカ企業の保護を指向すべきだと考えていたのです。
ダレスは聖職者一家の出身でもありました。彼は宗教的に深い信仰者でした。彼の父親は説教師でした。祖父はインドで宣教師をしており、このことで彼にはある気質が伝わり、アメリカの他国政権転覆時代に、この宗教的な感覚、つまりアメリカ合衆国は繁栄とデモクラシーを授けられているので、他国に、とりわけどれほど我が国の政治制度を必要としているかも自覚できない程度でしかない国に出かけていって、我々が浴している恩恵を彼らにも分け与えるのは、単にアメリカの権利であるのみならず、恐らくは神が与えたもうた義務なのだ、という信仰が極めて重要となるわけです。そこでダレスは、世界を厳密に白か黒かで見ていたのです。
彼は当時、共産主義の陰謀が、アメリカ合衆国を傷つけるべく世界中で執拗に活動していると見ていました。例えば、彼はいかなる共産主義国とのあらゆる文化交流に反対でした。長年の間アメリカの記者達が中国を訪問するのを妨害しようとしていました。彼はあらゆる類のサミット会議に反対でした。いかなる話題においても、共産主義諸国とのいかなる合意もアメリカにガードを下げさせるためのトリックに過ぎないはずだと考えていたので、望んでいませんでした。
それで、イランが石油産業を国有化した時、グアテマラがユナイテッド・フルーツ社の事業を制限しようとした時、ダレスはそれを、自らの資源を管理したいという外国国民の要求の反映として見ませんでした。彼はそれをむしろ反米的な動きとして見なし、疑いなしにクレムリンによって操作されていて、単にアメリカ企業を困らせるだけでなく、ずっと遠大な目標をもっていると考えていました。それは単なる反米攻撃の手始めに過ぎないのでした。
そこで、私が本の中で挙げている話の一つになるのです。イランやグアテマラ、そして後にはチリのような発展途上国における民族主義的活動に、なぜアメリカ人は、これほど悲劇的な判断の誤りをおかすのでしょうか? そうではなかった事が後に文書で明らかになりましたが、何故我々は、国際的な陰謀の一部として理解したのでしょう?
それはこういう理由だと思います。外交史を研究しているアメリカの政治家や外交官は、実際はヨーロッパ外交史を研究しているのです。アメリカ人は、きわめてヨーロッパ中心主義なのです。わが国の外交官達も政治家達もヨーロッパの政治的伝統にはよく通じています。彼らは同盟による政治や、征服やら大国が自国の手段として小国を密かに利用する戦争には詳しいのですが、貧しい国々の貧しい人々の自分たちの天然資源を管理したいという要求は、決してヨーロッパ史の一部ではありませんでした。ヨーロッパを研究し、事情に通じたアメリカ人の行動様式というわけではなく、アメリカ企業を守ろうとする本能的な欲求とあいまって、彼らは民族主義的な活動にたいする判断を誤り、アメリカ合衆国を傷つけようとする世界的な陰謀の一部だと誤解するのだと思います。
エイミー・グッドマン:といいますか、それはどうでもよくって、ユナイテッド・フルーツが好き放題に支配できるグアテマラのように、アメリカ企業は大事だと。
スティーブン・キンザー:そうした国々において何がアメリカ合衆国にとって最善か企業は知っておくべきことだったと思いますが、それに加えて、アメリカ企業を悩ませている政府は、自国民をも悩ませ抑圧しているに違いないと、我々が自分自身を説得してしまうのです。この主張は、アメリカ精神に非常に良く合っていると思うのです。ご存じのように、アメリカ人は実に同情心の厚い人々で、アメリカ人はどこか遠くの国で苦しんでいる人々がいるという考えに耐えられないのです。実に下劣な理由からそうした国々に干渉したがるアメリカの指導者達は、これを分かっていて、その動機を利用し、アメリカ人の同情心につけこんで、連中の介入に対する支持を獲得するのです。
エイミー・グッドマン:何が今のイランに油を注いでいるのかお話しましょう。アメリカが関与した1953年のクーデターに起因して、イラン人がアメリカに対して抱いている感情について。
スティーブン・キンザー:現在では、「イラン」と「デモクラシー」を一つの文章中で使えたろうなどとうてい思いつくことはできませんが、実際1940年代後半から1950年代初期、イランではデモクラシーが機能し、繁栄していたのです。イランが、石油産業を、外国人によって搾取されるがままにしておくのではなく、国有化したために、イランは外国による介入の標的となり、アメリカはイランのデモクラシーを1953年夏に打倒したのです。
アメリカはシャーを王位に据えました。彼は弾圧を強化しながら25年間支配しました。彼の弾圧が、1970年代末の爆発、イスラーム革命を引き起こしたのです。あの革命で、アメリカ外交官を捕虜にとって政権を始めたイスラーム法学者たちによる、狂信的に反米的な党派が権力を握り、以来25年間、自国民を弾圧し、世界におけるアメリカの利益を損なうために、時には非常に暴力的に、できることを手当たり次第やっています。そしてそれが、今我々が核問題で極めて深刻な世界的危機に立ち至っている相手の政権です。
ですから、アメリカが1953年に介入せず、イラン流デモクラシーを粉砕しなかったなら、イスラーム教中東の中心部に、過去50年間、繁栄するデモクラシーが有りえたかも知れないのです。中東が今頃どんなに違う状態になっていただろうかは、ちょっと見当もつきません。今イランで権力を握っている体制など、決して権力を持つようにはならなかったでしょうし、今の核危機も決して起きはしなかったでしょう。アメリカの介入が、究極的には最初に打倒した政権よりもずっとひどい政権をもたらすという好例です。
アメリカ人が彼らを非難して、「あなた方の国は専制政治だ。あなたのお国は残虐な独裁国家だ。デモクラシー体制になるべきだ。自由な体制を持つべきだ」と言ったら、イランの人々はどのように反応すると思われますか。彼らはこう答えるでしょう。「あなたがたがやってきて打倒するまで、我が国にはデモクラシーがあったのです。」今、アメリカ合衆国は、イラン政府に対して、いくつか極めて正当な不満を訴えていますが、それでも我々は、イラン人にも我々に対していくつか極めて正当な不満があることを理解すべきで、それが現時点で、我々が彼らと交渉に入ることを可能にする認識でしょう。
エイミー・グッドマン:スティーブン・キンザーさん、今日はここで終えなければなりません。来週はこの本「体制転覆:ハワイからイラクに至るまで、一世紀にわたるアメリカによる体制変革」アメリカが関与した14のクーデターにかかわる第二部です。
http://www.democracynow.org/article.pl?sid=06/04/21/132247&mode=thread&tid=25
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